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芥川龍之介の遺作『歯車』の意味とイメージ、幻覚・閃輝暗点・車輪・ドッペルゲンガー(分身)・・

2021年・大学入学共通テストの国語の問題(第1問)で記事を書いた時、芥川龍之介の『歯車』という遺作を初めて知った。というか、どこかで何度か見聞きしてただろうけど、初めて本気で意識したというべきか。下は学研版の表紙。amazonより。

  

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共通テストでの『歯車』は、「妖怪」を主題としてた他の作品に関する問題の中で少し参照されてた程度で、『歯車』に関する設問も簡単なもの1つだけ。解くだけなら、「歯車」とは何かとか、作品全体の意味とか考える必要はなかった。

  

要するに、「第二の僕」、芥川の分身・ドッペルゲンガー(独語 Doppelgaenger)を見た知り合いが2人いるようで、芥川自身は見てないものの、不安や不気味さを感じてる。ドッペルゲンガーは死の前兆ともされてるので。下の問題文は朝日新聞より。

  

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それさえ分かれば、解答番号12の答は、選択肢2となる。「『私』が自分自身を統御できない不気味な存在であることの例」とされてたのだ。つまり「私」自身こそ、近代的で最も身近な妖怪だ。その人気も抜群。それぞれの本人にとっては。

  

   

     ☆     ☆     ☆

さて、共通テストには書かれてなかったし、私も知らなかった(または覚えてなかった)が、『歯車』は芥川の遺作。1927年(昭和2年)、自殺した年に発表されてる。

  

ブリタニカ国際大百科事典には次のように説明されてた。「自殺寸前の凄絶な心象風景を、視野いっぱいに回転する歯車という印象的な幻覚を軸に描き、狂気の兆候を示すさまざまなイメージと運命的な不吉な暗合とが繰り返される。死を賭けて成功した不気味な美と戦慄の表現である」。

    

私が読んだ感想だと、大まかには合ってるものの、「歯車という印象的な幻覚を軸に描き」という表現は少し誇張だと思う。そもそも、「歯車」の幻覚(?)はあまり登場してないし、もともとの小説のタイトルにもなってなかった。

  

元の原稿には「夜」と書かれていて、芥川本人が「東京の夜」という題を消したと話すのを聞いて、佐藤春夫が「歯車」を勧めたとのこと。佐藤の「芥川龍之介を憶ふ」というエッセイに書かれていて、青空文庫でも公開されてた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

とはいえ、「歯車」というネーミングは絶妙だ。当時の時代背景を考えても、世界的に機械化が進んで、『歯車』の数年後にはチャップリンの『モダンタイムス』が発表されてる。下はamazonより。

  

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大きな歯車とたわむれつつ翻弄される映像は、非常に象徴的。電子化された現代のデジタル社会でも通じるだろう。巨大で強力な謎のシステムが、人間を動かし続けてるのだ。ただし、古典的な歯車と違って、電子の動きは速すぎるから、目には見えない。

  

話を戻すと、芥川の小説の中で歯車はどのように描写されてたのか。序盤の説明だけがやや長めで、後は軽い言及が少しあるだけなので、序盤から引用してみよう。これも電子図書館・青空文庫より。

  

「・・・のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?──と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、──それはいつも同じことだつた。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしかう云ふ歯車は僕の煙草に親まない二十前にも見えないことはなかつた。僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の瞼の裏には歯車がいくつもまはつてゐた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

この歯車について、少し検索すると、主に2つの説が主張されてるようだ。1つは精神病的な幻覚。当時の曖昧な用語なら、重い「神経衰弱」の症状。

   

もちろんそれは、小説内の他の多数の要素と合わせての総合的な判断だ。ヘビースモーカーだから、タバコの吸い過ぎによる中毒も関係してたかも。

     

芥川自身と重なる「僕」が主人公の私小説だから、単なる創作ではなく、作者の心の病がかなり重かったのかも知れない。「死」を軸に、あまりに多くの不吉な物事が連想でつなげられてるのだ。

  

第一章のタイトル、「レエン・コオト」、つまりレインコート。それを着た幽霊。狂人らしき女性。姉の夫の轢死(汽車を用いた自殺)。披露宴の肉の蛆(うじ)。部屋の鼠。目鼻のある歯車(精神病者の描いた画集)。フランス語「Le diable est mort」(悪魔は死んだ、死んでいる)・・・etc。

    

もし単なる創作なら、芥川は技巧派だから、要素を絞り込んだ上でもっと丁寧に関連付けるはず。あまりに多くの要素が曖昧につなげられてるので、作者の現実の不規則な症状も反映してると思わざるを得ないのだ。創作と現実の割合はともかく。

  

    

     ☆     ☆     ☆

ただ、その症状は精神的なものというより、視覚的な障害だという考えもある。「閃輝暗点」(せんきあんてん)。「閃光暗点」という用語を使った学術論文もあった

  

日本語のウィキペディアでは、その説明の最初で芥川の作品に言及。その右横には、いかにも「歯車」的なアニメファイルもあったから、私も一瞬、「あっ、これか!」と思ってしまった。

  

ところが、そのアニメはわりと最近、2006年に匿名の作者が作ったもので、本人の情報もなければ、他の項目での引用もなかった。英語・ドイツ語・フランス語のウィキにも使われてないので、「閃輝暗点」のイメージとみなすのは危険だろう。むしろ、『歯車』に影響された創作にも見える。

  

芥川の診断書などのデータも見てないことだし、ここでは、ある側面を説明する一つの仮説とだけ考えとこう。英語版ウィキでは「star fort」(星型要塞)の写真(下図)もあって、確かに歯車的ではある。しかし、仮にその視覚障害があったとしても、そこからこの作品の内容を説明することはほとんど不可能だ。

  

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     ☆     ☆     ☆

そこで、他の角度から「歯車」を見直してみると、小説の冒頭が目に留まる。最初から早くも、「東海道の或停車場」や「列車」が登場するのだ。そして、第一章のオチのようなエピソードとして、姉の夫の轢死が登場。

   

19世紀の初頭、汽車の元祖の図を見ると、本当に歯車が付いてたようだ。英語版ウィキより

    

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電車にせよ汽車にせよ、鉄道は今にいたるまで自殺の代表的な場所の一つだから、希死願望のようなものの表れとも見れるし、列車や駅に対する恐怖症の表れとも見れる。その歪曲や拡大は、自動車のタイヤにまで拡がってた。

   

さらに、歯車という部品の本質を考えると、他者、他のものとの機械的な連動を挙げられる。近親者の死、復讐の女神、自分の分身の登場といった個別の他者の背景には、より大きな外部、運命の流れと認識も感じ取れる。

     

そう考えた時、この小説の文体的な特徴を思い出すのだ。「(・・・せ)ずにはゐられなかった」といった類の、必然性の表現の多用。あまりにも型にはまった表現が目立つので、大作家の小説として不自然なほど。

     

しかし、その奇妙な多用も、行わずにはいられなかったのだろう。巨大な運命の歯車に強制される形で。グルグル、ギシギシ。。

  

そろそろ時計の針を動かす歯車も回り過ぎてるので、私も記事執筆を止めないわけにはいられない。芥川の遺書も考え合わせると、原題の「夜」は女性との密かな関係も意味していたのかも・・とか、数々の疑問や思いを残しつつ、今日の所はこの辺で。。☆彡

    

         (計 3074字)

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