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加藤一二三「神武以来」、出典(初出)は『将棋世界』1957年4月号の建部(たけべ)八段?、当時の流行語&リハビリジョグ

(28日) JOG 11.2km,59分54秒

平均心拍 124?,最大 139?(心拍計の電池切れ♪)

WALK 4km,45分,5700歩      

   

 

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ひふみんの愛称で広く親しまれた将棋の加藤一二三の訃報は、26年1月22日。

   

ウチのブログでは、翌日付けの記事(執筆は当日)で、「神武以来の天才」という呼び名は、加藤の躍進が大きく注目された1958年頃の新聞には見当たらないと書いた。だから、新聞以外の雑誌とかが出典だろうという指摘。

    

それと同時に、ウィキペディアの「加藤一二三」という項目にも、その呼び名の出典が無いことを指摘した。

   

     

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すると、1月25日になってウィキが更新されて、次のような記述が加えられた。

   

原田泰夫によって[79]神武以来(じんむいらい)の天才と呼ばれ[80]

    

ちなみに、その直前の文章は、「1958年4月1日付で18歳3か月でのA級八段となる偉業を成し遂げた。そのため、」となってる。

   

   

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ややこしい話なので、先に結論みたいな事を書いとこう。

   

私は、自分で詳しく文献調査した結果、上のウィキの記述はおそらく間違いだろうと思う。少なくとも、信頼性が低い

   

では、細かい話に入る。まず、「原田泰夫によって」という部分に付けられた出典79は、『中原誠実戦集2』、大泉書店、1974年、p.239。私も読んでみた。

  

中原は、大山康晴に続く昭和の大棋士で、加藤との対局の自戦解説でこう書いてる。

  

「第1譜 神武以来の先輩  ・・・加藤さんは昭和二十九年に十四歳で四段、以後毎年昇段して二十歳で名人挑戦者になり、『神武以来の天才』とは、例によって原田泰夫さんの命名です」。

   

   

    ☆   ☆   ☆ 

この中原の記述には、いつ、どこで命名したのか、根拠の類が書かれてないし、この本は加藤の偉業から16年も後に出版されたもの。中原自身は、1958年の春にはまだ10歳の少年。明確な記録も記憶も持ってないと思われる。

   

原田は各種の命名で有名な棋士だけど、原田のウィキペディアの項目に今現在、「神武以来の天才」という命名は書かれてないし、私が1956年~58年の将棋雑誌『将棋世界』『近代将棋』を調べた限りでは、原田のその言葉は見当たらなかった。

  

当時の新聞にも見当たらないことは前に確認したことだし、ラジオ時代のNHK杯の初出場は1958年以降のはずだから(上位八人だけなので)、ラジオでその言葉が使われた可能性も低いし、確認するのはほぼ不可能。テレビも、その言葉を使ったのは1958年以降だろう。

   

   

     ☆   ☆   ☆

原田に限らず、その期間の2つの雑誌において、「神武以来の天才」という7文字のフレーズは見当たらない

    

神武以来」という4文字の形容表現なら、全部で十ヶ所くらいあったただ、その多くも、加藤に対するものではないのだ。57年に三冠を達成した升田幸三に対してとか、詰将棋に対してとか。

    

一方、ウィキの出典[80]は、原田泰夫・田辺忠幸『早わかり将棋なんでも入門』、小学館、初版44刷、p.152。

  

私がチェックした初版第1刷のそのページには、加藤の関連情報は無い。単に、原田自身の棋士紹介があるだけで、そこに加藤への言及は入ってない。

     

少し前のページ(p.146)の加藤に関する紹介文には、「(昭和)三十五年には二十歳で大山名人に挑戦し、"神武以来の大天才"といわれました」と書いてるけど、時期が少し遅れてるし、原田が命名したというような記述も無い。

  

      

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それでは、私が明確な証拠を示そう。まず、日本将棋連盟の『将棋世界』1958年4月号、p.104には、加藤に関するコラムで、「神武以来の若い八段」と書かれてる。執筆者は明記されてないので不明だけど、棋士ではなく編集部、編集者のような文体になってる。

    

その1年前、『将棋世界』1957年4月号、p.42では、「八段  建部(たけべ)和歌夫」による「将棋史物語(十四)」の冒頭で、こう書かれてた。明治生まれの棋士で、ちょっと文体が古いので、念のため。私の書き間違いとか引用ミスではない。

   

「・・・今までうち、いちばん年少の高段者は誰だろうか。・・・加藤君は、・・・いまのいやな流行語をまねて言えば、神武以来である」。

 

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今のところ、これが「神武以来」の初めての出典(初出)である可能性が高いけど、確定ではない。56年から57年にかけて約1年だけ発行された雑誌『将棋春秋』までは調べてないし、一般の雑誌やスポーツ新聞もあるので、もっと早い用例があっても不思議はない。とはいえ、普通に考えれば、そういったメディアでの登場は58年以降だろうとは思う。

  

   

     ☆   ☆   ☆

また何か分かったら、この記事に追記するか、別記事で書く予定。あと、「神武以来」が当時(1950年代・後半)の流行語だったのは間違いなく確認できるから、それについても興味を持ってる。

  

ウィキは神武景気との関連に触れてたけど、もっと根本的に、なぜ神武天皇とか仁徳天皇(「仁徳以来」)がこの時期に持ち出されたかというと、52年発効のサンフランシスコ平和条約で日本の主権が回復した直後だからではないかと想像してる。

   

もう一度、長い天皇の歴史を軸にして、日本という敗戦国を建て直したいという(無意識の)集団心理、欲望の現れではないか。。

   

  

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最後に、単なる小市民アスリートの昨日についても一言だけ。新宿ハーフの翌日と翌々日はジムでバイクを回して、3日目の昨夜は寒い中で11.2kmジョグ

  

右太腿の故障はかなりマシになって来たけど、それをかばい続けて来た左脚も疲れてるので、まだまだリハビリ中。疲れも溜まりまくってる。

    

公園への往路でいきなり心拍計の電池が切れたから、心拍は想像するしかなくて、グラフも無し。でもスタートとゴールの時刻だけなら秒単位で分かるから、全体のタイムも計算可能。

    

トータルでは、1km5分21秒ペース。遅いけど、まあ、こんなもんか。気温5度、湿度35%、風速2m。上に4枚着て、カイロも4個持ってたら、さすがに暑くなった(笑)

   

他に、ウォーキングも4km。歩くだけなら、痛みは気にならない程度になってる。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

    (計 2541字)

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