朝ドラ『虎に翼』で受験、昭和初期(戦前)の国家・高等試験問題とAIの解答〜司法科・選択科目「論理学」、繋辞(コプラ)の意義

NHKの看板番組の一つ、「朝ドラ」、朝の連続テレビ小説。私が見ることはほとんど無いし、ブログ記事でもほとんど話題にしてない。正直、今(2024年・令和6年の前半)、何を誰がやってるのかさえ知らなかった。

    

ただ、先日ネット記事を流し見してると、主人公の女性(ヒロイン・寅子:伊藤沙莉)が昔の国家試験(司法試験)を受けて合格するとか、そんなエピソードが書かれてた。ドラマを見てなくても、マニアがそそられる小ネタだ。

  

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このサイトは総合マニアック・ブログだから、戦前の試験問題についても数本の記事をアップしてて、地味にアクセスが入り続けてるし、私自身も面白くて勉強になった。昔だから、現代とは問題の傾向は違うけど、予想以上にレベルが高い。

    

そこで久々に、国立国会図書館デジタルコレクションにアクセス。古い問題集の公開画像を発掘してみた。やはり面白かったから、ごく簡単に記事にしとこう。

    

実は今、問題の一部をAI(ChatGPT 有料サブスクmodel4)に回答させてみた後、色々と突っ込んだやり取りをしてて、ブログ記事を時間が無くなってしまった。いずれまた、時間がある時に、別の記事を追加したいと思ってる。需要があれば。。

    

    

    ☆   ☆   ☆

朝ドラ『猫に小判』・・じゃなくて『虎に翼』で寅子が受験したのは、昭和12年(1937年)と昭和13年(1938年)。一度、落ちた女性が、働きながら再受験して合格するのが凄い。ちなみに、実在のモデル・三淵嘉子(みぶちよしこ)はおそらく一発合格で、浪人はしてない。

   

必須の法律5科目より、選択科目の一般教養の方が面白そうだ。哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、・・etcから二科目、受験してたらしい。マークシートとか穴埋めではなく、論述形式の筆記試験。

   

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その辺りの年代を指定して、国会図書館で検索すると、5回目くらいで何とか成功。当時の問題集の画像が無料で一般公開されてた。登録やログインさえ不要で閲覧可能。著作権は消滅してるはず。育成洞『最近国家試験問題集』、昭和14年。

     

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寅子が落ちた昭和12年度受験者数を見ると、司法は3500人ちょっとで、かなり多い。13年度は3000人弱で、合格率は約10%。大部分の受験生は、選択科目でも法律関連を取ったらしい。考えてみれば当たり前だけど、あえて不利な別の一般教養を取った受験生の方に興味が湧く。わずか数十人程度。

    

今回は、昭和11年の論理学の第1問を見てみよう。現代とはちょっと違う、伝統的・古典的な「名辞論理学」の問題と用語が珍しいので。

    

    

     ☆   ☆   ☆

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「一 判断ニ於ケル繋辞(コプラ)ノ意義。」

    

ちなみに繋辞とは、英語の「She is cute」(彼女はカワイイ)の is みたいな言葉。代表はbe動詞で、それに類する動詞も含まれる(seem とか)。

    

主語と述語を繋ぐ言葉だから、日本語だと繋辞と呼ばれるけど、英語だと copula(コピュラ)。コプラというのは、ラテン語読みの発音。

   

    

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ChatGPT4の回答は下の通り。

    

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私は素直で従順だから、直ちに「exist(存在する)は自動詞だから何も繋いでないのに、繋辞の一種なのか?」とか、「日本語の主語の直後の助詞『は』も繋辞の一部分ではないのか?」とか、立て続けに質問♪ それでもスラスラ答え続けるあたり、あらためて今のAIは凄いなと感心した。

     

ただ、上のAIの回答だと短過ぎて、不合格だろう。1回目の受験の寅子みたいに。もっと、ラテン語、英語、日本語の具体例を入れて具体的に詳しく解説した上に、深い考察も加える必要がある。文末の助動詞がない日本語「彼女はやさしい」なら繋辞はどう考えるのか、とか(私がAIにした質問に1つ)。繋辞は本当に前後の言葉を繋いでるのか?、という点も興味深い。

   

その辺りのやり取りや考察で、あっという間に時間が経って、金曜の夜は終わってしまった。既に土曜の朝が近づいてるので、今日は早くもこの辺で。。☆彡

   

     (計 1663字)

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カンニングの法則、SNSや地図のトラップ(罠としての間違い)、大学教授のパワハラもどき~『教場0 風間公親』第5話

遠野 純粋な100%のヒ素は 市場には出回ってない

戸守 ええ ヒ素には何らかの不純物が

遠野 そう 不純物が混ざってる

   だから ヒ素Aとヒ素Bに混ざっている

   不純物を調べて その不純物が一致すれば

戸守 アウト

遠野 この理屈には 名前があった

遠野戸守 カンニングの法則

遠野 試験でカンニングすると 正解だけじゃなくて

   間違った答えも一致しちゃうからね

             (脚本 君塚良一)

    

    

     ☆     ☆     ☆

論理的で現実的。今までで一番興味深いエピソードだった。『風間公親 教場0』第5話のサブタイトルは、「妄信の果て」。

    

論理的といっても、上で引用した会話のロジックは、ちょっと不十分。「不純物が一致」しただけでは、「アウト」にはならない。他では(ほとんど)見られない不純物が一致した時、はじめてアウトになる。

   

例えば、簡単な算数や数学の試験だと、カンニングなどしなくても、生徒や学生は同じ間違い(不純物)を書くことが多い。だから、同じ間違いをしただけでアウトにすることはできない。

   

例えば、3から12までの整数(自然数)は全部でいくつありますか?、という問題。12-3で9個と答えてしまうのが、算数あるあるの頻出ミス。正しくは、12-3+1=10個。両端が入る時の計算方法で、小学校では植木算とか言われる。3、4、5、6、7、8、9、10、11、12。確かに、10個ある。

      

ちなみに「カンニングの法則」という言葉。同じ意味での使用例は『教場』以外に見あたらない。たぶん、原作者の創作(造語)だと思う。考え方だけなら、昔からフツーにある。

    

   

     ☆     ☆     ☆

ドラマの場合、戸守(水沢林太郎)が示してしまった不純物は、2つあった。どちらも、他でも見られない不純物。

   

まず、卒業論文における記述。指導教官(殺された被害者)・梨多(野間口徹)がSNSにわざと書いてた間違い(トラップ、罠)をそのまま引用してしまった。その文章は、映像で一瞬だけハッキリ映されてた。

  

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人工景観を自然景観に変えてきた文明は大河流域を中心に発達した古代文明において、わずかしか存在しないのだ。¹

(注)1 梨多真夫「地理学ゼミコラム」2017年

   

 (2019年度 卒業論文 『製糸業で栄えた町の歴史的町並み保存 ─北関東における都市の景観変遷─ 』 戸守研策 興和文化大学文学部 人間社会学科地理学専攻)

     

これはカンニングではなく、認められてる引用だけど、教授がわざと書いてた間違い(トラップ)に引っかかってしまったから、アウト。この厳しい教授の考えでは。

    

    

      ☆     ☆     ☆

戸守のもう1つの不純物は、地名。慌てて犯行現場に戻るタクシーで、行先を「なしだ(無田)」と答えてしまった。

  

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これは実在しない地名だから、間違い。しかも、教授が手作りマップにわざと書き込んでた間違い(地図トラップの真似のお遊び)と一致してたから、戸守は手作りマップを見たことになる。作成された、当日の午後。真っ暗な夜になる前に。

     

もちろん、ドラマの遠野(北村匠海)の台詞では、もっと簡潔な言葉にされてた。「不純物は 君だ」。ちなみにこれ、今どきの先生がうっかり生徒に話すと、パワハラになってしまうから要注意♪ アカハラ、アカデミック・ハラスメント。学問上の嫌がらせ。

          

ちなみに、長岡弘樹の原作X『教場X』(小学館)だと、「なしだ」は「(梨多の)単位は無しだ」という話とも結び付けられてた。これは、ドラマでも入れるべきだったと思う。というのも、その話がないと、なぜ戸守が「無田」という地名を覚えていたのかが不明だから。無意識の内に、梨多=無しだ=無田という言葉の連鎖が出来上がってたのだ。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、ドラマと現実社会の関係だと、すぐに思い出したのは3年前の名古屋・名城大学の事件。理工学部の3年生・野原康佑容疑者が准教授の首などをハサミで刺して、殺人未遂の現行犯で逮捕されてた。

   

当時のメディアが流してた情報だと、リポート(レポート)の提出が遅れて、単位をあげないとか言われたから、留年の可能性が生じたのが不満で、犯行に及んだとか伝えられてた。1月だから、後期(冬学期)の期末レポートか。

    

ただ、その後の確定した事実報道がなかなか見当たらないから、3年前のメディア情報をここで私が「妄信」するわけにもいかない。参考程度に留めとこう。

    

もちろん、論外の犯行なのは当然として、私がちょっと気になったのは、准教授の説明の仕方。未熟な若者を過度に指摘してしまうような言い方をしてなかったのかどうか。その点が報道されてないけど、人間関係においては、同じ内容でも、言い方の問題が非常に重要なのだ。

   

    

      ☆     ☆     ☆

その意味で、ドラマのやり取りは分かりやすくて興味深かった。

  

戸守 ・・・単位はくれないんですか?

梨多 あげたくないね 君になど

戸守 何でですか? 書き直します

   どこがいけなかったのか 言ってください

梨多 ゼミ生向けのSNSに載せた

   私のコラムがあるね

   論文に使っただろ

戸守 ええ 確かに引用しました

   それはOKなはずです

梨多 確かに認めている だからこそ失望したんだ

戸守 言ってることが分かりません

梨多 それが分からないようだから

   単位はやれないと言っている

   ・・・知らん・・・話はそれだけだ

   帰りなさい

    

この教授の応答は、殺されたから批判されないけど、もし殺されてなければパワハラ、アカハラのレベル。特に「君になど」という一言が、完全にアウト。もちろん、全体としてあまりに不親切な説明でもある。

  

それ以上に、根本的に問題なのは、そもそも学生に対して罠のニセ情報をネットで示して、引っかけようとする姿勢。

    

仮に、教育的配慮だから許容範囲としても、引っかかってしまった学生には指導して訂正させるべきであって、単位を落として留年で内定取り消しといった悲劇は避けるべき。お金だけでも、学費と失った賃金を合わせて数百万円くらいの損失になってしまう。

   

それだけの落ち度があるのに、呑気に趣味のカメラで写真撮影してるから、未熟な学生に衝動的に突き落とされてしまった。自分のやり方や態度は問題ないと、「妄信」してたのだ。

   

「妄信の果て」というサブタイトルは、加害者だけでなく、被害者にも当てはまる。もちろん、これが現実の事件なら、殺人の被害者を批判するメディア報道はほぼ皆無になるけど。

    

     

      ☆     ☆     ☆

それにしても、地図の不正コピペを防ぐためのトラップ(偽情報)なんてものが本当にあるのか? 色々とネット検索すると、世界的には、少数だけ確認されてるらしい。ということは、確認されてないものまで含めると、多少は実在すると思って良さそうだ。

    

いつものように、日本語で情報を探しても、ウィキペディア(例えば「虚構記事」の項目)も含めて、英語情報の短いまとめが目立つ。

      

英語だと、わりと詳しくて注も付いてるのが、英語版ウィキの「Fictitious entry」(虚構の記事・項目)。特に、その中の「Copyright traps」(著作権トラップ)の「Map」(地図)の箇所とか。

    

phantom settlements(幻の住所)、trap street(トラップの道)、paper towns(架空の街)といった言葉が使われてた。実害が生じるとマズイから、特にトラップの道を書き込む時には注意が必要になる。

   

   

     ☆     ☆     ☆

話変わって、サブタイトルの「妄信」について。ドラマの遠野章宏は、「訳も分からず信じてしまうこと」と説明してた。

    

これだと、ごく一部の人だけがたまにやってしまう大失敗のように感じられるけど、「信じる」ということの根拠をたどって行けばキリがない。「Aを信じるのはBだから。Bを信じるのはCだから。Cを信じるのは・・・」。

    

信じるから、信じる。信じることの根拠は、信じること。これに尽きてる。だから、根拠とか理由というより、何を信じるかが重要なのだ。根本的に何を信じるか。今、何を正しいと思うのか。もっと広く言うなら、何を受け入れるのか。

     

これについては、例えば、3年前の『野ブタ。をプロデュース』再放送レビューでも書いておいた・・というのは、一部読者へのご挨拶♪ 確か、新型コロナ初年度の自粛ムードを受けた特番ドラマみたいな扱いだった。

   

 信じたいから信じる、本当の友達を~『野ブタ』第8話

    

    

      ☆     ☆     ☆

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なお、久々にマニアックで面白かったのが、冒頭の黒板に書かれてた内容(板書)。基本的には原作の通りだけど、もちろん原作に板書までは載ってないから、美術スタッフさんと法科学監修・山崎昭の労作か。

    

この内容は、専門家にとっても難しくて微妙な話のようだけど、今回のドラマに合わせて超訳・意訳すると、要するに、誰か(例えば容疑者)がある事を話したということ自体が客観的証拠になる場合がある、ということ。

     

ストーリーの中で具体的に言うと、戸守がタクシーの行先の地名として「なしだ(無田)」と話したこと自体が、客観的で決定的な証拠になってた。うっかり間違えたとか、先生の名前が影響しただけとか、そんな言い訳は無関係。戸守がその日の午後、まだ明るい内に、先生の手作り地図を見たことが証明される。

    

黒板の左下には、「内容の真実性は問題とならない → 非伝聞証拠  伝聞法則は適用されず、証拠能力が認められる」と書かれてた。

    

なお、非常に有名な25年前の和歌山毒物カレー事件を、ドラマで「シチュー」事件として扱ってたのは、ひょっとすると、冤罪説があることも影響してるのかも。ヒ素が一致してないという説まであるらしいけど、とりあえず深入りは避けとこう。

   

   

      ☆     ☆     ☆

最後は恒例、対話型HI(人間知能)、ChatTEN4とのやり取り♪

   

 視聴者 こんにちは♪ 風間教官(木村拓哉)は、

     遠野が犯人に「背を向けた」とか

     言ってましたが、映像では遠野は

     背を向けてません

     あれは、どうゆう事ですか?

 

TEN4 こんにちは♪ 確かに、後ろ向きには

     なってませんが、千枚通しで襲われて

     しまう隙を見せてしまったという事。

     致命的な油断をしてしまったという

     意味でしょう。

     指導者として共に闘ってた自分への

     ダメ出し、反省でもあると思います。

     現場という道場で、遠野という鏡に

     映った自己への叱責なのです。

   

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それにしても、坂口憲二を見たのは超久々。11年前の『最後から二番目の恋』以来かも。体調はどうなのかな・・とか思いつつ、それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

   

  

P.S. 第5話の世帯視聴率は9.1%、個人視聴率は5.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

      

cf. 一筆書きできない道、奇点を2コに修正すべき&万力で締め付けられる黒い心、光と影の映像美

    ~『教場0 風間公親』第1話

 いじめ不登校の子どもの母親、担任教師への殺意から自分が逃げるべき~『教場0』第2話

 1人でできないことは2人で・・自殺ではなく他殺だと示す「毒のある骸(死体)」~『教場0』第3話

 孤独の胎衣(えな、たいい)、虐待の冷水、幼児を覆う流れは親の涙か・・~『教場0』第4話

 子どもの原風景と運命、イメージと現実の連鎖~『教場0』第6話

 「ロカールの法則」とフランス語原文、サブタイトル「第四の終章」の意味~『教場0』第7話

 「闇中の白霧」の意味、原作はウィルソンの霧箱、ドラマは闇中の白石麻衣~『教場0』第8話

 列車に死体を載せる懐かしい小説、ドイル(ホームズ)、フリン、乱歩、横溝~『教場0』第9話

 フライパン空焚きで発生するフッ化水素で死ぬトリックは困難&エモーショナル映像~『教場0』第10話

 風間の前世はフランス・レジスタンス組織の盲目隊員、特別編はナノ・ブロック♪~『教場0』最終話

 警察学校の花壇と、レゴではなくナノブロックの花壇、風間からの贈り物♪~『教場0』特別編

    

       (計 4412字)

   (追記297字 ; 合計4709字)

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科学者の代表とされる「日本学術会議」、予算10億円と具体的活動(eスポーツ考察)の検証

日本学術会議が推薦した新しい会員の候補者の内、6人が任命拒否されたと伝えられる問題。政治とか歴史、法律の話より、そもそも日本学術会議とは何なのか。私も含めて、ほとんどの人は知らないだろう。

    

私は、名前は一応知ってて、科学者の代表とか言われてるのを何度か見聞きした程度。「15年間、6000本ほどの記事でも一度も触れてない」と書きかけて、念のためにブログ内検索をかけてみると、2本の記事に名前が出てた。

  

2013年の使用済み核燃料の最終処分場の記事と、2017年のNHKスペシャル・731部隊の記事。どちらも、非常に硬くて重い話題を扱ってる。そういった時に名前が出ることが多いからこそ、一般人の頭には残りにくいのかも。

   

  

     ☆     ☆     ☆

さて、その謎の組織について、まず辞典や辞書の類で軽く調べた後、公式サイトにアクセス。英語の「Science Council of Japan」の頭文字を取って、SCJが略称。

   

学者・研究者の団体のHPは、堅苦しくて表面的な内容に留まるものが多いが、このサイトの中身自体は、相対的に良い部類だと思う。文字だらけ、漢字だらけで、一般ウケはしないだろうが、シンプルで分かりやすいデザインで、サイトの動きも軽い。ということは、こんな騒動の中でもアクセスは殺到してないということの表れでもある。

   

いきなりブラウザの左上のタブに、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」と表示されるのは、日本人として微妙な感もあるが、もし真面目に全部、目を通そうとすると、情報量が多くて大変だろう。

  

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組織図を見ると、会員210名、連携会員・約2000名。別に、全国100万人近い学者が投票する選挙で決まるわけではなく、基本的に、既に内部にいる人が新たな会員を呼び込むらしい。それは、良し悪しはさておき、閉鎖的な学者の組織にありがちな普通の事ではある。

   

個人情報の取り扱いが厳しい現在、全会員の名簿をネットで公表して、正会員については年齢まで公表。公の組織だから発表するということか。

   

  

     ☆     ☆     ☆

今回、正会員の半数・105名が新たに会議から推薦されて、菅義偉首相は6名を任命しなかったわけだが、それらはすべて人文・社会科学の候補者で、自民党政権に批判的な態度を示していた人達。

   

個人的な第一感としては、別に「学問の自由」が「全否定」されたわけではないと思う。そもそも「学問」など、少年少女も含めて無数の人が行ってるわけで、日本学術会議の正会員への任命などほとんど無関係。本来の所属機関で、あるいは個人的に学問をすればいいだけのこと。

      

学問の自由が「部分否定」されたというだけなら、誰でも常にある程度、経験していることに過ぎない。

   

例えば、コロナによる学校閉鎖で、大勢の生徒・学生の学問の自由は部分的に否定されたわけだが、彼らのほとんどは大掛かりな実名の抗議活動は行ってないし、メディアで個人的に大きく扱われることもない。経済その他、家庭環境で大学に行けない子ども達も大勢いる。あの6名はむしろ、非常に学問の自由に恵まれて来た人達のはず。

    

とにかく、この記事で政治・学術問題について論じるつもりはない。とりあえず、日本学術会議とは何なのか、誰が何をどのように行っているのか、少し知りたいだけだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

日本学術会議のサイトで私が一番不満だったのは、予算・会計の説明が見当たらないこと。どこかにあるのかも知れないが、しばらく探しても発見できなかったから、仕方なくウィキペディアを確認。すると、国の一般会計予算のデータを引用していた

  

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令和2年度、一般会計予算。日本学術会議の要求額は、運営に5億5000万円、審議などに5億円。合計10億5000万円で、国を代表する機関なら、それほど多いわけでもないと感じる。単純に200人で割っても、1人あたり500万円。トップレベルの全経費だから、そんなものか。

  

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予算の中身を項目別に見ると、職員の報酬に4億円、委員・会員の手当に2億円、旅費1億5000万円、庁費(その他的な細かい諸々の費用)1億円、国際的な分担金1億円。これらで10億円近くになる。

   

一般の職員が50人もいるのはやや意外だったが、非常に多いというわけでもない。ただ、金額も含めて、本当に必要なお金なのかは考え直してもいい点だ。そもそも、たまに活動するだけの学会、研究会なら、事務的作業の多くはボランティア的な活動のはず。大学その他、本来の職場だけでも十分な給与・手当を得ているのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

一方、予算の適切さを考えるためにも、実際の活動内容を具体的にチェックする必要がある。その金額に見合うような活動なのか。

   

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「提言・報告等」をまとめたページには、上から、答申、回答、勧告、要望・・といった項目が並んでいる。おそらく、これは重要性の順だろう。

  

答申はよくニュースで見聞きする言葉だから、目新しい「回答」を表示してみると、1年に一つくらいの回答が掲載されていた。  

  

「『回答』とは、関係機関から審議依頼(政府からの問いかけを除く。)事項に対する回答です」。これ、日本語としてまず細かいミスがある。関係機関から「の」審議依頼・・と書くべき文で、「の」を忘れているのだ。

  

あら探しのようにも見えかねない細かい指摘だが、日本を代表すると自ら名乗っているトップの団体なら、誰か気付いて訂正するべきだろう。人文社会系の会員、提携会員も多いし、職員も50人いるのだから。単なるブロガーでさえ、一読してすぐ気付いた、日本語文法的な間違いだ。

     

   

     ☆     ☆     ☆

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最新、令和2年(2020年)6月18日の回答は、科学的エビデンスに基づく「スポーツの価値」の普及の在り方。全体は28ページ構成のpdfファイル。実質的には20ページほどで、あまり長くない。

     

「科学的エビデンスに基づく」という言葉が、「価値」にかかるのか、「普及の在り方」にかかるのかが曖昧だが、深く考えないことにしよう。理系、スポーツ系の研究者が計25人ほど集まって、スポーツ庁からの問いかけに「回答」している。

     

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4つの審議の内、3番目は、科学技術の進展や情報技術環境の変化がもたらす「スポーツの価値」の多様化。非常に官僚的・学者的な言い回しだが、私なら明解にこう書く。「eスポーツをどう考えるか?」。

   

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少し「検討内容」を展開した後、回答は次のように13行でまとめられている。約500字。

  

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     ☆     ☆     ☆

私が1文でまとめると、こんな感じの回答だ。「eスポーツは新たな多様性を生み出すが、ゲーム依存(特に青少年)には注意すべきだ」。

    

別におかしな事は書いてないが、普通で当たり前の内容であって、新聞の社説レベルだと思う。

    

その最後の回答よりも疑問を感じたのは、末尾の注に挙げられた文献。上の回答が最も依拠しているのは、兵庫県の「ケータイ・スマホアンケート」及び「インターネット夢中度調査」。継続的(5年連続)で本格的な調査ではあるが、あくまで兵庫県の調査で、日本全体でも世界でもない。

        

20年6月半ばの発表で、2018年版のデータを使用しているのも気になる。というのも、20年1月半ばには2019年版が発表されているからだ。まとめる担当者の職員だけでも3人いるのに、変化のスピードが非常に速い状況の考察で半年前のデータを使うことが難しいだろうか。

   

   

      ☆     ☆     ☆

もっと引っかかったのは、全部で19個の注の内の1つ、6番で、サンマーク出版の通俗的な一般書を挙げていること。アンダース・ハンセン、『一流の頭脳』。

  

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kindle本の無料サンプルを読んだ後、世界での論評も英語で探してみたが、ほとんど話題になってないし、ハンセンの英語版ウィキペディアの項目は暫定版のまま、公認されてないほど。ノーベル賞選定機関の研究者という肩書以外、学問的な信頼性や権威は感じにくい。

   

この本の帯だけでも、日本を代表する科学者集団が参考にするべき本とは思えない。「秘められた脳の力を最大限引き出し、あらゆる能力を最大化する、究極の英知!」。

  

そこから何を引用・参照したかというと、次のデータなのだ。「脳を最良な状態に保つためには、心拍数が高まる有酸素運動(ランニングを週3回、1回45分以上)を定期的に行うことが望ましいという報告もある[6]」。

   

「科学的エビデンスに基づく」と題する回答で、脳に対するスポーツの好影響を示す時の説明が、これなのだ。12回の委員会に加えて、フォーラム、シンポジウムも1回ずつ開催。

  

正直、日本のネットだけでも、遥かに信頼性のある詳しい説明が多数あるだろう。ちなみに今、私の環境で「脳 有酸素運動」のGoogle検索を行うと、ヒット550万件のトップは、「長距離の『有酸素運動』は脳を劣化させる」だった。データはともかく、昔からある説の一つに過ぎない。私自身はランナー&サイクリストなので、念のため。

   

      

     ☆     ☆     ☆

他にも、スポーツという言葉の語源(ラテン語)の通俗的解説など、指摘すべき点はあるが、このくらいにしておこう。もちろん、少しチェックしただけだし、内容よりも、大勢の有名知識人たちが連名で見解をまとめるという作業自体に意味があるのも理解できる。

  

しかし、国家予算10億円を投じて、大きく報道するほどの価値を持つ学術機関なのか、今後の精査や論議を待つことにしよう。ある意味、社会勉強になったのは事実。

  

なお、今週は計14968字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

        (計 3835字)

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