事件と人生、真正面に向きあうとは~『HERO 2』第10話
久利生さんは間違ってません。
私たちの仕事は、特捜部の顔色をうかがうことじゃないでしょ。
ウソの調書に、どうしてサインをさせられるんですか。
久利生さんは、検事として、正しい事をしたと思ってます。
・・・そうゆう事なのか、久利生?
いや、嫌われたらまずいんだろうなぁとかこう、
周りの人と上手くやらなきゃなぁっていうのは、
いや、俺の中にも一応ありますよ、そうゆうの。
でも、事件に関わってる人にしてみたら
そうゆうのは全然、関係なくないすか?
いや、事件の当事者は人生かかってるんですよ。
下手したら命かかってるし。
ウソつけないでしょ、俺たち、検察なんだから。
やっぱ、事件には真正面に向き合っていかないとダメでしょ。
☆ ☆ ☆
「どうでもいい事」だけど、あのマスター(田中要次)のお店、St.George’s
Tavernの女性客って、レベル高いね♪ 今回はなぜか、フジテレビの女子
アナ(カトパン=加藤綾子&山崎夕貴?)まで来てて、キムタクの方から握手
をおねだりしてたし(笑)
あの証券会社社長も、テレ東の人気女子アナに色々とおねだり出来るんだ
ろうなぁ。。まだ言うか! いや、力ある男のもとに魅力ある女性が集まる。
古今東西、不変の真実を再確認してるだけなのだ。大げさだわ!
さて、仕事その他に追われてる間に、放送から丸3日も経ってしまった『HERO
2』第10話。ツイッターでドラマの最中につぶやきをやり取りする時代に、途方
もなく遅い反応だけど、来週の最終回にもつながる話だし、一応軽くコメントし
とこう。ただし記事タイトルは「軽~い感想♪」とかじゃなく、重いものにした。
「俺たち、ブロガーなんだから」。職業への誇りなのだ。職業じゃないだろ!
☆ ☆ ☆
今回、実はドラマを見る前に、扶桑社のノベライズ本で第10話だけ流し読み
してたのだ。福田靖の脚本を、蒔田陽平がノベライズ(小説化)。いや、たま
たま書店のテレビ・芸能コーナーで目についたもんで。
この「いや」って、木村拓哉の口グセなのか、それとも久利生の口癖なのかね♪
台詞を引用してて、ずいぶん多いなと思ったのだ。美青年の「ちなみに」みたい
なもんか・・っていうのは、一部読者の方々への唐突なご挨拶だったりする(笑)。
ちなみに、こうした「いや」(モダリティ=ムードを表す間投詞)の連発は、ノベ
ライズだと省かれるし、コラムニスト・木村隆志が今回、マイナビで久利生の
「名言」を引用する際にも省いてた。ついでに言うなら、なぜ名言なのかという
説明も省かれてる♪ コラコラ!
☆ ☆ ☆
今回のドラマの内容は、大きく見るとノベライズで読んだ通りだったから、逆
に興味深かった。と言うのも、ノベライズと脚本(台本)はまたちょっと別だけ
ど、文章の筋書きをドラマにする「演出」(平野眞)とか「音楽」の効果を味わ
えたからだ。
木村のコラムでも「秀逸」とされてた演出が、終盤の城西支部の朝。例のハイ
ヒール&ブーツ窃盗萌え事件・・・じゃなくて、通り魔事件を起訴するかどうか♪
検事や事務官みんなが悩み、迷ってる状況を表すのに、シーンと静かな長回し
映像が使われて、場の重苦しい雰囲気、緊迫感を上手く表現してた。
1分半以上も台詞が無い、固定カメラ1台による撮影。そのままだと退屈すぎ
てチャンネルを替えられそうだから(笑)、ちゃんと画面の下側にエンドロール
の文字を流して、適度なアクセントにしてる。
だからこそ、文字とかぶらないように、検事や事務官はくつろぎスペースの奥
側(画面の上側)から順に座ってるのだ。もちろん手前側(画面の下側)には
やがて、ヒーローとヒロイン・麻木(北川景子)が登場することになる。見事に
計算されたシーンだった。。
☆ ☆ ☆
もちろん、文科省タイアップドラマとして、また高視聴率「水戸黄門」型ドラマ
として、そんな映像の技法は枝葉の問題であって、分かりやすい倫理や道
徳こそが重要となる。ヒーローとヒロインが、言いにくい正論を堂々と口にし
て行動で表し、周りのみんなも同調するからこそ、視聴者の多くはスッキリ
するし、小学校教育でも使いやすい。人妻不倫ドラマじゃ、不採用だろう♪
私自身は、あのシーンとかを見ながら、かなり違う事を色々と考えてた。例え
ばあの「名言」を聞きながら、論理学を頭に浮かべてた人はほとんどゼロに
近いだろう。あえて分かりやすく単純化すると、あれはある意味、エモーショ
ナル(情緒的)で正しくない論法の典型。単なるまやかしのレトリックと言えな
くもないのだ。ただし、一般社会では非常に人気がある所がポイントだ。
久利生の論法を、次のようにまとめてみよう。
身内のことを考えると、俺たちは上手くやるべきだけど、
当事者のことを考えると、俺たちは上手くやるべきでない。
だから、俺たちは上手くやるべきでない。
途中の「けど」とか、元の台詞の「でも」は、前後の意味が逆転する「逆接」を
表す言葉で、後ろに続く言葉の方が優先されがちだ。ところが現代の論理学
だと普通、単に「かつ」(and)として扱う。つまり、その前後の文章は対等な
主張として扱われるのだ。
すると、話の中心は、次のように言い換えられる。
俺たちは上手くやるべきだ、かつ、俺たちは上手くやるべきでない。
つまり、「Aかつ、Aでない」。やや広い意味で「矛盾」した2つの条件が連立で
与えられてるだけであって、そこからは一方を正しく導くことはできないと言っ
てもいいし、どんな主張でも好き勝手に導けると言ってもいい(理論的な枠組
や前提による)。
☆ ☆ ☆
ちなみに、こうした「かつ」(and)をめぐる考察は当然、昔から専門的に行わ
れてる。たとえば、ある意味で有名な現代思想の著作、ドゥルーズ=ガタリ
の『アンチ・エディプス』なんて本を真面目に読むと、実は論理学の話がかな
り含まれてて、その分析がエディプス=精神分析学の根本の批判につなが
るのだ。
「AかつBかつ・・」の全面的な肯定
→ 「AもBも・・」という多様性の肯定
→ 「Aに限る」、「Bだけ」という束縛的・排他的な心理や理論の否定
といった流れを通じて。「AまたはB」(どちらか一方)といった、排他的な選択
(or)と比較しながら。。
☆ ☆ ☆
話を戻すと、ここで次のような反論はもちろん考えられる。「俺たちは検事だ
から」という部分が重要であって、だからこそ「(仲間内だけで)上手くやるべ
きでない」と言ったのだ・・・というような考えだ。
これを単なるエモーショナル(感情的)な反発とするのでなく、「われわれ視聴
者は検事ではない」とだけ言い返すのでもなく、「真正面に向き合って」、次の
ように言い換えてみよう。「けど」や「かつ」の前後は論理的に対等として、順番
を変えてみる。
当事者のことを考えると、俺たちは上手くやるべきでないけど、
身内のことを考えると、俺たちは上手くやるべきだ。
ところで、俺たち身内はみんな検事だ。
よって、俺たちは上手くやるべきだ。
つまり、「検事だから」という条件は、上手くやるべきでないという話を導くとは
限らないわけだ。もちろん、上手くやるべきだという話を導くとも限らない。その
辺りの複雑さ、微妙さを更に考えてみよう。ちなみに、「ところで」という接続詞
も論理的には「かつ」と同等の言葉として扱われる。
☆ ☆ ☆
そもそも、久利生や麻木が特捜部で激しく抵抗したのは、「ウソ」の調書だった
のか? このウソというネガティブでエモーショナルな言葉も、冷静に考えてみ
る必要がある。
特捜部の人達は、「ウソ」の調書を作ってたのだろうか。ウソとは普通、意図的
に間違ったことを伝える言葉のことだ。調書を作った時点で、タクシーの記録映
像も無ければ、映画館の半券やスタチュー(銅像)芸人の証言もない。おまけ
に(まだ)、あの関係者の「有罪」を捏造してたわけでもないことは、久利生自
身が麻木にちゃんと説明してた。
だから、あれは「ウソ」ではなく、「不十分で、結果的に間違ってたかも知れない」
調書だ。意図性というのは、罪と罰を考える上で非常に大切な要素だというこ
とを思い出そう。殺人と過失致死は大違いであって、南アフリカのブレードラ
ンナー、ピストリウスの先日の裁判でも、判決のポイントとなってた。
「要するに結果的に間違ってたんだから同じ事」と考えるのも、またかなり違う。
証拠とか根拠というものは、一般に不完全で流動的なものであって、たかだか
「『今現在』あの調書が間違ってる『ように思われる』」にすぎない。例えば、実
はあの記録映像にトリックがあるとか、単に時刻の前提が違ってたといった話
だけで、直ちに見方はくつがえってしまう。
ヒーロー役と悪役の考えが衝突する時、ヒーロー役を固定的に正しいと思っ
てしまう思考こそ、大衆ドラマ的な心理であって、現実社会なら倫理的どころ
か、非常に危険なものなのだ。
というのも、ヒーローなどというものは個人によって社会によって、いくらでも
変化し、やがて激しい批判の対象にもなりうるものだから。一方、ヒーローは
ある程度自由に「造られる」存在でもある。
それは、いまやフジテレビの救世主的ヒーローとされるキムタクが『安堂ロイド』
以降、何と言われて来たか、STAP細胞のヒロインやヒーローがその後どう扱
われて来たかを見るだけでも明らかな事だろう。もちろんウチでは、どちらにつ
いても、全く別の態度を「真正面に」示して来たわけだ。。
☆ ☆ ☆
時間が無くなったので、残りの論点に進もう。そもそも特捜部は、不十分なが
らも様々な根拠を持って、政治家の大きな罪を暴こうとしてるわけだ。
その時に、明らかに間違ってると思われる根拠を使って無実の罪を作り上げ
るのは論外として、不十分な根拠を使って本物の罪に迫ろうとすることが、
それほど間違ったことだろうか。
よく考えてみよう。自分たちが普段、どれほど不十分な根拠で、人や社会を
批判してるのか。それがいけないと言ってるのではない。逆に、そうした不十
分さ、大まかさこそが、人間社会の本質だと言ってるわけだ。
☆ ☆ ☆
私がドラマを見てる時、論理の他に、こんな事も考えてた。自然科学や経済
学の世界では、複数のデータから、一つの数値や数式を導くことが普通に行
われてる。例えば、「7、8、9、11、13、15」といった6つの数がある時、大
まかに「10(前後)」とするわけだ。ここで注意したいのは、元のデータに「10」
が入ってないこと。
すべてのデータは10ではない。にも関わらず、大体10だと考える。こうした
近似的で全体的・総合的な発想が、社会や自然系の学問の根幹にある。ま
して、文系的営みである裁判は、完全な真実を追求するものではなく、かな
り大まかな真実を追求するものだ。限られた条件の中で。
まったく別の観点として、「事件の当事者」という概念に注目するのも大切な
こと。久利生や麻木の念頭にあるのは、直接的には取り調べ対象の1人だけ。
しかし、あの事件の当事者に限っても、本当は大勢いるわけで、その中には
政治家の不正による被害者(過去・現在・未来)もいるだろう。もちろん、城西
支部で働く人達もある意味、「当事者」なのだ。人生がかかってる。「どうでも
いいこと」では全くない。
いずれにせよ、こうした難しい状況を考慮しないと、なぜ水戸黄門的・テレビ
ドラマ的な正論の勝利が、現実の世の中ではなかなか見当たらないのか、
理解できないし改善もできないだろう。単に正論を聞くことさえ、現実では少
ない。「現実で少ない」ということは、「あまり現実的でない」ということなのだ。
良し悪しや好き嫌いはともかく。。
☆ ☆ ☆
私が虚構のドラマを見る時は、その向こうに現実の社会や人間を見る。たと
えそれが、非常に珍しい、一般ウケしない見方だとしても。美しいマイルド・
ヤンキーやセーラーマーズが味方してくれなくても♪ キムタクも演じた吉川
英治の名作、『宮本武蔵』の最後の美しい文章を思い出そう。
それでは、今日はこの辺で。。☆彡
cf. 起訴か不起訴か、検事の倫理と現実~『HERO 2』第1話
『HERO 2』第2話、軽~い感想&6日連続ラン
新・創世記、「Let there be surf」(波あれ)~『HERO 2』第3話
仲間、身内という存在~『HERO 2』第4話
『スマスマ』ネイマール笑顔&『HERO 2』第6話&6日連続走
『HERO 2』第7話、軽~い感想♪
『HERO 2』第8話、暴力団の犯罪と一般市民
チームワークと善悪~『HERO 2』第9話
LIE STOPS HERE(嘘=夢はここにある)~『HERO 2』最終回
(計 5024字)
| 固定リンク | 0
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 福岡・博多で77年間、自転車の流し屋台わらび餅、買ってもらうのがうれしい♪ ~ NHK『ドキュメント72時間』(2024.10.26)
- NHKスペシャル『ジャニー喜多川 "アイドル帝国"の実像』、スタートエンターテイメント出演再開の告知特番(2024.10.22)
- 『雲上を駆ける! 第39回・乗鞍ヒルクライム2024』(NBS長野放送)、YouTube動画で見た感想(2024.09.24)
- やす子24時間マラソンの2日目と「同じ道」を9時間で歩いて「検証」した YouTuber、実際は6割弱の距離(29km)を歩いただけ(2024.09.12)
- 直前の欠場、「パリ五輪は、まだ走れ!っていうメッセージ♪」~カンテレ『前田穂南が走れなかったオリンピック』(TVer動画)(2024.09.06)
「芸能・アイドル」カテゴリの記事
- 中山美穂54歳急死、浴槽の溺死(ヒートショック)の年齢別死亡者数(厚労省・人口動態調査と消費者庁の分析)&休養7km(2024.12.07)
- 紅白の初出場アーティスト、紅組だけ予習♪&レース後も休みなしで好調、14km走(2024.11.20)
- 山P=山下智久、あの小泉みゆきを渋谷でナンパ♪(『アルジャーノンに花束を』第4話)&荷物ウォーク・プチラン(2024.11.13)
- 国民民主党・玉木雄一郎の不倫相手とされる小泉みゆき39歳、10年ほど前までレースクイーン&私の体重もRQに接近?♪(2024.11.12)
- 「極悪女王」唐田えりか、数年間の試練に耐えて覚醒、いよいよ復活へ♪&7kmラン・8kmウォーク(2024.11.03)
コメント