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「したい」と「してみたい」の差異、「やった」への跳躍・・

   海にお舟を 浮かばせて 

   行ってみたいな よその国

 

               ( 『海』(ウミ)  作詞・林柳波 作曲・井上武士

                 1941年の初出時はカタカナで、ウカバ「シ」テ )

 

 

普通の子どもが言葉を覚える時、「・・・してみたい」という表現は、かなり後に

なってからではないか。直接的な願望表現の「・・・したい」と比べて、ハッキリ

と高度な表現だと思う。

 

私が「・・・してみたい」という日本語を初めて知ったのは、いつ頃だったか。子

供時代を振り返ってみると、両親はそんな表現をほとんど使ってないから、幼

稚園くらいで習ったこの童謡の歌詞を通じてだったような気がする。

 

「行ってみたいな よその国」。。海岸の田舎町で生まれ育った私にとって、海

も島も身近な自然だったけど、この曲でイメージが一気に広がったのだ。まっ

たく見えない所まで広がる海。その向こうにある、まったく知らない国。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

「~~したい」と比較すると、「~~してみたい」という言い方は婉曲表現だ。

語感が柔らかいし、やや曖昧で遠回しの軽い願望を表してる。

 

遠回しと言うよりは、「遠い」と言う方がより正確だろう。「してみたい」物事は、

自分から遠いのだ。たとえそれが、普通の意味で身近なものでも、ちょっと近

づいた後、すぐにまた遠ざかるような心境、状況。ということは、すぐ元に戻

ろうという心構え、身構えがある。

 

   「・・・したい」とは思わないけど「・・・してみたい」とは考える

 

ネットに残されたつぶやきにも、仮にそれが本物とするなら、本気でそこに向

かいたくはない思いが読みとれる。しかし、髪型を一時的に変えて数ヶ月後

に戻すのと違って、リセット不可能な現実、不可逆的な試みというものも厳然

と存在する。その最たるものが、生命の喪失。だからこそ、暗闇への跳躍の後、

「やってみた」とはつぶやかなかった。あるいは、つぶやけなかったわけだ。

 

   ついにやった。

 

 

          ☆          ☆          ☆  

遠過ぎて帰って来れないような「よその国」は、思い描くだけにすること。他人

を連れて行かないこと。それが本人自身には難しいのなら、早めに周囲が手

を貸す。ところが今回は残念ながら、逆に手を離すような形になってしまった

ようだ。

 

海岸で遠くを眺める視線、不思議な舟を作る様子に気付いた時は、なるべく

気軽に微笑みかけたいと思う。それが他人でも、自分自身でも。。

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

                                     (計 981字)

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