買いだめ行為、最善ではないが合理的な選択~ゲーム理論とナッシュ均衡
トイレットペーパーの「買い占め」が話題になったのは、先月(2020年2月)の末からのこと。この時は、デマに扇動されてしまった浅はかで醜い行為として、メディアでもSNSでも強く批判された。
しかし、あれが本当にごく一部の明らかなデマによって引き起こされた現象なのか、因果関係を示す説得的な証明を見たことはない。私自身も、メディア報道があるまでデマとされてる虚偽の情報を知らなかった。ただ、その問題はとりあえずおいとこう。
それより大切でハッキリした事実は、いまだに首都圏(の一部)ではトイレットペーパーが品薄だということ。「不足するというのはデマです。在庫は十分あるので落ち着いてください」とか繰り返し報道された後、私がたまたま店頭で見つけるまで3週間かかった。犯人扱いされたデマなど、すぐに消し去られたにも関わらず。
実は、あの時の報道自体も、根拠が薄くて実害をもたらすデマに少し似たものではなかったのか? むしろ市民としては、デマも報道も相手にせず、明らかに品薄の商品を素早く探し回って手に入れる方が合理的だったのではないか? それを問いかける検証報道は見たことがなかった。
☆ ☆ ☆
そんな状況の中で目に留まったのが、朝日新聞デジタルの記事(3月17日付け)。
「トイレ紙買いだめ 理にかなった行為か ゲーム理論だと...」
ネットでは執筆記者の名前が見当たらないが、紙面だと高重治香と書かれてた。若手の女性記者だろうか。情報や雰囲気に流されない、素朴でいい着眼点だと思う。
おそらく、根本的に疑問があったのだろう。学者へのインタビュー冒頭でこうたずねてた。「店頭にトイレットペーパーがないのを見ると、買える時は多めに買っておきたくなります。よくないことなのでしょうか。」
これに対する、安田洋祐・大阪大准教授の応答も刺激的で挑発的。私もかなり頷いた。
「一消費者としては理にかなっている行動です。他の人も多めに買って店頭の在庫がすぐになくなる状況で、自分だけゆっくり構えていると、買えずに困ってしまうでしょう。そのやむにやまれぬ行為を、『協調性がない』などと道徳的に批判しても、ギスギスするばかりです。
しかし、一人一人が『合理的』にふるまった結果、早朝から列に並ばないと買えなくなるなど、みんなが損をすることになってしまいます。個人にとって望ましい行動と社会としての利益は、必ずしも一致しないのです」
☆ ☆ ☆
ここで登場するのが、経済学や国際関係論・政治学で有名な、「ゲーム理論」と「ナッシュ均衡」。当サイトでも5年前(2015年)、発見者のナッシュが死去した時に記事を書いてる。
ナッシュ均衡とは~囚人のジレンマ(英語原論文)に即して
トイレットペーパーの場合だと、みんなが買いだめする(あるいは、しない)行為を、お互いの行為と損得のゲームと考えるのだ。全員にとって最適なのは、誰も買いだめしないこと。これはこれで、変化しにくい安定的なつり合い、ナッシュ均衡の一つだ。
しかし、一人一人が買いだめしたくなるのは自然な心理だし、一旦みんなが買いだめしてしまうと、一人一人にとってある意味、合理的な行動の代表例は、買うことになってしまう(他の選択肢も可能)。だから、みんなが買うのも、ナッシュ均衡の別のケース。
みんなが買いだめするつり合い状態(ナッシュ均衡)が一旦生じると、誰も買いだめしないつり合い状態(より良い別のナッシュ均衡)に移行するのは容易ではないのだ。理論的には。もちろん実際には、お金や保存スペース・保存期間の制約などから、自然に収束する。大国同士の核兵器のナッシュ均衡とは違うのだ。
朝日の記事には、数字を用いた具体的な例が無かったから、私が解説してみよう。
☆ ☆ ☆
例えば、自分にとっての損得が-1で、他人にとっての損得が-4の状態を、(-1,-4)と表すことにする。自分はちょっと損で、他人は大損という意味だ。もし逆に、自分が-4で他人が-1なら、(-4,-1)と表す。
自分と他人が、買いだめする場合を「買」、買いだめしない場合を「不買」と書いて、両者の損得を場合分けしたのが上の表。全体の理想としては、お互いが「不買」の場合、つまり表の右下の(0,0)が最適だ。
ところが、お互いが「買」の場合、つまり表の左上の(-2,-2)に一旦なってしまうと、お互いそのまま買う方が合理的になる。なぜなら、もし自分が「不買」へと変更して相手が「買」のままだと、自分の損得だけ-2から-4へと悪化するからだ。相手は-2から-1へと改善するから不公平感も加わって、ますます矢印に沿った動きは取れない(だからバツ印)。
安田氏は、みんなが買いだめを止めそうな情報をマスメディアが流すのがポイントだと語ってる。しかし、トイレットペーパーの時には、その戦術はあまり成功してない。
☆ ☆ ☆
私はむしろ、「買いだめでパニックが起きてる」とかいう過剰報道を少し控える方が有益だと考える。
特に、飲料や食品の場合。一部の場所で一瞬発生した単なる買い物行列や品薄を、パニックなどと呼んで、大きく報道・批判し過ぎてるのだ。まるで、自粛のストレス発散のための魔女狩りみたいに。それこそ、インフォデミック(情報による混乱拡散)。
実際、首都圏に住む私の周囲に多数の店舗があるが、小池百合子・都知事の会見の後に行列など見てない。スーパーやコンビニ、ドラッグストアの棚にも、ちょっと空きがある程度で、質的にも量的にも十分な商品が並んでた。一部の店や場所の行列なら、昔からフツーにあって、笑って聞き流す程度のネタだ。本当に必要なのは、行動の冷静さより、報道の冷静さだろう。
☆ ☆ ☆
おまけに、そもそも首都圏直下地震などに備えて、1週間分の飲料水や食品を備蓄するように推奨されてるのだ(上図、内閣府防災情報)。大震災から9年が経過して、みんな地震への備えを忘れてしまったのだろうか?
誰も買いだめしないより、むしろ、みんなが多少、買いだめする方がより良いナッシュ均衡だろう。下の表で、それを示してみた。
一部の行列が示してたのは、備蓄が必ずしも進んでなかったということだ。つまり、上の表の右下。自分も他人も「不買」で(0,0)。
それはナッシュ均衡ではない。というのも、それぞれにとって、「買」へと変更する方が得だからだ。一人一人の合理的な行動でも、表の左上の最適なナッシュ均衡(2,2)へと移行して、はじめて安定することになる。結局みんな買いだめして、次の大地震に正しく備えるということだ。
☆ ☆ ☆
それを一気に進展させたのが、新型コロナウイルス騒動や都知事の緊急会見だったと考えれば、必ずしも悪くないどころか、むしろプラスかも知れない。
というのも、コロナはおそらく1年前後でおさまるだろうけど、次に大震災が関東や東海で起きると、壊滅的な状況が一気に訪れるかも知れないから。その時にはもはや、店も物流も在庫も消えて、買えない状況になる可能性が十分ある。
ちなみに私はさっきもコンビニに行ってきたけど、何の混雑もないし、品薄でもない。依然として無いのはただ一つ、買いだめ・買い占めどころか、1ヶ月半も店頭で見てないマスクのみ。
何が本当に良い行為なのか、何が妥当な報道なのか。広い視野でもう一度、現実的に考え直す余地は十分ある。それでは今日はこの辺で。。☆彡
(計 3014字)
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