吾輩は『猫である』に挫折した少年である♪~テンメイ回想録13

昨日(16年4月1日)から朝日新聞の朝刊で連載が始まった、夏目漱石の代表

作の1つ、『吾輩は猫である』(初出1905年)。第1回は読破できたから(笑)、

今日も頑張るぞ!と気合を入れてたのに、どこにも見当たらず。説明もないか

ら、エイプリルフールかと思ったほど♪ 31日の朝刊トップに、「月~金曜に掲

載」と書いてあった (^^ゞ 分かりにくっ!

 

夏目漱石(本名・金之助)は1867年生まれで、亡くなったのは1916年。今年

で没後100周年だから、最初の長編小説を再び紹介しようってことらしい。ちな

みに漱石は、教師を経て朝日新聞社に就職してることもあって、少し前から新

聞で色々と再掲載されてる。

 

私が一番多く読んだのは、『心(こころ)』。110回中の8回くらいかな (^^ゞ 一

応、題名に関するマニアックな記事だけは書いたけど、どうも苦手意識が、私

の心に焼き付いてるのだ。

 

忍耐力には自信があるし、読書も好きで、長くても難しくても読むけど、漱石は

『坊っちゃん』しか読んでなくて、しかも高校1年だった♪ 最初の出会いの失敗

がトラウマ(外傷体験)になって、心が歪曲&抑圧されたんだろう。可哀想な、

坊っちゃん(=私)の心。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

朝日の『吾輩は猫』連載初回の下に、「題字は橋口五葉装丁による初版単行本

(上編)をもとにしています」と説明されてたから、試しに検索。すぐに、国立国

会図書館・近代デジタルライブラリーの電子書籍がヒットした。橋口の死後から

でも100年近いから、著作権は消滅済みのはず。縮小コピペさせて頂こう。出

版社と言うか、発行所は大倉書店と服部書店の連名。著作者は本名・金之助。

 

160402c

 

「吾輩ハ猫デアル」。活字の種類と大きさ、イラスト、全体の配置、可愛いデザ

インだね♪ 今でもレトロ感覚でフツーに通用すると思う。上のハンコは、「帝

国図書館蔵」と書いてるのかな。ついでに、有名な本文冒頭も紹介しとこう。

「ワガハイハネコデアル」(+猫3匹)、カワイイ! イラストの下には英語で、

「I am a Cat」と書いてる(多分)。読者の落書きではないと思う(笑)

 

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          ☆          ☆          ☆

さて、この記事は「回想録」シリーズの13本目だから、私の個人的な思い出話

がメインであって、内容に関する感想やレビューはいずれ後ほど書く予定。

 

この本は、私が小学校時代に、母親がプレゼントしてくれたものなのだ。誕生

日だったか、何かの記念だったか、思い出せないけど、単行本の小説を貰っ

たのはこれが最初で最後だと思う。実家のどこかにまだあるのかな? 

 

画像検索しても出て来ないけど、文庫や新書サイズの安い本じゃなくて、箱に

入ったハードカバーの上製本。わが家の家計的には贅沢品だったと思う。母

親がこれを選んだ理由は全く不明。本人の趣味ではなかったはず。私がおね

だりしたのでもない。

 

ただ、自宅には少年少女向けの世界文学全集と日本文学全集がズラッと並ん

でたから、私はすべて3回くらいは読んでる。もちろん、ルパン、ホームズ、明智

小五郎とかの推理小説は一通り読んでたし、国語の教科書を読むのもわりと好

きだった。

 

にも関わらず、『吾輩』だけはすぐ挫折してしまったのだ (^^ゞ 最初の2ページ

で挫けて、あきらめる前に最後の2ページをチラッと見ただけかな(笑)。あの

結論を知ってしまうと、子供心としては、推理小説で犯人とトリックを知ったの

も同然。母親に、「高かったのに・・!」(笑)とか注意されたけど、もう読む気に

ならなかった。。   

 

         ☆          ☆          ☆

では、なぜ本好き少年がすぐ挫折したのか。ポイントは4つだろう。長さ、文体、

古さ、そして、主人公が人間ではなく猫であること。

 

長いということは、本が重いということでもある♪ 少年の手でハードカバーを

持つと、大きくて重い。文学全集だと、子供向けのやさしい文章に書き換えら

れてたはず。ところが『吾輩』は、元のままだったか、あるいは中学生向けだっ

たか、まだ可愛い少年にとっては文章がちょっと堅苦しくて難しかった。

 

おまけに古過ぎて、最初からつまづいてしまう。吾輩=名無し猫が「始めて」

見た人間は、「書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族」♪ 書生なん

て言葉を聞いたのは「初めて」だし、意味も分からない。「時々我々を捕まえ

て煮て食う」人がいるの?(^^ゞ 

 

ちなみに小説の漢字は、「初めて」ではなく「始めて」なのだ。ひらがなは現代

仮名遣いに直してたと思うけど、簡単な漢字はそのままだったと思う。そういっ

た細かい点でも、ちょっと敷居が高いのだ。

 

 

           ☆          ☆          ☆

そして、最後かつ最大の難関は、猫♪ そもそもウチの近所では、犬の方が人

気で、猫はマイナーだった。私自身も、犬を可愛がった覚えはあるけど、猫を可

愛がった記憶は無い。3月31日の朝刊(森まゆみ)によると、夏目家に黒猫が

迷い込んだ時、漱石の妻も追い出そうとしたとの事(笑)

 

その猫が主人公になって、人間の言葉で人間を語るのだ。やたら冷めた「上

から目線」での批評=批判♪ 当時の私の言葉なら、猫のくせにエラそうに・・

って感じだ。風刺とか人間観察とかいう言葉も、まだピンと来てなかった頃。

 

現代日本でも、猫がこれほどブームになったのはここ5年くらいだろう。私も今、

ネットで写真や動画を見るとカワイイと思うし、猫目の女の子も好きだけど、猫

耳は趣味じゃない(笑)。子供の頃は、猫というだけでかなりの距離感があった。

 

擬人法とか擬人化と呼ばれる手法も、最近はサブカルチャー的な流行になっ

てるけど、当時の私だとせいぜい、怪獣・怪人の類に感情移入するのが精一

杯。正義の味方はもちろん、人間の類なのだ。人間に似た姿で、宇宙「人」と

か人造人間とか呼ばれてるし♪

 

 

          ☆          ☆          ☆   

というわけで、吾輩は『猫』に挫折した少年である。名前はテンメイだ。今度こ

そ、最後まで読み通して、読書感想文を書きたいと思ってる。小学校時代から

サボリ続けて来た、宿題として。

 

とりあえず、明日も連載はお休みだから、月曜日に忘れないようにしよう。ま、

ネットの青空文庫でも無料で読めるんだけどネ。近代デジタルライブラリーよ

り軽いから、お手軽だけど、出来れば新聞小説として毎日、最後まで読み続

けたいな。まだ一度も成功してないし、衰退が顕著な古典的文化だから♪

 

古き良き伝統は継承すべきなのだ。それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

 

 

cf. 夏目漱石『心(こころ) 先生の遺書』の題名(タイトル)&自転車

   夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した伝説の出典など

 

                    (計 2646字)

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職場の派閥争いと分裂、辞職・・~テンメイ回想録12

昨日の解散・分裂報道記事で、私ならおそらくマネージャーに付いて行く、

と書いた。その思いには、個人的な経験も関わってる。要するに、私も組

織で「負け組」になって、外に出た苦い思い出があるのだ。

 

この記事を、当時の関係者が読む可能性はほとんど無いけど、念には念

を入れて、かなり曖昧で手短な書き方にしとこう。それでも、事態の重苦し

さや激しい感情はある程度伝わると思う。実際、この記事を書こうと決めて

当時を思い出してる内に、ズ~ンと暗くなってしまった。その一方で、いまだ

にエキサイトしてしまう部分も残ってる。。

 

 

         ☆          ☆          ☆

それは、私が以前所属してた、ある職場での出来事だった。私は非正社員

だけど、社員も含めてみんなとフツーに仲良くやってたし、色々と美味しい

思いもした♪ まだ付き合いのある人達もいる。

 

だから、その職場全体には今でもいいイメージを持ってるし、感謝もしてる。

ただ、一部の人達と真っ向から対立することになったので、懐かしい思い

出の中に、大きな傷も残ってしまったわけだ。

 

最初のキッカケをどこから書くのか迷うけど、一応、最大の対立相手に焦

点を絞ろう。仮に、Aと名付けとく。Aは私より数年後に入って来た正社員

で、年齢も数歳、年下。最初、Aは私を「テンメイさん」みたいな感じで呼ん

で、先輩扱いしてたし、私もAを可愛い後輩だと思ってた。話も合って、フ

ツーに喋ってたし、遊びに行こうかって感じの話もしたと思う。

 

ところが、しばらく経った頃、私が職場でちょっとイジって(からかって)遊ん

でたら、Aは冗談めかして、「テンメイさんとはもう話をしないことにしよ♪」

とか口にした。これが一つの分かれ目になったけど、もちろん私は軽口を

叩いただけで、ケンカするような事を喋ったわけじゃない。

 

おそらく、まったく違う「ある理由」で、Aは私にライバル意識や反感を持ち

始めてたんだと思う。単なる想像じゃなくて、多くの根拠があるけど、それ

はちょっと書けない。「ある理由」とは、どこにでもある平凡だけど重要な人

間関係のこと・・・とだけ言っとこう。

 

 

         ☆          ☆          ☆

その後、社員のAは普通に職場内で経験を積んで、立場が少しずつ上がっ

て行く。非正社員の私はほとんど上がらない。この間、私とAはほとんど喋

らなくなってたけど、別にケンカしてたわけでもない。単に、すっかり疎遠に

なっただけ。

 

その頃、私は「ある理由」をめぐって、Aとの立場が逆転したらしいという事

に薄々気付いてた。ハッキリとは分からないけど、まず間違いない。それで

も、私から見るとAは遥か下の後輩。能力的にも経歴的にも、頭を下げるつ

もりは全く無かった。

 

ある時、Aが私に対して、「これ、やっといて」と言って来た。名前もなし。完

全に上からの「命令」だ。一応、社員だから、もしA以外の相手だったら、私

も「分かった」と対等口調で応答して、普通に従ってた。ただ、疎遠な状態を

長く挟んだ後、いきなり命令? ずいぶんエラくなったもんだな・・・と思った

私は、指示には一応従ったけど、一瞬ニラミつけた気がする。

 

その後しばらくして、もう一度似たような命令があった時、私は「何?!」と

Aに言い返して、ハッキリとニラミつけた。Aは無言で目をそらして、他の非

正社員(Aよりさらに後輩)に用事を頼んだ。

 

これ以降、私とAは「ほぼ」完全に絶縁状態。と言うより、私の側が激怒して

たから、一触即発の緊張が続き始めた。Aもそれ以降、私に命令口調で指

示することは無くなった。ごくたまに、普通の仕事の依頼があるだけ。

 

 

         ☆          ☆          ☆

それでも、私とAの関係だけなら、別に大した事じゃなかったのだ。お互い、

自分の仕事はちゃんとやってるし、職場全体への影響はない。

 

ところが、徐々にAの勢力が拡大して行ったのだ。そうなると、Aの側に回っ

た人間たちと私の間も疎遠になる。もちろん、私の側にも仲間はいたけど、

正直、力関係では差がつき始めた。分かりやすく言うと、たまたま話題になっ

てる「4:1」くらいの大差だ。以前、私と仲が良かった人間が、徐々に疎遠に

なっていく。一度だけとはいえ、露骨に私の中傷をしたヤツも一人登場して、

かなり我慢の限度に近付いて来た。

 

とはいえ、仕事のジャマまでする人間はいなかったから、私はフツーに自

分がやるべき事をやって、踏ん張ってた。

 

 

          ☆          ☆          ☆

とどめを刺されたのは、ある上司の一言だ。この上司とは、何の対立もなく、

普通に談笑する関係だったのに、2人きりの場でいきなり、単刀直入に質問

して来たのだ。

 

「Aと仲が悪いのか?」。私は、ハイとは言わなかったけど、返事をしなかっ

たと思う。つまり、無言で認めたということ。すると上司はさらに言って来た。

「あれが理由か?」。これは全く想定外な言葉で、心に突き刺さった。という

ことは、直接か間接かはともかく、Aが上司に説明してるということだ。おそ

らく、私が悪者として説明されたはず。

 

内心の動揺を抑えて、私が無言を続けると、「アレはこうなったらしいな」と、

私が知りたくもない事実を伝えて来た。そして最後はズバリ言われてしまっ

た。「オレは社員だから、Aの味方だからな。当然だろ」。

 

 

          ☆          ☆          ☆

これでもう、終わりだ。辞めろと直接的には言われなかったけど、「お前も

ちょっと長過ぎたんだろう」とは言われてしまった。要するに、そろそろ辞

めろということだ。

 

ほぼ同時期に、私の側にいた人間、あるいはAの側にはいなかった人間

が、次々に職場を去ることになった。私以外の人の話や、その後の話の続

きもまだまだあるけど、今日はこのくらいにしとこう。

 

今から振り返ると、確かに、私が長過ぎたという部分はある。早めに辞めて

れば、対立が悪化することもなかったし、別にその職場にしがみつくほどの

「経済的」理由は無かった。

 

ただ、別の理由、別のこだわりがあったから、じっと我慢し続けたわけで、そ

れは一時期、成功につながる可能性も高まった。ただ、結局は上手くいかず、

「派閥」争いにも敗北。静かに追い出されるような感じで、自分から出て行くこ

とになったのだ。

 

というわけで、どうしても例の退社するマネージャーと自分が重なってしまうの

だ。もちろん、彼女の屈辱は私の50倍くらい大きいと思う。ただ、100倍まで

は行かないはず。そのくらい、私の屈辱感も大きい。

 

 

          ☆          ☆          ☆ 

とはいえ、全く別の側面もある。実は先日ようやく、Aから譲り受けたある物

を処分した。それは、私とAがわりと仲が良かった時代の証し。それを私に

渡す時のAの笑顔は今でも覚えてる。

 

つまり、本当は私も、Aと仲直りしたかったのだ。そもそも、直接的な争いは

僅かしかないし、対立の原因はまったく別の所にあったんだと思うから。些

細な言葉のやり取りとかは、表面的なものに過ぎない。

 

私が辞める少し前、あの理由が絡んで、Aの態度が一気に軟化したことも

あったし、昔みたいにフツーに談笑することさえ僅かにあったけど、結局は

関係修復できなかった。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

とにかく今となってはすべて過去の話。額縁に飾ったキレイな絵の真ん中

に、大きな深い傷がついてるようなものだろう。全体的には十分美しいけ

ど、もはや傷の修復はできないのだ。

 

あり得ないけど、万が一この文章をAが読んで気付いたら、連絡して欲し

い♪ 一緒に飲んで、すべて笑って水に流そう。今となっては昔の話。お

互い、スッキリすると思う。

 

儚い夢を口にしたところで、それでは今日はこの辺で。。☆彡

 

                                  (計 3017字)

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年賀状配達アルバイトの思い出(高校時代)~テンメイ回想録11

風邪で沈滞中の年末の日曜日、1年半ぶりに「テン

メイ回想録」シリーズの記事を書いてみよう。要する

に私の昔話、思い出の記録だ。回想録としては初

めて、スマホを意識した記事作りをしてみる。1行の

字数は約3分の2。全体も短めで軽めの記事だ。

 

第11回目の今回のテーマは、年賀状アルバイト。

先日ようやく年賀はがきを手に入れたし、郵便局に

行く用事もあったので、ふと思い出したわけ。

 

試しにバイト情報を検索してみると、驚くほど出て来

ない。今日は12月21日だから、時期的に遅過ぎる

のかな。あるいは、ネットとか使わず、郵便局の貼り

紙で地元の人を集めるとか。実際、私自身のバイト

のキッカケは、田舎の局の貼り紙だった気がする。

 

 

       ☆       ☆       ☆

年賀状の中心は今でもやっぱり、日本郵便(旧・日

本郵政公社)のお年玉付き年賀はがき。「年賀葉書

発行枚数の推移」を見ると、2003年発行(04年用)

の約45億枚がピークで、その後は減少。15年発

行は約30億枚になってる。ネットとスマホの時代、

これでも健闘してる方だろう。1人平均で24枚。

 

私も、年賀状以外に年賀メールを少し出してるけど、

大晦日の夜中から元日の朝くらいまでは、通信エラー

になったり半日遅れになったりするから、メールとして

はピンボケに感じてしまう。

 

まあ、それでも、単なる印刷だけの年賀状と比べると、

「手書き」・・・じゃなくて「手打ち」のメールの方が嬉し

い。もちろんベストは手書きの年賀状で、私はそれを

守り続けてるから、出すのがいつも遅れてしまう (^^ゞ

ボールペンでもダルイから、筆とか筆ペンの人は大

変だろうネ。。

 

 

        ☆       ☆       ☆

で、肝心の私のアルバイト。はっきり覚えてないけど、

おそらく高校2年だったと思う。

 

それまでのバイト歴は、小学校時代の夏休みの新聞

配達のみ。高校1年の頃、お好み焼き屋の安いバイ

トに応募して落とされた経験は以前書いた通り (^^ゞ

いまだに思い出すと本気で腹が立つほど♪

 

さすがに正月の郵便局で落とされることはないだろう

と応募したら、あっさり採用。時給は覚えてないし、安

かったと思うけど、少なくともあのお好み焼き屋よりは

かなり高かったはず。

 

時間や期間もハッキリしないけど、朝8時から夕方4

時までとか。正月の前後、学校の冬休みを利用して、

2週間くらい頑張った。直接の理由は、ソニーの高額

の音楽機器を買うことだったけど、それ以上に、自分

で数万円単位のお金を稼ぐ経験をしてみたかったの

だ。高校卒業後は、上京して自活するつもりだった。。

 

 

      ☆        ☆       ☆

原付の免許は持ってなかったから、配達は郵便局の

自転車。全体で10くらいのエリアがあって、私が担

当したのはウチからちょっと離れたエリアだった。

 

と言っても小学校の通学区域内だし、何度も遊びに

行ってる馴染みの地域。瀬戸内海沿岸の山側だか

ら、坂道がちょっとしんどいけど、雨の少ない地域

だからカッパはほとんど使ってないはず。

 

うろ覚えだけど、おそらく午前中が配達で、お昼は

家に帰って食べた後、午後は郵便物の仕分けだっ

た気がする。自分の担当区域以外も少し手伝った

かな。

 

ハッキリ言って仕分けはラクで、バイトのポイントは

配達だった。まず、原付に乗った大人の局員(?)を

自転車で追いかけながら、住所や建物、ルートを覚

える。地図は持参してなかったかな。分かりにくい住

所の郵便物は、あらかじめ郵便局で場所を確認し

てた。局員に聞いたり局内の地図をチェックしたり。

 

私は当時、陸上部の中・長距離ランナーで、今より

遥かに走力があったから、坂道の自転車や小走り

は大丈夫。おまけに冬だから、身体がポカポカ温

まって、ちょうどいい感じ♪ それでも、末端冷え性

だから、ポケットにはカイロを入れてたかも。。

 

 

      ☆       ☆       ☆ 

半月のバイトの中でメイン・イベントはもちろん、元日

(1月1日)の配達だ。それに備えて、年末の郵便物

の仕分けが大切になる。細かく区切られた棚を使っ

て、自分が配りやすい順番で並べて溜めとくわけ。

 

今、年賀状は12月25日までに投函するのが基本

とされてるけど、当時のその局だと、31日のお昼ま

でにポストに入れたものはちゃんと1日に配達して

た。だから、今の私が出すのも遅いのだ(笑)。言い

訳か!

 

で、決戦の元日。普段の数倍の郵便物だから、30

分か1時間か早めに出勤したかも。自転車の後ろ

の荷台に、特別大きな箱を縛り付けたんだったか、

あるいは配達の途中で局に戻って郵便物を追加し

たのか。

 

とにかく、陸上の大会のノリで、全力の配達。もちろ

ん、間違えないように、落とさないように、細心の注

意。確か、2世帯(または3世帯)でご褒美を貰って、

その気持ちが凄く嬉しかった。わざわざ用意して待っ

ててくれたんだから。カワイイ少年の配達員を(笑)

 

一件はお年玉袋(1000円)、もう一件は小さめのお

菓子の箱詰めだったかな。たぶん、お菓子の方は、

わりとキレイな女の子だったと思う。あの状況だと、

普段より数倍増しに見えるのだ(笑)。コラコラ! ウ

ブな少年としては当然 、「あの人、ひょっとして俺の

こと・・・♡」とか思ったりもした♪ その後、何も無かっ

たけど。。_| ̄|○

 

 

       ☆       ☆       ☆

とにかく全力で配り終えて、局に戻ったのは午後1

時過ぎだったか。「早かったね」とか、「頑張ったな」

とか、ねぎらいの言葉を期待してたら、担当者が一

言。「時間かかったね」だったか、「大変だった?」か。

要するに私には、「遅かったね」としか聞こえなかっ

たのだ (^^ゞ

 

この局員、感じのいい人だったし悪気もなかっただ

ろうけど、温厚な少年といえどもかなり腹が立った

のを覚えてる。少なくとも、走ったり階段を昇り降り

したりするスピードは、その人や他のバイト少年た

ちより速いはず。翌年の春には、陸上の県大会に

も出場してるのだ(予選落ちだけど♪)。

 

プンスカ怒りながら、お昼休憩で家に戻ると、嬉しい

サプライズが待ってたから、一発で機嫌が直った。

全く知らない女の子から、心のこもった年賀状が届

いてたのだ ♡ 英会話の勧誘だった・・・とかいうオ

チは無い♪

 

 

      ☆       ☆       ☆     

それはさておき、翌日の1月2日だけ休みで、後は

きっちりお仕事を完了。給料明細書と共に封筒に

入ってた現金は、65000円くらいだったかな。

 

早速、地元の商店街の電器店に出かけて、念願の

商品をゲット。今は使ってないけど、まだ一応持っ

てる(ような気がする・・・笑)。

 

全体的に見て、すごくいい経験になったのは確か

で、素敵な思い出にもなってる。正月休みを使っ

てまたやろうかな・・・っていうのは流石に無理だ

ろうね♪ 高校時代とは色々違うのだ。

 

あぁ、やっぱし長めになっちゃったネ。それでは

今日はこの辺で。。☆彡 

 

                  (計 2715字)

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ブランコと靴飛ばしで遊んだ日々♪~テンメイ回想録10

「そうだ 神戸、行こう ♡」・・・っていうのは、かなりヒネったジョークなんだけ

ど、細か過ぎてほとんど誰にも伝わらないだろうね♪ もちろん、JR東海の

キャンペーンのコピー、「そうだ 京都、行こう」をもじったものだけど、神戸

ヴァージョンも既にネット上に溢れてた。

 

それどころか、大阪や名古屋ヴァージョンも大量に溢れてるし、『そうだ旅(どっ

か)に行こう。』なんてテレビ番組まであるんだね(テレビ東京)。元のコピーラ

イターは佐々木宏とのこと(byウィキペディア)。簡単な単語3つ並べて、最初

の「そうだ」で心を揺さぶる。母音は「オウ オウ オウ」と3連発で、軽快かつ

リズミカル。上手い☆

 

で、どうして神戸かって言うと、STAP細胞・小保方さんが心配だから♪ まあ、

ホントに神戸にいるのか知らないけど、大丈夫かね。あれだけ抵抗して来た

のに、ここに来て論文2本とも撤回に同意したとのこと。代理人の弁護士にも

相談せず、1人で病室で(?)決心したのかな。雑誌『NATURE』の側から掲

載を取り消される前に、自分たちの側からってことかも。世界遺産の推薦を

自主的に取り下げた鎌倉みたいに。

 

冗談まじりだけど、『FRIDAY』で爆走してた笹井氏と一緒に、自転車でも始

めればいいのに♪ 頭や心で悩むより、身体を動かす。部屋に閉じこもるよ

り、外に出てみる。この事の大切さは、実践してる人なら誰でも分かってるこ

とだろう。ちょっと離れた場所までは自動車で移動してもいいし、マスコミも単

なる外出を毎日追いかけ続けるはずはない。単なるネタなら、新しいのが次々

に登場してるんだから。。

 

そして、ゆっくり心身をリフレッシュした後は、「倍返し」に向けて再スタートす

ればいい♪ 温かく受け入れてくれる人は、世界中に大勢いるんだから。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

では、今日はこの辺で・・・と書くと、記事タイトルと合ってないね♪ 唐突に、

ブランコなのだ。プロ野球、DeNAの外国人選手ではなく、子供向けの遊具。

 

「テンメイ回想録」シリーズの記事をここ1年以上書いてなかったから、何か

書こうとは思ってたんだけど、ブランコをテーマに選んだ理由は、2つの偶然

が重なったから。

 

まず、巷で話題のNTTドコモのマナー啓発動画「全員歩きスマホin渋谷スク

ランブル交差点」をYouTubeで見たら、右サイドにたまたま、ブランコのシミュ

レーション動画があったのだ。「ブランコで一回転できるか?永遠の謎に決

140604a_2  着。」(笑)。

 

  要するにどちらも、色んな前提条

  件を設定した上で、複雑な計算を

  コンピューターにやらせてみたっ

  てこと。ブランコ動画のソフト(物

  理エンジン)は、フリー(無料)の

  Blenderだというウワサだ。

  私も使ってみたいな♪

 

一方、その少し後の朝日新聞・夕刊(5月24日)には、21歳の若手俳優・菅田

将暉(すだまさき)の短いインタビュー記事が載ってた。連続ドラマ『死神くん』

の撮影で、ブランコできれいに止まる方法を発見。一番後ろにいった瞬間、足

をまっすぐ着地するとピタッと止まれるとのこと。主演の大野智に伝えたら、ウ

ケてもらえたらしい♪ ま、ちっちゃいコが靴の裏を地面にズルズルさせて止ま

るのも、可愛いけどね。。

 

 

          ☆           ☆          ☆

というわけで、私自身が小学校時代、ブランコをどう漕いで、どう降りてたか、

思い出してみたわけ。

 

ちなみに私は、中学校以降にブランコに乗った覚えが一度もない。まあ、何度

かはあるんだろうけど、たかが数回じゃないかな。普段、公園を走ってると、高

校生以上に見える人たちが楽しげにブランコに乗ってて、羨ましくなる♪ 好き

だったもんなぁ。。

 

最初は幼稚園かな。確か、座った状態で、誰かに後ろから押してもらってた気

がする。親、先生、他の子たち。で、ブラブラ揺れながら、自分の両脚をギコギ

コ曲げ伸ばしして、漕ぐことを覚えたんじゃないかな。大きく漕げるようになる

と、親とか周囲に褒めてもらえたはず。これが子供にとって、最高のプレゼン

トなのだ。カワイイね(笑)

 

次に、自分1人での座りこぎを覚えるんだけど、当初、スタートは後ろ側に立っ

た状態だったと思う。つまり、上で菅田が語ってた止まり方の逆で、止まった

状態からパッと両脚を浮かせて、揺れ始める。で、両脚をギコギコ漕いだり、

上体や腕を巧みに操作したりして、揺れを大きくしていく。

 

その時、「このままだと1回転しちゃうかも・・・」と思うこともあったけど、実際

に見たことはない。90度近くになると、漕ぐのが怖くなるし、漕いでも上がらな

くなった気がする。物理学的、力学的考察はまた別の機会にってことで♪ 人

が乗ってない状態で、手で1回転させるヤツならいたけど、上の軸に巻きつい

て遊べなくなるから、不評だった(笑)。

 

試しに今、ブランコで1回転するネット動画を検索してみると、ほとんどが単な

る少年たちの悪ふざけ。大袈裟な動画タイトルで視聴者を釣ろうとしてるだけ

で、真面目にチャレンジしてるものが見当たらない。1回転どころか何回転も

出来てるように見えるのは、普通のブランコじゃなくて、特殊な回転用ブランコ

(キーキングとか)みたいだ。

 

 

          ☆          ☆          ☆

話を元に戻すと、座りこぎの次は立ちこぎで、これも最初は誰かに後ろから

押してもらってたと思う。その内、膝の曲げ伸ばし(重心の上下運動)を使う

立ちこぎを覚えると、1人前になった気分で思い切り遊べるんだけど、それだ

けだと飽きて来る。

 

そこで登場するのが、「靴飛ばし」なのだ♪ 私の小学校だけかと思ったら、全

国でいまだに一応やってるみたいだね (^^ゞ ただし、もっぱら男の子のマイ

ナーな(?)遊びで、女の子はやらないのかも。男は本能的に、飛ばしたいっ

てことか(笑)。あと、物心ついて以降、直接見たことも聞いたこともないから、

メジャーではないのかも。あっ、危ないから禁止か。靴が他の子に当たるとか。

 

ま、私自身が小学生の頃、そんな苦情はほとんど無かったどころか、わざと

ぶつけたりキャッチして、キャーキャー楽しんでたけどネ。そんな事でケガす

る可能性はほぼゼロだろう。むしろ、ブランコの2人乗りや飛び降りの方が遥

かに危ないはず。

 

座りこぎで飛び降りの距離を競う遊びもやってたけど、あれはあんまし飛距離

が出ないから、意外と解放感が少ないのだ (^^ゞ 立ちこぎの飛び降りは上手

く行かないし。。

 

 

          ☆          ☆          ☆

それに対して、靴飛ばしは解放感があって面白かった♪ あれも座りこぎだっ

たね。座った状態の方が、ブランコの揺れによる足先の速度が大きいからか

も。理屈じゃなく、身体で分かってたんだろう。

 

今なら、ブランコの上の軸から足先までの長さを r 、ブランコの回転の角速度

を ω として、(足先の接線方向の速度) V=rω。よって、ωが等しいなら、rと

速度Vが比例する・・・って感じで納得できるのだ。もちろん、本当は「速さ」(速

度ベクトルの絶対値)と言うべきだけど、速度と書く方が物理っぽくてカッコイイ♪

 

とにかく、座った状態で膝下を後ろから前に動かして、あらかじめ踵部分を脱い

でた靴を大きく飛ばす。着地後の転がりも含めると、かなり飛んでたと思う。10

m以上じゃないかな。で、片足跳び(ケンケン)で遠くまで拾いに行って、足腰を

鍛えるのだ(笑)。靴が破れた覚えもあんましないし、いい遊びだね。遠くに飛ば

せる子どもほど、片足跳びトレーニングの距離が伸びるから、合理的でもある。

 

私はかなり得意で、前方向と上方向、どちらも意識して飛ばすのがベストって

意味で、「前方フライング・キック」とか名付けてたと思う♪ 恥ずかしい名前だ

けど、運動神経が良くて女の子にもモテる友達Tが、「その名前、いいから、僕

にも使わせて」と言って来た時は嬉しかった(笑)。今、Googleの検索オプション

を使って調べると、誰1人としてこの名前は使ってないから、私のオリジナル☆

 

ちなみにその、モテる彼。自分のことを「僕」と呼んでたはず。育ちがいいのだ。

私は「わい」か「わし」だったと思う。育ちがビミョーなのだ。。(^^ゞ そして、彼は

生徒会長に選ばれ、私は落選。ガックシ。。_| ̄|○ 頭は私の方がかなり良

かったのに、人気の差はかなりあったね。みんな、見る目が無かったというこ

とだろう(笑) 単純に、顔と声とスタイルの差という話もある。。

 

 

           ☆          ☆          ☆

最後に、その「前方フライングキック」。私は当時、漠然と、「靴を発射するタイ

ミングは、ブランコが一番前に来る少し前」だと分かってたし、「水平線との角

度(発射角)は45度より少し小さい方が遠くに飛ぶ」ことも理解してた。その微

妙なさじ加減の理屈や計算はもちろん知らないけど、繰返し身体で「実験」す

る内に、学習するわけだ。

 

実験ノートは付けてなかったけど、調査委員会に叱られた覚えはない。論文

撤回の勧告も受けてないのだ。投稿してないだろ!

 

今、試しに軽く物理的な計算をしてみると、やっぱり結構、難しい話になる。

ブランコは等速でない円運動だし、靴の発射位置によって、ブランコの高さと

速度(上下と水平の平面ベクトル)が変わる。そこに、発射角度を加えて、更

に靴に対する空気抵抗も考慮すると、ここでサラッと結果を示す気になれない。

 

まあ、基本的な考え方は単なる高校レベルだし、いずれ物理記事にまとめる

かも。読者が恐ろしく少なそうだけど (^^ゞ 要するに、前に書いたガリレオ『真

夏の方程式』のペットボトル・ロケットの話と同類。燃料や推進力がない代わり

に、ブランコという発射台の運動が加わるわけだ。

 

 

(☆翌日追記 : ただちに物理記事をアップした。

    高い地点からの斜方投射の軌跡(弾道)、角度と水平到達距離

 

 

          ☆          ☆          ☆

 

そうそう! ふと思い出したけど、上向きの角度を少し小さくするのは、靴が木

の枝や葉に引っ掛からないようにするためでもあった(笑)。もし引っ掛かると、

もう片方の靴を脱いで、上に投げつけて落とすことになる。当然、両方とも引っ

掛かることがあって、その場合は家から釣り竿とか持って来るハメになった (^^ゞ

 

いやぁ、書いてる内に、どんどん思い出して来るね。キリが無いから、もう止め

とこっと。あっ、日記カテゴリーなのに英作文がないから、無理やり入れとこうか。

 

     We used to play with shoes on the swing in the

     elementary school.

     (私たちは小学校時代、靴とブランコでよく遊んでいた。)

 

それでは、また明日。。☆彡

 

 

 

cf. 小学校時代の「春」~テンメイ回想録9

   いじめの定義と、小学校の思い出~テンメイ回想録8

 

                                    (計 4260字)

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小学校時代の「春」~テンメイ回想録9

何もかも、春だね♪ 桜の満開も、不安定なお天気も、フルマラソンを終え

た後のボーッとした感じも。今日はウチのトップ写真も、白い雪山からピン

クの桜にチェンジ。花を愛するいい人を装ってみた(笑)。

     

春と言えば、今日は世間的にも2つの出来事があったらしい。まず、お笑い

のベテラン・ナインティナインの矢部浩之がとうとう、元TBS美人女子アナ・

青木裕子と入籍。ネットのテレビ局「ゼロテレビ」の新番組で公表って所も

注目点だけど、41歳の男性が30歳の女性と結婚かぁ。流石、モテる男と

言うか、持てる男と言うか。。

           

たった3年の交際期間だっけ? 6年くらいに感じるな。ナイナイは最近、

テレビ番組を見ることはないけど、2人とも好感持ってる。なごみ系の矢部

と、クセがあり過ぎる岡村。組合せ的にも、いいコンビだね♪ ちなみに岡

村は、ゼロテレビのCEO(最高経営責任者)とのこと。

        

もう1つの春はもちろん、ホリエモン=堀江貴文の仮釈放。まず顔写真に

驚いた。激ヤセは情報として前から知ってたけど、今日のニュース写真を

最初に見た時、2人の男性が写ってたから、どっちなの?と思ったほど。

懲役2年6ヶ月が1年9ヶ月になったってことは、長野刑務所で真面目にお

勤めしたわけね。身体障害者や高齢受刑者の身の回りの世話係ってい

う懲役(=衛生係)はキツイけど、勉強にもなるし、仮釈放されやすいらし

いし、恵まれてたと思う。

    

体重は、ネットメディアだと、95kgが65kgになったと書いてるけど、朝日

の表現は、「収監前は96キロ近くあった体重が、いまは67キロほど」。こっ

ちの方が信頼できそうだね。ま、約30kg、ほとんど体脂肪が減ったと考え

ると、脂肪1kgで7200kcalとして、30×7200≒21万kcalが不足したっ

てことか。収監は21ヶ月だから、1ヶ月あたり1万kcalの減量。1日あたり

330kcal。理想的なダイエットかも。ま、今後のリバウンドがどうなるのか、

興味深い所ではある♪ 

   

お仕事としては、ニュース批評を事業化したいってことで、批評と言うより

批判的な辛口になりそうな気はする。今後の復活に注目しよう。体型の

復活にも♪

     

         

(☆追記: livedoorNews編集部による、会見の全文起こしによると、

      「東京拘置所で収監されたときが97.5kg。刑務所で・・・最小値

       で65kgでした。今、着衣で計ったら67.3kg。服を脱ぐと66kgく

       らいかなあ。だいたい65〜67をいったりきたり」、とのこと。)

      

     

         ☆          ☆         ☆

では、今日はこの辺で・・と終わらせると、記事タイトルと合ってない。いや、

特に意味はないんだけど、何となく自分の昔の春について思い出したくなっ

たのだ。「テンメイ回想録」シリーズの記事は、9ヶ月ぶりだし。

   

キッカケは2つ。まず、先日のレース後のお花見で、自分が小さい頃の事

は親しか知らないよなぁ・・・って話をしたこと。要するに、今の内に親から

昔話を聞いとこうってことなんだけど、そう言えば自分で思い出すって作

業も大切だし、早めにやっとくべき事でもある。忘れちゃうから。

   

2つ目のキッカケは、レースの反省の参考として、高校陸上部時代の練習

日誌を数年ぶりに開いたこと。高校でさえ、忘れてる事が大量に書かれて

たから、小学校時代の記憶も大切に書き留めとこうと思ったわけ。当時の

日記は、残念ながら少ししか残ってないし。

     

    

          ☆           ☆          ☆

さて、では何を思い出すかっていうと、あんまし思い浮かばない (^^ゞ でも

130327a

  やっぱし、小学生

  にとっては学校生

  活が圧倒的で、春

  と言えばまず、ク

  ラス替えにドキド

  キしてたね。どの

先生で、誰と一緒になるか。とりわけ、どのコと一緒になるか♪ イラストは

Studio Yosshe より頂いた。

         

130327b

  今までもあちこちで書いた気が

  するけど、私が女の子をハッキ

  リ意識し始めたのは多分、小学

  校1年だったと思う。幼稚園の

  女の子は全く思い出せないし、

  ほんのちょっと意識する程度

  だった気がする。

         

  あっ、幼稚園の女の先生は意

  識してたかも(笑)。褒めても

  らおうとしてたのは確かだね。

  と言っても、自分の母親くらい

の年齢だった気がするけどなぁ。女の子への意識って言うより、マザコン

のバリエーション(変化)に近いかも。顔も名前も忘れたから、実家で何か

残ってないか、いずれ探ってみようか。

       

小学校だと、1年生の時に好きだったコの名前を覚えてる気がする。ただ、

このコはずっと同じ小学校だったから、記憶の時期が混乱してるかも知れ

ない(4年か5年で引っ越したかも・・)。まあ、その種の話は6年前、ドキュ

メンタリー番組を扱った時にも少し書いたね。懐かしいし、題名がキレイだ

から、リンクを付けとこう♪ 今でも、検索アクセスなら時々入ってる。そう

か、これも春だったのか。。

        

   過去への思いを胸に生きること~NHK『初恋の人を探したい』

      

ちなみに、自分の備忘録として、好きだった女の子のイニシャルだけでも

書いとこうかな(笑)。初恋の有力候補、おてんばのS・Y。よくケンカしてた

けど一番好きだった気がする、I・Y。知的なお澄まし美女系のS・M。お人

形みたいなH・Y?。1年下で迫力ボディのコは何って言ったっけ。。

        

あと、小学校2年の担任の先生も好きだったね♪ キレイで優しかったし、

若かったし(笑) N先生だっけ? 名前が今、思い出せないけど、指導も

しっかりしてたから、たった1年間で転勤になった時は悲しかった(☆追記:

M先生だ!)。考えてみると、あれが最初の失恋かも。で、次の失恋は、

近所のキレイなお姉さんの結婚か(笑)。あれ、全く気付かなかったけど、

年上が続いてるね。

         

中学1年の時も、教育実習生の女子大生だった気がするもんな。顔も名

前も浮かばないけど、背が高くて、髪は首まで。キレカワ(綺麗&可愛い)

で笑顔がステキなお姉さんだったと思う。1回だけ、バス停から学校まで2

人きりで歩いた時は、ときめきで胸キュンだった。。(笑) 僅か3週間ほど

の淡くて儚い思いだから、花の命の短さに通じるものはある。ちょっと意味

がズレてるか♪ 

         

      

          ☆          ☆          ☆

おっと、「春」って言葉の意味もズレてるから、本来の意味、季節の春に

話を戻そう。クラス替えと共に、春の大きな出来事と言えば、教科書や副

教材の配布。私がホントに好きだったのは、算数だけ。でも、お勉強は

嫌いではなかったし、得意だったから、タメになりそうな真新しい本を受

け取って、ランドセルに入れる時は嬉しかった。漢字で丁寧に名前を書

き込む瞬間も♪

        

名前と言えば、新しいノートにも書いてたね。裏表紙とかじゃなくて、表紙

だった気がする。当時は教室に置き忘れたりすることもあったから、大事

な作業なのだ。そうそう。田舎からこっちに出て来た春、家から送っても

らった毛布にも、名前が書いてあった。パンツには書いてない(笑)。

       

しかし、いまだにそうだけど、本ってものは、手に入れてペラペラめくった

だけで読んだ気になっちゃうね (^^ゞ 算数だけは、友達と競争するよう

にして、面白がって最後まで問題を解いてたけど、理科と社会はイマイ

チ。国語は、目に留まった小説や童話だけ、自分ですぐ読んでたかな。

図工は流し見のみ。音楽は、一部の曲の歌詞を読んでた気がする。

     

参考書ってものは、フツーのは小学5年の春に、初めて買ったかな。5、6

年の担任のH先生が、無理やりやらせてたのだ。しかも、毎週月曜日の朝、

1週間分の勉強を一人一人チェックする。で、勉強してなかった生徒には

平手打ちの体罰。さらに、素直に謝れない生徒だと、女の子でさえ連発攻

撃になって、教室内がシーンと静まり返ってた。緊張の週明け。

         

最初はイヤだったなぁ。。ま、だんだん慣れたし、全体的に見ると、明る

くて元気で賢い、いい先生だったけどね。あの先生がいなければ、中学

受験することもなかったはずだから、私の人生は全く別のものになって

たはずだ。。

       

本の話に戻すと、フツーの学習参考書とはちょっと違う、大型の理科の事

典みたいなものを買ってもらった時もあった。小学4年くらいじゃないかな。

絵や写真が一杯入ってて、カラフルで、中身も面白いことが書いてあった

のに、真面目に読んだのは最初だけだったかも (^^ゞ 

        

そう言えば最近、子どもも大人も、図鑑ブームらしいね。本屋でたまにめ

くると、買いたくなっちゃうけど、どうせまた家の中に積み上げるだけだか

ら我慢してるのだ。本の音読、黙読をもじって、ウチの母親はよく、「積ん

どく」だと怒ってた。。

     

       

         ☆          ☆          ☆

春は、文房具も新しく買い替えることが多かったかな。筆箱とかペンケー

ス、鉛筆、消しゴム。シャープペンは、自分でも買ったし、お誕生日会のプ

レゼントでもよく貰ってたけど、鉛筆削りを使うのが好きだったし、母のし

つけの一環として、小刀で鉛筆を削ることも時々やってた。リンゴと違って、

手がベタつかない所がいい。

      

130327_color

  そうそう。絵の具

  や色鉛筆、習字の

  道具一式を揃えた

  のも春だったか。

  色鉛筆って、今で

  も地味に人気らし

  いけど、ズラッと

揃ったのを見てるだけでウキウキするものはあるね♪ 写真はウィキメディ

アで公開されてるもので、作者はKMJ氏。

   

あ~、水彩色鉛筆とかでサラッとイラストを描けるようになりたいな。そもそ

も私は小学校3年から6年くらいまで、漫画家志望だったのだ(笑)。一杯、

描いたのに、一つも残ってないだろうなぁ。。キューピーマンの活躍とか。

もちろん主人公は、おでこがちょっと広めで可愛い私自身を、脳内で拡大

したものなのだ(笑)。自己愛型対象選択による投影ね。ややこしいわ!

        

ま、色々ある中で、やっぱり春の一番大きな事っていうと、新しい人間関

係だね。社会人になっても、春は大きな変化の時期だけど、子どもの場

合は遥かにデリケートだし、自立や孤独より周囲への依存を選ぶ存在。

最初はちょっと緊張しながら、頑張って新しいクラスメートとお喋りしたり、

遊んだりしてたね。ケンカもさんざんしたけど、多くの場合、相手とはすぐ

仲直りして一緒に遊んでた。そう言えば、なぜか女の子とのケンカは、

仲直りしにくかった気もする。意識し過ぎてたってことかも。。 (^^ゞ 

       

ちなみに最近の首都圏だと、春と言えば、花粉症&マスクが大流行。で

もウチの田舎だと、当時は全く無かったし、今でもあんまし見ない。スギ

の分布の問題か、あるいは免疫機構のDNAか♪

    

      

         ☆          ☆          ☆

最後に、「春」と言えば、春画とか売春とか、性的なイメージもある言葉。

小学校で初めてその種の話が盛り上がったのは、小学6年生の春だった

気もする。

           

女の子と違って男の子は性教育を受けてないし、「教科書」も持ってなかっ

たから、知識はメチャクチャ。私は中学に入るまで、コンドームという物を、

ゴム管みたいに細長いパイプだとイメージしてたし、遮るためじゃなく運ぶ

ための物だと思ってた (^^ゞ 先日のレース後、友人Hに話したら笑ってた

けど、あいつもロクに知らなかったそうだ。

     

春と言えば、卒業の時期でもあるのに、なぜか私には、小学校卒業の際

の思い出がない。ひょっとすると、悲し過ぎて、意味も分からなくて、心の

奥に抑圧したままかも。またいずれ、実家で調べてみようかな。

   

では、今日はこの辺で。。☆彡

                 

                                (計 4510文字)

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いじめの定義と、小学校の思い出~テンメイ回想録8

今夜は雨で、自転車は無理だし、いきなり友達から小難しげな思想の質問

なんてものも来襲♪ 時間が無くなったから、いま話題のいじめをめぐって、

10ヶ月ぶりに「テンメイ回想録・下書き」をアップしよう。

     

記事タイトルは「回想録」とだけ書いてるけど、あくまでいずれ完成させる予

定の長大な回想録の「下書き」にすぎない。もちろん、ネットの一般公開用

だから、個人情報保護のために書かない事も色々ある。でも、意図的なウ

ソは全く無し。書いてる内容は全て本当の事か、私の記憶違いや誤解だ♪

ちなみに前回の回想録7、「コーヒーに入れないクリープ(Creap)なめて♪

には、クリープ関連の検索アクセスが時々入ってたりする(笑)。

         

    

         ☆          ☆          ☆

さて、滋賀県大津市の中学生いじめ自殺問題が波紋を広げる中、今日は

宮崎県で、男子高校生を川で溺れさせて動画撮影したなんていうニュース

も飛び込んで来た。ここまで来ると、いじめという言葉を越えてしまってるけ

ど、そもそも「いじめ」とは何なのか。まず、定義を簡単に考えてみよう。

       

手元の定番の中型辞書『広辞苑』(岩波書店、第四版、1991)で「いじめ

(苛め)」の項目を見ると、「いじめること。特に学校で、弱い立場の生徒を

肉体的または精神的に痛めつけること」、と書いてある。その左横の「いじ

める」の項目を見ると、弱いものを苦しめる」となってる。Yahoo!で『デジ

タル大辞泉』(小学館)や『大辞林』(三省堂)を見ても、ほぼ同様。

     

一方、ウィキペディアを見ると、ちょっと興味深い話が書かれてた。文科省

の定義が、しばらく前に少し変更されたと言うのだ。早速、文科省HPで

チェックすると、「いじめの定義」というpdfファイルを発見。新旧を比較し

てみよう。ウィキは2007年から変わったと書いてるが、06年中の調査

から変更されたようだ。

     

   (旧・定義)

     自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を

     継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。

   

   (新・定義)

     当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、

     物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じてい

     るもの。

      

   

          ☆          ☆          ☆

どちらも、「いじめられた児童生徒の立場に立って」判断すると書き添えて

あるが、大きな変更が4つある。

    

まず、「一方的」という条件が消えたこと。少しやり返した場合も含めるとい

うことか。次に、「身体的」という言葉が「物理的」になってる。これは、金銭

を奪うとか、持ち物を隠すという行為を含めるためらしい。三番目は、「継

続的」という条件も消えたこと。1回限りでもいじめになり得るということか。

そして四番目は、「深刻な苦痛」が「精神的な苦痛」になったこと。深刻で

なくてもいいし、やられた側の心の苦痛を重視するという意味だろう。たと

え外見的に大した事ないように見えても。

    

この新定義、配慮は分かるが、1回限りなら単なる「暴力」や「嫌がらせ」

だし、心理的・物理的攻撃という言い方も冗長だ。文末の「もの」という言

葉も曖昧。さらに、いじめは学校の生徒に関するものとは限らないし、本

人がいじめと思ってるかどうかもビミョー。逆に、本人たちがいじめと思っ

てても、実は単なる「いたずら」レベルに過ぎないということもあるだろう。

「いじめ」という言葉が、軽く広くなり過ぎると、役に立たなくなる。そこで、

私としては、次のように定義しておこう。

       

   (いじめの定義)

     ある人を、一定の関係を持つ他人が、継続的に苦しめること。

     当事者(被害者や加害者)自らが感じたり訴えたりしなくても、周

     囲が明らかに認知できる場合は、いじめと考える。逆に、たとえ

     当事者が感じたり訴えたりしても、周囲がいじめではないと考え

     ることも可能だが、こちらの場合はなるべく当事者を優先する。 

         

     

          ☆          ☆          ☆

そうするとまず、私自身は、「いじめられた」ことが一度もないことになる。一

度や二度程度の嫌がらせや暴力なら、何件か思い当たるが、継続的なも

のはないし、そもそも件数も少ない。

    

例えば、昨日の記事に書いたような、地域(ムラ)の「タテ社会」で、遊んで

る途中に年長の子どもから幼稚な嫌がらせを受けて、泣いた覚えはある。

小学校の3年くらいまでだろう。ただ、継続的ではなかったし、私も周囲も

大した事とは思ってなかった。私は、泣かされると凄まじい叫び声を上げ

て、激しく当たり散らしてたから、「いじめ」にくい子どもだったと思う♪ 扱

いが面倒だし、私もある程度やり返すし、周囲の大人たちに気付かれてし

まうからだ。

       

一方、「いじめた」経験については、ビミョーな感じがある。私は子どもの

時から、基本的に「悪いこと、卑怯なことはしない」人間だから、クラスでい

じめがあった時も参加はしなかった。積極的に止めもしなかったけど、い

じめたのと同じ、とは思わない。加害者と傍観者は、無関係ではないけど

別物だ。それを同じだというのは、教育的・倫理的な配慮や理想論であっ

て、現実にも法的にも全く別物として扱われてる。加害者は「悪者」、傍観

者は「あまり良くない者」だ。

    

ちなみに、クラスのいじめというのは、小学校6年の時のこと。親の職業と

当人の外見、2つの点で「ヴァルネラビリティ」(vulnerability; 傷つけられ

やすさ)を持ってた女の子が受けてたもの。クラスの男子の一部がいじめ

てたんだけど、それほど陰湿でも過激でもなかったと思う。

         

ただ、そのコにとっては結構辛かっただろうし、結局は担任の先生が激怒

して、一気に収まった覚えがある。人気はあったけど、体罰が強烈な先生

だったから、みんな恐かったんだろう。圧倒的な力を持つ先生一人に、み

んな揃って「いじめ」られるのが。。♪

       

     

          ☆           ☆          ☆

話を戻すと、私が「いじめた」かどうか。いじめてないとキッパリ胸を張り

たい所だけど、今から思うと「あれはイジメに近かったかな・・」という経験

が2回あるのだ。

      

最初は、小学校低学年。2年か3年かな。クラスに、個人的に嫌いな女の

子がいて、時々口ゲンカみたいな対立があったんだけど、ある時、私がそ

の子の手の指をケガさせてしまったのだ。血は流れてないし、骨折でもなく、

筋を痛めたようなことだったと思う。

        

でも、流石に自分でもやり過ぎたと思ったし、すぐ先生に怒られて、それ以

降はこの子には関わらなくなったはずだ。別に「無視」とかいうほどのこと

ではない。肌の合わない仲間と距離を保つ権利くらい、誰だって持ってる

し、悪いことでもないだろう。この事件、暴力に継続性はないし、私としては、

少なくとも当時の基準だと「ケンカ」のエスカレートだと思うけど、今なら「い

じめ」と言われるかも知れない。後で民事訴訟の時効の年数を調べとくべ

きかも。。(^^ゞ

        

ちなみに、女の子のスカートめくりは何度かやったし、物を隠すこともたま

にあったけど、単に女の子の気を引くための幼稚な行動であって、別に下

着を見たかったわけでもない。その程度で「いじめ」と言われたら、逆に「男

の子いじめ」だろと言い返したくなる。そもそも、私が悪いのではなく、男の

Y染色体のDNAが悪いだけなのだ♪

         

     

          ☆          ☆          ☆

もう1回は、小学校6年だと思うけど、5年かも知れない。いつも一緒に遊

んでた友達の1人、F君は小太りで少し大人しめ。身体的にも精神的にも、

それほど「弱い」子どもではなかったけど、時々「からかう」対象ではあった。

             

と言っても、たまに体型をからかったり、テストの点が私より悪かったこと

をからかう程度で、暴力も無ければ、金銭を奪い取ったりもない。物を隠

したことはあったかも知れないけど、たかが子供のお遊びレベル。「いた

ずら」にすぎない。そもそも、私は彼の家によく遊びに行ってて、向こうの

母親がいる状況で仲良く遊んでたし、母親同士もよく知ってる仲だった。

    

ところが1度だけ、「遊び」がエスカレートしたのだ。何のゲームだったか

思い出せないけど、F君が弱いゲームがあって、負けた者が「しっぺ」(=

にっぺ)されることになってた。しっぺとは、人差し指と中指を揃えて、相手

の手首をビシッと1回叩くこと。検索すると、しっぺもにっぺも沢山出て来

るから、全国どこでもやってる子供の罰ゲームだろう。デコピンみたいな

ものだけど、デコピンは私の地域では全く流行ってなかった。

      

で、そのゲームでF君の負けが多かったから、結果的にみんなでF君の手

首にしっぺをすることになったのだ。彼は痛がってるのに、私達は笑って

面白がってる。構図的には完全に「いじめ」かも知れないけど、たかがしっ

ぺ=にっぺだし、可愛い「罰ゲーム」に過ぎない。

   

今でもそう思うけど、事実としては、F君は手首が腫れて病院に行ったよ

うで、母親から学校に連絡。私たちはごく軽く「注意」されて、すぐに止め

たし、その後もF君とは仲良く遊んでた。ただ、これは集団で何日間か継

続してやったから、イジメと言われればウ~ン・・という感じだ。まあ、彼は

男だし、長年の遊び友達。民事訴訟や賠償請求の心配はないだろう♪

         

   

        ☆          ☆          ☆

という訳で、結論としては、私は「いじめられた」ことも「いじめた」こともない

幸せな人間なのだ・・・そう思い込むことこそ、幸せな性格かも知れない (^^ゞ

中学以降も、ビミョーな体験が何度かあるけど、それはまた続きで書くこ

とにしよう。

   

とにかく、「いじめ」かそうでないかの判断は微妙な時もあるけど、明らか

なものは迅速かつ適切に処置すべきだ。当事者双方も、周囲の教師や

親たちも。場合によっては、「監視と処罰」も必要だろう。フランス現代思

想の四天王の一人、ミシェル・フーコーの書物を熟読しなければダメとい

うことだ♪ ま、邦訳だと売れ線の副題を前面に出して、『監獄の誕生』に

なってるけどね。編集者さん、新潮社さん、儲かってまっか?って感じだ。

       

実は、監視や処罰といった行為も、別の観点から「いじめ」とみなせるか

も知れない。特に処罰の方法は重要で、いずれまた考えてみよう。意外

なほど長くなってしまった。それでは今夜はこの辺で。。☆彡

            

                              (計 4060文字)

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コーヒーに入れないクリープ(Creap)なめて♪~テンメイ回想録7

リハビリRUN 7km,33分37秒,平均心拍149

   

記事のローテーション的には、そろそろ学問系記事を書かなきゃいけない

はずなんだけど、その余裕がなかなか作れない。って言うか、一昨日の記

に時間をかけ過ぎちゃったね、追記の連発も含めて (^^ゞ

    

仕方ないから、ブログ記事の文字数制限も決めたことだし、何か身近で軽

いコネタを書こうと思って、ふと目に留まったのが、コーヒーに入れるミルク

代わりのパウダーの定番、「Creap」(クリープ)。こんな英単語は無いから、

110906

 「Creamy powder

 (クリームみたいな粉

 末)を結合して作った

 造語だろう。這うという

 意味の英語は「creep」

 なので、念のため♪

        

 ちなみに、この妙な記

 事タイトルはもちろん、

 昭和の伝説的CM&

 キャッチコピー

 「クリープを入れない

 コーヒーなんて・・・

をパロったものだ♪ 平成に入ってからも、一時的に復活したとかいうお話。

            

今年の4月で50周年を迎えたこともあって、森永乳業のクリープのツイッター

で、この「なんて・・・」に続く言葉を募集して紹介してた。CMでは、各界の

名人達がそれぞれ好きな言葉を入れてたようだ。公式サイトで唯一紹介され

てるのが、漫画家・手塚治虫の「クリープを入れないコーヒーなんて、風刺の

ないマンガのようなもの」。ウ~ン、流石は神様、教養と批判精神を感じるね。。

   

一方、記事タイトル右端の「テンメイ回想録7」というのは、『テンメイ回想

録』執筆用メモ・第7回の省略。第6回から既に3ヶ月近くも経ってしまった

けど、忘れたことはない。超個人的なライフワークの下書き的記事だ。

         

     

         ☆           ☆          ☆

さて、「コーヒーに入れないクリープ」をなめた事がある人は、どのくらいい

るだろうか♪ 実は私もほとんど無いって言うか、それが当たり前だろうけ

ど、最近だとコーヒー用パウダーを使わない人も多そうだ。低糖とか低カロ

リー飲料全盛の今、砂糖もミルクも入れずにブラックで飲むとか、コーヒー

よりミネラルウォーターやお茶を選ぶ人が増えてる感じもある。

    

私はそもそも、ホットコーヒーは冬しか飲まないし、冬でも普通の牛乳を入

れることが多いから、パウダーを使う機会はかなり少ないし、買うことさえ

あまり無い(冷たい水には溶けにくい)。それが今回、どうしてクリープをそ

のまま舐めたかというと、元をたどれば大震災の影響なのだ。

                 

一時的に、牛乳がほとんど店頭に出なくなったから、いざという時の牛乳代

わりに、詰め替え用クリープを買ったんだけど、牛乳はまもなく売り場に

。そのままクリープが余ってたし、まだホットコーヒーを飲む気もしないか

ら、試しになめちゃったわけ。もちろん、ブログのネタも意識したわけだけ

ど、ハッキシ言って美味しいね♪ パン、ご飯、パスタにかけてもいいかも。

        

バニラアイスとかミルクシェークが好きな私にとって、無脂乳固形分69.0%、

乳脂肪分27.0%のクリープはぴったりだ(牛乳は8.3%、3.6%程度)。

ま、流石にちょっと罪悪感や恥ずかしさはあるけど♪ 子供でさえなかなか

やらないような事を。。 (^^ゞ

            

    

         ☆          ☆          ☆

ところで、この記事が「回想録」カテゴリーに入ってるのは、私の小学校時

代の思い出と深く関わってるからだ。私の実家でも、そんなにホットコーヒー

は飲まなかったし、クリープやマリームの類を使うことも少なかったと思う。

でも、コーヒーと無関係にクリープ自体が美味しいってことは知ってたから、

お菓子感覚でこっそりなめてたんだろう。見つかると怒られたはずだ♪

       

そのクリープがたっぷり入ったコーヒーをがぶ飲みできる場所。それが、

小学校時代もっとも仲が良かった友達、K・Kの家。しばらく忘れてたけど、

クリープについて思いを巡らせてる内に、懐かしさがこみ上げて来た。

    

彼は確か、5年生の時に初めて同じクラスになった奴で、最初は凄く嫌い

だった。私のあだ名を呼んだりして、イチイチからかって来るのだ。いつも

笑ってたし、今から考えれば子供らしい愛情表現だとすぐ分かるけど、当

時はホントに腹が立って、文字通り学校中を追いかけ回してた。

    

K・K運動神経が良くて足も速いけど、もそこそこ速いし、当時から

久力や精神力にはかなり恵まれてたから、いつまでも追いかけ続けるの

だ♪ すると流石に捕まって、私が軽く痛めつける。で、放すと、途端にま

た私の悪口を言いながら逃げ回る。こんなカワイイ関係からスタートした。

        

その内、キッカケが何だったかは思い出せないけど、ケンカ友達を経て、や

がていつも一緒につるんで遊ぶ友達になった。放課後は、家にランドセル

を置いた後、すぐ彼の家へ行って、仲良くテレビを見る。その時に、いつも

飲んでたのが、砂糖とクリープをたっぷり入れたコーヒーだったのだ。

         

考えてみると、このたっぷり入れるのは、そいつの真似をしてた気がする。ス

プーンで山盛り2杯ずつとか入れて、まったり飲んだ後、夕食っていうか晩御

飯の前に帰宅。そんな日が度々あった。今でも私は、ミルクと砂糖がたっぷ

り入ったコーヒーをゆっくり飲むのが好きだけど、そのスタイルはこの時に出

来上がったわけか。今まで気付かなかった。。

        

         ☆          ☆         ☆

すごく仲が良かった彼と離れ離れになったのは、私が遠くの中学に電車通

することになったから。ほとんどの同級生は、地元の中学へ行ったから、

私は一気に独りぼっちになってしまった。今思えば、どうしてそれでも友達

関係をキープしなかったのかと悔んでしまうけど、ちょうど思春期に入り始

めた頃だし、何となく気まずくて疎遠になってしまったのだ。裏切り者って感

じでもないけど、私は突然、田舎町を飛び出した「よそ者」になってしまった。

     

実は、彼の家は私の親戚の家のすぐそばにあるから、今でも墓参りの時

とかに、チラッと見ることはある。案外、Facebook(フェイスブック)とかやっ

てるのかも知れないけど、下の名前の漢字が思い出せないから探しにくい

な。小学校とか地名を入れて探せばいいのか。小学校以来だから、写真

は今更あんまし参考になりそうもないけど。

    

ま、彼の話はまた今後も登場するだろう。字数制限もあるし、とりあえず、

『回想録』用下書きメモ・第7回はこの辺で。以上、コーヒーに入れないク

リープなめて、小学校時代の親友を思い出したってお話だ。。

      

  

cf. 幼稚園はもう無くなってた・・~『テンメイ回想録』執筆用メモ・第6回

    

      

         ☆          ☆          ☆

最後に、今夜の走りについて、ちょっとだけ。時間はわりとあったのに、大

量のアクセス解析を見たり、クリープについて調べたりするのに手間取っ

て、またしても走る余裕が無くなってしまった (^^ゞ 

          

ホントはゆっくり12kmくらいジョギングしたいのに、仕方なくスタスタと7km

だけランニング。ただし、相変わらず左ふくらはぎの痛みは残ってるし、今

夜はなぜか両膝もピリピリ痛んだから、かなり気を使う走りになった。リハ

ビリとはいえ、少しずつスピードが回復してるから、膝の負担が増えて来た

んだろう。ある意味、いい傾向とも言える・・・とか言うと、ポジティブ・シンキ

ング過ぎるか♪

     

トータルでは1km4分48秒ペース。まだまだ遅いけど、公園の周回だけな

ら、1km4分半近くまで上がって来た。しかも、今月はここまでずっと、鼻呼

だけで走ってるから、心肺的にも余裕はある。走りの内容のわりに、心拍

は上がってしまってるけど、その気になればまだ相当上げれるのだ。

     

それにしても、相変わらず不安定な天気で、今夜も走り始める少し前に、い

きなり局地的な大雨。天気図の形も変だし、ほんと異常気象が続いてるね。

その一方で、最近は地球温暖化って話が流行らなくなってる。これは反原

の勢力アップと関係してると思うけど、その話はまた別の機会に回すとし

よう。あぁ、また3000字超か。では、今日はこの辺で。。☆彡

          

           

  往路(2.45km)  12分51秒  心拍136 

  1周(2.14km)   9分46秒     156    

  復路(2.41km)   11分00秒      158 

 計 7km  33分37秒  心拍平均149 最大167(ゴール前)

                

                                (計 3284文字)

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幼稚園はもう無くなってた・・~『テンメイ回想録』執筆用メモ・第6回♪

通勤JOG 3.5km,20分程度

    

6年近く前にブログ始める前から、友人には「長大な『回想録』を書き上

げたい」とか話してた。ここ数年の言葉なら「自分史」ってことだろうけど、こ

れだと、高齢者が認知症予防とヒマつぶしを兼ねて、記憶の断片を軽くま

とめるような感じに聞こえてしまう。私はもっと、本格的に書きたいのだ。分

厚い本で、2分冊くらいのものを♪ あくまで、自分のために。

       

ゆっくり時間をかけて記憶をたどり、自分に関する物語&ドキュメンタリーを

創作することは、自己分析にもなるし、他人が作ったフィクションを受容する

より面白かったりする。実際、以前、友人とファミレスに行って、高校時代の

超~恥ずかしい片思いの話をしてたら、隣の席の女子高生が思い切りこっ

ちを見て、笑ってたほどだ♪ もちろん、そんな面白過ぎる実話を、ここに

書くつもりはないけどネ。高校の同級生でさえ、1人知ってるかどうかって感

じの秘蔵ネタ。今、こうして書いてるだけで、赤面してしまう。

      

回想録の準備作業としてのブログ記事は、始めて間もない頃5本書い

たけど、アクセスが少な過ぎて中断した経緯がある (^^ゞ そりゃ、そうだわ

な。まだほとんど名前が売れてない一般の新人ブロガーが、単なる個人的

昔話を書いたって、検索アクセスも入らないし、僅かな読者も読み続ける

気がしない。

          

ところが、5本目から5年半経ったでは、毎日相当なアクセスが入るよう

になってるから、時々「ハズレ記事」を書いても別に何ともないのだ。既に、

「当たり記事」が沢山揃ってる。それに、いつもまでも回想録に手を付けな

いと、記憶も薄れる一方だし、僅かな資料の保存上も良くない。特に、小学

校時代の日記はもうボロボロだから、デジカメで写して保存しないとヤバイ

状態だ。それなら、ついでに読んじゃえばいいし、記事も書いちゃえってこ

とになる。他人より、私自身が読みたいのだ♪

      

という訳で、前置きはこの程度にして、本題に移ろう。ちなみに、昔書いた

5本は以下の通り。すべて、練習日誌を参照して書いた、高校陸上部の思

い出なので、一般ウケする内容ではない。ブログのテンプレート変更前の

記事だから、レイアウトも崩れてしまってる(改行、写真の位置など)ので、

悪しからずご了承を。。

    

     高校陸上部の思い出(その1)  (05.9.29)

     ライバルとの初対決~高校陸上部の思い出2  (05.10.3)

     地区大会直前~高校陸上部の思い出3  (05.10.17)

     地区大会初日~高校陸上部4  (05.11.3)

     地区大会5000m~高校陸上部5  (05.11.15)

     

    

         ☆          ☆          ☆

さて、『回想録』執筆準備メモ・第6回となる今回は、小学校の話を書こうと

思ってた。ところが、私が卒業した小学校の公式HPを見ると、幼稚園への

リンクが付いてる。なるほど、小学校のすぐ近くにあって、私もその幼稚園

に通ってたくらいだから、関係が深くて当然だろう。とにかく、幼稚園HPへ

のリンクをクリックしてみたのだ。

    

すると、いきなり終了のアナウンス。なぜかHPだけは、削除されずに残っ

てた。ほとんど個人情報も入ってないし、せめてもの思い出ってことかね。

ま、運が悪いとも言えるけど、ラッキーとも言える。削除前に、HPで情報と

写真を確認できたんだから。

    

110617a

 左が、その写真をトリミングしたもの。

 勝手に拝借したけど、既に著作権を

 主張する人もいないだろうし、私は卒

 園者の一人だ。こんな小さなカットを見

て、どこだか分かるのは、身内のごく僅かしかいないはずだし、誰も写って

ない。何の利益も絡まないし、この程度は許容範囲とさせて頂こう♪ 

       

藤棚の下は砂場、向こう側に見えてるのは校舎手洗い場(&水飲み場)。

他に、遊具として、砂場の向こうにブランコ、手前に「手渡り」(サルみたいに

両手で身体を吊り上げて移動)、さらに手前には滑り台付きのちっちゃいお

みたいな物があったと思う。鉄棒は記憶にない。

    

110617b

 一方、左は校舎&手洗い場の写真のトリミン

 グで、流石に改装されてるけど、基本的な配

 置は全く変わってない気がする。山奥みたい

 に見えても、実際は瀬戸内海沿岸であって、

 向こうの山も低いし、手前の木が生えてる辺り

も、小さな丘程度のものに過ぎない。反対側にある階段だと、120段くら

いだったかな。

    

たまにハーハー言いつつ、駆けあがってたね。フツーは坂道(写真奥)を使っ

て歩いて上がってたけど、階段の側で、小さな神社のお祭りがあった気がす

る。子供だし、田舎だから、露店のオモチャやお菓子がすごく楽しみだった。。

       

          ☆          ☆          ☆

ただ、他の記憶はもう、ほとんど残ってない。数少ない思い出は、廊下に

ある靴箱(と言うより棚)を自主的に片付けて、女の先生に褒めてもらう

が嬉しかったことだ♪ この話は先日、ドラマ『鈴木先生』第7話のレビュー

にも書いておいたこと。片付けはダルイし、他の子はやらないけど、やれ

ば気持ちいいし、褒められるのも快感だ。その意味で、幼稚園児にしては、

行為の選択が正しかったと思う。そりゃ、鈴木先生的な理屈か♪

    

あと、年長の園児にからかわれて大泣きしたシーンのイメージがあるけど、

本物なのか、あるいは事後的に「作られた記憶」なのか、直接的には確か

めようがない。まあでも、幼稚園の時はよく泣いてた気がする。これが、

学校に入ると、逆によく泣かす子の側に出世するのだ♪ で、相手の家と

かに、謝りに行ったりするわけ。悪いコかよ!

     

他には、施設とは関係ないけど、幼稚園時代に(?)、キャラクターの絵柄

の付いた黄色い傘を買ってもらって、すごく喜んだ気がする。ところが、そ

の傘がどうなったのかが思い出せない。失くしたのか、あるいは壊れたの

か。いずれにせよ、当時の私ならまた、大泣きしただろう♪ そうゆう話は、

母親がつけてたメモ程度の日記を見ると、書いてるかも知れない。あぁ、私

が今、毎日ブログを書き続けてるのも、無意識の内に母の「日記DNA」

働いてるからかもね。。

    

最後に、ついさっき思いだしたけど、この幼稚園には、小学校時代に何度

も遊びに行ってると思う。しかも、高学年になってからじゃないかな。夕方

園児も先生もいなくなった後の園内にみんなで忍び込んで、遊具や建物を

使って鬼ごっこをしてたのだ。不法侵入だけど、児童には刑罰がない♪

     

キャーキャーと言うより、ハーハーゼーゼー言うような、全身をフルに使う

育会系鬼ごっこ。よくやったし、好きだったなぁ。。地面に足をつかないよ

うにして、空中(手渡り&ブランコ等)とか、壁の上とか、飛び回ってたはずだ。

その遊びによる心肺機能の向上が、私の人生に大きな影響を与えたのかも

知れない。逃げる相手は、いつまでも追い続けて、必ず捕まえてた

   

ただし、女の子はそうは行かなかった♪ そんなオチ、要らんわ!(明石家

さんま風に)。 なお、通勤ジョギング3.5kmのみ。最初の700mく

らいは、かなり本気で走ったから、スピード持久力が増したはず・・・と勝手

に思っとこう。ま、慌ててただけなんだけどね。

   

あ~、書いてて面白かった♪ 自己満足の極致かも。頭を振り絞ったり、資

料を探したりすれば、まだまだ一杯思い出せそうな気がする。ではまた。。☆彡 

      

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