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中島みゆき『ホームにて』の歌詞の意味と解釈、ダチョウ倶楽部・上島竜兵は汽車に飛び乗ったのか・・&11km走

(15日) RUN 11km,55分18秒,平均心拍 140

消費エネルギー 491kcal(脂肪 113kcal)

    

ダチョウ倶楽部の上島竜兵が自宅で自殺した(とされる)のが、2022年5月11日。0時過ぎに発見・確認されてるので、実際は10日の夜遅くだったと思われる。人気も実績も人望もあるベテラン芸人の突然の訃報に、数々の有名人のコメントが続いて来た。

   

その中でも、最も親密な後輩の1人だったと報道されてる有吉弘行が、5月15日の夜のラジオで語ったエピソードは印象深かった。

     

上島は中島みゆきの『ホームにて』という曲が好きで、カラオケで号泣しながら歌ってたという。そのうち、有吉も好きになったらしい。いじられキャラ、ボケ、リアクション芸人とか言われる上島の芸風から考えるとちょっと意外だけど、素の性格にはそんな側面もあったということか。

      

この曲、私も一応知ってて、歌詞はキレイだしメロディーも心地よいけど、聴く機会はずっと無かった。そこで早速、歌詞だけ検索。著作権に触れない程度に引用して、ごく簡単に意味を解釈してみよう。歌詞の全文を知りたい方は、検索すればあちこちの商業サイトに掲載されてて、無料で登録なしに読むことが可能。

   

   

      ☆     ☆     ☆

『ホームにて』は1977年(昭和52年)の曲で、有名な『時代』でブレイクした2年後の作品。作詞・作曲、中島みゆき。

   

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大ヒットしたシングルレコード『わかれうた』のB面(カップリング曲)で、同年のアルバム『あ・り・が・と・う』ではB面の2曲目として収録されてる。

  

当時のシングルレコードのジャケットをamazonで見ると、『ホームにて』は極端に小さな活字で隅に書かれてるから、気付かないほど。売れ線のA面の曲だけをプッシュする時代だったということか。個人的には、『ホームにて』の方が好きだ。

    

スポニチの上島・有吉関連の記事では、「夢破れた人がふるさとへ帰りたいと思うものの帰れない思いを歌った」と一言でまとめてる。

  

本人とか関係スタッフがそう説明したことがあるのかも知れないが、歌詞だけ読むなら「夢破れた」と解釈する理由は特にないし、もともと中島の歌詞は適度に多義的な性格を持ってる。

  

夢がかなっていようが、かなえつつあろうが、破れていようが、都会からふるさとの田舎へ帰りたいのに帰れない。そういった普遍的なもどかしい思い、切ない感情や状況が歌われてるのだ。

  

大まかに言って、都会の人口の半分くらいは地方出身者。都会の生活の中でふと、故郷の田舎を思い出す人は非常に多いことになる。特に、昔の都会は地方出身者が多かった。中島は北海道。上島は、兵庫県の北側にかなり入った辺りの春日町(現在は丹波市)の出身らしい。下はGoogleマップより。

   

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     ☆     ☆     ☆

 「ふるさとへ 向かう最終に

  乗れる人は 急ぎなさいと

  

駅長のやさしいアナウンスから始まる歌詞はその後、全体的に、乗れない気持ち、乗れなかった状況を表してる。夜の最終列車の中には、やわらかい車内の灯りのもとで楽しげに見える人達の姿。

   

私も乗りたい。でも、その前に、都会で身に着けた様々な余計なもの(「かざり荷物」)を捨てないと。そして、都会の街にお別れの挨拶をしないと。そうしてる間に、「汽車」のドアは閉まってしまう。

   

お別れの挨拶が余計のようにも思われるけど、都会の「ネオンライト」も第二のふるさと。夜の街は上島竜兵も大好きだったはずで、そう簡単にふり捨てることも出来ない。結局、故郷に帰りたくても帰れない状態がずっと続くから、「ふるさと行きの乗車券」やキップが溜まってしまう。

   

ちなみに、JR東日本(87年の分割民営化までは国鉄)のプリペイドのイオカード導入は1991年。ICカードのSuicaは2001年らしい。ということは、80年代後半~90年頃のバブル期までは、切符の時代だった。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ところで、歌詞には「汽車」という古い言葉が使われてるけど、1977年(昭和52年)の時点で既に、「蒸気機関車」は僅かになってる。だから汽車というのは、それ以前の心象風景の列車か、僅かに残る本物を指すのだろう。中島は1952年生まれだから、子どもの頃は蒸気機関車を見てたはずだし、北海道ならかなり遅くまで残ってたと思う。

  

国鉄(JR)の電車を慣習的に「汽車」と呼んでたという話もあるけど、それだとこの歌詞には合わないのだ。2番に「手のひらに残るのは 白い煙と乗車券」というフレーズが入ってて、白い煙が指すものは汽車(の出発)だと思われるから。

   

もし冬の設定なら、吐く息の白さとも考えられるけど、冬を表す言葉は入ってないし、白い煙は手のひらの乗車券と結び付けられてるので、汽車の煙のイメージだろう。具体的には、乗車券を持ったままの手を上げて、発車してしまった汽車に「待って~~!」とか叫ぶ。すると、手と白い煙と乗車券が本当に重なる。

  

試しにGoogleで「蒸気機関車 煙」の画像検索をすると、下のような感じになった。煙は、汽車の象徴。必ずしも白くはないけど、歌詞では美しいふるさとのイメージと融合してるから、白い煙ということになる。

   

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      ☆     ☆     ☆ 

結局、上島竜兵は、ずっと乗り損ねてた汽車に飛び乗ったということか。既に最終列車も出てしまった後の深夜だから、ホームを間違えたのかも知れないし、特別列車だったのかも知れない。芸人が集まった葬儀では、笑いもかなりあったようだから、暗い車内には灯りもともってたことになる。

      

偶然なのか、それとも深層意識的に関係してるのか、上島のふるさとに向かうJR福知山線(南側の区間の愛称はJR宝塚線)で検索すると、107名の死亡者を出した2005年の大事故の記事が多数ヒットする。

      

さらに、「空色」の汽車やキップという珍しい歌詞で思い出すのは、中島みゆきの永遠のライバル、ユーミン=荒井由実=松任谷由実の73年の名曲『ひこうき雲』。

    

ウィキペディアは「少年の死」がモチーフとだけ書いてるが、歌詞を読んでも、産経の記事を読んでも、明らかに自殺を描いたものだろう。口に出すか出さないかという違いがあるだけであって、大人の社会では口に出さないのが普通なのだ。「美化」などと炎上させるわけにはいかない、代表曲の一つだから。作詞・作曲、荒井由実。

       

 「空に憧れて 空をかけてゆく

  あの子の命は ひこうき雲

   

ほかの人にも、本人にも分からないような、心の動きがあるのかも。ともあれ、残された者としては、ホームにて、あるいは都会にて、合掌。。

   

      

     ☆     ☆     ☆

予想外に長くなってしまったから、最後は一言だけ。一昨日(15日)の走りについて。11kmだけ、またレース用シューズを履いてスタスタ走って来た。

  

トータルでは1km5分02秒ペース。相変わらず5分を切れず。気温16度、湿度80%、風速1.5m。新・心拍計はほぼ正常に作動したけど、少し補正した。グラフの序盤が変なのは、連続3回も信号待ちで止められたから。かなり脚の付け根にダメージが溜まって来たな・・とか思いつつ、ではまた。。☆彡

   

  

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往路(2.4 km) 13分17秒 123 140 

LAP 1(2.1) 10分49秒 138 145

  2   10分29秒 146 151

  3   10分08秒 151 158

復路(2)    10分34秒 148 158

計 11km 55分18秒 140(80%) 158(90%) 

    

       (計 3001字)

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