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永遠の命への第一歩~出川哲朗『復活の日 もしも死んだ母に会えるなら』(NHK)

相次ぐ「出張」から疲れ果てて帰宅した直後、NHKニュースをちら見しながら晩ご飯を食べてたら、意外で目新しい番組が始まった。『復活の日~もしも死んだ人に会えるなら~』。今回は、8年前に亡くなった出川哲朗の母ちゃんの「復活」。

    

お彼岸の時期と最新デジタル技術を組み合わせた特別番組のようで、個人的にもまさにタイムリーな企画だから、そのまま流し見を続けた。正直、あまり期待はしてないし、それほど真面目にも見てない。もちろん、復活の日など現実にはないし、死んだ人に会えるはずはないから。少なくとも、まだ今の時点では。。

   

   

     ☆       ☆       ☆

今後、シリーズ化するのかどうかは視聴率や反響が決めることかも知れないが、とりあえず初回はリアクション芸人の出川がゲスト。私は、彼が今みたいにメジャーになる前から評価してたこともあって、出演者の人選には納得。

    

抱かれたくない芸能人No.1の外見や声、気持ち悪さ(失礼♪)はともかく、情に厚くて涙もろい人間味あふれるタレントで、元レースクイーンの奥さんとも15年間続いてるらしい。瑠理子さん、華やかな世界にいたのに、若い頃から人を見る目があったようだ。自分のお母さんに、何で出川なの?とか突っ込まれながら♪

   

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流石はNHKで、民放の賑やかな番組作りとは対照的に、暗く静かな弔いの空間を演出。48分間のほとんどが、上の写真のような亡き母とのご対面になってた。この母のCG映像(?)がどうなってるのか、具体的・技術的な説明は無かったし、あちこちのサイトを見ても解説はまだ見当たらない。

   

一応、立体的に見えるけど、アンドロイドではなく、コンピューター処理を使ったデジタル・ホログラフィーの一種か? 残念ながら私は生前の出川のお母さんを全く知らないから、あれがどの程度似てたのか分からない。

  

出川自身も、似てるとかちょっと違うとか、直接的な評価は口にせずに、淡々と話を進めてた。まあ、本当はもっと直接的なリアクションが出てたのを、編集でカットしただけかも。お母さんの声や話し方は、本物の人間とはちょっと違う気もしたけど、デジタル合成の不自然さは少なめだった。

   

いわゆる「不気味の谷」はまだ超えてないし、到達もしてない。もうちょっと似て来ると不気味の極致(=谷)になって、さらに区別がつかなくなると不気味さは消滅するはず。

    

   

      ☆       ☆       ☆

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昔話を中心としたのどかな会話の雰囲気が一転したのは、出川が駆け出しの頃にお母さんが作ってた味噌おにぎりが出て来た時。彼は全く忘れてたようだけど、再現した「実物」のおにぎりが登場。その素朴な味で、一気に思い出が蘇ったようだ。私もここで一気に映像に引き込まれた。

  

視覚や聴覚ほどではないけど、味覚や触覚にも情動を喚起する独特の力がある。私だと、すぐ思いつくのがオムライス、コロッケ、玉子焼き、クリームシチューとか。ただ、自分では思い出せない料理も、色々と身体の中に沁み込んでるはず。お雑煮、すき焼き、水炊き、天ぷら、きんぴら、ソースをかけたカレーライス。微妙に他とは違う味が脳内で記憶されてる。

   

出川がお母さんに言いたかった言葉は、誰でもすぐ思いつくものだろう。「ありがとう」。ただ、それを彼が口にしなかった理由に個人的な思いが入ってた。死ぬ前にありがとうと言ってしまうと、そうゆう状況なのがバレちゃうから。

  

それならもっと前に言えばいいんだけど、恥ずかしかったり照れ臭かったりして、特に男だとなかなか言えない。私が「美味しかった」とか「おはよう」「おやすみ」とか、頑張って口にするようになったのは、10年ほど前からだったか。その前はたまにおやすみというだけだった気がする。おやすみは、その直後に寝るからそれほど恥ずかしくないのだ♪

   

   

     ☆       ☆       ☆

番組は最後まで淡々と2人を映して、お母さんが天国に帰ったところで終了。まだハグ(抱擁)の映像は難しいわけか。

  

ただ、「徹底取材と技術の粋を集め」た企画はまずまずの出来だったと思う。あらかじめ、出川本人でさえ忘れてそうな思い出の数々を、周囲の家族・知人からひそかに集めて、本人にインパクトを与える。出川は「ドッキリ」かと思ったとかコメントしてるけど、アナログな部分の番組作りは同じだろう。

   

問題はデジタルの部分で、2019年時点でこのくらいだと、あと30年くらいで本当に「死んだ人に会える」「復活の日」がやって来るかも。いわゆる「シンギュラリティ」、AIやロボットなどが人間を超える技術的特異点が2045年とか言われてるのは、わりともっともな予想・予言だと思う。

  

いずれにせよ、後は時間の問題と、気持ちの問題だ。残された人間がどの時点で、「死んだ人に会えた」と本気で実感できるようになるのか。私は遅くとも50年後、速ければ20~30年後だと思ってる。

  

もちろん、遺された人間が「死んだ人が復活した」と思うことと、生きてる人間が「死んでも復活できる」と思うこととは別次元の問題。やっぱり、後者の方が時間がかかるとは思う。それでも、200年はかからないかも。。

   

とりあえず今、疲れすぎて死んだ人になるのは避けたいから、寝るとしよう♪ ではまた明日。。☆彡

   

        (計 2253字)

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