黒井千次『庭の男』全文レビュー~居場所も力も失った高齢男性(家の男)の不安と性的倒錯(窃視症)
2022年(令和4年)の大学入学共通テスト・国語・第2問に出題された、黒井千次の小説『庭の男』。出題された範囲だけ読むと正直、変な人の変な話という印象が強かったが、おそらく元の小説全体は遥かに優れたものだろうとは思ってた。
実際に読んでみると、予想以上に精密な構成の小説で、物語的な導入もオチも十分に付いてる。特に、ラストの綺麗な結末を読んだ時には、思わずニヤリと笑ってしまった。
間違いなく、小説の主人公の男性も苦笑したはずだが、単なるフィクションとはいえ、彼のその後をつい心配してしまう。あと20年ほどの余生、やがて嘱託の僅かな仕事も無くなるのに、平穏に過ごせるだろうか。差し当たり、会話が減った妻との熟年離婚は大丈夫だろうか。
極端な話、先日の大阪の放火殺人を思い出してしまうのだ。犯人と断定してもよさそうな容疑者は、61歳。ちょうど小説の男性と同じ年ごろで、妻や子供とは絶縁関係になってたとされる。未練を残したまま。。
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さて、当サイトでは共通テストの直後、直ちにこの小説の記事をアップしてある。
看板の視線への対人恐怖、軽い社交不安障害+限局性恐怖症(DSM5)か~黒井千次『庭の男』(2022年・共通テスト・国語)
その時点で(ほぼ)どこにも情報が見当たらなかった出典(初出)についても、探り出して明記しておいた。文芸雑誌『群像』1991年1月号が初出だろう。約30年前の作品だが、現代にもかなり通じる一般的設定となってる。定年かどうかはともかく、退職した年齢を計算すると60歳くらいになるから、現代とあまり変わらない。
ただ、隣の家の庭に、夜中に1人で侵入するという行動だけは、現在だとかなり異常だろう。直ちに警察に通報、逮捕されても不思議はないし、そもそも侵入と同時に、監視カメラや警報システムが作動する可能性もある。家の敷地をハッキリ分ける壁も、30年前と比べると今の方が高いと思う。高齢男性だと、壁を乗り越えるのが難しいかも知れない。
☆ ☆ ☆
共通テストに出題された箇所は、全体の4分の1弱。もし小説を4分割するなら、前から3番目くらいの部分になる。ということは、出題箇所より前に小説の半分が書かれてるわけで、それを読むと、主人公の男性の気持ちに共感しやすくなった。
隣の家の庭にある看板の男(=「庭の男」)が気になるからといって、単なる「おかしい」人(小説内の表現)とは言い切れない。というのも、その男が見える場所(ダイニングキッチンの窓)は、「洞窟のように薄暗」い家の中でほとんど唯一の明るい場所だったから。洞窟の狭い入り口=出口で、変な看板の男がいつもジロジロと凝視していれば、男性(=家の男)が気になっても不思議はない。
ただし、妻はほとんど気にならないようだ。妻の外出は週3日、男は週2日。家にジッといる日数だけ考えると、あまり変わらないとも言える。
しかし、妻はおそらく元々そんな生活を送ってたのに対して、男はわりと最近まで週5日か6日は会社勤めをこなしてた。男の方が看板を気にするのは、そうした分かりやすい事情もあるだろう。もちろん、それだけではなくて、深く隠された事情もあるのだが。男の事情も、隣の家の事情も。。
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ここで、ごく簡単に物語全体のあらすじをまとめてみよう。いわゆるネタバレになってしまうので、ご注意あれ。といっても、実際にはこの種の記事に検索アクセスする読者の半数くらいは、あらすじやまとめのような簡単な情報を求めてると思われる。
男が長年勤めた会社を退職して、家にいることが多くなる。家の南側は明るいが、既に独立してる子供たちの部屋なので自由に使えないし、そこを男が使おうとすると妻が嫌がる。妻はいずれ、子どもが戻ってきて同居してくれることを期待してるようだ。
そのため、男は北側の端のダイニングキッチンか、その内側の暗い居間にいることが多い。ほとんど唯一明るい場所である、キッチンの窓からは、隣の家の庭の看板が見える。その看板には大きな男が描かれていて、こちらを凝視しているようで気になる。看板はプレハブ小屋に立てかけられたもので、その小屋には中学生くらいの息子が住んでるようだ。
(ここから共通テストの出題箇所が開始)
妻に相談してみると、意外なことに自分の側に立ってくれて、裏(=隣)の家の息子に頼んでみたらと示唆してくれた。しかし、話の切り出し方が難しい。ある日、たまたま道でその息子と出会ったので、看板をどかしてくれるよう頼んでみたら、途中で無視されただけでなく、「ジジイ」とまで叫ばれてしまった。そんな不快なことは、妻には言えない。
その夜、懐中電灯を持って隣に忍び込んでみると、看板の「庭の男」は単なる板に見えたので、「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつも苦笑した」。しかし、板はプラスチックに似た物で、意外としっかりした作りになってる。
それを動かそうとすると、針金とボルトで固定されてた。「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」。
(以上でテストの出題箇所は終了)
その時、小屋から女の子のかすかな笑い声が聞こえた。驚いて耳を澄ませたが、声が消えた後には音楽が聞こえるだけ。気になりつつ、男は自宅にこっそり引き返す。その後は、「庭の男」との関係も変化。お互いに、相手をのぞき見男(ピーピングトム)扱いする形で、にらみ合うようになった。単なる看板と、本物の人間とで。
その夏の終わりの夜中に突然、隣の家で激しい親子喧嘩が発生。女の子の泣き声も聞こえた。翌日、男が週2日の仕事に出かけてる間に、看板もプレハブ小屋も無くなってしまった。妻は片付けの様子を見てたらしい。
「『貴方のお友達の看板ね、あれもトラックに積んで運んで行きましたよ・・・寂しくなったでしょう。』 突然妻はけたたましく笑い出した。 『何がおかしい。』 『だって、寂しそうだからよ。』 笑い声は狂ったように高くダイニングキチンに響いた・・・」。
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この簡単なあらすじだけでも、共通テストが何を避けてるのかは明白だろう。「性」を回避してるのだ。隠蔽とまで言えるかどうかは微妙だが、見事に「性」の話を直前で避けてる。若い男女の性、それをのぞき見(盗み聞き)しようとしてしまう高齢男性の軽い性的倒錯。
実はテストの引用箇所の前側で既に、性の問題はほのめかされてたのだ。看板の左隅には、「女だけ半裸の抱擁シーン」が描かれていたのに、妻は気付いてない。だからこそ妻は、看板について、「ヌードなんかよりはましですよ」と話してる。
妻のその言葉と、夫婦の会話がますます少なくなってるという説明、さらに年齢を合わせると、おそらく男と妻の性的関係は完全に消えてる。
行き場と能力を失った高齢男性(「ジジイ」)の性的欲望は、哀しいことに、隣の庭の看板の片隅に描かれた僅かな性的表現に向かおうとしてしまう。そのあまりに些細な欲望の動きをさえぎる検閲者こそ、看板の男の目線、凝視なのだ。
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これが考え過ぎとか過剰な深読みでないことは、看板の男の背後のプレハブ小屋で男女の関係が生じてたこと、さらにそれが物語の劇的な結末に直結したことからも明らかだろう。
実は、看板の男の胸の前には、「初老の男性の、より小さな姿」まであった。ということは、その看板には4人が描かれてる。半裸で抱き合う男女と、初老の男性と、その後ろにそびえる「庭の男」。初老の男が「ピーピングトム」(のぞき魔)的なことを行うのを、庭の男が阻止する形だ。看板の情景は、現実の情景の表象となってる。
そして、なぜ少年が針金とボルトでその看板を固定していたのか。少年の側の意図もハッキリ分かるのだ。それは一方では、「のぞくな」という警告になってる。しかし他方では、「のぞくな」という警告によって、自分たちが小屋でのぞかれるような事をしてると伝えてるのだ。あるいは、誇示してると言うべきか。
少年は、看板を持ってくるより先に、「立入禁止」という立札を用意してた。「立入」を警戒されてるのは誰か? 壁を隔てた隣の家のジジイではないはず。自分の家の親、特に父親だろう。
もちろん、これもまた(無意識的に)、「露出魔」のような効果ももたらしてるわけだ。立入禁止にしたくなるような事を自分がしてるのだと、暗示する形だから。オレは可愛い女の子を手に入れたぞ。恥ずかしがりつつ、つい周囲に自慢したくなるのが中学生ということか。
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最後に、男の「寂しそう」な姿について。これは、「庭の男」の別の側面から来たものだろう。
つまり、庭の男は、家の男ののぞき見を阻止すると同時に、自分が小屋の中をのぞき見するような位置に立ってる。そして、自分自身ものぞき見を禁じられてるのだ。針金とボルトによる金縛りの固定で、視線の向きを変えることができないから。
だから庭の男は、家の男にとって、敵であると共に友人でもある。寂しく哀しい、のぞき仲間。先日の共通テスト記事では、精神医学の標準的な診断統計マニュアル『DSM5』に言及したが、作品全体を読むと、パラフィリア障害群の窃視障害(Voyeuristic Disorder)こそが隠された主題だろう。テスト出題者の意識にとっても、隠されたままだったかも知れない。
既に時間も字数も尽きたので、さらなる精神医学的・精神分析的な解釈は差し控える。妻の本音や実態を想像すると、全く異なる解釈も可能だろう。
妻の外出は本当に、革細工か俳句か日本料理の教室だけだったのか。妻は本当に看板の隅に気づいてなかったのか。そして最後、なぜ「狂ったように高く」笑い声を響かせたのか。
とにかく非常に興味深い、巧みな構成の小説だった。なお、今週は計15768字で終了。ではまた来週。。☆彡
(計 4025字)
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