フィトゥシ「街灯の定理」と、古いジョーク「街灯の下で鍵を探す」
今日は2016年9月11日。あの米国同時多発テロから15
周年ということで、朝日新聞の朝刊2面で特集を真面目に読んでたら、
ふと隣の3面のコラムが目に入って、思わず笑ってしまった。
「日曜に想う」シリーズで、今回のタイトルは、
「暗闇になくした鍵をさがせ」。
執筆は編集委員の大野博人で、まださほどメジャーになってないフラン
ス語の経済学書を読んで、フランスの著者にインタビューして書いてる
らしい。その辺り、さすがに朝日と言うべき基本的な能力や知性を示し
てる。もちろん、執筆の控えめな政治的意図、反安部政権的な軽いバ
イアスはさておき。
ちなみにこの話の核心は、ある意味、その「バイアス」というものと言え
る。人間につきものの、偏り、偏見。まず、コラムの冒頭だけ引用させ
て頂こう。
「街灯の定理」という風変わりなタイトルの経済書がある。
夜、ある人が街灯の下でなにかを捜している。鍵を落とし
たという。なくしたのはこのあたりかと問うと、そういうわけで
はないが、ここは光があたって捜しやすいので、と答えた──。
そんなジョークが由来になっている。・・・・・・
☆ ☆ ☆
私はここまで読んで、すぐにプッと吹き出してしまった。このジョーク自体
は知らなかったが、世界的に通じそうな滑稽さだし、奥行きとか深み、一
般性もある。
ジャン・ポール・フィトゥシ(74歳)によると、上のジョークみたいなちぐ
はぐが経済学や経済政策で実際に起きている、ということらしい。
もちろん私は、「なるほど、そうだよな」と素直に頷いたり、「いいね」と
共感して終わりにするような読者ではない。そもそもコラムは、何が定
理なのかも明示してないのだ。
そこで私は、自分自身で考え直すと共に、基本的なことをネットで調べ
てみた。フィトゥシの「街灯の定理」どころか、その元になった街灯ジョー
クも、実はそれほど話題になってない。日本はもちろん、英米やフランス
でも同様。
ただ、話が核心を突いてるのは確かだし、メジャーではないからこそ、
マニアック・ブログで紹介する価値がある。
☆ ☆ ☆
まず、元のジョークについて。日本語版ウィキペディアには、「古くはア
ラブに起源があるというたとえ話」と書いてるが、アラブの出典は示して
ない。おそらく、塩沢由典の文章をもとにしたのだろうが、ネットで見れる
塩沢の文章2本(数学系、経済学系)を見る限り、やはりしっかりした根
拠や出典はない。
出典はともかく、小話とか寓話の中身についてなら、英語版ウィキに
「Streetlight effect」(街灯効果)という項目があった。
大切な場所ではなく、街灯に照らされた明るい場所だけに目を向けてし
まいがちな人間の観察バイアスが、街灯効果。少なくとも半世紀前には
話題になってたが、ここ20年ほどで地味な注目を集め始めた感じだ。
元になった話が、下にまとめられた「drunker’s search」。
(酔っ払いの落し物探し)。
☆ ☆ ☆
朝日と違ってる点はまず、登場人物が酔っ払いと警官になってる点。
酔っ払いは当然、ボケ役として、突っ込むべき警官もボケみたいな行動
を見せてる。どこに落としたのかという、一番大事な点を最後まで聞い
てないから、ある意味、Wボケの漫才、コントなのだ。
もう一つの違いは、公園(park)で落としたのに、街路(street)
で捜すという、滑稽な対比がハッキリ出来てること。
日本語版ウィキは、何に基づいてるのか、「公園の街灯」と書いてる
が、それでは対比がハッキリしないから面白くない。そもそも、落とした
公園の中で明るい場所を探すのなら、正しい行動とも言える。懐中電灯
で捜す普通の行動と、大同小異。
だから、古いジョークに正解など無いにせよ、英語版の方が正しいジョー
クだろう。「暗い公園」と、「明るい街路」のコントラスト。だから、全く無意
味なおバカということになる。
ただし、公園で落として、公園内の明るい場所だけ探すとした方が、一般
性が出て来る。人間科学的、社会科学的、方法論的に使いやすいのは
確かだ。つまり、どこが大切なのか、大まかには分かるけど、場所が広
すぎるから、ごく一部分の分かりやすい所だけ探求してしまう。
それが人間の習性であり、限界、短所でもある。一方、考え方によっては、
長所でもあるわけだ。たとえば数学のような一般的学問でも、分かりやす
い具体例からスタートするのはごく普通の戦略、ストラテジーなのだから。
☆ ☆ ☆
一方、フィトゥシの本は2013年だからなのか、まだ邦訳どころか英訳
さえ見当たらない。本を検索すると、たどりつくのはフランス語の情報。
JEAN-PAUL FITOUSSI、
『Le theoreme du lampadaire』
この表紙の絵でも、公園とか木は描かれてない。普通の街路をトボト
ボと帰宅する姿に見える。
出版社はLLL。「Les Lien qui Liberent」
(レ・リャン・キ・リベール)の略語だから、訳すと「解放してくれる絆」
といった感じか。名前から直ちに、リベラル=左派の出版社だろうと
想像がつく。そこに注目した朝日も左派だから、分かりやすい構図だ。
では、「街灯の定理」とは何なのか。フランスのAmazonの
中身紹介を使って、冒頭だけ軽く読み流した限りでは、次のように
まとめることが出来そうだ。
街灯の定理 :
大きくて複雑な問題を扱う時、分かりやすい部分だけを
扱っても、本当の全体的解決にはつながらない。
たとえば次の箇所を引用させていただこう。
☆ ☆ ☆
上の定理自体は、「~できない」というネガティブな否定形になってる
が、フィトゥシはもう少し先のポジティブな方向まで見通してる。要約
すると、次の通り。
街灯の定理は正しい。しかし、われわれは照らす場所を選択、
決定することが出来る。街灯で照らす場所を適切に決めれば、
問題は解決に向かうだろう。
☆ ☆ ☆
結局、人間は有限な存在であって、すべてを完全に見通すことは不可
能、だから、一部分だけを分かりやすく考えるしかない。分かることしか
分からないのだから。
フィトゥシが街灯ジョークを手がかりにするのも、朝日がフィトゥシに注
目するのも、私が朝日のコラムに注目するのも、似たようなこと。
その時々で、どの部分に光を投げかけるのが適切か。どの近似的な
考えが有効なのか。そこはよく分からないわけだ。
ただ、おそらく自然科学はかなり上手くやってる方だろう。たとえばニュー
トン力学は今に至るまで300年以上、十分に役立ってる近似理論。ある
いは言語の分野でも、辞書に書いてる意味というのは部分的で不完全
だが、意思伝達の上で十分役に立ってるわけだ。
フィトゥシは今、『21世紀の資本』のピケティや、ノーベル賞のクルーグ
マンらと共同作業を進めてる所で、来年には発表が予定されてる。彼ら
がどこに、どのような光を投げかけるのか。過度な期待をすることなく、
静かに注目しとこう。
私としては、「鍵を探さない」という選択肢があることを指摘しておく。つ
まり、あきらめて別の場所に住むという方法もあるのだ。
なお、今週はPCトラブルにもかかわらず、計17437字となっ
た。もう少し減らしたいところ。ではまた来週。。☆彡
(計 2934字)
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