日本で名言とされるナイチンゲールの言葉「看護は犠牲行為であってはなりません」、欧米では注目されてない
ナイチンゲールというと、小学校の頃に偉人伝みたいなもので読んだだけで、名前は覚えてるけど知識はなかった。
ところが先日、2021年5月11日の朝日新聞・朝刊コラム「天声人語」で、興味深い名言が引用されてたのだ。「看護は犠牲的行為であってはならない」。SNS(主にツイッター)で拡散したらしい。
ちなみに翌日、5月12日がナイチンゲールの誕生日で、国際ナース(看護師)デー。日本の名前だと、看護の日。そのタイミングと、東京五輪批判を組み合わせた主張のようだ。
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かなり朝日的・リベラル的な主張だが、私は別に、「看護は政治的行為と関連してはならない」とは言わない。むしろ、多少は関連すべきだろう。政治性の質や量には配慮して。
日本看護「協会」は、直接的には政治活動できないとかいう話だが、深く結びついてる日本看護「連盟」は政治団体で、今まで自民党の議員を輩出して来た。
当然、母体である日本看護「協会」も、自民党政権が進める東京五輪に対する態度は微妙になる。それに不満な看護師たちが立ち上がって、左派メディアがサポートしたという構図だろう。看護に限らず、大規模の組織でよくあることだろう。
例えば、下の東洋経済の記事など、キレイにその構図に当てはまる実状を伝えてた。東京五輪の派遣問題は、あくまで抗議のキッカケに過ぎないのだ。
ただ、医師の世界はちょっと特別で、日本医師会だけでなく、全体的に保守的なイメージが強い(だから逆に一部の医師が目立つ)。医師には、育ちも現在も富裕層の人間が圧倒的に多いことと無関係ではないはず。
社会的地位も高いので、大きく見るなら、今のままで十分な生活なのだ。例えば介護の世界と比較しても、格差は際立つだろう。
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さて、前置きが長くなったが、私は別に政治の話をしたかったわけではない。単に、最近よく書いてる名言の記事を1本、追加しようと思っただけなのだ。ナイチンゲールの言葉は、素直に「いいね」と思った。日本人の私としては。
ところが、その後の展開は今までとかなり違ってた。ありがちなパターンは、名言の出典がなかなか分からないことだ。名言を書いてるサイトは多くても、もともと何に書いてあって、正確にはどんな文章なのか、正確に調べて書くサイトはごく僅かしかない。
それに対して、ナイチンゲールの言葉の出典は直ちに正確に判明した(と思う)。ナイチンゲール看護研究所HPより引用させて頂こう。「概要」を見ると、研究所というより、研究者グループみたいな組織だと想像する。
看護は犠牲行為であってはなりません。人生の最高の喜びのひとつであるべきです。
(ナイチンゲール著作集・第3巻、p.431、現代社、1977)
Nursing should not be a sacrifice, but one of the highest delights of life.
ちなみに、分かりやすさを重視した古い翻訳なのか、よく似てるけど微妙に違う言葉も引用されてた。外国語の原文は無い。
“看護の仕事は、快活な、幸福な、希望に満ちた精神の仕事です。
犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護師といえるのです”
(浜田泰三訳、ナイチンゲール書簡集、山崎書店、1964年)
☆ ☆ ☆
最初の引用の出典は詳細だし、正しいのだろうと思う。ただ、「The Collected Works of Florence Nightingale. Vol 12, p.870」などの検索語句を入力して調べても、元の文章の前後などはヒットしないし、英語でも見当たらなかった。非常に珍しい。
細かい話をするなら、実は色々とヒットしたけど、妙な通販サイトばかりなのだ。単にアクセスを稼ぐためだけに、名言の類を無意味にページに忍び込ませてるのだと思う。時々ある事で、リスクだけ高くて無益だから、なるべくアクセスは避けてる。
Amazonでの中身検索も失敗する中、惜しかったのは、Google booksの書籍内検索。どうもこの本のP.870に似た文章はありそうだけど、著作権の関係なのかギリギリで表示されない。原文は百数十年も前の著作なのに非常に厳しい管理だ。
少し違う見方をするなら、要するに、英語原文が非常にマイナーということだと思う。ナイチンゲールの著作や情報なら、世界中に溢れてる。ところが、「看護は犠牲行為であってはなりません」という手紙の(?)英文は、引用さえ発見できない。
というより、看護と犠牲の関係について語るナイチンゲール言葉がほとんど無いのだ。もちろん、ネット公開されてる英語の著作内の検索もかけたし、フランス語とドイツ語でも検索してみたけど、実質的にほとんど発見できてない。
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そんな中、僅かに見つかった英語の名言は、以下の2つの文。英語版ウィキクォートより。出典も明記してあった。
The martyr sacrifices herself (himself in a few instances) entirely in vain.
殉教者は、彼女自身(少数の例では彼自身)をまったく無駄に犠牲にする。
これは文脈が無いので分かりにくいが、やはり手紙の文のようで、宗教的な主張に近く見える。ナイチンゲールは看護婦の指導者だけでなく、多様な側面を持つアクティブな知識人・思想家らしい。ところが日本では、ひたすら看護の女神のような扱いが目立つのだ。
It is true that sometimes we must sacrifice not only health of body, but health of mind (or, peace) in the interest of God; that is, we must sacrifice Heaven.
時々、私たちが、神の利益のため、身体の健康だけでなく、心の健康(または平穏)も犠牲にしなければならないのは本当のことだ。つまり、私たちは天国(ヘヴン:穏やかで満ち足りた心身の状態)を犠牲にしなければならない。
これは、ナイチンゲール自身の言葉ではなく、彼女が翻訳出版を目指してた中世の著作からの引用かも知れない。いずれにせよ、犠牲というものの存在がはっきり肯定されてるのだ。看護の話かどうかはさておき。
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今回はこのくらいで終わりにしよう。「看護は犠牲的行為であってはならない」というツイートはもちろん、元のナイチンゲールの言葉を重視する態度も、実は非常に日本的なものであるのは確かだと思う。
では、なぜ日本人だけがこの言葉に注目するのか? 男女格差が大きいことに加えて、おそらく、戦争・敗戦の「犠牲」経験と反省から、戦中・戦後あたりに注目されて受け継がれて来たのだと想像する。
歴史を調べる必要があるが、残念ながら、図書館を検索しても古い文献はなかなか見つからない。看護系の学校とかなら置いてるのかも。
実は、似た言葉の「犠牲なき献身こそ真の奉仕」も、日本のあちこちで引用されてるが、出典は見当たらないし、対応する英文も発見できない。
医学書院・医学界新聞の専門家の対談でも、医療ガバナンス学会のメールマガジンでも同様。出典不明なままナイチンゲールの有名な言葉として拡散してるだけだと思う。
例えば、日本語のウィキペディアも、(いつものように)出典なしに「有名な言葉」として挙げてた。もちろん、英語版ウィキにも仏語版ウィキにも独語版ウィキにも書かれてない。
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以上、色々と書いたが、私自身は「看護も医療も介護も、『可能な限り』、犠牲であってはならない」と思ってるので、念のため。ただ、何事にも犠牲の側面はあるし、犠牲は必ずしも悪いものでもない。
さらに言うなら、「看護は犠牲行為であってはならない」という言葉のSNS的な軽い拡散自体が、様々な物事を犠牲にしていること。この自覚こそ、本当に重要で必要なことなのだ。
それでは今日はこの辺で。。☆彡
(計 3237字)
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