テレビドラマと原作マンガ、原作小説との比較は度々行って来た
けど、いつもながら似て非なるものだと思う。ドラマと脚本の違い
よりも、遥かに差が大きい。
もちろん、ドラマの物語の大きな流れやキャラクター・舞台設定は
かなり原作に似てるし、逆に小さな要素(台詞、小道具、個別の
エピソードなど)も色々と一致してる。
ただ、ドラマには別の要素やキャラが入ってるし、元々あった要素
でもつなぎ方が大幅に違って来る。そしてもちろん、ドラマの場合は
俳優というリアルな人間の存在が大きいし、音楽をまじえた連続的
映像なのだ。
そもそも私も、主演が可愛い有村架純じゃなかったら見てないと
思う♪ レズ&バイセクシャルの吉田羊、優等生美少女の小野
莉奈の制服姿だけだと、ちょっと物足りない。
女教師と男子中学生の恋愛というテーマも、あり得ないどころか、
逆にそれほど強いインパクトは受けなかった。発覚や報道が極端に
少ないだけだろうと想像する。今年8月に北海道で話題になった
けど、マスメディアの扱いは奇妙なほど小さい。これが男性教師と
女子中学生だと、もっと大きく報道されるはずだ。。
☆ ☆ ☆
さて、予想外というか、予想以上の低視聴率が話題のTBSドラマ、
『中学聖日記』。初回からいきなり6.0%(ビデオリサーチ調べ、
関東地区)という数字で心配したけど、第2話では6.5%と微増。
何とか踏ん張った形になった。
原作となってる、かわかみじゅんこの少女マンガ第1巻(祥伝社)
が、10月24日まで無料配信されてたので(ebook)、今週末
が最後の機会だと思って試し読み。第2巻の最初の18ページ
(無料部分)もついでに拝読。
色んな意味で面白かったから、記事にまとめとこう。ドラマの今後
の展開に関わるネタバレは少ないと思うけど、先に自分で試し
読みしたい方は今すぐebookをご覧あれ。25日からは税別
600円、ちょっと高めの価格設定かも。。
☆ ☆ ☆
ストーリー的には、原作の第1巻&第2巻冒頭と、ドラマの2話
までがほぼ対応。
聖先生(有村)の自宅前で、男子中学生・晶(岡田健史)と婚約者・
勝太郎(町田啓太)が鉢合わせもどきになるまで。ただ、マンガ
200ページと映像90分の比較だから当然、ドラマの方が情報量
が多い。それに合わせて、登場人物も増えるのが普通。
今現在、原作にはないのにドラマに入ってる話は沢山ある。火事、
運動会(体育祭)、聖と先輩・千鶴(友近)のつながり、勝太郎の
女上司・律(吉田)&若きレズパートナー(中山咲月)、るな(小野)
と晶の花火大会デート、両家の顔合わせ、盗撮など。
あと、晶の母親・愛子(夏川結衣)が聖と親しげに話すシーンは、
原作にはない。原作だと、母は最初から厳しい表情で、なぜか
息子と聖先生との関係もすぐに気づいた感じだ。ケータイを買う
約束をいきなりキャンセルしてた。
☆ ☆ ☆
原作はあくまで少女マンガ、女性マンガで、基本的に若い女子
が読むものだから、表紙はキレイで可愛い男子中学生の絵に
なってた。第1巻から第4巻まで全て。キャラ的にも、まだまだ
子供のあどけなさが溢れてる。
ドラマの場合、晶を演じる岡田が19歳の新人で、キリッとした
顔立ちだから、中学生らしく見えないという感想や批判はその
通り。同じTBSで1999年にヒットした松嶋菜々子『魔女の条件』
だと、相手役の滝沢秀明が演じたのは17歳の高校生だった
けど、むしろ滝沢の方が可愛く見えるほど。顔、声、話し方とか。
ただ、プロデューサーその他、制作サイドは、わざと中学生に
見えない岡田を選んだのかも。というのも、20年前と違って今は
犯罪に厳しい時代だし、特に幼い少年少女の性に関しては極度
に厳しい社会になってる。昔は無かったSNSも普及してるから、
すぐに炎上っぽい騒ぎになってしまう。
逆に、許容度が一気に上がってるのが性的少数者とか同性愛。
特に女性同士のレズは、全くマイナーだってものがメジャーに
なって来た。そう考えると、ドラマで新たに導入したのも頷ける。
もちろん、タレント事務所やCMスポンサーその他、大人の事情
は絡むとしても♪
☆ ☆ ☆
同じ理由で、ヒロイン・聖の描き方も決定的に違ってる。ドラマだと、
晶とは距離を取ってるし、逆に勝太郎との関係が深い。
ところが原作マンガだと、聖は最初から晶に魅かれてるのだ。
無意識的な好意の描写が、第1巻p.32(そのに・第2話)で
早くも登場。
勝太郎からのラブラブのメールを読んで、すぐ返信しなきゃと思い
つつ、聖は居眠りし始める。その時、聖の心の中に、晶の顔が
浮かんでしまうのだ。
「・・・え 何で黒岩くんの顔が・・・」と聖が思った途端、遠くの自宅
のベッドで横になった晶がピクッと動く。シンクロニシティ(同時性)
というものか。大人の男子としては、勝太郎が可哀想・・と同情
してしまうのであった♪
☆ ☆ ☆
続いてp.50-51(そのさん・第3話)。国語の授業中に晶と
目が合った聖は、軽くどもった後、顔を赤らめてクルッと後ろ
(黒板側)を向く。「やだ 何してんの 私」。
その日の夜、帰り道で流れ星を見た聖はつぶやく。
「校務員さんもいん石に当たって亡くなったのよね ・・・
私も道歩いてて降ってきたいん石に当たって
死んじゃったりして」
原作の場合、この事故死は事実とされたままだし、今年は無数
のいん石が降って来てみんな死ぬというウワサと同時に、聖が
着任する。
いん石との衝突は、単なる禁断の愛の比喩じゃなくて、本当に
誰か死んでしまうのかも。メインの2人は少なくともしばらく大丈夫
だろうから、先にるなが自殺するとか。
ドラマの最後は、聖だけ死ぬような描き方で終わるのが無難かも。
あるいは死にかけて何とか生き延びるとか。マンガと違って不特定
多数の大人が見るテレビドラマの場合、禁断の愛の責任を大人だけ
に背負わせる方が自然。うっかりハッピーエンドにしてしまったら、
子育て女性のツイッターで大炎上かも♪
☆ ☆ ☆
ドラマでは分からなかったことが、原作を読んで初めて分かったと
いうこともある。
例えば、晶が聖を平手打ちしたシーン。ドラマだと思春期&反抗期
の男子中学生の暴力に見えたけど、原作だとカワイイお遊びに
見えるのだ。小さい1コマで、「ペち」と叩いてるだけ。おまけに
晶は自分でキョトンと驚いてて、全く怖さや迫力がない。
叩いた状況も、ドラマだと聖が過剰に晶の面倒をみようとしてた
けど、原作だとあの聖のセリフはない(後のシーンで登場)。
直前にるなから、聖のことが好きなんじゃないかと嫌味を言われた
後、動揺した状況で聖に「キレイな顔してるわね」と言われたから、
反射的に行動で無理やり否定しただけなのだ。
違う、オレは聖ちゃんのことなんて好きじゃない!。
適当に軽口で応答するか、むしろ自分を叩くべきなのに、目の前の
他人を叩いてしまう辺りが中学生だろう。まあ、同レベルの大人も
たまに事件になってるけど。
るなが晶にバッグをぶつけたのは、直前の告白を無かったことに
するため。雨の車内で晶が言った気がする「手遅れ」という台詞
は、未熟な女教師が男子中学生に不用意に接近してしまった
ことに対しての言葉。そういった点も原作はハッキリ示してた。
☆ ☆ ☆
最後に、ドラマならではの優れた点で、まだ(ほとんど)指摘されて
ないもの。それは映画的な情景描写だ。
2回見て、テレビドラマというより映画に近いなと思ったら、演出の
塚原あゆ子は公開中の有村の映画『コーヒーが冷めないうちに』
の監督だった。ドラマが本業みたいだけど、たまたま今は映画的
な表現にこだわってるのかも。
広角レンズによる(?)歪んだ映像の意図的な多用もそうだろう
けど、台詞なしで1分10秒もつないだ第2話の鉢巻シーンは
テレビだと珍しい。繊細なピアノのBGMと、晶がこぐ自転車
を交えながら、聖と鉢巻、夕陽を映し続けるのだ。
自転車の車種はおそらくGIOS(ジオス)のLIEBE(リーベ)。
恋愛、愛するという意味のドイツ語が名前。

るなが体育祭のピンクの鉢巻をおねだりした時、晶がどうしたのか
すぐには映さない。しばらく後、晶の暴走をたしなめた聖が車に
乗ろうとすると、ドアミラーに結んだ鉢巻が風に揺れてる。名前は
数秒間見えないけど、最後はしっかり撮影。「3-1 黒岩」。
狙いすました光の反射の使い方も上手い。
シーンの直前には、聖が晶の母親に、鉢巻を「好きな人に渡す」
のが流行ってると話してた。ここで、「好きな人にもらう」とは言って
ない辺り、脚本・金子ありさの巧みな技なのだ。ポイントは、るな
が晶に「もらう」ことじゃなく、晶が聖に「渡す」ことだから。たった
一つの、自分の思いを。。

☆ ☆ ☆
というわけで、ここまではドラマもマンガも真面目に見て来たけど、
今後も見続けるかどうか、ちょっとビミョーな部分はある。まあ、
個人的に昔から判官びいきではあるから、ドラマが叩かれれば
叩かれるほど応援したくなるかも♪
でも、もうちょっと有村架純の漢詩かサービスショットが欲しいかな
・・とか期待しつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡
cf. 春夜喜雨(杜甫)&「恋愛は幸福を殺す」
(哲学者ウナムーノ)~『中学聖日記』第1話
(計 3721字)
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