ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』と、哲学者プラトン『国家』洞窟の比喩
(☆4月11日追記: ドラマ初回のレビューをアップ。
ママ、お利口になるから嫌わないで・・~『アルジャーノンに花束を』第1話 )
☆ ☆ ☆
米国作家、ダニエル・キイス(Daniel Keyes)の古典的名作、『アルジャー
ノンに花束を』(Flowers for Algernon)。恥ずかしながら、私は知らなかっ
たが、何度も映画化・舞台化・ドラマ化されて来た人気小説らしい。日本の大
御所ロック・ミュージシャン、氷室京介のファースト・ソロアルバム(1988)に
も、原題がそのまま使われてるようだ。
英語版ウィキペディアによると、まず1959年に短編小説として出版(執筆
は58年)、60年にヒューゴー賞(SF・ホラー・ファンタジー対象)の短編小説
賞(最優秀賞)を受賞してる。TBSで15年4月からスタートするドラマ『アル
ジャーノンに花束を』の公式サイトには「中編小説」と書いてるが、ヒューゴー
賞の公式サイトで確認すると、やはり「short fiction」となってた。普通に
訳せば、短編フィクションだ。赤い活字は、Winner(最優秀)を示してる。
古い短編なので、正確な情報がまだ発見できないが、短編集みたいなもの
に含まれてること、15000単語(日本語で3万字)以内という情報があるこ
とから考えても、日本語で数十ページ程度の作品だったんだろう。後で正確
な情報が分かったら、また補足or訂正する。
(☆半日後の追記: 早川書房の単行本解説と、文庫本への著者の序文に
は、中編と書かれてたが、ページ数など具体的な内容
の情報は無い。)
その後、66年に長編小説として再び発表、ネビュラ賞(米国SFファンタジー
作家協会賞)で最優秀賞。2004年までに、27言語に翻訳され、30ヶ国で
出版。500万冊以上の売り上げ部数とのことだ。『フィフティ・シェイズ』は合
計1億部突破だから、比較するとそれほどでもないけど、売り上げ以上に評
価が高い、世界レベルのロングセラーなんだろう。
元々、書名のアルジャーノンとは、作家キイスに影響を与えたイングランドの
詩人の名前(19世紀後半に活躍)。また、小説のあらすじには、キイス自身
の人生が色濃く投影されてるとのことだ。強引な教育や学習が生む悲劇を複
数目撃、自分でも体験。後述する2人の研究者(悪役)の人物像は、彼が大
学院で精神分析を習った時の教授たちに基づいてるらしい。
☆ ☆ ☆
あらすじは次の通り。ネタバレになるので、ご注意あれ。と言っても、既にあち
こちに書かれてるし、知ってる人も多いはず。以下、長編小説(novel)のあら
すじ、概要(Synopsis)をさらに要約する。
チャーリー・ゴードン(Charlie Gordon、邦訳はチャーリイ)は32歳で、フェ
ニルケトン尿症(による精神遅滞)の患者。IQ(知能指数)は僅か68。叔父の
パン屋で働きながら、知能が遅れた大人のためのクラスに通ってた。先生は、
若くて魅力的な女性、アリス・キニアン(Alice Kinnian)。
チャーリーは、知能を増加させる脳手術の被験者(実験台)を探す研究者2
人と知り合う。ニーマー(Nemur)とストラウス(Strauss)。既に実験用マウ
スのアルジャーノンでは成功しており、チャーリーも手術を受けた。とりあえ
ず成功で、3ヶ月の内にIQはほぼ3倍の185まで上昇。ただし知能以外、人
間関係の面などでは遅れたままだった。
チャーリーは女教師アリスとの恋愛が上手く行かない中、芸術家のフェイと
性的関係を持つ。一方、彼は、自分やアルジャーノンについて調査し、手術
理論に欠陥があることを発見。被験者は結局、元の知能に戻ってしまうのだ。
実際、彼がアパートで世話してたアルジャーノンの様子がおかしくなり、やが
て死亡。
チャーリーの知能も後退していき、フェイは彼に話しかけるのを止める。た
だ、彼の情動面は成長して、アリスとの関係は上手く行くようになった。その
後、彼は、誰も手術のことを知らない施設に自分から入り、アリスやストラウ
ス教授らへのお別れメッセージの最後(P.S.=追伸)で、こう書く。
「機会があれば、裏庭のアルジャーノンのお墓に花束をお供えしてください。」
☆ ☆ ☆
全体は一人称(私=I)の語りになってて、知能が低い状態ではわざと間違い
だらけの英文になってる。冒頭は、「Progris riport 1 marten 3」。正し
くは、「Progress report 1,March 3」とかだろう。変化のプロセスを示
す発達レポート(経過報告)を、自分で書いてるのだ。
春からのTBSドラマでは、主役が花屋に勤める28歳、白鳥咲人(山下智久)。
知能は6歳児なみ。ヒロインが脳生理科学研究センターに勤める望月遥香(栗
山千明)。研究チームのリーダーである科学者が、蜂須賀(石丸幹二)の予定。
脚本は野島伸司。
さて、この程度なら、あちこちに似た話がまとめられてるはず。マニアック・サ
イトにとってのポイントは、ここからだ♪
原書の冒頭に引用されてる文章(エピグラフ:epigraph)が、知る人ぞ知る、
興味深い話なのだ。アマゾンの「LOOK INSIDE!」(中身を見る)で確認し
とこう。この箇所は、古代の有名な本からの引用だから、著作権の問題は生
じないと考える。
古代ギリシャの
哲学者プラトン
(Plato;紀元前
427年頃~347
年頃) の『国家』
(Republic)の
第7巻・序盤に
ある文章だ。
この個所だけを
超訳すると、こん
な感じだろう。正
確な直訳は、キイスの邦訳やプラトンの邦訳で御覧あれ。
目の混乱、ものがよく見えない状態には、二種類ある。暗い場所か
ら明るい場所に来た場合と、明るい場所から暗い場所に来た場合。
その点は、心の目でも身体の目でも同じことだ。いずれの場合も、
笑うような事ではない。
ただし、両者の違いはある。明るい場所から暗い場所に来た場合
の目の混乱は幸せで、暗い場所から明るい場所に来た場合の混乱
は憐れだ。
☆ ☆ ☆
原作者キイスとしては、人間チャーリーやネズミのアルジャーノンが、この二
種類の目の混乱、心の混乱を続けて経験した存在に見えるわけだ(作品中
のチャーリーも僅かにプラトンの洞窟に言及)。
まず、暗い場所から明るい場所へ。つまり、精神遅滞から超天才の世界に
行き、そのまぶしさに目がくらむ。その後、元の暗い場所、低い知能に戻る
と、しばらくの間、以前より更に見えない状態になる。
しかし、いずれ目が慣れるはずだし、暗い場所にずっとい続けるよりも、明
るい場所、明確な世界を一度知ったことは幸せなのだ。おそらくは。。もち
ろん、皮肉や悲哀の思いも込めた上で。実際、チャーリーには最初から最
後まで、明るい場所、高い知能を望む気持ちがあるのだ。結果的に失敗し
て、違う気持ちも同時に持ってるにせよ。。
☆ ☆ ☆
元のプラトンの代表作では、もっとハッキリと、明るい場所を知ることの価値
が強調されてる。第7巻では冒頭から、「洞窟の比喩」(Allegory of the
Cave)と呼ばれるたとえ話が始まるのだ。主人公の大哲学者ソクラテスが、
弟子のグラウコンと語り合う形で。普通、対話編とか言われるけど、実際に
は双方向的な対話というよ、り、一方的な講義になってる。
左はウィキソースで公開されてる英訳の原文。この箇所だと、ほら穴は「den」
と訳されてる。人間は、太陽みたいに明るく輝く真の知識や存在(いわゆる
「イデア」)から離れて暮らしてるけど、無関係ではない。
暗い洞窟の奥に拘束された囚人は、火の微かな光によって洞窟の奥の壁
に映る、置物の影絵を見てるような存在。そのままでは、偽物の知識やぼ
やけた教養しか持ってない。しかし、後ろの明るい入口の方に頭を向け変え
ることは出来るし、拘束を解かれれば、外の明るい場所に向かうことも可能。
左はウィキメディアで公開中の、
Gothika氏の作品。下にいるの
が囚人、つまり普通の凡人で、
上にいるのが天才、「哲人」だ。
囚人が、左下の壺の影絵を見
てるのが分かるし、身体が拘
束されてるのも分かるだろう。
囚人が外の明るい場所に行っ
て、本物の事物や知識(イデ
ア)と触れあっても、あまりに
眩し過ぎるから、また暗い洞窟の
中に引き返すことになる。
と言うより、主人公のソクラテス、著者のプラトンに言わせれば、洞窟の中
に戻るべきなのだ。一度は眩しい真実に触れた幸せな者の務めとして、洞
窟の中にずっといる人々を正しく導くために。国家の政治のために。あるい
は、正義や善のために。。
☆ ☆ ☆
プラトン『国家』の場合、明るい場所から暗い場所に戻った人は、単なる盲
人ではない。暗さに目が慣れれば、前よりも遥かに知性、徳性、行動力の高
い存在であって、だからこそ幸せとされてるのだ。
一方、キイスの小説のマウス、アルジャーノンは、様子がおかしくなって死ん
でしまった。主人公チャーリーも、自分が天才だったという記憶を持ってるだ
けで、当時の驚異的な知能はまったく残ってないし、高い志や行動力も無い。
これだと、施設その他の人々を正しく導くことは出来ないだろうし、彼を明る
い場所に連れ出した人の行動(科学者の手術)が正しかったかどうか、その
責任も問われる所。
それでもキイスが、あえて原作冒頭で洞窟の比喩を引用したのは、チャー
リー、よく頑張ったね、ということだろう。結果がどうであれ、後悔する必要
はない、君は知性を求めて立派に生きて来たのだから・・・という、温かい
思いなのだ。
というわけで、キイスが行ったプラトン『国家』の引用こそ、アルジャーノン
に花束を、ということになる。あるいは、チャーリーに花束を。。
それでは、今日はこの辺で。。☆彡
cf. 原作を踏まえた、妹との関係~『アルジャーノンに花束を』第7話
(計 3985字)
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