キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~2016センター試験・国語
(☆20年1月19日追記:最後のセンター記事アップ。
妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール
~原民喜の小説『翳』(2020年センター))
☆ ☆ ☆
ここ数年恒例のセンター試験記事。準備と待機だけで疲れてしまったので、
今年も簡単に済ませよう。何時に問題が発表されるのか分からないまま、
複数の予備校サイトの特設ページに何度もアクセスするはめになるのだ。
今年は特に遅くて、試験終了の6時間後、20時半を過ぎても発表されな
かったから、しばらくPCを閉じて、夜遅くにようやく問題を入手した。リンク
先は河合塾。
さて、センター試験の現代国語の問題だと、その年ごとに、評論か小説か
どちらか一方にネット上の人気が偏って来た。例えば去年なら、ネットを扱っ
た評論がネットの注目を浴びたわけで、何とも分かりやすい「キャラ」的反応。
今年はさらに分かりやすい反応で、ツイッター検索するとほとんど評論のツ
イートしか無かったほど。土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』(岩
波書店,2009年)からの出題で、まさに受験生世代を対象にした論考だし、
リカちゃん、「やおい」、メイド・カフェなど、若者が食いつきやすい仕掛けが
散りばめられてたのだ。副題はお堅い表現で、「排除型社会における新た
な人間像」。
☆ ☆ ☆
特に、ツイッター検索で圧倒的人気だったのが、「やおい」。私がこの言葉
を初めて友人から教えられた時、言葉も対象世界も全く知らなかったから、
何度も聞き直したのをよく覚えてる。問題文の注には、こう書かれてた。
「やおい」などの二次創作 ── 既存の作品を原作として派生的な
物語を作り出すことを「二次創作」と呼ぶ。原作における男性同士の
絆に注目し、その関係性を読みかえたり置きかえたりしたものなどを
「やおい」と呼ぶことがある。
コトバンクで『大辞林』、『大辞泉』を見ても、ウィキペディアやニコニコ百科
を見ても、やおいの説明の最初は男性同性愛とかボーイズラブだが、流石
はセンター試験。「絆」という無難な言葉を使ってるし、「『やおい』と呼ぶこと
がある」という控えめな説明も妥当だろう。
☆ ☆ ☆
しかし、問題作成者たちは気になるミスをしてる感がある。それがどの程
度の大きさの出題ミスなのか、あるいはミスではなく許容範囲なのか、私
には判断できないけど、当日の深夜の時点でネット上の指摘はまだ見当
たらないから、当サイトが指摘しとこう。
この問題は、2011年度の桐光学園高等学校の入試問題とかなり重なっ
てるのだ。全く同じ個所から引用を始めて、大学入試センター試験の方が
早めに終わってる。問題説明の文の冒頭も全く同じ。「リカちゃんの捉えら
れ方が変容している」ことを設問にしてる点も同じだ。下図で、左がセンター、
右が桐光。
桐光の問題はネットで一般公開されてるし、検索ですぐにヒットした。12年
度、13年度の桐光学園受験生は、おそらく11年度の問題を参考にしただ
ろう。その彼らがちょうど、2016年のセンター試験を受ける世代なのだ。
まあ、大学入試センターの事務局としては、問題なしとか影響は僅かだと
して済ませる所だろうけど、問題作成サイドが過去の出題例をチェックした
のかどうかが気になる所。ちなみに、引用箇所も内容も違うものの、同じ本
は2012年度の愛知県公立高校入試にも使われてた。まさに、今回のセン
ター受験生の世代なのだ。。
☆ ☆ ☆
もちろん、全国50万人が受けるセンター試験を作るのは大変な作業だし、
些細な(?)うっかりミスを追及するつもりもない。五輪エンブレム的なコピ
ペ騒動にしたいわけでもない。ただ、なぜ問題も設問も重なったのかを考
えた時、まさに問題文の内容が表す状況が影響したのでは、と思ってしま
うのだ。
つまり、筑波大学の社会学者・土井のキャラ論自体が、キャラとして教育界
のあちこちで使われてしまってるのではないか。土井の本が原作。各種の
試験問題は、二次創作。Googleの書名検索の結果を見ると、本の感想文
を求める人が大勢いるようだから、二次創作的授業も広がってそうだ。
問題の作者たちは、一次作品(土井による原作)からキャラ論の一部だけ
を取り出して、「当初の作品のストーリーとはかけ離れた独自の文脈の中
で自由に操ってみせます」。ただし、リカちゃんはリカちゃん、キャラ論は
キャラ論。簡単な特徴は、「変化しないソリッドなもの」なのだ。
☆ ☆ ☆
しかも、土井のキャラ論の内容によると、キャラとは極めて単純化されたも
の。そうなると、土井の分析に対するとらえ方も注意が必要だろう。極めて
単純化、パターン化されたものが現代社会で人気なのはその通りだし、少
なからずの価値もあるが、単純化されない現実も当然存在する。
土井の文章が教育界で広がるということは、現場の関係者たちが、それ自
体キャラ的な単純化理論にとらわれて、生徒や学校を取り巻く現実の微細
さや多様性、流動性をスルーしてしまってる可能性を示してるのではないか。
その意味ではむしろ、同じ本から大幅に異なる部分を引用した、愛知県の
入試問題の方が相対的に優れた機能を持つとも言える。出題意図はとも
かく、結果として。ただし、著作権の問題が微妙なので、リンクは付けない
ことにしよう。。
☆ ☆ ☆
前置きが長くなってしまったが、大人気のセンター・第一問のこうした性格
(キャラクター)を見た時、むしろ不人気の第二問が地味な輝きを放って来
る。佐多稲子の『三等車』全文。「一九五〇年代」の発表とだけ書かれてる。
こちらは土井の文章と違って、ネットでもなかなか出典情報が見当たらな
かったが、個人サイトらしき「文学賞の世界」によると、雑誌『文芸』1954
年(昭和29年)1月号が初出らしい。要するに、現代社会でほとんど共有
されてない文学だから、作品の存在自体がキャラ化とは無縁。「もはや戦
後ではない」は56年の経済白書の有名な言葉だから、54年の小説はギ
リギリで「戦後」だ。
ウィキペディアによると、佐多は共産党員で、後に除名されたそうだが、こ
こで描くのは、そうした政治的なものとは無縁。階級的に下の一般市民を
描いてる点では、プロレタリア文学とも言えるけど、そんなレッテルは不要
で、単なる混雑した長距離列車内の人間関係とも言える。
表現形式も内容も、去年や一昨年と比べて平凡に見えるし、河合塾や東
進の分析でも、解きやすい問題とされてた。3年前の技巧的小説みたい
なオチも仕掛けも、もちろん無い。
☆ ☆ ☆
しかし、そうした見方と無関係な、静かな存在感こそ、この小説の最大の
長所だろう。おそらく、作者が女性だという点とも関係あると思うが、現代
の一般男性なら数行のメールでまとめてしまいそうな情景を、延々と細か
く語り続けてる。
あらすじとしては、仕事その他で忙しい女性らしき主人公の「私」(作者の
投影かも)が、鹿児島行きの急行列車の三等車に乗って、「闇」で買った
座席に座る。目の前の女性も「闇」と言うので、少し安心したところで、子
連れの若夫婦がやって来る。
夫婦で言い争うような感じの会話の後、夫だけが列車を降り、母は赤ちゃ
んだけ連れて売店に。一人で残された三歳くらいの男の子「ケイちゃん」
は、「私」が預かってたが、窓越しに父親とお別れ。母親たちが戻って来た
時、「私」が父と息子のお別れの様子を教えてあげて、母親も身の上話。
やがて車内が静まった時、歌声のようなケイちゃんのつぶやきが聞こえて
来た。「父ちゃん来い、父ちゃん来い」。。
☆ ☆ ☆
さて、主人公「私」の表面的な行動だけ見ると、その場で与えられたキャラ
を演じてるようも思われる。「同性や子どもに優しくて、ちょっとお節介な事
までしてしまう、心温かい戦後の大人の女性」。
もちろん、職場では「男勝りで働く、有能な女性労働者」キャラになってた
かも知れないし、別の座席なら別のキャラ的行動だったかも知れない。実
際、出題者が第一問を意識したのか、小説にはこんな文章もあった。
「三等車の中では、聞えるほどのものは同感して聞いているし、
すぐその向うではまたその周囲の別の世界を作って、関りがない」。
☆ ☆ ☆
しかし「私」は、「外キャラ」的な対外的演技とも、「内キャラ」的な単純さと
も無縁だ。あるいは、そうしたものを遥かに超えた生の厚みを示してる。
若夫婦もケイチャンも、非常に濃密な空間を何気なく紡ぎ出してるのだ。
私は、「闇」で座席を手に入れた罪悪感もあって、ケイちゃんを膝にのせた
ままだし、駅のホームに残された父親のことを内心で色々考え続ける。対
外的な役割行動でもなく、内なる固定的で単純な思考パターンでもなく。
「・・・・・・彼は、彼の方に出ようとして、汽車の窓に片足をかけた
小さい息子のズックをおもい出すだろうか。・・・・・・彼はもうすっ
かりひとりになった実感におそわれて、ふとんの襟をやけに頭
の上にずり上げるだろうか。」
母親も、見知らぬ他人たちの前で、ごく自然に辛い私生活をさらけ出す。
東京に去年出て来たけど物価が高くて生活が苦しいとか、お正月くらい
は「お父ちゃん」(=夫)の言葉に従って鹿児島に戻って、田舎の農家で
お餅を食べるとか。
すぐそばに見知らぬ男性客がいるのに、唐突に「男って、勝手ですねえ。
封建的ですわ」と言う辺りも、少しも空気を読んでない女性だし、公共の
場にふさわしい無難なキャラと化してない。だからと言って、「不満の多い
おしゃべり女」キャラでもない。自然な流れで、やがてみんな静かになる。
その時、それまで「大人しい、いい子」キャラだった男の子だけが、父へ
の思いを口にし始めるのだ。窓越しのお別れに続いて二度目の、自然
な子どもらしさ。ほとんど誰も見てない状況で、無意識的かつ変則的な
感情表現で。。
☆ ☆ ☆
「だから、それこそ、昔と今の違いなのだ。現代では、そうした振舞いは
難しくなってる」。そう言いたくなる所だろうし、それは必ずしも間違いで
はない。
しかし、たとえ詳細な統計調査の裏付けがあったとしても、『三等車』的な
人間的厚みの明示は出来ないし、科学的調査でさえ、しばしば複数の対
立する結果が示されてしまうのだ。
ましてや、そうしたものが直接何も添えられてなさそうな現代社会論を読
んで、「キャラ化する/される子どもたち」という図式をインプットし、拡散
的にアウトプットすることこそ、まさにキャラ化された教育、キャラ化された
学問だろう。
リカちゃん人形は確かに可愛い。しかし、そんな人間など、どこにもいない
し、似た人間でさえごく僅かだろう。可愛さと本当らしさは、あまり関係ない
属性だ。現実はしばしば、まったく可愛くない。
☆ ☆ ☆
だからと言って、「学問的認識や抽象化、単純化の必然的な短所から目を
逸らすな」などと、堅苦しい批判を声高にこねることなく、今でも身近にあり
そうな繊細複雑な生を静かに描き出すこと。これこそ、ほとんどの人がツ
イートしなかったこの第二問の微細な輝き、地味な素晴らしさなのだ。
もちろん、キャラ化されないサイトとしては、そちらに目を向けるのが自然
な選択だ。空気も読まず、普段の自らの記事パターンとも関係なく。という
わけで、平成28年度センター国語記事もそろそろ終わりとしよう。今週は
計19361字となった。
それでは、おそらくまた明日、センター数学記事にて。。☆彡
cf. データ分析(相関の強弱、変数変換と共分散~2016センター数学ⅠA
分数の群数列、一般項と和~2016センター数学ⅡB・第3問
・・・・・・・・・・・・・・・
啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』
~2015センター国語
昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~2014センター
幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~2013センター試験・国語
鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~2011センター試験・国語
(計 4674字)
(追記 153字 ; 合計 4827字)
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