「ペンは剣よりも強し」~リットンの戯曲『リシュリュー』、英語原文と日本語訳
The pen is mightier than the sword.
ペンは剣よりも強し。
この有名な言葉は、英国の政治家・小説家、ブルワー・リットン
(Bulwar Lytton)の1839年の戯曲に登場する台詞だ。
語ったのは戯曲の主人公、リシュリューで、17世紀フランスの宰相。
ルイ13世に仕えた、カトリックの聖職者(枢機卿)だ。
戯曲の英語原題と和訳は、次の通り。
『RICHELIEU ; or The CONSPIRACY』
リシュリュー、または陰謀
200年近く前の本なので、著作権は存在せず、英語原文はあちこち
で転載されている。私がここで参照するのは、グーグル・ブックスが
公開するヴァージョンの1つ。
1873年版の再現のようだが、英語版ウィキペディアの説明と一致し
ているので、信頼しておく。年や版による些細な違いは、専門家にお
任せしよう。日本では僅かの人数だと思うが。。
☆ ☆ ☆
私がこの記事を書くきっかけになったのは、朝日新聞・朝刊の連載
コラム「折々のことば 558」での引用(2016年10月25日)。
筆者である哲学者・鷲田清一は、次のように手短に説明している。
・・・ただし「偉大なる人物の統治下では」との条件がつく。
つまりそれは、いかなる抵抗勢力といえども統治者の
一枚で潰せるという意味だった。
つまり、権力者の力を誇示する言葉だったのが、やがて権力に屈し
ない言論の精神を表す言葉へと反転した。ところが最近、また反転し
て元の意味に戻り、権力の強さを表す状況になってないだろうか。。
要するに、最近はジャーナリズムが権力に屈するような自粛の雰囲気
があるから、自己検証して言論を守ろうと言いたいわけで、リベラル的
立場をあらわにする鷲田らしい説明だし、朝日新聞的でもある。政権を
悪の束縛、言論を善なる自由の側におこうとする、お馴染みの図式だ。
ここではそうした左派の政治的主張や態度とは一線を画して、戯曲の
原書を確認してみよう。
よくある事だが、日本語ウィキペディアには間違いがあるので、注意
する必要がある。戯曲の確認が不十分で、英語版ウィキからの誤訳
が目立つのだ。。
☆ ☆ ☆
まず、日本語ウィキの誤解を正すところから始めよう。ポイントになる
台詞の紹介の直前に、こう書いてしまっているのだ。
この作中で、17世紀フランス王国の宰相リシュリューは
以下のような発言をする。
「日付と仔細を書き込んだ許可書は・・・気前がいいわけでも、
気ままだというわけでもないのだが、ここにあるのだ」
そもそもこれは、リシュリューの発言ではなく、著者リットンの序文
(PREFACE)の説明だし、英文和訳としても誤っている。戯曲の
序文の該当箇所は、以下の通り。
要するに、著者リットンは、多くの人が注目して来た許可書(ライセ
ンス:license)に、私も注目したと言いたいのだ。日本語ウィキ
は上の6行目、「has been」が「indulged」につなが
る構造もつかめていない。リシュリューの台詞だと誤解したからだろう。
一方、英語版ウィキの説明は、「劇はリシュリューに関するものだが、
著者はとりわけ、有名な許可書に焦点を当てたのかも知れない」とい
う感じの流れ。そして、許可書の強さが、ペンの強さという形で表現さ
れて来たということで、妥当な説明になっている。
☆ ☆ ☆
では本題に進もう。第二幕・第二場(ACT Ⅱ,SCENE Ⅱ)
での、リシュリューの台詞だ。陰謀=謀略に対抗するため、剣とは
別の武器として、ペンを手に取るシーン。
Rich. (who has seated himself
as to write,lifts the pen).
リシュリュー (書くために座り、ペンを持ち上げる)。
True,── This!
まさにその通り。これこそ、剣とは別の武器だ!
Beneath the rule of men entirely
great The pen is mightier
than the sword.
完全に偉大な人々の統治のもとでは、
ペンは剣よりも強い。
Behold The arch-enchanter’s wand!
── itself is nothing! ──
見よ、魔法使いの杖を!
それ自体は何でもないものにすぎない。
But taking sorcery from
the master-hand
しかし、達人の手から、魔法を手に入れるのだ。
to paralyse the Caesars ──
and to strike The loud
earth breathless!
独裁者たちの力を奪い取り、
騒々しい大地をしずめるために!
── Take away the sword ──
剣を捨てよ。
States can be saved without it.
国は、剣を使わずに救えるのだ。
☆ ☆ ☆
ちなみに「剣を捨てよ」の翻訳は、日本語の制約によるものであるし、
あいまいさの有効利用でもある。「敵の剣を奪い、自らの剣も捨てよ」、
という二重の意味を込めているのだ。
聖職者でもあるリシュリューは、ライセンスへの署名などだけで済む
のかも知れないが、そのライセンスが実効性を保つためには、どこか
で最終的に「剣」が必要になる。警察・軍隊その他、直接的な力が控え
ているからこそ、政権に関わる文字や言葉、紙が力を持ちうるわけだ。
一方、ジャーナリズムその他、政権以外の言論は、文字や言葉だけ
で勝負するのが本来の姿だが、最近は少し様子が変わって、半世紀
前の形を洗練させたものになって来た。つまり、穏やかな直接行動と
連動するようになっているわけだ。
朝日新聞が度々、学生主体の反政権デモを大きく写真入りで取り上
げているのが典型だろう。そこでは、イメージも大きな役割を果たす。
言葉とは一応別物としての、映像=心像。「カメラはペンよりも強し」
とでも言うべきか。。
☆ ☆ ☆
なお、ペンの強さをエンブレム、シンボル・校章にしている学校として
有名なのが、慶應義塾と開成。この2校が、頭脳、地位、経済力とも
深く関わっているのは、興味深いことだろう。
ペンの強さとは何なのか。何であるべきなのか。それを探ることこそ、
思考の強さなのだ。
それでは今日はこの辺で。。☆彡
(計 2506字)
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