NHK『太平洋戦争1943(後編)』のごく短い感想、戦意高揚の単語数の推移とか&エアロバイクまた45km

(13日) BIKE 45km,1時間33分07秒,平均心拍 126,最大154

消費エネルギー 670kcal(脂肪 241kcal)

        

WALK 3.1km

   

   

本格的な記事を書く余裕はないけど、昨日もNHK『太平洋戦争 1943 国家総力戦の真実(後編)』を見た。興味深い内容と映像の数々の中でも、目に留まったのは、エゴ・ドキュメント(日記・手記・手紙などの一般市民の文章)に書かれた「戦意高揚に関する単語数の推移」。

   

1190人、のべ19万3000日分ということは、1人平均で160日分くらいか。戦時下で、よくそんなに書いたもんだと感心する。

    

  

     ☆     ☆     ☆

私は、丸18年近く毎日ブログを書いてるから、合計で6500日分。太平洋戦争の期間(4年8ヶ月)で試算すると、1700日分か。平時とはいえ、そこそこ頑張ってるかも。

  

最近は情報が溢れ返ってるから、私のブログが未来のNHKスペシャルで使われることはないだろうけど、私が死んだ後でも誰か読む人はいるはず。いずれデジタル遺産として、自分できっちり残すか、あるいは、海外のインターネット・アーカイブや国立国会図書館のアーカイブに任せるか。

   

ちなみに昨日は、前編で紹介された元・兵士の手描きの絵について軽く書いておいた

   

 NHK『太平洋戦争1943(前編)』、兵士が描き残した絵(エゴ・ドキュメント)は貴重&ジム25日目、バイク45km

   

   

      ☆     ☆     ☆

さて、私は素直で従順な性格だから、NHKスペシャルの戦争番組を見ても、そのまま受け止めることはない。

   

戦意高揚の単語として、大文字で強調されてたのは、「殉国 一億火の玉 鬼畜米英 大東亜 玉砕 一矢報いる 学徒出陣 報告 撃ちてし止まん 八紘一宇」。

  

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それらはともかく、それ以外の小文字で一瞬映ってた「志願 憎悪 俗悪 犠牲 敢闘」などが本当に戦意高揚の意図・意味で使われてたのか、文脈がちょっと気になる。

  

NHKと慶応大学・玉井清教授が協力して、文章をスキャンしてコンピューター(AI)解析したんだろうけど、スキャンと解析の精度がまず問題。

   

私も仕事で似たような事をするけど、まだ日本語の手書き文字の認識精度は不十分。イマイチかイマニで、それを手作業で一つ一つ修正するのはかなり面倒な作業になる。特に80年前の紙の資料だと大変だろう。

    

   

      ☆     ☆     ☆

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あと、「戦意高揚に関する単語数の推移」という棒&折れ線グラフの縦軸は、単語数になってて、おそらくこれは言葉の種類の数、語彙の量だと思う。使用数だと考えると、少な過ぎるので。

    

語彙が増えるのは、戦況とメディア報道の変化を考えるとごく自然で普通のこと。それを言うなら、現代でもICT関連の単語数は激増してるはず。

 

だから、「のべ使用数」の推移も調べるべきだと思う。当然、桁違いに数が増えるはず。試しにネット検索してみたけど、NHKと玉井教授関連では情報が見当たらなかった。既にスキャンしてデータ化してるのなら、簡単に計算できるので、貴重な資料としてNHKのウェブか大学HPとかで公開して欲しい。

    

    

      ☆     ☆     ☆

サラッとコメントした所で、早くも、単なる小市民アスリートの練習日誌に向かおう。無味乾燥な個人的データでも、案外、未来の誰かが予想外の意図や関心で分析してくれるかも。

   

三連休の最終日の昨日も、地道にジムでエアロバイク。前日ほどではなかったけど、やっぱりジムは結構にぎわってた。少しずつ、顔というか、姿を覚えて来る。あえて具体的には書かないけど、ウェアが独特だと分かりやすい。マシンの使い方にも特徴がある。

     

前日、今季最長の45kmをこなした直後だから、あんまし自信は無かったけど、再び45kmに挑戦。何とか、僅か7秒遅れのタイムでクリアできた。1時間33分07秒で、平均時速29km。心拍は、流石に前日より上がってしまったけど、まだまだ余裕。ただ、脚が最初からちょっとダルかったし、呼吸もキツめ、汗もちょっと多めになった。

   

         

      ☆     ☆     ☆

レベル9で2分半。レベル10で5分。実験的に、ウォーミングアップを短めにした後、レベル11で1時間15分30分。長過ぎて、単調で飽きたかも (^^ゞ

  

最後は、レベル12で6分30秒。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で1分37秒。思ったより早めに、走行距離45kmに到達したから、高レベルの時間が少なくなってしまった。まあ、疲れてたから良しとしとこう。

      

新・心拍計は正常に作動。お盆休み「前」の仕事がまだまだ終わらないな・・とか、毎年のようにボヤキつつ、ではまた。。☆彡

   

  

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      (計 1883字)

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NHK『太平洋戦争1943(前編)』、兵士が描き残した絵(エゴ・ドキュメント)は貴重&ジム25日目、バイク45km

(12日) BIKE 45km,1時間33分00秒,平均心拍 118,最大150

消費エネルギー 608kcal(脂肪 243kcal)

      

WALK 3.1km

   

    

今週は既にかなり書いてるから、今日はごく簡単なつぶやき日誌にしようと思ってたけど、夏の恒例、NHKの戦争番組を動画で見て、気が変わった。

    

去年に続く、エゴ・ドキュメント(個人が残した記録)を中心とする歴史番組『新・ドキュメント 太平洋戦争』、1943年版。「国家総力戦の真実」。番組全体が興味深いものだったけど、特に私の印象に残ったのは、兵士が描き残した絵。「戦場のリアルが刻まれていた」。

   

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上質のスケッチブックに、色鉛筆で描いて、文章も添えてるらしい。かなり上手いし、浮世絵的な要素も含む貴重な芸術資料なのに、Googleで検索すると全く情報がヒットしなかった。

    

個人の記録だから仕方ない側面はあるけど、既に国営放送が放映したし、描いたご本人たちも明らかに広く知って欲しいはず。とりあえず、名前と小さい画像くらいは転載させて頂こう。私のブログという、21世紀版のエゴ・ドキュメントにおいて。

    

    

      ☆     ☆     ☆

その絵は、ブーゲンビル島での活動と戦闘に関するもので、帰国後に描き続けた作品だと思われる。

  

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マイクロソフトで地図検索すると、日本の遥か南で、オーストラリアの少し北。パプア・ニューギニアの島。この距離と位置を見るだけで、こんな所まで支配しようとした無謀さが分かる気がする。それを言うなら、そもそもの真珠湾攻撃からして無謀だが。

  

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去年、扱われた、悲惨なガダルカナル島と、歌で有名なラバウルの間で、飛行場を作って連合国軍(米軍)の攻撃を食い止めようとしてたらしい。おそらく当時も、こんな感じの熱帯雨林だったんだと思う。失礼ながら、日本の小市民としては、1日でさえ耐えられないような場所に見える。撮影隊にとっても、大変なロケだったようだ。

     

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      ☆     ☆     ☆

元・陸軍准尉、井手末光氏が遺した絵の数々。次女の井手逸恵さんが提供。まず、「空腹・・・餓死寸前の体に鞭打って」移動する姿。歩いて、重い荷物と武器を持って。

    

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続いて、米軍機が飛ぶ下で、木に身を隠す兵士たち。

   

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さらに、ご自身が負傷して、腕を切断される手術の様子。切られた腕はどこかに捨てられてしまったそうだ。麻酔や輸血や薬は十分あったのだろうか。。

  

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      ☆     ☆     ☆

もう1人、桐木平武二氏の絵も使われてた。この方は有名人みたいで、検索すると色々な情報がヒットする。NHKの扱いが少なかったのは、画集が有料で2019年に発売されてるからかも(非会員1500円)。ここでも、テレビ映像のキャプチャーは非常に小さく圧縮しとこう。

    

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船が潜水艦の攻撃を受ける様子は、どちらの作品か分からないけど、番組の流れ的には桐木平氏のものかも知れないから、こちらもごく小さく。

  

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今なら、誰でもスマホやカメラを持ってるから、写真や動画が溢れてる。ただ、写真より絵の方が、人間の目と心には分かりやすいことはよくあること。人間の印象で、情報を絞り込んで、逆に心を込めてるからだろう。

  

そう言えば、私もイラストを描きたいと昔から言いつつ、いまだに何も書いてない。iPadにアップルペンシルで描いて練習したくなった。ともあれ、貴重な作品と活動に感謝。。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、三連休の中日の昨日も、ジムでエアロバイク。みんな、ヒマというか、時間の余裕が出来たからなのか、今シーズンで最高の人数が集まってた。

  

活気があるのはいいけど、ちょっとコロナ感染が心配ではある。実際、私の周囲でも次々と感染報告が出てるのだ。職場でも、プライベートでも。

  

乗鞍ヒルクライムまでもう2週間しかないから、エアロバイクで予定通り45kmの走行距離まで回した。1時間37分くらいで十分だと思ってたけど、妙に調子が良くて、1時間33分で余裕を持って終了。平均時速29km

   

心拍もやたら低かったし、呼吸も楽、汗も少なめ。やっぱり、館内のエアコンの温度設定が違うような気がする。涼しいと全然ラクなのだ。乗鞍は高山でかなり涼しいから、レースの温度にも近くなる。去年なんて、登ってる途中から、ずっと寒かったほど。当然、何かと話題の富士登山は遥かに寒いはず。皆さん、お気をつけて。

     

     

      ☆     ☆     ☆

レベル9で3分半。レベル10で15分。レベル11で1時間02分30分。レベル12で8分。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で2分。

  

新・心拍計はほぼ正常に作動してると思う。かなり低い値になってるけど、途中で何度か、マシンの心拍計(両手でつかんで測定)と比較したら、ほぼ一致してた。

   

なお、今週は計15264字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

  

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       (計 1972字)

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原爆の報道規制の原点、1945年9月15日の朝日新聞・鳩山一郎の記事内容(縮刷版、NHK『歴史探偵』)&ジム24日目

(10日) BIKE 37.4km,1時間16分00秒,平均心拍 131,最大153

消費エネルギー 574kcal(脂肪 178kcal)

      

WALK 3.1km

  

  

今日は生活コネタをトッピングするつもりだったけど、たまたま見たNHKプラスの戦争番組で気が変わった。重い情報を1つ、正確にあげとこう。数年前に同種の情報が1つだけ、ネットに出てるけど、ウチの扱い方とはかなり違ってる。

    

敗戦または終戦の直後、広島・長崎の原爆被害の報道はそれなりにあったが、1ヶ月後くらいから6年間ほど(?)、急激に消えてしまったらしい。

  

そのキッカケの1つが、朝日新聞とのこと。1945年9月15日の記事を見たGHQ(連合国軍総司令部)が激怒。いきなり、19日と20日の新聞発行を停止させたほど。

   

    

     ☆     ☆     ☆

私が、8月9日放送のテレビ番組『歴史探偵 消えた原爆ニュース』を動画で見て注目したのは、その記事内容の「平凡さ」。当時の有力な政治家で、後の首相でもある、鳩山一郎へのインタビュー記事の一節だ。ちなみにこの番組は、放送日の朝日新聞・朝刊でも紹介されてた(「試写室」)。

      

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原子爆弾の使用や 無辜(むこ)の国民殺傷が 病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反 戦争犯罪であることを 否むことは出来ぬであろう

    

正直、令和に生きる私が聞くと、拍子抜けするほど普通の意見、普通の文章だと感じる。ところが、それは当時の占領軍とか米国にとっては絶対に許せないものだったらしい。

   

人類史上初の核兵器使用を国際的に正当化すると共に、自国民に対しては原爆の凄まじい威力を隠すため。米国内では当時、もし自国で原爆が落ちて来たら、身をかがめて何かで身体を覆えばいいというような映像が流れてたらしい。

    

    

      ☆     ☆     ☆

番組を見終えた後、朝日新聞のデータベースで過去の縮刷版をチェックしてみた。かなり前のスキャンだろうから、マシンやアプリ(ソフト)の性能も低いのは仕方ないが、かなり読みづらい画像になってる。そもそも78年前の記事だから、日本語の言葉遣いや文字・記号も多少、違ってる。例えば、句点(。)が無くて、読点(、)だらけなのだ。

    

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著作権に配慮して、ほとんど読めない程度の縮小引用に留めるが、記事がわりと長めで、しかも別に原爆や戦争に焦点を絞ったものではないことが分かるだろう。昔は文字が小さいので、見た目よりも中身は長い。二面しかない新聞の、一面の左下。

  

記事タイトルは「新党結成の構想 上 鳩山一郎氏」。大見出しは「婦人参政権実現」。小見出しは「官僚統制は絶対排撃」。日本人の一般男性の私としては、自然にスルーしてしまいそうな記事に見える。

  

ところが、9段に分かれた記事の8段目に、分かりにくい形で戦争の話が書かれてるのだ。段落のタイトルは「工業政策を確立せよ」。インタビュアーの質問は、「戦後復興の諸施策如何」。日本の復興をどうするかという文脈で、米国の戦争犯罪の指摘が登場する。要するに、償いとしての支援を米国に求めてるのだ。

    

   

      ☆     ☆     ☆

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"正義は力なり"を標榜(ひょうぼう)する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜(むこ)の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう、

  

極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身、自らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしむること、日本の国力だけでは断じて復興の見通しのつかぬ事実を率直に披瀝し・・・」。

   

    

ひょっとすると、本当はこの鳩山の強気な発言が気に障ったものの、有力政治家に対する直接の処罰は難しいから、代わりにメディアを叩いたという側面があるのかも。

   

個人的には、鳩山の「正義は力なり」という言葉の解釈と使い方も興味深いと思うが、話が本題から逸れてしまうので省略。

   

いずれにせよ、こうした過去の米国の行動や姿勢は、現在の世界情勢、ロシア・ウクライナ戦争を考える上でも参考になる。もちろん、米国以外の国、とりわけヨーロッパと中国の過去についても、「不都合な真実」に目を向けるべきだろう。もちろん、過去は過去。それ以上ではないが、それ以下でもないから。。

    

  

cf. 「WGIP」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と『真相はこうだ』、占領軍GHQによる日本人「洗脳」?~保守vsリベラル

  

   

      ☆     ☆     ☆

一方、単なる令和の小市民アスリートの方は、昨日も真面目にジム通い。エアロバイク1時間半の予定が、また1時間16分になってしまったけど、最初から前日より感触が良くて、余裕があった。走行距離37.4kmで、平均時速29.5km

   

レベル9で2分。レベル10で20分。レベル11で36分。レベル12で13分。レベル13で1分15秒。レベル14で45秒。最後はレベル12で3分。新・心拍計は正常に作動。何か、汗の量がどんどん増えて来た気がする。

   

いつの間にか、もう乗鞍ヒルクライムまで半月になってしまった。コロナ感染に細心の注意を払いつつ、テンションをキープして行こう。ではまた。。☆彡

   

  

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       (計 2095字)

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上皇さまが皇太子時代、美智子さまと出会って恋愛・結婚された、軽井沢会テニス・トーナメントの試合(昭和32年、1957年・夏)

今現在は、クリスマス・イブの深夜というか、既に未明。毎年恒例の長寿テレビ番組を見て、徹夜で長編ブログ記事を書くつもりだったのに、今年はなぜか1日ズラして、明日が放送日になってた。

   

深夜に突然、時間が空いて、とりあえず2022年12月24日(土曜)の朝日新聞・朝刊別刷beを開いてみると、見開き2ページに青空とテニスコート(クレー:土)の写真が載ってる。「はじまりを歩く」シリーズ、「テニス 長野県軽井沢町 横浜市」。文・稲垣康介、写真・吉田耕一郎。

  

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日本では最近、残念ながら人気が落ちてるテニス。なぜ急に?・・と思ったら、上皇さまのお誕生日記念ということか。前日、12月23日に89歳になられて、近況写真も公開されてた。横には上皇后・美智子さまの姿。

    

お2人が軽井沢のテニスで知り合ったというのは有名なエピソードだろう。ただ、詳しい情報は見聞きしたことがなかった。

    

   

     ☆     ☆     ☆

テニスのはじまりについて、朝日の記事にはこう書かれてた。「日本にテニスが伝わったのは1876年(明治9年)、横浜の外国人居留地だった山手公園だったとされる」。

   

明治の半ばまで、ということは10年間ほどは、プレーは原則として外国人に限られてたとの事。当時の外国人女性の華やかなウェア(というよりパーティー・ドレス)の写真もあった。

     

軽井沢では、19世紀末から、教会や宣教師の影響でテニスコートが作られて、1901年ごろには日本人も一緒にプレーしてたと言われてるそうだ。120年前だから、さすがに正確な記録は残ってないということか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

軽井沢の発展につれて、地元の組織が創設されて、やがて「軽井沢会」が誕生。昭和32年(1957年)8月、その部内トーナメント(ABCDトーナメント)で、当時の皇太子さまが、正田美智子さまと知り合う。有名な、「テニスコートの恋」。最初の出会いは、偶然、試合をしたことだったらしい。混合ダブルスの4回戦(準々決勝)で対戦。

    

「陛下(=皇太子さま)は早大生、美智子さまは13歳のカナダ人少年と組み・・・美智子さまペアが勝利した。・・・陛下は『あんなに正確に粘り強く打ち返してくるのだから、かなわないよ」と振り返ったとのこと。学習院大の2年後輩で、その後、恋のキューピッド役を務めた、織田和雄さんの談話。

  

ということは、美智子さまペアは、皇太子さまペアに(あまり)遠慮せずに戦ったことになる。皇室相手でも、スポーツは全力で。この世界では普通らしい。お互いが実力で3回戦までの試合を勝ち抜いたからこそ、4回戦で偶然の出会いが生じた。ちなみに織田さんには、『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)という著作もある。

      

2年後の昭和34年(1959年)4月10日にご成婚。「ミッチーブーム」の到来。軽井沢のテニス大会には、今の天皇陛下や秋篠宮さまも、子ども時代に出場されてるそうだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

さて、私はここ10年くらい、テニスをしてないが、その前は結構やってたし、テレビや雑誌も見てた。小さな大会にも、3回くらい出場してる。

  

元・テニス好きとして気になったのは、上皇さまご夫妻が出会った時の、試合の内容。朝日新聞のデータベース(縮刷版)で検索すると、テニス情報は実質的に1件しかヒットしなかったが、さすがに細かい話まで書かれてた。1958年11月27日、「皇太子妃きまる」という2ページの号外。

    

それによると、試合は8月19日だから、完全な真夏。「午前の混合ダブルス二回戦」と書かれてる。午前なら、四回戦ではなく二回戦の方が自然な気もするが、朝早くから予選があったのかも知れない。4回戦か2回戦か、とりあえず保留しとこう。ちなみに美智子さまの相手も、号外には十二歳と書かれてた。13歳なのか12歳なのかも保留しよう。

   

ただ、美智子さまはスポーツ万能で、特にテニスは昭和「三十年関東女子新進トーナメントで優勝、卒業後はとくに夢中」と書かれてる。かなりの実力なのは事実らしい。

  

その美智子さまと、「二時間近い接戦」をしたということは、皇太子さまペアもかなり強かったということ。スコアは7-5、6-3だから、3セットマッチ。2セットだけで終了してるのに、2時間近くもかかったということは、ラリーが延々と続いたのだろう。確実にボールをつなぐ正確なプレースタイルか。

   

   

      ☆     ☆     ☆

その後、特に翌年(昭和33年)、お2人はテニスでさらに接近したものの、ご結婚の決定直前までは、美智子さまの側から何度も辞退があったらしい。日清製粉の社長令嬢とはいえ、民間人の出身は前例が無かったし、遠慮されるのも自然なこと。

   

その辺りのご結婚の詳しい事情は、おそらく色々と報道、記録があるはず。今日はとりあえず、最初のテニスの試合内容を確認したことで満足しとこう。

   

なお、今週は計14126字で終了。また来週。。☆彡

    

      (計 2023字)

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日記、手紙、「エゴ・ドキュメント」から見た太平洋戦争の歴史(NHKスペシャル)&行列待ちの朝イチジム、絶不調

(15日) BIKE 35km,1時間15分,平均心拍140,最大164;1567kcal?

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8月6日の原爆記念日に広島を思い出して、8月15日の終戦(敗戦)記念日に太平洋戦争・第二次世界大戦を思い出す。私にとって、お盆の恒例行事みたいになってる。

   

朝日新聞の戦争記事はなるべく目を通すようにしてるが、やっぱりテレビ映像&音声の方が直感的なインパクトがある。先日見たNHKスペシャルも印象深かった。

  

 『新・ドキュメント 太平洋戦争 1942 大日本帝国の分岐点(前編)

  

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英語の副題は、「Unvailing The Pacific War」。太平洋戦争のベール(覆い)を剥がす。つまり、あらわになってない真実、隠された側面を明らかにする。

    

   

     ☆     ☆     ☆

大日本帝国の分岐点というのは、1942年のミッドウェー海戦での大敗北と、その辺りにある日本の転換点のこと。

  

ただ、分岐点というと、長い道筋の真ん中あたりの地点を思い浮かべてしまうが、42年6月というのはまだ戦争が始まって半年後のこと。

 

簡単に言うと、半年だけ日本の調子が良くて、後の3年2ヶ月は負け戦だった。これを量的に可視化・見える化すると、下のようになる。好調だったのは本当に最初だけ、左端だけなのだ。

   

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ただし、主観的・心理的には、かなり後の方(右の方)まで好調に見えたかも知れない。あるいは、そう信じたかったのかも知れない。これは、今現在の世界を見てもあまり変わってないと思う・・とだけ書いとこうか。

  

基本的に、人はみな、信じたいものを信じる。欲望が中心なのであって、理性とか知性ではない。

   

   

       ☆     ☆     ☆

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今回のNスペの特徴は、「エゴドキュメント」(Ego Document)への注目。市民から指導者まで、人々が書いた個人的な日記・手記・手紙などの総称。英語だと、ego-docunent、egodocument という綴りもある。

   

日本語でも英語でも、あまり使われてない言葉だが、1950年代から提唱されてたらしい。エゴドキュメント歴史研究センター(Center for the Study of Egodocuments and History)の英語サイト(元はオランダ)の説明だと、最初は1955年とされてる。

     

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ただ、提唱者とされるオランダの学者、ジャック・プレッサー(Jacques Presser)に関する英語版ウィキペディアの記事を見ると、1953年とされてた。まあ、戦後の少し落ち着いた時期と考えればいいと思う。

  

もっと広く見るなら、文学や精神医学の世界では、個人の語りに注目するのは昔から普通のこと。それが歴史学の世界にも取り入れられたということか。そう言えば、社会的・歴史的な哲学者の代表であるフーコーも、ほぼ同じ頃から個人的資料に注目してた。

    

    

     ☆     ☆     ☆

話をNスペに戻すと、番組で紹介されたエゴ・ドキュメントの中で個人的に興味深かったのは、やっぱり単なる市民の日記だった。

 

それは、私自身が日記をよく書く人間だからかも。子どもの頃から書いてたし、今も17年間、毎日ブログを更新してるほど。ただ、もし100年後のNHKスペシャルでエゴドキュメントが引用されるとしても、残念ながらブログよりツイッターだろう。特に日本では、なぜか、瞬間的でごく短い一言つぶやきが好まれるようになってる。

     

で、1942年の市民の日記の中でも、12歳の和田恭子さんの記録はカラフルで目を引くものだった。その時代に色鉛筆かクレヨンを使えるということは、京都の裕福な家庭だったということか。あるいは、安く簡単に手に入る一般的な文房具だったのかも。

      

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 1月3日 「マニラ完全占領 うれしいうれしい まちにまったニュース」。完全占領という、あまり12歳らしくない戦争関連の漢字が目立ってる。それでいて、待つという漢字は使ってない。ちなみにニュースは、ラジオの音声。急激にラジオが普及してたらしい。

   

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日本の占領地が拡大する様子を、日の丸の絵記号と共に世界地図にしてある。学校の宿題ではなく、自分で自主的に書いたとしたら、かなり優秀な生徒だろう。親の教育水準も高かったのかも。

  

著作権、肖像権などについては、ご本人か遺族に了解を取ってるということか。当時12歳なら、今は92歳くらい。寿命が長い女性だし、まだお元気であっても不思議はない。

    

   

      ☆     ☆     ☆

そう言えば、私もブログにイラストを導入しようとしてたのに、いつの間にか忘れてしまってる。後世の人がたまたま閲覧したとしても興味を持てるよう、心がけたいもの。

  

ちなみにウチのブログのトップページも、Internet Archive にマメに保存されてる。2005年12月から2022年7月まで、173回も自動的に保存されてるのだ。トップページ以外も別に多数保存されてるから、まさにエゴドキュメント。

      

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100年後に英語の検索が入る可能性も十分あるから、もっと英語を入れるべきか。それとも、自動翻訳機能やAIの自動サーチが格段に発達してるから、既に言語の違いは問題とならないのか。。

     

    

     ☆     ☆     ☆

一方、歴史には残らない単なる小市民のトレーニングについて。前日に続いてというか、もっと早く、本当にジムの開館時間(1分後)に行ってみたら、入り口から行列が続いてて驚いた (^^ゞ ということは、オープン前から待ってる人がかなりいるはず。

   

急いでジムエリアに行ったのに、既に私のお気に入りのエアロバイクは使われてたから、仕方なく別のバイクへ。テレビのリモコンとか、マシンのガタつき具合とか、微妙に違うのだ。

   

7月初めに初めてから、これまで、ずっと右上がりの好調だったけど、遂に昨日は絶不調 (^^ゞ やっぱり、急に朝に切り替えたのが身体に効いた気がする。昨日はジムに行く前からもう、心臓あたりに圧迫感があった。回し始めても、すぐ太腿がダルくなって、心拍も前日よりかなり高め。回転数が少なくなって、距離表示も伸びない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

それでも、1時間15分、無理して頑張ってみた。レベル10で1分半。レベル11で5分レベル12で56分半。レベル13で5分

  

もう心拍が高くなり過ぎたので、レベル12に下げて3分。そして、レベル14で1分、レベル15で30秒。何と、最大心拍164まで上昇! 最後は、レベル12で2分半。もう、脚の筋肉がヘタってた。今でも変な疲れがジーンと残ってしまってる。完全なオーバー・トレーニング。

    

というわけで、もう寝るとしよう。休息もトレーニングの一環だから。心拍計は2つとも正常に作動。ではまた。。☆彡

    

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      (計 2690字)

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「テルアビブ空港乱射事件」50年、出所した日本赤軍の元最高幹部・重信房子が「リッダ闘争(斗争)」と呼ぶ理由・背景

この記事を書く直前、念のために日経新聞HPと読売新聞HPで「テルアビブ」の検索をかけると、50周年に関する記事はそれぞれ1本しかヒットしなかった。NHKだと0本で、重信房子の記事に「イスラエルの空港」と書かれてるだけ。

   

ところが、私が購読してる朝日新聞だと、紙面掲載記事だけで4本、他にサイトの記事もある。なるほど。やはり朝日は左派・リベラル新聞なんだと改めて確認できた。

   

今回、私が気になったのは単純なことで、「テルアビブ空港」という名前の空港は存在しないらしい。22年5月27日の朝日新聞の記事は、大見出しが「日本赤軍 テルアビブ空港乱射50年」となってるが、本文では「テルアビブのロッド国際空港」と書かれてる。

  

日本語のウィキペディアだと、項目名は「テルアビブ空港乱射事件」となってるものの、続く冒頭の要約文では、「イスラエルのテルアビブ近郊都市ロッドに所在するロッド国際空港(現:ベン・グリオン国際空港)で発生した・・・」と書かれてる。

  

それなら「ロッド空港乱射事件」とか呼ぶべきでは?・・と思ってたら、重信房子が「リッダ闘争」と呼んでるのを見て、単純な疑問がさらに深まったのだ。この錯綜した呼び名には、何か意味や背景があるはず。。

   

   

      ☆     ☆     ☆

というわけで、まずイスラエルの詳しい地図をネット検索してみると、意外なほど見当たらない。これは政治的な理由なのか? 安全保障とか、国家としての承認の問題とか。

   

英語で検索すると、ウィキメディアの地図が一応ヒット。テル・アビブ(TEL AVIV)と空港のマークならあるが、ロッドという都市名は無い。

           

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ところが、あの事件は、英語版ウィキの項目名だと「Lod Airport massacre」(ロッド空港虐殺)なのだ。そこから「Lod」に飛ぶと、アラビア語でリッドとかラッド、リッダと読むらしいことは分かった。

  

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ただ、グーグル翻訳で発音を聴くと、冠詞付きで(?)「アラッド」と聞こえる。リッダとか、アラッダには聞こえない。パレスチナ的な発音がリッダということか?

    

英語版ウィキには、位置もごく簡単に示されてた。確かに、テル・アビブの近郊(南東)の市らしい。

   

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       ☆     ☆     ☆

これがどうして「テルアビブ空港」となったのか。おそらく、テルアビブの方が大きくて分かりやすいということだろうが、50年前の日本人のほとんどは「テルアビブ」と言われても分からなかったはず。

   

マスメディアの判断かと思って、当時の朝日新聞を調べてみると、第一報は1972年5月31日の夕刊。イスラエルの現地時間なら5月30日、日本時間だと5月31日の午前5時半過ぎだったらしい。小見出しにも、続くリード(要約)にも、テルアビブ空港と書かれてた。この表記が、現在まで続いてるわけか。

   

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ただ、その後の新聞報道も見てみると、大がかりな続報というわけでもなかった。はるか中東の事件ということもあるし、既に連合赤軍のあさま山荘事件も解決した後で、新左翼の過激派に対する社会的な関心が薄れていたことの表れかも知れない。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、2022年5月28日の朝、出所した、日本赤軍の元最高幹部、重信房子(76歳)。下は、読売新聞HPより

  

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重信の直接の容疑は、オランダのハーグ事件への「間接的」関与だが、確定判決は懲役20年。その他諸々の事件が影響してるのは間違いない。ちなみに上の読売の記事では、「イスラエルの空港」という表現がある。

    

重信の出所直後の質疑応答では、「リッダ斗争」という表記があった(産経新聞HP)。出所に合わせて公刊された著書『戦士たちの記録』(幻冬舎)では、帯や本文で「リッダ闘争」と書かれてる。もちろん、そんな堅苦しい闘争用語より、美人とか可愛いと言われてたらしい顔写真に目が行く人が多いだろうが。

          

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       ☆     ☆     ☆

「リッダ」は「ロッド」だとしても、「闘争」という呼び方にはかなり違和感がある。しかし、彼女的にはあれは闘争らしい。 「斗」争という漢字の使い方は、彼女の個人的な好みだろうか。

    

一応、出所の際の手記、質疑応答と、上の著書の試し読み部分を軽く読んでみると、それなりに筋が通ってるような気もしてしまった。

  

要するに、人を大量に殺したのは悲惨な事実だが、それを「乱射」「虐殺」「テロ」などと呼ぶかどうか。その点が問題、論争点なのだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

確かに、ロシアの侵攻を受けてウクライナは激しく応戦してるが、ウクライナがロシア兵を「虐殺」したというような否定的表現は全く見かけない。それどころか、日本や欧米では、拍手するような雰囲気もある。

        

また、過去のアメリカの歴史を見ても、人を大量に殺してるのは間違いないが、それはあまり(orほとんど)問題視されない。それどころか、空港乱射の1万倍の死者を出した広島・長崎の原爆投下でさえ、米国的には正当化されてる。

    

それなのに、どうしてパレスチナのために行ったイスラエルへの「報復」攻撃だけが、ネガティブに、乱射・虐殺・テロとされるのか? 重信が「ダブル・スタンダード(二重基準)」だと批判するのは一理か半理ある。彼女に言わせると、テロリズムとかテロリストなどという言葉自体も、非常にアメリカ的なものらしいのだ。

  

  

      ☆     ☆     ☆

とはいえ、戦争にせよ、抵抗・解放運動にせよ、それぞれ特有の複雑な事情があるので、一概に同一視することもできない。日本赤軍が本当にパレスチナ解放のために戦ったのかどうかもまだよく分からないというか、かなり疑問ではある。

      

とりあえず、報道における殺傷行為の呼び名には注意することにしよう。なお、アラビア語のウィキペディアで空港の事件を見ると、非常にあっさりとした説明しかなかった。パレスチナでは日本赤軍が英雄視されてるという情報には、ちょっと注意が必要かも知れない。たとえ、岡本公三が今でも亡命先のレバノンで厚遇されてるのは事実としても。

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

   

P.S. 22年6月1日の朝日新聞・夕刊では、1面トップで生き残りの岡本の記事が大きく掲載された。見出しの2行目には、「テルアビブ空港」乱射事件50年と書かれてるが、次のリード冒頭では「ロッド空港(現ベングリオン空港)」と書かれてた。

      

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P.S. 2023年10月11日、BS-TBSの『報道1930』に重信メイがゲスト出演。ハマスvsイスラエルの戦いについて、ハマス側(パレスチナ側)に立つコメントを述べたので、ネットその他がざわついてる。

        

    (追記101字 ; 合計2656字)

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史実に基づく歴史物語~『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』(NHKスペシャル)

このブログでも何度か書いた気がするが、history(歴史)という言葉とstory(物語)という言葉は、語源的には同じものとされてる。

  

ラテン語のhistoriaから更に、古代ギリシャ語のイストリアまで遡ると、歴史、学ぶこと、学んだ人、調査したことの話・内容・・といった意味になる(英語版ウィクショナリー)。こうした語源的な説明自体もまた、歴史=物語の1つである。

   

要するに、物語と同様、歴史というものも、「事実」とか「真実」からは距離があるのだ。だから国際的にも、国家間の歴史認識、解釈の相違が大きな問題となる。見方によって、語り手によって、歴史物語は異なるものとなる。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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19年8月11日放送のNHKスペシャル『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』は、確かに手間暇かけた労作で、私は録画して繰返し丹念に見た。

  

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ただ、内容はもちろん、この番組タイトル「悲劇の・・」からして、再現ドラマ的な物語、お話の要素がかなり入ってる。それを踏まえて見ること、受け止めることが一番大切なことだと思う。上図、まるで救いを求めて必死に手を差し出すような、あるいは戦争を止めようとするような最後のカットを見ても、物語的な構成が見て取れる。

     

ある意味、当たり前の基本を改めて書く所から始めるのは、朝日新聞・8月16日朝刊の記者レビュー(河村能宏)の感想に、そうした姿勢が感じ取れなかったからだ。まるで、NHKが新たに見出した「真実」を「事実」として受け止めたかのように絶賛していた。「驚かされた・・突き止めた・・手に取るようにわかる」。まるで番組内で映された、日本軍・大本営発表の華々しい戦果を1面で大きく書く77年前の朝日新聞のようだ。

    

ちなみに先日記事にした浜崎あゆみの告白本は、冒頭からいきなり「事実に基づくフィクションである」と書いてた。この言い回しを借りるなら、今回のNスペは「史実に基づく歴史物語である」と言うべきだろう。史実そのものとか、真相ではなく。。

   

   

    ☆     ☆     ☆

最初に、NHKが語った物語のあらすじを書いておこう。

    

これまで、陸軍の精鋭部隊である一木支隊は、一木清直大佐の無謀な指揮によってガダルカナル島で全滅したかのように語られて来た。しかし惨敗の主な原因は、大本営の誤った認識、陸軍と海軍のズレ、陸軍内の指揮系統による命令、日米の圧倒的な兵力の差によるもので、一木も遺族も悲劇の犠牲者であった。。

   

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1941年12月の真珠湾攻撃が行われたアメリカ・ハワイと、連合国オーストラリアを結ぶ線上に位置するガダルカナル島。ここで制空権を握ろうとして、日本は空港を整備していた。図の左上に半分だけ見えてるのが日本列島で、約6000kmの距離。ガダルカナルの北西1000kmのラバウルには、日本軍の司令部があった。

   

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そこへ1942年8月7日、アメリカ海兵隊の1万人が来襲、空港を占領。当時、ガダルカナルには、海軍警備隊150人と1個中隊(数百人くらいか?)、設営隊2500人がいたそうで、合計すると3000人レベルだが、番組は彼らについてはそれ以上の説明をしてない。あくまで物語の主人公は、一木支隊の先遣隊916人。

  

日本の大本営はその日の内に、陸軍・海軍の緊急会議を開いて、太平洋では初の本格的共同作戦を開始。翌日8月8日の深夜、第一次ソロモン海戦で勝利。2ヶ月前のミッドウェー海戦での敗北に対する復讐を成功させた形となった。下は当時の朝日新聞の報道とされてた映像(本物かどうかは未確認)。「必殺の夜襲」、「米英連合艦隊撃滅」、「撃沈破」、「敵艦忽ち紅蓮の焔」。今の朝日の反戦的姿勢と比べると、興味深い。

  

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     ☆     ☆     ☆

この海軍の勝利の陰に、致命的なミスがあった(とNスペは物語る)。もともと、島の飛行場への輸送部隊が攻撃目標だったのに、海軍は巡洋艦などへの攻撃を優先させて、輸送部隊を見逃してしまった。そのため、飛行場を占領してた米軍は兵器も食料も補給できた。

  

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だから、陸軍ラバウル司令部では「ヤリ方ナマヌルキコト多ク 全ク キガシレズ」と日誌で批判。ちなみに前後の映像をよく見ると、「多ク」と「全ク」の間で2行ほど飛ばされてることが分かる。だからこそ、上で「多ク」の右側を見えなくしてあるわけで、こうした史料の扱い方、映し方にも、番組の「物語」性が表れてるのだ。

     

他の場面を見ても、他のNスペを見ても、資料の実際の文面と映像の文字テロップがズレてることは多い。筋書に合わせて資料を編集し直してるわけで、専門書や専門論文なら普通、もっと慎重に扱うところだ。例えば、「多ク ・・・ 全ク」といった形で、点々を入れて省略を示すとか。

  

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その後、島の米軍が補強される前の「戦機」を逃してはならないということで、一木支隊の先遣隊916人が8月18日に無血上陸。飛行場の東35km、現在は美しいタイボ岬のビーチ。

    

直前のソロモン海戦の勝利が災いして、米軍の人数を過小評価してしまったらしい。実際は1万人以上だったのに、2000人とか。その点は大本営の陸軍も同様だが、ラバウルの司令部では8000人くらいいると見てた(参謀長・二見秋三郎少将)。

  

  

    ☆     ☆     ☆

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一木・連隊長は、翌8月19日の朝8時30分、敵の様子を探るために偵察隊を派遣。ところが、既に米軍は無数のマイクや鉄条網で準備万端だったので、38人の将校・斥候(せっこう)が全滅。16時30分にそう伝えた伝令1人だけは、からくも逃げ切ったようだ。南の島のジャングルで往復計60~70kmを8時間で歩くというのは考えにくいので、かなり早めの位置で迎撃されたということか。

   

決定的なポイントは、次の判断と行動だろう。Nスペは次のように語ってる。一木は司令部と連絡を取ろうとしたのに、通信の中継役となるはずの海軍の潜水艦が任務を放棄して米軍空母に向かってしまったため、連絡を取れなかった。だから一木支隊は仕方なく、元々の命令に従って進撃を続けた。

   

流れとしては自然だが、番組をよく見返すと、連絡できる時間はあったように見える。伝令が逃げ返ったのが19日の16時半。空母の発見は20日の9時だから、潜水艦が離れる9時半前(?)までに17時間あるのだ。この間に連絡できなかったのだろうか? あるいは撤退できなかったのだろうか? 少なくとも番組では説明されてない。海軍史研究家・戸高一成の説明にも無かった。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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結局、原因や責任はさておき、後続部隊1000人の到着を待たずに進撃した一木支隊(CGの赤色)は、20日の夜から21日の朝にかけて「全滅」。米軍(青色)による十字砲火、戦車の砲撃、迫撃砲、戦闘機からの機銃掃射。「all enemy fire has ceased (?)」(敵の全ての攻撃は制圧された・・米軍資料)。

    

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直後にようやく海軍のゼロ戦が訪れた時には、既に屍が連なってた。・・という話はあったが、そのゼロ戦が反撃しなかったのかどうか、その際の戦闘は放送されてない。テレビドラマや小説と同様、主役と比べて脇役の扱いは小さいのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

この全滅という言葉、番組では最初から繰り返し使ってたが、実際は916人中、その時に命を落としたのは777人との事だから、それが事実なら、85%だ。

    

残り15%の敗残兵は、その後の島で飢死したり病死したりしてるだろうが、生き残ってる人もいまだにいらっしゃった。お2人が実名と顔出しで登場、101歳と98歳。一木清直大佐の長女も、90歳でご健在だった。海軍の97歳の方は非常にお元気そうに話してた。

  

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一木支隊「全滅」の後もガダルカナル島の総力戦は続いて、結局、日本軍は15000人の死者を出した後、1943年2月に撤退。英語版ウィキペディアを見ると、19200人とされてる。

   

戦力を見ると、連合国軍が60000人以上、日本軍が36200人(陸軍)。人数的に倍近い差が示されてた。装備、兵器、補給・輸送体制も含めて、総力で負けたというのが事実に近いのだろうと思う。海軍のミスとか、連隊長の無謀とかではなく。

    

その意味で、海軍・宇垣参謀長の日誌『戦藻録』から、「陸軍を種とし囮(おとり)と」したとかいう部分だけが強調されたのは、番組全体の性格をよく表してた。ちなみにテロップは「囮となす」と言い切りの形になってたが、原文は「囮として・・」と続いてたように見えた。長い資料から一部だけ取り出して使う際には、全体との関連など、細心の注意が必要だ。

  

試しに宇垣纏(まとめ)を調べると、終戦の日に特攻機で沖縄に突入して戦死とのこと(ブリタニカ国際大百科事典)。彼もまた、悲惨な犠牲者の一人だった。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ともあれ、8月の原爆の日、終戦の日あたりだけでも、こうした報道が行われるのは大切なことだし、我々も過去をじっくり顧みる良い機会だと思う。感想、解釈、行動など、個人的にどう受け止めるかは別として。

   

エアコン冷房の効いた家で、飲食物もある中で戦争番組を見ることへの罪悪感を抱きつつ、ではまた。。☆彡

   

       (計 3666字)

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「WGIP」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と『真相はこうだ』、占領軍GHQによる日本人「洗脳」?~保守vsリベラル

元の文献を自分で調べた上で記事を書こうとしてる内に、早くも

1週間が経過。まだしばらく余裕がないから、とりあえず軽い感想

記事だけでもアップしとこう。

   

    

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「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と

いう言葉や問題を初めて知ったのは、18年12月5日の朝日

新聞・夕刊を通じてのこと。最初は完全にスルーした記事だが、

新聞を処分する前にもう一度流し見してる時、目に留まった。

現在、朝日新聞デジタルにも掲載中

  

左派・リベラルの代表メディア、朝日の記事では、次のような議論

にまとめられてる。

    

 ──占領軍の教育計画が、保守の論壇では、日本人に

 自虐史観を植え付けた洗脳のように語られてる。

 しかし歴史研究者・賀茂道子が当時の史料を調べたところ、

 洗脳とは思えないし、体系的な施策でもなかった──。

    

ただ、賀茂も「それなりに影響はあった」とみるそうだから、洗脳と

見るかどうかは程度の問題、主観・立ち位置の問題とも言える。

   

あと、朝日は書いてないが、今回の著書はどうも博士論文がもと

になってるようで、非常勤講師の彼女はおそらく、4月に名古屋大学

大学院を出たばかりだろう。若手研究者の1人の見解ということだ。

   

     

     ☆       ☆       ☆

この種の話題は、右と左が全く違う主張をすることが多いので、

まず全体のバランスを考慮する必要がある。

   

「war guilt information program」という英語

が実際どの程度使われてたのか、ハッキリしない。ただ、言葉の

意味は、「戦争の罪・罪悪感・有罪性を知らせる計画」だと考える。

   

運営システムが違うので一概には比較できないが、朝日のサイト

で「WGIP」を検索すると、実質的には2件のみヒット(今回の記事

含む)。どちらも洗脳という見方に否定的な内容だ。

  

逆に、右派・保守の代表メディアである産経新聞のサイトで検索

すると、73件ヒット。見出しと冒頭の引用だけに目を通すと、

ほとんど(全て)が洗脳されたという見方のような感じだ。

  

さらに、相対的には中立に近い日経とNHKも検索すると、どちらも

ヒット数ゼロだった。何とも分かりやすいメディア全体の構図だ。

   

   

     ☆       ☆       ☆

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AMAZONの「本」カテゴリーで、「ウォー・ギルト」を検索

すると、6件のみヒット。上段の中央が、朝日の記事が扱ってる

『ウォー・ギルト・プログラム: GHQ情報教育制作の実像』

(法政大学出版局、2018年8月)。左右、ほぼ半々か。

  

   

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同じアマゾンでも、「WGIP」の検索だと45件ヒット。右寄り

の書籍が並ぶのは自然なことで、朝日によると、「WGIP」と

いう略語は保守陣営が使うことが多いようだ。上図の右側の

本『閉された言語空間』(江藤淳、文春文庫)が、議論の出発点

の一つらしい。

   

最後に、「war guilt information program」をグーグル

の「語順も含め完全一致」で検索すると、ほとんどの結果は日本

のページになる。英語版ウィキペディアにも項目なし。というより、

その項目は日本版ウィキにしか存在しないようだ。

   

というわけで、この話が日本の右派・保守の好むものだという

点は確かだと思う。

 

ただ、そこから「右翼の偏見」とか「虚構」、「間違い」だと直ちにいう

ことはできない。敗北して占領された日本の側の保守だけが正しく

歴史を見てる可能性もある。

   

被害というものは一般に、被害者のみが最初は声を上げるのだし、

被害者がしばらく声をあげないとか、気付かないこともある。イジメ

や体罰、セクハラ、パワハラの問題がその典型だろう。。

   

  

     ☆       ☆       ☆

いずれにせよ、占領軍によるある種の「教育」が行われたのは事実

らしい。代表は2つ。新聞の全国紙の連載『太平洋戦争史』と、その

ラジオ放送版のシリーズ番組『真相はこうだ』。

   

前者はその後、中屋健一が書籍化(高山書院、1946年)。

これは確認しにくいが、後者の『真相はこうだ』は「再録」本が国立

国会図書館デジタルコレクションで全文公開されてる

  

「真実こそ如何なる国家にとっても最も強い同盟国である」。

   

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聯合(=連合)国軍最高司令部民間情報教育局編、ラジオ放送

『質問箱』の再録、『眞相はかうだ』第一集(連合プレス社、

1946年)。

  

  

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     ☆       ☆       ☆

全体を軽く眺めると、戦争の細かい説明が多い。個々の戦闘・展開、

有名な戦艦、個別の軍人など。そのため、個人的にはそれほど

「洗脳」というイメージは受けなかった。

   

原子爆弾に関する説明は、日本の被爆者らへの配慮もあるのか、

かなり中立的なものに感じられる。つまり、原爆投下の負の側面が

少なからず記されてるのだ。天皇への言及も慎重。「侵略」という

言葉の説明も、英語の辞書を用いて淡々と短く行われてる。

   

ただ、アジアの各国・地域との関係、いわゆる「南京大虐殺」問題

など、かなり論争になりそうな記述もあった。それについてここでは

引用しないので、原書とその後の膨大な歴史研究に任せよう。ここ

では1つだけ、引用する。日本が負けた理由。

   

   

      ☆       ☆       ☆

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本書の冒頭。「今次大戦で日本が鋭鋒をくじかれ、守勢に転じた

のは何時頃ですか 又その理由は何でしたか お知らせ下さい」。

   

理由の第一は、想定外だったドイツ敗北。第二は生産力不足に

よる兵力逆転、優勢から劣勢への転落。第三は、科学力でアメリカ

に劣ってたこと。

   

大なり小なり反論・修正できなくもないだろうが、少なくとも洗脳と

いうほどの極論は書かれてない。書き方の点でも、感情的、扇動的

なものではない(南京などの項目は別)。

  

  

      ☆       ☆       ☆

大きく見た時に、『真相はこうだ』の分かりやすい欠点は、連合国

側の当時と過去の問題点が大幅に省かれてることだと思う。

   

日本にももちろん、様々な問題があっただろう。では戦勝国側は

どうだったか。それと日本と比べると、あるいは合わせて考えると、

相対的・総体的にどうなのか。別に問題のすり替えとか責任転嫁

などではなく、冷静な包括的議論が必要なのだ。実際、司法裁判

でも、法と共に過去の事例、判例というものが重視される。

   

とりあえず穏当な感想・意見を書くなら、当時こんな教育もあったと

いう事くらいは知る価値があるだろう、ということになる。その教育

の評価・吟味、他の施策との関係や、現在までの社会的影響に

ついては、また別の話だ。

   

真相はこうだ・・と語るのは、何時、誰にとっても非常に困難だろう

と痛感しつつ、今日のところはこの辺で。。☆彡

   

    

      

cf. 原爆の報道規制の原点、1945年9月15日の朝日新聞・鳩山一郎の記事内容(縮刷版、NHK『歴史探偵』)&ジム24日目

   

        (計 2632字)

   (追記61字 ; 合計2693字)

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「どうしても記憶しなければならない」戦争、各種報道の感想

平成の天皇は皇太子時代の昭和56年(1981年)、「どうしても

記憶しなければならない四つの日」として、沖縄戦終結の日

(6月23日)、広島原爆の日(8月6日)、長崎原爆の日(8月

9日)、終戦記念日(8月15日)を挙げてたそうだ。

 

この逸話、あちこちで見かけるが、出典はなかなか明記されてない。

バズフィードの記事(執筆者・石戸諭)によると、河西秀哉『明仁

天皇と戦後日本』が出典(の一つ)、元は日付け無しとのこと。

 

4つの日の内、3つは8月前半に集中してるから思い出しやすいが、

沖縄は日付けが離れてるし、本州の人にとっては場所も離れてる。

その辺りは、意識的に思い出す努力が必要かも知れない。

 

個人的には、家族で沖縄に旅行した時、戦争関連の場所をタクシー

で回って、父親が珍しく涙ぐんでたのをよく覚えてる。将棋と野球

しか興味なさそうな人間だったから、印象深かった。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

実際にはメディアは8月前半から中旬にかけて、戦争関連の情報

を集中させることが多い。

 

朝日新聞だと今年(2018年)、「記録と記憶 消された戦争」と

題する短期シリーズを掲載。敗戦時には既に8月14日の時点

で、公文書の焼却が命じられたが、こっそり隠し持ってた方も

いらっしゃるようだ。行為の良し悪しはともかく、残された機密

文書は今となっては貴重な歴史資料だろう。

 

日本兵の心の傷(トラウマ)は、あってはならない恥として、

無かったかのような扱いになってるという指摘も興味深かった。

つまり、本来ならPTSD(心的外傷後ストレス障害)として扱う

べき症状が、統合失調症などと診断されてるというのだ。

 

精神医学の世界で戦争神経症の話が出る時、欧米の話ばかり

なのは不自然だと私も思ってたから、なるほどと一応納得。ただ、

実証的な医学的裏付けは困難で、不可能に近いかも知れない。

73年前というのは古過ぎて、記憶も客観的証拠も僅かのはず。

 

 

      ☆       ☆       ☆

だからこそ、戦争の記憶をこれ以上風化させない社会的努力も

必要になるが、時代の変化が激しい現在、驚くような試みもある。

 

8月15日のNHK『おはよう日本』の報道には、思わず苦笑して

しまった。まず、茨城県の旧・特攻隊訓練施設に作られた資料館、

「筑波海軍航空隊記念館」。ピンクのミニスカートにニーハイを

履いた萌えキャラの女の子が、VR(バーチャル・リアリティ)

体験へと誘ってる。ゼロ戦飛行で、戦艦大和も見えるらしい。

 

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記念品の若者狙いも過激だ。

 

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先日、福島第一原発の記念品(写真をまとめたクリアファイル)

が1週間で販売中止に追い込まれたのを知る人間にとっては、

こちらの方が遥かに不謹慎のようにも感じられるが、批判は僅かで、

多くの若者で賑わってるとのこと。5年で20万人の来館者の平均

年齢は30代。

 

 

      ☆       ☆       ☆

その後さらに、戦艦を萌えキャラに見立てたゲーム&アニメ、

「艦これ」(艦隊これくしょん)をきっかけに、本物の戦艦の一部

(砲身)を引き上げた若者(20歳)も紹介。太平洋戦争の際、

ソロモン諸島で撃沈された駆逐艦・菊月だ。Googleで画像

検索すると、男の子ウケの良さそうな擬人化がズラッと並ぶ。

 

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カワイイという感覚は分からなくもないが、ここまで外見を変えた

2次元的創作物が、歴史的な3次元の実在と関係あるのか、関係

づけてよいのか、疑問も生じて来る。資料館の金澤大介館長は、

「知ってもらわなければしかたがないので、知るきっかけを与える

ため」だと説明。知ることは無条件で良いことだと考えてるわけか。

 

私としては、戦争とのこういった触れ合い方のプラス面ばかりが

強調されて、マイナス面が過小評価されてるようにも感じるが、

今の時代そういった批判はウケが悪いのだろう。しかし控えめに

言っても、ゲーム・アニメ・漫画と現実の間の埋め方には十分

配慮すべきだ。

 

ちなみに今日の朝日新聞デジタルは、戦争遺跡がインスタ映え

やイベントのポイントと化してることを、微妙な表現で伝えてた。

笑顔でピースとかする写真が拡散してるわけか。。

 

 

     ☆       ☆       ☆

最後に一言、日テレ『ZERO』の桐谷美玲のコーナー、「ハッシュ

タグ」について。人間魚雷「回天」について、山口県周南市の

記念館から伝えてた。

 

その中で、回天による攻撃の効率が悪いというような話が出たが、

それを示すためには、少なくとも他の攻撃の効率と比較する必要

がある。番組では比較は無かったし、私がちょっと調べてみても

そう簡単には言えそうもない。

 

あと、効率が良い攻撃ならいいのか?、という疑問も湧く。無人

攻撃機の爆撃やミサイル、AIロボットの攻撃ならいいのか。人命

をかけるのなら、自爆テロのような攻撃(爆弾を持って戦車に

突撃?)が効率良いとされる可能性もある。

 

別にあら探しをしてるわけではないし、悲惨な戦争を繰り返さない

ための報道(または主張)だというのも分かる。ただ、このコーナー

の「効率」の話について(ほとんど)誰一人としてツイートしてない

のが気になったのだ。先日、LGBTの「生産性」については大騒ぎ

になったのと比較して、この静けさは何なのか。

 

ネット・SNS全盛、多様化とスピードの時代、何が受け入れられて、

何が拒絶されるのか、本当に分かりにくくなって来た。やがて来る

AI全盛期には、そんな人間的な困難も一瞬で消え去るのだろうか

・・などと考えつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

 

            (計 2196字)

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オバマ米大統領の広島演説、全文の感想(英語&日本語訳)

(☆16年6月3日の追記 : 関連する新たな記事をアップ。

  オバマの広島演説推敲、「能力」を「手段」に変更&プチ自転車 )

 

 

         ☆          ☆          ☆

私の小学校では、夏休みの8月6日は登校日だった。校庭でラジオ体操を

した後、家に帰って朝ご飯。少しドキドキしながら、再び学校へ向かい、半

月ぶりにクラスのみんなや担任の先生と会う。面倒と言うより、楽しい思い

の方が強かった気がする。

 

もちろん、その日の授業は楽しいどころか、重々しくて分かりにくいものだっ

た。社会見学として広島訪問があったし、原爆(ピカドン)が恐ろしくて悲惨

なものだというのは何となく分かる。午前8時15分に始まる、1分間くらい

の黙とうという儀式も、お葬式や墓参りの延長として、みんな真面目に行っ

てた。ちょっと薄目を開けて、先生に注意されたりしながら。

 

ただ、ケンカでやり過ぎた生徒は、先生に厳しく叱られるのに、戦争でやり

過ぎたように感じられる米国は、それほど叱られない。

 

日本が先に手を出した形の真珠湾攻撃と比べても、広島や長崎の被害は

遥かに大きいけど、遥か昔の話だし、米国の方が日本より強いからかな。

口ゲンカももう止めようってことかな。。当時は、そんな感じでモヤモヤして

たと思う。

 

子どもにはまだ、日米安保とか同盟関係、核の傘、国家間の対立と防衛、

米国における原爆正当化論の強さなど、分かってなかったわけだ。今でも

分かりにくいくらいだから。

 

ちなみに下は、少し手伝ってもらいながら、オバマ大統領が自分で折った

という折り鶴の写真。読売新聞HPより平和と公益性のためにお借りした。

赤系と青系で、赤系が前側に位置。何気に、よく考えられてる構図だ。

 

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          ☆          ☆          ☆

さて今回、2016年5月27日に実現した、現職の米国大統領の広島訪問。

細かい違いはあっても、多くの反応は好意的なものになってる。米国でも

そうだし、日本や広島はさらに歓迎ムード。右派、左派、中立派の違いはあ

まり関係ない。反対や批判も一応あるけど、目立つほどでもない。

 

私もオバマ米大統領を歓迎するし、少なくとも今の時点で、謝罪を求める

考えは無い。謝罪が嫌で広島を避けるより、謝罪なしで広島を訪問する方

が、一歩か二歩、現実的な前進なのだ。たとえ平和記念公園に、核攻撃の

許可装置(フットボール)を持参してたとしても、仕方ないこと。残念なのは、

僅か1時間半ほどの訪問だった点くらいだ。

 

仮に今回、オバマの個人的判断で、即興の謝罪を示してたら、米国の対日

感情が一気に悪くなっただろうし、今後の大統領選や対日政策にも影響して

ただろう。東アジア、特に中国も黙ってなかったはず。「日本は被害者であ

る以上に、加害者だ。南京を忘れるな」、といった感じか。

 

というわけで、以下のオバマ広島演説を読んだ感想は、個人的な批判とか

反感を示すものではない。単に、政治的・歴史的に重要なスピーチの中身

を、英語原文と日本語訳で具体的にチェックしてみるということだ。

 

使ったのは、今日(5月28日)の朝日新聞・朝刊。他のメディア報道との比

較まではほとんど行ってないので念のため。朝日新聞デジタルにも日本語

英語 で掲載されてる。訳文の全文閲覧には、無料か有料の会員登録が

必要。読売新聞HPの訳文なら現在、無料公開中。

 

 

         ☆          ☆          ☆

日本語で4000字弱となってる全体を、小学校低学年向けにザックリ超訳

するなら、次のような感じだろう。

 

  「わたしたちは、広島や長崎の原爆を忘れず、 

   戦争を止めて仲良く平和にくらすことを目指しましょう。

 

46字だ。これが100倍近くになってるのだから、ある意味、冗長という見方

はできる。ただ、それほどインパクトも無い抽象的な内容よりも、肉声の語り

を長く響かせること自体に意味があった。世界のトップに立つ人間が、17分

間という時間、じっくり世界に平和をアピールするだけでも貴重なことだ。

 

もちろん、100倍になるのは、過去から現在に至る社会・政治・戦争・歴史・

科学技術などを語る内容だからでもある。ただ、それはまとめであって、新し

い内容はほとんど無い。おそらく、米国人にとって目新しいのは、序盤にあっ

た、「十数人の米国人捕虜を含む死者を悼む」という言葉くらいだろう。

 

 

          ☆          ☆          ☆

では、一番最初の文を引用してみよう。

 

  Seventy-one years ago,on a bright,cloudless 

  morning,death fell from the sky and the world

  was changed.

 

  (朝日の翻訳) 

  71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、

  世界が変わってしまいました。

 

これだけでも注目すべき語り口だ。要するに、自分たち米国が原爆を落とし

て世界を変えた、という話を、巧みに言い直してるのだ。米国とか連合軍な

どを主語にせず、死や世界を主語にする。

 

ただし、「world was changed」という受け身の英文は、直訳するなら、

世界は変えられた」となる。これだと、「何によって? 誰によって?」とい

う、変えた兵器や主体への問いにつながるわけだが、それを「世界が変わっ

てしまいました」と、自動詞の完了形のように訳してるので、中立的な文に

なってる。

 

実は、スピーチの最後の段落も、似た英語で始まってるのだ。

 

  The world was forever changed here.

  (朝日の訳) 世界はここで、永遠に変わってしまいました。

 

やはり、元の英語は「変えられた」、訳文は「変わった」となってる。試しに

読売の訳を見ても同様だった。まあ、「世界は変えられた」という日本語は

慣習的に不自然だから、妥当なところか。

 

ちなみに、「was changed」という英語の例文を検索してみると、一般に

堅い場面で使われる表現のようだった。

 

 

         ☆          ☆          ☆

71年前に世界を変えた主体や核兵器を遠回しに語る傾向は、他にも確認

できる。「we」「our」「us」、我々という、人類全体なのか自分たちなのかが

曖昧な代名詞の多用が最大の特徴。ただ、分かりやすいのは「atomic 

bomb」(原爆)という連語が僅か一度しか使われてない点だろう。

 

日本の感覚なら、広島と言えば「原爆」。これを「核兵器」と言ってしまうと、

抽象的・一般的な話になるし、左派=リベラルなどの反核運動のニュアン

スも出て来る。71年前の特別な経験はやはり、原爆なのだ。

 

オバマの声明でたった1回、原爆と語ってる長い文も興味深いので、引用

してみよう。

 

  We see these stories in the hibakusha,the

  woman who forgave a pilot who flew the 

  plane that dropped the atomic bomb,because

  she recognized that what she really hated 

  was war itself.

 

  (朝日の訳)

  私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中に見ることができます。

  原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜ

  なら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたか

  らです。

 

 

          ☆          ☆          ☆

上の訳文。「ヒバクシャ」を一般的な言葉のように訳してるのは、ミスリーディ

ングな(誤解を招きやすい)ものと言えなくもない。原文の「the hibakusha」

は、直後の「the woman」とつながるものだから。ただ、これは英文自体が

わざと被爆者一般であるかのように語ってる側面もあるから、許容範囲か。

 

ちなみにこの個所でも、米国という言葉は入ってない。ギリギリの注意深い

表現を選んである。しかも、女性が許したという話を用いて、過去の悲惨な

対立から現在・未来の良好な関係へという、ポジティブな流れを作ってる。

 

なお、他にも朝日の訳文の中盤に、「原子爆弾」という言葉が1回使われて

るが、元の英文は「the bomb」(その爆弾)。ただし、このすぐ前の英文に

「splitting of an atom」(1つの原子の分裂)という表現があるから、原

子爆弾と訳す方が分かりやすいのは確かだ。

 

 

         ☆          ☆          ☆

他にも、英文と訳文の微妙な違いは色々あった。

 

特に重要な個所というわけでもないけど、日本語で読むと少し気になるの

が、次の文章。

 

  いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる 

  日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を 

  薄れさせてはなりません。

 

高齢の被爆者との初対面で、彼らの死とその後を意味する言葉を使うのは、

やや配慮に欠けてるような気もしてしまう。ところが、英語原文だとニュアン

スが違ってて、問題ない。

 

  Someday the voices of the hibakusha will no longer

  be with us to bear witness.But,the memory of the

  morning of August 6th,1945,must never fade.

 

要するに、「たとえ被爆者の声が消えても、記憶は決して消えない」という

英文で、意訳するなら、「被爆者はずっと生き続ける」ということだ。これな

らむしろ、高齢被爆者に十分配慮された文章と言えるだろう。

 

朝日の訳だと、被爆者は死ぬけど、我々が記憶し続けよう、という意味にな

るから、誤訳ではないにせよ、ちょっと引っかかる所なのだ。

 

実は全文掲載の前置きとしても、朝日は「記憶を薄れさせてはなりません」と

引用してた。だからむしろ、これは左派メディアとしての朝日の主張、社説が

入った訳文なのだろう。オバマ個人の反核の姿勢と共に。。

 

 

         ☆           ☆          ☆  

そろそろ時間なので、このくらいで終わりとしよう。次はやはり、安倍首相の

真珠湾訪問&演説という流れだろうか。

 

日本の保守派がどう反応するのか読みにくいけど、作家・塩野七生が強調

してたような品格とか品位を示す方がいいと思う。米国大統領が謝罪しなかっ

たのだから、逆に日本の首相だけが謝罪するというのも、考慮に値する。

 

国家や国民の成熟が問われてるのだ。ちょうど、オバマ演説と同じくらいの

字数に達した所で、今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. オバマ大統領の広島訪問、米国の共和党(保守派)が批判しない理由♪

 

                         (計 4007字)

              (追記 86字 ; 合計 4093字)

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