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永遠の子どもへの旅~映画『Frozen』(アナと雪の女王)&原作童話

日本公開(14年3月14日)から、まもなく1年。米国での一般公開(13年11

月27日)からは既に1年2ヶ月以上も経過してしまったが、ようやく私も拝見。

ブルーレイの日本語音声&英語字幕で2回見て、十分満足できたし、いずれ

また見直すかも知れない♪ 日本語吹替版でアナの声を担当した神田沙也

加は確かに上手くて、エルサ役の松たか子より目立つほど。

 

私はディズニーリゾートには何度も行ってるけど、アニメは少ししか見てない

から、『アナ雪』が世界中で空前の大ヒットとなるほど飛び抜けた作品かどう

かはよく分からない。それでも、単なる偶然のヒットや一時的ブームではない

秀作だとは思う。

 

3D(広い意味)のCGは美しいし、子どもからお年寄りまで幅広い層の人が安

心して楽しめる仕掛けが満載。突然現れる「オーケンの店 サウナあります」な

んて日本語の看板は笑えたし、単語や構文が簡単で発音も聞き取りやすいか

ら、英語の勉強にも最適だ。原作のおとぎ話との比較も興味深い。台詞が歌

になるミュージカルという形は、慣れと使い方の問題で、私は違和感なかった。

 

先日は、新作短編アニメの映像がごく一部だけ公開されたし、主題歌『Let It

 Go ~ありのままで~』は春の選抜高校野球の入場行進曲にも決定。まだ

まだ注目を浴び続けそうだし、遅まきながら当サイトでもレビューしとこう。当

然ながら、まだ見てない人にとってはネタバレになるので、ご注意あれ。

 

なお、大ヒット曲『レリゴー』については、映画を見てない立場で、去年の5月

に記事をアップ。かなりのアクセスを頂いてる。

 

 『Frozen』(アナと雪の女王)の主題歌『Let It Go』の意味&右膝痛ハーフ走

 

英語歌詞付きの公式YouTube動画はこちら。

 

 

         ☆          ☆          ☆

さて、その主題歌から改めて考え直してみよう。驚いたのは、映画の冒頭から

「Let it go!」という台詞が連呼されてること。少なくとも、私が記事を書いた

時点で、そうゆう指摘は見当たらなかったと思う。意味的、音的に、日本語訳

の「ありのままで」と重ねる説明がほとんどだったはず。

 

北欧らしき場所の凍りついた湖や川から、大人の男たちが氷を切り出しながら

歌うシーン。素朴に考えると「レリゴー!」は、自分たちを鼓舞して力を合わせ

る、「行け!」「ほら、行くぞ」とか、「ヨイショ!」といった感じの掛け声になってる。

 

ただ、歌詞全体を英語で読むと、氷(の力)の中から凍った心(frozen heart)

を掘り出せと言ってるのだ。美しくて力強く、危険で冷たい、氷の力、氷の魔法、

凍りついた心を打ち砕いて、特別な価値を持つそれ(it)を外に出せ。主題歌

の歌詞でいうと、「swirling storm inside」(内側で渦巻く嵐)とか。

 

この冒頭の時点だと、妹・アナも姉・エルサ(雪の女王)もまだ登場してないも

のの、アナとエルサの将来を暗示してるのは明らかだろう。そして、男たちに

まじって氷を見つめる男の子が、やがてアナの頼れるボーイフレンドとなる、

クリストフ。そばには、彼と心を通じ合わせる事が出来るトナカイ、スヴェンが

寄り添ってた。

 

 

         ☆          ☆          ☆

この後、お城のベッドで寝てるエルサを、アナが起こしに行くシーンに変わる

わけだが、その前に、原作となってるアンデルセンの童話『雪の女王』(1844

年)も確認しておこう。もちろん著作権は消滅済みで、私が使ったのは、国立

国会図書館の全集(楠山正雄訳、1950年、童話春秋社)と、英語版ウィキ

ソースにある英訳だ。

 

私も子ども時代、文学全集みたいなものは一通り読んでるけど、これは全く

記憶に残ってなかった。忘れたのか、あるいは、印象が薄かったのか。実際、

さきほど全文を読み終えたけど、大人の私にとっても長い童話だし、前半は

ちょっと退屈だったのも事実。実際、ヒロインの女の子でさえ、そんなのどう

でもいいでしょという感じでキレてしまうような小話が、色々と入ってるのだ♪

 

原題はデンマーク語で、『Snedronningen』。英訳すると、「sne」が「snow」、

「dronningen」が「the queen」だから、合わせて、『The Snow Queen』

150210a  ということになる。『ア

  ナ雪』だけなら、むし

  ろ「氷」の女王に見え

  るけど、原作童話が

  完全に「雪」となって

  るわけだ。左図は全

  集からの引用。挿絵の

作者は不明。

 

 

          ☆          ☆          ☆

童話全体は、7つのエピソードからなる。一言でまとめるなら、雪の女王と共に

消えてしまった男の子カイ(Kai または Kay)を、女の子ゲルダ(Gerda)が連

れ戻しに行く愛と冒険のファンタジーだ。『アナ雪』のエルサは、ゲルダと少し

発音が似てるが、役割が逆。

 

単純化すると、「雪の女王+カイ=エルサ」、「ゲルダ=アナ」。エルサの男性

性(力強さ、女性への愛)を考える上でも、この構図は都合がいい(違いは後

述)。私は気付かなかったが、『アナ雪』の召使いの名前としても、カイとゲル

ダが使われてたようだ。

 

第1話は、「鏡とそのかけら」。魔法使いが、歪んだ姿を映し出す鏡を作って、

それを空から地上に落としてしまう。第2話ではその破片が、普通の男の子

カイの目に入り、心臓(ハート)にも突き刺さったので、カイの性格は小賢しい

150210b 歪んだものに変

 わる。やがて、

 そり遊びをして

 る時、雪の女王

 に連れ去られて

 しまった。半ば、

 自分の意志で。。

 

 画像はウィキメ

 ディアで公開中、

Elena Ringo氏の作品。

 

第3話からは延々と、普通の女の子ゲルダがカイを探しに行く旅が続く。お花

や鳥とお話したり、命を狙われたりする中、王子と王女(第4話、雪の女王とは

別)との出会いも少しある。単なる脇役だが、これが『アナ雪』の華やかな要素

として使われた形だ。  

 

背中に乗っけてもらってたトナカイと別れた後、ゲルダは「生きた雪の大軍」

に襲われる。「雪の女王の前哨」とされる雪たちは、『アナ雪』だと、雪だるま

のオラフ(味方)や、氷の怪物マシュマロウ(敵)だろう。童話だと、神に祈り

を捧げた途端、ゲルダの息が天使の大軍になって、雪の大軍を撃退する。

『アナ雪』ならクリストフとスヴェン(トナカイ)が助けてくれたし、人間の大軍

や狼の大軍も登場してた。

 

 

          ☆          ☆          ☆  

そして童話の最後、第7話が綺麗なクライマックス。オーロラの下の、氷の

ように冷たい巨大な雪の城に到着。雪の女王がいない隙に、ゲルダがカイ

の所まで助けに来る。がらんとした淋しい広間で、凍りついたカイに抱きつ

いたゲルダが熱い涙を流すと、心臓の中までしみ込んで、例の魔法の破片

は消滅。

 

『アナ雪』のクライマックスだと、凍りついたのはアナ、融かしたのがエルサ

の涙だから、ここは「ゲルダ=エルサ」、「カイ=アナ」へと反転。

 

童話に戻って、目を覚ましたカイに向かって、ゲルダが懐かしい讃美歌を歌

うと、カイが号泣して、その涙で目の破片も取れてしまう。2人が喜ぶ姿を見

て、氷の板きれまで踊り出し、疲れて倒れた板きれが「永遠」(Eternity)とい

う言葉を形作ったことで、カイは雪の女王から解放される。律義に約束を守っ

てくれたと言うより、むしろ女王の優しさかも。

 

帰りの旅路はまったくスムーズで、風も吹かず、お日さまの光が輝き出す。

『アナ雪』のラストだと、雪だるま・オラフがなぜか大好きな、夏の到来だ。童

話の一番最後だけ、訳書から引用させて頂こう。

 

    こうしてふたりは、からだこそ大きくなっても、やはりこどもで、

    心だけはこどものままで、そこにこしをかけていました。

    ちょうど夏でした。あたたかい、みめぐみあふれる夏でした。

 

実は冒険の間に、10年~15年くらいの月日が流れてたらしい。と言うより、

子どもが大人になる十数年間ほどの象徴表現、メタファー(比喩)が、長い長

い旅となってるとも考えられる。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

ここでようやく、映画『Frozen』(アナ雪)の方に重心を移動する。本当の一番

最初は、タイトルバックのような形で、雪の結晶を強調。そして一番最後は、

150210c  城の塔の先端が雪の結晶みたい

  に輝き、城の小島全体も雪片み

  な形だから、形式的に童話『雪

  の女王』が核心だと示されてる。

  左は、再生回数1億回に迫るディ

ズニー公式YouTube動画より。

 

その雪の枠組の少し内側には、別の枠組も見てとれる。妹・アナと姉・エルサ

(雪の女王)の物語は、ベッドシーンから始まって、2人仲良くスケートするシー

ンで終わるから、姉妹の愛も前面に押し出されてる。これが一般的見方だろう。

 

姉妹愛をさらに読み込めば、女性同性愛(レズビアン)の婉曲表現という解釈

も(一応)可能。もちろん、ディズニー側、制作サイドの建前や意図は別として。

 

この場合、コントロールできない凄まじい力とは、先に性に目覚めた姉の性的

欲望で、先進的な米国でさえ、簡単には他人に見せられないものだろう。目覚

めてない妹からすると、姉が急に距離をおき始めた理由が全く分からない。最

後の真実の愛というのは、胸の内に秘めた同性愛と考えてもいいけど、もっと

普遍的な愛への昇華と考えることも可能。あるいは、同性の家族愛とか。

 

去年の主題歌記事で書いたように、精神分析的には、「Let It Go」の「It」は

心の奥の強烈な欲望の集合(エス、イド)であって、その代表的部分が性的な

欲動なのだ。『アナ雪』の場合、明らかに男女の愛より女性と女性の愛がメイ

ンだから、「It」を女性同性愛と考えるのは一つの自然な発想。  

 

ただ、明確な直接的表現は全く無いし、半ば子供向けの作品だから、もっと

原初的、普遍的な愛や心的エネルギーが描かれてると考える方が、より自

然な解釈だろう。特に、同性愛の後進国だと思われる日本では。そもそも原

作の童話は男の子と女の子の愛がメインで、男の子は大人の女性(雪の女

王)に魅せられる形なのだ。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

一方、『アナ雪』のあらすじ、物語の骨格をごく簡単にまとめてみると、次の

ようになる(詳細なあらすじならウィキペディア参照)。

 

   ──魔法の力を持つ女の子は、成長するにつれ、力をコントロール

   できなくなり、愛する妹さえ傷つけてしまった。周囲からも恐怖の怪物

   (monster)として冷たく扱われるようになったので、自分だけの世界

   に閉じこもってしまうが、自らの命を犠牲にしてさえ姉を救おうとする

   妹の真実の愛(true love)に触れて、愛で力をコントロールできるこ

   とに気付く。その後は、周囲への恐怖、周囲からの恐怖も消え、妹と

   の仲も回復。自分の心も世の中も、温かさを取り戻した──。

 

さらに単純な図式なら、

      子どもの愛→大人の恐怖→子どもの愛

と書いてもいい。あるいは、「夏→冬→夏」とか。

 

恐怖という言葉は、最初の氷切り出しの歌にもあった。「Strike for fear」、

恐怖に向けて(氷を)打て。また、序盤でアナの命を助けてくれたトロール(岩

みたいな北欧の妖精)が、国王・王妃・エルサに対して語った台詞で印象的

だった。

   「Fear will be your enemy」(恐怖があなたの敵となるだろう)。

 

一方、真実の愛(本当の愛)という言葉は、序盤のアナの台詞にもあるが、印

象的なのは終盤の最初辺り。身体が冷たくなって、髪の毛の白さも目立って

来た彼女に向かって、また妖精トロールが語ってた。

   「・・・only an act of true love can thaw a frozen heart

   (真実の愛の行動だけが、凍りついた心を融かせる。)

 

その行動が、アナの婚約者・ハンス王子からのキスかと思ったら、実はアナ

自身がエルサを助ける振舞いだったわけだ。偽物の愛、ハンスの攻撃から。 

 

ただ、「真実の愛=自己犠牲の愛」とだけ考えるよりも、もっと広く、

   「真実の愛=相手をとても大切にする思い+無邪気な子どもの愛

と考えた方が正確だ。自己犠牲というのは、相手を大切にする思いの極端

な形、極端な解釈で、むしろ大人の愛に近いと思う。

 

 

          ☆          ☆          ☆

ところで、「子どもの愛」というものを強調する視点は、私も童話を読むまで

持ってなかったものだ。

 

『雪の女王』の結末あたりで、「永遠」という言葉が自由のキーワードとなって

るし、エンディングは既に見た通り、「・・・からだこそ大きくなっても、やはりこ

どもで、心だけはこどものままで」となってる。女王も男の子との言葉遊びを

通じて童心に返ったのだ。

 

さらに、童話の序盤と終盤で重要な役割を果たす讃美歌があるのだ。昔の邦

訳「ばらのはな さきてはちりぬ おさなごエス やがてあおがん」より、英訳を

私が訳した方が分かりやすいと思う(注.ここでのエスとはイエスの事)。

 

   Our roses bloom and fade away,

   Our Infant Lord abides alway;

   May we be blessed His face to see,

   And ever little children be!

 

   バラは咲いては散って行くけど、

   幼いイエス様は、変わらずにいらっしゃる。

   どうか、私たちが彼の顔を仰げますように、

   そして、いつまでも子どもでいられますように♪

 

悪魔の鏡(ガラス)のかけらなど無くても、子どもはやがて大人になり、純粋な

思いは歪んでしまうのが現実。だからこそ逆に、永遠の子どもという理想やイ

メージが大切になる。

 

 

         ☆          ☆          ☆

もちろん、子どもが善で、大人が悪という単純な二分法が重要なわけではな

い。子どもにも大人にも、それぞれ特有の善悪があるのは当然。

 

ただ、幼い子どもの悪というのは可愛げのあるものに過ぎないし、身近な存在

への幼い愛というのは大きな善であるにも関わらず、自然に失われてしまいが

ちなもの。だからこそ、永遠の子どもを目指す旅、プロセス、能動的で具体的

な動き(act)が必要になる。子どもにも、大人にも。

 

最後にその点を、映画『アナ雪』で考えてみよう。そもそも最初の事件の発端

は、エルサの魔法が凄過ぎて、アナがはしゃぎ過ぎたことになる。そこでエル

サは焦って、自分が作った氷の床で滑って転んで失敗したわけだ。大人なら

普通、あそこまで夢中に遊ばないし、足元にも注意して転ばないようにする。

 

しかし、あれは見方を変えると単なる不運、偶然のアクシデントであって、たま

たま魔法の流れがアナの頭に当たっただけ。遊びに失敗は付き物で、そのご

く一部だけが不運となる。それさえ無ければ、単にアナが氷の山に尻もちつい

て、「痛ーいっ!」と叫んで一緒に笑うだけだったはず。周囲の人達も、上手く

使う魔法なら、最後に喜んで受け入れてくれてた。

 

にも関わらず、原因や自分の責任を考え過ぎて、あるいはリスクを心配し過

ぎて、愛も自分自身も失いがちなのが大人というものだろう。国王と王妃とい

う大人も、その致命的な失敗をおかしてしまい、天罰のような形で命まで失う

(海の嵐で遭難)。周囲の大人たちも、日本語訳では避けてたものの、戴冠

式を迎えたばかりの新たな女王様を「怪物」扱いしてしまい、逆に国全体の

破滅的な危機を招いてしまってた。。

 

 

          ☆          ☆          ☆    

エルサの魔法の巨大化というのは、要するに、姉が先に大人に近づいたとい

うことなのだ。童話の場合なら、男の子のカイが先に、大人の小賢しい「頭」を

手に入れると共に、大人の女性への無意識的な欲望に目覚めたということ。

そう言えば、アナ雪人気や熱狂は女性に、否定的意見や理屈は男性に目立

つ感もある。

 

大人の知恵や欲望、適度な恐怖や疑いも大切だが、それは自然に、しばしば

必要以上に身に付いてしまう。あるいは、強制的に教育されてしまう。せめて

童話やそのアニメの世界くらいは、身近な存在への純粋な愛、動物・植物・自

然との心のふれあいを大切にすべきだろう。自然界との豊かな共生というもの

は、大人にとっては理想的概念だが、子どもにとっては素朴な日常的現実な

のだ。無邪気な空想という心的現実も含めて。

 

ということで、結論は、童話もディズニーも永遠ということになる♪ ただし、子

どもになり過ぎたり「高等遊民」になったりすると、周囲の大人から冷たい扱い

を受けるので、ご注意あれ・・・というのがまた、大人の知恵というものだ。

 

とりあえず、大雪が降ったら、「雪だるま作ろう♪」と歌いながら、オラフを作っ

て鼻に赤いニンジンを刺す。脳内イメージだけでも十分。冷たい白の中で目立

つ、ささやかな赤い色こそ、最も大切な温かさ、心の夏なのだから。

 

それでは今日は、この辺で。。☆彡

    

    

  

P.S. 17年3月4日、フジテレビの土曜プレミアムで地上波

    初放映。今オンエア中だけど、やっぱり映画は、CMだらけ

    のブツ切りだと苦しい。。

     

                      (計 6607字)

         (追記 68字 ; 合計 6675字)

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