書物という刃の能力、現実化する主体と関係性~小阪淳「論壇時評」(朝日新聞・15年6月)
朝日新聞・朝刊が月末の木曜日に掲載している「論壇時評」。当サイトでは
ずっと全面的にレビューしてたが、2年近く記事を休んだ後、今年(2015
年)の2月、小阪淳のCG「分断と混濁」だけをごく簡単に扱った。
それから4ヶ月経った一昨日(6月25日)の論壇時評では、小阪が予想通り
のモチーフ(題材)のCGをアップしてた。時期的に当然、元少年Aが出した
書物『絶歌(ぜっか)』(太田出版)が注目されるわけだが、もちろんCGタイ
トルは直接的なものではなく、抽象的、多義的なものになってる。「能力」。
まず、新聞のイラスト(現代美術)を見てない方は、次のリンクをクリックして
頂きたい。朝日新聞デジタルのサイト内に飛ぶだけなので、ご安心あれ。別
にグロテスクと言うほどのものでもないし、1週間くらい経つと見れなくなる可
能性もあるので、お早めにどうぞ。今なら登録なしで見れると思う。
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150625004599.html
ツイッター検索で(ほとんど)何もヒットしないということは、そもそも『絶歌』の
CGだとさえ、あまり認識されてないということだろう。
☆ ☆ ☆
平積みになった書物が妖しげに光る、薄暗い画像。今までもそうだが、この
作品も、新聞の白黒画像で見るのとネットのカラー画像で見るのとでは、か
なり印象が違ってる。
新聞はあまりに暗過ぎて、先入観なしにチラッと見ただけだと、「刃のような
本に柄をつけた包丁」だということさえ伝わってないかも知れない。もちろん、
刃の部分の白い光と、全体的な闇とのコントラスト(対比)をつけてるわけだ
が、新聞の画像だと、手で持つ「柄」が1つしか判別できない。
その場合、一番上の1冊の本=包丁が他の平積みの本を切り捨てるという
意味にも解釈できる。もっと言うなら、1冊だけ手に取った特定の読者の厳し
い批判によって、他の本すべてが傷つけられる・・・という意味だ。
それでも構わないだろうが、作者である小阪のtwitterにおける発言を読む
限り、そうゆう意図ではなさそうだ。もちろん、作品の価値と作者の意図は、
独立とまでは言わないにせよ、別物ではあるが。。
☆ ☆ ☆
ここでは一応、カラー画像に即して、平積みになってる全ての本に柄が付い
てて、それぞれが鋭い包丁になってるとしとこう。下側の帯の代わりに、左
側に刃。柄の外見(曲線、太さ、色)は、性的象徴のようにも見える。
その場合、最も普通の解釈は、「『絶歌』の1冊1冊が、被害者や遺族らを更に
傷つける刃だ」というものだろう。平凡だが分かりやすいし、別に「誤解」でも
ないはず。実際、遺族の反発は強いし、社会的批判も凄まじい広がりを見せ
てる。あまりに激しい反応なので、私はいまだに本文を読んでなくて、あとが
きを見るだけに留めてるほどだ。
とはいえ、イラストに『絶歌』という文字は無いし、タイトルも単に「能力」と書い
てるだけ。ということは、あの本に限らず、「書物が一般に持ち得る、傷つけ、
切断する能力」だと考えた方が、広い理解となる。
この時、「傷つけられ、切断される」のは何なのか。実は著者(正確には著者
とされる人)とも考えられるのだ。多かれ少なかれ、一般に著者・作者は、自
らの作品によって傷つけられる。『絶歌』の場合なら、著書という包丁で切ら
れるのは、著者である元少年A自身とも考えられるのだ。
自業自得の感もあるが、一段と生きにくい環境を自らの手で作ったことにな
るし、一部報道によると、彼が敬愛する先生からも強い非難の声が出てるら
しい(報道が真実かどうかは別)。
他に出版社や編集者も挙げられるが、割り切って利益を重視する商業的な
プロだから、あまり気にする必要もないはず。今週の週刊新潮によると、社
長は「野菜」が良く切れる包丁を提供しただけのつもりらしい。報道の真偽
は不明だが、真実なら自分がケガしても想定内だろう。
一方、特定の本によって「表現の自由」が切り捨てられる、という解釈も可
能だが、この問題は今まで度々書いて来たので、ここでは省略する。
表現の自由にも制限があるべきだし、実際にあるわけだが、その限界の線
引きは個別のケースで考えるしかない。当サイトも過去10年間、相当な自
主制限を行い、試行錯誤した上で表現して来たのだ。今書いてる、この記
事も含めて。。
☆ ☆ ☆
一方、「能力」という概念を再考すると、これはまだ現実化してない次元のエ
ネルギーのようなものを指す言葉だ。包丁の持つ切断能力という時、たとえ
過去に切断した現実があったとしても、その「手前」に位置する潜在的な可
能性を意味してる。
つまり能力とは、現実化されるかどうか、どのように実現されるかが重要な
のであって、そこには主体の問題が浮上する。あるいは、複数の主体が織
りなす関係性。
私が何か、持てる能力をすべて発揮する時、能力の存在場所も発揮する主
体も私自身だ。しかし、本が持つ切断能力の場合、存在場所は仮に本として
も、発揮する際の主体は複雑多様だと思われる。
著者、出版社、販売者はもちろんのこと、論評者、読者も主体なのだ。切断
する能動的主体というより、切断という能力実現に関わる当事主体という意
味で。いずれにせよ、紙の本だけなら切断は生じない。
☆ ☆ ☆
結局、本の送り手、受け手など、様々な関係を、一つの「もの」であるかの
ように本に帰属させたのが、本の「能力」なのだ。ここから導かれる一つの
結論は、同じ本でも、人間関係・社会関係によって、何かを切断することも
あるし、何も切断しないこともあるということ。
したがって、もし切断を避けたいのなら、本を消してもいいし、関係を変えて
もいい。本物の金属の包丁でさえ、実際に人を傷つけることは非常に少ない
ことを思い出そう。本、言葉、画像、映像、肉体的接触など、我々は更にに向
き合い方を探し求める必要がある。論壇時評の見出しとなってる「独学」に
せよ、教わるにせよ。
なお、「能力」というタイトルで私がすぐ思い出したのは、先日の記事で扱っ
た香山リカの見解。元少年Aを「サイコパス」(精神病質者)だとして、「脳」の
障害を指摘したものだった。画像診断データのようなエヴィデンス(根拠)は
添えてないが、もし正しければ、今回の本の切断能力は「脳力」でもある。
これは、責任能力や今後のサポートなどにも関わるので、意外なほど大き
な論点だと思う。生まれつき脳に障害があって、十分な支援も受けてない
のなら、彼自身が人権侵害を訴える余地もあるわけだ。脳の衰えが大きな
原因の一つと思われる高齢者の重大事故で、その罪を責める声は小さい。
せいぜい、困ったような悲しげな表情をする程度だろう。
大きな悲しみの陰にある、目立たない悲しみの側にも目を向けたいと思う。
とりあえず、今日の所はこの辺で。。☆彡
(計 2819字)
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