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上皇さまが皇太子時代、美智子さまと出会って恋愛・結婚された、軽井沢会テニス・トーナメントの試合(昭和32年、1957年・夏)

今現在は、クリスマス・イブの深夜というか、既に未明。毎年恒例の長寿テレビ番組を見て、徹夜で長編ブログ記事を書くつもりだったのに、今年はなぜか1日ズラして、明日が放送日になってた。

   

深夜に突然、時間が空いて、とりあえず2022年12月24日(土曜)の朝日新聞・朝刊別刷beを開いてみると、見開き2ページに青空とテニスコート(クレー:土)の写真が載ってる。「はじまりを歩く」シリーズ、「テニス 長野県軽井沢町 横浜市」。文・稲垣康介、写真・吉田耕一郎。

  

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日本では最近、残念ながら人気が落ちてるテニス。なぜ急に?・・と思ったら、上皇さまのお誕生日記念ということか。前日、12月23日に89歳になられて、近況写真も公開されてた。横には上皇后・美智子さまの姿。

    

お2人が軽井沢のテニスで知り合ったというのは有名なエピソードだろう。ただ、詳しい情報は見聞きしたことがなかった。

    

   

     ☆     ☆     ☆

テニスのはじまりについて、朝日の記事にはこう書かれてた。「日本にテニスが伝わったのは1876年(明治9年)、横浜の外国人居留地だった山手公園だったとされる」。

   

明治の半ばまで、ということは10年間ほどは、プレーは原則として外国人に限られてたとの事。当時の外国人女性の華やかなウェア(というよりパーティー・ドレス)の写真もあった。

     

軽井沢では、19世紀末から、教会や宣教師の影響でテニスコートが作られて、1901年ごろには日本人も一緒にプレーしてたと言われてるそうだ。120年前だから、さすがに正確な記録は残ってないということか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

軽井沢の発展につれて、地元の組織が創設されて、やがて「軽井沢会」が誕生。昭和32年(1957年)8月、その部内トーナメント(ABCDトーナメント)で、当時の皇太子さまが、正田美智子さまと知り合う。有名な、「テニスコートの恋」。最初の出会いは、偶然、試合をしたことだったらしい。混合ダブルスの4回戦(準々決勝)で対戦。

    

「陛下(=皇太子さま)は早大生、美智子さまは13歳のカナダ人少年と組み・・・美智子さまペアが勝利した。・・・陛下は『あんなに正確に粘り強く打ち返してくるのだから、かなわないよ」と振り返ったとのこと。学習院大の2年後輩で、その後、恋のキューピッド役を務めた、織田和雄さんの談話。

  

ということは、美智子さまペアは、皇太子さまペアに(あまり)遠慮せずに戦ったことになる。皇室相手でも、スポーツは全力で。この世界では普通らしい。お互いが実力で3回戦までの試合を勝ち抜いたからこそ、4回戦で偶然の出会いが生じた。ちなみに織田さんには、『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)という著作もある。

      

2年後の昭和34年(1959年)4月10日にご成婚。「ミッチーブーム」の到来。軽井沢のテニス大会には、今の天皇陛下や秋篠宮さまも、子ども時代に出場されてるそうだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

さて、私はここ10年くらい、テニスをしてないが、その前は結構やってたし、テレビや雑誌も見てた。小さな大会にも、3回くらい出場してる。

  

元・テニス好きとして気になったのは、上皇さまご夫妻が出会った時の、試合の内容。朝日新聞のデータベース(縮刷版)で検索すると、テニス情報は実質的に1件しかヒットしなかったが、さすがに細かい話まで書かれてた。1958年11月27日、「皇太子妃きまる」という2ページの号外。

    

それによると、試合は8月19日だから、完全な真夏。「午前の混合ダブルス二回戦」と書かれてる。午前なら、四回戦ではなく二回戦の方が自然な気もするが、朝早くから予選があったのかも知れない。4回戦か2回戦か、とりあえず保留しとこう。ちなみに美智子さまの相手も、号外には十二歳と書かれてた。13歳なのか12歳なのかも保留しよう。

   

ただ、美智子さまはスポーツ万能で、特にテニスは昭和「三十年関東女子新進トーナメントで優勝、卒業後はとくに夢中」と書かれてる。かなりの実力なのは事実らしい。

  

その美智子さまと、「二時間近い接戦」をしたということは、皇太子さまペアもかなり強かったということ。スコアは7-5、6-3だから、3セットマッチ。2セットだけで終了してるのに、2時間近くもかかったということは、ラリーが延々と続いたのだろう。確実にボールをつなぐ正確なプレースタイルか。

   

   

      ☆     ☆     ☆

その後、特に翌年(昭和33年)、お2人はテニスでさらに接近したものの、ご結婚の決定直前までは、美智子さまの側から何度も辞退があったらしい。日清製粉の社長令嬢とはいえ、民間人の出身は前例が無かったし、遠慮されるのも自然なこと。

   

その辺りのご結婚の詳しい事情は、おそらく色々と報道、記録があるはず。今日はとりあえず、最初のテニスの試合内容を確認したことで満足しとこう。

   

なお、今週は計14126字で終了。また来週。。☆彡

    

      (計 2023字)

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