遠野 純粋な100%のヒ素は 市場には出回ってない
戸守 ええ ヒ素には何らかの不純物が
遠野 そう 不純物が混ざってる
だから ヒ素Aとヒ素Bに混ざっている
不純物を調べて その不純物が一致すれば
戸守 アウト
遠野 この理屈には 名前があった
遠野・戸守 カンニングの法則
遠野 試験でカンニングすると 正解だけじゃなくて
間違った答えも一致しちゃうからね
(脚本 君塚良一)
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論理的で現実的。今までで一番興味深いエピソードだった。『風間公親 教場0』第5話のサブタイトルは、「妄信の果て」。
論理的といっても、上で引用した会話のロジックは、ちょっと不十分。「不純物が一致」しただけでは、「アウト」にはならない。他では(ほとんど)見られない不純物が一致した時、はじめてアウトになる。
例えば、簡単な算数や数学の試験だと、カンニングなどしなくても、生徒や学生は同じ間違い(不純物)を書くことが多い。だから、同じ間違いをしただけでアウトにすることはできない。
例えば、3から12までの整数(自然数)は全部でいくつありますか?、という問題。12-3で9個と答えてしまうのが、算数あるあるの頻出ミス。正しくは、12-3+1=10個。両端が入る時の計算方法で、小学校では植木算とか言われる。3、4、5、6、7、8、9、10、11、12。確かに、10個ある。
ちなみに「カンニングの法則」という言葉。同じ意味での使用例は『教場』以外に見あたらない。たぶん、原作者の創作(造語)だと思う。考え方だけなら、昔からフツーにある。
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ドラマの場合、戸守(水沢林太郎)が示してしまった不純物は、2つあった。どちらも、他でも見られない不純物。
まず、卒業論文における記述。指導教官(殺された被害者)・梨多(野間口徹)がSNSにわざと書いてた間違い(トラップ、罠)をそのまま引用してしまった。その文章は、映像で一瞬だけハッキリ映されてた。
「人工景観を自然景観に変えてきた文明は大河流域を中心に発達した古代文明において、わずかしか存在しないのだ。¹ 」
(注)1 梨多真夫「地理学ゼミコラム」2017年
(2019年度 卒業論文 『製糸業で栄えた町の歴史的町並み保存 ─北関東における都市の景観変遷─ 』 戸守研策 興和文化大学文学部 人間社会学科地理学専攻)
これはカンニングではなく、認められてる引用だけど、教授がわざと書いてた間違い(トラップ)に引っかかってしまったから、アウト。この厳しい教授の考えでは。
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戸守のもう1つの不純物は、地名。慌てて犯行現場に戻るタクシーで、行先を「なしだ(無田)」と答えてしまった。
これは実在しない地名だから、間違い。しかも、教授が手作りマップにわざと書き込んでた間違い(地図トラップの真似のお遊び)と一致してたから、戸守は手作りマップを見たことになる。作成された、当日の午後。真っ暗な夜になる前に。
もちろん、ドラマの遠野(北村匠海)の台詞では、もっと簡潔な言葉にされてた。「不純物は 君だ」。ちなみにこれ、今どきの先生がうっかり生徒に話すと、パワハラになってしまうから要注意♪ アカハラ、アカデミック・ハラスメント。学問上の嫌がらせ。
ちなみに、長岡弘樹の原作X『教場X』(小学館)だと、「なしだ」は「(梨多の)単位は無しだ」という話とも結び付けられてた。これは、ドラマでも入れるべきだったと思う。というのも、その話がないと、なぜ戸守が「無田」という地名を覚えていたのかが不明だから。無意識の内に、梨多=無しだ=無田という言葉の連鎖が出来上がってたのだ。
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一方、ドラマと現実社会の関係だと、すぐに思い出したのは3年前の名古屋・名城大学の事件。理工学部の3年生・野原康佑容疑者が准教授の首などをハサミで刺して、殺人未遂の現行犯で逮捕されてた。
当時のメディアが流してた情報だと、リポート(レポート)の提出が遅れて、単位をあげないとか言われたから、留年の可能性が生じたのが不満で、犯行に及んだとか伝えられてた。1月だから、後期(冬学期)の期末レポートか。
ただ、その後の確定した事実報道がなかなか見当たらないから、3年前のメディア情報をここで私が「妄信」するわけにもいかない。参考程度に留めとこう。
もちろん、論外の犯行なのは当然として、私がちょっと気になったのは、准教授の説明の仕方。未熟な若者を過度に指摘してしまうような言い方をしてなかったのかどうか。その点が報道されてないけど、人間関係においては、同じ内容でも、言い方の問題が非常に重要なのだ。
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その意味で、ドラマのやり取りは分かりやすくて興味深かった。
戸守 ・・・単位はくれないんですか?
梨多 あげたくないね 君になど
戸守 何でですか? 書き直します
どこがいけなかったのか 言ってください
梨多 ゼミ生向けのSNSに載せた
私のコラムがあるね
論文に使っただろ
戸守 ええ 確かに引用しました
それはOKなはずです
梨多 確かに認めている だからこそ失望したんだ
戸守 言ってることが分かりません
梨多 それが分からないようだから
単位はやれないと言っている
・・・知らん・・・話はそれだけだ
帰りなさい
この教授の応答は、殺されたから批判されないけど、もし殺されてなければパワハラ、アカハラのレベル。特に「君になど」という一言が、完全にアウト。もちろん、全体としてあまりに不親切な説明でもある。
それ以上に、根本的に問題なのは、そもそも学生に対して罠のニセ情報をネットで示して、引っかけようとする姿勢。
仮に、教育的配慮だから許容範囲としても、引っかかってしまった学生には指導して訂正させるべきであって、単位を落として留年で内定取り消しといった悲劇は避けるべき。お金だけでも、学費と失った賃金を合わせて数百万円くらいの損失になってしまう。
それだけの落ち度があるのに、呑気に趣味のカメラで写真撮影してるから、未熟な学生に衝動的に突き落とされてしまった。自分のやり方や態度は問題ないと、「妄信」してたのだ。
「妄信の果て」というサブタイトルは、加害者だけでなく、被害者にも当てはまる。もちろん、これが現実の事件なら、殺人の被害者を批判するメディア報道はほぼ皆無になるけど。
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それにしても、地図の不正コピペを防ぐためのトラップ(偽情報)なんてものが本当にあるのか? 色々とネット検索すると、世界的には、少数だけ確認されてるらしい。ということは、確認されてないものまで含めると、多少は実在すると思って良さそうだ。
いつものように、日本語で情報を探しても、ウィキペディア(例えば「虚構記事」の項目)も含めて、英語情報の短いまとめが目立つ。
英語だと、わりと詳しくて注も付いてるのが、英語版ウィキの「Fictitious entry」(虚構の記事・項目)。特に、その中の「Copyright traps」(著作権トラップ)の「Map」(地図)の箇所とか。
phantom settlements(幻の住所)、trap street(トラップの道)、paper towns(架空の街)といった言葉が使われてた。実害が生じるとマズイから、特にトラップの道を書き込む時には注意が必要になる。
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話変わって、サブタイトルの「妄信」について。ドラマの遠野章宏は、「訳も分からず信じてしまうこと」と説明してた。
これだと、ごく一部の人だけがたまにやってしまう大失敗のように感じられるけど、「信じる」ということの根拠をたどって行けばキリがない。「Aを信じるのはBだから。Bを信じるのはCだから。Cを信じるのは・・・」。
信じるから、信じる。信じることの根拠は、信じること。これに尽きてる。だから、根拠とか理由というより、何を信じるかが重要なのだ。根本的に何を信じるか。今、何を正しいと思うのか。もっと広く言うなら、何を受け入れるのか。
これについては、例えば、3年前の『野ブタ。をプロデュース』再放送レビューでも書いておいた・・というのは、一部読者へのご挨拶♪ 確か、新型コロナ初年度の自粛ムードを受けた特番ドラマみたいな扱いだった。
信じたいから信じる、本当の友達を~『野ブタ』第8話
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なお、久々にマニアックで面白かったのが、冒頭の黒板に書かれてた内容(板書)。基本的には原作の通りだけど、もちろん原作に板書までは載ってないから、美術スタッフさんと法科学監修・山崎昭の労作か。
この内容は、専門家にとっても難しくて微妙な話のようだけど、今回のドラマに合わせて超訳・意訳すると、要するに、誰か(例えば容疑者)がある事を話したということ自体が客観的証拠になる場合がある、ということ。
ストーリーの中で具体的に言うと、戸守がタクシーの行先の地名として「なしだ(無田)」と話したこと自体が、客観的で決定的な証拠になってた。うっかり間違えたとか、先生の名前が影響しただけとか、そんな言い訳は無関係。戸守がその日の午後、まだ明るい内に、先生の手作り地図を見たことが証明される。
黒板の左下には、「内容の真実性は問題とならない → 非伝聞証拠 伝聞法則は適用されず、証拠能力が認められる」と書かれてた。
なお、非常に有名な25年前の和歌山毒物カレー事件を、ドラマで「シチュー」事件として扱ってたのは、ひょっとすると、冤罪説があることも影響してるのかも。ヒ素が一致してないという説まであるらしいけど、とりあえず深入りは避けとこう。
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最後は恒例、対話型HI(人間知能)、ChatTEN4とのやり取り♪
視聴者 こんにちは♪ 風間教官(木村拓哉)は、
遠野が犯人に「背を向けた」とか
言ってましたが、映像では遠野は
背を向けてません。
あれは、どうゆう事ですか?
TEN4 こんにちは♪ 確かに、後ろ向きには
なってませんが、千枚通しで襲われて
しまう隙を見せてしまったという事。
致命的な油断をしてしまったという
意味でしょう。
指導者として共に闘ってた自分への
ダメ出し、反省でもあると思います。
現場という道場で、遠野という鏡に
映った自己への叱責なのです。
それにしても、坂口憲二を見たのは超久々。11年前の『最後から二番目の恋』以来かも。体調はどうなのかな・・とか思いつつ、それでは今日はこの辺で。。☆彡
P.S. 第5話の世帯視聴率は9.1%、個人視聴率は5.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
cf. 一筆書きできない道、奇点を2コに修正すべき&万力で締め付けられる黒い心、光と影の映像美
~『教場0 風間公親』第1話
いじめ不登校の子どもの母親、担任教師への殺意から自分が逃げるべき~『教場0』第2話
1人でできないことは2人で・・自殺ではなく他殺だと示す「毒のある骸(死体)」~『教場0』第3話
孤独の胎衣(えな、たいい)、虐待の冷水、幼児を覆う流れは親の涙か・・~『教場0』第4話
子どもの原風景と運命、イメージと現実の連鎖~『教場0』第6話
「ロカールの法則」とフランス語原文、サブタイトル「第四の終章」の意味~『教場0』第7話
「闇中の白霧」の意味、原作はウィルソンの霧箱、ドラマは闇中の白石麻衣~『教場0』第8話
列車に死体を載せる懐かしい小説、ドイル(ホームズ)、フリン、乱歩、横溝~『教場0』第9話
フライパン空焚きで発生するフッ化水素で死ぬトリックは困難&エモーショナル映像~『教場0』第10話
風間の前世はフランス・レジスタンス組織の盲目隊員、特別編はナノ・ブロック♪~『教場0』最終話
警察学校の花壇と、レゴではなくナノブロックの花壇、風間からの贈り物♪~『教場0』特別編
(計 4412字)
(追記297字 ; 合計4709字)
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