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エリアス『時間について』と、子どもの頃の(もう一人の)自分~『高嶺の花』第9話

まさか「もう一人の自分」という言葉=概念をここまで引っ張るとは

思わなかった。

 

亀梨和也のドラマ『神の雫』的には「アルタ・エゴ」。竹野内豊の

ドラマ『流れ星』的には、「ドッペルゲンガー」(分身)。人間にとって

自分とは、一つに統一された固定的存在ではない。心理的にも、

身体的にも。

 

 

     ☆       ☆       ☆

日テレ『高嶺の花』の場合、当サイトでは第2話で注目。記事には

かなりのアクセスを頂いてる。

 

 後ろ生けと鏡に映るもう一人の自分、力学の意味~第2話

 

私は上の記事で次のように書いたし、今も考えは基本的に変わって

ない。

 

 後ろ生けとは、向こう側にいるもう一人の自分を想像しながら

 自分をコントロールすること。その意味では、別に本物の鏡に

 映った自分でなくても、代わりになる存在でもいいはず。

 

そもそも、“もう一人の自分とは子どもの頃の自分だから、大人に

なると消えて回復不能”というような説明だけだと、どうして今まで

消えなかったのか、なぜ最近消えたのか、理由が分からない。

 

 

     ☆       ☆       ☆

少し言い方を変えると、ポイントは、セルフ・コントロールと「他者」

の関係性だ。他者とは、本当の他人でもいいし、もう一人の自分

でもいい。第9話まで見ると、より具体的な限定が分かって来る。

 

「もう一人の自分」にも色々ある中、ある特定の「もう一人の自分」

が、もも(石原さとみ)と家元・市松(小日向文世)を支えて来たのだ。

 

それこそ、母子未分・・じゃなくて父子未分、父と娘が一体化して

充実感に満たされてた過去の自分の姿。第2話で使った画像を

再び引用させて頂こう。非営利の個人ブログのレビューにおける

限定的引用なので、著作権の問題は生じないと考える。肖像権

には別に配慮、顔や人物を判別しにくくしてある。

 

180720b

 

 

    ☆       ☆       ☆

この瞬間かどうかはさておき、おそらくこの頃まで、市松は妻の

浮気=裏切りを知らなかった。

 

だから、当時の市松にとって、「子どもの頃のもも」は「もう一人の

自分」、つまり「未来の自分(の後継ぎ)」。だからこそ、自分の知識

や技、心構えを真剣に伝えようとしてる。ところが実は自分の子では

ないと知ったから、もう一人の自分が壊れ始め、手も震え出した。

 

一方、現在のももにとって、「子どもの頃の自分」は父の愛に

満たされた「幸福な過去」であり、「華道家である自分の原点」。

ところが、どうも最近の父には、過去のような愛があまり感じられ

ない。だから、父に愛されてた「子どもの頃の自分」は上手く思い

出せなくなってしまった。

 

というわけで、ももが言う「子どもの頃の自分」は、本人にとっても

父にとっても、特別な「もう一人の自分」なのだ。そこでは、現在・

過去・未来が溶け合う微妙な時間のあり方が成立してる。

 

そうした話は文芸作品ではお馴染みで、例えば今日(18年9月

7日)の朝日新聞・朝刊では、伊藤理佐の面白「オトナになった

女子たちへ」でも中心テーマになってる。現在の私が、「未来の

三姉妹に、過去の三姉妹を見た」エピソードで、別にお堅い話

でもなくて、おにぎりをめぐる面白話だった。

 

 

     ☆       ☆       ☆

180907a

 

そう考えると、直人(峯田和伸)が千秋(香里奈)のハニートラップ

に引っかかる形で公園デートしてた時、手に取った本の意味も

分かるのだ。

 

いけばな、心理学、哲学(ソクラテスやプラトンは倫理的な元祖)と

並ぶ本の一番上に置かれて、直人が読み始めたのは、ノルベルト・

エリアス『時間について』(法政大学出版局)。哲学・物理学と関連

付けた、社会学の本だ。

 

180907b

 

数ある時間論の中で別にメジャーではないけど、ハンナ・アレント

に注目してた千秋なら改めて、面白い自転車屋さんだなと思った

だろう。ちなみにアレントについては、第7話レビューを参照。

 

 ハンナ・アレント『責任と判断』とゲイン・ロス効果~第7話

 

 

    ☆       ☆       ☆

この本を準備したのが、脚本家・野島伸司なのか美術スタッフ

なのかはともかく、物語の流れに上手く合ってる。つまり、直人が

もう一人の自分とは子どもの頃の自分だと見抜いた後だし、千秋

もこのベンチで、自分が子どもの頃の苦しさを告白してたのだ。

 

どちらも、過去の重さや、自己の分裂・二重性・多重性を強調する

もので、心理学・精神医学的にはフロイト、ユング辺りまで遡れる。

その後の100年で、様々な学者・臨床家が「Inner Child」

(インナーチャイルド=内なる自分)と総称できるものの重要性に

ついて語って来た。

 

180907c

 

エリアスの本は手元にないし、ネット上にもなかなか見当たらない。

珍しいことに、英語やドイツ語の原書の一部でさえ出て来ないのだ。

上はドイツ語原書、『Über die Zeit』(1988)。下は英語の

『TIME: AN ESSAY』(1992)で、単なる翻訳ではないらしい。

 

180907d

 

 

     ☆       ☆       ☆

とにかく、原文が手に入らなかったから、ドイツ語版ウィキペディア

関連する英語論文、日本語研究ノートを参考にしてみた。

 

物理学や科学の世界では、「時間」を4番目の次元として、四次元

の世界を考えることが多いけど、エリアスはその4番目を物理的

時間として、さらに5番目に「社会的時間」というものも想定。それら

の密接不可分な関係を歴史的に検証する。

 

時間という名詞で考えると、まるで時間が物のようだけど、実際は

さまざまな物事の変化の尺度、あるいは関係性。特に、暦と時計

が重要な役割を果たすから、人間社会にとっての時間を考える時、

暦や時計などのあり方が重要になる。

 

その辺りを具体的に研究してるけど、理論的な完成度はそれほど

でもないらしい。だから英訳のタイトルは『時間: 一つのエッセイ』

と控えめに書かれてた。

 

 

     ☆       ☆       ☆   

考えてみると、最近の日本なら、「平成」から次の元号への変化が

注目されて、西暦とは微妙に異なる時代の議論が増えてる。また、

元号の変化は、天皇という象徴としての人間の変化であって、

物理的な時間のように連続的に起きるわけではなく、不連続的だ。

 

ドラマに戻ると、ももが子どもから大人になるのも、連続的で物理的

な時間の進行と少し違ってる。少し前までは、まだ子どもの部分が

大きかったのに、結婚破談の頃から急激に、子どもでなくなって来た

わけだ。市松についても同様。

 

だからと言って、ももの子どもの部分が全く消えて無くなるわけでは

ないし、市松にとっても、昔の「血を分けた後継ぎの娘・もも」が完全

に消滅するわけではない。

 

それは、平成になっても以前の元号(特に昭和)が反復・想起・

継続されるのと似たようなものだろう。

 

石原さとみも活躍した映画『シン・ゴジラ』は昭和(戦後)の作品が

原点だし、日テレ・24時間テレビも昭和から人気を維持。政治的

にも、戦前と今を重ねるにせよ、戦後の反対運動を現在の運動と

重ねるにせよ、平成と昭和、20世紀と21世紀が溶け合ってるのだ。

 

 

      ☆       ☆       ☆

最後に、実は時間は、このブログの原点(13年前)と現在をつなぐ

ポイントでもある。

 

もともとランニングと自転車をメインにしてたブログが理屈を書き

始めたのは、亀梨&山下智久のドラマ『野ブタ。をプロデュース』

が大きなキッカケだった。

 

あの頃、イジメっ子のバンドー役で熱演してた女優・水田芙美子

が以前、ここと同じココログ(ニフティのブログ)で興味深い文章

を書いてた。例えば、

 

 「疑問に思うこと・・・・・・未来は変えられるというより 過去も

  現在も未来も本当はなんの変化もない一つの時間で・・・

 

と書いてたから、私は珍しくコメントを書いた。

 

 「本当はなんの変化もない 一つの時間・・・」、面白いこと

 考えてますね。

 

 普通の考えでは、時間というのは世界の様々な変化に対する

 共通の物差しです。世界のあらゆるものが、それぞれの仕方で

 変化しているわけですが、そこには一定の法則があります。

 例えば「1日は24時間」というのは、地球が一回自転する間に、

 時計の短針が24目盛り動く(2回転する)ってこと。・・・・・・

 

 だけど、「過去も現在も未来も 本当はなんの変化もない 一つの

 時間」という考えも昔からあります。もちろん、この場合は「変化が

 ない」のだから、時間というものの意味がズレてきます。

 

 例えば、世界の歴史をすべて書いた絵巻物(映画フィルムや

 マンガのイメージでも可)があるとしましょう。そこに描かれている

 世界の変化らしきものは、既にそこに全部描かれてしまっている

 のだから、「本当はなんの変化もない 一つの時間」と言うことは

 可能です。

 

 でも、それをある人が歴史の順番に従って見て行けば、世界の

 変化らしきものを感じるでしょう。・・・・・・

 

 

全文は、当時の記事に転載してある。現役の芸能人である彼女

がまるで今のSNSみたいに、一言応答してくれたのもいい思い出。

 

 

     ☆       ☆       ☆

今この記事を書きながら、私の中では現在と13年前が重なってた。

「それはあくまで現在、昔を思い出してるだけ」というような普通の

考えには、色んな形で応答、再反論可能。

 

最大の論点は、「現在って何?」ということだ。一瞬(=点時刻)なら

存在も認識もできないし(?)、幅があるのなら未来と過去と一体化

してしまう。幅の端がどうなってるのかも不明。

 

そもそも、「現在、私が見てる世界」は、実はほぼほぼ過去だらけ

なのだ。例えば1m離れた物の姿は、光の伝達速度と時間を

考えると、3億分の1秒前のものだから。さらに、距離と時間が

不可分な相対性理論まで考慮すると、ますます難解。

 

長くなって来たから、続きはまた、未来の私が書くことにしよう♪

ももとなな(芳根京子)、龍一(千葉雄大)と兵馬(大貫勇輔)が、

別の意味で「もう一人の自分」同士になってることも省略。

 

 

     ☆       ☆       ☆

なお、自転車日本一周中の才能ある引きこもり、宗太(舘秀々輝)

は、直人にとっての「もう一人の自分」(子どもの頃の自分)で、

最後にはファンタジー(幻想)として消えるかも。実際、一昨年の

福山雅治主演『ラブソング』では、説明抜きで幻想を挿入してた。

 

現実と幻想も、コインの表裏のように一体化したもの。おまけに

表と裏が反転したり、表から裏が透けて見えたりするのだ。

それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 傷つけられた時に哀しむ人は、愛の人、いい女です

     ~『高嶺の花』第1話

  後ろ生けと鏡に映るもう一人の自分、力学の意味~第2話

  「犯罪者は外見で判断できる」、ロンブローゾ~第5話

  生け花の形と様式、天・山・海・心と流れ菱(神宮流)~第6話

  アレント『責任と判断』と、心理学のゲイン・ロス効果~第7話

  黄色い高嶺の花は、純潔な太陽の光~最終回

 

             (計 4221字)

    (追記 20字 ; 合計 4241字)

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