遠藤周作の小説「影に対して」(26共通テスト国語)全文レビュー・書評 ~ 母と父、私の2つの影とエディプス・コンプレックス

毎年、このブログで恒例となってる、共通テスト(旧センター試験)の記事。特に、小説の全文レビューの需要が非常に多いので、今年もまず、小説の全体の書評を書くことにしよう。

    

国語の試験が14時半に終わると、SNS(特にX:旧 twitter)には受験生のつぶやきが溢れる。昔はその中に、問題文の画像が少しだけ混ざってたけど、今年はあらかじめ注意が徹底されてたこともあって、何が引用されたのかもなかなか分からなかった。

   

やっと評論と小説のタイトルを書いた投稿を発見したのは、約30分後の15時ごろ。待ち構えてた私は、直ちに元の小説を読みながら、ニヤニヤと笑ってしまった。

  

普通に考えると、笑う内容ではなく、重くて暗い内容。ただ、各年代における主人公の気持ちがどれも分かるし、父と母の気持ちや言い分もよく分かる。私がいっぱい登場してるよな・・と思って笑ってたのだ。

   

ということは、登場人物たちは、私の「影」でもある。つまり、私と「密接に結びついてる似姿、暗くて黒い分身」。

   

   

     ☆   ☆   ☆ 

さて、遠藤周作の未発表作『影に対して』。わずか5年ほど前、2020年に発見されたこの作品は、まず『三田文学』2020年夏季号に掲載。解説も2つ付いてた。

   

☆追記: 執筆は1965年~1969年と推定されてる。完成はおそらく1966年3月以降。)

     

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続いて同年、新潮社の単行本『影に対して 母をめぐる物語』が出版。「影に対して」という表題作以外に6本の小説がまとめられてるから、題名に「母をめぐる物語」と添えられてる。

   

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未発表作そのものには、このような副題は付いてないので、念のため。さらに2023年には、新潮文庫にも収録。ただし、「母なるもの」という作品だけは別の文庫本の表題作になってる。

   

   

     ☆   ☆   ☆  

単行本の中で、表題作「影に対して」は、実質的にp.9からp.81までの73ページ。その内、共通テストの国語・第2問で引用されたのは、p.40~p.46の7ページ分だから、全文の10分の1にすぎない。

    

ただ、普通に読解するだけなら、決して難しい物語ではないから、読みやすいと感じた受験生も多いと思う。要するに、父と母と子の関係という普遍的なものを描くストーリーだから、理解も感情移入もしやすいはず。

  

ちなみに、その小説は、かなり作者本人の自伝に近い私小説的な作品と考えられてるようで、NHKのETV特集でも2021年にミステリアスなドキュメンタリー的特別番組が放送されてた。「遠藤周作 封印された原稿」。現在はオンデマンドで視聴可能。

     

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     ☆   ☆   ☆

さて、「影に対して」というタイトルは、冒頭のまえがきで書いたように、主人公(かつ筆者)である私・勝呂(すぐろ)有造の「暗くて黒い分身に対して」という意味だろう。もう1人の闇の私、ダーク・エゴ。闇とは、「病み」でもある。広い意味で。

       

その影とは、表面的にはまず、母を表すように見える。実際、だからこそ単行本や文庫本では、「母をめぐる物語」として扱われてる。

   

共通テストの問題冒頭、引用直前の説明でも、「彼は母のことを思い出しては現在の自分の生き方について考えるようになる」とだけ書かれていて、父という言葉は使われてない

  

   

     ☆   ☆   ☆

以下、いわゆるネタバレになるので、ご注意あれ。すぐ手に入る新しい本だから、自分で先に全体を読むのは簡単。電子書籍にもなってるから、ネット購入すれば今すぐ読める。

    

母の勝呂(すぐろ)節子は、ヴァイオリンを極めようとして、結婚して子供が生まれた後も練習に打ち込んでた。それが、夫(主人公の父)や伯母に強く批判されて、結局は普通の専業主婦のような暮らしを始める。

    

でも、本当は一つの音を追求したい性格・生き方だから、内心では強い不満を隠し持ってる。母のそうした葛藤、つまり主人公の影の陰(または翳)は、やがて病院行きにもつながってしまう(おそらく服薬による自殺未遂)。

   

結局、父親に捨てられるような形で離婚して、満州から日本に帰国。息子とはほとんど会えないようになった後、ヴァイオリンでも上手く行かず、孤独死してしまうのだ。

   

   

    ☆   ☆   ☆

一方、母を愛する息子=主人公も、本当は小説家を目指してる。でも上手く行かないし、家族(妻と息子)を養う必要もあるから、仕方なく翻訳家で生計を立ててる。

   

でも、それは母を捨てた父のような、平凡で安全な生き方。母も、自分ならではの独自の生き方をして欲しいと、息子に強く話してた。歩きやすいアスファルトの道ではなく、歩きにくくても自分の足跡が残る砂浜のような道を歩いて欲しいと。

   

しかし現実として、母は1人さみしく死んでしまって、アパートの管理人に発見されることになった。砂浜に足跡を残したとしても、ほとんど注目されないまま消えてしまって、自分の記憶に残ってるだけ。

  

それどころか、どうも周囲の大部分の人に冷たい視線で見られてたらしい。母の従兄にも、成功したヴァイオリン仲間にも、学校の教え子たちにも。

      

それでは自分は、今後どう生きるべきなのか。愛する母を追うのか。それとも母から自立するのか。母子未分、一体化された幼児的状態から、分離不安を断ち切って、独立した存在になれるのか。。

  

   

     ☆   ☆   ☆

今年の共通テストが問題にしてたのは、そうした部分、側面にほぼ限られてる。

    

基本的には、文字通りの意味での「マザー・コンプレックス」。劣等感とか、通俗的な意味でのマザコンいうより、母に対する複雑な思い。母という「影に対して」強く持ってる、様々な感情や考え。同じく自伝的な遠藤の小説「母なるもの」には、「母に対するコンプレックス」で嘘をついてたという記述もある。

   

しかし小説の全体を読んで考えると、本質的にはむしろ、父の方を強く表してるのではないか。つまり「ファザー・コンプレックス」、父という「影に対して」強く持ってる、複雑な思い。

    

私がそう思い直すキッカケになったのは、ネットでも(ほとんど)全く注目されてない、父の不思議な趣味だった。主人公である息子も、その中身については考えてない。読者の大部分も、おそらく分からないまま素通りになると思う。私がある独自解釈に気づいたのも、半ば以上に偶然だった。

   

☆追記: この小説の仮題は「男」だったらしい。やはり、父親を中心に書かれた小説なのだ。専門家・山根道公の論文「遠藤周作『影に対して』より。『三田文学』2020年・秋季号。)

   

   

     ☆   ☆   ☆

小説の序盤(単行本p.13~)、は、翻訳家になってる息子に対して、原稿用紙300枚もの長い文章を書いたから有名出版社を紹介して欲しいと頼む。李商隠の伝記。電子書籍の無料サンプルでも確認可能。この妙なエピソードは、小説の結末の直前にも再登場する。

   

昔の中国の詩人で、知る人ぞ知る存在だけど、普通の日本人なら知らない存在、気に留めない人名だろう。私が知ったのは去年、三浦しをんのベストセラーをドラマ化した『舟を編む』をNHKで見て、レビュー記事を書いたから。

    

原作小説で引用されてるのが、李商隠の有名な漢詩の一部。

    

 嫦娥応悔偸霊薬

 碧海青天夜夜心

   

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上図は、ウィキペディアの項目「嫦娥奔月」より。詳しい説明は、以前のドラマレビューに書いたので、ここでは省略する。要するに、私と専門家の1人は、こんな感じで解釈してるのだ。チャッピー(最新AI、ChatGPT5.2)も賛成してくれた。

    

 彼女はどうして、遥かな月の世界へと旅立ってしまったのか。

 今ごろ後悔して、こちらの世界を見てるんじゃないか。

 そう思いたいほど、彼女に対する私の思いは今でも強い。。

    

   

     ☆   ☆   ☆

これこそ、「影に対して」における、父の思いではないか。

  

 妻はどうしてヴァイオリンの世界へと旅立ってしまったのか。

 今ごろ後悔して、昔の家族生活を思い出してるんじゃないか。

 そう思いたいほど、別れた妻に対する私の思いは今でも強い。

  

父のそうした思いは、共通テストの引用箇所の直前にもハッキリ表されてる。離婚する前、母が演奏会を開いた時、父は廊下の椅子に座ったまま、壁と向き合って座ってたのだ。

  

父のうしろ姿には、だれからも相手にされない、寂しそうな翳があった」。

  

その姿を見る息子も、演奏会を抜け出して1人でトイレに向かう途中。他の誰かが見ればまさに、「息子のうしろ姿には、だれからも相手にされない、寂しそうな翳があった」ということになるはず。

  

ちなみに、男児がトイレ(便所)に行くということは、普通なら性器を触ることになる。母という愛する女性に相手にされなくて、自分の手で男性器を触る。非常に性的、自愛的な象徴表現。

    

そこで、ポイントになる言葉の「影」(かげ)が、「翳」という感じで書かれてる点も見落とせない。影=かげ=翳=父。「影に対して」という題名が、母だけでなく父に向けられてることが明示されてる部分の一つ。

   

   

   ☆   ☆   ☆

最後に、ウィキペディアの「遠藤周作」の項目にもある、エディプス・コンプレックスという概念と結びつけてみよう。

  

単行本の後半に収録された「母なるもの」という小説に、「精神分析学など詳しくはない私」といった表現が含まれてる。ということは、一応知ってるし、意識してるということの裏返しだろう。そこでは、母に似た人物が登場する夢を見る話が書かれてた。

      

フロイトが1900年ごろに創始した精神分析学の中心概念の一つで、神話のエディプスみたいな複雑な思いという意味。ごく簡単にまとめると、男の子の場合、父への憎しみと、母への愛ということになる。父殺しと近親相姦。

     

ちなみに、古代のエディプス神話では、息子のエディプスが知らないうちに(無意識の内に)父を殺して、知らないうちに母と結婚。その後、自分で気づいて、罪悪感に苦しむというような物語が展開されてる。

    

  

    ☆   ☆   ☆

ただ、ごく簡単にそうまとめてしまうと、その後はどうなるのかが抜け落ちてしまう。最も重要なことは、男の子は父を殺す代わりに、父と「同一化」するという点なのだ。そうすれば、母は父の妻だから、自分の妻ということになって、危ない葛藤は解消される。特に、無意識の領域では。

       

例えば、フロイトの「エディプス・コンプレクスの消滅」という論文では、次のように書かれてた。

  

「子供の自我は、エディプス・コンプレクスから目をそらしてしまうのである。・・・リビドーの対象充当が放棄され、同一化がこれに代わるのである。父親または両親の権威が自我の中に取り入れられ、そこで超自我の中核となる」(人文書院『フロイト著作集』第6巻)。

  

☆追記: 先ほどの追記のように、この小説の仮題が「男」だったとすると、遠藤周作自身が、父と自分を男として同一視してることになる。つまり、同一化を認識してるのだ。)

   

   

    ☆   ☆   ☆

小説の最初と最後が、実は、父との同一化について暗示してるのだ。冒頭は、主人公が、父との写真を見てるシーンになってる。

   

「・・・父と一緒である。どの写真のなかでも、今の彼と同じ年頃の父は愛想笑いを浮かべていた。(彼は自分も写真をとられる時、この父と同じように、気の弱そうな微笑を頬に浮かべることをふと考えた)

   

父と「一」緒、父と「同じ」。小説の最初から、これほど分かりやすい同一化の描写があるのは珍しいはず。

    

   

    ☆   ☆   ☆

ところが小説の最後。息子である主人公は、あれほど反発してた父にお金を借りに行くハメになる。自分の息子である稔(父の孫)の病院代。そして、妻にこう言われてしまうのだ。

    

あなたなんか、お父さまぐらいにも、なれないんじゃありませんか

   

父との同格の同一化に失敗する可能性。取り込まれてしまう恐れ。愛する母は、既に淋しく死亡。母の代わりになるはずの妻にも冷たく扱われてる。妻の言葉に激怒した息子は、妻を撲ろうとしたけど、父よりも気弱だから出来ない。

   

行き場を失った絶望的な場面で小説は終わる。最後に彼が思い浮かべたのは、「母の死顔」、「まだ苦しそうな翳」だった。

   

   

     ☆   ☆   ☆

他にも、母の演奏会の時、父と息子は同じく廊下で孤独な思いをする。現実の遠藤周作がどうだったのかは、また別の機会に考えてみたい。とりあえず私も、ブログにこだわり過ぎて孤独死するリスクは避けるとしよう♪

  

今週は計19380字で終了。それでは、今日の所はこの辺で。。☆彡

   

  

    

cf. 蜂飼耳の小説「繭の遊戯」(25共通テスト国語)全文レビュー・書評

  ~ 家畜として玉繭で糸を出した蚕の幼虫、成虫で飛び立てたのか

   

 牧田真有子『桟橋』(24共通テスト国語)、全文レビュー・書評

   ~ 漁師に拾われた魚、捻じ切れた血の橋を自分で生き始める

   

     (計 4883字)

(追記212字 ; 合計5095字)

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事実をもとにしたマンガ『塀の中の美容室』、東京拘置所で受刑者の矯正教育プログラムに採用&リハビリ14km

(19日)リハビリ JOG 14.2km,1時間21分25秒

平均心拍 115,最大 131

WALK 2km,24分,3000歩

   

   

    ☆   ☆   ☆

最近は朝、NHKニュース『おはよう日本』を見ることが多い。と言っても、画面を見る余裕はなかなか無いから、音声中心の流し見がほとんどだけど、昨日は途中で特集に引き込まれた。

  

刑務所。入ったことも行ったことも無いけど、誰でもみんな、紙一重だと思う。運とか偶然の部分が大きい。特に、恵まれない環境で育った場合とか。

    

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刑法改正で、これまでの懲役と禁錮を、拘禁刑に統一。受刑者を懲らしめるより、矯正と再犯防止、社会復帰支援に力をいれるようになったらしい。その実際の様子の取材。

    

正直、そんなにすぐ上手く行く試みとも思えないし、正しい事かどうかもよく分からない。罪人の刑務所が、宿泊費・食費・教育費すべて無料の学生寮・合宿所みたいになってしまうと、一般社会との関係やバランスに疑問が生じる。一般人の税金で支えるわけだし、一般人が教育を受ける際にはそれなりの費用を自分で払うのだから。学校もセミナー・講習の類も、安くはない。

   

あまり待遇を改善すると、わざと刑務所に入ろうとする人が増えても不思議はない。ただ、理想論としてなら正しい方向性だろうし、多様性の共生という時代の流れにも沿ってそうだから、興味深い社会実験ではある。

   

東京拘置所では、教育プログラムにマンガも利用。誰でも気軽に読めて、感情移入しやすいから。特に注目されてたのが、『塀の中の美容室』という漫画。それも含めて3冊、平積みにされたマンガを見て、ちょっと気になったから調べてみると、やっぱり全て、小学館のマンガだった。『塀の中の美容室』、『ドラえもん』、『ルックバック』。

    

実は、このプログラムを運営してるのが、小学館が中心となって出来た会社、小学館集英社プロダクション。ウィキペディアによると、集英社は後から資本参加したらしい。大手出版社の系列の会社が、刑務所内の教育まで手掛けてるとは知らなかった。

   

   

     ☆   ☆   ☆

さて、小日向まるこ『塀の中の美容室』は、桜井美奈の同名小説の漫画化。漫画は第一章だけなら無料サンプルで読めるし、小説はamazonのキンドル読み放題に入ってたから全体をチェックできた。

    

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岐阜県の女子刑務所である笠松刑務所・みどり美容院を取材した上で書いた作品で、あくまでフィクションの物語だけど、受刑者が一般客の髪を刃物で切ってるのは事実。誰でもちょっと警戒するだろうから、作品の第一章にも、ごく控えめにその緊張感が描かれてる。もちろん、刑務官が同席してるけど、刑務官が受刑者の行動を完全にコントロールできるかどうかは微妙。

    

すぐ上に縮小引用した小説の表紙のイラストは、主人公=ヒロイン・小松原葉留。殺人未遂の受刑者。長く伸びた髪を切ろうとしてる姿は、暗い人生に一区切りつけようとしてるのだろう。小説の最後に、そんな話が書かれてた。

  

一方、2つ上の漫画の表紙では、美容室の設定との関連で、青空が強調されてる。副題も、「The Depth of the Sky」。空の深さ。井の中の蛙、塀の中の人間だからこそ感じ取れる、空の深さもあるという意味。

    

青空へのこだわりは、小説の取材日がたまたま晴天で、スタッフもにこやかで優しい人達だったからとの事(小説のあとがき)。ただ、作品内の美容室が「あおぞら美容室」なのは、実在する「みどり美容院」の名前を少しだけ変えた形にもなってる。青空と緑の場所だから、妹の名前がハル(春)、姉の名前がナツ(夏)とか。

    

   

     ☆   ☆   ☆

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矯正プログラムの受講者の1人が涙を流したと語るのは、漫画の終盤、146ページ。

    

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「塀の中の美容室の146ページ 葉留の姉奈津が妹の葉留に向けて言った一言で涙が出ました。『私の店で一緒に美容師やろう』。私にも待っていてくれる弟がいるため葉留の気持ちと一緒でとてもジーンときました」

    

ちなみに、小説だと、その台詞はもっと抑制されたものになってる。「葉留。いつか、一緒に・・・・・・」。テレビドラマでどうなってるのかは調べてないけど、マンガと小説の違いがよく現れてる。マンガは、誰にでも分かりやすいように書かれてるのだ。普通、ドラマもそうなってる。

    

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担当者の山辺さおり課長は、魅力的な大人の女性だから、おそらく男性受刑者に人気だと思う。私の女友達に、ちょっと似た教育係がいて、普通に色々と声をかけられるとか言ってた。

     

その辺り、独特の難しさがあるかも知れないけど、教育的なマンガの感想をみんなで温かく共有するという「試み」はいいことだと思う。結果や成果、影響がどうなるかはさておき、長期的な視点でチャレンジして頂きたい。フィクションみたいなハッピーエンドになるかどうか、はたして。。

   

    

     ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、相変わらず右脚の裏側の故障が完治しないから、一昨日の19日(水曜)リハビリジョグ。ただ、距離を14.2kmに伸ばしてみた。半端な0.2kmは、単なる気分的なオマケ♪

   

まだ痛みもあるから、スピードは出せないけど、余裕を持って完走。トータルでは、1km5分44秒ペース。気温8.5度、湿度55%、風速2.5m。ゆっくり走ってるから、上3枚でも寒かった。手袋してても、手先が冷え切ってしまう。

    

他に、ウォーキングも2kmだけ。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

   

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           平均心拍 最大

往路(2.4km) 14分51秒 107 131

LAP 1(2.1) 12分36秒 112 116

  2   12分15秒 115 118

  3   12分02秒 116 120

  4   11分16秒 121 127

復路(3.2) 18分25秒 117 131

計 14.2km 1時間21分25秒 115(70%) 131(79%)

    

    (計 2368字)

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NHK『映像の世紀 バタフライ・エフェクト』昭和の文豪たち、主役は三島由紀夫と国家・天皇&リハビリジョグ

(17日)リハビリ・スロー JOG 7km,48分21秒,

平均心拍 109,最大 114

WALK 7km(荷物 4.5kg),1時間24分,10500歩

 

    

    

     ☆   ☆   ☆

三島由紀夫という作家については、かなり興味を持ってるけど、作品はまだ『金閣寺』しか読んでない。それでも、凄い文章だなとは思った。好き嫌いとか、良し悪しとか言うより、あれほど華やかな文体の日本語を読んだ覚えがない。

   

・・・と、ここまで前置きを書いてる内に、そう言えば、あの小説と三島の最後もちょっと似てるなと気づいた。お寺の代わりに三島が「放火」したのは、自衛隊と自分自身だろう。

   

金閣寺の放火犯は、犯行直後に自殺し損ねたからこそ、三島は仲間に介錯(割腹自殺の手助け)させたわけか。まあ、その話については、またいずれ別の機会に。

    

番組では、遺作となった大作『豊饒の海』に焦点が当てられてたけど、そう言えば昔、この作品に心酔してる若者と出会ったことがある。わりと大人しくて控えめではあったけど、ちょっと怖いくらいの思い入れが伝わって来た。ひ弱そうな身体に見えたのも、肉体改造する前の三島と同じか。

  

ちなみに、三島関連のウィキペディアの項目も、妙に詳しくて熱い内容になってる。ウィキに限らず、情報量は非常に多そうで、一般社会の関心の大きさをも示してる。

    

    

     ☆   ☆   ☆

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さて、NHKのドキュメンタリー番組、『映像の世紀 バタフライ・エフェクト』。いつも、寝不足と疲れでフラフラの時に放送されるけど、今回はすぐ目が覚めた。いきなり、三島の自決直前の映像から始まったから。

    

今回のサブタイトルは、「昭和の文豪たち」。火野葦平、林芙美子、永井荷風、司馬遼太郎らの映像も興味深かったけど、やはり三島由紀夫のインパクトが圧倒的。放送日が11月17日なのは、事件の日付けの11月25日にほぼ合わせたわけか。

    

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諸君の中に 一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか

   

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立つ三島。演説する声に、それほど迫力がないなと感じてしまったけど、マイクを付けてない屋外の高所だから当然かも。

   

軍服がオシャレだなと思ったら、当時の人気デザイナー・五十嵐九十九に頼んだオリジナルらしい。色もボタン使いも独特。身体にかなりフィットしてるから、肉体美は誇示できるけど、実用性は不明。

   

   

     ☆   ☆   ☆

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二十歳の時(1945年)本名・平岡公威(きみたけ)で書いた遺書(遺言)。弟に遺したメッセージは、自分へのメッセージでもある。

  

皇軍ノ貔貅(ひきゅう:勇ましい兵隊)トナリ

 皇恩ノ万一ニ報ゼヨ

 天皇陛下萬歳

   

軍からはすぐ家に帰されたから、この遺書はとりあえず無意味になったけど、三島にとってはずっと唯一の遺書であり続けたらしい。自決まで、思いが変わらなかったのか。それとも、その後の人生が遺書に支配されたのか。

   

   

     ☆   ☆   ☆

番組では、自分がノーベル文学賞を取れなくて、師の川端康成が受賞したことが、三島のその後の人生に影響した一因みたいに描かれてた。川端と疎遠になって行ったのも、そのせいだと言いたそうな番組構成。

    

試しに最新AIのChatGPT5.1(つい最近、5からバージョンアップ)に聞いてみると、それは番組が作った分かりやすい物語にすぎないとの事。もちろん、実際のAIの回答は、遥かに細かくて長い。

     

三島が右翼的活動を本格化させたのは1966年頃。川端の受賞は68年。三島の自決が70年。少なくとも、川端の受賞と三島の活動との関係は、それほど強くはないはず。

   

あと、番組で川端の自殺をスルーして、平成まで急に飛んでしまったのは、「作家と国家」というテーマと関係なさそうだからか?・・とAIにたずねると、ほぼ同意してくれた。数十倍の補足説明付きで。

   

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番組のエンディングの画像は、国家に背を向けて冷笑し続けた永井荷風前歯が数本抜けた笑顔は、我が道を行く個人の生き方の象徴。あるいは逆に、軍服姿で檄を飛ばす三島と比べて滑稽だと見ることもできそう。。

    

   

     ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、昨日も右脚の痛みが治らないまま。それでも、リハビリで超スロージョグ7kmはこなした。気温15度、湿度49%、風速2m。スロージョグにはちょうどいい気象条件。

   

他に、荷物ウォーキングも7km。合わせて、それなりの運動量にはなってる。脚は痛くても、気力は充実したままなのだ♪ それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

  

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    (計 1833字)

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小説『舟を編む』文庫本、馬締が香具矢に書いたラブレター(恋文)全文に引用された漢詩の意味(夏目漱石、李商隠の作)

先日、NHKで放送されたドラマ『舟を編む』最終話(最終回)。馬締が書いたラブレターが一瞬だけ映し出された。

     

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謹啓

 吹く風に冬将軍の訪れ間近なるを感じる今日このごろですが、ますますご清栄のことと存じます。

 貴方に打ち明けたいことがあり、この書状をしたためております。・・・・・・

   

    

     ☆   ☆   ☆

このラブレターというより恋文は、ものすごく長いようで、三浦しをんの小説の文庫本(光文社)の最後に「馬締の恋文 全文公開」と書いてるのに、その途中で「中略」と書かれてる(笑)

    

文庫本のページの下段(欄外)には、西岡と岸辺の会話の形で注が付いてて、こんなやり取りがあった。

    

 西岡  おい、「(中略)」ってなんだよ! 「恋文全文公開」じゃなかったのか。

 岸辺  だって、ものすごく長いんですもん。・・・・・・読みたいですか?

 西岡  「(中略)」でいいや。

    

   

    ☆   ☆   ☆

その省略された恋文でさえ、文庫本で10ページ(最初のサブタイトルも含めるとp.338~348の11ページ)もあって、普通の文だけでも読みにくい上に、難しい漢詩がいくつも引用されてる。

    

香具矢も軽く読み流しただけのはず(断言・・笑)。それでも、馬締がマジメなことだけは分かる。ちょっとアブナイくらい♪

    

私が一番興味を持ったのは、分かりにくい漢詩だけど、その前に、分かりやすい歌を引用しとこう。柿本人麻呂の歌は(そう書かれてるけど、本人の作かどうか不明、正確には「柿本人麻呂歌集の歌」)、知識が無くてもイメージ的に分かるし、それで十分だと思う。

     

  

     ☆   ☆   ☆

 天の海に 雲の波立ち 月の船

 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 (注. 文庫本だと1マス空けは、船と星の間だけ

   

馬締は引用した直後、「貴方(あなた)のために詠まれた歌のようだと思いませんか?」と書いてる。いつも、月のように美しい香具矢を仰ぎ見てると。警察に通報されても不思議はないかも♪

   

この歌では、「月の船」という言葉が、二重の意味で中心になってる。意味・内容的にも、言葉の配列でも。小説の題名『舟を編む』は、この歌と繋がってるのかも。どっちが先かは分からないけど。

    

   

     ☆   ☆   ☆

一方、分かりにくい漢詩。まず、本文2ページ目と3ページ目に引用されてるのは、夏目漱石が作った漢詩

   

2行+2行、合わせて4行(計20字)だけ引用されてるけど、もとの漱石の漢詩は10行らしい。明治三十二年、1899年の作。

 

 眼識東西字 心抱古今憂

  ・・・

 人間固無事 白雲自悠悠

    

漱石の思いとしては、こんな感じの超訳でいいと思う(個人の感想♪)。

   

私は古今東西について学んで来たけど、心はあまり落ち着かなかった。でも、30歳になって、やっと少し落ち着いて来た。世の中は穏やかで、白い雲が悠悠と流れる。そんな感じで、自然に生きていきたい。。

     

   

     ☆   ☆   ☆

上の漱石の漢詩を引用した後、馬締はこう書いてる。

  

この境地に至れるか否かは、今後の私の努力および、貴方の返答によって決まるでしょう」。

   

要するに、あなたへの恋心で私は落ち着かないから、どうかお返事で落ち着かせてください、という意味。OKにせよ、ごめんなさいにせよ♪

    

これに対して、欄外の注で、西岡がツッコミを入れてた♪ 「まじめのやつ、さりげなく脅迫してないか?」(笑)。そう。平成・令和の時代だと、脅迫する文書として警察沙汰になってもおかしくない。言葉のプロの馬締でも、恋愛や現実社会に対してはアマチュアなのだ。

   

   

     ☆   ☆   ☆

一方、遥かに難しいのは、李商隠の漢詩。p.345で2行だけ引用されて、p.346まで説明が続いてる。元の漢詩は、「七言絶句」(漢字7文字×4行の形式)らしくて、その後半の2行だけの引用。端末の環境によっては文字化けしてしまうかも。

   

 嫦娥応悔偸霊薬

 碧海青天夜夜心

   

馬締の説明は、こう続いてる。

   

「嫦娥とは、霊薬を飲んで月世界へ飛んでいった、かぐや姫のような女性のことです。この漢詩の作者は、自分を捨てて去っていった女性を嫦娥になぞらえ、恨みと思慕を詠んだ、という説があります。私も同感です。この詩は、私の心情そのものだと思えるのです。

禁断の霊薬さえ飲まなければ、ただ一人の人の顔を、夜ごとなつかしく心に思い浮かべずに住んだのに・・・・・・」

 

  

欄外の注に書かれてる岸辺の解釈は、次の通り。「嫦娥は霊薬を盗み飲んだのを後悔しているだろう。ひとりぼっちの月世界から、夜ごと、寒々とした紺碧の海を見下ろしながら」。

   

   

     ☆   ☆   ☆

岸辺の解釈はともかく、馬締の文章を普通に読むとかぐや姫=馬締という比喩になる。香具矢に対する恋愛に陥ることさえなければ、私はこれほど辛い思いをせずに済んだのに。

    

その場合、(特別な女性)=(普通の男性)ということになるけど、私は、かぐや姫=香具矢と考える方が自然だと思う。どちらも特別な女性で、名前の音も一致してるのだから。

    

ただし、かぐや姫=香具矢という解釈だと、「馬締による漢詩の引用」の意味は複雑になる。例えば、こんな感じの解釈。

  

あなたに対する私の思いはあまりにも強い。だから、あなたもきっと、私から遠ざかってることを残念に思ってるはずだ、と私は思いたいのです。私の勝手な想像で、あなたに申し訳ないし、お恥ずかしいのですが」。

    

  

☆追記: 河合康三選訳『李商隠詩選』(岩波書店、p.212)をチェックしても、残された男の思いが強調されてた。「眠れぬ朝を迎えるのは、一人のこされた男。去っていった女は今や月の世界。彼女もまた限りない孤独を覚えているだろうと思いを馳せる」。)

   

   

     ☆   ☆   ☆

要するに、あなたも私のことが好きでたまらないと、私は思ってしまいます♪ ゴメンナサイ (^^ゞ・・ということ。小説内の漢詩の解釈としてどうかはともかく、そうゆう恥ずかしい思いを持ったことがある人は多いはず。私も含めて♪

   

なお、今週は計13777字で終了。それでは、また来週。。☆彡

    

     (計 2270字)

   (追記136字 ; 合計2406字)

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驚きと感動の意味の感嘆詞「うひょっぐ」♪、出典(初出)は小説『舟を編む』(連載時2009年)&がら空きジム2

(13日)BIKE 46.3km,1時間30分03秒

平均心拍 122,最大142,マシン表示 2046kcal

心拍計表示 610kcal(脂肪 238kcal)

     

移動 JOG 4.5km,31分,135kcal

WALK 1.3km,12分,1600歩

    

      

              ☆   ☆   ☆

馬締・・じゃなくて真面目にレビューしてる余裕はないから、連日の小ネタでお茶を濁すことにしよう。久々に毎週見てる連ドラ、NHK『舟を編む』の第9話。

  

香具矢(美村里江)がみどり(池田エライザ)に話した、馬締(野田洋次郎)との馴れ初めシーン。香具矢が猫を見つけて抱いてると、馬締が探しにやって来る。

    

 香具矢 「迎えに来てくれたんだ♪」

 馬締  「うひょっぐ・・☆♡」

   

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月夜に突然、神秘的な美女が現れて、(猫を)「迎えに来てくれたんだ」と微笑みかけて来る。男なら誰でも、誤解をまじえて「うひょっぐ」と言うところ・・・ではないね(笑)。そんな感嘆詞、見たことも聞いたこともない。

    

ちなみに昨日、みどりに宮本が告白するシーンについて書いたけど、あのシーンはこの香具矢&馬締のシーンを反復する形になってた。左上にキレイなお月さま。そして、月の方向に微笑む女性に見惚れる男性。

    

仲をとりもってくれたのは、猫と紙(笑)。つまり、それぞれの男にとって、大切な物。

    

   

     ☆   ☆   ☆

で、その「うひょっぐ」。この作品とも関わりがある有名な辞書編集者、飯間浩明が以前、誤解して、うひょっぐは原作にないとかXに投稿。それがいまだにGoogle検索で上の方にヒットしてしまうけど、完全な間違いで、本人も指摘されてすぐ認めてた。

   

仕事内容を考えると、かなり恥ずかしい失敗だろう♪ 原作小説の序盤ですぐ出て来る台詞を見落として、ハッキリ間違った情報を拡散してしまったのだから。

 

三浦しをんの小説『舟を編む』の単行本(2011年)だと、p.39で登場。光文社文庫(2015年)では、p.50。

    

状況はドラマとほぼ同じだけど、「迎えに来てくれたんだ」という台詞は、「うひょっぐ」の後で登場。しかも、「うひょっぐ」の直前に、馬締は「迎えにきたよ」と話してる。小説の方が、自然で現実的。ドラマの方が、ドラマチック♪

    

   

     ☆   ☆   ☆

驚きと感動の意味を表す感嘆詞or間投詞「うひょっぐ」。「うひょっ」と「ショッキング」の合成語とも考えられる。

    

Google検索で期間指定を使って調べると、少なくとも小説の連載前(2009年の秋以前)には全く見当たらない。と言うより、2016年ネットで初めて使われた例は、2017年かも。ほとんどヒットしないのだ。

  

だから、初出の出典はほぼ間違いなく、小説の連載時(2009年・秋、光文社の雑誌『CLASSY.』)。GoogleのAI、Gemini 2.5 Flashにも確認して同意してもらった♪ Googleで単なる検索もれは考えられないとのこと(笑)。自信を持ってて、いいね。

   

面白い造語なのに、発表後も長くスルーされてた「うひょっぐ」。可哀想だから、私が今後ブログで使ってみようか。2回くらいは♪ 少なっ!

   

英語なら「uhyogg」かな?(笑)。海外の方、珍しい japanese interjection(日本の感嘆詞)として、拡散よろしく! 馬締じゃなくて、香具矢の写真やイラストとかと組み合わせて、ミームを創作するとか。

   

   

☆追記: ネット情報の通り、最終回香具矢が馬締に「うひょっぐ」と言ってた♪)

  

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    ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、昨日もお盆でがら空きのジムに行って来た。私自身はまだお盆休み前の仕事に追われてる最中 (^^ゞ 想定外のアクシデントにも見舞われて、苦戦してるけど、ジムには行かなきゃいけない(義務)。

    

またまた1時間半のバイクだけで終了。距離もほとんど同じで46.3km内容は、9で1分、10で1分半、11で26分半、12で53分。さらに、レベル13で5分、14で1分回して、最後はレベル12で2分。かなり工夫したけど、まだお尻が痛くて辛い (^^ゞ サドルが硬すぎるし、形も私のお尻に合ってない気がする。

    

他に、移動ジョグ4.5kmウォーキング1.3km。いまだにお尻の痛みが消えない中、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

  

  

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     (計 1720字)

  (追記39字 ; 合計1759字)

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スマホ依存症の風刺画、携帯に顔が吸い込まれる加工写真、元ネタ作品は若手写真家アントワーヌ・ガイガー(Antoine Geiger)

昨日(2025年8月9日)たまたま、Yahoo!に配信されてたMerkmal(メルクマール:目印、特徴)の記事が目に留まった。

   

"「駅でスマホをいじる」ってそんな悪いの? 風刺画が巻き起こしたSNS論争、97%普及の現実を考える"

     

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ごく簡単にまとめるなら、X(旧 twitter)では、駅のスマホは悪くないと言われてるし、自分もそう思う、といった感じの内容だ。執筆はフリーライター、猫柳蓮。

    

かなり力の入った理屈系の記事だけど(orだから)、ネット民のリアクションが恐ろしく少ない。丸1日以上経った今現在でも、「学びがある」が1、「わかりやすい」が1、「新しい視点」が4。

   

ただ、そのわりにコメントは59件ついてる。要するに、ごく一部の人に注目されてるということ。私は、その風刺画を見たくなったので、ちょっと懐かしい投稿まとめサイトTogetter(トゥギャッター)をチェックしてみた。

    

    

    ☆   ☆   ☆

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駅のホームで、4人がスマホを見てて、手前のわりと若そうな3人の顔と髪の毛が、スマホまでビヨーンと伸びて融合してる。それに対して、一番手前のやや年配の男性だけは、空を見上げてる。

   

単なる生成AI作品ではなくて、本物の写真を加工したものらしい。一応、被写体5人のプライバシーとか肖像権も考慮した形になってる。

  

この画像の投稿に対して、ある人が批判的に返信。「電車の待ち時間という人間が持て余す傾向にある時間を、便利な道具使って連絡や情報にあててるだけなのに、現代を風刺すれば知的な人間を装うことが出来ると勘違いした変な人に変な加工して晒されるこの人達可哀想すぎて涙が止まらない」。

    

内容も文体も、いかにもSNS的な文章で、多少の賛同が集まってる。そして、元の元のオリジナル作品までたどって語る人が(ほとんど)いない辺りも、SNS的な傾向。

  

実際、今、私がYahoo!のリアルタイム検索で「Antoine Geiger」と入力すると、投稿は一つもヒットしなかった。外国語まで遡る投稿が極端に少ないのも、日本の(?)SNSの特徴と言える。今回と同様、ゼロのことが多いのだ。

   

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カタカナで検索しても、わずか3つのヒットで、今回の話と関連する2つはどちらも日本のサイトの過去記事を引用。

   

    

     ☆   ☆   ☆

では、SNS以前から続くマニアック・ブログが、作品のルーツをフランスまで辿ってみよう。

    

まず、上の写真それ自体は、日本の写真家がインスタグラムで2020年に投稿したもの。それが最近、他人によってXに転載されたということ(おそらく無断で)。

   

「smartphone addiction」(スマホ依存症)、「Tokyo tower」と書かれてて、他の投稿より遥かに多い2.2万のいいねが付いてる。ちなみにアカウント名は、私が加工で消しておいた。東京タワーも見ずに、多くの人が手元のスマホばかりを注視してる様子。

     

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このコメント382件のほとんどは、海外からのものだから、海外に拡散したようだ。それは、この写真が有名な東京タワーのそばのものだし、元ネタであるオリジナル作品が既に海外で流通してたことも影響してるはず。

     

実際、コメント欄には、盗作を批判するような内容もかなり入ってた。それらのコメントは削除されてないけど、管理人はそれらに対して返信せずにスルー。好意的なコメントにはかなり返信してるので、管理人が批判を意識してるのは確実。

    

おそらく、確信犯というか、信念を持った行為・反応だと思う。芸術作品というものの要素は、この程度なら自分の作品に使用してもよいものだし、わざわざ元の作者の名前を挙げる必要もない、ということか。相手はまだ若手で海外の芸術家みたいだし。

    

    

     ☆   ☆   ☆

で、元ネタは、フランスの写真家 Antoine Geigerの作品。「Sur-Fake」と題する、10年ほど前のシリーズらしい。以前は、個人サイトを運営してたけど、今は削除してるのか、インスタグラムが目立つ程度。

    

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上の2020年の投稿は、ドイツの建築雑誌「Arch+」(英語版の特集号)に自分の作品がいくつも大きく掲載されたことを、喜んで告知するもの。それなりの雑誌にかなり掲載されたのに、いいねは154に留まってる。

   

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日本の類似投稿の100分の1もついてない辺りも、何ともSNS的な現象。少なくとも、日本の投稿から元ネタまで遡った人がほとんどいないことを表してる。

    

   

     ☆   ☆   ☆

最後に、スマホ依存症について。最初のトゥギャッターの反応を見てると、本や新聞と同じだろうとか書かれてたけど、全く違ってる。

   

歩きスマホや運転スマホは大勢いるけど、歩き読書や運転新聞はほとんど無い。一晩中、スマホに夢中になる若者は多くても、読書や新聞で一晩中、夢中になる若者はほぼゼロ。

   

あえて言うなら、例えば昭和後半のラジオが少しだけ似てるけど、ラジオは視線を奪わないし、夢中さの度合いも人数もかなり違ってる。

     

場所も状況も踏まえず、非常に多くの人が、手元の小さな画面だけに夢中になってしまう所が問題なのだ。特に、実際にはゲームをする人も多いから、両手もスマホに取られてしまう。

  

ちなみに私自身は、電車の座席でタブレットを見ることは多いけど、駅のホームで立ったままスマホやタブレットを見ることはほとんど無い。たとえ、ホームドアが設置されてるとしても。歩きスマホや運転スマホは全くやらない。

    

ゲームもほとんどやらない。わりと好きだけど、あるいは好きだからこそ、意識的に避けてる。マイナスが大き過ぎるし、別に時間を持て余すこともほとんど無いから。

    

   

     ☆   ☆   ☆

なお、国際的な精神疾患の診断基準だと、ICD11(国際疾病分類)でゲーム障害が採用されたけど、スマホ依存症はまだ無し。米国精神医学会のDSM(精神疾患の診断統計マニュアル)にもまだ採用されてない。

   

ただ、ネット検索すると、日本の医療関連サイトでスマホ依存症に触れてる所は少なくない。世界的にスマホの見直しの動きが出て来てるし、スマホの功罪や長所・短所についてはあらためて考え直す余地が大きいと思う。各ユーザーの使い方次第という考えで済ませて良いのかどうか。

      

とりあえず、運転中のスマホはもっと厳しく取り締まるべきだろう。自転車も含めて。実際には、今でもよく見かけるし、非常に危険なので。

  

なお、今週は計15109字で終了。それでは、また来週。。☆彡

    

     (計 2635字)

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「恋愛」という言葉の語釈(辞書的意味)と恋・愛・異性、大渡海、広辞苑、大辞林、大辞泉~『舟を編む』第2話

個人的に今、レース直前だから、ドラマ見たりレビューしたりしてる場合じゃないんだけど、この辞書作りの作品は面白いから、またちょっとだけマニアックな感想を書いとこう。

  

ちなみに前回の感想は次の通り。今のところ検索アクセスに無視されてるけど、私自身はかなり気に入ってる♪ 独自の妙なこだわりを「愛」してるかも(笑)。自己愛か。

   

 「右」という言葉の説明、「(東の)朝日を見ながら泣いた時、

 (南の)風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた」~『舟を編む』第1話

   

   

     ☆   ☆   ☆

さて、NHK『舟を編む』第2話は、「恋愛」(言葉、行為・状態)中心にしたエピソードだった。脚本・蛭田直美、演出・塚本連平。

    

すぐ思い出したのは、このブログで10年前に書いた「恋」の記事。

     

 「恋」という言葉、辞書的意味の比較~新明解・三省堂・岩波・明鏡国語辞典など

   

ポイントの部分だけ、自分で引用しとこう。

  

「やっぱり、恋と愛は違うし、恋と恋愛もちょっと異なる。本質的に不安定、不完全だからこそ、恋は心ときめくものなのだ。恋とは、軽い欲望を明るく示す言葉。そして欲望とは、存在しないものを求める思いのことだ。」

    

不安定、不完全、存在しないものを求める。これらは全て、今回のドラマの核心にもなってた。

   

   

     ☆   ☆   ☆

番組のラスト近く。岸辺みどり(池田エライザ)が、自分で考えた「恋愛」の語釈(辞書的な意味)をホワイトボードに書く。毎回、このパターンで一つの単語を中心にするのかな。新しい中辞典『大渡海』の編集作業として。

     

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恋愛  特定の二人の互いへの思いが、恋になったり愛になったり、時に入り交じったりと、非常に不安定な状態

    

辞書編集者として、「感情論ではない根拠」を元にした、「異性を外しても成り立つ語釈」を目指してる。

   

とはいえ、自分の元カレとの思いを、「あきらめて あきらめて あきらめて」考え出した語釈。「明らかにして 断念して 心を明るくして」、その直後の語釈。「非常に不安定」という言葉とか、ちょっと個人的すぎるから、推敲(すいこう)作業で洗練されるはず。

    

   

    ☆   ☆   ☆

ところで、このドラマの同名の原作小説(三浦しをん)は、2009年から2011年にかけての連載(光文社のファッション誌『CLASSY.』)で、ドラマの現在の年代設定は2017年。

    

この2017年というのはちょうど、日本の辞書の「恋愛」の説明が変わり始めた時期らしくて、代表的な中辞典『広辞苑』(第7版)の発売の前年になる。

    

ドラマの中での広辞苑の説明には、「恋愛」の冒頭にいきなり「異性」という言葉が書かれてた。現在の第7版を調べても、まだその点は改訂されてない。「(love の訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。」。

    

ただ、「恋」の説明なら、少し変更されてた。「特に、男女間の思慕の情」とされてたのが、「(特に男女間の)思慕の情」に変わってる。男女という要素を丸カッコに入れてるのだ。

    

つまり、男女とか異性という要素を薄めてるわけで、次の広辞苑の改訂(第8版)だと、「恋愛」の項目でも男女がカッコに入れられるかも。

  

   

     ☆   ☆   ☆

そうした話は以前、朝日新聞の夕刊記事(2021年4月7日)で読んで、覚えてた。「[女]とは [男]とは 辞書も省みる」。恋や愛に限らない、もう少し広い視野の内容。

   

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小ぶりの記事だけど、4人の記者の連名だから力が入ってる。才本淳子、田中章博、杢田光、田中ゑれ奈。女性2人、男性2人という、細かい配慮。

   

やっぱり、独自路線で人気の三省堂『新明解国語辞典』が、多様性や少数派への配慮の時代に素早く対応してるようだ。

    

   

     ☆   ☆   ☆

三省堂の中辞典『大辞林』でも、2019年の第4版を見ると、既に「恋愛」の説明や用例から、「男女」や「異性」が消えてた。「互いに恋い慕うこと。また、その感情。ラブ」。

   

小学館の中辞典のネット版、『デジタル大辞泉』でも、「恋愛」の説明・用例に男女や異性は入ってない。「特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情を持つこと」。

    

まあでも、同性愛に対して「恋愛」という言葉を使うケースはまだかなり少ないと思う。それは、ドラマでも言われてたけど、「同性愛」という特別な言葉が別にあるからかも。

   

   

     ☆   ☆   ☆

本当は、恋愛と恋、愛の細かい関係についても書きたかったけど、もう時間が無くなったから、あっさり終わりにしよう。

   

準備が無駄になってしまうけど、「あきらめる」しかない。自転車のヒルクライム(山登り)レースでしか会えない、キツイ「激坂」に、「恋」して「愛」してるから。慕うというのはちょっと違うけど♪

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

     (計 1930字)

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名言「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し」の出典、アンドレ・ルサン『Amour fou』(狂った愛)か&ジョグ

(21日)JOG 11km,1時間00分06秒,平均心拍 121

消費エネルギー 406kcal(脂肪 142kcal)

 

BIKE (本物の自転車の試走) 7 km,23分    

WALK 3.5km,39分,5200歩

   

   

    ☆   ☆   ☆

一昨日(2025年6月21日)の深夜、ネット記事を見てると、明石家さんまがサッカー・堂安律の結婚式に出席した話が複数あった。

   

さんまが自身のラジオで語った話(とされるネット情報)を引用すると、「こないだも堂安律の結婚式で言うたんですよ。有名なフランスの戯曲家の言葉なんですけど、『結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如』って」。

   

正しいかどうかはともかく、面白くて笑えるなと思って調べてみると、さんまの昔の人気番組『恋のから騒ぎ』冒頭で名言として紹介されたらしい。何年何月何日の回かは分からないけど、YouTube動画ではこうなってた

   

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人は判断力の欠如によって結婚し

 忍耐力の欠如によって離婚し

 記憶力の欠如によって再婚する

        アルマン・サラクレー

   

「人はセックスの回数の欠如によって合コンする」

           明石家さんま

   

   

     ☆   ☆   ☆

この言葉、結婚と離婚の経験をネタにし続けてるさんまのお気に入りらしくて、何度か結婚式で引用してるらしい。サラク「レ」ーは小さい間違いで、正しくは、サラク「ル」ーと書くところ。

   

ただ、当サイトで今まで度々示して来たように、この種の名言・格言の出典は間違ってることが非常に多いし、本当に調べて書いてるサイトは海外でもごく僅かしかない。

   

この『から騒ぎ』とさんまの影響が強いのか、日本では作者がフランスのアルマン・サラクルー(Armand Salacrou)と書いてるサイトが大部分だけど、サラクルーの何から取ったのか、具体的な出典を挙げてるサイトは見当たらない。

  

このパターンは、名言・格言だと、間違いの拡散の典型。ネットの日本語情報のあちこちに書いてあるから正しいんだろうと思った人が、次々と拡散して行って、怪しい情報が膨れ上がる。テレビの情報も、真偽不明のネット情報をそのまま間に受けてる場合が多い。スタッフが本気で調べてないのだ。

   

そこで私が、英語とフランス語で色々と検索してみた。結論を先に書くと、おそらく日本で拡散してる情報は間違いだと思う。

    

    

     ☆   ☆   ☆

英語でも信頼できそうな情報は見当たらなくて、フランス語だと、原文を示してるサイトが複数あった。ただし作者は、アンドレ・ルサン(または、ルッサン)。Andre Roussin。名前のeには、本当はアクセント記号が付いてるけど、文字化けの可能性があるのでここでは付けてない。

   

On se marie par manque de jugement,

 on divorce par manque de patience

 et on se remarie par manque de memoir.

   

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複数の仏語引用サイトの1つは、出典である著作名まで書いてた。「L' Amour fou」(狂った愛)。出版は1955年か56年(表記が2つある)。恋愛物語で、登場人物たちが別れと和解を繰り返すらしい。

    

このフランス語のタイトルを、このブログの記事タイトルにiMacで入力すると、「L」の次のアポストロフィが文字化けしてしまう。だから、記事タイトルでは「L'」を省略した。まあ、ここは単なる冠詞の省略形だから、不自然だけど実害はない。

    

   

     ☆   ☆   ☆

著作(戯曲)の正式名は、「L' Amour fou ou la premiere surprise」(狂った愛、あるいは、最初の驚き)。

   

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もっと有名なアンドレ・ブルトンの作品にも、「狂った愛」というタイトルがあるので、混同しないように注意が必要。実際、ネットでルサンの作品を検索すると、ブルトンの作品が何度も表示されてしまった。検索サイト自体でも、混同が生じてる。

    

ルサンの作品に関する情報は、日本国内では全くと言っていいほど見当たらない。国立国会図書館とかでも原書が無いし、翻訳はそもそも無いらしい。それどころか、英訳さえ無いようだ。要するに、昔のフランスに限って、多少の人気があったということか。

     

   

     ☆   ☆   ☆

そうなると今現在、中身の確認には、フランス語の原書を自分で買うしかない。

    

それは流石にダルイから、AI(ChatGPT4o)にたずねると、たぶんルサンのその作品で合ってるだろうというような回答だった。演劇の初演は、出版より前の1952年。格言の内容と、ルサンの作品の特徴が合ってるらしいし、サラクルーの作品だという根拠は見当たらないとのこと。

   

というわけで、試しにこの記事をアップしてみる。もちろん日本にも、原書を持ってる人は数人くらい(?)いるだろうから、調べたけど載ってなかったというような指摘は大歓迎♪

  

あと、映画化はされてるようだから、映画の台詞にあったとか無かったというような情報も大歓迎。正しい情報なら、ご遠慮なくコメントを書き込んで頂きたい。もちろん、映画と元の戯曲とでは、台詞が変わってる可能性もあるけど。。

   

  

P.S. さんまの元・義理の息子、二千翔の結婚式で、さんまがこの名言をスピーチに引用したらしい。

      

    

     ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、一昨日の土曜(21日)も、ジョギング11km本物の自転車の試走

  

ジョグは最初、脚が激重だったけど、徐々に調子が出て来てトータルでは1km5分29秒ペース。遅いけど、気温25.5度、湿度80%、風速3.5mの条件だし、今だとこんなもんか (^^ゞ 心拍計は正常に作動してるけど、プラス2で補正。

   

本物の自転車の試走は、ちょっと距離を伸ばして7km(笑)。ビンディング・シューズを履いて、近所でゆっくり周回。ウォーキングも3.5km。これで連続295日の運動。

    

気になる週末の天気予報は、相変わらず微妙で、まあ山登りのコースだと曇時々雨って感じか。雨や寒さの対策は必須。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

  

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            平均心拍 最大

往路(2.4km) 15分01秒 108 121

LAP 1(2.1) 12分18秒 117 124

  2   11分25秒 122 134

  3   10分25秒 134 144

復路(2.2km) 11分02秒 134 146

計 11km 1時間00分06秒 123(72%) 146(86%)

    

     (計 2534字)

   (追記47字 ; 合計2581字)

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「右」という言葉の説明、「(東の)朝日を見ながら泣いた時、(南の)風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた」~『舟を編む』第1話

テレビドラマを見ること自体が久々だけど、NHKプラスがお勧めして来た人気ドラマを見てみたら、面白くて感動した。最後の見せ場は、ちょっと鳥肌ものだったかも♪ レビューする時間はないから、誰も書かないような感想だけ軽く書いとこう。

  

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三浦しをんのベストセラー小説『舟を編む』の連続ドラマ化。舟とは、言葉の海を渡るための辞書のこと。BSで2024年に放送して、2025年6月17日からNHK総合テレビで放送開始。これは再放送とは呼ばないらしい。脚本は蛭田直美。ギャラクシー賞ほか、多数の受賞歴があるらしい。

  

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で、第1話。ヒロインの岸辺みどり(池田エライザ)は、人気読者モデルとして活躍してた時に何か暗い経験があったらしい。でも、おかげで出版社に就職。ファッション誌を担当してた。

   

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ところが、雑誌は廃刊で、いきなり何の興味もなかった辞書の編集部に回された上に、歓迎会で「右」という言葉の説明を求められる。

   

   

     ☆   ☆   ☆

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この時、みどりは言葉じゃなくて、矢印の記号を書いて示した。しかもちゃんと、相手から見て右向きになるように書いてる。

   

このカットだけでも、私はオーッ・・と思った♪ 言葉じゃなくて記号1つ。意表を突くシャープな返答で、確かに才能を感じる。

   

でも、番組最後の回答、同棲してた彼氏がいなくなって、失恋の涙を流した後の回答は、遥かに素晴らしかった。

   

   

     ☆   ☆   ☆

「朝日を見ながら泣いた時、あったかい風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた。それが右です」。

  

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この直前には、確かに海岸(「岸辺」)で右のほっぺたに触れてる。無意識のうちに、「右」についての問いかけを考え続けてたと。

   

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さて、ここで感動しただけで終わらないのが、半ば理数系のマニアック・ブロガー。これは自然現象として正しいのかもと思って、試しにAI(ChatGPT4o)にたずねると、正しいらしいのだ♪

    

    

     ☆   ☆   ☆

泣いた日付けは7月5日で、日本では初夏。東の朝日を見てると、南風が吹きつけるのは自然現象として「自然」らしい(太平洋高気圧の影響)。すると、右側のほっぺたの涙が先に乾く

   

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なるほど。このAIの回答で、ますます感動♪ さらに、番組でも映ってた『大辞泉』のデジタル版で、「右(みぎ)」の語釈を見ると、1番目の意味の最初はこう書かれてた。

   

東に向いたとき南にあたる方」。

   

これを詩的に、しかも自然現象的に正しく脚色したのが、ドラマだったのか。実に素晴らしい! 分かりやすいように、私の手描きイラストも挿入しとこう。

   

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なお、その素晴らしい説明から僅かに間(ま)をおいて、みどりが「なんて」と恥ずかしそうにつぶやいたのも良かった。「なんて」というネガティブな言葉は、みどりが多用して、元カレも傷ついてたようだけど、この最後の用例は可愛い効果をもたらす「なんて」になってたのだ。

   

とにかく、感動したから、私も朝日を見ながら泣いてみようか・・・なんて♪ 可愛くない? あっ、そう♪ それでは今日はあっさり、この辺で。。☆彡

   

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70年・大阪万博、太陽の塔「消えた第4の顔・地底の太陽(いのり)」、現在は神戸で産業廃棄物に?~NHK追跡特番

2025年5月4日の夜、NHKで放送されたミステリードキュメント『太陽の塔 消えた顔を追え』。私は全く知らなかったけど、昔から話題になってた謎のようで、今回の特番で新発見や新しい推測も発表されてた。

    

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意外なほど面白い番組だったけど、その反面、歴史的事実とそうでない部分の違いがちょっと分かりにくい作りになってる。例えば、番組公式サイトや番組内で使われた上の画像。これはおそらく、7年前に復元されて一般公開された展示物だろうと思う。

   

知ってる人にとっては当たり前の事かも知れないけど、番組内では昔の写真も映されてたから、どれが昔でどれが現在なのか分かりにくい。例えば、顔の向かって左側に制服コンパニオンの女性が立ってる映像は、昔の記録写真なのかも。

   

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ちなみに、太陽の塔公式サイトで飾られてる第4の顔も、おそらく復元後の地底の太陽だと思う。天井には、世界各地の仮面とかが飾られてる。

  

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さて、太陽の塔は一応知ってるつもりになってたけど、3つか4つの顔の区別は知らなかった。モヤモヤしたまま、脳内イメージの中で顔が混ざってたのだ。70mの塔のトップで一番目立つのは、未来の象徴、黄金の顔。

   

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そのかなり下、お腹の辺りで、ひねくれた顔でにらんでるように見えるのは、現在の象徴、太陽の顔。

    

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その裏側、不気味な悪の姿に見えるのが、過去の象徴、黒い太陽。

   

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そして、現物は行方不明になってる第4の顔、地底の太陽。これも復元後の映像だと思う。顔は直径3m、左右のフレア(炎)を入れると全長11mの巨大芸術オブジェ。

   

    

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2025大阪万博のプロデューサーの1人、福岡伸一が密かに追跡を始めてて、2021年のコロナ期、自分からNHKに企画を売り込んだらしい♪ おかげで、国営放送ならではの手間ヒマかかった番組が出来上がってた。テレビに映らなかった部分の地味な努力を想像すると、素直に賞賛に価する。

    

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まず、王子動物園に移されてたという話は、ウィキペディアによると、しばらく前から分かってたことらしい。顔だけでフェンスにあったとか、箱入りで野ざらしになってたとか。

    

その後の展開に移る前に、追跡とは直接の関係はないけど、新発見が紹介された。今まで存在しないとされてた元の図面を、スタッフが探し出したようだ。素晴らしい☆

    

3枚発見したらしいけど、画面に映ったのは2枚に見えた。その右下には、「図面名称」として、「こころ<いのり>」と書かれてる。設計者は、現代芸術研究所の代表取締役、岡本太郎。

   

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私が朝日新聞のデータベースで調べてみると、2018年3月の復元公開の記事には、図面が見つかってないことが書かれてた。図面が無いのに展示を再現するのも凄いことだけど、膨大な資料の中から図面を探し出したのも凄い。これは運良く成功したけど、失敗に終わった作業も今まで多数あったはず。

   

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ちなみに、元の地下の展示は、「いのち」「ひと」「いのり」の3つの空間から成ってたらしい。祈りというものは、今回の番組内では、作者・岡本太郎の縄文時代への思いと結び付けてた。

    

    

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その図面とは関係ないけど、第4の顔の追跡は、現在の2025万博会場である夢洲に向かう。ただ、時期的に合わないようで、夢洲に埋められてるという仮説は結局、否定。

  

そして、神戸市の布施畑環境センターに辿り着いた。日本最大級の産業廃棄物処理場があるらしい。周囲には、縄文以来の(?)原生林や洞窟があって、ゴルフ場らしき開発も目立ってる。Google Earthの航空画像より。

    

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ここに持ち込む際には、30cm角以下の大きさにしないといけないから、もし本当に持ち込まれたとしたら、小さく分解されてることになる。粉々かどうかはともかく、発掘は非常に困難。でも一応、将来の科学技術の進歩で発掘できる可能性は残されてる。

    

福岡伸一は、作品にふさわしくない場所だと嘆いてたけど、私は逆に、最高にふさわしい場所だと思った。

   

現代文明の発達や人類の進歩を否定・批判して、古代への熱い思いや祈りをアピールする時、産業廃棄物処理場ほどふさわしい場所もなかなか無い。

  

美術館や記念館、研究所とかよりは、遥かにメッセージ性があるし、岡本太郎らしい反骨精神も感じ取れる。そもそも太陽の塔には、代表的建築家・丹下健三による大屋根をぶち抜くという思いが込められてたらしい。

   

    

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結局、上図の赤丸からの矢印にそって、地底の太陽は移動したのかも知れない。と言っても、まだ未確認の仮説の段階だから、いずれ誰かがこっそり秘蔵してたものが出て来るかも。そもそも図面も、捨てられたと思われてたのに、キレイに存在してたのだ。上図の青丸が、現在の万博会場、夢洲。

    

というわけで、今日はここまで。今週も少なめ、計13793字で終了。ではまた来週。。☆彡

    

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