うつ発病から1年、回復に向かう将棋のプロ棋士~先崎学『うつ病九段』
たまたま今日、2018年10月17日、昨年春から大注目の将棋界の天才児・藤井聡太七段が新人王のタイトルを獲得した。
まだ16歳、あどけない顔つきの高校1年生で、プロ棋士というより将棋大好き少年といったイメージの方がピッタリ来る。羽生竜王以来かそれ以上、数十年に一人の逸材と言われるほど。
スマホ使用疑惑事件で大揺れだった将棋界と日本将棋連盟は、彼の活躍をはじめとして、ネットの動画配信、SNS、映画、漫画などのおかげで、倍返しの人気を獲得。一部の女流棋士たちは、ちょっとしたアイドル的扱いにもなってる。
こうしたV字型の盛り上がりの中で、まるで逆行するかのように、うつ病の谷底に沈んでいた将棋指しが1人いた。先崎学・九段、現在48歳。羽生世代の有名棋士で、今回の著書でも同期の大棋士を「羽生」と呼び捨てにしてるのが目立つ(同学年)。
スマホ騒動の火消しにも尽力したらしい先崎が、将棋界から2年ほど遅れてV字回復を目指す姿を描いたのが、『うつ病九段』(文藝春秋)だ。副題は、「プロ棋士が将棋を失くした1年間」。すぐ読み終えた友人から頂いたので、さっそく拝読。簡単に感想その他をまとめてみよう。
ちなみに私も田舎の少年時代は微かにプロを夢見たことがあるし、このブログには精神医学関連の記事も多い。個人的にも身近な話だった。
下は奥様の囲碁棋士、穂坂繭・三段のツイッターより。『週刊現代』の「泣けるインタビュー」と、2人で1年前から経営する囲碁将棋スペース「棋樂」もPR。
☆ ☆ ☆
この本を知ったのは、先月の朝日新聞の書評欄(9月29日朝刊)。「売れてる本」(7月刊行で28000部)として、タレント精神科医・香山リカが好意的にレビューしてたのを読んでたのだ。題して、「発病から詳述した“心の良書”」。
このレビュー・タイトルには、香山自身の考えも少し反映されてると思う。反論というほどではないけど、著者・先崎とは微妙にズレた見解で、わりと普通のものだ。
本文後半で香山はこう語る。「著者は何度も繰り返す。『うつ病は脳の病気』」。その後で香山は、心やそのふれ合いも大切だと強調。おまけにタイトルに「心の良書」と書いてるわけだ。「脳の良書」ではなく♪
上は先崎が精神神経科に1ヶ月間(17年7月末~8月末)入院した、慶応大学病院。「綺麗という一言・・・看護師さんたちも綺麗」で、先崎が「顔で面接をしてるんですか?」とたずねたら、「そうなんですよ、分かります?」と即答されたそうだ(笑)。
美女は金と力のある場所に集中する。古今東西、変わらぬ真理♪
☆ ☆ ☆
話を戻そう。先崎は心の揺れ動きや微妙なひだをわかりやすい言葉で記録してるが、脳の具体的な話や写真・図解はないし、薬の名前も作用メカニズムの話もない。脳の病気を引き起こしたのは心のストレスでは?、といった本質的な問いかけもない。
にも関わらず、彼が「脳の病気」だと繰り返すのは、基本的に兄の精神科医(先崎章、埼玉県総合リハビリテーションセンターか)の影響だし、現代精神医学の主流(の強調)とも言える。
先崎の数ヶ月前に同じ文藝春秋社から出た、歴史学者・與那覇潤の『知性は死なない 平成の鬱をこえて』も、その路線で学術的に論じた著作。
薬と休養(休職、入院)で脳の機能を回復させれば治る、あるいは実生活が可能な程度に緩和されるというのが、「うつ病(大うつ病性障害)」の標準的考えだ。正確には、軽症は別として、中等症・重症のうつ病に対するもの(日本うつ病学会・治療ガイドライン)。
脳内物質セロトニンを、SSRI(選択的セロトニン再取込阻害薬)で実質的に増やせばいい、とか。商品名なら、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフトなど。もともと自分の脳にあった物質を、薬の助けで有効活用する。改良版のSNRIなら、トレドミンとか。
☆ ☆ ☆
ただ、医学以外の社会的現実もあるようだ。それほど具体的には強調してないものの、心の病、精神の病に対する偏見のようなものを感じてるらしい。こちらには薬物療法は効かない。
ここ20年ほど、有名人が続々と告白する時代になってるが、まだ近寄りがたい雰囲気は残ってるし、閉鎖病棟や拘束に限らず、治療の現実の問題も報道されてる。ヨーロッパの先進的で共生的な動きに対する、日本の現場の遅れも指摘される。
先崎は本の末尾近くでこう語る。もちろん、かなりの実績とプライドを持つ自分自身に跳ね返ることも承知の上で。
「医者や兄は、今は理解がある世の中だし、精神病なんてものは昔のことばであるという。だが、実際はそんなに単純なものではあるまい。 ・・・偏見がある・・・。他者に優越感を持つことによって快感を得る人間が多いことを知っている」。
☆ ☆ ☆
「精神病」という言葉は伝統的に、重くて治りにくい病(分裂病=統合失調症など)を意味して来た。
だから医学の世界ではここ数十年、その言葉を避け、「精神疾患」、「精神障害」といった言葉に置き換えてる。やわらかい表現なら、「心の病」。
しかし、まだ一般社会では、この使い分けが理解されてない。
「うつ病 → 精神病 → 治らない・リスクが高い・遺伝する」
といったネガティブ思考で、うつ病を必要以上に恐れる傾向は残ってる。だから、うつ病患者を何となく遠ざけることにもなる。
より正しくは、
「うつ病 → 精神疾患 → かなりの場合、治療と周囲のサポートで実生活可能」
と言うべきだろう。
もちろん、寛解(症状の緩和・軽減)の後、再発のリスクはあるし、退院後の通院・服薬も含め、完治までの道のりは大変だろうが。
先崎の兄が、「必ず治ります」、「必ず安定します」と短い断定を繰返すのは、身近な家族だからこその愛情、思いやりであって、プラセボ(偽薬)的な心の効果はあったらしい。
ちなみに「躁うつ病(双極性障害)」は、「うつ病」と微妙に異なる別の病とされ、もう少し困難なので、一応分けて考えるべきだ。
☆ ☆ ☆
とにかく、回復期(たぶん末期)に入った先崎は、兄の勧めで、1月半ばから3月末にかけて本書を執筆。春から、将棋連盟などの仕事と、上の写真の「気樂」で頑張ってるらしい。これも奥様のツイッターより。東京都杉並区、西荻窪駅から徒歩1分。
将棋の公式戦の最初は、6月半ばの順位戦(B級2組)だろう。さすがに初戦も含めて苦戦中、現在までの成績は3勝6敗となってるけど、それよりまず、心と身体をしっかり立て直して欲しい。
家庭にも、棋士仲間(特に後輩たち)にも恵まれてるようだから、気樂のベランダから見える景色のように、青空が広がることを期待しよう。ひょっとすると、著書の続編もあるかも。闘病中に親身になってくれた弟弟子、中村太地王座との共著『この名局を見よ! 20世紀編』(マイナビ出版)は7月末出版。気樂HPより。
☆ ☆ ☆
それにしても、凄いのは藤井聡太七段&新人王。正直な先崎は、「ふざけんな、ふざけんな、みんないい思いしやがって」と、本の帯みたいに悔しがってるかも♪
2014年の厚労省・患者調査によると、うつ病関連(躁うつ病込み)の総患者数は110万人。医療機関に行かない人も含めると、実態はもっと多いはず。健全な嫉妬や焦りも、うつから抜け出すパワーやエネルギーに出来るだろうと祈りつつ、そろそろこの辺で。。☆彡
P.S. 2020年12月20日、NHK・BSプレミアムでのドラマ化が決定。主人公の俳優は安田顕。
cf. うつ病の診断基準と抗うつ薬~NHK『ためしてガッテン』
大胆かつ繊細な試論~香山リカ『雅子さまと「新型うつ」』
携帯連絡が返って来ない時の認知療法スキル(技)~朝日新聞「100万人のうつ」
(計 3074字)
(追記48字 ; 合計3122字)
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