上林暁『花の精』全文と、ノヴァーリスのメルヘン「ヒヤシンスと花薔薇」(in『ザイスの学徒たち』)
小説、映画その他、物語的な作品には、「劇中劇」という構成が
ある。その劇全体の中に、別の劇が入れ子状に組み込まれた形
のことで、去年大ヒットした映画『カメラを止めるな!』もそのタイプ
らしい。私はまだ見てないが、様々なレビューや感想から明らかだ。
劇中劇というより、「作品の中に作品がある」という方が一般的な
説明だから、「作中作」という言葉も一応あるけど、ほとんど見聞き
することはない。英語だと、「劇中劇」が「play within a play」、
「作中作」が「story within a story」となる。
今回、あらためてレビューする上林暁(かんばやし・あかつき)の
短編私小説『花の精』も、文学性の高い劇中劇、作中作の形に
なってる。
ただ、その複雑な構成は、今年のセンター試験の問題文だけだと
全く分からない。本文全体と、別の200年前の古典を読むことで、
初めて小説の文学性が十分に理解できたのだ。
ちなみに1ヶ月前にアップしたセンター記事は、既にかなりアクセス
を頂いてる。原文を手に入れにくいことに加えて、一見地味な日記風
の断片に、深い味わいと奥行き、拡がりを感じた人が多いのだろう。
妻と再会できた夜、月見草の花畑
~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)
☆ ☆ ☆
まず、前の記事の主張を短くまとめとこう。
小説内で作者が探しに行く月見草とは、単なる草花ではなく、
最愛の妻のこと。庭師に引き抜かれて激怒したのは、月見草
が妻の代わり、象徴だから。
多摩川辺りの美しい花畑に出かけて月見草 を手に入れた
作者は、妻と再会できたのだ。その点は問題文だけでも解釈
できるから、問5の正解は①ではなく、むしろ③がベター。
さらに、問題と別に上林暁について調べると、妻は精神病院に
入院していた。よって「花の精」というタイトルは、「妻の精神」
をも暗示している。
☆ ☆ ☆
上の私の主張は、本文全体を読んで確認したいと書き添えて
おいた。実はセンター後すぐ全文を読んで、読解の正しさを確認
していたが、今日まで新たな記事の追加が遅れてしまった。
理由の一つは、作品が予想以上の奥行きを持っていたから。
まさか200年前のドイツ幻想文学と深く明確に関係しているとは
思わなかった。そこに自然哲学・詩的思想も含まれていたのだ。
上林暁の『花の精』の中で、センター試験や妻との関係を考える
上で重要な箇所を引用してみる。出典は『上林暁全集三』(筑摩
書房)。初出は前の記事の推測通り、『知性』昭和15年9月号。
その後すぐ、第四創作集『野』に再録(昭和15年10月刊)。
画像は筑摩HPより。
「私は今、妹に三人の子供の世話をさせながら、淋しい
生活を送っている。妻はいないのである。・・・「錠と鉄格子
のある病院」・・・に、私の妻はもう半年近くも寝起きして
いるのである。
・・・こう書いて来れば、なぜ私が庭の月見草に心を託して
いたのかが判るであろう。私は自分の悲しい心を紛らそう
と思って、月見草に心を託していたのである。」
(『全集3』p.107-108。字体は現代風に変更。)
なぜ、引き抜かれてしまった月見草にこだわるのか。その理由が
はっきりと序盤で明示されているのだ。全23ページ中の8ページ
目から9ページ目。
☆ ☆ ☆
一方、センター試験の問題文は、15ページ目から22ページ目
だから、小説の後半部分。しかも、最後を省略してある。実はその
最後に、劇中劇、作中作の形が締めくくられているのだ。末尾の
段落を引用しておこう。
「それにしても、私が月見草の精を求めて、多摩川べりの
鄙(ひな)びた是政まで出かけたのは、もとの月見草が
失われた日読んだ、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」
の影響ではないかと、ふと疑ってみるけれど、それが
真実であるかどうか、自分にもよく判らない。」
ノヴァリス(Novalis、ノヴァーリス、ノバーリス)は、
ドイツの詩人、小説家(1772-1801)。自然や宇宙全体を統一的
にとらえて、自分・自我との一致を主張する世界観の持ち主。
下の画像は英語版ウィキペディアより。
その彼の代表作の影響は、上林のリアルな生活内での「真実」か
どうかはさておき、作品的にはほぼ真実として扱われている。作品
の最後を締めくくっているし、作品の最初(3ページ目)でも触れて
いたからだ。
ということは、小説全体の中に含まれつつ、小説全体と並行
(パラレル)な位置づけにもなっている。最初の部分を引用して
みよう。庭師に月見草を引き抜かれて、内心では激怒しながら、
口にはできない状況。
「私は縁側の硝子戸を手荒く閉め、また寝ころがって、
さきから読みかけの、ノヴァリスの「ヒヤシンスと花薔薇」
(原名「ザイスの学徒」)という小さな読本を取り上げた。」
☆ ☆ ☆
この小さな読本というものは、ネットで検索しても出て来ない。
ただ、「ヒヤシンスと花薔薇」などと訳される短い挿話を含んだ
小説『ザイスの学徒たち』なら、日本語訳もドイツ語原文も
英訳も公開されている。もちろん、著作権は消滅済みだ。
画像はアマゾンより、現行のドイツ語本『Die Lehrlinge
zu Sais』の1つ。ザイスとは、女神と関連する地名。
自然と人間の関係について色々と思い悩む学徒(ノヴァリス
自身か分身とも言える)に対して、仲間が元気づけようと話し
かけるシーン。幻想的童話、メルヘンが7ページほど語られる。
小説『ザイスの学徒たち』は未完だが、メルヘン部分は完結
しており、評価されているようだ。
国立国会図書館デジタルコレクションから冒頭あたりを引用
する。作者の表記はノヴーリスで、『青い花 ザイスの学徒』。
小牧健夫訳、青木書店。
「・・・僕は君に童話を一つ話そう。聞きたまえ。
ずっと昔の事だが、はるか西の国に一人の血気盛りの
青年がいた。大そう気立のいい男だったが、またよほど
変り者だった。・・・洞窟や森林が一番好きな居場所で、
そこにいるときはひっきりなしに鳥や獣や、樹や岩と話
をした・・・。」
ヒヤシンスという青年が、ある男に誘われるようにして、花薔薇
という少女と別れ、一人で天の女神などを探しに旅立つ。途中で
様々な自然と触れ合った後、遂に目的地にたどり着くと、意外で
神秘的な結末が待っていたのだ。
以下は上林暁『花の精』で引用された部分(全集3、p.104)。
月見草を引き抜かれている間、そうとは知らずに座敷でノヴァリス
を読んでいるシーンだ。
「 「・・・彼は天つ少女の前に立ち、軽やかな面紗を
とると、花薔薇がその腕に倒れかかってきた。愛する
ものの再会の神秘と、あこがれの発現とを、はるかな
楽の音がとりまき、すべての無関係なものをこの
霊しい地から追い出した。云々。」
そこまで読むと、僅か四頁ばかりだったのでもう一度
読み返し、若々しい亢奮で頬がほてるように感じながら
本を伏せ、どれ、どんな具合になったのかと思いながら、
庭を見に起き出したのであった。」
☆ ☆ ☆
突然、愛する女性=花と別れて、自然の中に旅立った男が手に
入れた女神は、実はというより結果的に、元の愛する女性=花
であった。
このメルヘン、劇中劇が『花の精』全体を表しているのは明らかだ。
上のメルヘンのまとめと、下の『花の精』のまとめを比較してみよう。
突然、妻と別れ、代わりとなる花も引き抜かれた男が、自然の中
に旅立った男が手に入れた花は、結果的に、妻との再会の感情
をもたらすものであった。。
上林は、帰りの駅の待合室でサナトリウムの建物を見かけ、
近づいてじっくり見ながら病院の妻を思い出し、涙があふれそう
になっていた。
誘った男は、『ヒヤシンスと花薔薇』だと「年寄りの魔術師」の男。
『花の精』だと、「友人のO君」。執筆当時38歳くらいの上林が、
美しい青年と自分を重ね合わせているのは、ナルシシズム=
自己愛と共に、軽いユーモアによるものだと想像する。実際の
自分を知る読者たちからのツッコミを誘う、ボケなのだ。
☆ ☆ ☆
なお、2つの作品は、男女の恋愛のみを賛美しているのではない。
どちらも、自分と自然の関わりや自分探しの側面も描いているし、
男同士の友情も感じ取れる。
実際、『ヒヤシンス』の話を語り終えた直後、「学生たちは互に
相擁」している。『花の精』では、センター試験の問題文の後、
彼とO君はおでん屋で一杯酒を飲んで、「月見草をO君と頒け、
手を挙げあって別れた」。
小説だけ読むと、ノヴァーリスよりも上林の方が、愛する女性
=妻への思いが強いようにも思える。ただ、実はノヴァーリス
は若い頃、10歳ほど年下の少女と婚約した後に死別している
らしい(コトバンクの解説より)。
やはり人間の心が本質的に向かうのは、動物、植物、自然、宇宙
とかより、人間ということか。異性愛とまでは限定しないにせよ。
あるいは、ある存在が魅かれるのは、同種で少し差異がある存在
ということか。
そう抽象化すれば、磁石のN極とS極が引きつけ合うのと統一的
にとらえることもできるだろう。話が大き過ぎて飛躍していると
思うのが普通の感覚かも知れないが、ノヴァーリスの思想は遥か
に大掛かりで抽象的、神秘的な統一的世界観のようだ。
フィヒテ他、ドイツ観念論やロマン主義との関係も気になりつつ、
それでは、今日はこの辺で。。☆彡
(計 3770字)
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