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ドーハの悲劇から20年・・・都並、北澤らの熱いエピソードなど

これはサッカー記事だけど、まずは野球の話をトッピングしとこう。選手として、

また監督として、巨人軍の黄金時代を支えた「打撃の神様」、後には「ドン」と

も呼ばれた超大物、川上哲治氏の訃報が伝わって来た。93歳で、老衰によ

る死去とのこと。「赤バット」という言葉だけは知ってたけど、ホントに使ってた

とは知らなかった。1946年の終盤、青バット(大下弘)と共に、宣伝用だっ

たのか。。

       

私は最近、野球に対する関心が薄れてるし、ブログにもほとんど書いてない。

でも、子どもの頃は一応、巨人ファンで、今でもどこかと言えばやっぱり巨人

を応援してしまう(色んな思いは持ちつつ・・)。だから、昨夜の日本シリーズ・

第4戦で、巨人が楽天に逆転勝ちしたのはちょっと感動した♪ 喪章をつけ

て、黙祷まであった試合で、負けるわけには行かなかっただろう。原監督も

ホッと胸をなでおろしたはずだ。

      

ネットを見ると、川上氏の意外な情報もいくつか載ってる。ただ、大功労者で

ある点は間違いない。ともあれ、天に昇った神様に合掌。。

        

    

          ☆          ☆          ☆

一方、平成ブロガーといえども一応、サッカー日本代表の「ドーハの悲劇」は

知ってる♪ 93年10月28日だから、何と20年前のことなのか。最近、サッ

カー情報をほとんど見てなかったこともあって、雑誌やネットを軽く眺めてみ

たら、予想以上に面白かった。

       

いまだに現役を続けるカズ=三浦知良は、前から凄いなと思ってる選手だ

けど、メディアへの露出が非常に多いこともあって、むしろ他の選手の方が

興味深く感じた。まずは、『狂気の左サイドバック』なんて過激なタイトルの本

まで出てる、都並(つなみ)敏史について。以下すべて、Webスポルティーバ

の記事を中心に。

    

ドーハと言うと、終了間際に同点にされてW杯出場の夢が消えた直後、オ

フト監督が選手一人一人をねぎらってる姿が有名だけど、都並に言わせる

と、自分だけ握手をしてもらえなかったらしい。それはオフトに対する不満と

言うより、自分が活躍できなかったことの象徴としての思い出なのだ。

      

リスク管理とか考えない、「狂気の」熱さを持った性格のせいで、左足首を

骨折。アメリカW杯最終予選では全く出場できず。ただ、ムードメーカー的な

存在だし、相手国に「日本には都並がいる」と思わせることは出来るから、メ

ンバーに選出されて、悩んだ末に本人も承諾。

         

奥さんに相談した際、「行ったら、俺の足、壊れちゃうぞ」と言うと、「いいじゃ

ん、壊れても」と言われたそうだ。流石に、奥さんも熱いね♪ 当時、既に彼

は32歳だから、最後のW杯という意味もあったんだろう。

   

ドーハでは、折れた足を酷使して、いつでも出場できるように練習をアピール

してたものの、結局は出場機会なしで、チームもアジア予選敗退が決定。オ

フトとしては無意識の内に、「おまえのせいだ」という本音が出て、握手を避

けた・・・と都並は説明してるけど、オフト本人は握手しなかったことさえ覚え

てないそうだ。ということは、都並は後でオフトに質問したわけか♪ ま、そん

な話さえ出来るほど親しいということの証しでもある。

           

ちなみに当時、オフト監督は46歳。たとえ本当に、都並が言うような無意識

の不満で握手を避けてたとしても、むしろ愛すべき青さとか、人間臭さと言う

べきかも。今、66歳の彼なら、流石に笑顔で握手するだろう。素直な振舞い

か、社会的な演技かはさておき。。

     

     

          ☆          ☆          ☆

一方、都並と共に熱いメンバーだった、北澤豪。豊富な運動量で「ダイナモ

(発電機)」と呼ばれたミッド・フィルダー(中盤選手)だ。彼も一度、骨折して

戦列から離れたけど、何とか治して復帰。悲劇となったイラク戦でも出場し

ようと思ってたし、出場してる選手からの要望もあったのに、オフトは北澤を

使わなかった。

      

交代選手は2人までで、既に2人(福田、武田)使ったから自分の出番は無

くなったのに、北澤はベンチを離れて、まるでアップ(準備)のように動き続け

てたらしい。試合後には、北澤と同じ中盤選手として実際に出場した森保(も

りやす)が謝りに来てくれたとの事。「ごめんね・・・キーちゃんが試合に出て

いた方が良かったよね」。

    

森保を責める気はない。でも、オフトが自分を使わなかったのは間違いだった

と、今でも北澤は思ってる。そこで2年前、オフトのサッカー界引退の際に開

かれた、ドーハ戦士による「オフト会」で、なぜ自分を使わなかったのか、オフ

ト本人に「絶対聞いてやろう」と思ってたのに、結局は止めたそうだ。多分、あ

ちこちの情報を探せば、どこかでオフトの考えは載ってると思うけど、探す気

にもならないということかな。元々、故障がいま一つ完治してなかったのは自

分で分かってたことだし、自分の責任でもあるし。

    

北澤へのインタビューの最後には、心温まるエピソードもあった。サポーター

から日本代表に贈られたお守りの1つを、たまたま間接的に受け取ることに

なった彼は、ストッキングの中に入れてたそうだ。サッカー界でよくある事な

のかな? 動きが激しいのに、ジャマになったりグシャグシャになったりしな

いのかね。とにかく大切に扱って、帰国後には地元の帝釈天に奉納。

   

その時の祈りが、現在の日本サッカー界に力を与えてるのではないか・・・

というのが、記事の最後を飾る言葉だった。いいね♪ ま、北澤本人はいま

だにかなり悔しそうだけど。次のフランスW杯の時も、カズと共に悔しい思い

をしたことだし。。

     

    

          ☆          ☆          ☆

ちなみに、北澤と違ってイラク戦に途中出場した福田正博は、帰りの飛行機

内でオフトから、「お前、どうしてしまったんだ」と言われたらしい。これは、よほ

ど期待してたことの裏返しだろうね。福田はその後も不調が続いたけど、95

年にはJリーグの得点王に輝いてる。ドーハにまつわる出来事を、「悲劇」で

はなく「メッセージ」として受け止め、努力を重ねた結果が花開いたという話だ。

   

それにしても、20年経ってもみんな、熱い思いを抱いてるね♪ 実は私も、す

ごく小さなサッカー大会で優勝した時の試合に、半分だけ出場。右サイドから

攻撃的にガンガン攻め込んで、相手チームの選手が「こいつら、凄いな・・」と

かつぶやいてたのが、いい思い出になってる☆ 

    

今でもその時のささやかな賞品は、引き出しの奥にしまったまま。苦手な早起

きもちゃんして、みんな一緒に燃えてた時代が懐かしいね。またサッカーした

いのは山々だけど、メンバー集めも場所取りも難しいから、代わりにランニン

グと自転車で燃え続けるとしよう。持久力さえあれば将来のサッカーにもつな

がるのだ。ま、動きが激しいから、すぐ骨折して出場できなくなりそうだけど♪

       

では、今朝はこの辺で。。☆彡

                 

                                   (計 2730文字)

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