昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~2014センター試験・国語
(☆20年1月19日追記:最後のセンター記事アップ。
妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール
~原民喜の小説『翳』(2020年センター))
☆ ☆ ☆
なるほど。。予備校の解説通り、分量は大幅に増えたけど、去年の牧野信一
『地球儀』とかと比べると、遥かに読みやすい短編小説だ。
今日、行われた、2014年度・センター試験の国語(現代文)の第2問、岡本
かの子『快走』。初出1938(昭和13)年。5300字超の全文の引用は、受
験生にはプレッシャーだったと思うけど、実は簡単な風景描写が多いし、複
雑な表現や心理もほとんど見当たらないから、高速の流し読みが可能。去年
と同じく、無料の電子図書館「青空文庫」ですぐに読めるから、リンクを付けと
こう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/50618_38176.html
難しさやユニークさだけに注目するなら、特にコメントする気もしない問題だ
けど、たまたま私は市民ランナーだし、元・高校陸上部出身のブロガーでも
ある。「オン・ユア・マーク、ゲットセッ」(On your mark,get set : 位置
について、用意!)なんて言葉には敏感に反応してしまうのだ♪ 「セット」と
書かずに「セッ」で終わってる辺りも味がある。おまけに、舞台である多摩川
も、自転車の定番コースとしてお馴染みの場所。
非常に読後感が快くて、「快走」の名にふさわしい素敵な物語だったから、軽
く感想&解説を書いとこう。ひょっとすると、自らの日常生活や現代日本の状
況・流れを再考するキッカケにもなるかも知れない。奇才として有名な芸術家・
岡本太郎の母という点も、興味が湧く点なのだ。お嬢様育ちの女性がパワフ
ルな潜在能力を爆発させる点で、作者の私小説のように読める点も面白い。。
☆ ☆ ☆
時期は正月前だから、12月くらいか。主人公=ヒロインの道子は、今春
女学校を卒業したばかりだから、まだ10代後半(ハイティーン)で、元気と
若さが溢れてる頃。
ところが小説の最初は、弟・準二と兄・陸郎の着物を縫うシーンで始まって
る。おまけに、戦前の「国策の線に添って」、「会社以外はなるべく和服で済
ます」という話まで添えてある。特に若者にとっては、抑圧的な社会状況の
中、「肩が凝(こ)って、座り続けた両脚がだるく張った感じだった」道子は、
「大きな背伸び」をするのだ。もちろん、この辺りはさりげなく、文学的な比喩
になってる。
一方、やはり気になるのは、現在の日本との関係だ。安倍首相の登場から
1年経過、アベノミクスのバブル的効果に人々が潤う中、「国策の線」を強く
打ちだす姿勢には、特に左派の側から不満がある。その中で、教育関係の
幹部が、「大きな背伸び」をして「快走」してみたのがこの問題だと言えなくも
ない。
もちろん、この程度の背伸びや快走なら、家庭内野党(奥さん)の抵抗によっ
て日々鍛えられてる首相も、「あははははは・・・」と笑って聞き流せるだろう。
序盤から終盤まで挿入されてる大きな笑い声が、作品の特徴でもあるのだ。
この笑い、去年の『地球儀』の「スピンスピンスピン」と対応してるけど、あちら
は快走と言えるほどの息抜きにはなってない。それに対して、『快走』の走り
や笑いというものは、鮮やかな息抜きの効果を示してるのだ。本物の解放か、
一時的なガス抜きかはさておき。。
☆ ☆ ☆
さて、道子は冬晴れの夕陽の中、多摩川へと散歩してみる。走り出すキッカ
ケの最初は、遥か西に浮かんだ秩父の連山。こんな夕景色をゆっくり眺めた
のは久々だからこそ、逆に普段の「あわただしい、終始追いつめられて、縮こ
まった生活」への不満を意識する。
そこで更に「冷たい風」が吹きつけて来た時、道子は逆に、「足に力を入れて」
河川敷の草原から堤防の上へと上がるのだ。要するに、いわゆる多摩川サイ
クリングロードに立ったような感じだろう。荒川や江戸川でも似たようなものだ。
もはや夕闇が迫る頃で、「誰も見る人がない・・・・・・よし・・・・・・思い切り手足
を動かしてやろう」。そう心の中で呟いた彼女は、「膝を高く折り曲げて足踏み
をしながら両腕を前後に大きく振った。それから下駄を脱いで駆けだしてみ
た」。
この動作から、「女学校在学中ランニングの選手だった」彼女が、短距離走を
専門にやってたことが想像できる。というより当時、女性で中・長距離選手と
いうのはほとんどいなかったはず。その事自体も、女性に対する時代の抑圧
を示してると言えるかも知れない。
☆ ☆ ☆
堤防でふと試した「快走」のあまりの快さに、道子は「いっそ毎日やったら」と
思い付いて、密かに実行する。家族には、「ちょっと銭湯に行って来ます」と
か可愛いウソの言い訳をしつつ、再び月明かりの多摩川の堤防へ。
今度は着物を脱いで、おそらくアンダーシャツとパンツ姿になり、シューズや
スパイクの代わりの足袋を履き、手拭いでうしろ鉢巻。足踏みの「稽古」(ウォー
ミングアップ)の後、身をかがめて冷たいコンクリートに手をつき、「オン・ユア・
マーク、ゲット・セッ」と自分で合図した後、ばね仕掛けのように勢いよく飛び出
した。当時はまだ戦争直前で、陸上競技のスタートに英語を使ってたらしい。
その後、疲れて減速した時の描写が、文学的で多義的な表現になってる。
「月の光りのためか一種悲壮な気分に衝たれた──自分はいま溌剌と生き
てはいるが、違った世界に生きているという感じがした。人類とは離れた、淋
しいがしかも厳粛な世界に生きているという感じだった」。
ここでいう「いま」とは、「今この瞬間」、つまりランニングの時のこと。この時、
ありがちな解放感とか喜びの表現(気持ち良かった、とか)に留まらず、「悲
壮」とか「違った世界」という表現が出て来る辺りが芸術だし、時代背景も影
響してるのだろう。
今、女性市民ランナーもマラソン愛好家も増えて、好みの派手なウェアで走り
やイベントを楽しんでるが、75年前の密かな息抜き女性ランナーの思いは、
かけ離れたものだったに違いない。。
☆ ☆ ☆
一方、いつの時代も母親は娘が気になるわけで、当然、道子の「銭湯」に疑惑
を抱く。そして、兄・陸郎に、後をつけることを命じるわけだが、どうも陸郎は、
道子の行動を報告しなかったようだ。おてんばな妹が快走する姿を陰から見
て、同世代の兄妹として、からかう気にも報告する気にもなれなかったという事
か、あるいは羨まし過ぎて沈黙したのか。
それでもと言うか、だからこそ母親の疑惑は晴れず、道子もわざと銭湯で長湯
して顔を真っ赤にしたりする。その滑稽さに、道子は自分で「くすくす笑った」。
走りと笑い、2種類の解放、逸脱を描く小説なのだ。
結局、最後は、母親が父親と共に、道子あての手紙を盗み見して、真相を把
握。すると父親は、道子の気持ちをすぐ理解して、「俺だって毎日遅くまで会社
の年末整理に忙殺されてると、何か突飛なことがしたくなるからね」と同調。「自
分の分身」が走る姿を見に行くと言い出す。
すると母親が、「呆れた方ね。そいじゃ私も一緒に行きますわ」とヒネった同調
を見せたから、父親が「お前もか」。そこで2人は、「はははははは」と笑い出す
のであった。まるで、なごやかなホームドラマのような光景だ。
☆ ☆ ☆
こうなると、もうラストシーンは見えて来る。両親も、道子の後を追うようにして
懸命に走った後、仲良く大笑いするわけだ。最後の部分をそのまま引用して
おこう。
「俺達は案外まだ若いんだね」
「おほほほほほほほほほほ」
「あはははははははははは」
二人は月光の下を寒風を切って走ったことが近来にない喜びだった。
二人は娘のことも忘れて、声を立てて笑い合った。 (完)
娘を忘れるという部分まで含めて、非常に上手いエンディングだと思う。結局、
娘・道子という存在が、いわゆる「トリックスター」として機能したということが明
らかになる。1年前に亡くなった、日本を代表する文化人類学者・山口昌男が
その重要性を強調した、秩序から逸脱するイタズラ好きな存在、道化役。
そうした存在としての道子や、その非日常的で掟破りのイタズラとしての快走
が、周囲を巻き込んだ『笑いと逸脱』(山口の著作名)を巻き起こし、家族のそ
れぞれ、また家族関係にダイナミックな活力をもたらした訳だ。今後は当然、
兄や弟も快走、道子も含め、一家揃って楽しく爆笑することになるだろう。
ちなみに
☆ ☆ ☆
最後に、現在の我々や日本社会を考えた時、ヒントになるのは、このフィクショ
ン=虚構の中で示されてる、身体性や笑い、イタズラ的行動の現実的な価値
だ。真面目に考えて硬い言葉で語ることにも、もちろん意義はあるが、遊び感
覚で何かを軽く示すという方向もある。それは、最近の左派・リベラルにとって
は、脱力系の個人的なデモとか、フラッシュモブ(突然群衆の中で踊り騒ぐパ
フォーマンス)による抗議行動かも知れない。
ただし、それがポジティブな効果をもたらすかどうかは、置かれてる大小の状
況や、やり方次第なのだろう。とりあえず私は、一市民ランナーとして個人的
に走り続けたい。また、1人のブロガーとしてもシンプルに走り続けたい。「違っ
た世界・・・人類とは違った、淋しいがしかも厳粛な世界」と感じる状況の中で。
なお、見方によっては、道子の姿に非常に淡いエロス=性愛を感じることも出
来なくはない。その場合は、エロスの表現・機能・価値を考えてみるヒントにな
るだろう。100年弱の日本の歴史の中で。それでは、今日はこの辺で。。☆彡
P.S. この記事をアップした直後、20時過ぎくらいになってようやく、問題
を発見。相変わらず、消去法で残った2つの選択肢のどちらを正解
とするか微妙な設問だが、深読みせず普通に素直に読解すれば、
決して難しくはない標準問題だ。
最後、「父親」と「母親」という表現が、「夫」と「妻」になってるという指
摘には、なるほどと納得した。要するに、娘の事とか親という立場・
役割を忘れた、同世代の2人の個人になったということだ。
cf. 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』
幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~2013センター試験・国語
鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~2011センター試験・国語
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(計 4241文字)
(追記11字 ; 合計4252字)
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