NHK映像の世紀「奇妙な果実」、歌詞の元の黒人リンチ殺人事件が起きた(弁解にはならない)理由・キッカケ(英語版ウィキペディア)

奇妙なタイトルの番組だなと思って試しに見始めた、NHK映像の世紀バタフライ・エフェクト「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」。奇妙な題名の曲と歌詞、その元になった黒人リンチ殺人事件の写真があまりに強烈なインパクトで、最後まで目が離せなかった。

        

ボブ・ディランの非常にストレートなプロテスト・ソング『エメット・ティルの死』は胸に響くし、それに触発されたサム・クックの『A Change Is Gonna Come』(変化はいつか起きる)も美しい歌声の名曲。

  

しかし、ここではやはり、番組の表題の曲『奇妙な果実』(1939年)に目を向けよう。差別から逃れて来たユダヤ系のエイベル・ミーロポル(Abel Meeropol)が作詞・作曲、黒人女性のビリー・ホリデイ(Billie Holiday)が歌ったこの曲は、リンチ殺人で黒人2人が木に吊された実際の事件(1930年)が元になってる。元の詩は「Bitter Fruit」(苦い果実)。

   

  

     ☆   ☆   ☆

番組では、おそらく意図的に、なぜそのリンチが起きたのかを伝えなかった。黒人差別の悲惨さと有名な曲を伝えるテレビ番組だから、NHKの編集方針としては間違ってないのかも知れない。

   

ただ、同じリンチでも、エメット・ティル事件のあまりに些細なキッカケは番組で伝えたのに、2人が木に吊るされた事件の原因・理由・きっかけは番組で伝えないというのは、国営放送のドキュメンタリーとして十分ではない。

   

しかもリンチを伝える画像には、当時、黒人へのリンチが「遊び半分に日常的に行われていた」という語りまで付けてたのだから、流石にミス・リーディング、誤解を招く表現だろう。

   

実はそこには、この番組で伝えにくい真実があった。その黒人2人は、「白人に対する強盗殺人の容疑」で逮捕されてたのだ。

   

あくまで、まだ容疑者の段階だったので、誤解や見落としのないように。裁判の前どころか、逮捕の翌日にすぐ、拘置所(刑務所)から外へ連れ出されてリンチされた。

    

    

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AI(ChatGPT 有料サブスクmodel4)も正しいと認めた、英語版ウィキペディアの説明によると、その2人の黒人男性は、白人男性に対する強盗殺人だけでなく、その女友達(ガールフレンド)に対する強姦の容疑もかけられてたらしい。

   

レイプの容疑は、助かった3人目の容疑者に関しては、取り下げられた(女性自身の証言で)。ただ、殺された2人に関してはどうだったのか、ハッキリしない。おそらく、2人に関してはレイプ容疑も残ってたと思われるが、とりあえず保留しとこう。

    

今現在の日本でさえ、その辺りは被害女性への配慮であまり触れられない部分だから、100年近く前の事件で情報が足りないのは自然なこと。

  

それはさておき、ではリンチが無ければどんな判決だったのか? ChatGPT4にたずねると、もし殺人と強姦の容疑が認められれば、死刑か長期の懲役だろうというような話。現在の日本の感覚と同様。ただし、もちろん実際には、陪審員の人種構成(おそらく白人が多数か全員)など、いろんな条件が影響するので不確定。

  

なお、結果的に助かった3人目の容疑者は、その後長く積極的に活動。その中で、その2人が殺人を行ったことは認めたようだ。と言っても、自分はその前に逃げたという話だから、殺害の現場は直接見てないかも知れないが。。

    

    

     ☆   ☆   ☆

いずれにせよ、群衆によるリンチ殺人や木に吊るす行為が論外なのは、言うまでもない。また、そもそも2人が本当に強盗殺人を行ったと仮定するなら、なぜそのような事を行ったのか。そこにはやはり、黒人差別による生きにくさが影響してた可能性が十分ある。

       

「バタフライ・エフェクト」、蝶の羽ばたきが回り回ってもたらす効果という言葉を使うのなら、最初のバタフライは、『奇妙な果実』という曲や歌というより、元になったリンチ事件だろう。さらに遡れば、おそらく、当時の悲惨な黒人差別というところまで到達すると思われる。

    

外国人や、元・外国籍の人、その種の人を親に持つ人が増えて来た日本でも、他人事ではない。まずは事実や歴史を知ることから始めようと思う。それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

     (計 1752字)

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朝ドラ『虎に翼』で受験、昭和初期(戦前)の国家・高等試験問題とAIの解答〜司法科・選択科目「論理学」、繋辞(コプラ)の意義

NHKの看板番組の一つ、「朝ドラ」、朝の連続テレビ小説。私が見ることはほとんど無いし、ブログ記事でもほとんど話題にしてない。正直、今(2024年・令和6年の前半)、何を誰がやってるのかさえ知らなかった。

    

ただ、先日ネット記事を流し見してると、主人公の女性(ヒロイン・寅子:伊藤沙莉)が昔の国家試験(司法試験)を受けて合格するとか、そんなエピソードが書かれてた。ドラマを見てなくても、マニアがそそられる小ネタだ。

  

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このサイトは総合マニアック・ブログだから、戦前の試験問題についても数本の記事をアップしてて、地味にアクセスが入り続けてるし、私自身も面白くて勉強になった。昔だから、現代とは問題の傾向は違うけど、予想以上にレベルが高い。

    

そこで久々に、国立国会図書館デジタルコレクションにアクセス。古い問題集の公開画像を発掘してみた。やはり面白かったから、ごく簡単に記事にしとこう。

    

実は今、問題の一部をAI(ChatGPT 有料サブスクmodel4)に回答させてみた後、色々と突っ込んだやり取りをしてて、ブログ記事を時間が無くなってしまった。いずれまた、時間がある時に、別の記事を追加したいと思ってる。需要があれば。。

    

    

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朝ドラ『猫に小判』・・じゃなくて『虎に翼』で寅子が受験したのは、昭和12年(1937年)と昭和13年(1938年)。一度、落ちた女性が、働きながら再受験して合格するのが凄い。ちなみに、実在のモデル・三淵嘉子(みぶちよしこ)はおそらく一発合格で、浪人はしてない。

   

必須の法律5科目より、選択科目の一般教養の方が面白そうだ。哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、・・etcから二科目、受験してたらしい。マークシートとか穴埋めではなく、論述形式の筆記試験。

   

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その辺りの年代を指定して、国会図書館で検索すると、5回目くらいで何とか成功。当時の問題集の画像が無料で一般公開されてた。登録やログインさえ不要で閲覧可能。著作権は消滅してるはず。育成洞『最近国家試験問題集』、昭和14年。

     

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寅子が落ちた昭和12年度受験者数を見ると、司法は3500人ちょっとで、かなり多い。13年度は3000人弱で、合格率は約10%。大部分の受験生は、選択科目でも法律関連を取ったらしい。考えてみれば当たり前だけど、あえて不利な別の一般教養を取った受験生の方に興味が湧く。わずか数十人程度。

    

今回は、昭和11年の論理学の第1問を見てみよう。現代とはちょっと違う、伝統的・古典的な「名辞論理学」の問題と用語が珍しいので。

    

    

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「一 判断ニ於ケル繋辞(コプラ)ノ意義。」

    

ちなみに繋辞とは、英語の「She is cute」(彼女はカワイイ)の is みたいな言葉。代表はbe動詞で、それに類する動詞も含まれる(seem とか)。

    

主語と述語を繋ぐ言葉だから、日本語だと繋辞と呼ばれるけど、英語だと copula(コピュラ)。コプラというのは、ラテン語読みの発音。

   

    

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ChatGPT4の回答は下の通り。

    

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私は素直で従順だから、直ちに「exist(存在する)は自動詞だから何も繋いでないのに、繋辞の一種なのか?」とか、「日本語の主語の直後の助詞『は』も繋辞の一部分ではないのか?」とか、立て続けに質問♪ それでもスラスラ答え続けるあたり、あらためて今のAIは凄いなと感心した。

     

ただ、上のAIの回答だと短過ぎて、不合格だろう。1回目の受験の寅子みたいに。もっと、ラテン語、英語、日本語の具体例を入れて具体的に詳しく解説した上に、深い考察も加える必要がある。文末の助動詞がない日本語「彼女はやさしい」なら繋辞はどう考えるのか、とか(私がAIにした質問に1つ)。繋辞は本当に前後の言葉を繋いでるのか?、という点も興味深い。

   

その辺りのやり取りや考察で、あっという間に時間が経って、金曜の夜は終わってしまった。既に土曜の朝が近づいてるので、今日は早くもこの辺で。。☆彡

   

     (計 1663字)

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約100年前のライオン歯磨きPRのアニメ映画(北山清一郎・作画)、全体の流れ・ストーリーをNHKニュース映像から再構成

世間的にも、地味なレトロ・ブームが続いてるみたいだけど、私は以前から戦前・戦中とか大正・明治のものに興味を持ってて、このブログでも度々扱って来た。

   

だから、私がピンタレストのトップページにアクセスすると、よく古い画像がお勧めされる。つい最近だと、「空爆に キャラメル持って!」と書かれた森永ミルクキャラメルの新聞広告が表示された♪ ただ、ピンタレストの場合、その画像が本物なのかフェイクなのかが分かりにくい。

    

その点、流石にNHKニュースの事実報道なら信頼できるだろう(政治・宗教・自社関連は別として)。2024年5月5日ごろ、NHKの各メディアで一斉に報道された古いアニメの発見ニュースは面白かったから、ごく簡単に記事にしとこう。

  

ただし、たぶん今現在、同種の記事は無いと思う。約8分半の全体の流れの再構成を試みる。著作権は既に切れてるはず。今現在、映像の全体は(おそらく)公開されてないけど、テレビやネット動画の途中で、各シーンごとのカットを順に並べた映像が一瞬だけ映されたのだ。

   

   

    ☆   ☆   ☆

おそらくアニメの最初の画面は、下のタイトルバック映像だと思う。当時、そんな用語はなかっただろうけど。文部省認定映画『口腔衛生』(こうくうえいせい)、ライオン歯磨口腔衛生部特作。ライオン・アーカイブス室に保管されてる台本には、「歯科衛生教育資料 活動寫眞フイルム」と書かれてた。「写真フィルム」ではなく♪

   

一番上にもライオンの旗が描かれてる。あくまで民間企業のライオンのCM映画だろうけど、101年前、1923年ごろなら稀少で貴重だから、学校とかでも映写会が開かれたはず。

  

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研究者が発見したフィルムの状態も非常に良かったらしい。東京のNPO法人「古き良き文化を継承する会」への寄贈からの発掘。

   

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大正11年(西暦1922年)ごろの北山映画製作所の作画風景。よく見ると、北山清一郎の背中の左上あたりに、ライオンという文字が見える。

   

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北山についてネット検索をかけると、「日本アニメーション映画クラシックス」というサイトを発見。ここも面白映像が公開されてるから、いずれチェックしてみたい。

  

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    ☆   ☆   ☆

さて、発見された歯磨きPR映画の全体構成は、ニュースで下のように映されてた。左上から右下へと順番に並べてるらしい。文字は小さ過ぎて読みにくいけど、大部分は読み取れるし、画像の中身はハッキリ分かる。

      

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まず、子どもがナイフとフォークで洋食を楽しむ様子が映される。「歯を強くするには」「How to keep tooth healthy?」(歯を健康に保つためには)。

    

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そして、男の子が煎餅みたいなお菓子を袋から出して、なぜか左手で食べる様子(左右逆転してるのかも)。今の私とあまり変わらない姿。まあ、私は帽子を滅多に被らないし、痩せてるし、右利きだけど♪

   

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「食物にも御注意」。「むしばの原因になりやすいもの いも パン さとう もちがし」、「むしばの原因にならないもの 牛肉 魚 青菜 くだもの(リンゴ)」、「歯のためによくないもの 熱いもの 冷いもの」、「歯のために良いもの ビターミン カルシューム」。今でもそこそこ正しい知識♪ 丸文字が可愛い。

   

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    ☆   ☆   ☆

この後、お母さんへのアドバイスが続く。子育てはあくまで母親、主婦の役割とされてるあたりは、さすがに時代を感じさせる。しかも、美人♪

   

現在なら、男女同権の考え、フェミニズム的批判、ルッキズム批判とかで、ほぼ不可能な主張と企画。ただ、お母さんに限らず、作品全体が女性を主役にして作られてるのだ。

    

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「健康なる母親よ!! あなたは必ず健康なる愛児を得るでありませう」。この直前には、「歯の発育(?)は妊娠五十日より始まります・・」とも書かれてた。

  

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実写のパートを混ぜて、時間と予算を削減したとかいう解説(同志社大学・文化情報学部・佐野明子准教授)。セット代や出演料を考えると、この短い挿入映像でホントにコスト削減できるのかどうかは不明。女性の髪型もきちんと結われてる。

    

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     ☆   ☆   ☆

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ニュース動画では、上の和む映像がラストに使われてたけど、実際の順番はラストじゃなくて、その少し前。お母さんと一緒に歯を磨いた後。

  

そして、小学校に登校。おそらく、校門の手前で歯を見せてる。キレイな歯で登校すると。目の玉をくるくる回したのは、コミカルな効果を狙いつつ、頭の中で歯磨きを思い出す様子を描いてるのかも。

    

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そして、校門をくぐって、「終」。最後のカットは、上に「ライオン歯磨口腔衛生部(?)」と書かれて、「終」の下には歯ブラシと歯磨き粉(というよりチューブ)の絵。当時から、クリーム状の練り歯磨きが普及してたのかな。粉じゃなくて。

  

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    ☆   ☆   ☆

よく見ると、この女の子も洋風のオシャレな服装になってる。上はセーラーっぽい白の制服で、下は膝丈のミニスカートに白いハイソックス。カバンはショルダー。帽子も含めて、令和のお嬢様学校でもありそうな服装。

    

というわけで、大昔のアニメを令和に見ても十分楽しめることが分かった。戦後まもない頃の作品も色々と見てみたいと思いつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

    

     (計 2113字)

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NHK『太平洋戦争1943(後編)』のごく短い感想、戦意高揚の単語数の推移とか&エアロバイクまた45km

(13日) BIKE 45km,1時間33分07秒,平均心拍 126,最大154

消費エネルギー 670kcal(脂肪 241kcal)

        

WALK 3.1km

   

   

本格的な記事を書く余裕はないけど、昨日もNHK『太平洋戦争 1943 国家総力戦の真実(後編)』を見た。興味深い内容と映像の数々の中でも、目に留まったのは、エゴ・ドキュメント(日記・手記・手紙などの一般市民の文章)に書かれた「戦意高揚に関する単語数の推移」。

   

1190人、のべ19万3000日分ということは、1人平均で160日分くらいか。戦時下で、よくそんなに書いたもんだと感心する。

    

  

     ☆     ☆     ☆

私は、丸18年近く毎日ブログを書いてるから、合計で6500日分。太平洋戦争の期間(4年8ヶ月)で試算すると、1700日分か。平時とはいえ、そこそこ頑張ってるかも。

  

最近は情報が溢れ返ってるから、私のブログが未来のNHKスペシャルで使われることはないだろうけど、私が死んだ後でも誰か読む人はいるはず。いずれデジタル遺産として、自分できっちり残すか、あるいは、海外のインターネット・アーカイブや国立国会図書館のアーカイブに任せるか。

   

ちなみに昨日は、前編で紹介された元・兵士の手描きの絵について軽く書いておいた

   

 NHK『太平洋戦争1943(前編)』、兵士が描き残した絵(エゴ・ドキュメント)は貴重&ジム25日目、バイク45km

   

   

      ☆     ☆     ☆

さて、私は素直で従順な性格だから、NHKスペシャルの戦争番組を見ても、そのまま受け止めることはない。

   

戦意高揚の単語として、大文字で強調されてたのは、「殉国 一億火の玉 鬼畜米英 大東亜 玉砕 一矢報いる 学徒出陣 報告 撃ちてし止まん 八紘一宇」。

  

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それらはともかく、それ以外の小文字で一瞬映ってた「志願 憎悪 俗悪 犠牲 敢闘」などが本当に戦意高揚の意図・意味で使われてたのか、文脈がちょっと気になる。

  

NHKと慶応大学・玉井清教授が協力して、文章をスキャンしてコンピューター(AI)解析したんだろうけど、スキャンと解析の精度がまず問題。

   

私も仕事で似たような事をするけど、まだ日本語の手書き文字の認識精度は不十分。イマイチかイマニで、それを手作業で一つ一つ修正するのはかなり面倒な作業になる。特に80年前の紙の資料だと大変だろう。

    

   

      ☆     ☆     ☆

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あと、「戦意高揚に関する単語数の推移」という棒&折れ線グラフの縦軸は、単語数になってて、おそらくこれは言葉の種類の数、語彙の量だと思う。使用数だと考えると、少な過ぎるので。

    

語彙が増えるのは、戦況とメディア報道の変化を考えるとごく自然で普通のこと。それを言うなら、現代でもICT関連の単語数は激増してるはず。

 

だから、「のべ使用数」の推移も調べるべきだと思う。当然、桁違いに数が増えるはず。試しにネット検索してみたけど、NHKと玉井教授関連では情報が見当たらなかった。既にスキャンしてデータ化してるのなら、簡単に計算できるので、貴重な資料としてNHKのウェブか大学HPとかで公開して欲しい。

    

    

      ☆     ☆     ☆

サラッとコメントした所で、早くも、単なる小市民アスリートの練習日誌に向かおう。無味乾燥な個人的データでも、案外、未来の誰かが予想外の意図や関心で分析してくれるかも。

   

三連休の最終日の昨日も、地道にジムでエアロバイク。前日ほどではなかったけど、やっぱりジムは結構にぎわってた。少しずつ、顔というか、姿を覚えて来る。あえて具体的には書かないけど、ウェアが独特だと分かりやすい。マシンの使い方にも特徴がある。

     

前日、今季最長の45kmをこなした直後だから、あんまし自信は無かったけど、再び45kmに挑戦。何とか、僅か7秒遅れのタイムでクリアできた。1時間33分07秒で、平均時速29km。心拍は、流石に前日より上がってしまったけど、まだまだ余裕。ただ、脚が最初からちょっとダルかったし、呼吸もキツめ、汗もちょっと多めになった。

   

         

      ☆     ☆     ☆

レベル9で2分半。レベル10で5分。実験的に、ウォーミングアップを短めにした後、レベル11で1時間15分30分。長過ぎて、単調で飽きたかも (^^ゞ

  

最後は、レベル12で6分30秒。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で1分37秒。思ったより早めに、走行距離45kmに到達したから、高レベルの時間が少なくなってしまった。まあ、疲れてたから良しとしとこう。

      

新・心拍計は正常に作動。お盆休み「前」の仕事がまだまだ終わらないな・・とか、毎年のようにボヤキつつ、ではまた。。☆彡

   

  

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      (計 1883字)

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NHK『太平洋戦争1943(前編)』、兵士が描き残した絵(エゴ・ドキュメント)は貴重&ジム25日目、バイク45km

(12日) BIKE 45km,1時間33分00秒,平均心拍 118,最大150

消費エネルギー 608kcal(脂肪 243kcal)

      

WALK 3.1km

   

    

今週は既にかなり書いてるから、今日はごく簡単なつぶやき日誌にしようと思ってたけど、夏の恒例、NHKの戦争番組を動画で見て、気が変わった。

    

去年に続く、エゴ・ドキュメント(個人が残した記録)を中心とする歴史番組『新・ドキュメント 太平洋戦争』、1943年版。「国家総力戦の真実」。番組全体が興味深いものだったけど、特に私の印象に残ったのは、兵士が描き残した絵。「戦場のリアルが刻まれていた」。

   

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上質のスケッチブックに、色鉛筆で描いて、文章も添えてるらしい。かなり上手いし、浮世絵的な要素も含む貴重な芸術資料なのに、Googleで検索すると全く情報がヒットしなかった。

    

個人の記録だから仕方ない側面はあるけど、既に国営放送が放映したし、描いたご本人たちも明らかに広く知って欲しいはず。とりあえず、名前と小さい画像くらいは転載させて頂こう。私のブログという、21世紀版のエゴ・ドキュメントにおいて。

    

    

      ☆     ☆     ☆

その絵は、ブーゲンビル島での活動と戦闘に関するもので、帰国後に描き続けた作品だと思われる。

  

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マイクロソフトで地図検索すると、日本の遥か南で、オーストラリアの少し北。パプア・ニューギニアの島。この距離と位置を見るだけで、こんな所まで支配しようとした無謀さが分かる気がする。それを言うなら、そもそもの真珠湾攻撃からして無謀だが。

  

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去年、扱われた、悲惨なガダルカナル島と、歌で有名なラバウルの間で、飛行場を作って連合国軍(米軍)の攻撃を食い止めようとしてたらしい。おそらく当時も、こんな感じの熱帯雨林だったんだと思う。失礼ながら、日本の小市民としては、1日でさえ耐えられないような場所に見える。撮影隊にとっても、大変なロケだったようだ。

     

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      ☆     ☆     ☆

元・陸軍准尉、井手末光氏が遺した絵の数々。次女の井手逸恵さんが提供。まず、「空腹・・・餓死寸前の体に鞭打って」移動する姿。歩いて、重い荷物と武器を持って。

    

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続いて、米軍機が飛ぶ下で、木に身を隠す兵士たち。

   

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さらに、ご自身が負傷して、腕を切断される手術の様子。切られた腕はどこかに捨てられてしまったそうだ。麻酔や輸血や薬は十分あったのだろうか。。

  

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      ☆     ☆     ☆

もう1人、桐木平武二氏の絵も使われてた。この方は有名人みたいで、検索すると色々な情報がヒットする。NHKの扱いが少なかったのは、画集が有料で2019年に発売されてるからかも(非会員1500円)。ここでも、テレビ映像のキャプチャーは非常に小さく圧縮しとこう。

    

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船が潜水艦の攻撃を受ける様子は、どちらの作品か分からないけど、番組の流れ的には桐木平氏のものかも知れないから、こちらもごく小さく。

  

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今なら、誰でもスマホやカメラを持ってるから、写真や動画が溢れてる。ただ、写真より絵の方が、人間の目と心には分かりやすいことはよくあること。人間の印象で、情報を絞り込んで、逆に心を込めてるからだろう。

  

そう言えば、私もイラストを描きたいと昔から言いつつ、いまだに何も書いてない。iPadにアップルペンシルで描いて練習したくなった。ともあれ、貴重な作品と活動に感謝。。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、三連休の中日の昨日も、ジムでエアロバイク。みんな、ヒマというか、時間の余裕が出来たからなのか、今シーズンで最高の人数が集まってた。

  

活気があるのはいいけど、ちょっとコロナ感染が心配ではある。実際、私の周囲でも次々と感染報告が出てるのだ。職場でも、プライベートでも。

  

乗鞍ヒルクライムまでもう2週間しかないから、エアロバイクで予定通り45kmの走行距離まで回した。1時間37分くらいで十分だと思ってたけど、妙に調子が良くて、1時間33分で余裕を持って終了。平均時速29km

   

心拍もやたら低かったし、呼吸も楽、汗も少なめ。やっぱり、館内のエアコンの温度設定が違うような気がする。涼しいと全然ラクなのだ。乗鞍は高山でかなり涼しいから、レースの温度にも近くなる。去年なんて、登ってる途中から、ずっと寒かったほど。当然、何かと話題の富士登山は遥かに寒いはず。皆さん、お気をつけて。

     

     

      ☆     ☆     ☆

レベル9で3分半。レベル10で15分。レベル11で1時間02分30分。レベル12で8分。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で2分。

  

新・心拍計はほぼ正常に作動してると思う。かなり低い値になってるけど、途中で何度か、マシンの心拍計(両手でつかんで測定)と比較したら、ほぼ一致してた。

   

なお、今週は計15264字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

  

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       (計 1972字)

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原爆の報道規制の原点、1945年9月15日の朝日新聞・鳩山一郎の記事内容(縮刷版、NHK『歴史探偵』)&ジム24日目

(10日) BIKE 37.4km,1時間16分00秒,平均心拍 131,最大153

消費エネルギー 574kcal(脂肪 178kcal)

      

WALK 3.1km

  

  

今日は生活コネタをトッピングするつもりだったけど、たまたま見たNHKプラスの戦争番組で気が変わった。重い情報を1つ、正確にあげとこう。数年前に同種の情報が1つだけ、ネットに出てるけど、ウチの扱い方とはかなり違ってる。

    

敗戦または終戦の直後、広島・長崎の原爆被害の報道はそれなりにあったが、1ヶ月後くらいから6年間ほど(?)、急激に消えてしまったらしい。

  

そのキッカケの1つが、朝日新聞とのこと。1945年9月15日の記事を見たGHQ(連合国軍総司令部)が激怒。いきなり、19日と20日の新聞発行を停止させたほど。

   

    

     ☆     ☆     ☆

私が、8月9日放送のテレビ番組『歴史探偵 消えた原爆ニュース』を動画で見て注目したのは、その記事内容の「平凡さ」。当時の有力な政治家で、後の首相でもある、鳩山一郎へのインタビュー記事の一節だ。ちなみにこの番組は、放送日の朝日新聞・朝刊でも紹介されてた(「試写室」)。

      

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原子爆弾の使用や 無辜(むこ)の国民殺傷が 病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反 戦争犯罪であることを 否むことは出来ぬであろう

    

正直、令和に生きる私が聞くと、拍子抜けするほど普通の意見、普通の文章だと感じる。ところが、それは当時の占領軍とか米国にとっては絶対に許せないものだったらしい。

   

人類史上初の核兵器使用を国際的に正当化すると共に、自国民に対しては原爆の凄まじい威力を隠すため。米国内では当時、もし自国で原爆が落ちて来たら、身をかがめて何かで身体を覆えばいいというような映像が流れてたらしい。

    

    

      ☆     ☆     ☆

番組を見終えた後、朝日新聞のデータベースで過去の縮刷版をチェックしてみた。かなり前のスキャンだろうから、マシンやアプリ(ソフト)の性能も低いのは仕方ないが、かなり読みづらい画像になってる。そもそも78年前の記事だから、日本語の言葉遣いや文字・記号も多少、違ってる。例えば、句点(。)が無くて、読点(、)だらけなのだ。

    

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著作権に配慮して、ほとんど読めない程度の縮小引用に留めるが、記事がわりと長めで、しかも別に原爆や戦争に焦点を絞ったものではないことが分かるだろう。昔は文字が小さいので、見た目よりも中身は長い。二面しかない新聞の、一面の左下。

  

記事タイトルは「新党結成の構想 上 鳩山一郎氏」。大見出しは「婦人参政権実現」。小見出しは「官僚統制は絶対排撃」。日本人の一般男性の私としては、自然にスルーしてしまいそうな記事に見える。

  

ところが、9段に分かれた記事の8段目に、分かりにくい形で戦争の話が書かれてるのだ。段落のタイトルは「工業政策を確立せよ」。インタビュアーの質問は、「戦後復興の諸施策如何」。日本の復興をどうするかという文脈で、米国の戦争犯罪の指摘が登場する。要するに、償いとしての支援を米国に求めてるのだ。

    

   

      ☆     ☆     ☆

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"正義は力なり"を標榜(ひょうぼう)する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜(むこ)の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう、

  

極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身、自らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしむること、日本の国力だけでは断じて復興の見通しのつかぬ事実を率直に披瀝し・・・」。

   

    

ひょっとすると、本当はこの鳩山の強気な発言が気に障ったものの、有力政治家に対する直接の処罰は難しいから、代わりにメディアを叩いたという側面があるのかも。

   

個人的には、鳩山の「正義は力なり」という言葉の解釈と使い方も興味深いと思うが、話が本題から逸れてしまうので省略。

   

いずれにせよ、こうした過去の米国の行動や姿勢は、現在の世界情勢、ロシア・ウクライナ戦争を考える上でも参考になる。もちろん、米国以外の国、とりわけヨーロッパと中国の過去についても、「不都合な真実」に目を向けるべきだろう。もちろん、過去は過去。それ以上ではないが、それ以下でもないから。。

    

  

cf. 「WGIP」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と『真相はこうだ』、占領軍GHQによる日本人「洗脳」?~保守vsリベラル

  

   

      ☆     ☆     ☆

一方、単なる令和の小市民アスリートの方は、昨日も真面目にジム通い。エアロバイク1時間半の予定が、また1時間16分になってしまったけど、最初から前日より感触が良くて、余裕があった。走行距離37.4kmで、平均時速29.5km

   

レベル9で2分。レベル10で20分。レベル11で36分。レベル12で13分。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で3分。新・心拍計は正常に作動。何か、汗の量がどんどん増えて来た気がする。

   

いつの間にか、もう乗鞍ヒルクライムまで半月になってしまった。コロナ感染に細心の注意を払いつつ、テンションをキープして行こう。ではまた。。☆彡

   

  

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       (計 2095字)

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上皇さまが皇太子時代、美智子さまと出会って恋愛・結婚された、軽井沢会テニス・トーナメントの試合(昭和32年、1957年・夏)

今現在は、クリスマス・イブの深夜というか、既に未明。毎年恒例の長寿テレビ番組を見て、徹夜で長編ブログ記事を書くつもりだったのに、今年はなぜか1日ズラして、明日が放送日になってた。

   

深夜に突然、時間が空いて、とりあえず2022年12月24日(土曜)の朝日新聞・朝刊別刷beを開いてみると、見開き2ページに青空とテニスコート(クレー:土)の写真が載ってる。「はじまりを歩く」シリーズ、「テニス 長野県軽井沢町 横浜市」。文・稲垣康介、写真・吉田耕一郎。

  

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日本では最近、残念ながら人気が落ちてるテニス。なぜ急に?・・と思ったら、上皇さまのお誕生日記念ということか。前日、12月23日に89歳になられて、近況写真も公開されてた。横には上皇后・美智子さまの姿。

    

お2人が軽井沢のテニスで知り合ったというのは有名なエピソードだろう。ただ、詳しい情報は見聞きしたことがなかった。

    

   

     ☆     ☆     ☆

テニスのはじまりについて、朝日の記事にはこう書かれてた。「日本にテニスが伝わったのは1876年(明治9年)、横浜の外国人居留地だった山手公園だったとされる」。

   

明治の半ばまで、ということは10年間ほどは、プレーは原則として外国人に限られてたとの事。当時の外国人女性の華やかなウェア(というよりパーティー・ドレス)の写真もあった。

     

軽井沢では、19世紀末から、教会や宣教師の影響でテニスコートが作られて、1901年ごろには日本人も一緒にプレーしてたと言われてるそうだ。120年前だから、さすがに正確な記録は残ってないということか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

軽井沢の発展につれて、地元の組織が創設されて、やがて「軽井沢会」が誕生。昭和32年(1957年)8月、その部内トーナメント(ABCDトーナメント)で、当時の皇太子さまが、正田美智子さまと知り合う。有名な、「テニスコートの恋」。最初の出会いは、偶然、試合をしたことだったらしい。混合ダブルスの4回戦(準々決勝)で対戦。

    

「陛下(=皇太子さま)は早大生、美智子さまは13歳のカナダ人少年と組み・・・美智子さまペアが勝利した。・・・陛下は『あんなに正確に粘り強く打ち返してくるのだから、かなわないよ」と振り返ったとのこと。学習院大の2年後輩で、その後、恋のキューピッド役を務めた、織田和雄さんの談話。

  

ということは、美智子さまペアは、皇太子さまペアに(あまり)遠慮せずに戦ったことになる。皇室相手でも、スポーツは全力で。この世界では普通らしい。お互いが実力で3回戦までの試合を勝ち抜いたからこそ、4回戦で偶然の出会いが生じた。ちなみに織田さんには、『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)という著作もある。

      

2年後の昭和34年(1959年)4月10日にご成婚。「ミッチーブーム」の到来。軽井沢のテニス大会には、今の天皇陛下や秋篠宮さまも、子ども時代に出場されてるそうだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

さて、私はここ10年くらい、テニスをしてないが、その前は結構やってたし、テレビや雑誌も見てた。小さな大会にも、3回くらい出場してる。

  

元・テニス好きとして気になったのは、上皇さまご夫妻が出会った時の、試合の内容。朝日新聞のデータベース(縮刷版)で検索すると、テニス情報は実質的に1件しかヒットしなかったが、さすがに細かい話まで書かれてた。1958年11月27日、「皇太子妃きまる」という2ページの号外。

    

それによると、試合は8月19日だから、完全な真夏。「午前の混合ダブルス二回戦」と書かれてる。午前なら、四回戦ではなく二回戦の方が自然な気もするが、朝早くから予選があったのかも知れない。4回戦か2回戦か、とりあえず保留しとこう。ちなみに美智子さまの相手も、号外には十二歳と書かれてた。13歳なのか12歳なのかも保留しよう。

   

ただ、美智子さまはスポーツ万能で、特にテニスは昭和「三十年関東女子新進トーナメントで優勝、卒業後はとくに夢中」と書かれてる。かなりの実力なのは事実らしい。

  

その美智子さまと、「二時間近い接戦」をしたということは、皇太子さまペアもかなり強かったということ。スコアは7-5、6-3だから、3セットマッチ。2セットだけで終了してるのに、2時間近くもかかったということは、ラリーが延々と続いたのだろう。確実にボールをつなぐ正確なプレースタイルか。

   

   

      ☆     ☆     ☆

その後、特に翌年(昭和33年)、お2人はテニスでさらに接近したものの、ご結婚の決定直前までは、美智子さまの側から何度も辞退があったらしい。日清製粉の社長令嬢とはいえ、民間人の出身は前例が無かったし、遠慮されるのも自然なこと。

   

その辺りのご結婚の詳しい事情は、おそらく色々と報道、記録があるはず。今日はとりあえず、最初のテニスの試合内容を確認したことで満足しとこう。

   

なお、今週は計14126字で終了。また来週。。☆彡

    

      (計 2023字)

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日記、手紙、「エゴ・ドキュメント」から見た太平洋戦争の歴史(NHKスペシャル)&行列待ちの朝イチジム、絶不調

(15日) BIKE 35km,1時間15分,平均心拍140,最大164;1567kcal?

WALK 3km

    

8月6日の原爆記念日に広島を思い出して、8月15日の終戦(敗戦)記念日に太平洋戦争・第二次世界大戦を思い出す。私にとって、お盆の恒例行事みたいになってる。

   

朝日新聞の戦争記事はなるべく目を通すようにしてるが、やっぱりテレビ映像&音声の方が直感的なインパクトがある。先日見たNHKスペシャルも印象深かった。

  

 『新・ドキュメント 太平洋戦争 1942 大日本帝国の分岐点(前編)

  

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英語の副題は、「Unvailing The Pacific War」。太平洋戦争のベール(覆い)を剥がす。つまり、あらわになってない真実、隠された側面を明らかにする。

    

   

     ☆     ☆     ☆

大日本帝国の分岐点というのは、1942年のミッドウェー海戦での大敗北と、その辺りにある日本の転換点のこと。

  

ただ、分岐点というと、長い道筋の真ん中あたりの地点を思い浮かべてしまうが、42年6月というのはまだ戦争が始まって半年後のこと。

 

簡単に言うと、半年だけ日本の調子が良くて、後の3年2ヶ月は負け戦だった。これを量的に可視化・見える化すると、下のようになる。好調だったのは本当に最初だけ、左端だけなのだ。

   

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ただし、主観的・心理的には、かなり後の方(右の方)まで好調に見えたかも知れない。あるいは、そう信じたかったのかも知れない。これは、今現在の世界を見てもあまり変わってないと思う・・とだけ書いとこうか。

  

基本的に、人はみな、信じたいものを信じる。欲望が中心なのであって、理性とか知性ではない。

   

   

       ☆     ☆     ☆

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今回のNスペの特徴は、「エゴドキュメント」(Ego Document)への注目。市民から指導者まで、人々が書いた個人的な日記・手記・手紙などの総称。英語だと、ego-docunent、egodocument という綴りもある。

   

日本語でも英語でも、あまり使われてない言葉だが、1950年代から提唱されてたらしい。エゴドキュメント歴史研究センター(Center for the Study of Egodocuments and History)の英語サイト(元はオランダ)の説明だと、最初は1955年とされてる。

     

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ただ、提唱者とされるオランダの学者、ジャック・プレッサー(Jacques Presser)に関する英語版ウィキペディアの記事を見ると、1953年とされてた。まあ、戦後の少し落ち着いた時期と考えればいいと思う。

  

もっと広く見るなら、文学や精神医学の世界では、個人の語りに注目するのは昔から普通のこと。それが歴史学の世界にも取り入れられたということか。そう言えば、社会的・歴史的な哲学者の代表であるフーコーも、ほぼ同じ頃から個人的資料に注目してた。

    

    

     ☆     ☆     ☆

話をNスペに戻すと、番組で紹介されたエゴ・ドキュメントの中で個人的に興味深かったのは、やっぱり単なる市民の日記だった。

 

それは、私自身が日記をよく書く人間だからかも。子どもの頃から書いてたし、今も17年間、毎日ブログを更新してるほど。ただ、もし100年後のNHKスペシャルでエゴドキュメントが引用されるとしても、残念ながらブログよりツイッターだろう。特に日本では、なぜか、瞬間的でごく短い一言つぶやきが好まれるようになってる。

     

で、1942年の市民の日記の中でも、12歳の和田恭子さんの記録はカラフルで目を引くものだった。その時代に色鉛筆かクレヨンを使えるということは、京都の裕福な家庭だったということか。あるいは、安く簡単に手に入る一般的な文房具だったのかも。

      

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 1月3日 「マニラ完全占領 うれしいうれしい まちにまったニュース」。完全占領という、あまり12歳らしくない戦争関連の漢字が目立ってる。それでいて、待つという漢字は使ってない。ちなみにニュースは、ラジオの音声。急激にラジオが普及してたらしい。

   

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日本の占領地が拡大する様子を、日の丸の絵記号と共に世界地図にしてある。学校の宿題ではなく、自分で自主的に書いたとしたら、かなり優秀な生徒だろう。親の教育水準も高かったのかも。

  

著作権、肖像権などについては、ご本人か遺族に了解を取ってるということか。当時12歳なら、今は92歳くらい。寿命が長い女性だし、まだお元気であっても不思議はない。

    

   

      ☆     ☆     ☆

そう言えば、私もブログにイラストを導入しようとしてたのに、いつの間にか忘れてしまってる。後世の人がたまたま閲覧したとしても興味を持てるよう、心がけたいもの。

  

ちなみにウチのブログのトップページも、Internet Archive にマメに保存されてる。2005年12月から2022年7月まで、173回も自動的に保存されてるのだ。トップページ以外も別に多数保存されてるから、まさにエゴドキュメント。

      

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100年後に英語の検索が入る可能性も十分あるから、もっと英語を入れるべきか。それとも、自動翻訳機能やAIの自動サーチが格段に発達してるから、既に言語の違いは問題とならないのか。。

     

    

     ☆     ☆     ☆

一方、歴史には残らない単なる小市民のトレーニングについて。前日に続いてというか、もっと早く、本当にジムの開館時間(1分後)に行ってみたら、入り口から行列が続いてて驚いた (^^ゞ ということは、オープン前から待ってる人がかなりいるはず。

   

急いでジムエリアに行ったのに、既に私のお気に入りのエアロバイクは使われてたから、仕方なく別のバイクへ。テレビのリモコンとか、マシンのガタつき具合とか、微妙に違うのだ。

   

7月初めに初めてから、これまで、ずっと右上がりの好調だったけど、遂に昨日は絶不調 (^^ゞ やっぱり、急に朝に切り替えたのが身体に効いた気がする。昨日はジムに行く前からもう、心臓あたりに圧迫感があった。回し始めても、すぐ太腿がダルくなって、心拍も前日よりかなり高め。回転数が少なくなって、距離表示も伸びない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

それでも、1時間15分、無理して頑張ってみた。レベル10で1分半。レベル11で5分レベル12で56分半。レベル13で5分

  

もう心拍が高くなり過ぎたので、レベル12に下げて3分。そして、レベル14で1分、レベル15で30秒。何と、最大心拍164まで上昇! 最後は、レベル12で2分半。もう、脚の筋肉がヘタってた。今でも変な疲れがジーンと残ってしまってる。完全なオーバー・トレーニング。

    

というわけで、もう寝るとしよう。休息もトレーニングの一環だから。心拍計は2つとも正常に作動。ではまた。。☆彡

    

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      (計 2690字)

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「テルアビブ空港乱射事件」50年、出所した日本赤軍の元最高幹部・重信房子が「リッダ闘争(斗争)」と呼ぶ理由・背景

この記事を書く直前、念のために日経新聞HPと読売新聞HPで「テルアビブ」の検索をかけると、50周年に関する記事はそれぞれ1本しかヒットしなかった。NHKだと0本で、重信房子の記事に「イスラエルの空港」と書かれてるだけ。

   

ところが、私が購読してる朝日新聞だと、紙面掲載記事だけで4本、他にサイトの記事もある。なるほど。やはり朝日は左派・リベラル新聞なんだと改めて確認できた。

   

今回、私が気になったのは単純なことで、「テルアビブ空港」という名前の空港は存在しないらしい。22年5月27日の朝日新聞の記事は、大見出しが「日本赤軍 テルアビブ空港乱射50年」となってるが、本文では「テルアビブのロッド国際空港」と書かれてる。

  

日本語のウィキペディアだと、項目名は「テルアビブ空港乱射事件」となってるものの、続く冒頭の要約文では、「イスラエルのテルアビブ近郊都市ロッドに所在するロッド国際空港(現:ベン・グリオン国際空港)で発生した・・・」と書かれてる。

  

それなら「ロッド空港乱射事件」とか呼ぶべきでは?・・と思ってたら、重信房子が「リッダ闘争」と呼んでるのを見て、単純な疑問がさらに深まったのだ。この錯綜した呼び名には、何か意味や背景があるはず。。

   

   

      ☆     ☆     ☆

というわけで、まずイスラエルの詳しい地図をネット検索してみると、意外なほど見当たらない。これは政治的な理由なのか? 安全保障とか、国家としての承認の問題とか。

   

英語で検索すると、ウィキメディアの地図が一応ヒット。テル・アビブ(TEL AVIV)と空港のマークならあるが、ロッドという都市名は無い。

           

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ところが、あの事件は、英語版ウィキの項目名だと「Lod Airport massacre」(ロッド空港虐殺)なのだ。そこから「Lod」に飛ぶと、アラビア語でリッドとかラッド、リッダと読むらしいことは分かった。

  

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ただ、グーグル翻訳で発音を聴くと、冠詞付きで(?)「アラッド」と聞こえる。リッダとか、アラッダには聞こえない。パレスチナ的な発音がリッダということか?

    

英語版ウィキには、位置もごく簡単に示されてた。確かに、テル・アビブの近郊(南東)の市らしい。

   

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       ☆     ☆     ☆

これがどうして「テルアビブ空港」となったのか。おそらく、テルアビブの方が大きくて分かりやすいということだろうが、50年前の日本人のほとんどは「テルアビブ」と言われても分からなかったはず。

   

マスメディアの判断かと思って、当時の朝日新聞を調べてみると、第一報は1972年5月31日の夕刊。イスラエルの現地時間なら5月30日、日本時間だと5月31日の午前5時半過ぎだったらしい。小見出しにも、続くリード(要約)にも、テルアビブ空港と書かれてた。この表記が、現在まで続いてるわけか。

   

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ただ、その後の新聞報道も見てみると、大がかりな続報というわけでもなかった。はるか中東の事件ということもあるし、既に連合赤軍のあさま山荘事件も解決した後で、新左翼の過激派に対する社会的な関心が薄れていたことの表れかも知れない。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、2022年5月28日の朝、出所した、日本赤軍の元最高幹部、重信房子(76歳)。下は、読売新聞HPより

  

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重信の直接の容疑は、オランダのハーグ事件への「間接的」関与だが、確定判決は懲役20年。その他諸々の事件が影響してるのは間違いない。ちなみに上の読売の記事では、「イスラエルの空港」という表現がある。

    

重信の出所直後の質疑応答では、「リッダ斗争」という表記があった(産経新聞HP)。出所に合わせて公刊された著書『戦士たちの記録』(幻冬舎)では、帯や本文で「リッダ闘争」と書かれてる。もちろん、そんな堅苦しい闘争用語より、美人とか可愛いと言われてたらしい顔写真に目が行く人が多いだろうが。

          

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       ☆     ☆     ☆

「リッダ」は「ロッド」だとしても、「闘争」という呼び方にはかなり違和感がある。しかし、彼女的にはあれは闘争らしい。 「斗」争という漢字の使い方は、彼女の個人的な好みだろうか。

    

一応、出所の際の手記、質疑応答と、上の著書の試し読み部分を軽く読んでみると、それなりに筋が通ってるような気もしてしまった。

  

要するに、人を大量に殺したのは悲惨な事実だが、それを「乱射」「虐殺」「テロ」などと呼ぶかどうか。その点が問題、論争点なのだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

確かに、ロシアの侵攻を受けてウクライナは激しく応戦してるが、ウクライナがロシア兵を「虐殺」したというような否定的表現は全く見かけない。それどころか、日本や欧米では、拍手するような雰囲気もある。

        

また、過去のアメリカの歴史を見ても、人を大量に殺してるのは間違いないが、それはあまり(orほとんど)問題視されない。それどころか、空港乱射の1万倍の死者を出した広島・長崎の原爆投下でさえ、米国的には正当化されてる。

    

それなのに、どうしてパレスチナのために行ったイスラエルへの「報復」攻撃だけが、ネガティブに、乱射・虐殺・テロとされるのか? 重信が「ダブル・スタンダード(二重基準)」だと批判するのは一理か半理ある。彼女に言わせると、テロリズムとかテロリストなどという言葉自体も、非常にアメリカ的なものらしいのだ。

  

  

      ☆     ☆     ☆

とはいえ、戦争にせよ、抵抗・解放運動にせよ、それぞれ特有の複雑な事情があるので、一概に同一視することもできない。日本赤軍が本当にパレスチナ解放のために戦ったのかどうかもまだよく分からないというか、かなり疑問ではある。

      

とりあえず、報道における殺傷行為の呼び名には注意することにしよう。なお、アラビア語のウィキペディアで空港の事件を見ると、非常にあっさりとした説明しかなかった。パレスチナでは日本赤軍が英雄視されてるという情報には、ちょっと注意が必要かも知れない。たとえ、岡本公三が今でも亡命先のレバノンで厚遇されてるのは事実としても。

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

   

P.S. 22年6月1日の朝日新聞・夕刊では、1面トップで生き残りの岡本の記事が大きく掲載された。見出しの2行目には、「テルアビブ空港」乱射事件50年と書かれてるが、次のリード冒頭では「ロッド空港(現ベングリオン空港)」と書かれてた。

      

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P.S. 2023年10月11日、BS-TBSの『報道1930』に重信メイがゲスト出演。ハマスvsイスラエルの戦いについて、ハマス側(パレスチナ側)に立つコメントを述べたので、ネットその他がざわついてる。

        

    (追記101字 ; 合計2656字)

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史実に基づく歴史物語~『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』(NHKスペシャル)

このブログでも何度か書いた気がするが、history(歴史)という言葉とstory(物語)という言葉は、語源的には同じものとされてる。

  

ラテン語のhistoriaから更に、古代ギリシャ語のイストリアまで遡ると、歴史、学ぶこと、学んだ人、調査したことの話・内容・・といった意味になる(英語版ウィクショナリー)。こうした語源的な説明自体もまた、歴史=物語の1つである。

   

要するに、物語と同様、歴史というものも、「事実」とか「真実」からは距離があるのだ。だから国際的にも、国家間の歴史認識、解釈の相違が大きな問題となる。見方によって、語り手によって、歴史物語は異なるものとなる。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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19年8月11日放送のNHKスペシャル『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』は、確かに手間暇かけた労作で、私は録画して繰返し丹念に見た。

  

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ただ、内容はもちろん、この番組タイトル「悲劇の・・」からして、再現ドラマ的な物語、お話の要素がかなり入ってる。それを踏まえて見ること、受け止めることが一番大切なことだと思う。上図、まるで救いを求めて必死に手を差し出すような、あるいは戦争を止めようとするような最後のカットを見ても、物語的な構成が見て取れる。

     

ある意味、当たり前の基本を改めて書く所から始めるのは、朝日新聞・8月16日朝刊の記者レビュー(河村能宏)の感想に、そうした姿勢が感じ取れなかったからだ。まるで、NHKが新たに見出した「真実」を「事実」として受け止めたかのように絶賛していた。「驚かされた・・突き止めた・・手に取るようにわかる」。まるで番組内で映された、日本軍・大本営発表の華々しい戦果を1面で大きく書く77年前の朝日新聞のようだ。

    

ちなみに先日記事にした浜崎あゆみの告白本は、冒頭からいきなり「事実に基づくフィクションである」と書いてた。この言い回しを借りるなら、今回のNスペは「史実に基づく歴史物語である」と言うべきだろう。史実そのものとか、真相ではなく。。

   

   

    ☆     ☆     ☆

最初に、NHKが語った物語のあらすじを書いておこう。

    

これまで、陸軍の精鋭部隊である一木支隊は、一木清直大佐の無謀な指揮によってガダルカナル島で全滅したかのように語られて来た。しかし惨敗の主な原因は、大本営の誤った認識、陸軍と海軍のズレ、陸軍内の指揮系統による命令、日米の圧倒的な兵力の差によるもので、一木も遺族も悲劇の犠牲者であった。。

   

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1941年12月の真珠湾攻撃が行われたアメリカ・ハワイと、連合国オーストラリアを結ぶ線上に位置するガダルカナル島。ここで制空権を握ろうとして、日本は空港を整備していた。図の左上に半分だけ見えてるのが日本列島で、約6000kmの距離。ガダルカナルの北西1000kmのラバウルには、日本軍の司令部があった。

   

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そこへ1942年8月7日、アメリカ海兵隊の1万人が来襲、空港を占領。当時、ガダルカナルには、海軍警備隊150人と1個中隊(数百人くらいか?)、設営隊2500人がいたそうで、合計すると3000人レベルだが、番組は彼らについてはそれ以上の説明をしてない。あくまで物語の主人公は、一木支隊の先遣隊916人。

  

日本の大本営はその日の内に、陸軍・海軍の緊急会議を開いて、太平洋では初の本格的共同作戦を開始。翌日8月8日の深夜、第一次ソロモン海戦で勝利。2ヶ月前のミッドウェー海戦での敗北に対する復讐を成功させた形となった。下は当時の朝日新聞の報道とされてた映像(本物かどうかは未確認)。「必殺の夜襲」、「米英連合艦隊撃滅」、「撃沈破」、「敵艦忽ち紅蓮の焔」。今の朝日の反戦的姿勢と比べると、興味深い。

  

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     ☆     ☆     ☆

この海軍の勝利の陰に、致命的なミスがあった(とNスペは物語る)。もともと、島の飛行場への輸送部隊が攻撃目標だったのに、海軍は巡洋艦などへの攻撃を優先させて、輸送部隊を見逃してしまった。そのため、飛行場を占領してた米軍は兵器も食料も補給できた。

  

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だから、陸軍ラバウル司令部では「ヤリ方ナマヌルキコト多ク 全ク キガシレズ」と日誌で批判。ちなみに前後の映像をよく見ると、「多ク」と「全ク」の間で2行ほど飛ばされてることが分かる。だからこそ、上で「多ク」の右側を見えなくしてあるわけで、こうした史料の扱い方、映し方にも、番組の「物語」性が表れてるのだ。

     

他の場面を見ても、他のNスペを見ても、資料の実際の文面と映像の文字テロップがズレてることは多い。筋書に合わせて資料を編集し直してるわけで、専門書や専門論文なら普通、もっと慎重に扱うところだ。例えば、「多ク ・・・ 全ク」といった形で、点々を入れて省略を示すとか。

  

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その後、島の米軍が補強される前の「戦機」を逃してはならないということで、一木支隊の先遣隊916人が8月18日に無血上陸。飛行場の東35km、現在は美しいタイボ岬のビーチ。

    

直前のソロモン海戦の勝利が災いして、米軍の人数を過小評価してしまったらしい。実際は1万人以上だったのに、2000人とか。その点は大本営の陸軍も同様だが、ラバウルの司令部では8000人くらいいると見てた(参謀長・二見秋三郎少将)。

  

  

    ☆     ☆     ☆

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一木・連隊長は、翌8月19日の朝8時30分、敵の様子を探るために偵察隊を派遣。ところが、既に米軍は無数のマイクや鉄条網で準備万端だったので、38人の将校・斥候(せっこう)が全滅。16時30分にそう伝えた伝令1人だけは、からくも逃げ切ったようだ。南の島のジャングルで往復計60~70kmを8時間で歩くというのは考えにくいので、かなり早めの位置で迎撃されたということか。

   

決定的なポイントは、次の判断と行動だろう。Nスペは次のように語ってる。一木は司令部と連絡を取ろうとしたのに、通信の中継役となるはずの海軍の潜水艦が任務を放棄して米軍空母に向かってしまったため、連絡を取れなかった。だから一木支隊は仕方なく、元々の命令に従って進撃を続けた。

   

流れとしては自然だが、番組をよく見返すと、連絡できる時間はあったように見える。伝令が逃げ返ったのが19日の16時半。空母の発見は20日の9時だから、潜水艦が離れる9時半前(?)までに17時間あるのだ。この間に連絡できなかったのだろうか? あるいは撤退できなかったのだろうか? 少なくとも番組では説明されてない。海軍史研究家・戸高一成の説明にも無かった。

   

   

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結局、原因や責任はさておき、後続部隊1000人の到着を待たずに進撃した一木支隊(CGの赤色)は、20日の夜から21日の朝にかけて「全滅」。米軍(青色)による十字砲火、戦車の砲撃、迫撃砲、戦闘機からの機銃掃射。「all enemy fire has ceased (?)」(敵の全ての攻撃は制圧された・・米軍資料)。

    

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直後にようやく海軍のゼロ戦が訪れた時には、既に屍が連なってた。・・という話はあったが、そのゼロ戦が反撃しなかったのかどうか、その際の戦闘は放送されてない。テレビドラマや小説と同様、主役と比べて脇役の扱いは小さいのだ。

   

   

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この全滅という言葉、番組では最初から繰り返し使ってたが、実際は916人中、その時に命を落としたのは777人との事だから、それが事実なら、85%だ。

    

残り15%の敗残兵は、その後の島で飢死したり病死したりしてるだろうが、生き残ってる人もいまだにいらっしゃった。お2人が実名と顔出しで登場、101歳と98歳。一木清直大佐の長女も、90歳でご健在だった。海軍の97歳の方は非常にお元気そうに話してた。

  

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一木支隊「全滅」の後もガダルカナル島の総力戦は続いて、結局、日本軍は15000人の死者を出した後、1943年2月に撤退。英語版ウィキペディアを見ると、19200人とされてる。

   

戦力を見ると、連合国軍が60000人以上、日本軍が36200人(陸軍)。人数的に倍近い差が示されてた。装備、兵器、補給・輸送体制も含めて、総力で負けたというのが事実に近いのだろうと思う。海軍のミスとか、連隊長の無謀とかではなく。

    

その意味で、海軍・宇垣参謀長の日誌『戦藻録』から、「陸軍を種とし囮(おとり)と」したとかいう部分だけが強調されたのは、番組全体の性格をよく表してた。ちなみにテロップは「囮となす」と言い切りの形になってたが、原文は「囮として・・」と続いてたように見えた。長い資料から一部だけ取り出して使う際には、全体との関連など、細心の注意が必要だ。

  

試しに宇垣纏(まとめ)を調べると、終戦の日に特攻機で沖縄に突入して戦死とのこと(ブリタニカ国際大百科事典)。彼もまた、悲惨な犠牲者の一人だった。

   

   

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ともあれ、8月の原爆の日、終戦の日あたりだけでも、こうした報道が行われるのは大切なことだし、我々も過去をじっくり顧みる良い機会だと思う。感想、解釈、行動など、個人的にどう受け止めるかは別として。

   

エアコン冷房の効いた家で、飲食物もある中で戦争番組を見ることへの罪悪感を抱きつつ、ではまた。。☆彡

   

       (計 3666字)

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