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新渡戸『武士道』における「母」と「自己否定」~『怪盗 山猫』第4話

かなり欲求不満になる回だったね。赤松杏里(中村静香)のレザースーツ

の映像がちょっとしか無かった♪ そこか! 最後のホテルのツインルー

ム映像では全くカバーし切れてない。たぶんあの後、杏里はわざわざレ

ザースーツ姿になってプレイするはず。そのためには、ファスナーの付け

方や個数、長さに工夫が必要となる・・・って、細かいわ!

 

いや、マジメな話、最後まで新渡戸稲造『武士道』からの引用が無かった

(気がする)から、今週は記事を休もうかなと思ったほど。しかし、過去3本

の流れを途絶えさせるのも残念だから、敢えて2つのポイントをチェックし

てみた。「母」と「自己否定」だ。

 

 

          ☆          ☆          ☆

認知症の母(市毛良枝)が奪われたか手放した山と工場を取り返すため

に(?)、細田(塚地武雅)は危ない情報に接近。結果的に殺されてしまっ

たらしい。

 

自分の身に何かあった時のために、わざわざノートPCにメッセージ動画

まで用意。自撮り棒使用(たぶん♪)。さんざん迷惑かけた母に対して、

「ごめん」、「ありがとう」と伝えてた。母の認知症がウソだというのも、細

田は気付いてたらしい。

 

母は、息子と関わりたくないために認知症を装い、金のために山と工場

を手放した。おそらく、銃の密造に使われるのも分かってたはず。祖先か

ら受け継いだものを悪のために売り渡して、金を仏壇の裏側に隠す。感

じのいいおばちゃんに見えて、実は相当な腹黒だったわけで、山猫(亀梨

和也)も真央(広瀬すず)も激怒。

 

これと対照的だったのは、モニターで微笑む細田の姿。感心しない母親

だけど、もともと嫌われるような事をして来た自分が悪い。素直に「自己否

定」。だから今後は一緒に北海道旅行してタラバガニを食べようとか、泣か

せるようなビデオを作ってた。

 

まあ、泣かせ方がちょっと甘かったけど、色んな要素を詰め込んだドラマ

だから良しとしとこう♪ 刑事のさくら(菜々緒)に盗聴されてる時の、勝村

(成宮寛貴)、山猫、里佳子(大塚寧々)のやり取りには、声を上げて笑っ

た。「僕のカノジョじゃありません」、「そこ どうでもいいから」、「バ~ン!」。

 

「かいとうあいこ」は笑えなかったけど、それは私が「皆藤愛子」を「みなふ

じあいこ」だと思ってたため(笑)。テレビをあんまし見ないから、音声情報

が不足するわけ。ボードゲームを使った金と人生の表現も上手いと思う。

最後の細田のお墓まで話をつなげる辺り、フツーに見えて、実はあまりド

ラマで見ないこだわり。

 

やっぱり脚本家の武藤将吾には上手さを感じる。上品さは感じないけど♪

コラコラ! 人生ゲームは小学校の頃、よくやってたね。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

さて、この連続ドラマは、一話完結ものと続きものの中間くらいになってる

点もわりと珍しい。今回だけらしきエピソードのコア(核)は、細田の母。

 

事情や理由はさておき、今どき、子どもを見捨てる母親なんてものはいく

らでもいるわけで、昨日も精神安定剤を息子に飲ませて殺そうとした容疑

の母親がニュースになってた。仮に無理心中だったにせよ、殺すことには

変わりない。

 

現代日本のフツーの感覚だと、あの山猫と真央の怒り方は激し過ぎるよ

うに見えるけど、それにはそれなりの理由がちゃんとある。真央は、自分

が親に対してバカな事をしてしまったから、それでも愛してくれる親の幻想

を持ち続けたいわけだ。その意味では、自己防衛のための怒りとなってる。

 

一方、山猫の場合、かつての仲間である細田を死に導いた母親は許し難

い。それ以外に、新渡戸『武士道』を愛読する「侍」という事情もあるだろう。

武家の母親として、彼女は失格なのだ。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

『武士道』という書物によると、武士道というものは本来、男性のためのも

のだということになる。ただし、武士道に女性の道が示されてないわけで

はないし、新渡戸の本にもわざわざ1つの章が当てられてる。

 

第14章、「THE TRAINING AND POSITION OF WOMAN」(女

性の鍛錬と立場)。下は毎度お馴染み、インターネット・アーカイブからの

コピペ。

 

160207a

 

武士道そのものが古い倫理体系だし、新渡戸の本も100年以上前のもの

だから、一部の女性が批判しそうな話が延々と書いてある。たとえば、一番

分かりやすい箇所の一つを引用&直訳してみよう。p.144-p.145より。

 

  As daughter,woman sacrificed herself for her father,

  as wife for her husband,and as mother for her son.

  (娘としては、女性は父親のために自らを犠牲にした。妻としては夫

   のため、母としては息子のために。) 

 

 

さらに、少し後には次のような文もある(p.146)。

 

  Self-renunciation,without which no life-enigma can

  be solved,was the key-note of the loyalty of man

  as well as of the domesticity of woman.

  (自己否定とは、それなしでは人生の謎を全く解けないものだが、こ

   れは男性の忠義の基調であり、同様に女性の家庭的なあり方の

   基調でもある。)

 

 

         ☆          ☆          ☆

女性の場合、自分を捨てて、父、夫、息子、家のためにひたすら尽くす。

これが女性の武士道であって、薙刀の訓練のようなものも、自分を守ると

共に、家を守るためのものだった。新渡戸の考えによるなら。

 

もちろん今現在、こんな「滅私奉公」的な事を、首相や文科省、教師らが

うっかり口にすると炎上するわけだが、言い方や度合いはともかく、似た

ような事は今でも実際少なくないだろう。ドラマでも、山猫もユウキテンメイ

もおそらく、自分自身より遥かに大きなもののために身を捨てて動いてる

はず。

 

早い話、少なくとも子どもが小さい時は、母親はそれまでよりもガマンする

のがありふれた現実だろう(良し悪しは別)。それどころか、子どもが大き

くなってもひたすら子どものために、と自分で思う母親もいるわけだ。本当

に子どものためかどうか、子どものためになるのかどうかは、ともかく。

 

ちなみに以前、私が女友達に、夫の育児休暇についてどう思うかたずね

たら、論外みたいな反応でちょっと意外だった。理由は、家庭の総収入が

減るから♪ ある意味、非常に合理的な考えだろう。人権的・形式的な男

女平等の理想より、経済的効率を重視する現実的判断。

 

私自身が夫の立場なら、妻の顔色・・・じゃなくて考えに合わせる。その方

が、自己防衛として有効な戦略のだ(笑)

 

 

         ☆          ☆          ☆

さて、母親が自分のことを忘れて子ども(特に息子)に尽くすような生き方

を、新渡戸は上で「self-renunciation」と書いてた。普通に訳すと、自己

放棄くらいが自然だろうけど、私はわざと「自己否定」と訳した。それはこの

言葉が、19世紀の大哲学者ヘーゲルを意識したものだからだ。実際、新渡

戸はすぐ後で、ヘーゲルという名前を出して補足してた。

 

極端に簡単にまとめると、ヘーゲル哲学においては、物事が「否定」を通じ

て進展していくという発想がある。その進展のパターンが、「弁証法」。

 

例えば自分がある考えを持ってた時、自分で別の考えを思い付いたり、他

人から別の考えを示されたりする。これが、元の考えの「否定」。さらに、そ

れらの考えを比較しながら、もっといい新たな考えに辿り着くこともある。こ

れは、一度「否定」した後の「否定」だから、「否定の否定」と呼ばれる。

 

元の考え→それを否定する別の考え→両者を否定するもっといい考え。

元のドイツ語なら、aufheben(アウフヘーベン)、古い訳語で「止揚」(しよ

う)、揚棄(ようき)とも呼ばれる。

 

 

         ☆          ☆          ☆   

要するに、ある段階での自分を否定することで、結果的により良い自分、

より良い全体に辿り着けるという考えなのだ。

 

若い母親が、しばらく自分の欲望を犠牲にして子どもに尽くすことで、母

として女として成長し、お互いの愛情も育まれて、家庭も上手くいく。それ

は、本来の自分が潜在的に持ってた可能性を実現するプロセスだから、

不自由どころか「自由」とも言える。  

 

だから新渡戸も、ヘーゲルの考えを承認しながら書いてた(p.148)。

 

  history is the unfolding and realisation of freedom.

  歴史とは、自由の展開と実現である。

 

違う言い方をすると、歴史とは、様々な物事がぶつかり合い、変化しな

がら、本来あるべき方向へと進むプロセスということになる。

 

 

         ☆          ☆          ☆

もちろん、元のヘーゲルに対しても、単なる観念論とか全体主義だという

批判は多いし、武士道にも批判はある。まして、そうした考えを現代女性

の自己犠牲の正当化に使うのは、社会的に受け入れがたいことだろう。

 

ただ、「自己犠牲を正当化する」→「批判や炎上が起きる」→「より洗練さ

れた自己否定=自己実現の考えが創り出される」・・・と、大きく全体の流

れを見渡すのが、まさに弁証法的発想なのだ♪ したがって、ヘーゲル主

義者も新渡戸も、批判されても何とも思わないどころか、むしろ喜ぶだろう。

 

否定されることを、いい事として受け止める。あるいは、いい事の起点とし

て考える。これは本質的に、性的SMとも関係する話だし、ヘーゲルの「主

人と奴隷の弁証法」とよばれる議論とも関連する話だが、ここでは単なる

指摘に留めとこう。

 

ともあれ、私自身は女性を尊重する男性なので、くれぐれも誤解のないよ

うに♪ いや、単に、怒らせると怖いから(笑)。そうゆう理由か! なお、

今週は計19952字となった。2万字制限ギリギリ。

 

第4話とは結局、息子が自己否定を通じて「高い位置」に昇り、涙した母

と真の親子になり、細田家がより良いものへと進展した物語だったのだ。

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 新渡戸稲造『BUSHIDO(武士道)』、英語原文~『山猫』第1話

   節義・道義、新渡戸『武士道』&真木和泉『何傷録』~第2話

   吉田松陰「かくすれば・・・大和魂」出典と新渡戸『武士道』~第3話

   生、死、そして沈黙~第5話

   笑顔と任侠、野ブタ、武士道~第6話

   生きるべきか、死ぬべきか・・~第7話

   誕生日違った山猫死ね!~第8話

   死ぬ恐怖、殺す快楽~第9話

   維持に負けた改革、音痴の「上を向いて歩こう」~最終回

 

                          (計 4067字)

             (追記 102字 ; 合計 4169字)

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武士道では「愛」を「感情」と考えている。 「感情」は「人間の心」に「自然」に生じるものである。 たとえば・・・親と子の間には・・・「愛情」が発生するのが「自然」なのである。 それに対し「義理」は・・・あくまで「論理」であり、あえて言えば「不自然」となる「人間の作為」と考えられる。 「義理」は「愛情」... [続きを読む]

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