やっと連ドラ2本が終わった・・しばらく休養モード♪&10kmビルドアップ

(11日) JOG 10km,53分06秒,平均心拍 138

消費エネルギー 459 kcal(脂肪 110 kcal)

 

あぁ、記事タイトルに「休養モード」と書いた途端に気が抜けて、入力がさっぱり進まない (^^ゞ ホントに疲れてるんだな。

  

何回もくだらない操作ミスをしてるのだ。今も、ポラール心拍計のサイトからサインアウトしようとしたら、変な画面が表示されてしまって、しばらく固まってしまった。

   

フィッシングの画面? パスワードがどうのこうのと書いてる。心拍計のサイトなんて金儲けにならないだろ?・・とか思いつつ、一度アプリを強制終了して、やり直してた。どうも私が、「サインアウト」の上にある「パスワード変更」をタップしたらしい (^^ゞ ド素人か!

   

まあ、アカウント削除と間違えるよりはマシだと思う(笑)。いや、たまにやりそうになるのだ。ブログ削除とか (^^ゞ 一応、バックアップは1ヶ月に1回取ってるけど、それを使ったことはもちろん無い。ホントにキレイに修復できるのかね?

    

   

     ☆     ☆     ☆

で、とにかくこの2ヶ月半はキツかったのだ。終わってしまえば短い期間だけど、3月下旬から各種連絡に追われるようになって、4月、5月は超久々の連続ドラマ2本レビュー。

  

今、調べる気力もないけど、4年ぶりか5年ぶりかな? ちょっと思い出せないほど。全盛期はフツーに書いてたけど、その分、仕事はフツーにやってなかった(笑)。コラコラ!

   

ドラマ記事の場合、字数も長いことが多いけど、書き始める前が大変なのだ。基本的に、通しで2回見て、さらにポイントのシーンを確認することが多い。このポイント確認は、いちいち停止したりバックしたりするから、意外と時間がかかってしまう。ここまでで既に3時間くらいかかるのだ。

  

それに加えて、誰も書かないような事まで調べてるから当然、時間がかかる。例えば昨日の記事は、残り字数300字強だったから極端に短いけど、かなり調べてるし、動画からの静止画キャプチャーもかなり取ってた。使わなかっただけ。

  

   

      ☆     ☆     ☆

珍しく、私の実際のフォルダをお見せしよう。本邦初公開(死語♪)。いや、初ではないと思うけど。ノートPCの『未来への10カウント』フォルダの中の、9話フォルダ(細かっ・・)。

     

220613a

  

特に、女子ボクシングの試合のキャプチャーは、一瞬の動きをとらえることになるから、時間がかかってる。それなのに使わないままお蔵入り (^^ゞ 1枚だけ、蔵出ししとこうか♪ 本格派の武術女子、山本千尋がわざと下手なボクシングをしてKO(RSC)負けする姿が涙を誘う。極端に分かりやすい演技・演出だった。監督、星野和成。

          

220613c

   

ボクシングのディフェンス(防御)の画像もなかなかいいのが見つからなかったから、無駄な手間が色々かかってるのだ。まあ、精神修養ってことで♪ 画像だけでなく、テクニックについても調べてた。

      

ちなみに、フォルダで目立ってる女の子の画像は、アナウンス美少女の横にいた地味めのコ(失礼・・笑)。いや、以前のゴング女子ほどビミョーではなかったから、中途半端に気になったのだ。調べたけど、使ってない。私も使わない (≧▽≦) オイッ!

     

今年の4月からはテレワークも大幅に減って、リアルワークが大部分になったから、調子を取り戻すのにも時間がかかってる(まだ現在進行形)。というわけで、「自分で自分を褒めたいと思います」♪ 古っ! いや、久々に書いたかも。

    

    

      ☆     ☆     ☆

一方、ドラマに追われる中でも、土曜は10kmだけ走って来た。雨が降り出す直前くらいのタイミングで、近所の公園に行くと、途中から予想通り小雨が降って来て、ちょうど良かった。というか、もっと降ってくれた方が涼しくて嬉しかったかも♪

   

走りの方は、お散歩モードから徐々にペースアップして、最後はプチバトルもあったから1km4分40秒ペースくらいまで上昇。最近としては珍しい、ビルドアップ(加速走)になった。トータルでは1km5分19秒ペース。気温21.5度、湿度80%、風速3m

  

新・心拍計はほぼ正常に作動したから、ほんのちょっと補正しただけ。あぁ、ブログが休養モードといっても、今日から月曜なのだ (^^ゞ ガックシ。。_| ̄|○ ではまた明日。。☆彡

  

   

220613b

     

      時間  平均心拍  最大

往路(1.2km) 6分58秒 112 125

LAP 1(2.2) 12分14秒 130 138

  2   11分37秒 140 147

  3   11分14秒 146 151

復路(2.2) 11分03秒 154 159

計 10km 53分06秒 138(79%) 159(91%)

    

      (計 1860字)

| | | コメント (0)

英語のことわざ(慣用句)、「部屋の中の象」(elephant in the room)に気付かない~出典はロシア寓話「好奇心の強い男」(クルイロフ作)

面白い・・と私は思ったが、ネット検索すると、文学的な出典まで目配りした日本語の情報は非常に少ない。この状況自体が、まさに「部屋の中の象」的なことか。

  

「ハッキリ目立つ大きな物事」(象)が「身近」(部屋、居間)に存在するのに、誰も気付いてないか、気付かないフリをしてるのか。下は、dmm英会話ブログより。

  

220510b

    

遅まきながら、私はやっと象を発見したから、簡単なブログ記事にまとめとこう。「部屋の中のブヨ」みたいに小さなものでも、「好奇心の強い」読者の一部は見つけてくれるだろう。。

   

  

      ☆     ☆     ☆

まず、なぜ私が象に気付いたのかを書いとこう。昨日(2022年5月9日)、ロシアのプーチン大統領が戦勝記念日の演説をしてたから、全文をチェック。「ナチズム」「ネオナチ」という非難の言葉が強調されてるから、ファシズムとの微妙な違いも含めて、色々と調べてみた。

  

私は単なる一般的な政治社会用語として調べ始めたのだが、ウクライナのネオナチに関する海外(欧米)の記事がかなりヒットした。メジャーなメディア・通信社が色々と書いてるのだ。どうも、扱いが繊細で微妙な問題らしい。

   

日本の報道や世論だと、ウクライナは善なる被害者、ロシアは悪の加害者、「ウクライナのネオナチ」といったプーチンの話は誤り・フェイク、といった感じになってる。

    

それらを少しでも否定する人、少しでも中立的立場を取ろうとする人は、現実が見えてないとか、陰謀論者とか、批判されることになる。東京大学の入学式で微妙な祝辞を述べた映画監督・河瀬直美が典型だろう。直ちに批判が相次いだ後、直接関係ない話で文春砲にもバッシングされてた。

       

欧米でも基本はそうだと思うが、流石に言うべきことは言うし、書くべきことは書いてる。これは、メディア・リテラシー的に注意が必要な状況だろう。特に、同調圧力が強くて情動的な日本社会に住む者にとっては。

   

   

      ☆     ☆     ☆

朝日新聞HPの論説コーナー、「論座」の記事が目に留まった。

  

 ウクライナには「ネオナチ」という象がいる~プーチンの「非ナチ化」プロパガンダのなかの実像(上)(中)(下)

    

執筆者はルポライター、清義明(せい・よしあき)。失礼ながら正直、大丈夫か?と思ってしまったが、しっかりした内容で興味深い主張だ。

  

要するに、ウクライナのネオナチは明白な事実なのに、単なるプーチンのプロパガンダ、侵攻・侵略の口実であるかのように扱われてる。実像(実際の象)をよく見てみよう・・という話だ。

   

アゾフ大隊(アゾフ連隊)の件とか、どの情報をどの程度信頼していいのかよく分からないので、とりあえず今回はこれ以上、触れない。それより、「部屋の中の象」という言い回しと出典に注目してみよう。

  

  

      ☆     ☆     ☆

上の論座の記事の冒頭では、こう書かれてた。

  

 英語で「象が部屋にいる」という言い回しがある。・・・「あんなにも大きな象が部屋にいたとしても、あえて見なかったことにする」という意味である。誰もが知っていることだとしても、なかったことにしたほうがいい。そういうことは確かに世の中にはあるかもしれない。

 プーチンが、「ウクライナを非ナチ化する」と宣言したとき、大方の人々は狐につままれたような反応で、そのうち識者や国際政治学者はこぞってプロパガンダであると断定しだした。だが、本当にそうなのだろうか。・・・

     

    

私の手元にある『ウィズダム英和辞典 第4版』(三省堂、2019年)を引くと、「the elephant in the (living) room」というイディオムが載ってた。意味は、「誰もが知っていながら口をつぐむこと」。

  

英語版ウィキペディアの項目の冒頭では、こんな感じに要約してある

   

220510a

    

何か巨大なものが無視されてるのは、それが不快だったり、危険だったりするため、抑圧の心理メカニズムが働いてるから。そんな背景説明も書かれてる。

   

   

     ☆     ☆     ☆

英語版ウィキでさらに本文を読むと、出典として、ロシアの寓話作家クルイロフ(Krylov)の作品が挙げられてた。「The Inquisitive Man」。好奇心の強い男(または、人)。

    

ロシア語の原題をGoogle翻訳で英訳すると、curious だったから、「変な人」という意味も少し入ってる可能性がある。その方が、内容に合ったタイトルだし、皮肉も効いて面白い。ただ、ロシア語的には、詮索好きのような意味合いが普通みたいだ。

         

220510e

         

日本では、数種の翻訳本を除くとほとんど紹介されてない。上は岩波文庫『クルイロフ寓話集』。しかし、英語版ウィキソースを見ると、英訳が掲載されてた。全文でも非常に短い寓話で、イソップ物語に似てる。

      

220510c

   

あらすじをまとめると、次の通り。好奇心の強い男がある日、友人と出会って話しかけられた。「どこ行ってたの?」。男は、「自然歴史博物館で3時間過ごしてたんだ」と答えた。

  

小さなブヨまで含めて、いろんな物を見たと聞いて、友人がたずねた。「当然、象も見たよね。山みたいに感じただろ?」。すると、男が答えた。「誰にも言わないでくれよ。実は、ゾウには気付かなかった!」。

    

  

       ☆     ☆     ☆

220510d

   

上が、ロシア語版ウィキソースの原文のラスト。先に引用した英訳とは微妙に違ってる感もあるが、ロシア語は分からないので、単なる印象つぶやきに留めとこう。上の左下の5文字が象を表す単語で、普通のアルファベット表記に直すと「Slona」だが、Google翻訳の発音は何度聴き直しても「ファンナ」と聞こえる。

   

この寓話はその後、文豪ドストエフスキーの『悪霊』でも引用されたらしい。出典がまさに今、話題の国、ロシアというのは、偶然なのか、必然なのか。帝政ロシアだった当時から、巨大な物事が語られない社会状況、無言の圧力があったのかも。

   

それは、相手の国であるウクライナでもそうかも知れないし、ウクライナを支持する国々でもそうなのかも知れない。私も、好奇心の強い日本人として、象には気付くようにしたいし、「あそこに象がいたよ」、「そこに今、象がいるよ」と話せるようにはしたい。

  

そのためには、意識的な注意力や努力、勇気だけでなく、無意識の抑圧や排除のメカニズムを理解することも必要だろう。時間が来たので、今日はこの辺で。。☆彡

    

       (計 2573字)

| | | コメント (0)

『コティホローシュコ』(エンドウ豆太郎、転がるエンドウ豆という意味)~日本の昔話『桃太郎』に少し似た、独自のウクライナ民話

海外の文化を日本に紹介する時、日本の何々に似てるとPRするのは普通で自然なことだろう。特に、ロシアによるウクライナ侵攻が続く今(2022年4月)だと、ウクライナと日本の間の類似を強調したくなる気持ちはよく分かる。

   

ただ、翻訳でこのウクライナ民話を読み終えて感じたのは、むしろ違いの大きさの方だ。別にネガティブな意味ではない。私がこのブログ記事のタイトルに、わざわざ「少し似た」と書いたのは、作品の内容自体にも注目すべきだという意味。もちろん、共感を育てるための素材とするのも良いことだろう。

   

220409c

   

      

     ☆     ☆     ☆

さて今回、珍しい記事を書くキッカケになったのは、朝日新聞の大きめの記事(22年4月5日・夕刊)。見出しは、「危機乗り越える 豆太郎のように」、「ウクライナの桃太郎 和訳した絵本 重なる境遇」。朝日新聞デジタルの記事へのリンクもつけとこう。

   

220409a

  

在日ウクライナ大使館で昨秋まで勤務。現在はチリに避難中の女性、ヴィオレッタ・ウドヴィクさんが編集者になって、昨年12月に完成した絵本が、『エンドウ豆太郎 コティホローシュコ』だ。文化の紹介のため、ネットでpdfファイルとして無料公開されてる。ウクライナ外務省の資金支援も受けてるらしい。ネタバレを避けたい方は、お先にそちらをご覧あれ。

  

和訳、イワン・ジューブ。翻訳校正、岡部芳彦、ナディヤ・ゴラル。イラスト、ゾヤ・スコラパデンコ。翻訳する前の原文を誰が書いたのかは不明。ウクライナ大使館その他、スタッフの方々、その点は明記した方がいいかも♪ 民話や民間伝承といえども、文章にまとめた人がいるはず。合議なら、「日本語版コティホローシュコ製作委員会」とか。

         

220409d

   

  

     ☆     ☆     ☆

マニアック・ブロガーの私がまず気になったのが、「コティホローシュコ」という題名の意味。公開されたpdfには意味がない。元のウクライナ語は書かれてたので、コピペしてGoogle翻訳すると、AIでも翻訳不能♪ 訳語は、原語のまま。

   

そこで、人間の私の感覚で、前側の「コティ」と後ろ側の「ホローシュコ」に分割してウクライナ語の翻訳を行うと、後ろ側は「豆」という意味の言葉。前側はすぐには翻訳できなかったけど、「関連項目」に飛んでみると、どうも「転がる」というような意味らしい。

  

最後に、フランス語版ウィキペディアで確認(英語版は無い)。フランス語への直訳は確かに、「転がる(小さな)エンドウ豆」(Roule (-Petit) -Pois)とされてた。

  

 コティ   ホローシュコ

 転がる  (小さな)エンドウ豆

    

そこに日本の『桃太郎』との類似を加味すれば、『エンドウ豆太郎』という邦訳タイトルが完成する。納得。切手の写真も付いてた。主人公とこん棒と竜の絵。

    

220409b

   

   

     ☆     ☆     ☆

物語を実際に読んで、最も意外だったのは、物語が長くて複雑なこと。日本の桃太郎もロング・バージョンがあるのかも知れないけど、誰でも知ってる標準形をまとめると非常に短いストーリーだろう。小学校1年の教科書はもちろん、幼稚園の教育でもおそらく大丈夫なはず。

  

ところが、このウクラナイ民話は、小学3、4年生以上でないと読み通しにくい長さなのだ。試しに、日本語への翻訳文の全体の文字数をカウントすると、8000字超もあった。長すぎると批判されることもあるウチのブログ記事の3~4倍♪ 簡単にまとめれる話ではない。

   

冒頭の2段落だけ、翻訳の原文をそのまま引用しとこう。「起承転結」の起のような内容だが、まだ302文字だから、この26倍(!)の文章が後に続くのだ。「起承・・・・・・・・転・・・・・・・・結・・・・・・・」の起に過ぎない♪

    

昔々、ある男がいました。男には息子が6人と、オレンカという娘が一人いました。男は、息子たちに、畑を耕すように言い、娘にはあとでお昼ごはんを持っていくように言いました。「どこにお兄さんたちがいるのか分からないわ」と妹は言いました。お兄さんたちは「僕らは家から畑まで鋤(すき)を引いていくから、その跡を辿っていくといいよ」と答えました。そして畑を耕しに行きま した。

   

そのうち、畑のむこうの林にいる竜がお兄さんたちが鋤を引いた跡を消して、その代わりに自分の城まで、鋤の跡を引きました。妹はお兄さんにお昼ごはんを持っていく時、新しい跡にそって、歩いて竜のお城にたどり着きました。竜はオレンカを捕まえてしまいました。

   

  

     ☆     ☆     ☆

まず、朝日新聞の記事が書いてたあらすじをそのまま引用してみよう。岩本修弥記者によるものか。

  

ある日、お母さんがエンドウ豆を拾い、生まれた息子をエンドウ豆太郎と名付ける。エンドウ豆太郎は姉を連れ去った竜をこん棒で成敗。姉や、竜との戦いに敗れて捕らわれていた6人の兄を救出する。3人の仲間から裏切られる場面もあるが、最後は王女と結婚し、仲良く暮らす」。

  

書いてることは間違ってないし、字数的にも適切。しかし、抜け落ちてる大切な要素もあるし、これではそもそも『桃太郎』との類似が分かりにくい。桃太郎に6人の兄は登場しないけど、3人の仲間から裏切られる場面もないのだから。

        

私なら、「捕らわれていた兄たちを救出する。その後の一人旅の途中3人の風変わりな仲間と出会い裏切られる・・・」と書く。

   

これなら、兄たちはオマケに過ぎず、3人の風変わりな仲間が桃太郎の犬・猿・雉に対応するのが明確。6人を消して、3人という数字だけに集中するのがポイント。そもそも6人の兄それぞれの違いや特徴は書かれてないのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

今、兄たちはオマケと書いたが、それは桃太郎と比較した場合の話。主人公以外で竜と戦ったのは6人の兄であって、3人ではない。また、兄たちは、助けてくれた弟・エンドウ豆太郎を裏切るような形のことを行ってて、それが弟の家出みたいな一人旅につながる。元のウクライナ民話においては、6人の兄も重要な役割を果たしてる。脇役として。

   

突出した能力の持ち主が、兄たちにも、3人の仲間にも裏切られる。日本の幼児教育にはビミョーな内容かも知れないが、リアルではあるし、現在のロシアのウクライナ侵攻を考えると暗示的でもある。

   

試しに、明治時代の尋常小学読本における桃太郎の教え方をチェックすると、「本童話における教訓的要素は  親の慈愛 桃太郎の孝行 慈勤 勇気 進取 犬等の忠勤 協力  等である」と書かれてた。国立国会図書館デジタルコレクションより。

       

220409g

   

『エンドウ豆太郎』には、親孝行という要素は薄いし、3人の仲間の忠実な態度も目立たない。協力はあるけど、それよりむしろ、裏切りとか敵意、攻撃性が目立ってる。

  

その象徴が、敵の「戦うつもりなのか、仲良くするつもりなのか」という問いかけに対する、豆太郎の応答。「仲良くするものか。戦いに来たんだ」。

   

竜に対しても、小人の爺さんに対しても、主人公は戦闘モードを保ってる。兄たちとも別れたし、近所の人達の敵意に対しても強く反発して撃退(序盤)。裏切った仲間(桃太郎の犬・猿・雉に対応)も許さず、懲らしめてる。

      

この辺りも、現在のウクライナにつながってるのかも知れない。橋下徹を始めとして、ウクライナに妥協を勧める意見が一部にある(orあった)が、ウクライナ側からは妥協は論外といった感じの反応、反発が目立ってた。

    

   

      ☆     ☆     ☆

220409f

    

とはいえ、最後はヒーローがヒロイン(王女様)を手に入れて(または、ヒロインと結ばれて)、幸せに暮らすのであった。フェミニストやジェンダー学者の受け止め方はさておき、古今東西、普遍的に愛されてる物語の構造だろう。力を持つ男性が、美しい女性と結ばれる。上のイラストにおける男女の描き分けも、典型的。

      

そう言えば、現在のウクライナでも、男女の違いは明確だった。なお、兄と姉を含めて8人の兄弟というのが気になって調べてみると、ウクライナの出生率はかなり低いらしい。昔からそうであれば、8人兄弟という設定は、フィクションにおける願望充足ということか。

   

個人的には、地底に世界が広がってる設定やその絵が面白かった。日本なら、昔話というより、神話の設定に近いかな。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

220409e

   

          (計 3317字)

| | | コメント (0)

メール・LINE・電話・往復はがき(笑)、大量の連絡で終わった週末、ホイジンガ的には「遊び」の概念か

疲れた。。 人間、リアルライフが本当に忙しくなると、ブログなんて頭から消えそうになるね♪ 普段は?! いや、普段もやる事だらけだけど、こんなに次から次へと対人関係の作業をしなきゃいけない状況は珍しい。

   

といっても、考えてみると、数ヶ月に1回くらいはあるか♪ と言うか、普段はそれほど本気になってないのかも(笑)。手抜きのお遊びか! 人間とは、「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)なのだ。

  

カイヨワか!・・と書こうとして、念のために調べたら、ホイジンガの著作名だった (^^ゞ よく気づいたぞ! いいね♪ 下は中公文庫。

      

220328e

   

   

     ☆     ☆     ☆

って感じで、ブログのノリが妙に軽い時は、眠くて疲れてるのだ♪ これも、人間が本質的にホモ・ルーデンス(遊ぶ人、Homo Ludens)であることの証拠みたいなものの1つだろう。

   

  眠くて疲れてる時の人間性 = 人間本性 =遊び

   

マジメな話、そう言えばこの土日にずっとやってた連絡作業も、半ば遊びではあった。別にすごく重要なわけではないし、重労働というほど過酷でもない。確かにしんどいけど、ちょっと面白くて息抜き的な側面もある非日常的な営みなのだ。

   

オォッ、昨日に続いて超手抜き記事のつもりだったのに、マトモな内容に近づいて来た♪ ほんじゃ、もうちょっとだけ学問的にこだわってみようか。寝る前のもうひと頑張り。アレッ、漢字で「一頑張り」とはあんまし書かないのか。何でだろ?・・って話はまたいずれ。

      

     

      ☆     ☆     ☆

ホイジンガによると、

 「遊び」とは、「あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為」、「自発的に受け入れた規則に従って」るもので、「目的は行為そのもののなかに」あり、「緊張と歓び」を伴い、「日常生活とは別のものという意識」がある。

  

う~ん、これは子どもの純粋なお遊びをもとにした考察に見えるね。成長するに従って、別の巨大な要素、抽象的な要素が浮上して来る。例えば、お遊びがスポーツと呼ばれるものになると、日本一や五輪金メダルを目指すようになるし、将棋や囲碁なら、究極の真理や正しい指し手を求めたくなるのだ。

    

私の場合で、個別に見てみよう。「あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為」。うん。これはかなり正しいね。ビシッと定められてるわけではないけど、ほぼ定められてるし、8割以上は自発的な行為だ。10割ではないけど。

   

「自発的に受け入れた規則に従って」。うん、これもかなり正しい。別に受け入れる必要はなかった規則を、私が自分で受け入れて勝手に連絡してるわけだし、規則の半ばは私が自分で作ったものだ。

   

   

      ☆     ☆     ☆

「目的は行為そのもののなかに」。これはちょっと違うね。同窓会の連絡には、連絡そのもの以外のハッキリした目的がある。ただ、目的の一部が行為そのものの中にあるのは事実かも。やってる内に、その自覚が出て来た。伝言ゲームとはちょっと違うけど、連絡ごっこ♪

  

「緊張と歓び」。これはその通り。長い間やり取りしてない相手が多いから、同級生でも当然、緊張感はある。もちろん、親友だけ、ホントに気の合う仲間だけの集まりでもない。

   

だからこそ、意外とフレンドリーなやり取りになった時には歓びが生じる。Mさんとか(笑)。実名イニシャルか! 試しにジャブ(ボクシングの軽いパンチ)として、大昔のエピソードを書いてみたら、向こうも思い切り覚えてて、私の知らない部分まで「自発的に」教えてくれた♪ なるほど、あの時はそうだったのか。

   

「日常生活とは別のものという意識」。これは間違いなくあるね。同級生は大勢いて、一部はわりと近い場所に住んでるけど、日常生活で接してるとまでは言えない。まあ、中には、同窓生同士で結婚してるケースもあるけど。

   

   

     ☆     ☆     ☆

しばらく理屈を書いた後で、早くも最後に、一番お遊び的だったものに触れとこう。LINEのスタンプや絵文字もお遊びだけど、珍しかったのは、往復はがき♪

   

「往信のあて名書きの部分」(下の写真の左半分)が青色だけど、右半分は返信用の内容を書くのだ (^^ゞ 分かりにくっ! 往信のあて名を書いた右側に、往信の伝達文をうっかり書く人も多いはず♪ 他人事か! ちなみに、往診ではなく往信だった(笑)。今、変換ミスに気付いて修正。

   

220328a

    

220328c2

    

これ、受け取りじゃなくて自分から出すのは、いつ以来だろ? 思い出せないほど久々に買ったから、値段も分からなかった。54円の2倍で108円かな・・と思ったら、63円×2=126円か (^^ゞ 

       

それにしても、書きにくくて間違えやすい構造。 「返信用のあて名書きの部分」は緑色で、そのすぐ右半分は「往信用の内容」を書くことになる。

   

220328d

   

220328b

   

で、中央の折り目の部分には、「返信時は、この線に沿って切り、返信用部分を差し出してください」(上の写真)。「返信用部分」とか言われても、その言葉は印刷されてないから、間違える人が必ずいるはず。返信用部分とは、返信のあて名を書いてる部分のこと。つまり、往復ハガキを受け取った人は、上の注意書きの左半分を切り取ってポストから返送する。

    

   

     ☆     ☆     ☆

これだと多分、郵便局や電話でクレームつけるモンスター・ユーザーもいると思う。で、ビシッと言い返す正義の味方が登場、スカッとした周囲が拍手すると♪ フジテレビのバラエティ番組、『スカッとジャパン』か!

    

ベテラン脇役俳優・木下ほうかの見納めになるかも知れないから、さっき、TVerの動画でチラッとだけ拝見。「はい 論破」ワイン?のボトルが映ってた(笑)。ところが、セクハラの文春砲に論破されちゃったと。

     

とにかく、まだ連絡全体の4割くらいしか終わってないから、今週も引き続き頑張ろう。妙な構成の記事だけど、遊びだからいいのだ♪ ではまた。。☆彡

    

       (計 2352字)

| | | コメント (0)

「戦争は外交の失敗」という言葉(名言、定義、警句)の出典3つ、カハル・デイリー、トニー・ベン&ドラッカー(英語原文)

このブログ(ココログ)の運営母体であるniftyは、ネットメディア「リアルライブ」のニュースをよく掲載してる。なぜかYahoo!よりかなり多い気がする。

   

リアルライブはネットやテレビの簡単なまとめ記事が多いから、分かってれば避けるようなメディアだが(個人の感想♪)、ニフティのニュースの見出しではメディアが分からないから、ついクリックすることがある。もちろん、たまには面白いこともある。

      

今回クリックした記事は、こんな長い見出しが付いてた。ここでは元のサイトの記事にリンクを張っとこう

  

 坂本龍一「戦争は外交の失敗」 加藤登紀子が共感投稿で物議 「ウクライナが悪いと?」 賛否集まる

  

   

     ☆     ☆     ☆

坂本の言葉は2014年のもので、珍しくノーカットYouTube動画が今でも正式公開されてる(ANN NEWS)。それを今回、ツイッター経由で知ったらしい加藤が、自分の返信ツイートで共感を示したようだ。いかにも人文・芸術系リベラルの代表者らしい姿勢。

  

加藤は、別人のツイート(「滑稽新聞」)に返信してるだけなので、本当に自分で動画を見たのかどうかは不明。私なら、別人ツイートの根拠となってる動画を自分で探して見た上で、そちらにもリンクを張って説明も補足する。その別人ツイートに書かれた坂本の言葉は断言調になってるが、実際の坂本の言葉はもっと会話調で個人的な思いを伝える形だった。

  

加藤のツイートは、ウクライナの外交の失敗という意味「も」(意図せず?)含んでしまうから、有名人として「炎上」(リアルライブの表現)するのは自然なことだろう。日本も含めて西側では、強いロシアが弱いウクライナに侵略戦争を仕掛けてる、と考えられてるから。ちなみに加藤のツイートは、限られたユーザーしか返信できない設定になってた。

    

   

     ☆     ☆     ☆

さて、私の関心は、大御所の左派文化人の考えとか「炎上」より、元の言葉の出典に向かった。おそらく、かなり前から外国語(特に英語)で言われてる事だろう。

      

当ブログでは過去、様々な名言の類の記事を、基本的に原文まで自分で調べた上で、正確に説明して来た。当たり前の事のように見えて、実は世界的に見てもごく少数しか行われてない。

    

英語の名言サイトのようなものも色々あるが、ほとんどは出典不明、あるいは未確認のまま。間違った言葉や出典を載せてることもよくあるが、検索サイトで上位にランクされればアクセスは集まる。そしてまた、怪しい情報がさらに拡散されて行く。SNSの問題がしばしばクローズアップされるが、商業サイトや個人ブログにもかなり問題がある。

  

   

     ☆     ☆     ☆

では、本題に入ろう。「戦争は外交の失敗である」という日本語を普通に英訳すると、「war is the failure of diplomacy」とかだろう。このフレーズをそのまま引用符で囲んで、Googleで完全一致検索を行うと、最初にヒットするやや古い用例は、1972年のものだった。

   

アイルランドの哲学者、カハル・デイリーの論文「Violence or Non-Violence?」。暴力か、非-暴力か?。学術情報サイト・JSTORより引用

  

220310a

   

「戦争は、クラウゼヴィッツによると、別の手段で行われた外交である」。この定義は有名だが、不幸なものだ。・・・中略・・・むしろ、暴力はすべての理性的議論の終わりである。同様に、戦争は外交の失敗である」。

   

話が逸れるが、冒頭のクラウゼヴィッツの言葉(?)は、1832年の『戦争論』(On war)からの引用だと思うが、デイリーによる言い換えか引用ミスの可能性もある。普通、有名なのは、「War is a mere continuation of politics by other means」だろう。戦争とは単に、他の手段を用いた政治の継続である」。

  

これについてはまた、別記事を書くかも知れないし、後ほどこの記事に追記するかも知れない。とりあえず、元の流れに戻ろう。とにかく、私が基本的な検索をかけてすぐ見つかった用例は、日本はもちろん、世界的にもほとんど知られてないようだ。興味のある方は、Googleで日本語か英語の完全一致検索を試してみることをお勧めする。

     

  

     ☆     ☆     ☆

それに対して、be動詞は抜きにして、「war "failure of diplomacy"」で検索すると、最初にヒットしたわりと古くて有名そうな言葉は、1991年、英国の政治家トニー・ベン(Tony Benn)のもの。デイリーの20年近く後。写真は英語版ウィキより

  

220310d

  

日本ではほとんど話題になってないが、労働党の中でも左派だったらしい政治家だから、戦争反対、外交で解決ということを強く主張するのは当然か。とにかく、毎度お馴染み、英語版ウィキクォートで簡単に出典が見つかった。引用句版のウィキ。

   

220310b

   

All war represents a failure of diplomacy.

すべての戦争は、外交の失敗(の1つ)を表している。

  

日本人にとっては細かい話だが、ここでは不定冠詞aを使ってある。先ほどのデイリーの時は定冠詞theだった。

   

政治家と哲学者の違いもあるだろうし、文脈や発言形態の違いもあるだろう。このベンの言葉は、湾岸戦争が一旦停止した時の対談の中での発言。Speech(スピーチ)と書いてるが、日本語のスピーチより広い意味で、単に発言ということだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

そして最後。3つ目の用例は、日本で非常に有名なドラッカーの「小説」の台詞。あくまで作り話、フィクションの中のセリフだから、ドラッカーが語ったわけではない。もちろん、小説に関連したものも含めて、本人が自分で語った可能性もある。

   

220310e

   

とにかく、1982年に出版した初の小説『The Last of All Possible Worlds』(すべての可能な世界の最後)の序盤に、主人公ソビエスキーの台詞でこう書かれてた。英語版のキンドル電子書籍の無料サンプルより引用。

   

220310cc

    

 I see it as the failure of diplomacy.

 私はそれ(戦争)を、外交の失敗とみなします。

  

この台詞は、デイリーと同じく、クラウゼヴィッツの有名な言葉やそうした考えに反対する形になってるが、ここでもクラウゼヴィッツの言葉が原型とは違ってる気がする。やはり色々と変形されて拡散してるということか。

   

ちなみにこのドラッカーの小説は、翻訳(邦題『最後の四重奏』、訳者・風間禎三郎、ダイヤモンド社)がキンドル電子書籍にあったから、無料サンプルを見てみたが、載ってなかった。一般に無料サンプルは、同じ著作なら、英語の方が日本語より(遥かに)長い。

  

220310f

  

紙の古い翻訳本では、「私は、“戦争は外交の失敗"以外の何物でもないと考えております」と翻訳されてるという情報があった(はてなブログの2年前の記事)。いずれ自分で確認するつもりだが、この訳文は文脈的に強調し過ぎだと思う。

   

   

     ☆     ☆     ☆

以上、代表的な英語の出典を3つ挙げてみた。最後に、私としては、内容的にどう考えるか。

  

戦争を外交や政治の延長と考えるクラウゼヴィッツの言葉は、一理ある興味深いものではあるが、人間心理や感情的に受け入れにくいことに加えて、発想が基本的に古いと思う。

  

少なくとも、ロシアや米国といった現代の核大国については適用できない。というのも、核兵器の戦争はすべてを終わりにしてしまうリスクがあるからだ。人間的な営みの継続などではなく、終焉、破滅になってしまう。核でなくても、一般に大量破壊兵器は政治の継続とは言えない。

  

また、AIが判断する戦争というのも、人間の外交や政治の延長とは言いにくい。たとえ元のAIを人間が作ったとしても。

   

   

     ☆     ☆     ☆

一方、「戦争は外交の失敗」という言葉にも、様々な問題がある。今回の炎上騒ぎのように、「侵略戦争は侵略された国の外交の失敗」(ウクライナの失敗)と解釈される余地があるし、もともと外交などあまり無かった可能性もある。

  

むしろ、「戦争には、外交の失敗または不在という側面もある」(by テンメイ)と言うべきだろうが、こういった細かくてハッキリしない表現だと、一般には普及しないのであった。特に、単なる一般人の言葉では♪ それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 3357字)

| | | コメント (0)

出張無事終了を「多とする」・・という日本語表現は(天皇陛下しか?)使えない♪(出典『史記』列伝・袁盎)

(23日)Walk 5km(荷物 7kg),50分,平均心拍117

消費エネルギー 350kcal(脂肪 140kcal)

  

フーッ・・疲れた。荷物が重いのだ。私もガラガラ買おうかな♪ 福引の抽選器(笑)。そっちか! 昨日の記事ネタだろ!

   

いや、キャリーケース。もう流行遅れかね? 一時期に比べて、ガラガラ引っ張る音が減った気がする。手提げとリュックで7kgの荷物を持ってスタスタ歩くのは、本気で疲れるのだ。ハーハー言ってしまったほど。ランニングか!

  

   

     ☆     ☆     ☆

さて、令和4年になってもまだ、2月23日に天皇誕生日の祝日があることに慣れてない人もいるだろう♪ 他人事か! まあ、まだ3回目だから仕方ない。「令和元年に2月は無かった」から。

   

ちなみに、この表現が正しいのかどうかは未確認。今後の研究課題としとこう(笑)。またか! 令和元年は5月1日から開始なんだろうと思うけど。

  

で、とにかく天皇陛下の記者会見が2月21日に(?)あったから、ネット上にもいろんな記事が出てた。マニアック・ブロガーは当然、「天皇 会見 全文」とかで検索。要旨や一部分じゃなくて、全文にありがたく目を通した。まさに「有難い」、なかなか見聞きすることがない言葉遣いや気遣いがあった。

   

  

     ☆     ☆     ☆

すぐヒットしたのがNHKと東京新聞のHPだったけど、今見ると当然、宮内庁のサイトにも全文(?)らしきものが公表されてた。

  

220224a

   

普通は、眞子さん(旧・眞子さま)、愛子さま、悠仁さまの話に注目する所だろうけど、私がアレッ?と思ったのは、最初の代表質問に対する非常に長いお答え。

  

たぶん、前半の「代表質問」はあらかじめ陛下(と宮内庁)が応答を練り上げて、後半の「関連質問」は即興のような形で応答したんだろうと思う。お言葉の長さがハッキリ違うから。

   

とにかく、最初の代表質問は、この1年のご感想と、ウィズ・コロナ、ポスト・コロナへのお考えを問うものだった。

   

    

     ☆     ☆     ☆

そのお答えの途中に、「こうした国民の皆さん一人一人の努力を深く多といたします」と書かれてる。

  

NHKで見た時、入力ミスかな?と思ったから、すぐ東京新聞でチェック。同じ言葉が書かれてる。宮内庁も同様。

  

「多とする」。いきなり耳で聞いたら、認識できそうにない表現だけど、一応、昔からあったらしい。日本国語大辞典と大辞泉(共に小学館)で調べると、意味は、「高く評価する」、「ありがたく思う」。「多」という一文字に、そんな感じの意味が含まれてるらしい。

  

用例が少ないから、使い方がまだ曖昧だけど、何となく自分自身の物事には使わない気がする。だから、自分の出張が無事終了したことを「多とする」とは言わないのだろう。自分でありがたく思ってるけど♪

  

では、天皇陛下のお元気なご活躍に対して、国民が「多といたします」と言えるかどうか。たぶん、おかしいと思う。そもそも一般市民には、陛下に直接感謝を伝える機会はないし、市民同士で「陛下のご活動はホント、多とするよね」とも言わないはず(多分♪)。

  

なお、代表質問の問3で眞子さんについて聞かれた時も、陛下は「様々な公的な活動に真摯に取り組んでいたことを深く多といたします」と語ってた。「深く多といたします」で、「深く感謝しています」という意味か。「深く」を前に付け加えることで、高評価というより感謝の言葉になると。勉強になったけど、自分で使う機会は一度もなさそうだ♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

ここでもう、ウォーキングの話で締めくくろうと思ったけど、ちょっと気になって、「多とする」の出典・由来を調べてみた。日本国語大辞典の説明の最後に、「〔史記-袁盎伝〕」とだけ書き添えてたのだ。約2100年前、司馬遷が編纂した中国の歴史書の一節にあるらしい。もちろん、最初かどうかは分からない。

  

その後、20分ほどかけて、ようやく原文らしきものを発掘。たぶん、これだろう。まず、中国語版ウィキソースより。史記101巻。「諸公聞之、皆多袁盎」。

  

220224b

  

「みんな、これを聞いて、袁盎を高く評価した」という意味の文らしい。『史記』の中の「列伝」、袁盎について説明する箇所の最後近くに書かれてる。

     

古い日本語訳が国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてたので、そちらも引用しとこう。書き下し文は簡単で、高校の中間テスト辺りで出ても不思議はない。「諸公、之を聞いて、皆袁盎を多とす」。『和訳 史記列伝 上巻』、玄黄社。明治44年(1911年)。

  

220224c

   

  

       ☆     ☆     ☆

もう、このくらいにしとこう。昨日のウォーキングの始めの30分は本当にきつくて、心拍もかなり上がってた。急いでたもんで、服も汗びっしょりになったほど。

  

220224d

   

普通のウォーキングは心地よいけど、荷物が重くて慌ててると、苦行とか修行になってしまう♪ まあ、それも半ば体育会系の男子の性(さが)なのだ。「努力を深く多といたします」とは、誰も言ってくれないのであった。

   

それでは、今日はこの辺で。。☆彡

    

      (計 2032字)

| | | コメント (0)

悠仁さま、ノンフィクション文学賞入賞作文(佳作)の引用・参考文献記載もれ&低心拍激重ジョグ

JOG 13km,1時間19分10秒,平均心拍 140

消費エネルギー 704kcal(脂肪 169kcal)

  

北九州市主催、第12回・子どもノンフィクション文学賞については、去年、記事を書いてる・・・と書き始めようとしたが、なぜか書いてなかった。受賞作はもちろん、選評までダウンロードして読んでたのに、なぜ書かなかったのか。

   

やはり単なる一般人ブログでも、皇室について語るのは、かなり遠慮する部分がある。特に、眞子さん(旧・眞子さま)ならともかく、皇位継承順位・第2位、実質的には第1位とも言える悠仁さまだと、書きにくくてスルーしたのかも知れない。形式的には、父親の秋篠宮さまが第1位だが、年齢を考えると悠仁さまの方が現実的。もちろん、愛子さまは別扱いとして。

   

ちなみに、佳作受賞がニュースで報道されたのは、2021年3月20日ごろ。それほど大きな扱いではないが、一応、テレビカメラの映像も付いてた。下は、当時のTBSニュースのキャプチャー画像と、今日の報道。既に宮内庁も悠仁さまも認めてるとのこと。ちなみに当ブログでさえ、「主要な」出典は「ほぼ」全て明示して来たし、「多く」はリンクを付けてる。

     

220216a

    

    

220216b

   

   

     ☆     ☆     ☆

悠仁さまが投稿された時の募集ポスターは、下の通り。令和2年の秋だから、まだ中学2年生の時のこと。

  

220216c

   

キャッチコピーは、「ほんとうの話には、ほんとうの感動がある。」。当然、小説みたいなフィクションよりは「ほんとう」であることが要求される。選考委員は、児童文学作家・那須正幹(まさもと)、ノンフィクションライター・最相葉月、俳優その他・リリー・フランキー。

  

悠仁さまの作品は下の通り。今現在でも、公式サイトで普通に公開されてた。正しい対応だと思う。北九州市立文学館の編集・発行、『受賞作品集』、p.74-p.82。

     

中学生の部、佳作、「小笠原諸島を訪ねて」、お茶の水女子大学附属中学校二年、秋篠宮悠仁。

     

220216d

  

コロナ禍の中、思い出を振り返ってみたということで、題材に選んだのは、「三年前、私が小学校五年生の夏休みに母と一緒に行った小笠原諸島への旅行です」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

最初に問題点を指摘したのがどこなのか、まだよく分からないが、有力候補の一つが雑誌『週刊新潮』と、デイリー新潮HP。明日(22年2月17日)発売の2月24日号では、表紙に1行だけ書かれてる。「『悠仁さま』入選作文に悲しき『盗用』疑惑」。

   

220216e

  

デイリー新潮では、雑誌に先行して、短めの記事を掲載。その後追いだろうか、既にNHKも含め、様々なメディアで報じられてる。明らかに別格の扱いだ。デイリー新潮が2枚の画像で指摘してるものを、そのまま結合して縮小引用させて頂こう。

  

220216f

    

なるほど、確かに『世界遺産 小笠原』(JTBパブリッシング、文・福田素子、2012年)の文章とよく似てるし、意図的に少し書き方を変えてるようにも見える。

  

JTB 「あるものたちは風によって運ばれ、また、あるものは海流に乗って。

悠仁さま 「あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によって運ばれ・・・

   

JTB 「いわゆる3W、風(Wind)、波(Wave)、翼(Wing)により、数少ない生きものだけが海を越えて小笠原の島々にたどり着くことができた

悠仁さま 「三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応したものだけが生き残ることができました

    

NEWSポストセブンの記事では、上の引用箇所の直前も酷似してると指摘してた。

   

  

     ☆     ☆     ☆

執筆時の悠仁さまは中学二年生の半ばであって、執筆時期は夏休みのようだから、まだ14歳になる直前。13歳の少年が、引用文献や参照文献の正しい扱い方を知らなくても、出来なくても、別に普通のことだ。特別な地位でなければ、ニュースにはならない。

   

実際、真面目に色々と調べれば調べるほど、引用や参照が増えてしまって、大人のプロでさえとても全ては記載できない。おまけに、大部分の読者は目の前の文章しか気にしないのであって、元のものを確認するのはごく一部の人達のみだ。それは私も、ブログの毎日更新16年半の経験を通じて確信してること。特に、海外の文献へのリンクはほとんどクリックされない。

  

ただ、ご両親や宮内庁から十分なチェックや適切なアドバイスがあったのかどうか。そこがまず気になる。その意味でも、すぐに非を認めたのは正しい対応だった。

  

  

     ☆     ☆     ☆

一方、盗作とか疑惑とかいう時、時間が前後する2つの文章を見比べて「似てる」というだけでは十分ではない。それら以外に、もっと前から一般に言われてることなら、盗作ではないし、引用とも言いにくい。長々と完全一致してる場合は別として。

        

試しに今、Googleで、期間を「2022年1月30日」より前に設定して、「小笠原諸島 Wing Wind Wave -悠仁さま」(「悠仁さま」抜き)の検索をかけてみると、簡単に2010年の個人ブログの記事がヒットする。おそらく、それ以前からある言い回しだろう。元は英語の可能性もある。by Wing とか。

      

220216g

   

ある文章が、他の文章の盗作とか無断引用とか指摘するためには、その2つ以外の様々なもの(特に昔のもの)を調べる必要があるから、人間の手ではかなり大変なのだ。だから学問の世界では、かなり前から専用のアプリ、システムも一部で導入されてる。基本的な知識とはいえ、まだまだ一般には十分に理解されてないので、ここであらためて強調しとこう。

  

とりあえず、悠仁さまは早い時期に良い経験をされたのだと思いたい。これ以上、問題が広がらないことを祈りつつ。。

  

  

     ☆     ☆     ☆

一方、単なる小市民ランナーは、1日休んだ後、今日は13kmジョグ。低心拍でのリハビリだから楽勝だろうと思ってたら、予想以上に脚の疲れが残ってて、心拍も高いまま。呼吸以外はかなりしんどい走りになってしまった。

  

トータルでは1km6分05秒ペース。久々の6分超えだけど、完走しただけでも良しとしとこう。実は序盤からもう、歩きたくなってた。気温6度、湿度50%、風速2.5m。新・心拍計は最初と最後が高めに乱れてたので、補正した。

  

それにしてもカーリングのかけ声(コール)は大きいな・・とか思いつつ、ではまた。。☆彡

    

   

220216h

       

       時間  平均心拍  最大

往路(2.4 km) 14分48秒 128 151 

LAP 1(2.1) 12分51秒 140 145

  2   13分10秒 142 147

  3   13分11秒 143 147

  4   13分10秒 143 147

復路(2)   12分00秒 145 157 

計 13km 1時間19分10秒 140(80%) 157(90%) 

    

      (計 2715字)

| | | コメント (0)

ポリュビオスの暗号(表)と解読方法の実例・解説~江戸川乱歩『黒手組』&ドラマ『真犯人フラグ』第14話

昨日(22年1月30日)の23時過ぎから、当ブログの6年前の記事にアクセスが急増した。

 

 点字を「南無阿弥陀仏」で表す換字式暗号~江戸川乱歩『二銭銅貨』(追記:頭脳王)
   

このアクセス急増パターンは、過去の経験上、テレビ番組の影響がほとんどだ。若者のテレビ離れとか、よく話題になるけど、まだテレビの影響力は圧倒的。例えば個人視聴率5%なら、視聴者は約500万人。その内の100人に1人がネット検索するだけで、5万人になる。しかも、SNS(ライブは別)と違って、テレビはほぼ同時にみんな調べるのだ。

  

テレビ番組表で調べても、何の影響なのか分からなかったから、「二銭銅貨」とかでツイッター検索。ところが、めぼしいツイートはほとんどヒットせず。諦めかけた時、ようやく分かった。

     

日テレのドラマ『真犯人フラグ』第14話の後半、江戸川乱歩の別の短編小説『黒手組』とポリュビオスの暗号が登場したらしい。TVerで動画をチェックすると、簡単な暗号を丁寧に解いてたけど、ドラマだけだと正確にはよく分からないはず。ここで簡単にまとめ記事を書いとこう。

  

以下、(1)ポリュビオスの暗号表、(2)江戸川乱歩『黒手組』の暗号、(3)ドラマ『真犯人フラグ』の暗号、3つに分けて説明する。

   

   

     ☆     ☆     ☆

(1)「ポリュビオスの暗号」

  

ドラマでこの名前で呼ばれてたものは、英語だと「Polybius square」(ポリュビオスの正方形)とか呼ばれてる。暗号を作る表が正方形になってるのだ。下は英語版ウィキペディアより

   

220131h

   

上図が、もとのギリシャ文字の変換表。ちなみにポリュビオスは、発明者ではなく、この暗号を完成させて有名にした古代ギリシャの歴史学者らしい。詳細は不明ながら、ポリュビオス自身の主著『Histories〔歴史〕』にそんな話が書かれてた。いずれにせよ、例えば「B」なら、上から1段目、左から2列目だから、「12」と表す。

   

220202a

  

☆追記: まんたんウェブが軽い記事で「ポリュビオスが発明した」と書いてるが、おそらくライターは主著や英語情報を調べてない。上の主著の引用文に、「クレオクセヌスとデモクレイトゥスが考案して、私が完成させた・・」と書かれてる。)

     

逆順で「21」にしてもいい。要するに、表の縦と横の並びを使って、元の1文字を2つの数字に分解して、暗号とする。文字を交換(入れ換え)するタイプだから、「換字式暗号」の一種。公務員試験にたまに出題されてる。

  

なお、英語のアルファベットだけ見ると「ポリュビウス」と読みたくなるけど、元のギリシャ文字を普通に読むと「ポリュビオス」になる。どちらでもいいような事だけど、気になる人は気になるはず。海外の人名・地名の日本語表記で「あるある」の話だ。この「あるある」は、ドラマの暗号シーンで芳根京子が語ったセリフ。

   

  

    ☆     ☆     ☆

(2)江戸川乱歩『黒手組』の暗号

  

これは、無料の電子図書館・青空文庫で公開されてる短編小説だから、誰でも自由に読める。ただ、かなりヒネリが入ってるので、ドラマより分かりにくい。

   

これは、文学作品とテレビの差でもある。一部の人(作者自身も含む)に高く評価されたいか、それとも、大勢の人に気に入ってもらいたいか。簡単に言うと、10万人が相手か、1000万人が相手か。その違い。

           

220131a

  

上が、手紙の形の暗号。基本的には、左端の漢字1文字だけで解読する。

   

220131b

  

それぞれの漢字の偏(へん)と旁(つくり)がそれぞれ何画かをまとめたのが、上の表。名探偵、明智小五郎が書いたらしい♪ 

 

偏は1~11、つくりは1~4まで登場してるから、あいうえおの五十音に関するポリュビオスの表(広い意味)を使う。正方形ではなく、長方形で、その方が応用範囲が広い。

  

220131cr

  

上の解読表は私が作ったもの。先ほどのギリシャ文字の時と違って、右から左へと進んでるのは、ドラマの映像がそうなってたから、向きを合わせただけ。別に左から右に進む形で書いても同じことだ。ちなみに、アは11ではなく、単なる1になってる。これは、11だと、漢字と対応しないから。

    

220131d
   

アスイチシシンハシエキ

  

実は、元の手紙だと、シとハに対応する漢字の右側の文字にバツ印が付いてた。それは濁点を表すものと考えると、「アスイチジシンバシエキ」。

  

明日一時新橋駅」。これが解読後の文で、それを使ってさらに名探偵の推理が続いてた。

   

  

     ☆     ☆     ☆

(3)ドラマ『真犯人フラグ』の暗号

  

220131e

   

上が元のメール文で、「ひかりんご」とかが暗号なのではなく、下の数字がポリュビオスの暗号。2215433311135143・・・。長々と数字を書いてると、Googleの検索ロボットに、怪しい記事だと誤解されてしまう♪ 主人公の西島秀俊らはすぐ気付いて、原稿用紙で解読してた。

     

220131f

  

解読表は、あいうえお五十音ではなく、アルファベット26文字。上下5段、左右6列だから、正方形に近い長方形。「ポリュビオスの暗号」という台詞を入れたかったということか。

   

ただし、ツイッター検索だと、「ポリュビオスの暗号」と書いたツイートはたかが20ほどしかヒットしなかった。みんな聞き取れなかったのか、入力が面倒だからか。下は、私が実際に解読してみた結果で、内容的にテレビ画面と一致してる。

    

GUNMAKEN SHIMODAGUN FULUMACHO ICHIKYUNANAHACHINOROKU

      

220131g

  

当ブログでは、以前はよくテレビドラマのこの種のネタを記事にしてたけど、映像に細かい書き間違いが混ざってることがよくある。

   

ところが今回は、長い暗号なのに1つも間違ってなかった。脚本家の高野水登と監修担当スタッフが優秀というか、マジメなのか。番号の切り方がちょっと変なのは、もともと暗号という設定だから、良しということで。

     

ひらがなにすると、「ぐんまけん しもだぐん ふるまちょう いちきゅうななはちのろく」。

群馬県 下田郡 富留間町 1978-6 ということか?

  

芳根京子のスマホの画面の左下に、「群馬県」という文字は確認できたけど、その右の町名がTVerでは読み取れなかった。地デジのテレビ画面なら読み取れたのかも。ちなみにツイッター検索で「真犯人フラグ 群馬県」を調べると、たった1人しかツイートしてなかった♪ まあ、実在しない町名だし、江戸川乱歩とポリュビオスの方が食いつきやすいのは当然。

   

というわけで以上、元のポリュビオスの暗号、乱歩『黒手組』の暗号、ドラマ『真犯人フラグ』の暗号について簡単に説明をまとめてみた。ではまた。。☆彡

     

      (計 2664字)

| | | コメント (0)

黒井千次『庭の男』全文レビュー~居場所も力も失った高齢男性(家の男)の不安と性的倒錯(窃視症)

2022年(令和4年)の大学入学共通テスト・国語・第2問に出題された、黒井千次の小説『庭の男』。出題された範囲だけ読むと正直、変な人の変な話という印象が強かったが、おそらく元の小説全体は遥かに優れたものだろうとは思ってた。

    

実際に読んでみると、予想以上に精密な構成の小説で、物語的な導入もオチも十分に付いてる。特に、ラストの綺麗な結末を読んだ時には、思わずニヤリと笑ってしまった。

   

間違いなく、小説の主人公の男性も苦笑したはずだが、単なるフィクションとはいえ、彼のその後をつい心配してしまう。あと20年ほどの余生、やがて嘱託の僅かな仕事も無くなるのに、平穏に過ごせるだろうか。差し当たり、会話が減った妻との熟年離婚は大丈夫だろうか。

   

極端な話、先日の大阪の放火殺人を思い出してしまうのだ。犯人と断定してもよさそうな容疑者は、61歳。ちょうど小説の男性と同じ年ごろで、妻や子供とは絶縁関係になってたとされる。未練を残したまま。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

さて、当サイトでは共通テストの直後、直ちにこの小説の記事をアップしてある。

      

 看板の視線への対人恐怖、軽い社交不安障害+限局性恐怖症(DSM5)か~黒井千次『庭の男』(2022年・共通テスト・国語)

  

その時点で(ほぼ)どこにも情報が見当たらなかった出典(初出)についても、探り出して明記しておいた。文芸雑誌『群像』1991年1月号が初出だろう。約30年前の作品だが、現代にもかなり通じる一般的設定となってる。定年かどうかはともかく、退職した年齢を計算すると60歳くらいになるから、現代とあまり変わらない。

    

ただ、隣の家の庭に、夜中に1人で侵入するという行動だけは、現在だとかなり異常だろう。直ちに警察に通報、逮捕されても不思議はないし、そもそも侵入と同時に、監視カメラや警報システムが作動する可能性もある。家の敷地をハッキリ分ける壁も、30年前と比べると今の方が高いと思う。高齢男性だと、壁を乗り越えるのが難しいかも知れない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

共通テストに出題された箇所は、全体の4分の1弱。もし小説を4分割するなら、前から3番目くらいの部分になる。ということは、出題箇所より前に小説の半分が書かれてるわけで、それを読むと、主人公の男性の気持ちに共感しやすくなった。

  

隣の家の庭にある看板の男(=「庭の男」)が気になるからといって、単なる「おかしい」人(小説内の表現)とは言い切れない。というのも、その男が見える場所(ダイニングキッチンの窓)は、「洞窟のように薄暗」い家の中でほとんど唯一の明るい場所だったから。洞窟の狭い入り口=出口で、変な看板の男がいつもジロジロと凝視していれば、男性(=家の男)が気になっても不思議はない。

     

ただし、妻はほとんど気にならないようだ。妻の外出は週3日、男は週2日。家にジッといる日数だけ考えると、あまり変わらないとも言える。

   

しかし、妻はおそらく元々そんな生活を送ってたのに対して、男はわりと最近まで週5日か6日は会社勤めをこなしてた。男の方が看板を気にするのは、そうした分かりやすい事情もあるだろう。もちろん、それだけではなくて、深く隠された事情もあるのだが。男の事情も、隣の家の事情も。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

ここで、ごく簡単に物語全体のあらすじをまとめてみよう。いわゆるネタバレになってしまうので、ご注意あれ。といっても、実際にはこの種の記事に検索アクセスする読者の半数くらいは、あらすじやまとめのような簡単な情報を求めてると思われる。

  

男が長年勤めた会社を退職して、家にいることが多くなる。家の南側は明るいが、既に独立してる子供たちの部屋なので自由に使えないし、そこを男が使おうとすると妻が嫌がる。妻はいずれ、子どもが戻ってきて同居してくれることを期待してるようだ。

  

そのため、男は北側の端のダイニングキッチンか、その内側の暗い居間にいることが多い。ほとんど唯一明るい場所である、キッチンの窓からは、隣の家の庭の看板が見える。その看板には大きな男が描かれていて、こちらを凝視しているようで気になる。看板はプレハブ小屋に立てかけられたもので、その小屋には中学生くらいの息子が住んでるようだ。

  

(ここから共通テストの出題箇所が開始)

妻に相談してみると、意外なことに自分の側に立ってくれて、裏(=隣)の家の息子に頼んでみたらと示唆してくれた。しかし、話の切り出し方が難しい。ある日、たまたま道でその息子と出会ったので、看板をどかしてくれるよう頼んでみたら、途中で無視されただけでなく、「ジジイ」とまで叫ばれてしまった。そんな不快なことは、妻には言えない。

  

その夜、懐中電灯を持って隣に忍び込んでみると、看板の「庭の男」は単なる板に見えたので、「案山子にとまった雀はこんな気分がするだろうか、と動悸を抑えつつも苦笑した」。しかし、板はプラスチックに似た物で、意外としっかりした作りになってる。

  

それを動かそうとすると、針金とボルトで固定されてた。「あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」。

(以上でテストの出題箇所は終了)

   

その時、小屋から女の子のかすかな笑い声が聞こえた。驚いて耳を澄ませたが、声が消えた後には音楽が聞こえるだけ。気になりつつ、男は自宅にこっそり引き返す。その後は、「庭の男」との関係も変化。お互いに、相手をのぞき見男(ピーピングトム)扱いする形で、にらみ合うようになった。単なる看板と、本物の人間とで。

   

その夏の終わりの夜中に突然、隣の家で激しい親子喧嘩が発生。女の子の泣き声も聞こえた。翌日、男が週2日の仕事に出かけてる間に、看板もプレハブ小屋も無くなってしまった。妻は片付けの様子を見てたらしい。

  

「『貴方のお友達の看板ね、あれもトラックに積んで運んで行きましたよ・・・寂しくなったでしょう。』 突然妻はけたたましく笑い出した。 『何がおかしい。』 『だって、寂しそうだからよ。』 笑い声は狂ったように高くダイニングキチンに響いた・・・」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

この簡単なあらすじだけでも、共通テストが何を避けてるのかは明白だろう。「性」を回避してるのだ。隠蔽とまで言えるかどうかは微妙だが、見事に「性」の話を直前で避けてる。若い男女の性、それをのぞき見(盗み聞き)しようとしてしまう高齢男性の軽い性的倒錯。

      

実はテストの引用箇所の前側で既に、性の問題はほのめかされてたのだ。看板の左隅には、「女だけ半裸の抱擁シーン」が描かれていたのに、妻は気付いてない。だからこそ妻は、看板について、「ヌードなんかよりはましですよ」と話してる。

    

妻のその言葉と、夫婦の会話がますます少なくなってるという説明、さらに年齢を合わせると、おそらく男と妻の性的関係は完全に消えてる。

   

行き場と能力を失った高齢男性(「ジジイ」)の性的欲望は、哀しいことに、隣の庭の看板の片隅に描かれた僅かな性的表現に向かおうとしてしまう。そのあまりに些細な欲望の動きをさえぎる検閲者こそ、看板の男の目線、凝視なのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

これが考え過ぎとか過剰な深読みでないことは、看板の男の背後のプレハブ小屋で男女の関係が生じてたこと、さらにそれが物語の劇的な結末に直結したことからも明らかだろう。

  

実は、看板の男の胸の前には、「初老の男性の、より小さな姿」まであった。ということは、その看板には4人が描かれてる。半裸で抱き合う男女と、初老の男性と、その後ろにそびえる「庭の男」。初老の男が「ピーピングトム」(のぞき魔)的なことを行うのを、庭の男が阻止する形だ。看板の情景は、現実の情景の表象となってる。

     

そして、なぜ少年が針金とボルトでその看板を固定していたのか。少年の側の意図もハッキリ分かるのだ。それは一方では、「のぞくな」という警告になってる。しかし他方では、「のぞくな」という警告によって、自分たちが小屋でのぞかれるような事をしてると伝えてるのだ。あるいは、誇示してると言うべきか。

   

少年は、看板を持ってくるより先に、「立入禁止」という立札を用意してた。「立入」を警戒されてるのは誰か? 壁を隔てた隣の家のジジイではないはず。自分の家の親、特に父親だろう。

   

もちろん、これもまた(無意識的に)、「露出魔」のような効果ももたらしてるわけだ。立入禁止にしたくなるような事を自分がしてるのだと、暗示する形だから。オレは可愛い女の子を手に入れたぞ。恥ずかしがりつつ、つい周囲に自慢したくなるのが中学生ということか。

  

   

      ☆     ☆     ☆

最後に、男の「寂しそう」な姿について。これは、「庭の男」の別の側面から来たものだろう。

    

つまり、庭の男は、家の男ののぞき見を阻止すると同時に、自分が小屋の中をのぞき見するような位置に立ってる。そして、自分自身ものぞき見を禁じられてるのだ。針金とボルトによる金縛りの固定で、視線の向きを変えることができないから。

   

だから庭の男は、家の男にとって、敵であると共に友人でもある。寂しく哀しい、のぞき仲間。先日の共通テスト記事では、精神医学の標準的な診断統計マニュアル『DSM5』に言及したが、作品全体を読むと、パラフィリア障害群の窃視障害(Voyeuristic Disorder)こそが隠された主題だろう。テスト出題者の意識にとっても、隠されたままだったかも知れない。

     

既に時間も字数も尽きたので、さらなる精神医学的・精神分析的な解釈は差し控える。妻の本音や実態を想像すると、全く異なる解釈も可能だろう。

   

妻の外出は本当に、革細工か俳句か日本料理の教室だけだったのか。妻は本当に看板の隅に気づいてなかったのか。そして最後、なぜ「狂ったように高く」笑い声を響かせたのか。

            

とにかく非常に興味深い、巧みな構成の小説だった。なお、今週は計15768字で終了。ではまた来週。。☆彡

    

       (計 4025字)

| | | コメント (0)

看板の視線への対人恐怖、軽い社交不安障害+限局性恐怖症(DSM5)か~黒井千次『庭の男』(2022年・共通テスト・国語)

☆追記: 小説全体についての別記事新たにアップ

 黒井千次『庭の男』全文レビュー~居場所も力も失った高齢男性(家の男)の不安と性的倒錯(窃視症))

   

   

     ☆     ☆     ☆

毎年、ネットで注目を浴びてる共通テスト(旧・センター試験)の国語の問題。今年はツイッター検索を見る限り、第1問の評論の方が話題になってる感じだが、あえてまた第2問の文学(小説)で記事を書くことにしよう。最近はこんな時くらいしか、小説を読む機会が無くなってる。

   

220115a

   

今年(2022年、令和4年)の作品は、黒井千次(せんじ)『庭の男』、1991年。講談社文芸文庫『黒井千次自選短編集 石の話』に収録。自選ということは、作者本人の自信作か、お気に入りということだろう。

   

220115b

出題される前の情報はなかなか見当たらないが、国立国会図書館HPで調べると、どうも雑誌『群像』91年1月号が出典(初出)らしい。p.158-173だから、単純計算すると17ページの著作で、問題で引用された部分は全体の5分の1前後だろう。

       

220115c

    

   

      ☆     ☆     ☆

黒井千次について検索をかけると、内向の世代、サラリーマン、日本文芸家協会理事長、日本芸術院長、文化功労者といった言葉が並ぶ(コトバンク、ウィキペディア他)。東大・経済学部卒。本名、長部舜二郎。日本大百科全書は「舜治郎」と書いてるが、おそらく誤字で間違い。現在89歳の大御所だが、さすがに近年は作品の発表が減ってるようだ。

   

『庭の話』は58歳の時の作品だから、ひょっとすると本人の体験をリアルタイムで描いた私小説かと思ったら、全く違ってた。本人は早めに会社を辞めて、作家に専念。ただ、同世代の労働者たちが定年退職などで会社を辞めた後、どうするのか、どうなるのか、気になるのは自然なこと。

    

220115f

   

問題は毎度おなじみ、河合塾HPからダウンロードさせて頂いた。問題の分析を読むと、「第2問は、かなり解きにくい問題もあるが、全体としては昨年の第1日程とさほど変わっていないと思われる」とのこと。一昨年以前のセンター試験時代との比較はしないということか。本文の分量はやや少なめだが、後で変則的な問いが入ってる。

  

  

      ☆     ☆     ☆

出題された範囲だけだと、あらすじは次の通り。ネタバレなので注意。ちなみに小説の全文は、いずれ近い内にチェックしたいと思ってる。

      

会社勤めを終えて自宅で過ごすことが多くなった男性(私)は、隣の家の庭の立て看板に書かれた男が気になりだす。自分はまるで案山子をどけてくれと頼む雀のようだ、とも感じてる。隣家の息子(まだ少年)のためのプレハブ小屋に立てかけられた、単なる看板。

  

それでも何とかどけて欲しいと思ってた時、道でたまたま少年と出会ったので、看板を移動するか裏返しにして欲しいと頼むが、無視されて「ジジイ」と叫ばれてしまう。その日の夜になっても看板はそのままだったので、「私」は隣家の庭に侵入。看板は予想外にしっかりした作りで、針金で固定されてて、動かすことも出来ない。

  

あ奴はあ奴でかなりの覚悟でことに臨んでいるのだ、と認めてやりたいような気分がよぎった」。ここで問題の本文は終了。

   

   

      ☆     ☆     ☆

引用された箇所だけ読むと、まるで一件落着のようにも感じられるが、おそらく小説の全体はそうなってないと想像する。少年を少し見直すことと、看板の男への不安・恐怖とは、別次元の話のはず。

  

一読した後、いつもの事ながら作家は変な話を考えるなと思ったが、よく考えてみると、私も似たような体験をいくつもしてた。すぐには思い出せなかったということは、不快なものとして、私の心の奥、無意識へと抑圧されてたのかも。

     

最初に思い出したのは、小学生の頃、実家のリビングルームに貼ってあったポスターかカレンダー。女性が多かったと思うが、その目線がなぜか気になり始めたのだ。

  

そこで、自分の位置を横にずらしてみたけど、写真や絵の視線は私を追って来る。下にズレても逃げられない。どうも、被写体がカメラや画家に目線を向けてた場合、作品を見る側にそうした心理的な効果が発生するようだ。怖いというほどでもなかったが、子供心に、変なことがあるものだな、とは思った。

     

次に思い出したのは、田舎から首都圏に出て来た後、部屋の窓から道を挟んだ位置にあった、よその家の窓。そこに人影を見たことは確か一度もないが、私はその窓がかなり気になってた。距離は20mくらいか。そこからライフル銃で撃たれるような不安を感じたのだ。ひょっとすると、その窓にぶら下がってた風鈴の音が大きく響いてたことも関係してるかも知れない。

  

さらに、そう言えば人形や古い絵も怖かったなと思い出した。それは視線とはあまり関係ないが、要するに、人間に似た、人間ではない存在だろうか。

     

ちなみに、ロボット開発の世界では「不気味の谷」という用語があるらしい。人間にある程度似たロボットやアンドロイドは不気味だが、もっと似て人間そっくりになると、不気味さが消えるとか。

   

  

      ☆     ☆     ☆

小説の引用箇所の場合、序盤に、看板は「裏返されればそれまでだぞ」とか、「一方的に見詰められるのみ」といった表現があるので、その男性=「私」が気になって仕方ないのは主に、「庭の男」の視線だろう。本物の人間ではないが、他者の目線、まなざしの力、圧迫感。

  

そこで、関連する語句(フレーズ)で画像検索を行ってみたが、意外とピッタリ来る画像が見当たらない。目立つのは、完全なホラーか、あるいは女性の日本人形とか。単なる男の絵か写真で、なるほど怖いなと思えるものがないのだ。

  

あえて、著作権フリーのものから引用するなら、こんな感じだろうか。ただ、不審者イラストはちょっと目線が怖すぎるし、逆に案山子は目線がない。案山子は、十字架に磔(はりつけ)になった罪人や犠牲者の姿にも見える。

      

220115e

  

220115d

   

上のどちらも真っ黒になってる辺り、黒人が文化的・社会的な「黒」の扱いに異議を唱えるのも無理ないこと。ただ、申し訳ないが事実として、少なくとも日本人には、真っ黒の人物のイラストは恐ろしく感じられるのだ。先天的な反応か、後天的な学習効果なのかはさておき。

      

お化け屋敷の中は暗黒だし、怪談には深夜が付き物。今回の小説で、主人公が「庭の男」と対面したのも、懐中電灯が必要な夜中だった。

     

   

     ☆     ☆     ☆

続いて、視線の不安について検索すると、すぐヒットしたのがNHKの昨年秋の健康記事。"「人が怖い」「視線が気になる」と感じる社交不安症の症状、チェック法、治療"。

  

220115g

  

社交不安症は、人と関わるさまざまな状況で強い不安を感じ、日常生活に支障を来すようになる病気です。かつては『対人恐怖症』と呼ばれてました」。治療は、薬(SSRI=選択的セロトニン再取り込み阻害薬)や認知行動療法を用いると。

   

かつては、というより、今でも「対人恐怖」という用語の方が遥かに分かりやすい。それが専門家によって「社会不安障害」と呼ばれるようになったのは、米国精神医学会の精神疾患マニュアル『DSM』の影響だろう。social anxiety disorder の直訳。

   

ところがこの訳語がさらに、「社交」不安障害とか「社交」不安症という馴染みのない訳語になってしまってる。socialの訳が「社会」から「社交」へと変更されたのは、2008年らしい。社交などという言葉は、社交ダンスくらいしか使わないので、誤訳に近いと言いたくなるし、実際、批判もある。

   

しかし、それなりの事情もあるようだ。英語の social を「対人」と訳すのは難しい。一方、社会というより、人との「交わり」に関する障害、症状だから、社「交」の方が誤解が少ない、といった感じか。

  

さらに、「disorder」を「障害」と訳すのも偏見や誤解をもたらす恐れがあるから、単に「症」と訳すことも認めると。結局、「社交不安症」という奇妙な用語になってしまったから、あまり普及してない。

    

   

      ☆     ☆     ☆

最後に、精神医学の世界的バイブルであるDSM5(第5版)の解説書を調べると、小説の主人公の場合、社交不安障害というより、「限局性恐怖症」に近いかも知れない。

   

そもそも、本物の人間と看板の人との「社交」不安というのも、不自然な発想だし、主人公の場合はほとんど知らない少年にわりと強気で自分から近づいて話しかけてる。怖いのは、単なる看板に描かれた「庭の男」のみだから、かなり限定された恐怖だ。

          

限局性恐怖症というのも変な専門用語で、一般にはほとんど使われてないが、元の英語は specific phobia 。何か特有のものに対する恐怖症。

  

診断基準は、「特定の対象または状況(例:飛行すること、高所、動物、注射されること、血を見ること)への顕著な恐れと不安」など。もちろん、看板の男という例は挙げられてないが、わざわざ不法侵入までするくらいだから、特定の対象への顕著な不安だろう。1対1で立ち向かったのだから、恐怖とまでは言えず、むしろ不安と言うべき。

   

   

      ☆     ☆     ☆

なお、試しに英語版ウィキペディアで、scopophobia(視線恐怖症)の項目を確認すると、「社交不安障害+限局性恐怖症」という私の個人的な見方はかなり正しいようだ。

   

220115h

  

視線恐怖症は、数ある恐怖症の中でもユニークなものである。見られることへの恐れは、社交恐怖症と限局性恐怖症の両方だと考えられる」。

  

いずれにせよ、男性=「私」が、隣の庭の看板の男や視線を気にするのは、退職して家に引きこもりがちになった生活と深く関わってると思う。妻を除いて、他者との関係が珍しくなると共に、どこか自分の現在の状況を恥ずかしく思ってる。外部から、暇な隠居生活だね、と嘲笑されてるように感じてしまう。何となく罪悪感もある。

   

だからこそ、「ジジイ」という言葉が余計に胸に響いたわけだ。家にいるだけで社会的には役立たずの高齢者になってしまったという、自分の淋しい実感を増幅されてしまったから。まだ未来に大きな可能性を持ってる若い少年によって。

  

  

     ☆     ☆     ☆

ただ生きてるだけでいい。そう言ってくれる人、そう認めてくれる人が周囲にいるかどうか。そう、自分で思えるかどうか。超高齢化社会の日本にとっては重い現実的問題だろう。もちろん、その一方では、高齢者の生活を支える労働や生産を担う人達も必要なのだ。医療、介護だけでなく、生活全般において。

   

共通テストの初日の朝、東京大学で高齢者を含む3人の刺傷事件を起こした高校2年生の少年も、東大医学部など行かなくても十分生きていけると思えれば、こんな事にはならなかったはず。医学部など、他にいくらでもあるし、医者以外の職業もいくらでもある。理由、原因、背景はどうだったのか。今後の続報に注目しよう。

       

れでは今日はこの辺で。。☆彡

  

 

     

cf. フィクションとしての妖怪娯楽と、フーコー的アルケオロジー(考古学)~香川雅信『江戸の妖怪革命』(21年・共通テスト・国語)

 妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語

 妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪~井上荒野『キュウリいろいろ』(18センター国語)

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』~17センター国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター国語

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』~15センター

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター

    

       (計 4678字)

  (追記76字 ; 合計4754字)

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧