四角形や丸の「真ん中」に正三角形を配置するデザイン(YouTubeほか)、長さ、重心、三角形分割錯視を考慮した視覚調整

ブログの書き過ぎが2週間続いてるので、今週は制限字数15000字を厳守しよう。残り1155字しかないけど、ちょっと興味深い内容だと思うし、数学的に正確な記述はネット上にほとんど見当たらない。

    

キッカケは、最近ハマってる画像紹介アプリ・ピンタレストのお勧めの1つ。ピンタレストは、インスタと違って、あらゆる所から様々な画像を借用・表示して来るから、ハズレも非常に多いし、著作権も気になるけど、意外な面白い画像の提示もある。

   

無料で広告も少ないから、100枚中、1枚でも当たれば十分。個人を特定できる情報は何も入力してないから実害もない。注意すべきは、たまにある怪しげな外部リンクだけ。

   

   

     ☆   ☆   ☆

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先日お勧めして来たのは、YouTubeのロゴのデザインに関する解説サイト。私がちょっと前、形が似てる錯視立体の画像をクリックしたからだろう。筆者は Balraj Chana 氏。

   

「optical illusion」、視覚的な錯覚。英単語のopticalは、光学的という意味もあるけど、ここでは視覚的と訳すのが内容的に正しい。11個の内の最初がこれだった。

   

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上図は本物のロゴで、「視覚的な中心」を考えたデザイン。実は、大きな長方形に対する正三角形の位置は、図形の横幅の長さから計算した「真ん中」から少し右にズレてるけど、人間の目には真ん中にあるように見える。

    

   

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それに対して、上図は、横幅の長さから計算した真ん中。大きな長方形の真ん中に、正三角形の真ん中を合わせたもので、人間の目には三角形が左にズレてるように見える。

   

対話型AIのChatGPT-4oにたずねると、正確に話を理解。三角形の右端の先端に目が行くから、そこと四角形の真ん中が近づいてるように見えるのかも・・とかいう説明だった。

  

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続いて上図は、大きな長方形の真ん中に、三角形の重心を合わせた図。別のデザイン系HPはこの重心の利用を勧めてたけど、三角形が右にズレてるように見えてしまう。

   

だから、実際のYouTube(ユーチューブ)のロゴでは、左にも右にもズレて見えないような微妙な配置にしてあるのだというお話。「三角形分割錯視」を考慮した「視覚調整」。

   

   

     ☆   ☆   ☆

私が、画像のピクセル数を画面上でカウントして長さを調べると、確かにそうなってる。ただ、元のサイトの表示とは僅かに比率が違ってた。

   

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なお、同じGoogleのPlayストアの丸いロゴでも、デザイン的に同じ配慮が確認できた。三角形の横幅的な真ん中と、重心との間の微妙な位置が、大きな円の中心に置かれてる。

   

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ちなみに上下方向だと、目には上側が広く感じられるから調整するらしい。今週は計15000字で終了。また来週 ☆彡

   

     (計 1155字)

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お箸で作れる「レオナルド・ダ・ヴィンチの橋」、出典の文献は『アトランティコ手稿』のスケッチ2枚か(『Believe』第2話)

テレビ朝日の連続ドラマ『Believe』第2話の冒頭で、狩山(キムタク=木村拓哉)が作った割り箸の橋。

   

釘、ボルト、接着剤とか使わず,お箸10本ほど(下図では8本)の組み合わせだけで作った建築模型で、刑務所で同室の仲間3人に、2つの事を示した

  

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まず、自分は特殊な知識・技術を持ってるプロの設計士だという事。そして、割り箸みたいな存在の自分たちでも、みんなで力を合わせれば意外な結果を実現できるということ。

  

ただし、出来る事と出来ない事があるし、出来る場合と出来ない場合の違いもある。まあ、井上由美子の脚本のドラマとしては、脱獄に失敗したと見せかけて、成功するパターンか。失敗してまた刑務所に戻ると、物語が先に進まないし♪

      

        

              ☆   ☆   ☆

さて、今回、一般男性のマニアック・ブロガーの目に留まったのはもちろん、「箸の橋」というダジャレの親父ギャグ・・じゃなくて、あのダビンチの橋の構造。

   

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ところが、そんな情報は以前から、日本も含めて世界中に溢れ返ってた。丸くてツルツルした箸だと作りにくいけど、細くて角ばってるか、平べったい棒状の物なら作りやすい。

    

摩擦力が働くことが一つのポイント。全体を持ち上げて次の1本を差し込む時には、崩れないように指で支える方が良さそう。

   

    

     ☆   ☆   ☆

あと、ダビンチ本人の直筆らしきセピア色のスケッチ(描画)も、一部で地味に拡散してる。メジャーなのは下図で、15本くらいの棒の組み合わせで、アーチ型の構造の橋を作ってる。

  

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それに対して、世界中を探し回っても(ほとんど)見当たらないのが、その橋や図面とレオナルド・ダ・ヴィンチの歴史的な詳細。考案・執筆の年代も、500年前とか大まかな事が根拠なしに書かれてるだけ。

   

私が英語で調べまくっても良い情報が全く出て来なかったし、有料サブスクAIのChatGPT4に聞いても、有益で信頼できそうな情報が全く出なかった。珍しくちょっと時間をかけて調べても(と言っても、十秒レベル)、何も発見できなくて、仕方ないからあまり関係ない情報を示してたほど。

   

ここで私も諦めかけたけど、スケッチの画像検索をかけると、ようやく学問的な情報がヒットした。AI超え♪ まだ今のAIは、画像の認識力・解析力が低いから,人間でも対抗できる。

    

   

     ☆   ☆   ☆

日本語で『アトランティコ手稿』とか訳されてる、メモ付きのスケッチ集、『Codex Atlanticus』の中に、あの橋のスケッチが2枚、入ってるのだ。

    

上で引用した画像は、1495年の物とされてる(おそらく推定の年代)。

   

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その後、1508年にも、作りかけみたいな感じのスケッチを残してた。

   

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    ☆   ☆   ☆

この手稿はあちこちで無料公開されてるけど、芸術的で凝ったページ作りだから、見て探すのは面倒。私も、一度は見れたのに、今は見れなくなってる。

   

(追記:キーボードを使うと、また見れた。タブレット単体だと操作しにくいのかも)。

  

ただ、出典となる文献と年代を特定したから、もう十分ということにしとこう。発掘するだけでも大変だった。ホントは2枚目の画像のメモを解読したいのに・・とか思いつつ、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

    

     (計 1350字)

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「美人局」(つつもたせ)の語源・出典、中国・宋代『武林旧事』第6巻、AIによる翻訳と解釈(ChatGPT4、Google)

前にも書いたけど、私が田舎から都会に出て来て、すぐに学んだ事の1つは、知らない女性との接近には注意すべきということだった。出て来たばかりの少年のことなど、ほとんど誰も知らないはずなのに、1人の女性が誘いかけて来た。

   

世間知らずの少年でも、流石にこれはお金目当てだろうと思ったけど、私自身はお金を持ってないから取られようがないし、当時は武闘派で、足も今より遥かに速かった。3人くらいなら相手になるし、多ければ走って逃げるつもりで、待ち合わせ場所に到着。

 

すると、口の達者な美人のお姉さまが登場。本題はなかなか口にしなかったけど、要するに、数十万円の英語教材の営業だった。ローンを組めば、月々の支払いは数千円だから大丈夫だと。私の名前と連絡先をどうやって知ったのかは不明。こっそり闇の業者から特殊な名簿を買ったということか。

   

しばらく巧みなセールス・トークと強烈な目力を味わった後、何とか断って帰宅。今、思い返すと、最初にいい社会勉強をしたと思う。世の中、そうそう上手い話はない。

   

女性と金儲け話には要注意☆ 男の人生の基本だろう。現代社会のあれこれを見ても、あらためてそう実感する。女性にとっては、男性と金儲け話と美容・ダイエット関連には要注意といった感じか。厳しい減量から摂食障害になって、万引きで逮捕された有名女性マラソンランナーの話も有名だ。。

    

   

     ☆   ☆   ☆

さて、昨日(2024年3月7日)報道された、男子中学生と女子中学生の逮捕(他に少年1人、児童相談所に通告)。事件は、2月12日に発生したらしい。

  

SNSで少女と知り合った男子大学生(3年、22歳)が大阪で待ち合わせしたところ、男子中学生2人から現金を奪われそうになって、逃げ回ってる内に、4階建てビルの屋上から転落死したとのこと。下の現場映像はMBSより。

   

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なまじ、6階から隣のビルの屋上への飛び降りは成功したから、さらに続けて地上へ飛び降りてしまったのかも。写真からも分かるように、2回の飛び降りは、難度(高さ)がかなり違ってる。

   

同じ男として、何とも残念な事件だ。「もし容疑がほぼ事実なら」、凶悪な中学生3人が論外なのは当然。ただ、大学生にも、少なくとも写真のビルの6階という場所が怪しすぎておかしいと気づいて欲しかった。22歳だと、「美人局」(つつもたせ)という犯罪行為を知らなかったのかも。ともあれ、合掌。。

    

  

     ☆   ☆   ☆

さて、美人局については、今まで何度か触れてるけど、語源というか、出典とされる文献を調べたことはなかった。たまには、中国の古典的な文献を見ておこう。今では、AIの能力も格段に上がってるから、手助けしてもらえるはず。

   

小学館『日本国語大辞典』その他によると、出典は中国・宋代の『武林旧事』。検索すると、前にも何度か使ってる、原文公開サイトがヒットした。「中国哲学書電子化計画」。美人局で検索すると、第六巻の下の箇所だけがヒットした。この検索という機能を使えるのが素晴らしいのだ。紙の本だと、言葉を見つけ出すのは大変。

   

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私が自分でこれを読むと、「世の中にはいろんな人がいる。例えば美人局は少年を誘惑する」といった感じになる。もちろん、細かい事は分からないし、自信も実力もない。

   

結果的にその読解はそこそこ当たってたけど、どこまでが美人局の説明なのかはハッキリしなかった。上の引用の後もしばらく文章が続くから。

    

  

    ☆   ☆   ☆

そこでまず、Google翻訳を使用。コピペで入力すると、次のような日本語訳が出力された。

   

「広大な地域には、多くの人々、多くの怠け者や狡猾な人々、多くの本物の弟子たちがいます。 売春婦を妾として使用して若者を誘惑しトラブルに陥れる、いわゆる美人局があり、内閣賭博局は賭博やギャングを通じて金を騙し取るために利用され、水利局は役職、昇進、便宜、異動を求めるために利用される。 、訴訟、取引等、名誉を目的とした行為、売名行為、財産の漏洩等。 また・・・」

   

まずまずだけど、今一つかなと私は感じた。最初の文の末尾は「います」なのに、次の文の末尾は「される。、」。文体が統一されてないし、「。、」という記号の使い方は日本語に無い。内容的にも、「多くの本物の弟子たちがいます」という部分はおそらく誤訳に近いと思われる。

   

    

     ☆   ☆   ☆

そこで次に、毎度お馴染み、ChatGPT(有料model4)を使用。流石に、こちらの方がこなれた日本語になってる。グーグル翻訳は辞書的な直訳に近い感じに見えるけど、チャットGPTは文脈を考慮した滑らかな日本語にしてるのだ。

   

広大で人々が溢れる地区では、怠け者や悪党が群れを成し、真に多くの弟子たちがいます。いわゆる美人局では、娼婦を側室に見立てて少年を誘惑し、賭博場ではカードゲームや団体行動で金を騙し取ります。また、・・・

    

ただ、依然として3つの疑問が残ってるから、質問してみた。まず、1つ目。「真に多くの弟子たち」。実は先に、英訳させた時には、「who have gathered in large numbers」となってた。これだと要するに、「多くの人々」という意味。

   

この点を尋ねると、やはり「本当に多くの人々がいる」といった意味らしい。それなら、後の文脈とも合ってるし、理解しやすい。例えば、美人局を行う悪人たちもいるし、他にもいろんな人がいると。

   

   

     ☆   ☆   ☆

続いて、「美人局」の説明はどこまでなのか? これは予想通り。「娼婦を側室に見立てて少年を誘惑し」の部分で終わり。その次からは、別のいろんな人々の話に変わってる。

   

では最後に、「娼婦を側室に見立てて少年を誘惑し」とは、どうゆう意味なのか? こちらも、私の解釈で合ってた。誰か、他の犯罪者が、娼婦を使って、あたかも少年の妾にするかのように誘い込み・・ということ。

  

従って、この「武林旧事」での美人局の説明は、現代日本の美人局の意味とぴったり合ってることがわかった。もちろん、AIが正しいとは限らないけど、この件に関しては正確だと思う。語学やプログラミングは得意なのだ。

     

   

    ☆   ☆   ☆

なお、「」という言葉はおそらく、役割とか女官という意味だと思う(漢字ぺディアの説明)。日本語で使う場合、「局部」という意味も込めてるような印象もあるけど、少なくとも中国語の出典にそんな意味は入ってない。

   

とにかく、注意が必要なのだ。誘われる側だけでなく、誘う側も要注意! たかが数万円~数十万円程度のお金を奪い取ろうとして、人生を棒にふることになる。自分自身だけでなく、家族の人生まで。

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

     (計 2709字)

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牧田真有子『桟橋』(24共通テスト国語)、全文レビュー・書評 ~ 漁師に拾われた魚、捻じ切れた血の橋を自分で生き始める

最初に書いておきたいのは、この記事は続編だということ。2024年の共通テスト・国語が終了した半日後に、問題文だけを見た軽い解説をアップ。この1週間でかなりのアクセスを頂いた上に、紹介リンクもいくつか付けて頂いたようだ。

   

 船ではなく、枠のない海の波を係留する桟橋を夢見る少女〜牧田真有子の小説『桟橋』(24年・共通テスト・国語)

   

その後、私は小説の全文を読んだので、これから書くこの記事は「小説全文」レビュー、全体の書評・感想になる。

   

   

    ☆   ☆   ☆

ただし、設問の参考資料とされていた太田省吾「自然と工作」は、まだ読んでない。これについても、近日中に読むことが出来れば、この記事にコメントを追記する予定。

  

個人的にはむしろ、カフカの短編小説との関連の方が興味深い。難解で奇妙、幻想的で多義的な作品の数々で知られる世界的な男性文学者・カフカ。牧田の意識には無かったとしても、無意識的に過去の読書体験が反映されているような気がする。

    

牧田の『桟橋』は、カフカの『橋』を題材にして加筆した女性的小説だろう。カフカの『掟の門』へのオマージュ(敬意を込めた模倣)もまじえて、ややポジティブな方向性を持たせた改作。

  

なお、以下の内容は当然、ネタバレ的なものになる。おそらく、まだ全文を読んでない読者の方が大半だろうから、先に自分で全文を読んでみることをお勧めする。図書館、古本、メルカリ、国立国会図書館の遠隔複写サービス・・・etc.。いろんな手段で読むことが可能。おそらく、私の読みとはかなり違った体験ができるはず。

  

     

     ☆   ☆   ☆

て、『桟橋』の初出雑誌『文藝』2017年・秋季号(第56巻・3号、河出書房新社)では、p.152-p.165までの全14ページ(上下2段組)が掲載箇所。そのうち、共通テストの問題文の位置は下図のようになってる。文芸誌なので、文章は縦書きで右から左に進む。

   

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上図だけ見ると、問題文は全体の7分の1強に見える。しかし、1ページ目の右半分は、大きな活字の題名と著者名。12ページ目の左端は広告。最後の14ページ目では、下段の多くが空白になっている。だから実質的には、問題文は全体の6分の1くらいになる。

   

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問題文の箇所では、16歳の高校生・イチナ(全文を読むと女子高生だと分かる)が、幼い頃から、8歳上の風来坊の「おば」(問題説明ではカッコ付き)に好意と興味を抱いてることが描かれていた。

   

それは、受験生的には(?)「百合」という言葉で表される女性同性愛的な関係にも見えたらしい。それに対して私は、前の記事で、こう書いておいた。以下、自分で引用しておく。

  

私ならむしろ、女の子のマザー・コンプレックス(母親への複雑な思い)の変化形と呼びたくなる。あるいは、おばの父親的な要素・側面も加味するなら、エディプス・コンプレックス(両親への複雑な思い)のバリエーション

     

実際、問題文の冒頭には、『イチナが幼少期に祖父母の家で親しく接していたおば』と書かれてる。3歳と11歳なら、11歳は母親的な存在だろう。問題の前半では圧倒的に巨大な存在とされてるし、後半でも、おばさんはイチナの母と重なるような形で描かれてるのだ。」 (引用、終わり)

   

   

     ☆   ☆   ☆

女性同士の愛というより、親子の物語。さらに言うと、少なくとも表面的には、母親と娘の関係が中心。

   

この私の読みが基本的に合っていたことは、全文の冒頭を読むといきなり分かった。小説は次のように、重いイメージで始まる。

  

ばさばさした透明のビニール暖簾に一箇所、赤い指紋がついていた。血の跡だった。それが魚の血なのか漁師の血なのか、桟橋から望遠鏡で漁港の作業場を見ているイチナにはわからなかった。ただそれは強くイチナの心をとらえた。授業中に前ぶれもなく指名され、答えを要求されるときのように、十六歳の彼女ははりつめる。」(p.152)

    

私はたまたま、瀬戸内海の小さな漁港とゆらゆら揺れる「浮桟橋」のすぐそばで生まれ育ったので、この光景そのものはよく分かる。実際には、臭いと音・声が加わるし、いろんな液体が流れているので足元にも注意が必要なのだが、ここでのイチナは望遠鏡で見てるので、臭いや音、足の感触まではわからない。ハッキリ見えるのはただ1つ、赤い血なのだ。

   

しかし、漁港の血を見て、漁師の血だと考えたことはないはず。魚の血に決まっている。また、漁港を「望遠鏡」で見たこともない。

       

と言うより、もし見るとしても「双眼鏡」だろう。オペラグラスという言葉は流行ってないとしても、望遠鏡は不自然すぎる。それに対して双眼鏡なら、女子高生がライブ会場(ここでは演劇)に持参しても不思議はないのだ。実際、「ライブ 望遠鏡」で画像検索すると、安くて小さくて可愛い双眼鏡がズラっと並ぶ。あるいは、イチナが持っている「携帯」のズームとか。

     

    

     ☆   ☆   ☆

この謎解きの答は、小説自体には明示されていないが、「望遠鏡」という漢字をよく見れば分かる。

  

 望遠鏡 = 遠くを望む鏡

   

つまり、遠くにある自分の姿を見る手段・道具、装置なのだ。時間的にも内容的にも遠い自分を探す手掛かり。

   

それなら、まだ16歳の女子高生イチナは、魚だろう。では、漁師は? 魚=イチナの血と深く関わる人物、とりあえずは両親しかない(実はおばのイメージも加わる)。ここでは漢字ではなく、音韻的なつながりが出来てる。

    

 漁師 = りょうし ≒ リョウシン = 両親

    

望遠鏡で魚か漁師の血を見たイチナが、急に答えを求められた問題。それは、おそらく幼い頃から何となく微かに感じていた違和感のもと、両親との血筋の問題、血縁関係なのだ。前・言語的な不安、問いかけ。

  

「今の両親」と私は、血が繋がっているのだろうか? もし繋がっていないのなら、私と血が繋がっている「本当の両親」はどこでどうしているんだろうか?。。

   

    

     ☆   ☆   ☆

そう。イチナは実は、今の両親と血がつながっていないのだ。今の両親(りょうしん)は、良心(りょうしん)的に育ててくれているだけ。しかも、それを知らないのは、周囲でイチナただ1人だけ。

    

 漁師 = 両親 = 良心

  

ということは、家族・親族の全体が、素人だらけの劇団ということになる。才能を持つおばを除いて、おそらく大半の劇団員は、あまり演技が上手くないだろう。それで16年間(実は17年近く)もの間、血のつながった家族を演じ切れるだろうか? 誰も一度も致命的なミスをせずに。

     

それが簡単でないことは、現実社会を考えても想像がつくし、小説内でのおばに関する記述でも分かるような気がするのだ。

   

    

    ☆   ☆   ☆

おばの両親は、実は、イチナの祖父母ではない。おばの実の母親は、まだ17歳だった、イチナの「今の母親(を演じる女性)」。だからこそ、おばと母親、「二人の声質はそっくり」なのだ。おばの実の父親は、どこにいるのか分からない「風来坊」の男性。

  

おばはなぜか、幼い頃から「本当のこと」しか表現できなかった。当然、周囲と上手く折り合えない場面が生じて来る。最近なら、つい発達障害とかいう言葉を思い浮かべてしまうような問題児の日々。

   

やがてある時(小学校高学年~中学くらいか?)、最も「本当のこと」を偶然知ってしまう。自分のことだけでなく、イチナの出生・起源の秘密まで。

   

イチナの実の父親は、自分(おば)と同じ風来坊の男性。イチナの実の母親は不明。したがって、「おば」とイチナの本当の関係は、姉と妹なのだ。腹違いの異母姉妹。だからこそ、イチナがおばを「『おねえさん』にすり替えようとする度おじいちゃんから威嚇され」ていた。もうしばらく隠しておきたい秘密の真実だから。

   

本当の家系図は、こうなっている。

    

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その話をたまたま聞いてしまったおばは、衝撃を受けた数時間後から、何も知らない自分という役柄を演じ始める。「本当のこと」ではないものを表現し始める。やがて、実の母がおばを産んだ年齢である17歳になって、周囲から全てを伝えられた時にも、まるで初めて知った衝撃の事実のように演じ切れた。その後、劇団まで立ち上げることになる。

   

   

     ☆   ☆   ☆

こうして、「風来坊」という妙な言葉の意味の全体が姿を現して来る。風来坊とは、風と共にどこからともなくやって来る子ども。それは、おば、おばとイチナの実の父親だけでなく、誰よりもイチナのことだったのだ。

    

風来坊の男が、ほとんど説明もなしに、勝手に昔の恋人(イチナの今の母親、おばの実の母親)のもとに置いて行った幼子。あえて、今では避けられる昔のきつい言葉を使うなら、イチナは捨て子。

  

2007年に九州・慈恵病院で運営を開始した「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)でさえ、多くの論争を呼び起こした。まして、イチナの実の父親は、2人の子どもを放棄して、1人目を産んだ女性に無理やり預けている。

   

もし、こんな事実をイチナが知ってしまったら、昔の自分以上に傷ついてしまうはず。だから、おばは、自分の演劇をイチナに見せようとはしない。その演劇の演目の一つは、のっぺらぼうの仮面をつけて、赤い装束で動き回る、恐ろしい踊りだから。何者でもないまま、「自分以内の」血と全身で戦う舞踏=武闘だから。

   

   

    ☆   ☆   ☆

なぜ身内が来ることを禁じるのか? 劇団員の問いに対して、おばは答える。

  

 本当に禁じたいのは姪ただ1人。「橋が捩じ切れるから」、「桟橋になるから」。

    

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上の写真は、佐渡UIターンサポートセンターより縮小引用させて頂いた、「あやめの桟橋」。前の記事に書いた「浮桟橋」ではなく、しっかり作られた桟橋らしい。お世辞抜きで、美しい観光スポットだと思う。

   

桟橋というのは、船の係留に使う施設だが、観光や遊びにも使える。ただ、普通の橋と違って、途中で切れた形をしてる。しかも、広くて深い海の真っ只中で。

  

桟橋の果てで、さらに奥に向かおうとした人は、海に落ちてしまう。それに対して、普通の橋なら、奥に進めば向こう岸に渡れる。イチナにとって、向こう岸とは何か? それは、血の川を挟んでつながっている両親。本当のものと、本当でないもの(偽物)がある。

  

だからこそ、小説の後半、物語の核心に迫る辺りでは、川と「多数の橋」が登場する。劇団の公演の前日、2人で旅行している時に突然いなくなったおばを、イチナが探し回る箇所を引用してみよう。

    

河口には長いがそっけない造りの橋が架かっている。渡る途中、イチナは川の上流へ望遠鏡を向けた。一つ向こうの橋の上を軽トラックが通り過ぎ、その向こうの鉄橋を一両編成の電車が走り抜けていく。さらに先のくすんだ橋梁は両方の袂が鬱蒼と繁った雑木林に埋もれており、その辺りで大きく湾曲する川を、森と岩壁が隠し始める。イチナがいるのはこの川の、最後の橋だ」 (p.160) 

  

今いる橋はなぜ、「長いがそっけない」のか。それは、血が繋がってない両親との疑似的な家族関係だから。一番向こうの橋はなぜ、あまり見えなくなっているのか? 実の両親はほとんど全て不明だから。ここでも「望遠鏡」、遠くにある自分の姿を見る手段が使われているのは、もはや説明不要のはず。

  

この辺り、簡単な精神分析的解釈も可能な表現になっているが、ここでは省略しておこう。

   

        

     ☆   ☆   ☆

その後、イチナは1人で桟橋に向かう。実はもうすぐ、イチナは17歳の誕生日を迎えて、本当のことを知らされる予定なのだ。何となく薄々、感じ取っていた「橋」のそっけなさは、残酷なまでに明確に理解されることになる。

    

そして橋は、向こう岸のない桟橋になる。しかし、血縁の絆が全て消えたわけではない。だからこそ、桟橋で望遠鏡を使って漁師と魚の血を見るイチナの後ろから、行方不明だったおばがやって来るのだ。同じ父親を持つ異母姉妹の姉が。

 

その後の大きなエピソードについては、あえて書かないことにしよう。才能あふれる若い女性にありがちな、血の事件が発生。イチナは1人で、自分の血を生きていく決心をする。その直後に17歳を迎えて、真相を知らされる。

  

さて、彼女の場合は、どんな選択をするだろうか。必ずしもハッピーエンドは約束されてない。「魚」の周りをうろつく「猫」、桟橋の板の裏側からぶつかる「暗い海水」も、小説に描かれていた。現実の厳しさは尚更か。実の母親と久しぶりに会って、予想外のきつい言葉に傷つけられたADHDの男性の話も最近読んだばかりだ(朝日新聞・23年11月6日・夕刊)。

   

   

    ☆   ☆   ☆

最後に一言、カフカの短編小説にも触れとこう。「橋が捩じ切れる」というおばの奇妙な言葉からは、カフカの寓話的短編『橋』を思い出す。画像はTumblrより(Isidre Mones作)。

         

「私は橋だった。・・・彼はやって来た・・・誰だろう?・・・私は知りたかった。そこでいそいで寝返りを打った ━━ なんと、橋が寝返りを打つ? とたんに落下した。私は一瞬のうちにバラバラになり、いつもは渓流の中からのどかに角を突き出している岩の尖りに刺しぬかれた。(完)」 (『カフカ短編集』岩波文庫)

    

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橋が捩じ切れたり、寝返りを打って落下するのはなぜか? それは、表と裏、真逆の2つの面を使おうとすると、無理が生じるからなのだ。イチナの場合、表面的に今の「両親」と仲良く暮らしつつ、裏で実の両親を追い求めると、心にも身体にも過大な負荷が加わることになる。

    

カフカの場合、橋が落ちて死んでしまう。牧田の場合、つながっていた橋が、途切れた桟橋として生き残る。橋は別に、向こう岸とつながっている必要はないのだ。

   

   

    ☆   ☆   ☆

一方、おばの演目は、イチナと自分のために作られたような内容なのに、イチナだけは来てはいけないとされている。この矛盾的な設定は、カフカの『掟の門』に類似している。

   

「掟の門前に門番が立っていた。そこへ田舎から一人の男がやって来て、入れてくれ、と言った。今はだめだ、と門番は言った。・・・何年も待ちつづけた・・・死のまぎわに、これまでのあらゆることが凝結して一つの問いとなった。

  

・・・『この永い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?』・・・門番がどなった。『ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門はおまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ(完)」 (同上)

   

カフカの場合、男は門の中に入れないまま、おそらく全く納得できずに死んでしまう。カフカ自身も、別に唯一の謎解きの答を用意しているわけではない(長編『審判』第9章参照)。

    

牧田の場合、イチナは劇場には入れなかったけど、内容を知ることは出来たし、自分とおばの特別な関係を何となく感じ取ることも出来た。そして、そこから新たにポジティブな一歩も踏み出せたのだ。

   

    

    ☆   ☆   ☆

実の両親が、愛情豊かに子どもを育てて、明るく温かい家族を築く。平和で古典的な家庭像が、多様性の名や生殖技術、戦争、自然災害などと共にひび割れている現在、牧田真有子の小説『桟橋』は、本当の社会的問題を踏まえた上での、巧みなフィクション、テクニカルな虚構として完結していた。

     

イチナはともかく、「おば」さんにとってはおそらく、それなりに幸せな結末だと思う。風来坊の役者という生き方自体が、風と共に去りぬ。それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

      (計 6167字)

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船ではなく、枠のない海の波を係留する桟橋を夢見る少女〜牧田真有子の小説『桟橋』(2024年・共通テスト・国語)

(☆24年1月23日追記: 全文の書評新たにアップ。

 牧田真有子『桟橋』、全文レビュー・書評 ~ 漁師に拾われた魚、捻じ切れた血の橋を自分で生き始める )

   

  

     ☆   ☆   ☆

小説というものは最近、センター試験や共通テストの国語のブログ記事を書く時しか読まなくなってる。基本的には好きだし、コスパやタイパ(タイム・パフォーマンス)が悪いとも思わないが、他の事より後回しになってるのだ。「つかみ所がない」からだろうか。まるで今回の小説の若い「おばさん」みたいに。

       

社会的にも、小説は、芥川賞とか本屋さん大賞とかの目立つ話題しか扱われてないような感もある。まあ、それを言うなら、似たような事が他にも色々と言えてしまうが。例えば、物理学が大きな話題になるのは、ノーベル物理学賞の時だけとか。

     

大学入試の試験問題として小説を読むと、ほとんどの場合、とりあえずは一部分のみを読むことになる。このブログの場合、後で全文を読んで別記事も書いてるが、全文を読むと印象が変わることが多い。というより、印象が良くなることが多いのだ。こんなに出来の良い、面白い小説だったのか、といった感じで。

      

  

     ☆   ☆   ☆

さて、2024年の共通テスト・国語の第2問(小説)は、牧田真有子(まゆこ)の短編小説『桟橋』。雑誌『文藝』2017年・秋季号(河出書房新社)で発表されてる

    

表紙には書かれてないが、56巻・3号。国立国会図書館の目次情報によると、p.152-165。14ページの短編らしいから、問題文はその4分の1くらいだろうか。(☆追記: 全文を確認すると、約6分の1だった。)

   

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おそらく、これが初出でいいのだと思うが、先にどこかの同人誌とかウェブで発表してたのかも(未確認)。翌年には、日本文藝家協会『文学 2018』(講談社)にも収録されてる。2017年のベスト短編小説アンソロジー(選集)。amazonより。

      

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しかし、検索しても情報は僅かで、43歳(または44歳)の現在まで、単独の著作は出してないようだ。私も、名前さえ知らなかったけど、この小説は全文を読んでも面白そうな気がする。好感触。

   

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上の写真は、16年前の2008年、『文学界』(文芸春秋)新人賞の辻原登奨励賞を受賞した時のもの。母校の『同志社大学通信』154号より縮小コピペさせて頂いた。大学院まで行ってるらしい。何気に、洋服もオシャレでユニークに見える。ボーイッシュな顔と髪型に見えるのは、偶然なのか必然なのか、あるいは単なる気のせい、先入観か。。

   

   

     ☆   ☆   ☆

私がGoogle検索すると、最初に目に飛び込んで来た単語は、「百合」。X(旧 twitter)で、受験生たちが(?)そう投稿してるらしい。主人公の16歳の高校生・イチナと、8歳上の若いおばさんの関係が、女性同性愛に見えると。

  

問題文だけ読んで「百合」は言い過ぎだろうと私は思ったが、そんな言葉に触れる機会はほとんど無いので、試しに調べてみた。

   

するとどうも、「百合」という言葉が指す範囲は非常に広くなってるらしい。女性と女性が少し好意的に触れ合うだけでも、百合。つい先日、スマホにインストールしたばかりのアプリ「LINEマンガ」で「百合」を検索すると、ズラッと作品が並んだ。サブカルチャーの世界ではごく一般的な言葉になってるわけか。

    

私ならむしろ、女の子のマザー・コンプレックス(母親への複雑な思い)の変化形と呼びたくなる。あるいは、おばの父親的な要素・側面も加味するなら、エディプス・コンプレックス(両親への複雑な思い)のバリエーション

     

実際、問題文の冒頭には、「イチナが幼少期に祖父母の家で親しく接していたおば」と書かれてる。3歳と11歳なら、11歳は母親的な存在だろう。問題の前半では圧倒的に巨大な存在とされてるし、後半でも、おばさんはイチナの母と重なるような形で描かれてるのだ。

     

ちなみに、問題文だけ読むと、イチナが女性だと確実に断定できる要素はない。ただ、名前と言葉遣い・行動から、おそらく女の子だろうとは思う。生物学的な女性かどうかはさておき。男女の固定的な二分法、二元論が通じにくくなってる、多様性の時代なのだ。

    

    

      ☆   ☆   ☆

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問題文は、いつものように河合塾HPより頂いた。リンク先(保存場所)は産経news。去年は公開が遅かったが、今年は私が21時半にアクセスすると既に問題が掲載されてた。

      

文学だなと感じるのは、後半に出て来る、年上の友人との電話。昔、おばを中心にして、一緒に演劇的なままごとで遊んでた仲間。

  

問題の選択肢には書かれてなかったが、明らかにあれはマウント合戦になってる。自分の方がおばさんと親しい仲だというアピールの闘い。イチナがまず、うちには今、おばが居候してると話すと、「すばやい沈黙」が訪れる。

  

何なら電話代わろうか、とイチナが言うと、友人は、実は自分の所にも居候してたと切り返す。すると「絨毯の糸屑を拾っていたイチナの動きがとまる」。それに続く箇所は、設問に使われてた。

  

言ってしまうと友人は、もう気安い声を出した。『私まで「おばさん」呼ばわりは悪いと思いつつ、イチナのがうつっちゃって』」。

   

「もう気安い声を出した」という文は、傍線部Bだが、その理由を選ばせる時の選択肢5つには、イチナとの競争心やライバル関係が反映されてない。当たり障りのない理由ばかりを選択肢に挙げてるから、選びようがなかった受験生も少なくないはず。

    

これは、幼い姉妹が母親の取り合いをしてるのだ。おそらく友人も女の子だろうから、女同士のプチ・バトル。「気安い」という言葉がしばしば、ネガティブな文脈で使われるもの。ここでのイチナの気持ち的には、「気安く『おばさん』なんて呼ばないで!」とか。

     

   

     ☆   ☆   ☆

今週は制限字数を大幅に超えてるし、時間も無いから、最後に「桟橋」という題名、タイトルについて触れとこう。

  

問題文を読む限り、「桟橋」の具体的な意味はハッキリとは分からない。ただ、Googleで画像検索すると、その意味が分かりやすい気がする。

  

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桟橋とは、海に突き出して、船を係留しやすくするための橋状の構造物。おそらく、「どこからどこまでがおばなのかよくわからない様子があった」のだから、おばは船というより、大きくて形のない海だろう。さらに言うなら、寄せては返す波。今はうちに居候してても、どうせすぐどこかに行ってしまう。ずっと係留して欲しいのに。

   

一方、桟橋としてのイチナ自身も、しっかりした柱に支えられたものではない。桟橋そのものも、波のように揺れ動く不確かな存在。海に浮かんだ桟橋を、浮桟橋と呼ぶらしい。

   

実は私の生まれ故郷では、浮桟橋がすぐそばにあって、子ども達の遊び場になってた。ずっと上にいると、上下左右の揺れで船酔いみたいになるほど不安定な場所で、小さい船とゴツンゴツンとぶつかって波しぶきを上げてた。

    

   

     ☆   ☆   ☆

牧田の情報を探すと、「人が抱く寄る辺なさと、世界が孕む不確かさを、丁寧にすくいあげ描きとる」と書かれてる。早稲田文学編集室より

  

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彼女自身も浮桟橋で、寄せては返す海の波のような世界と触れ合ってるのかも。その僅かな係留こそ、小説というものだろう。

   

設問の「資料」に使われてた演出家・太田省吾の「自然と工作 ── 現在的断章」の言葉を借りるなら、人も世界も、「己れの枠を持たずに生活している」のだ。ただし、人の側だけは、普通は枠への欲望を持ってる。おばさんだけは例外として。

    

なお、今週は計17716字で終了。全文レビューについては、また近いうちに。ではまた来週。。☆彡  

  

   

 

cf. 梅崎春生『飢えの季節』、全文レビュー~戦後の日常・欲望・幻想をユーモラスに描くエッセイ私小説

 誰が、何に、どれほど飢えているのか?~梅崎春生『飢えの季節』(初出『文壇』2巻1号、23年共通テスト国語

 黒井千次『庭の男』全文レビュー~居場所も力も失った高齢男性(家の男)の不安と性的倒錯(窃視症)

 看板の視線への対人恐怖、軽い社交不安障害+限局性恐怖症か~黒井千次『庭の男』(22年・共通テスト・国語

 フィクションとしての妖怪娯楽と、フーコー的アルケオロジー(考古学)~香川雅信『江戸の妖怪革命』(21年・共テ・国語)

 妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語

 妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪~井上荒野『キュウリいろいろ』(18センター国語)

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』~17センター国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター国語

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』~15センター

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター

    

       (計 3582字)

   (追記100字 ; 合計3682字)

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名古屋短大の女子大生が編んだオタク用語の辞書『大限界』(三省堂)、面白すぎて発売前から炎上?♪&13km走、好調

(26日)RUN 13km,1時間03分30秒,平均心拍147

消費エネルギー 580kcal(脂肪 116 kcal)

   

Yahoo!のプチ炎上(?)ニュースを見て、すぐ思い出したのは、しばらく前の朝日新聞の記事。検索すると、1年近く前の記事がヒットした。秋の大学祭の関連ネタだったのか。

  

ここではデジタル版の記事にリンクを付けとこう。2022年11月27日、浦島千佳記者。

   

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     ☆   ☆   ☆

記事タイトルは、「『BTSのグクが好き? 同ペンだ』の意味は? 学生がオタク用語辞典」。

  

BTSと同じく、グクも固有名詞だけど、オタク用語だと誤解する人もいるはず(笑)。他人事か! 「同ペン」とは、同じ人のファンという意味らしい。ペンは、韓国語でファンという意味とのこと。別の象徴的意味も無意識的に含まれてると思うけど、違うの?♪

    

他に、「尊い」=「推し」への最上級の賛辞。あっ、最上級なの? 比較級くらいだと思ってた♪ 「リアコ」=「リアルに恋してる」、「リアルな恋人」。これだと、わりと普通の説明だね。出版までの1年で、ウケを狙って手を加えたわけか。

       

女子大生が作った辞書を、女性記者が記事にしてるから、ちょっと内容的に偏ってる感はある。大学祭で500円で販売したら、初版70部が即日完売したとのこと。129ページ、821語だから、わりと安いかも。

    

    

     ☆   ☆   ☆

一方、今回、私が新たにYahoo!経由で見た炎上ニュース系の記事は、例えばJ-CAST。「特定の方々を侮辱する意図ない」「刊行までにできるだけ改善」。

  

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発売は来月(23年11月21日予定)だけど、早くもSNSでプチ炎上気味らしくて、三省堂が対処に追われてるらしい。ゼミ担当で編者の小出祥子・准教授も大変だろう。ちなみに、元になってる本物の有名辞書『大言海』は、大槻文彦著、冨山房。

   

amazonで見ると当然、『大限界』の方が注目を浴びてて、予約の段階でベストセラー1位になってる。しかも、カテゴリーは単なる「本」だから、全体の1位? 凄い注目度だね。まあ、図書館に入るのを待ってたら、もう流行遅れだろうし♪ 288ページで税込1540円はかなり安い。

     

なお、J-CASTの掲載写真を見た感じだと、例えば「軽率」とか「けしからん」の説明というか、用例が笑えた♪ 「推しのこんな姿観たら、軽率に恋に落ちてしまう・・・」。わざと堅い言葉を使って面白みを出すと。

   

「けしからん! いいぞもっとやれ!」。けしからんは、男が萌え系画像や動画に対して使ってるのをたまに見るけど、女子も使うのか。「ヤバイ」と同様、反語的なポジティブ用法。かなり前からあった気もする。

    

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    ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートは、昨日も13km走って来た。前日の11km走でかなりスピードを出したから、脚がちょっと疲れてたけど、高校時代の後輩の跳ねるような走りを思い出して、ストライド(歩幅)を拡張。前日に続いて、なまけがちな左脚に力をこめることを意識したら、ハッキリとペースが上がった。

  

トータルでは1km4分53秒ペース。往路のウォーミングアップを除くと、1km4分40秒に接近。いいね♪ 気温16度、湿度81%、風速1m。新・心拍計はまた高めにブレてたから補正。まあ、心拍はホントに高かったと思う。

   

なか、注目の将棋・竜王戦・第3局は、藤井聡太・八冠が予想通り、3連勝! 同学年の対戦相手、伊藤匠・七段がちょっと気の毒になってしまった。それほど一方的な対局内容でもないんだけど、実力で勝負する世界は厳しいね。

   

ブログやネットの世界の競争も厳しいのであった (^^ゞ あと32年の辛抱か・・(笑)とか溜息をつきつつ、ではまた。。☆彡

   

   

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往路(2.4km) 13分05秒 129 144

LAP 1(2.2) 10分24秒 142 154

 2    10分13秒 147 154

 3    10分08秒 153 161

 4    10分04秒 157 163

復路(1.9)  9分36秒 154 162 

計 13km 1時間03分30秒 147(86%) 163(96%) 

    

      (計 1671字)

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「七」の音読み、しちvsひち(西日本・関西の方言?)♪、布団をしくvsひく、常用漢字表、辞書・事典など

先日の土曜(2023年10月21日)の夕方、将棋のJT杯・準決勝(藤井聡太・八冠vs永瀬拓矢・前王座)は、早指しの激しい展開も面白かったけど、記録係(読み上げ)の藤井奈々・女流初段の方が面白かった♪

    

端正な童顔(25歳)で、クラシックなお嬢様優等生っぽい上品な服装も印象的。趣味は詰将棋の創作で、専門雑誌『詰将棋パラダイス』に作品が載ってましたねと藤井八冠に話しかけられて、興奮と悦びで「昇天」しかけたらしい(本人のXの投稿・・・笑)。八冠も遂に、若い女性を昇天させるようになって、八冠ファンの藤井マダム達が嫉妬すると♪

     

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極端に短い持ち時間はすぐ無くなって、秒読みになる。「5、6、7(ひち)・・・」(笑)

    

    

      ☆     ☆     ☆

7を「ひち」と読むのを聞いたのは、超久しぶり。特に、若い女性が繰り返し「ひち」と発音する姿はあまりに珍しくて、将棋どころじゃなくなった♪

   

滅多に見ないabema動画のコメント欄をのぞくと、やっぱり「ひち」で盛り上がってる(笑)。たまたま彼女の名前が「なな」という点も面白い。

   

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ちなみに私は、瀬戸内海の出身。子どもの頃は周りに「ひち」と発音する人が結構いた気はする。特に年配の人とか。ウチの父親もそうだったかも。

  

ただ、私自身は、小学校の高学年だともう「しち」と発音してたと思う。「しち」が正しくて、「ひち」は方言だという認識も早くからあった。その後、首都圏に出て来て以降は、「ひち」は聞くことさえ全く無くなってた。

    

    

       ☆     ☆     ☆

さて、「七」の音読みを、コトバンクの辞書・辞典類で調べると、当然「しち」と書かれてる。ただ、八百屋お七のことなのか、「お七」の読み方を「おひち」と書いてる箇所もあって、思わず動揺してウケた♪ やおや・おひち? 世界大百科事典・第2版、平凡社。

    

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漢字ペディアは「しち」。一応、例外的な「しつ」という発音も載せてある

  

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文化庁の常用漢字表(平成22年、2010年、内閣告示)も「しち」。右端の備考欄にも、「ひち」という発音は書かれてなかった。

   

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       ☆     ☆     ☆

この発音の問題は、質問サイト(Yahoo!知恵袋)とかでも話題になってるけど、きっちりした記事としては、愛媛新聞の去年の記事が目立ってた。タイトルも明解。「ひち」と「しち」♪

    

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愛媛県では、半分くらいの人が「ひち」と発音するという調査結果があるようで、ライターの山根健一記者も、「ひち味」「ひち並べ」、「ひち月」と発音。ちなみにネットのごく一部では、テンメイ(私)が愛媛出身だという説もあるらしい(ノーコメント・・笑)。

    

笹原宏之『方言漢字』(角川選書)によると、「ひち」は「しち」のなまりで西日本に根強い、とのこと。確かに、私も西日本だし、藤井奈々も京都だから西日本の右端近く。

   

   

       ☆     ☆     ☆

この辺りで納得しそうになったけど、布団は「しく」のか「ひく」のか?、といった話をネットで見かけて、また調べ直すことになった。

  

圧倒的に興味深いのが、同志社女子大学・日本語日本文学科、吉海直人・特任教授の去年のコラム、「『ひく』と『しく』の違いについて」。

   

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江戸時代から、関西(ひく)と関東(しく)の大まかな違いはあったようだけど、「ひく」がなまって「しく」になったという見方もある。「引く」には「敷く」と同じような意味があるし、平安時代から混じり合ってたとのこと。さらに、車が人をひく、油をひく、カーテンをひく、などの例もあり。

    

そう言えば私も、ふとんを敷くとは言いにくい。ふとんは「ひく」方が自然。感覚的に、引っ張る、引き伸ばすというイメージが強いのだ。それに対して、マットは敷く。下側、床側に置くものだし、ズルズルと少しずつ引き伸ばす操作がないからだと思う。カーテンは、閉める。敷くは明らかに変だし、引くだと、閉めるのか開けるのか曖昧だから♪

      

   

      ☆     ☆     ☆

というわけで、京都の藤井奈々・初段には、これからも堂々と秒読みして欲しい。「ひち、はち、きゅう」♪ しかし、私の子ども時代でさえ、「質屋」を「ひちや」と呼ぶ人はいなかったかも。

   

時代劇の長寿ドラマ『水戸黄門』の風車の弥七は「やしち」ではなく「やひち」と発音されてた(笑)、とかいうネット情報も気になりつつ、ではまた明日。。☆彡

    

     

       (計 1754字)

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アリス・谷村新司追悼~ボクシングの曲『チャンピオン』の歌詞モデル、カシアス内藤の引退試合(沢木耕太郎『一瞬の夏』より)

記事タイトルが長過ぎるけど、最低限の内容をまとめてもこの長さになってしまう。谷村新司の『チャンピオン』という代表曲は、ボクシングの歌詞という点も目立った特徴だし、実在の日本のボクサー(父は米国人)がモデルなのも興味深い。

    

それに加えて、谷村をカシアス内藤に会わせた作家・沢木耕太郎がノンフィクション小説の主人公にしてるのだ。まず、短編小説「クレイになれなかった男」。短編集『破れざる者たち』の冒頭に所収。

   

同じ名前はもらってるし、黒人の血も受け継いでるけど、カシアス・クレイ(=モハメド・アリ)ほどの偉大なボクサーにはなれなかった男、という意味のタイトルだろう。沢木がかなりボクシング通らしいことがすぐ分かる内容になってた。

    

その後、本格的にカシアス内藤を扱ったのが、長編小説『一瞬の夏』(新潮文庫)。もともとは朝日新聞・夕刊の連載小説で、電子書籍2冊の無料サンプルに加えて、朝日のデータベースで連載を直接読むことができた。下の表紙はamazonより。

   

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谷村新司の突然の訃報で、昨日(2023年10月16日)から情報が溢れてるけど、おそらくこの小説の最後を扱ってる情報はほとんど無いだろうと思うから、私が簡単にまとめてみよう。要するに、名曲『チャンピオン』の歌詞(フィクション)と、現実との比較ということだ。下のレコード・ジャケットはAlice公式サイトより。

  

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      ☆     ☆     ☆

『チャンピオン』は1978年12月の曲で、カシアス内藤の復帰後の最終試合は1979年8月22日。だから、谷村が沢木の紹介でカシアス内藤に出会ったのは、最後の試合の1年近く前ということになる。

    

だから当然、谷村の歌詞は、想像によるフィクション。序盤にいきなり「震える白いガウンに 君の年老いた悲しみ」というフレーズがあるけど、カシアス内藤は出会いの時にはまだ(?)29歳だ。

  

ちなみに令和5年の今現在、世界に君臨する絶対王者・井上尚弥は30歳♪ 誰も「年老いた」とは言わないはず。まあ、作曲の当時は半世紀前だから、ボクシング界の年齢の感覚も今とは全然違うのかも知れない。一応、輪島功一は例外的に34歳(1977年)まで挑戦し続けたらしい。

   

カシアス内藤のかなり若い頃(1968年だから18歳か19歳)の縮小写真は、東京新聞の記事より。

   

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       ☆     ☆     ☆

さて、沢木耕太郎の新聞連載が開始されたのは、1980年3月17日。カシアス内藤の最後の試合から半年ちょっと経った時期だ。ちなみに、その試合は、朝日新聞のニュース記事にはなってなかった。朝日は一般紙だし、内藤は世界チャンピオンではないから、普通のことだろう。  

   

最後の試合内容の記述は、1981年4月30日(第332回)~5月6日(第335回)。2回KO負けということもあって、わりと短い。そして、5月9日(第339回)で連載が終了。その後、書籍化の際に、何か追記とかあったのかも知れないけど、そこまでは調べてない。 (追記: 少しだけ書き足してるらしい。)

    

で、カシアス内藤の最後の試合は、韓国で開催されて、相手も韓国の。王座決定戦だから、両者とも、普通の意味でのチャンピオンではなかった。朴は21歳になったばかりの若さで、しかも荒々しいパンチを持ってたらしい。その点は曲の歌詞と同様。

   

「・・・朴が右のフックを振り回した。凄まじいパンチだった。内藤は小気味よいスェー・バックでかわしたが、その荒々しさに度肝を抜かれたような表情を浮かべた」(第332回)

   

   

      ☆     ☆     ☆

とはいえ、2回の途中まではカシアス内藤のペースだったらしい。ところが、朴の荒々しいパンチがいくつか当たると、内藤は打ち合いに出てしまう。内藤のアッパーに対する朴のクロスカウンターの左フックが激しくヒット。

  

内藤のアッパーが朴の顔面をかすめ、天井に向かって流れたのがはっきりと映った時、朴のフックが内藤の頬に吸い込まれるように入っていった。

 

 内藤の顔は、その衝撃で大きくひねられ、天井を向いたまま、仰向けになって倒れていった。倒れた瞬間、内藤の後頭部は激しい音を立ててキャンパスに叩きつけられた

   

曲の歌詞だと、一度立ち上がったものの、若い力に負けて「静かに倒れて落ちた」とされてた。現実の内藤の試合では、激しく倒れたまま、立ち上がれなかった。

   

歌詞では「立たないで もうそれで充分だ」。現実には、リング脇にいた沢木は「立て」と叫んでた。「セブン、エイト、ナイン、テン」。カウントダウン終了、朴のKO勝ち。。

   

    

      ☆     ☆     ☆

そして、本当の最後。『チャンピオン』の歌詞だと、ロッカールームのベンチで彼はつぶやく。「帰れるんだ これでただの男に」。

    

一方、沢木のノンフィクション小説によると、現実には更衣室のベンチで彼はつぶやいた。「リングに上がって・・・・・・初めて足が震えなかったのに・・・・・・生まれて初めて、恐くなかったのに・・・・・・」。

    

現実だと内藤の無念さも表されてるけど、曲と同じく、優し過ぎるボクサーの哀しさと美しさも表されてる。ちなみに、カシアス内藤は健在で、突然の永遠のお別れを惜しんでた。

   

   

      ☆     ☆     ☆

なお、ネットの一部で噂されてるカシアス内藤の逮捕という話は、デマではなくて事実。2000年10月5日に市役所の担当者を殴ってしまったらしい。翌日の朝日新聞にも掲載されてるし、2004年の朝日系週刊誌AERAでも逮捕歴を掲載。

     

確かに犯罪ではあるけど、23年前の軽微な事件だから、あまり重要な事とは思わない。母親関連のトラブルの対応で、ついカッとなって手が出てしまったらしい。

      

それでは今日はこの辺で。あらためて、谷村新司の安らかな眠りを祈りつつ、合掌。。☆彡

    

       (計 2348字)

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映画『SEE HEAR LOVE』、真治(山下智久)が借りたリルケの詩「私の目を消し去ってみようとも」(ドイツ語原文、英語訳)

ネット公開から丸2ヶ月遅れになってしまったけど、ようやくamazonのプライム・ビデオで映画『SEE HEAR LOVE』を鑑賞した。残念ながら、長編レビューを書く余裕はないけど、マニアックな感想記事を軽く書いとこう。

  

今現在、オーストリアの有名な詩人リルケ(1875-1926)のドイツ語の詩の原文や背景までチェックしたレビューは、ネット上に見当たらない。私は昔、学校で、『マルテの手記』という小説を少し読んだ覚えがある。家のどこかに、岩波文庫が残ってるかも。

            

映画は2時間12分の長めの作品だけど、内容は豊かで、退屈しないどころか、一瞬も見逃せない。テレビの連続ドラマと違って、かなり省略されてるし、見る側も色々と試される。特に前半は、台詞が少ないから、映像を読み取ることになる。

   

ちなみに、映画館で上映されてるディレクターズ・カット版は見てない。下は公式サイトより。

    

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     ☆     ☆     ☆

試しに今、Googleで「SEE HEAR LOVE」の検索をすると、入力候補の上位に「死んだ」と出た♪ 少し検索ワードを変えると、今度は「死んでない」という候補も登場(笑)。論争中ということか。

      

フィクションの解釈は、基本的に受け手の個人の自由。だけど、もし主人公の泉本真治(山下智久)がラスト手前の公園で死んだと考えるのなら、飛行機の国際便やエンディングの結婚式のシーンは、ヒロイン・響(新木優子)の幻想・妄想・幻覚と考えることになるはず。それにしては長過ぎるし、一番最後だけ単なる空想で終わるフィクションというのはほとんど無い。

       

原作マンガとされるもの(?)はまだ知らないけど、映画の物語、ストーリーを丁寧に見てみよう。まず、映画の序盤、真治の最初の診断は「急性閉塞性隅角(へいそくせい・ぐうかく)緑内障だと思われます」。

     

不治の病で完全に失明と断定されてるわけではないし、実際、治療法(薬、レーザー、手術)もある。おまけに、あの小さな街医者っぽい医師は、いかにも投げやりで怪しげに見えた。

    

   

      ☆     ☆     ☆

それに対して、終盤の最初あたりには、緑内障ではなく、悪性の脳腫瘍が原因だったと診断されてる。ここは大金持ちの社長が運んで行った大病院で、レントゲン写真付き。鞍上部(あんじょうぶ)で、アメリカかインドならオペの経験豊富な医師がいると聞いた、と話してた。

  

そして、結婚式の前の映像。まず、樹木が枯れ木から緑へと変化する様子が高速で描かれてる。これは、雪のクリスマスでベンチで発見されてから、半年ほど経ったということ。雲の上の明るい太陽は、不幸の後のハッピーエンドの象徴。

   

真治が腕時計の針を動かしてたのは、国際便の中での時差の調整。1人で歩く時も、杖もサポートも無し。そして、結婚式で真治は、牧師の手話とか、ハッキリ見つめてる。

   

これらを総合するだけでも、真治は海外で脳腫瘍の手術を受けて、とりあえず成功。目もかなり見えるようになって、頭痛もほぼ消えたと解釈するのが自然。「最後まで諦めないで」、「辛い時こそ、笑うのよ」(by真治)。

    

ネットでは、描き方が雑だとかいうレビューも目立ってたけど、2時間ちょっとの映画でこれだけ明確に撮影・編集してるのだから、むしろ丁寧に描かれた奇跡のハッピーエンドになってた。「それでもハッピーエンドは存在します」(by真治)。

    

    

      ☆     ☆     ☆

実は、それらに加えて、終盤のリルケの詩もハッピーエンドを示唆してた。漫画のアシスタント・沙織(山本舞香)の家からもいなくなった真治を、響が探し回るシーン。

  

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真治の「最後の言葉」とされるものが、彼の漫画『ONLY FOR YOU』(あなたのためだけに)の台詞として書かれてた。山Pのモノローグ音声付き。「僕の友人 ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)の言葉を借りようと思います」。

   

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あの詩はかなり有名なようで、元はドイツ語だけど、英語訳ヴァージョンが拡散してる。独立した1つの詩というより、詩集の中の一節に近くて、詩の題名も無し。石丸訳のグーテンベルク21『リルケ詩集』によると、1901年(または1897年)の作とされてる。

    

全体的な内容は、「目が見えなくても、耳が聞こえなくても、口がきけなくても、脳がやられても、あなたを愛し続ける」ということ。まさに、2人のラブ・ストーリーと重なるもの。訳書の解説によると、リルケが恋するルー・アンドレアス・サロメに宛てて書いた一文とのこと。

  

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では、ドイツ語と英訳と日本語を比較しながら、対訳をまとめて味わってみよう。ドイツ語を見て初めて、音声的に韻を踏んでる詩だと分かる。例えば、文末。ゼー(エ)ン、ヘーレン、ゲー(エ)ン。。 英訳はちょっとクセがあって、直訳とは限らないので、念のため。日本語はほぼ直訳。

     

ドイツ語英語版のウィキソースと、映画の台詞より。詩集の日本語訳ではないので、念のため。監督・脚本はイ・ジェハン。リルケが無くなって100年近いから、本国オーストリアでの著作権も消滅。

   

     

      ☆     ☆     ☆

 Lösch mir die Augen aus: ich kann dich sehn,

 Extinguish my eyes, I still can see you,

 私の目を消し去ってみようとも あなたが見えます

   

 wirf mir die Ohren zu: ich kann dich hören,

 Close my ears, I can hear your footsteps fall,

 私の耳を封じてみようとも あなたが聞こえます

   

 und ohne Füße kann ich zu dir gehn,

 And without feet I still can follow you,

 足がなくても あなたのもとへ行けるし

   

 und ohne Mund noch kann ich dich beschwören.

 And without voice I still can to you call.

 口がなくても あなたを呼び寄せられます

   

  

      ☆     ☆     ☆

 Brich mir die Arme ab, ich fasse dich

 mit meinem Herzen wie mit einer Hand,

 Break off my arms, and I can embrace you,

 Enfold you with my heart as with a hand.

 私の腕を折ってみようとも 手で触れるかのように

 あなたを私の心臓で触れるでしょう

  

 halt mir das Herz zu, und mein Hirn wird schlagen,

 Hold my heart, my brain will take fire of you

 私の心臓を塞いでみようとも 私の脳が鼓動するでしょう

  

 und wirfst du in mein Hirn den Brand,

 so werd ich dich auf meinem Blute tragen.

 As flax ignites from a lit fire-brand—

 And flame will sweep in a swift rushing flood

 Through all the singing currents of my blood.

 そして 私の脳に あなたが火をつけるのなら

 私の血に あなたを乗せて行くでしょう

    

  

なお、この詩は英語でしばしば「extinguish thou my eyes」と呼ばれてる。thou(あなた)が私の目を消し去ったとしても・・という意味で、主語と動詞を倒置してる詩的表現だろうけど、元のドイツ語には、あなたという言葉は入ってない。

    

この映画については、まだ書くことが沢山あるけど、もう時間が無くなったので終わりにしよう。オー・ヘンリー『賢者の贈りもの』については、3年半前に記事を書いてる。個人的には、リルケが懐かしかった。それでは今日はこの辺で。。☆彡

     

      (計 3148字)

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「僕は仕事後インソムニアック(insomniac)」♪、プチ不眠症患者もどき・・&居眠りジョグ5km

(23日)JOG 5km,29分13秒,平均心拍 122

消費エネルギー 207kcal(脂肪 68kcal)

    

18年近く前にブログの毎日更新を始めて以来、新聞をじっくり読むヒマが無くなってるけど、金曜の夕刊と土曜の朝・夕刊はわりと読みやすい。単なる時間配分の問題なのだ。日曜は家で仕事してることが多いから、もう余裕がない。

   

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23年6月23日(金曜)の夕刊には、『君は放課後インソムニア』という妙なタイトルの「キラキラ青春映画」が紹介されてた。最近はもう、この種のタイトルを見るだけでお腹いっぱいの人も多いはず(笑)

   

レビュー執筆は映画評論家、大久保清朗。「生の苦しみ」? 「性の楽しみ」じゃなくて?♪ 不眠症は現代における呪いのメタファーだと。ちょっと解釈が弱いね。呪いだけなら、不眠症を選ぶ必要はない。もうちょっと突っ込まないと。メタファーはむしろ、太い望遠鏡♪ 何の?!

    

少女は、寝てる間に心臓が止まるのが怖いらしい。少年は、寝てる間に母が消えたのがトラウマ。ということは、起きてる間、意識がある間は何とかなるのだ。その意味では、「生の苦しみ」というより、「無意識的な生の苦しみ」だろう。「何となく」だけど(笑)。『教場0』の白石麻衣か!

   

     

     ☆     ☆     ☆

さて、素直で純粋な私は直ちに、その映画の広告を探したけど(笑)、夕刊に載ってない。珍しく♪ いや、ホントによく、記事の周辺に広告が載ってるもんで。新聞社も、ネットに押されて経営が大変だと。

     

まあ、この広告が載ってないのは、映画も漫画もアニメも完全に若者向けだからだろう。新聞なんて、ほとんど読まない世代だから、広告を出しても意味がない。

   

一方、映画レビューだけなら読み手がいるのだ。見ることはないけど、一応、若者世代の文化に目配りしときたい大人がいるから♪ 他人事か! いや、私の関心は若者文化というより、「インソムニア」という単語だけ。マニアック・ブロガーの「マニア」と似た単語だから(笑)

    

    

     ☆     ☆     ☆

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「insomnia」という英単語は、語源的に、in(無し)+somnia(睡眠)であって、文字通り「不眠症」を意味してる。

    

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それは、作品の内容紹介からも明らかだけど、タイトルをよく見ると、「insomniacs after school」と書いてる。韓国の女性アイドル、アフタースクールの衣装がセクシー過ぎて、ファンが不眠症になったと♪ オイッ! 

     

そうじゃなくて、「insomniacs」(インソムニアック)は「不眠症患者たち」という意味。語尾の「ac」が何かにかかってる人を表す接尾辞で、「maniac」と同様。最後の「s」は複数形。

    

あぁ、納得した♪ 「マニアック」(熱狂的な人)はもう満足したけど、「期間限定」で1巻「無料」とか書いてたから、原作マンガの1巻も流し読みしてみた。ネタバレ注意♪

 

   

      ☆     ☆     ☆

学校の屋上あたりに、今は使われてない天文台みたいな施設がある。昔、天文部員の恋愛関連で不幸な死が相次いで、廃部になったから、天文台は倉庫になってしまった・・とかいうウワサが流れてる(事実かどうかはまだ不確定)。

   

そこに、男の子(中見丸太:なかみ・がんた)が入り込むと、女の子(曲伊咲:まがり・いさき) が中でこっそり眠ってた。ウワサを流したのは、この女の子らしい。不眠症の2人が偶然出会って、特別な関係になる。

     

要するに、眠れなくなったらプラネタリウムへ行けば寝れる・・っていうアドバイスか(笑)。あるいは、彼氏・彼女が欲しかったら、出会い系アプリよりも天文台とか♪ 私はいまだに行ったことないけど、前から行ってみたいなと思ってる。青空や星空を見上げるのは、子どもの頃から好きなのだ。

   

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それにしても、この実写映画の主役2人、森七菜と奥平大兼(おくだいら・だいけん)が、原作のイメージによく似てる♪ 初めから、この2人を意識してマンガを描いたのかね? メディアミックス戦略なら、ホントにやってても不思議はない。

  

しかし、マンガやアニメならともかく、実写映画を中高校生らが見に行くのかね? 少年少女のように純粋な心の持ち主としては、今後の興行収入やランキングに注目しとこう♪

   

    

      ☆     ☆     ☆

で、私が最近、あまり眠れなくなってるのは事実なのだ。別に無理やりコネタに合わせてるわけじゃなくて、ここ半月くらい、調子がおかしい。

   

眠れないというより、眠っても途中で目が覚めてしまう。それでいて、眠気はずっと続いてるから、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)がかなり下がってる。仕事中、立ったままでもマイクロ・スリープしそうになるのだ (^^ゞ 駅のホームドアが有難い♪ コラコラ!

     

何でかね? 忙しいのは事実だけど、ストレスとかプレッシャーに関しては、それほど強いわけでもない。アッ!、そうか。1つ、ハッキリした理由に気付いた♪ なるほど。それはしばらく書けないかも。10年後に書こうか(笑)。10年後、ウチはどうなってるのかね? 流石にココログが終了して、よそに引っ越ししてるか、個人サイトを開設してるかも。

    

    

      ☆     ☆     ☆

とにかく、あまりに眠いから、昨日・・じゃなくて日付け変わって一昨日(金曜)は、帰宅後にちょっと仮眠。夜中に起きて、しばらくゴソゴソした後、5kmだけ居眠りジョグをこなした。あんまし身体に良くないことだから、良い子は真似しないように♪

    

それほどゆっくり走ったつもりもないのに、さっぱりスピードが出なくて、トータルでは1km5分50秒ペース。遅っ! 気温22度、湿度90%、風速1.5m。近所の公園で走ったら、久々に脚に虫刺されが出来て、超~痒かった (^^ゞ 息が止まりそうなほど。あそこは絶対、変な虫がいるよな。ブツブツ♪

    

新・心拍計は序盤とラストが異常に高い値だったから、補正した。なお、今週は計14823字で終了。また来週。。☆彡

 

     

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往路(1.2 km) 7分47秒 108 122 

LAP 1(2.2) 13分00秒 121 129

復路(1.6)   8分26秒 132 159

計 5km 29分13秒 122(72%) 159(94%) 

     

      (計 2476字)

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