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井上荒野「キュウリいろいろ」2~長編小説『キャベツ炒めに捧ぐ』全体を読んで

ふと考えてみると、私は物心ついて以来、ごく身近な人のお葬式以外

で泣いたことはない(と思う)。大人の男性なら、普通かも知れない。

でも、この長編小説を読んでる間はずっと、目の奥で涙がにじんでた

気がする。全編がたまらなく切ない。哀しくて、愛しいのだ。

 

文学の名作とか傑作というより、上質の連載コラムをまとめたような

小説。大人の女性の心に沁みそうな、一般向けの佳作だろう。私は

ほとんど料理をしない男性だし、本来なら読む機会は無かったけど、

2018年センター試験・国語で出題されたので、運良く遭遇できた。

 

180122c

 

センターの記事は例年通り、すぐにアップしてある。

 

 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪

  ~井上荒野『キュウリいろいろ』(2018センター試験・国語)

 

しかし去年に引き続き、今年もあらためて作品全体の感想をまとめる

ことにしよう。以下、ネタバレになるのでご注意あれ。ちなみに去年の

記事2本は次の通りで、地味にアクセスが続いてる。おそらく高校生・

受験生以外も多いと思う。

 

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』

   ~2017センター試験・国語

 野上弥生子『秋の一日』2

     ~センター試験の省略箇所も含めた全文を読んで

 

 

     ☆        ☆        ☆          

180122a

 

さて、井上荒野『キャベツ炒めに捧ぐ』(角川春樹事務所)は、初出が

角川PR誌『ランティエ』、2010年1月号~11月号。加筆・訂正後の

単行本が2011年(上の画像)。装画・あずみ虫、装幀・大久保明子。

 

文庫本は2014年(下の画像)。装画・高井雅子、装幀・藤田知子、

表紙イラストレーション・門坂流(出版の数ヶ月前に他界してるはず

だが詳細不明)。

 

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内容をそのまま可愛いイラストにまとめたのが上で、色鮮やかな

デザインにしたのが下ということか。文庫本は小さいし、数が非常に

多いので、単行本よりハッキリした目立つデザインが多い感がある。

 

毎月11ヶ月間の連載だから11章の構成。「章」とは書かれてないし、

番号も付いてないけど、センター試験直後の作者のツイッターに、

“「キュウリいろいろ」は・・章タイトルで・・長編の一部”と書かれてた。

全体は次の通り。番号は私が順に付けただけなので、念のため。

 

1.新米  2.ひろうす  3.桃素麺  4.芋版のあとに

5.あさりフライ  6.豆ごはん  7.ふきのとう  8.キャベツ炒め

9.トウモロコシ  10.キュウリいろいろ  11.穴子と鰻

 

ほぼ全ての章タイトルが、それぞれ1つの食べ物を表してるのに、

最終章だけ2つの食べ物になってるのには、隠された意味がある

(後述)。各章を単独で読んでも、それなりに楽しめるとは思うけど、

やはり基本的には長編小説だった。テレビ番組にたとえると、1話

完結の連続ドラマに近い。

 

 

     ☆        ☆        ☆

先日のセンター試験記事の時点では、私は第10章の半分くらい

しか読んでなかったわけだが、主張のポイント2つは合ってるのが

確認できた。

 

つまり、問題文で「自転車」が「キュウリ」を表してたように、食べ物が

その章の中心的なものの象徴、比喩になってる。あるいは、両者が

強く結び付いてる。また、個人と家族の物語であると同時に、恋愛や

「性」の物語にもなってるのだ。

 

逆に、長編を読んで初めて分かったのは、試験問題の主人公である

郁子(いくこ)が、必ずしも全体の主人公ではないこと。

 

主要人物は小さな総菜屋「ここ屋」で仲良く働く3人の女性で、郁子

(予想通り60代半ば)、江子(こうこ、オーナー、冒頭61歳)、麻津子

(まつこ、冒頭60歳)。かなり高齢だけど、内容的にはアラフォー

(40歳前後)でも不思議はない。この3人が順に各章の中心となる。

 

1.郁子  2.江子  3.麻津子  4.郁子  5.江子

6.麻津子  7.郁子  8.江子  9.麻津子

10.郁子  11.江子&麻津子

 

全体を読んでる間も、私は郁子が主人公だろうと思い込んでたけど、

最終章の最重要人物は麻津子だし、ラストは江子のエピソードで

終了。長編全体のタイトルに使われてる「キャベツ炒め」が最も強く

関連するのも江子だし、単行本の帯に引用されてる文章は江子の

元夫である白山(しろやま)の描写だ。

 

というわけで、郁子1人を主人公と考えるのは難しい。郁子&江子

と考えることは可能だけど、やはり3人が主人公だろう。話の語り手

も、その時々で交替してるのだ。

 

江子(こうこ)が「来る」、麻津子が「待つ」、郁子が「行く」。これに

アイドル的、ジャニーズ的な若い男の子「進」(すすむ、米屋の新米

=しんまい)を合わせると、みんな移動を表す名前ということになる。

 

郁子だけは、「逝く」という意味も強く感じられるだろう。彼女だけが

毎日、死(息子と夫)と向き合って生きてるし、最年長でアルコール

中毒(キッチンドリンカー)気味だから、自分の死にも一番近いのだ。

 

 

     ☆        ☆        ☆

続いて、主人公の思いや記憶と料理について、一人ずつ見てみよう。

 

まず、「きゃははは」と陽気に笑う江子。身内の若い女性と浮気して

離婚&再婚した元夫への未練を断ち切れない彼女にとって、彼が

作ってくれてた美味しいがんもどきは特別な料理。京都出身の彼は

「ひろうす」と呼んでた(2章)。

 

別れを切り出された時に食べ続けたのが、あさりフライ(5章)。この

章の冒頭、あさりにナイフを差し込んで貝柱を断ち切る描写がある。

そして章末には、元夫の悲し過ぎる嘘をこっそり確認して、自分の

未練を断ち切ることにする。

 

そのために、今度は彼女自身が哀しいウソをつく(8章)。すっごい

年下の彼(=進)と結婚することになった。彼の得意料理はキャベツ

炒め。元夫の白山は半信半疑だったけど、自分への特別な思いが

まだ残ってるのは感じたはず。というのも、キャベツ炒めは彼らが

昔結婚した日の夜、江子に作ってあげた思い出の料理だから。

 

 

      ☆        ☆        ☆

次に、2歳年下で幼馴染のダーリン・旬が別の女性と結婚して、すぐ

離婚。ずっと微妙な関係を延々と続けてる、麻津子。

 

母が亡くなった直後、母の思い出の失敗作「桃素麺(ソーメン)」を、

旬にプレゼントする。母に向けてた複雑な思いを、旬へと移し変える

(転移させる)ように(3章)。

 

その後、2人のお花見で、さや付きの豆をむいて別ゆでして作った

豆ごはんを食べながら、いきなり「なんで結婚したの」と問い詰める。

その直前、麻津子が「豆はやっぱ未通子(おぼこ)」と言って、江子が

「いやあねえ」とからかったから、花見の豆は「処女」麻津子の象徴だ。

逆に、普通の炊き込み豆ごはんは妻の象徴で、嫉妬の対象(6章)。

 

旬は、麻津子でない女性と結婚した理由がトウモロコシだと告白。

八重歯のせいで屋台のトウモロコシを食べられない麻津子を見て、

そんな女性を丸ごと引き受けるのが怖くなったらしい(9章)。

 

今は麻津子も八重歯を抜いて、トウモロコシを丸かじりできる。旬も

流石に大人の器が出来てきた。あれからもう、40年近く経ってる。

今夜こそ、お互いに丸かじりしよう。まだ少しかじっただけだから。。

 

 

      ☆        ☆        ☆

最後に、郁子は総菜屋のバイトとして「新米」(第1章)。お米屋さん

の新米である進を見て、死んだ息子と重ね合わせる。

 

続いて、喪中なのに届いた年賀状を見ると、「鹿島郁子」という同姓

同名の他人へのものが混ざってた。届けに行くと、去年亡くなった

とのことなので、渡さずに帰宅。亡き夫との思い出が詰まってる芋版

をまた作って、差出人への年賀状を作って自宅に飾る。自分は元気

ですと書いて、彼岸からのメッセージに答えるように(4章)。

 

その後、去年亡くなった夫・俊介の妹から2年ぶりにふきのとうが

送られて来たので、進の車で信州旅行。義妹の案内でふきのとう

の採取場所を見て、俊介が「君みたいな景色だ」と言ったのを思い

出す(7章)。

 

夏の緑と、冬の雪の白がまざった状態。それは、俊介に対する郁子

の接し方でもあった。仲が悪いわけではないが、心の底では俊介を

憎んでる。風邪を悪化させた息子を見て、すぐ病院に連れて行こう

としたのに、俊介はまだ大丈夫だと言ったから。あなたのせいで息子

の草(そう)は死んでしまったのよ。

 

しかし、前のセンター試験記事で書いたように、過去の写真を見ると

実は自分と夫は思ったより仲良く暮らしてたようだ。自分の心象風景

が暗すぎた事に気づかせてくれたのが、夫の同窓生が乗せてくれた

自転車。それは、お盆にキュウリの馬でやって来る仏様みたいな、

懐かしくて大切な訪れだった。

 

さらに、亡き息子・草と進が似てるというのも、自分の思い込みに

過ぎないことに気づく。私は自分だけの内省的世界に浸り続けて

来たようだ。真実と向き合おう。そして前に「進」み出そう。。(10章)

 

 

      ☆        ☆        ☆

長編の最後、第11章については、あえて書かないことにする。

麻津子も江子も、それぞれの道で新たな一歩を踏み出すのだ。

 

なお、前の記事の終盤に、私は一言こう書き添えてた。

 

 「キュウリという細長い野菜には、男性的な意味合いもあるが、

  ここではもう触れないことにしよう」。

 

これが単なる考え過ぎでないことは、長編を読み始めてすぐに推測

できたし、後半を読む内に確信できた。60代前半の女性3人は、性

の露骨な話でキャーキャー楽しくはしゃいでるのだ。まるで女子高生

みたいなノリで。

 

おまけに、最終章のタイトルだけ、「穴子と鰻」の組合せ。鰻とは、

麻津子の彼氏である旬が、男性的なスタミナをつけるために用意

した食材。それと穴子が組み合わされて、最後のエピソード(省略)

を考えると、「女と男」というセクシャルな意味があるのは明らかだ。

もちろん、それだけとは言わないが、無視できない遊び心でもある。

 

その直前、10章の始めに、郁子はキュウリをかじる。キュウリ=夫

=夫の友人の自転車、とつながって、最後に郁子は、鰻を買う。その

鰻が最終章で文字通りの「男性性」の象徴になってるのだ。江子なら

「キャハハハ」と笑う所だろう。

 

 

      ☆        ☆        ☆

ベテラン女性作家が性とか恋愛を描くと、例えばこのような語り口

になるのか。あらためて男女の違いに驚きつつ、この簡単なレビュー

を終わりとしよう。

 

なお、井上荒野は直木賞受賞作家だが、今年の芥川賞を獲得した

若竹千佐子(63歳)は、受賞作『おらおらでひとりいぐも』について、

青春小説とは対極の玄冬小説だと語ってるらしい。それなら井上

の『キャベツ炒めに捧ぐ』は、玄冬青春小説とでも言うべきかも。

 

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

                (計 4170字)

       (追記 55字 ; 合計 4225字)

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