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宮本武蔵、真実の歴史と虚構の物語の間で・・

今週は既に4日間で15000字近くも書いてるので、週間2万字制限まで残

り5000字強。日曜にレース記事が入るから、今日はごく短い記事しか書け

ない。そこで、先日のキムタク=木村拓哉主演ドラマでも扱われた宮本武蔵

という武道家をめぐって、私の現在の見方や感想を簡単にまとめとこう。

   

まずは、先日のドラマの原作本で、NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』や

井上雄彦の人気漫画『バガボンド』の原作でもある人気小説、吉川英治の

『宮本武蔵』(1935~39)からスタートしよう。

       

   

          ☆          ☆          ☆

これはもちろん80年近くも前の大衆小説で、最新の歴史研究書ではない。

ただ、「吉川版の武蔵は価値の無い虚構で、原資料に基づいて研究すべき

だ」というような、よくある意見には注意が必要だ。 

     

というのも、既に吉川自身が膨大な資料を相手に格闘してるからだ。ありが

ちな吉川批判として、あれはいわゆる『顕彰会本』(熊本・遺蹟顕彰会)や

その前の『二天記』に即したものに過ぎない・・・といった主張がある。ところ

が吉川が小説完了時に記した『随筆 宮本武蔵』を青空文庫で読むと(著

作権は既に消滅)、確かに『二天記』を「最も信の措けるもの」と書いてるが、

そのおかしな部分は批判してるし、他の書物ももちろん参考にしてるのだ。

             

吉川を批判するのなら、吉川以上に原資料を読みこなして考える必要があ

るが、そもそも吉川と二天記の複雑で微妙な関係でさえ、ネット上にはなか

なか考察が見当たらない。これでは、長大な「吉川による武蔵最強神話」を

批判するために、些細な「吉川虚構創作神話」を使ってるようなものだろう。

   

140321g

 天国の吉川や、本

 格的な論敵だった

 直木三十五(直木

 賞の由来)がどう

 思うだろうか。左

 は直木の『日本剣

 豪列伝』、国立国

 会図書館デジタル

 ライブラリーより。

     

     

         ☆          ☆          ☆

では、元の原資料としてどんなものが挙げられるか。代表的なもの7つだけ

執筆年代順にまとめると、次の通りだろう。ちなみに二天一流の開祖・武蔵

の生涯は、1584年(?)~1645年とされる。

        

     『五輪書』       宮本武蔵(?)       1643-45年(?)

     「小倉碑文」     武蔵の養子・宮本伊織    1654年

     『沼田家記』     細川藩・沼田家の子孫    1672年

     『本朝武芸小伝』  日夏繁高            1714年

     『武州伝来記』(=『丹治峯均筆記』=『兵法大祖武州玄信公伝来』)

                 二天一流師範・丹治峯均   1727年

     『武公伝』      二天一流師範・豊田正修   1755年

     『二天記』      正修の息子・豊田景英     1776年  

    

     

この内、吉川が直接参照してないものは唯一つ、『沼田家記』のみ。ただし、

顕彰会本の中で引用されてるので、間接的には参照してたことになる。

   

その前に、吉川が一番信頼する『二天記』と、その元になった(?)『武公伝』

との関係が微妙だと理解しておこう。これらは内容的な重複や加筆修正を見

ても、20年の時を隔てた親子の共作のようなもの。吉川は『武公伝』を、『二

天記』の下書きか原型のように扱って、一度しか名前を挙げてない。

       

140321e

 続いて、武蔵の

 最晩年の自著と

 される『五輪書』

 は、原本が存在

 せず、写本同士

 の違いが少なく

 ないようだし、

 史実のようなも

のは少ししか書かれてない。あくまで兵法書で、本人の著作ではないとす

る説もある。上は国会図書館で公開中、顕彰会『宮本武蔵』p.146~147。

60数回、勝ち続けたと書いてある、「地の巻」だ。

       

   

         ☆          ☆          ☆

さらに、小倉碑文は一番古くて養子である弟子が書いてるから信頼できる、

というのは自然な発想かも知れない。しかし、弟子は師匠のことを公の場で

賞賛するのがほとんどだろうし、碑文だから記述は短い。そもそも、書いた養

子の伊織がどの程度、師匠を正確に把握してたか、その点も気になる所だ。    

      

140321d2

  例えば、私は実の父について

  色々語れるし、実際たまに語っ

  てるが、知らない事が非常に多

  いし、家族の話くらいしか根拠

  を持ってないわけだ。左が碑

  文で、大阪経済大pdfファイル 

  「宮本武蔵の視点」より。

        

         

        

            

140321a

 一方、『本朝武芸小伝』

 は100人ほどの武芸者

 のまとめ本で、武蔵はそ

 の内の1人に過ぎない。

 左は『小伝』の目次で、

 下段の右から5番目に

 武蔵も登場。京都大学・

 谷村文庫の公開画像。

   

    

    

     

140321f

  『武州伝来記』とか複数の名を

  持つ伝記は、原本がどこにも

  残ってないし、写本の間にも異

  同があるらしい。一応、顕彰会

  本における引用部分(p.18)

  の画像を添付しておこう(左半

  分、丹治峰均筆記と呼んであ

  る)。

          

        

        

      

     

         ☆          ☆          ☆

140321b

 最後に、あちこちで「近

 年再発見された」という

 ような言葉と共に紹介さ

 れてるのが『沼田家記』。

 左は福岡県・添田町HP

 よりお借りした(元は熊

 本大学・永青文庫)。

   

 近年とはいつなのか、ほと

 んど情報が見当たらないか

 ら、誰かの言葉がネットで拡

散してるのだろう。

    

私が調べてみると、ネットにこの文献が登場したのは2002年頃だから、既

に12年前。ただ、マイナーな情報だったようで、ウィキペディアに登場するの

は2006年7月、研究者の福田正秀が加筆してた。

         

この書物が評価されるポイントは2点。小倉碑文に次ぐ古さと、第三者的な

立場。しかし、巌流島の記述を見ても、とてもそのまま信頼できるものとは

思えない。単なる噂話のまとめがかなり混ざってる可能性は十分ある。

       

武蔵の弟子たちが島に隠れていて、小次郎にとどめを刺したのに怒って、

小次郎の弟子たちが島に渡ろうとしたとかいう話だが、そんなに早い情報

伝達は当時考えにくいだろう。そもそも島は当時、非常に小さくて、複数の

人が隠れるのも妙な発想だし、もちろん卑怯な行動。共に、あり得ないとま

では言わないが、少なからずの想像や脚色を感じる。実際、顕彰会本でも

疑問を呈してるのだ。。

   

    

         ☆          ☆          ☆

とにかく、最近の東アジアの歴史論争から考えても、400年前の孤高の武

人の真実を知るというのは極端に困難なこと。元の数百年前の本にもなか

なか辿り着けないのが現実。間接的な情報や写し(コピペ)だらけなのだ。

      

結局、そうした様々な資料を元に、それぞれが「歴史」(history)と言うより

「物語」(story)を創り上げることになる。英語のwiktionaryによると、ヒス

トリーとストーリーの語源は共に、「調べて学んだことを語ること」となってた。 

     

その意味で、吉川が創った「ヒストリー」は非常に魅力的な「語り」だったわけ

140321c

  だ。私も学び続けるが、

  あの語りを超えて語るの

  は大変だろう。 

  

  左は『二天記』の写真で、

  東京国立博物館公開の

  画像。これさえ、原本か

  どうか分かりにくいのが

  実情だ。

  ではまた。。☆彡

          

 (計 2646字)

   

  

cf. 『宮本武蔵』第一夜、短い感想&原作小説との比較

   『宮本武蔵』第二夜と原作小説(by吉川英治)、感想と比較

       

                          (追記 54字 ; 合計 2700字)

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