フィクションとしての妖怪娯楽と、フーコー的アルケオロジー(考古学)~香川雅信『江戸の妖怪革命』(2021年・共通テスト・国語)

2021年(令和3年度)1月16日、初めての大学入学共通テストの第1日が終了。コロナ禍=コロナ下の初回実施としては、無難に成功したようだ。夜の時点で、53万人の受験生に大きな混乱は報告されてない。

    

当サイトでは毎年、国語と数学の解説記事を書いてて、国語では小説を本格的に扱うことが多かった。問題文の範囲を超えて、元の著作全体を扱うとか。別に評論や理屈が避けてるわけではないが、小説の方が面白くて奥行があるし、温かい記事を書きやすいのだ。

   

ただ、今年は評論で「妖怪」の話が登場。ツイッターでも妖怪へのコメントが目立ってたし、個人的にも幼い頃の妖怪映画の思い出は強烈に残ってるから、とりあえず第1問の評論について軽く書いとこう。ちなみに過去の国語記事は、この記事の末尾にリンク付きで提示する。

    

   

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軽くと言っても、予備校などの解答や分析とあまり重ならないマニアックな事を色々書いてみる。例えば、言及されてたフーコーの哲学書の原文とか♪ 私には、妖怪そのものより、フーコーの方が興味深い。

      

ちなみに、ツイッターで「共通テスト 妖怪」を検索すると、大量のつぶやきがヒットする。「共通テスト 芥川」も結構多い。ところが、「フーコー」に変えると8つしかツイートが出ない。

   

大人気の有名哲学者でさえ、こんなものか。「アルケオロジー」は3つ、「考古学」は1つ。ヒネって、「パラダイム」や「クーン」を検索すると、ゼロになる。「カント」も実質的にゼロ(無関係なつぶやきのみ)。

   

実はこの問題文は、フーコーというより、科学史家クーンのパラダイム論の通俗的応用。その前にはカントのアプリオリな形式の議論がある。その辺りまで触れるのが、マニアックな考察だ。出典の題名に「革命」という言葉が入ってるのは、クーンの代表作『科学革命の構造』を意識したものだと思う。

        

地理の『ブラタモリ』的中とかは、SNSにお任せしよう。問題作成者は、NHKの看板番組との一致に動揺したはず♪ まさか問題漏洩はないと思うが、果たして。。

    

    

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問題文はいつものように、河合塾HPで確認した。ただ、今年は珍しく、わりと早い時間帯から堂々とtwitterに問題文が全てアップされてた。例年ならせいぜい、ごく一部の画像のみだ。

  

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上は、問題の出典となった著作、香川雅信『江戸の妖怪革命』の最初の単行本。河出書房新社から2005年に出版。

  

表紙の画像はamazonより。江戸時代の作品か、現代の作品かは不明。人間自体が妖怪とか、著者が妖怪というヒネった見方も可能だが、普通に見ると、下の部分が妖怪の姿。

   

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障子紙を突き破って、ろくろ首が女性を襲ってるのに、首の下の男は知らんぷりで吹き矢で(?)遊んでるように見える♪ こうした感覚が、「妖怪娯楽」ということか。

  

  

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この本は人気があるようで、2013年には角川ソフィア文庫になってるし、アマゾンの電子書籍・キンドル本にまでなってた。

   

おかげで、無料サンプルを入手して、問題文の前の部分を読むことが可能。元の単行本より分かりやすい妖怪の絵が5匹(?)、表紙に描かれてる。5人とか5体と呼ぶべきかも。

     

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その中心は、元の単行本と同じく、ろくろ首。首が長いとか、目が3つあるとか1つしかないとか、妖怪の特徴は一目で誰でも認識可能。ただし今現在だと、障がい者や多様性への配慮から、扱いが微妙な存在かも。

   

  

     ☆     ☆     ☆

さて、問題文は、序章「妖怪のアルケオロジーの試み」の途中の箇所。それより前の部分はまず、柳田国男『遠野物語』における河童の記述の引用から始まる。

  

「・・・二代まで続けて川童(かっぱ)の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき・・・」。

   

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上図は無料の電子図書館・青空文庫より。著作権は消滅。2021年の現在だと、ブログに引用するのもためらわれるような文章を長めに引用した後、著者はこう語る。

  

「女性を惑わし、子どもを孕ませる醜い怪物。遠野に実際に語り伝えられていた河童は、そうした忌まわしい存在であった。それが現在では、丸っこく愛らしいキャラクターとして、遠野のシンボルとなっている。変貌を遂げたのは遠野の景観ばかりではない。妖怪に対する考え方、接し方も、また大きく変わっていったのだ」。

    

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上は遠野市HPのトップ画像。確かに、これはもうカワイイだけのキャラクター♪ カリンちゃん(カッパ+リンドウ)。下の左側は、巡回タクシーのイメージキャラ、くるりんちゃん。

  

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     ☆     ☆     ☆

こうした具体的な文章やイメージを先に与えてくれれば、受験生も問題文を読みやすかったはず。あぁ、なるほど、「革命」的に妖怪が変化してるんだな、と。

  

ところが、大学入学共通テストではいきなり難しげで真面目な文化論から始めてるから、そもそも妖怪を娯楽として楽しむという感覚を持ちにくい。だから、後の設問の選択肢から最適なものを選ぶのも難しくなってしまう。

   

おまけに、いきなりフランス現代思想の通俗的説明が登場。問題文でも、著作の序章でもポイントとなる箇所を引用してみよう。

  

アルケオロジーとは、通常『考古学』と訳される言葉であるが、フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組み ── 「エピステーメー」(ギリシャ語で「知」の意味)の変容として歴史を描き出す試みのことである。人間が事物のあいだにある秩序を認識し、それにしたがって思考する際に、われわれは決して認識に先立って『客観的に』存在する事物の秩序そのものに触れているわけではない。事物のあいだになんらかの関係性をうち立てるある一つの枠組みを通して、はじめて事物の秩序を認識することができるのである。この枠組みがエピステーメーであり、しかもこれは時代とともに変容する」。

   

  

     ☆     ☆     ☆

あらかじめ、高校の倫理とかで大まかな話をかじってないと、大学受験生にはキツイだろう。フーコー自身は後でまた見るとして、その方法論を用いた著者の方は、妖怪の歴史を不連続的に3つに分ける。後に続く本論を先取りした要約。

  

まず、中世。妖怪は、「物」であると共に、神秘的存在(神仏など)からの警告の「言葉」を伝えるもの、吉兆だった。言葉を伝える物としての「記号」。

   

具体例は書いてないが、例えば、ある妖怪が現れたら、神が村人に「謝罪して反省の態度を示せ」とか激怒してるということか。で、村人が何か、神に捧げて一斉に頭を下げるとか。

   

次に、近世。この中期と後期を「江戸」とみなしてるような感じだ。近世では、物は物として、神秘的存在の言葉からは切り離されるし、人間が人工的に作ってコントロールできるようになる。

 

妖怪の意味は人間が与えることが出来るし、意味よりも形(形象性)や見た目(視覚的側面)が重視される記号なので、中世の記号と区別して「表象」と呼ぶ。キャラクター的で、リアリティを失ったフィクション。もはや娯楽の題材。

   

最後に、近代。簡単に言うと、明治以降のことか。妖怪は、謎めいた内面を持つ不安定な人間、「私」を投影した存在として、以前の中世などとは別の(人間的)リアリティを持つことになる。

  

これを著者が「記号」と呼んでないのは、近代の妖怪が反映する人間とか私という存在が、まとまった意味というより、曖昧で複雑な全体的広がりだからだろうか。案外、本論では記号と呼んでるのかも知れない。。

   

   

      ☆     ☆     ☆

著者が、「物」「言葉」「記号」「表象」「人間」といった言葉を特別扱いしてるのは、参照してるフーコー『言葉と物』の中心概念だから。「物」のフランス語は「chose」(ショーズ)で、物体だけでなく「物事」を広く表す。

      

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副題は、新潮社の日本語訳で「人文諸科学の考古学」とされてるが、人文諸科学の人文は、フランス語でも英訳でも「人間の」という意味。つまり、副題に「人間」と「考古学」が入ってる。

    

フーコー自身は哲学者だから、今回の著者よりも遥かに慎重で難しい語り口をしてる。『言葉と物』の序で、アルケオロジー(考古学)について説明する文章を引用してみよう。

  

あきらかにしようとしているのは、認識論的な場、すなわち、合理的価値や客観的形態に依拠するすべての規準のそとにあるものとしての認識が、そこにおのれの実定性の根をおろし、そうやってひとつの歴史、みずからの漸次的完成化の歴史ではなく、むしろみずからの可能性の条件の歴史といえる、ひとつの歴史を明確化する、そうした場としての《エピステーメー》なのである。そしてそのような物語のなかにあらわれるものこそ、知の空間において、経験的認識の多様な形態をつぎつぎと生みだしてきた、さまざまな布置にちがいない。だからこれは、語の伝統的意味での歴史というよりは、むしろ『考古学』と言うべきであろう」。

  

この渡辺一民と佐々木明の翻訳文は、先駆的な労作ではあるけど、失礼ながら今の感覚ではちょっと古くて読みにくい所もある。長い仏文の直訳に近いから、例えば「ひとつの歴史」という言葉(関係代名詞 qui の先行詞 une histoire)を2回くり返すことになってる。今だと、2文に分けて訳す方が読みやすい。

     

むしろ英語が読める人なら、Googleでプレビューとして部分公開されてる英訳の方が分かりやすいだろう。英訳タイトルは『The Order of Things』(物事の秩序)、Routledge(ラウトレッジ)社。

   

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     ☆     ☆     ☆

なお、上の英訳の最後、「archaeology」(考古学)には注の番号が付いてて、考古学については次の著作で検討するとフーコーは書いてる。

   

その著作、3年後の『知の考古学』では、さらにアルケオロジーの意味は複雑に変化。通俗的な解釈に釘を刺すような、あるいは水を浴びせかけるような言葉を、フーコーは一番最初から書いてるのだ。

  

「・・・これまで空(から)のままで放置してきた<考古学>という語に意味作用を与える・・・。<考古学>とは危険な語である。というのは、それが、時間の外にぬけ落ち、今や無言の中に凍結されたさまざまな痕跡を呼び起こすように見えるからである。事実は、重要なのは、さまざまな<言説>(ディスクール)を記述することである」。

   

要するに、普通の歴史や歴史学のさらに根本にあるもの(特にテキスト)の総体がアーカイヴ(英 archive)で、その研究・分析がアルケオロジー(英 archaeology)。

   

   

     ☆     ☆     ☆

したがって、フーコー的な考古学は、簡単に要約できる枠組みの変容の描写と同じではない。また、カント哲学の比喩として使われる色メガネ(かけると世界がその色に見える)のような認識装置でもない。まったく無関係な別物とまでは言えないにせよ。

   

簡単に・・とか言いつつ、既に長くなってしまったので、この辺で終わりにしよう。芥川龍之介の『歯車』も、青空文庫にある。

    

一言でまとめるなら、歯車とは、機械的な人間(特に自分)の幻覚のこと。背景には、人間の未知の内面、リアリティと関わる精神病や精神医学があるわけだ。

  

今週は計16681字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

  

  

cf. 妻、隣人、そして自分・・戦争をはさむ死の影のレール~原民喜の小説『翳』(2020年センター試験・国語

 妻と再会できた夜、月見草の花畑~上林暁『花の精』(2019センター試験・国語)

 自転車というキュウリに乗って、馬よりゆったりと♪~井上荒野『キュウリいろいろ』(18センター国語)

 「春」の純粋さと郷愁が誘う涙、野上弥生子『秋の一日』~17センター国語

 キャラ化されない戦後の人々、佐多稲子『三等車』~16センター国語

 啓蒙やツイッターと異なる関係性、小池昌代『石を愛でる人』~15センター

 昭和初期の女性ランニング小説、岡本かの子『快走』~14センター

 幻想的な私小説、牧野信一『地球儀』~13センター

 鷲田清一の住宅&身体論「身ぶりの消失」~11センター   

   

       (計 4868字)

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テレビ未放映、『カネ恋』幻の第5話~第8話における『方丈記』の引用と意味(大島里美『シナリオブック』)

ドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』のシナリオブック発売(20年11月10日、角川書店)から、2ヶ月が経過した。

   

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既に三浦春馬ファンの方々は、本を手に入れてるか、情報を仕入れてるだろうし、そろそろ当サイトでも解禁していいと思う。そもそも、早く買わないと写真入りの帯が付かなくなるから、好きな人はすぐ買ったはず。

    

ちなみに上が、帯付きの表紙写真。表紙の下側に巻かれる帯は、何種類かに分かれてる場合もあるけど、この本は1種類だと思う。ネットに大量にアップされてる画像のすべてが同じだから。

  

帯なしだと、下の通り。アマゾンより。主演2人の写真ではなく、玲子(松岡茉優)がひっそり暮らしてた小さい部屋(方丈)の写真が印刷されてる。窓の下に置かれてるのが、鴨長明『方丈記』の本。

  

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中身はこんな感じで、台詞だけでなく、各シーンのタイトルや説明も書かれてる。

   

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例えば第1話の冒頭、玲子が手を合わせて拝む仕草は、シナリオには無い。これは私の予想通りで、既にレビューで指摘してたこと。おそらく、三浦を意識した監督による演出だろう。そうでなければ、松岡自身による演技か。

    

   

     ☆     ☆     ☆

それでは、書籍の販売に配慮して今まで延期してた記事をアップしよう。テレビ放送されてない第5話~第8話(本来予定されてた最終話)における、鴨長明『方丈記』の引用と意味の解説。ストーリー的なネタバレはなるべく避ける。

    

私は『方丈記』の引用が毎回楽しみで、ドラマ第4話まで毎回、解説レビューをアップ。オンエア中はかなりのアクセスを頂いて、ツイッターでもいくつもリンクを付けて頂いたし、今でも結構アクセスが入ってる。

   

 鴨長明『方丈記』と座布団、三浦春馬にたむけるラブコメディー~『カネ恋』第1話

 方丈記「かむなは小さき貝を好む」、『カネ恋』第2話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「いかにいはむや、常に歩き」、『カネ恋』第3話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「猿の声を聞いて 涙をこぼす」(原文「猿の聲に袖をうるほす」)、『カネ恋』最終回SPに合わせた意味と現代語訳

   

     

TBSのテレビドラマは、まさかの訃報を受けて予定を短縮、第4話で終了。しかし、テレビ未放映、第5話から第8話までのシナリオ(脚本)を書籍化して発売。

   

これを読むと、脚本家・大島里美の本来の筋書きや「本当の結末」も分かるし、ドラマ化された部分でも、「脚本」にない「演出」や「演技」がどのように行われてるのか分かるのだ。

   

   

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では、まず第5話。サブタイトルは、「その人と、未来を描けますか?」。要するに、好きな人との今後(特に結婚)を考えるお話。

    

テレビの第4話に挿入された『猿の聲に袖をうるほす』の部分が、元のシナリオではこの第5話に登場。既にウチでは第4話レビューで説明した箇所なので、ここでは省略する。

     

「故人を忍び」という引用は、もともと三浦の死とは関係なかったらしい。単に、三浦が演じた登場人物・慶太への思いを表したもの。

   

   

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続いて、第6話。「おこづかいとお誕生日」。以前と同じく、青空文庫『方丈記』で引用箇所を確認すると、真ん中を過ぎた辺りだ。

  

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春は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。秋は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。

   

私が現代語に訳すと、こんな感じだ。直訳だと意味不明な部分なので、補足的な説明を加えてある。鈴木春治『方丈記の解釈』を参照。国立国会図書館デジタルコレクションで公開中。

  

春は、藤の花が咲いてるのを見る。死ぬ時に迎えに来てくださる仏様が乗って来る紫の雲みたいで、しかも極楽のある西の方に匂ってる。夏はカッコウの鳴き声を聞く。それを聞くたびに、自分が死んだ後の冥途の道案内をしてくれるよう、カッコウと約束する。

  

秋は、ひぐらしの声が充(み)ちてる。はかないこの世を悲しんでるようだ。冬は雪の景色を味わう。雪が積もって消える様子は、極楽浄土への往生の際に障害となる、人の罪が積み重なったり消えたりするように見える。

   

あまりネタバレにならないように言うと、会社で犯「罪」が発覚して、すべて終わりのような雰囲気が出て来る。そうした物語の流れと重ねてるわけだ。最初に罪に気付いたのは当然、「あの人」♪

    

古書のくずし字だとこんな感じ。以前の記事と同様、鴨長明学会『鴨長明方丈記』より。これも国立国会図書館にて公開中

  

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さらに、第7話。「経理部のプライド」。真ん中より少し前側の箇所が引用されてる。

   

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もしおのづから身かずならずして、權門のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大にたのしぶにあたはず。なげきある時も聲をあげて泣くことなし。進退やすからず、たちゐにつけて恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。

   

もし、自分自身は大した事ないのに、たまたま権力の近くにいて助けられてる人であれば、心の奥で喜ぶことがあっても、思い切り楽しむことはできない。嘆いてる時でも、声をあげて思い切り泣くことはできない。身動きが難しく、恐れおののくように振舞う様子は、例えば、スズメがタカの巣に近づいてるようなものだ。

   

これは、遠回しに言うと、社内の「犯罪者」(悪者)がこそこそビビってる様子を表す引用。あえて、誰とは言わない♪

   

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そして最後、第8話「ほころびの行方、ふたりのはじまり」。この場合のほころびは、2人の事だけじゃなくて、会社の巨大なほころびも指してる。

   

第1話で引用された方丈記の冒頭の有名な箇所が再び登場。その少し後、「あしたに死し・・・」という箇所も引用されてるけど、既に以前の記事で触れてるから、ここでは省略。

   

それ以外に、方丈記のラスト辺りが引用されてた。

  

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そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。・・・・・・月かげは 入る山の端も つらかりき たえぬひかりを みるよしもがな。

   

さて、自分の一生は、月の光が沈むような感じで、余命は終わりに近づいてる。・・・・・・「明るい月明かりは、山に沈んで消えるのが辛い。絶えない光を見たいものだ」。

   

最後の歌は、自分の命という儚い光と、仏様のありがたい光と、2つを掛け合わせてる。ドラマのシナリオ的にはさらに、会社の命運も掛け合わせてる。2人の命運は、ちょっとしか入ってない(個人の感想♪)。

  

ちなみに、なぜか最後の歌だけ、くずし字になってないのは、研究者が補った文字だからだと思う。

    

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     ☆     ☆     ☆

月の光。。 個人的には、当時(2020年の夏)、三浦春馬と共演中だったJUJUが、年末の紅白歌合戦で最初から最後まで見せてた瞳の光を思い出す所か。誰もいない真っ暗な観客席に向かって熱唱する姿が印象的だった。

       

 離れていても そばにいるよ ・・・

 ぬくもりはいつも この胸の中に

 決して失くさないよ ありがとう

    (『やさしさで溢れるように』 歌詞・小倉しんこう・亀田誠治

   

それでは今日はこの辺で。あらためて、合掌。。☆彡

    

         (計 2898字)

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20歳・大学生の山Pが色紙に書いた言葉「愚公移山」(中国の書籍『列子』湯問)、原文と意味

「愚公移山」の精心でガンバレ!! 山を移す♪ 偶然とは思えない言葉だね。将来の自分が活躍場所を移すことが薄々わかってたと。

     

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この変色した色紙の言葉。2005年5月4日のコンサートで、山P=山下智久が投げた物らしい。20歳の大学生(明治大学商学部)時代。当時は「やましたともひさ」とひらがなでサインしてたのかな?

     

「精心」っていう誤字がカワイイね・・と書こうとして、念のために検索してみたら、昔は「精心」という漢字(訳語?)も一応使われてたらしい。「愚行移山」という言葉自体が古いから、わざと精神じゃなくて精心と書いたとしたら、かなりマニアックで、いいね♪

       

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よく見るとかなりシワや折れ目がついてるから、観客席で激しい争奪戦があったようにも見える♪ 二重のビックリマーク(!!)がお気に入りってことか。丸っこい可愛い字体なんだね。

   

    

     ☆     ☆     ☆

さて、このエピソードは2週間前、文春オンラインで読んだもの。「それでもファンが山下智久を愛し続ける理由 私がいただいた色紙の『異質な言葉』」。

   

スクープとはずいぶん違う内容で、どうも本物の山Pファン(sweetie:スウィーティ)がライターらしい。「みきーる」さん。貴重な色紙のゲット&保存、実に素晴らしい☆ 家宝だね。

       

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ウチの古い常連さんの名前(ハンドルネーム)とちょっと似てるし、文体も似てる気がするけど、まさか、ね?(笑)。大当たりでも大ハズレでも、久々にコメントどうぞ。システム変更で入力しにくくなってるけど、5年半もご無沙汰だから♪

   

ご本人のものらしき関連ツイートも発見した。ジャニヲタと自称する@mikiruさんのアカウント。29歳おめでとう記念(笑)。ブログもお持ちらしい。「ジャニヲタ刑事!」(≧▽≦)

    

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     ☆     ☆     ☆

ちなみに、私は単なる一般男性だけど、ウチは15年前から毎日続けてるブログで、初めて毎回レビューしたドラマが、この春に再放送された名作『野ブタ。をプロデュース』。英語も好きだから、「美青年」山Pの関連記事は多い。

   

中国や古典にも興味があるから、「愚公移山」について調べてみた。先日、初めて「いいね」を付けてくれたのも山Pファンだったし♪ そうゆう理由か! いや、美青年も私も礼儀正しいのだ。

  

マジメな話、試しに調べてみると、美青年は「12歳から中国語を勉強していて、大学でも学びました」とのこと。

   

それは凄いね。英語と中国語が世界進出のポイントだと、子どもの頃から分かってて、ずっと努力して来たと。2年前の中国映画のプロモーションの際に現地で語ってた

  

私も一応、かなり前に中国語の参考書を買ったけど、ほとんど読まないまま、どこかに埋もれてしまった (^^ゞ 韓国語の本も同様♪ 単なる小市民、ガックシ。。_| ̄|○

   

     

     ☆     ☆     ☆

で、「愚公移山」。このブログの管理画面で「ぐこう」と入力すると、検索候補に「愚公山を移す」と出る。

  

2000年以上も前、紀元前の中国の思想家・哲学者、列子(列・先生、という意味)が残したとされる、詳細不明の古典的著作『列子』の小話。第5巻「湯問」(とうもん)という篇に書かれてる。

  

デジタル大辞泉の「愚公山を移す」の説明を引用しとこう

  

どんなに困難なことでも努力を続ければ、やがては成就するというたとえ。 [補説] 愚公という老人が、交通の便をよくするために一族で自宅の前にある山を崩しはじめた。これを見た人が、その愚かさを笑ったのに対し、愚公は、子々孫々続ければいつかは成功すると答えた。その志に感じた天帝が一夜で山を移させたという」。

  

さすが天帝、天地を支配する神。現代の最新の重機を遥かにしのぐ土木工事の能力を持ってたと。あるいは、山が小さかったとか♪ コラコラ!

   

   

     ☆     ☆     ☆

上のような意味の説明なら、ネット上のあちこちに既に流れてる。ここからさらに、原文と専門書籍の解説まで遡るのがマニアック・ブログ♪

  

国立国会図書館・デジタルコレクションで探すと、100年前の研究書が著作権切れで無料公開されてた。早稲田大学出版部『漢籍国字解全書 先哲遺著 第九巻』。大正15年、西暦1926年。「張注列子國字解」。目次の左端に「湯問第五」と書かれてる。古代中国の「湯」王が質「問」する形のお話。

   

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重い画像ファイルを、愚公のようにコツコツとめくっていくと、結末の意外なオチにたどり着いた。

  

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実は、天帝は、愚公に感心して山を移動させたのではない。山の神(操蛇)が、愚公たちの努力にビビって、天帝に泣きついたから、天帝が山の神を助けるために移動させたらしい♪

    

折角の緩いオチを、努力を褒めたたえる教訓話のように語り継いでしまうのが、ありがちなパターン。まずは、素直に面白がる所か。子供向けの絵本なら、山の神が涙を流して逃げ出す絵が載ってるはず。

  

   

     ☆     ☆     ☆

とはいえ、愚公の地道で遠大な努力によって、山の移動に成功したのは事実(お話の中で)。

   

「山P移山」。美青年の地道で遠大な努力が、世界を動かすことを期待しよう。私は、自宅の本の山を動かして、中国語の参考書を探すと♪ それでは、今日はこの辺で。。☆彡

   

       (計 2089字)

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京都大学&Hajime Kinokoの緊縛シンポジウム、和風ボンデージを昇華させた現代アート

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百聞は一見に如かず。まずは、緊縛ニューウェーブの旗手、世界的に活躍する第一人者らしい、Hajime Kinoko氏の作品を見てみよう。もちろん(?)私も、全く知らなかった。

  

上の写真は、氏の公式サイト、shibari.jpより、ファッション・ショーでのロープ・インスタレーション。女性を縛るSM的エロスの世界から、空間を演出する現代アートへ、見事に跳躍・昇華してる。サイトの全体も驚くほど洗練されてるから、通俗的なアダルトサイトとはかけ離れてる。

     

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上も今回、初めて知ったもので、若者に絶大な人気のあいみょんの公式MV(ミュージック・ビデオ)。『真夏の夜の匂いがする』の後半の1シーンで、衣服で身体は覆ってるものの、本人が縛られて吊るされてるように見える。

   

若い女性の緊縛を含むビデオが、YouTubeで1億4000万回(!)も再生されてるのだ。歌詞を検索してみると、「危険な香り」、「快楽へと ご苦楽へと 吸い込まれていく」というフレーズがあった。苦楽というのはまさに、縛りの官能、悦びを表現する言葉になってる。苦しみの快楽。

   

もちろん、まだまだ普通の性的世界と比べると、ごく一部にすぎない動きだけど、確かに変化、緊縛ニューウェーブと言えるかも知れない。と言っても、「ニューウェーブ」(新しい波)という言葉は、新しくないから、自己矛盾だ♪ ただ、京大が使ってるのでそのまま引用しておいた。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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さて、私がこうした様々なものを知ったのは、たまたまネットで見かけた朝日新聞の記事がキッカケ。京都大学の緊縛シンポジウムが、YouTubeで配信されて、メディアも報道。「これは学問か?」という1人の意見によって、予定より1日早く公開を終了して、公式サイトで謝罪したとの事。

   

また一部の一般人の抗議による炎上か・・と思って、京大のサイトにアクセスしたら、わずか2行の控えめな謝罪を末尾に付け加えただけ。

  

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先日のアツギtwitter、タイツPRイラストの大炎上とは全く違うし、過激な現代美術家・会田誠に対する訴訟騒動(2018年の講義)と比べても静かな動きに過ぎなかった。妥当な反応だろう。珍しく♪

  

この謝罪を直接見るまでは、「謝罪は不要」とか書こうと思ってたけど、この程度ならむしろ、現実的に巧みな大人の対応だと思う。そもそもこれも、国が絡んだ特殊なユニット活動「人社未来形発信ユニット」のイベントだから、日本学術会議みたいな騒動は避けた方が得策なのだ。内心ではほとんど謝罪してなくても。

   

   

     ☆     ☆     ☆

で、1日だけ早く公開終了した動画の一部くらい、ネットに残ってるのかな・・と思ってGoogleで検索すると、一番上にいきなり3時間40分(!)もの動画を発見。

 

いくら今日が週末とはいえ長過ぎるから、まだメインのKINBAKU(緊縛)パフォーマンスまでしか見てない。実質、1時間ほど。著作権その他を考慮して、あえてリンクは付けない。

  

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最初、LIVE中継らしい無意味な映像がしばらく続いた後、「緊縛入門ミニ講座:緊縛からKINBAKUへ」がなかなか良かった。2人の女性が妖しい魅力を放ってるのだ♪ 文系のマニアックな世界でたまに見る女性のタイプ。

  

2人ともクリアなフェイスガードを着用。『鬼滅の刃』の禰豆子のコスプレとかは無しで、早口で真面目なお話に専念。

   

   

     ☆     ☆     ☆

まず、「1.緊縛の起源・発展」と「2.緊縛の『文化』化」を、東大PDの山森真衣子がスライドショーで解説。どうして京大に東大の女性が来るのかと思ったら、最近まで京大・文学部に所属してたらしい。

  

専門の哲学というより、簡単な歴史の紹介で、内容よりも、彼女が長めの髪をしきりに手でかきあげる仕草の方が気になった♪ バブル期のボディコン女性のパロディみたいで、かなり珍しい無意識的行動。それ自体を研究対象にすべきかも。

  

内容をまとめると、緊縛の起源は戦国時代で、敵や罪人の捕縛。それが平和な江戸時代に、歌舞伎や浮世絵(特に春画)を通じて文化として一般社会に浸透して行ったと。

  

   

     ☆     ☆     ☆

私の考えだと、それはあくまで「縄」による緊縛を対象にしたもので、それより遥か前から、「素手による緊縛」があったはず。腕力で、相手を捕まえて動けなくする。

  

当然そこでは、強い成人男性が、弱い女性や子どもを抑え込む傾向があったはず。おそらく、敵や罪人ではない人に対する素手緊縛の方が多かっただろう。

   

その一部は、それ自体が犯罪で、現在でも続いてる。その辺りが、一部のMe Too的フェミニズム女性には何となく引っかかる可能性もある。だからこそ、この種の研究は女性の方が向いてるし、男性はリスクが高いのだ。特に現代の炎上社会では。

  

   

     ☆     ☆     ☆

続いて、ルパン三世でお馴染み、男を誘惑する峰不二子が登場・・ではなくて、藤峰子が登場♪ たぶん、京大の主催者・出口康夫もお気に入りのはず。

 

「3.緊縛のSM化」、「4.緊縛ニューウェーブ」を、慣れた口調でザックリ紹介してた。芸術家・伊藤晴雨、SM雑誌(『奇譚クラブ』ほか)、昭和(1970年代)のSMブームなどが登場。「緊縛」という言葉は『奇譚クラブ』で作られたとのこと。雑誌の写真のために、緊縛は安全で美しくエロティックなものへと発展。

    

妖しい世界の女性アーティストなのに(orだからこそ?)、喋りも滑らかで、PC画面を見てるとはいえ、表情や目線の変化が豊か。ツイッターは非公開みたいだけど、メルカリにはそれらしき特殊なページがあった。出品が縄だらけ♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

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そして、設営の後、いよいよメインのKINBAKUパフォーマンス開始。このスタート写真だけならOKのはず。教室の時計や黒板消しが目に入るのも、ある意味、斬新で面白い。

   

派手な演出はまったく無しで、いつの間にか本番に入ってた。風呂敷から細めの縄を10本ほど取り出すと共に、モデルの草履も優しく脱がせて、白い足袋だけにする。

    

本物かどうか知らないけど、吊り用セットに竹が使われてる。ちなみに私は先日のアニメ『鬼滅の刃』レビューで、禰豆子の竹の口枷に着目した。日本の古典的SM特有の素材なのだ。もちろん、私はほとんど知らないけど♪

   

緊縛師のKinoko(きのこ)はもちろん、女性モデル(あいみ)も非常に慣れてるようで、確かに単なるSM撮影の作業ではない。

  

モデルは、演技なのか本心なのか、最初から最後まで、なまめかしくて切なげな表情。目鼻立ちがハッキリした美人で、身体の線、特に白い脚が綺麗。わかりやすい被虐美を醸し出してる。コロナとの関連はわからないけど、幅の広い布で猿轡(さるぐつわ)もされてた。下着は見えるけど、ヌードではなくて、単なる水着よりも露出は少ない。

  

正直言うと、個人的には、縄・着物・和室などを使った和風の緊縛は、あまり趣味ではない。ただ、エロスを昇華させた独特な芸術として、見事だなと素直に感心した。確かに、世界で通じる日本文化だろう。国家の直接的な支援は難しいかも知れないけど。

  

  

     ☆     ☆     ☆

一方、対照的に、黒いマスク姿の緊縛師は淡々と仕事を進める感じで、時々、手を休めて椅子に座る。どうも、その時だけ会場参加者の撮影が許されてたようで、ネットへの拡散まで勧められてた。

   

ということは、モデルはそれなりのギャラを貰えるわけか。ちなみに緊縛師のサイトではモデル募集してるけど、ギャラまでは書いてない。モデルではない希望者には、有料で撮影。

  

縛って吊るす時は、あまり強く締め付けないよう、縄と脚や手の間に隙間があった。帯も少し緩めてた。とはいえ、竹の下に獲物みたいに吊るすと、痛くて苦しいはず。

  

緊縛師の側も熟練した技術が必要で、精密な計算とバランスが必要な幾何学とか物理学の実験みたいにも見えた。文系・理系融合のプロフェッショナルだなと感心。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

まだ動画の半分も見てないけど、この緊縛は間違いなくアート、芸術だと思う。単なるSMとの違いは、直接的でなく、一般性と新しさがあることだ。

  

つまり、すぐに鑑賞者(特に男性)の欲情をかき立てて、爆発へと誘うものではないし、もちろん直接的な普通の性的行為もなし。

  

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それでいて、他の芸術にもつながる一般的な幾何学性や高度な技術・洗練が含まれてて、このパフォーマンス自体も普通のAVとはかけ離れてるし、完全に新しい芸術への方向性も含んでる。例えば、上のように、イスという物体も縛るし、下のように、組ひも的CGアートみたいに見える写真もあるのだ。

  

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イスと言えば、少し前にレビューした江戸川乱歩『人間椅子』を思い出す。同じく椅子のボンデージだけど、乱歩の場合は文章、小説という形を使用。おまけに、人間が椅子での拘束を自分で悦ぶという斬新な発想が、文学的なのだ。縄による縛りではなく、皮や手錠・鎖による洋風BDSMでもなく、椅子による拘束。

  

  

     ☆     ☆     ☆

というわけで、まだ学問性のチェックはしてないけど、このイベントも緊縛ニューウェーブも十分、アートだし、学問する余地を感じた。一部の抗議や妙な反応に負けることなく、これからも深めて行って欲しい。理数系のアプローチも見てみたいものだ。図形的な解析とか、力学的な計算とか。

  

ちなみに京大のこのユニット。「クイア」(Queer:性的少数者)も扱ってるから、多様性の研究というより、単に好きなのかも♪ もちろん、好きなことに打ち込むのが研究者やプロフェッショナルだから、それでいいのだ。

  

かなり抑制した記事に留めたところで、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

   

         (計 3872字)

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立皇嗣の礼でもマスク&ハーフ2本目、心臓の圧迫感で失速・・

(8日)JOG 21.1km,1時間52分22秒,平均心拍141(推定)

消費エネルギー1100kcal(脂肪230kcal)

   

コロナ自粛と大統領選の混乱の中とはいえ、皇位継承順位1位を示す儀式があまりにも小さな扱いだったから、あえて記事に書いとこう。

  

令和2年(2020年)11月8日の「立皇嗣の礼」。漢字変換できないし、聞いたこともない言葉だけど、本来なら「立太子の礼」らしい。この方がちょっと分かりやすいね。太子だから、皇太子、つまり次の天皇の位置に立つんだろうなと想像がつく。

   

秋篠宮さまが皇太子という名称を避けたとかいう話が朝日新聞デジタルに載ってたけど、ご本人が認めるとも思えないから、真偽不明。とにかく、「立太子の礼」の代わりの名称が、「立皇嗣の礼」だと

   

即位の礼の時はあれほどメディアで扱われたのに、昨日のテレビ番組表を見ると、ほとんど見当たらず。NHKが僅かに映してただけで、番組表を見てもすぐには気付かないほど小さい表示だった。

  

ところが写真を見る限り、非常に皇室の伝統に即した立派な儀礼が行われてるのだ。そもそもコロナで4月から延期になってた行事だし、メディアに報道自粛要請があったのかな。あるいは「忖度」(そんたく)とか。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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写真は朝日より借用。まずは午前11時、皇居・宮殿で、「立皇嗣の礼」の中心儀式、「立皇嗣宣明の儀」。

   

天皇が宣言して、秋篠宮が決意を述べたと。私の目線はどうしても、白いマスクに行ってしまう♪ マスク警察か! 中心の4人だけがマスク無しってことかね? 天皇と皇后は、お車の中だとちゃんとマスクして会釈してた。

     

伝統装束の裾は汚れないのかね・・っていうのは世俗の小市民の発想か♪ 床をキレイにしてるから大丈夫なのかも。でも、靴履きの場所でしょ。クリーニングはどうするんだろ?、とか気になって、夜も眠れないのだ。専属の係がいらっしゃるのかな。そうそう。私も冬物の保管をチェーン店から出さなきゃ!

       

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挨拶する菅首相が、豆粒みたいに小さく写ってる全体写真。田舎から出て来て、空手に打ち込んで、ここまで昇りつめたと♪ お祝いに、試し割りとかすればいいのに。くす玉の(笑)。運動会か! ちょっとソーシャル・ディスタンスが足りないような気もするけど、万が一のクラスター対策のPCR検査とか抗原検査とかしてるのかね。

   

   

    ☆     ☆     ☆

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皇居に向かう時は馬車の写真がないのに、出る時だけ写真がある。皇嗣になった後に初めて馬車ってこと? 中にいらっしゃる秋篠宮はマスクしてないけど、周囲はみんな白マスク姿。馬をのぞいて♪

   

・・っていうか、これは皇室伝統というより、明治以降(?)の洋風文化だと想像。前の馬には騎手が乗ってないけど、後ろの白い馬には乗ってる(細かっ!)。そう言えば、みんな男子か。

         

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あぁっ、眠すぎて操作ミス! 5行、入力が消えてしまった。気を取り直して。。

  

夕方(午後4時30分)は「朝見の儀」。正式に皇嗣になった後、あらためて天皇にご挨拶するってことだろうね。洋式の礼服&ドレス。紀子さまの方が深々とお辞儀してるのも作法なのかな?

   

向こう側の2人か3人の女性も気になる。皇族の方々ではなさそうだけど、「侍女たち」? ベラスケスの名画か♪ 昔、フーコー『言葉と物』で難しい記事を書いたら、暴言が入ったのを思い出した。また書こうか(笑)

     

ちなみに、眞子さまと佳子さまは、午後の「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」に参列。名前、長っ! 薄い青緑系とピンク系のドレスで、白マスク姿だった。このカラーの組合せ、多いかも。どっちも私が好きなテンメイ・カラーだ♪

    

今から考えるのも微妙な所だけど、令和の次はどうなるのかね。まあ、まだ数十年先の話だろうから、急いで議論する必要もないのか。

  

愛子さまは10月24日、4月に入学した学習院大学に初めて登校。さすが天皇家の長女、所属は文学部日本語日本文学科。ただし、しばらくは在宅でオンライン授業とのこと。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

一方、社会の底辺に位置する平凡な小市民は、日曜日、今年ようやく2本目のハーフに挑戦。土曜の予定だったのに、予報になかった雨が降り出したから1日延期。

  

丸3日休んだ後だから、1km5分切ってもおかしくないな・・と思ってたのに、走る前から心臓が不調。やっぱり、走力や体力と無関係に、心臓が時々おかしい。特に、寝不足の時や、生活リズムが乱れた時。今回はその両方が重なってた。

   

乾いた涼しい風が吹いてたし、前半は何とかボチボチの走り。ところが中盤以降、急激にしんどくなって、歩いた方がいいかな・・とか思いつつ、何とか完走。心拍計がまったく作動しなくて、20回近くも止めて再スタートしたから、合計タイムも分からないまま。

  

ヘロヘロで帰宅後に足し算してみると、トータルでは1km5分19秒ペース。遅っ! っていうか、帰宅後も心臓と胃がおかしくて、吐くかと思ったほど。丸1日経った今でもまだおかしい。医者は何ともないって言うけど、大ありだな。コロナより心臓。精密検査が必要か。

   

気温15.5度、湿度50%、風速4m。こんな状態でフルマラソン走れるのかな・・とか思いつつ、ではまた明日。。☆彡

   

       

       時間   

往路(2.4 km) 13分36秒

LAP 1(2.1) 11分16秒

 2    11分12秒

 3    10分57秒

 4    11分03秒

 5    11分10秒

 6    11分18秒

 7    11分35秒

復路(3.7)20分15秒

計 21.1km 1時間52分22秒 141(81%) 156(89%)

   

        (計 2235字)

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方丈記「猿の声を聞いて 涙をこぼす」(原文「猿の聲に袖をうるほす」)、『カネ恋』最終回SPに合わせた意味と現代語訳

☆追記: 21年1月8日、新しい記事をアップ。

 テレビ未放映、『カネ恋』幻の第5話~第8話における『方丈記』の引用と意味(大島里美『シナリオブック』) )

    

   

     ☆     ☆     ☆

三浦春馬の死という「ほころび」を見事に「つくろった」TBSドラマ、『おカネの切れ目が恋のはじまり』。鴨長明『方丈記』をこれほど巧みに引用した作品は初めてだろうし、もう今後も二度と現れないと思う。

  

特に、脚本の大島里美と主演(ヒロイン)の松岡茉優は素晴らしかった。少なくとも最終話のラストシーン辺りは、三浦の自殺(or自死)の後に撮影してるはず。心情的な重圧、プレッシャーが大変だったと思う。

   

方丈記の説明の前に、ラストを画像付きで解説しとこう。ちなみに過去の3話の記事は以下の通り。

  

 鴨長明『方丈記』と座布団、三浦春馬にたむけるラブコメディー~『カネ恋』第1話

 方丈記「かむなは小さき貝を好む」、『カネ恋』第2話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「いかにいはむや、常に歩き」、『カネ恋』第3話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

   

     

     ☆     ☆     ☆

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とても長旅だったから 疲れましたね

  

疲れて突然眠ってしまったペットの猿彦(ロボット・サルー)を、やさしく抱き締める玲子(松岡)。まさか、三浦の代役としてこれほど活躍するとは、ロボットのAIでも予測できなかったはず。

  

しかし眠りの後には、目覚めがやって来る。ラストは予想通り、三浦春馬が帰って来た。姿は見えないまま、風のように玄関の扉を開けて。玲子は頷いて、笑顔で迎える。本編はここで終了。演出は平野俊一。

   

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そして、再現映像の上に、最後まで見て頂いてありがとうございますとかテロップを入れて、最後の映像は、相合傘。台詞もキレイに決まってた。

  

 帰りますよ ♪

 帰りますか ♪

   

その後は、三浦の笑顔ですべて終了。過去形や完了形じゃなくて、現在形・未来形の言葉で、

  

 春馬くん ずっと大好きだよ (キャスト・スタッフ一同)

  

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三浦春馬さんのご冥福をお祈りしますとか、どうぞ安らかにとかじゃなくて、「春馬くん」。日常的な愛情表現で挨拶してるのが、いいね♪

  

初回の記事で指摘した、猿の小皿用の座布団=敷物にも、慶太の手作りの小皿が飾られた。欠如=不在の象徴が、存在=帰還の象徴へと変わってた。

   

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     ☆     ☆     ☆

本格的なレビューを書く余裕はないので、そろそろ方丈記に入ろう。最終回は何かヒネって来るだろうと思ってたけど、このヒネリは斬新だった。

  

まずドラマ冒頭、夜明けシーンでの引用は、ちょっと平凡な使い方。引用箇所も、予想通り、方丈記の一番最後の辺り。

   

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 静かなる暁(あかつき)、 このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひて曰(いわ)く

 (静かな明け方に、この修行みたいに質素で孤独な隠遁生活の理由を思い続けて、自分の心にたずねてみる。)

  

 世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて、道を行はんとなり

 (世間から隠れるようにして、自然に包まれた狭い部屋で暮らしてるのは、心を整えて正しい道を進むため。)

   

 しかるを、汝(なんじ)、姿は聖人にて、心は濁りに染めり

 (それなのに、玲子、あなたは外見だけ悟ったようなフリをして、内心はドロドロに濁ってるでしょ。慶太さん(三浦)とのキスのことばかり思い出して。)

   

  

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原書のくずし字はいつものように、国立国会図書館デジタルコレクション、『鴨長明方丈記』(鴨長明学会)より。慶長7年(1602年)の転写本(手で書き写してる)。

    

玲子だけじゃなく、慶太も悶々としてたけど、彼は急にどこかへ出かけてしまって姿を見せない。オモチャ会社も無断欠勤。最後の時点では、この辺りまで撮影してたわけか。

    

で、大幅に脚本を変えて、慶太の代わりにロボットペットの猿彦と板垣(北村匠海)を前面に出したと。父・富彦(草刈正雄)と母・菜々子(キムラ緑子)も同様。

      

視聴者としては、彼らの向こう側、あるいは、すぐそばに、常に三浦を見ることになる。心眼、心のまなざしで。。

 

  

    ☆     ☆     ☆

一方、終盤の方丈記の使い方はヒネリが効いてて、思わずリアルタイムで笑顔になった♪ わかりやすい現代語訳で、少し前の部分を引用して来たのだ。しかも、ブロガー泣かせのバラバラの映し方で♪ トリミング(部分カット)した5枚の映像を合成するハメになった。

     

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 静かな夜は月を見る。猿の声を聞いて 涙をこぼす

 (方丈記の原文: もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に 袖をうるほす

 (ドラマ版の現代語訳: 静かな夜にはキレイな月を見て、今は亡き三浦春馬さんの姿を思い出す。慶太さんの声を聞いて、涙をこぼす。)

   

 まるで篝(かがり)火みたいに 草むらには蛍が飛び交い 夜明け前の雨は 風に舞う 木の葉に 似ている

 (方丈記の原文: くさむらの蛍は 遠く眞木の島の篝火にまがひ、暁の雨は、おのずから木の葉吹くあらしに似たり

 (ドラマ版の現代語訳=超訳: 草むらの蛍を見ると、遠くから春馬さんの魂が帰って来たみたい。私はずっと涙を流して心も乱れてたけど、いつの間にか再び夜明けが来た。あなたも再び帰って来るのかも。。)

    

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    ☆     ☆     ☆

この最後の「超訳」は、方丈記の原文からはちょっとズレてるけど、ドラマでの使い方から私が解釈したものだ。

      

実際、この引用文のテロップは夜の場面で映されて、一匹の蛍が小皿や玲子のもとに飛んで来た後、夜が明ける。そして、春馬=慶太が風のように帰って来たのだ。玄関の戸を開けて、玲子の髪をなびかせて。。

  

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全4話の最後になって、ようやく「猿」へのこだわりの意味が分かった気がする。しかし、方丈記の猿に注目したということは、三浦の訃報の後ということか。あるいは、奇跡のような偶然なのか。脚本家や制作スタッフの説明を聞いてみたい気がする。

  

ともあれ、主演2人をはじめとして、皆さん、どうもお疲れさま♪ 前例のない事態の中、素晴らしい作品を見せてくれたことにあらためて感謝。良きイカめし、亡き三浦春馬に祈りを捧げつつ、それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

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P.S. アクセスが多いので、方丈記の全体(青空文庫)の中でどこが使われてたのか、冒頭から最後まで8枚の図で示した。赤線の枠で囲んだ部分が、各回の引用箇所。青線は、全体と関わる部分(当サイトの第1話レビューで指摘)。

   

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P.S.2 10月20日発売の『お金の切れ目』シナリオブック(カドカワ)には、幻の5話以降の脚本も収録されてるとのこと。

   

P.S.3 10月23日、シナリオブックを拝見。ネタバレによる営業妨害はなるべく避けたいので、しばらくブログ記事には書かない予定。ネット通販で購入しようと思ってる方は、大きな写真入りの帯の有無にご注意あれ。

    

他に、初版のまえがきには執筆者であるプロデューサー・東仲恵吾の名前を入れ忘れてる。重版以降で訂正の予定(kadokawaのサイトで告知)。

   

      

cf. NHKドラマ『太陽の子』の物理学、ウラン235濃縮(遠心分離)と核分裂反応式、熱中性子の断面積の数式

   

        (計 2537字)

    (追記308字 ; 合計2845字)

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方丈記「いかにいはむや、常に歩き」、『カネ恋』第3話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

(28日) JOG 10km,53分44秒,平均心拍137

消費エネルギー 490 kcal(脂肪 98 kcal)

   

こうなって来るともう、松岡茉優とか長澤まさみは象徴的な女優として、みんなで応援するべきだと思う。

   

今週も本当は見るだけの予定だった、『おカネの切れ目が恋のはじまり』第3話。冒頭の方丈記だけ、ドラマとの関係に合わせて超訳しとこう。

  

方丈記の翻訳は既に多数あるけど、以下はあくまで『カネ恋』に合わせた意味と解釈だ。今回も、大島里美の脚本はキレイに方丈記に合わせてた感がある。

  

ただ、木村ひさしの演出のこだわりなのか、方丈記の文章を12の画面に分割してたから、トリミング(部分カット)して連結するのが大変だった。

     

   

     ☆     ☆     ☆

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いかにいはむや、常に歩き、常に働くは、養性なるべし

  

(・・・ましてや、常に歩き、常に働くことは、養生になるだろう。だから私、玲子(松岡茉優)は、健康のためにいつもウォーキングしてるし、会社でも家でも休まず働いてる)  

  

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なんぞいたづらに休みをらん 人を悩ます罪業なり。

  

(どうして、自分が無駄に休んでいるだろうか。他人に頼るのは罪なのだ。私は、会社でも同僚に頼らないし、家でもお母さんに頼らない。猿渡慶太(三浦春馬)さん、いつまで寝てるの?! )

  

200930c

   

いかが他の力を借るべき

   

(どうして他人の力を借りるだろうか。借りるなんて事はしない。私は、親の力を借りて楽してる慶太さんとは違う。)

  

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衣食のたぐひ、またおなじ。藤の衣、麻のふすま。得るにしたがひて肌を隠し、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり

  

(衣食などについても同じこと。藤の衣服、麻のふとん、手に入るもので肌を隠して、野の辺りの嫁菜(よめな)、峰の木の実は、何とか命を保てる程度の食事。贅沢は禁物。愛する早乙女さん(三浦翔平)の講座とプレゼントでお給料ほとんど使っちゃうから。その贅沢は「別腹」だからOK♪)

            

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人にまじらはざれば、姿を恥づる悔いもなし

   

(他人とのお付き合いをしなければ、自分の質素な姿を恥じることもない。でも、まさかの早乙女さんとのデートだから、やっぱりオシャレしなきゃ! あのウインドウの向こうのワンピースは「良き」デザインだから、目に焼き付けて、後で自分で作っちゃおっと♪ 袖口はちょっと可愛くフリフリにアレンジしたいな。)

      

って言うか、自分の姿が映ってるのを見たら、お腹まわりがちょっと緩んでるかも。お母さん(南果歩)がご飯作り過ぎだよ。デートの直前だけ、ご飯食べなきゃ大丈夫か♪)

  

   

    ☆     ☆     ☆

玲子の周囲の3人についても、方丈記と合わせて、心の動きを読み取っておこう。

  

(早乙女の妻の気持ち)

もう、この人のお世話になるのはおしまい。私は離婚して、自分の力でこの子と一緒に生きて行くことに決めた。でも、ちょっと寂しいし、経済的にも苦しいから、身近な男性をパートナーにして、第二の人生に歩み出そう。

     

(早乙女の思い)

もう、ほとんど誰にも相手にされなくなってしまった。俺自身には価値は無かったから、当然の報いか。でも、だからと言って、いまさら玲子の気持ちを受け止めるわけにはいかない。一人でさみしく生きて行くか。あるいは、裏切られたとはいえ、ずっと一緒にいてくれた瑠璃(大友花恋)と静かにやり直すべきか。

  

(慶太の心)

俺もいつまでも親に頼ってるわけにはいかないよな。お金の無駄遣いは止めて、生活でも仕事でも自立しなきゃ。ただ、俺より遥かに自立してる玲子さんとなら、仲良くやっていける気がして来た。やっぱ俺じゃ、相手にされないかな。。

     

あっ、雷だ。どさくさ紛れで、ギュッ♪ チュッ♡ えっ、俺、玲子さんにキスしちゃったの?

  

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なお、原文のくずし字は下の通り。例によって、国立国会図書館デジタルコレクション、『鴨長明方丈記』(鴨長明学会)より。慶長7年(1602年)の転写本(手で書き写してる)。かなり終盤に近い箇所になってたから、来週の最終回(第4話)は方丈記のラストの引用かも。

       

200930h

  

  

cf. 鴨長明『方丈記』と座布団、三浦春馬にたむけるラブコメディー~『カネ恋』第1話

 方丈記「かむなは小さき貝を好む」、『カネ恋』第2話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「猿の声を聞いて 涙をこぼす」(原文「猿の聲に袖をうるほす」)、『カネ恋』最終回SPに合わせた意味

   

   

     ☆     ☆     ☆

最後に、単なる小市民については、「常に走り、常にブログを書く」♪ 衣服はともかく、シューズには結構お金もかけて、一昨日も10kmだけジョギングして来た。トータルでは1km5分22秒ペース。まだ呼吸困難が完治せず。

  

気温19.5度、湿度74%、風速1.5m心拍はまた低めに出てたから大幅にプラス補正した。いよいよ9月もおしまいか。またギリギリでノルマ達成できそうだな・・とか思いつつ、ではまた明日。。☆彡

   

     

     時間  平均心拍  最大

往路(2.4km) 14分08秒 126 140

LAP 1(2.1) 11分45秒 135 144

 2   10分59秒 139 145

復路(3.3) 16分53秒 145 157

計 10km 53分44秒 137(78%) 157(90%)

   

       (計 2048字)

    (追記51字 ; 合計2099字)

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鴨長明『方丈記』と座布団、三浦春馬にたむけるラブコメディー~『おカネの切れ目が恋のはじまり』第1話

☆追記: 21年1月8日、新しい記事をアップ。

 テレビ未放映、『カネ恋』幻の第5話~第8話における『方丈記』の引用と意味(大島里美『シナリオブック』) )

   

    

    ☆     ☆     ☆

ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず

淀みに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて

久しくとどまりたるためしなし

世の中にある人とすみかと またかくのごとし

          (鴨長明 『方丈記』)

       

200916d

  

      

     ☆     ☆     ☆

三浦春馬が急逝して、ほぼ2ヶ月。この間、ドラマのスタッフとキャストは大変だったと思う。撮影中の連続ドラマの主役級が自殺した時、どうすればいいのか。しかも、まさかのコロナウイルスの流行で非常に不自由な中で。

   

ちょうど2週間目の7月末に、ドラマ短縮放送の方針をした後も、全8話から4話完結へと変更だから、脚本(大島里美)の書き直しも編集も難しい。

   

それを考えると、昨日(20年9月15日)に放送された第1話は素晴らしい出来だったと思う。『おカネの切れ目が恋のはじまり」。流石は、「ドラマのTBS」。いずれ、元の脚本もどこかで公表されれば、比較してみたい。

   

200916e

  

上は、最初の偶然の出会い、恋のはじまりのシーンより。雑貨屋か食器店みたいな所でお皿を手あたり次第に買いあさる場面だけど、子どもみたいなあどけない笑顔がまぶしい。

   

あくまで社長の息子、お金に無頓着だけど純粋な心の持ち主・慶太を演じ切ってて、プライベートの影みたいなものは全く感じなかった。演技力なのか、それとも、この瞬間の素顔なのか。

   

      

    ☆     ☆     ☆

200916c

   

『方丈記』の冒頭と、方丈(小さな庵=いおり、離れの小部屋)の様子から始まった後、まもなく、九鬼玲子(松岡茉優)のお祈りシーンが映される。

    

あくまで、コメディの軽いツカミのエピソードとして、130円のくるみクッキー(九っ鬼ー)1個にお辞儀してるのだけど、訃報と方丈記の後だと、やはり三浦への祈りにも見える。

   

第1話の全体が、あくまで明るいコメディーとして描かれつつ、所々で、静かに色々と物思いにふけるようなシーンやカットが挿入されてるのだ。音楽も含めて、ちょっと石原さとみ主演の日テレOLドラマ『校閲ガール』に似た感じもあるけど、『カネ恋』の方が閑静な作りになってる。時折、コトンと響くししおどしの音が効果的。演出は平野俊一。

  

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     ☆     ☆     ☆

玲子の離れの部屋(=方丈)でバイブル的な扱いになってた方丈記は、1212年頃、京都に相次いだ災難を背景に、無常観を書き記した作品。下は国立国会図書館デジタルライブラリー、鴨長明学会の書籍より引用。原本ではないけど、慶長7年(1602年)の写本らしい。

  

200916a

  

同じ鎌倉時代の『平家物語』と似てるのは、偶然じゃないとして、三浦の遺作の最初から大きく使われたのは、偶然なのか、スタッフの配慮なのか。私の言葉で現代語に「超訳」してみよう。

    

世の中は常に変化していて、その時々で生きてる人も、以前と同じではない。一見、変化しない淀み、水溜まりのように見える部分の物事を見ても、消えたり生じたり、そのままであり続けたことはない。世の中の人々も住まいも、同じようなものだ。

  

ここで「住まい」が出て来るのは、火事・竜巻・地震などで家が消えてしまった時代だし、自分が方丈という小さくて静かな住まいで書いてるからだろう。生、世の中といった言葉の代わりでもある。

   

   

     ☆     ☆     ☆

方丈記を少し読み進めると、今回のドラマでは出てないけど、次のような文章にも目が留まる。

  

 朝(あした)に死に 夕(ゆうべ)に生まるるならい

 ただ水の泡にぞ似たりける

 知らず 生れ死ぬる人 何方(いずかた)より来たりて

 何方へか去る

     

200916b

   

朝には誰か、人が死に、夕べにはまた、別の人が生まれる。川の水の泡みたいに。生まれて死ぬ人は、どこから来たのか知らないし、どこへ去るのかも知らない。

   

人がどこから来たのかについては、生物学や日常の知識もあるし、あまり不思議に思われないけど、どこに去るのかは今でも人の心をとらえる話だ。

  

それはやっぱり、この世の人として死んだ後も、何らかの形でどこかに存在して欲しいからだろう。単なる骨や灰、水分、原子とかではない、もっと価値ある特別なものとして。愛する人にせよ、自分自身にせよ。。

   

       

     ☆     ☆     ☆

一方、映像的には、単なる演出なのか、あるいは台本に書き込まれてたのか、小さい座布団(飾り皿の敷物)の使い方も絶妙だった。

  

玲子が1年前から(?)ずっと欲しくて、やっと1300円くらい貯めて(笑)買いに行った時、目の前で見知らぬ軽薄そうな男子に買われて去ってしまった、猿(サル=去る)の絵柄の小皿。

   

わざわざ、部屋に小さな座布団まで用意してたのに、そこは空白のままになってしまった。空想、想像のイメージで埋めようとしても、現実の欠如は埋め切れない。下は私が、連続して流れる映像から2つの画面をキャプチャーして、合成したもの。

     

200916f

    

もちろん、このドラマで猿は、慶太=三浦春馬の象徴。父・富彦(草刈正雄)の会社は「モンキーパス」。慶太のペットのロボットペットは猿彦(商品名はサルー)。「猿」の発音が、「去る」と同じ「サル」なのも、単なる偶然とは思えないほど。

  

200916g

   

経理部のしっかり者に見える玲子は、慶太の上衣のボタンが1つ、取れそうなのが気になって、無理やり脱がせて繕う。綻びを繕うのが彼女の性(さが)。この映像の手前には、猿の小皿も何も座ってない座布団が飾られてて、その直前には三浦の笑顔が写されてた。

    

綻びとは、マイナスの変化も表す言葉だし、こらえきれず涙を流すという意味もある。このシーンはまさに、猿=三浦が去るという突然の出来事で綻びそうになってたドラマを、みんなで繕う努力のシンボルなのだ。

   

     

     ☆     ☆     ☆

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もちろん、あくまでコメディだから、公式サイトもポップでキュート、カラフル。初回の最後にはキレイなオチも用意してた。

       

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清く貧しく、静かな暮らしを真面目に送ってるように見えた玲子。実は陰で、愛する早乙女健先輩(三浦翔平)に無理やり貢いで、頭なでなでだけで満足してたのだ♪ 清貧女子に見えて、浪費女子。無駄遣いの多い母・サチ(南果歩)からの遺伝か。

     

『方丈記』にそんなオチは無いけど、作者の鴨長明は隠遁生活を始めるまで、わりと華やかな人生を送ってたようだから、元は浪費男子だったのかも♪

  

  

     ☆     ☆     ☆

とはいえ、結局ドラマの根本としては、単なる浪費なんてものはない、ということのはず。「ムダこそ宝」が社訓なのだ。会社が創ってるオモチャも、コロナ社会だと不要不急とか言われそうだけど、人間にとっては大切な宝物。

      

その意味で、作りかけてた作品を大切に生き返らせたこのドラマも、宝箱みたいなものだろう。天国で三浦春馬も喜んでるはずだ。むしろ、顔がほころんでると言うべきかも♪ ホラ、ほころんでるから、玲子さん、待ってるよ。

       

その笑顔をイメージしながら、今日はそろそろこの辺で。あらためて、合掌。どうぞ、安らかに。。☆彡

  

  

  

cf. 方丈記「かむなは小さき貝を好む」、『カネ恋』第2話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「いかにいはむや、常に歩き」、『カネ恋』第3話に合わせた意味と現代語訳&プチジョグ

 方丈記「猿の声を聞いて 涙をこぼす」(原文「猿の聲に袖をうるほす」)、『カネ恋』最終回SPに合わせた意味

      

      (計 2740字)

  (追記219字 ; 合計2959字)

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お盆の由来、餓鬼道に落ちた母を救う目連と釈迦~盂蘭盆(うらぼん)経・原文&盂蘭盆会

昨日も触れたが、朝日新聞(20年8月13日)の朝刊コラム「天声人語」は、母と子とお盆の話で、ちょっとヒネリが効いてた。

          

「7世紀には『盂蘭盆会』(うらぼんえ)という仏事が営まれた。もとは中国から伝わった説話。釈迦の弟子が、陰暦7月15日に食べ物を供え、餓鬼道に堕ちた亡母を救ったという」。

    

一見、フツーのいい話のようだが、この後にオチみたいな展開がある。朝日の筆者がこの夏、お盆に帰省しようとしたら、伝染病を持って帰るなとか言われて、親に拒否されたらしい♪

  

お盆に息子が親孝行しようとしたら、逆に、親不孝扱いされたという話だ。いわゆる「自粛警察」どころか、肝心の田舎の家族にさえ嫌がられてしまうのが、今年の夏。それにしては首都圏は静かになってるけど、みんな、どこに行ったんだろう? 家で短期の引きこもり状態なのか。。

   

  

     ☆     ☆     ☆

さて、ちょっと興味を持った私は、色々とネットで調べてみたけど、情報量がかなり多いわりに、なかなか正しい解説らしきものが見当たらない。

   

そもそも、経典というものは日本人にとっては漢字だけど、元はサンスクリット語(梵語)と言われる。ところが、サンスクリット語の経典のさらに前、あるいは別の系列のものとして、パーリ語とか俗語とか色々あるらしい。

   

元に遡るとキリがないし、現在の定説らしきものも見当たらないけど、一応の基本としてはこうなってる。統合辞典サイト「コトバンク」の各種辞典の各項目を中心に、私がまとめた。

      

インド伝来ではない偽経とも言われる、盂蘭盆経(うらぼんきょう)というお経に、仏陀の高弟・目連の話が書かれてる。彼が特殊な能力で亡き母の様子を見ると、餓鬼たちの中で飢えて苦しんでた。目連が食事を運んでも、食べる前に火で炭になってしまう。

  

嘆き悲しむ目連が釈迦に相談すると、母の罪は非常に重いようだから、7月15日に大勢の仏僧たちと共に飲食して供養すれば、母も助かるとのこと。それが盂蘭盆会で、長い歴史を経て、今のお盆につながった。

  

200814a

  

上は、ウィキメディアの解説本の図より。多分、家の中で釈迦の右側に座ってるのが目連。家の外で右下に立ってる骨と皮の痩せた女性が亡き母か、それに似た境遇の現世の女性だろう。

    

ちなみに7月15日というのは陰暦(旧暦)で、僧たちが寺院や住居に留まる「安居」(あんご)の期間が終わる日。今の新暦だとかなり遅れて、例えば今年(2020年)だと、本当は9月2日の計算になるらしい。ただ、実際には慣習的に8月15日ごろに固定されたと。。

   

   

     ☆     ☆     ☆

この程度のお話なら、既にあちこちに書かれてるから、ここでは経典の原文をチェックしてみよう。浄土宗の高城山・十念寺HPより、「仏説 盂蘭盆経」の一部を引用させて頂く。ひらがなは消去した。

  

200814b

   

まず、目連、母、仏の文字の確認。漢字だから、日本人なら大体の意味が分かる所が凄い。

  

200814c

  

確かに日付けは7月15日と指定してある。「盆」という漢字が初めて登場するのがこの2ヶ所で、明らかに普通のお盆みたいな意味だろう。もちろん、漢字の経典として見るなら。

   

200814d

  

「盂蘭盆」という妙な言葉が登場するのは、上図の箇所が初めて。これだと、「盆」と何が違うのか分からない。

  

200814e

  

200814f

  

「盂蘭盆」と書かれてる残り2ヶ所が、上の図2枚。やはり、料理のお盆との違いは不明。この後はもう、一番最後に経典の名前として、再び「仏説 盂蘭盆経」と出て終了。

  

なお、全文でもかなり短いお経で、中国語版ウィキソースだと「仏説 報恩奉盆経」とされてた

  

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      ☆     ☆     ☆

この「うらぼん」は、サンスクリット語のullambana(ウランバナ)の音を写し取った訳だというのが、一応の定説みたいなものになってる。

  

この意味は「倒懸」(とうけん)、つまり、逆さ吊りのことで、母親が味わってた餓鬼道での過酷な苦しみを表してるとのこと。

  

でも、それだと漢字のお経の文章とほとんど対応してない。だから、「盂蘭盆」とは実は「ご飯をのせた盆だろうとか(辛嶋静志氏)、別の原語が変化したものだとか、諸説があって、正直よく分からない状況だ。

  

英語版ウィクショナリーを見ると、パーリ語の「ullumbana」とか「ullumpana」とか、僅かに違う別の言葉も、語源の候補として挙げられてた。

     

200814g

  

   

    ☆     ☆     ☆

単なる普通の日本人の私としては、お話の流れから普通に考えて、色々ともてなしの料理をのせたお盆のことだろうと推測・想像しとこう。いずれにせよ、お盆という行事を身近に感じられるようになった。

 

来年の夏は、普通のお盆になりますように。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

        (計 1891字)

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哲学者ニーチェ「神は死んだ。人間は仲間と創造のゲームで遊べ」~『野ブタ。をプロデュース』第1話(再放送)

 俺が思うに この世の全てはゲームだ

 ガキが集まってるこんな中じゃ マジになった方が負けだ

 ・・・上手く立ち回って いいポジションを維持してれば

 傷つくことなくゴールまで行ける

  

 ねぇ 神様 死んじゃったんだって

 ニーチェだっちゃ 哲学者のニーチェが言ってんだけどさ

 でも 神さま死ぬか? 大体 死因は何だってんだ♪

  

200412d

   

   

    ☆     ☆     ☆

マニアックなお話の前に、まずは軽口を叩いとこう。あらためて見直すと、ホント可愛いね。キャサリン(夏木マリ)♪ 熟女マニアか! いや、超ミニスカ制服のいじめっ子、バンドー(水田芙美子)が。スタイルもいいのに、ケバイからゴーヨク堂店主(忌野清志郎)に投げ飛ばされて、宙に浮いてた(笑)

   

14年半前、私が本放送の初回をテレビで見た時は、本気でバンドーに激怒(笑)。子どもか! ところが彼女、当時ウチと同じくココログ(ニフティのブログ)をやってて、私とのちょっとしたやり取りみたいな事もあったから、一気に親しみが湧いたのだ♪ その頃はまだ、芸能人ブログのコメント欄で一般人が気軽にコミュニケーションできる雰囲気があった。

   

その時の様子はウチの記事に書き直してて、昨日から検索アクセスを集めてる。まあ、みんなバンドー目当てだろうから、私の理屈っぽい文章なんて読んでないだろうけど、彼女はわりとマジメに読んでくれたようだ(たぶん♪)。あちらの記事の文章も、バンドーのイメージとは真逆で、優等生の文学少女みたいな感じ。ドラマのバンドーを自分でたしなめてた(笑)

      

超個人的な思い出はともかく、野ブタ(堀北真希)も、まりこ・・じゃなくてまり子(戸田恵梨香)もホントに可愛いね ♡

  

エッ、それより主役の男子? ハイハイ。修二(亀梨和也)も彰(山下智久)も、今見るとカッコイイね。当時の私にとっては、全く知らないジャニーズの新人に過ぎなかったけど、いまや2人とも大物アイドル。単なる一般男性ブロガーの私もその後、大量の記事を書くことになった。

   

  

    ☆     ☆     ☆

さて、『野ブタ。をプロデュース』という2005年のドラマは、2004年の白岩玄の同名小説を原作として出来た作品(日本テレビ)。もとの小説はドラマとかなり違う内容で、根本的に暗い悲惨な物語だ。

    

題名はもちろん、つんくによる「モー娘。」の「プロデュース」を意識したもの。今ならタイトルは、『ABCをプロデュース』とか、『道玄坂を推す』とか♪ ちなみに道玄坂とは、渋谷109の横の坂(蛇足・・笑)。

           

原作が書かれた頃は、ちょうどモーニング娘。の(初期の)絶頂期が終わりかけた頃で、小説の最初にも反映されてる。ということは、そもそも題名には、「今さらプロデュース?」という自虐的な意味合いも込められてるのだ。そして実際、小説の中のプロデュースは失敗してしまう。

    

その原作については、当時わりと真面目にレビューしてて、今回の特別編・再放送が決まった直後から大量のアクセスを集めてる。わざわざ単行本を買って書いた記事で、本を読み終えた直後、ズ~~ンと落ち込んだのを覚えてる。

      

 リアルな人間との向き合い方 野ブタ原作

   

  

    ☆     ☆     ☆

河出書房新社の文藝賞を獲得したその原作本を、脚本家の木皿泉(夫妻のコンビ名)が大胆に書き直して出来たのが、日テレのドラマ。だから時間的流れの順番としては、こうなる。

  

 原作 → 脚本(台本、シナリオ)→ ドラマ

  

原作(マンガも多い)と脚本の違いを私が知ったのは、翌年だったか。確か、ココログのブロガー仲間の脚本家・キッドさんに教わったのが最初で、それ以降、原作と脚本とドラマ、3つの違いをハッキリ意識するようになった。

    

ちなみに野ブタの「シナリオBOOK」というものが出版されてて、今でもamazonで中古本が販売されてるけど、見たことはない。おそらく脚本をそのまま収録したもので、興味はあるけど、配送料込みで3500円くらいだとキツイかな(セコッ♪)。

   

ちなみに、脚本とドラマの台詞はビミョーに違うので、念のため。その点は色んなドラマで具体的に確認して来た。古くからのウチの常連読者さんなら、ご存知のはず。最近は調べなくなってるけど、違いやズレの意識はいつも持ってる。

  

原作との違いを生み出すのは、脚本家以外に、演出家(初回・岩本仁志)、プロデューサー(河野英裕・小泉守・下山潤)を始めとするスタッフ。そして、キャスト(役者)たち。彰の妙にフワフワしたキャラは、イヤイヤ期(笑)だった山Pが指示に逆らって生み出したという話だ。認めたスタッフもキャパシティー(許容度)が大きくて、いいね!   

   

   

    ☆     ☆     ☆

で、いよいよ今回の内容について。ウチでは当時、第1話について2本の記事を書いてる。最初のちょっと恥ずかしいつぶやき記事と、全放映終了後の全体レビュー

  

 「野ブタ。をプロデュース」、面白い♪

 生きる場所を求めて~野ブタ再考

   

今回はそれらとはかなり違う、マニアックな理屈を扱ってみよう。彰が冒頭でつぶやいてた哲学者ニーチェの思想・著作と、ドラマの関係だ。

  

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脚本家コンビがどの程度意識してるかはともかく、ドラマのあらすじや台詞は、19c末のニーチェ(Nietzsche)の主著『ツァラトゥストラはこう語った』(Also Sprach Zarathustra)とかなり重なってるのだ。

 

200412c

   

    

    ☆     ☆     ☆

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まず、あちこちで話題にされてる有名な台詞を、主著の翻訳(丘沢静也訳、光文社)とドイツ語原文(無料電子図書館グーテンベルク)で確認しとこう。主人公ツァラトゥストラの独り言。あるいは、著者ニーチェのつぶやき。

    

 「以前は、神を冒涜することが最大の冒涜だった。だが神は死んだ。と同時に、神を冒涜する連中も死んだ。この地上を冒涜することが、いまでは一番恐ろしいことなのだ!」

     

200412a2

  

上の箇所では、「神は死んだ」の原文は2行目の左側、「Gott starb」。英語訳グーテンベルク)だと、「God died」。

    

ただ、その少し前の台詞では少し違う表現で、「Gott todt ist !」となってる。英語訳だと、「God is dead !」だから、こちらは「神は(既に)死んでいる、もう存在しない」とか訳すと分かりやすい。「いつまで依存してるんだ?、人間たちよ!」とか。

         

要するに、こうゆう事だ。もちろん、神は21世紀の今現在でも、世界中で信仰されてる。ただ、19世紀の末には、それ以前と比べると威厳が低下してたし、ニーチェはもはや自分で人間の道を歩もうとしてた。だから、「神は私にとってもはや重要でない。君たちも私と共に、人間として生きろ」ということなのだ。

  

人間より高い別次元の超越的な存在を信じたりせず、死後の理想的世界を夢見ることもなく。この地上で、私は人間として高みを目指して行こう。それが「超人」を目指すということだ。

   

もちろんそこには危険も伴うから、著作では「綱渡り」という言葉も使われてた。リスクを伴う遊びの移動、変化。そう言えば、彰が両手を伸ばしてヒラヒラさせる仕草は、綱渡りのバランス保持にも見える。

                

ドラマの場合、野ブタ(堀北)はまず、いじめっ子のバンドーがいない世界を望む。ところがその後、修二、彰、ゴーヨク堂らの寄り添いと支えを受けて、考えが変わった。バンドーがいるこの現実世界、この地上でも、自分が生きる場所は他にある。自分たちで新たに創り出せる。だから、バンドーがいない世界、単なる幻想を望んだことを、後で取り消したのだ。

  

ニーチェの「超人」を体現したキャラこそ、仙人みたいなゴーヨク堂。静かな古本屋の中で全然違う世界みたいだという野ブタに対して、私が作った世界だと語ってた。群れをなさない点、身体で闘う姿勢も超人と言える。忌野清志郎自身も肉体派(サイクリスト)で、登り坂という地上の高みを目指して必死に頑張ってた♪

   

   

     ☆     ☆     ☆

では、神なしで、人間はどのように生きるのか。人間ならではの特徴とは。

  

 「創造する者が求めているのは、相棒だ。死体ではない。群れでもなければ、信者でもない。いっしょに創造する者を求めているのだ。」

  

一神教みたいな唯一の存在である神と違って、人間は「相棒」が必要なのだ。ドイツ語 Gefahrten、英語 Companions。これ、複数形になってる。

  

つまり、ドラマ的に言い直せば、「生きる場所を自分でプロデュースする修二が求めてるのは、彰と信子という仲間たちだ」ということになる。そもそも原作では、修二と彰は同一人物(修二)の2つの側面。一心同体だった。

   

   

    ☆     ☆     ☆

ニーチェはさらに、もう少し後で、ゲームとか自転車みたいな話まで書いてるのだ。

  

 「・・・なぜいまさら子どもになる必要があるのか? 子どもは、無邪気だ。忘れる。新しくはじめる。遊ぶ。車輪のように勝手に転がる。・・・創造という遊びのために、兄弟よ、神のように肯定することが必要なのだ。」

   

ここで「遊ぶ」とか「遊び」と訳されてる言葉は、英訳だと「game」(ゲーム)。そして、「車輪のように勝手に転がる」と訳されてる箇所の英訳は、「self-rolling wheel」(自転する車輪)。短く言い直せば、自転車なのだ♪

 

200412g2

             

ハッキリしただろう。このドラマ(特に初回)はニーチェ哲学の言い換えになってたのだ。『ツァラトゥストラ』全体の筋書は、実は山P『アルジャーノンに花束を』の原作小説の前書きにあったプラトン哲学・洞窟の比喩とも重なってる。ツァラトゥストラが山を降りるのは、チャーリイが元に戻ることに対応するのだ。ここでは指摘だけに留めよう。

     

ドラマの柳の木というのは、ニーチェ哲学というより、フロイト派精神分析的な「ファロス」(男性的象徴)。だからこそ男の子の修二は触らずにいられないし、引っこ抜かれる(去勢される)と修二は激しく動揺してた。女の子の野ブタの欲望も向けられてる。熱い視線と共に♪ 細長い木の丸い根っこにも注目。

  

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ただ、ニーチェの場合、「引っこ抜く」という言葉にポジティブな意味(新たな収穫)を重ねてる。だからこそドラマでは最後、引っこ抜かれた柳の木が、修二と野ブタにとっての心の収穫になってたのだろう。

   

   

     ☆     ☆     ☆

なお、放映当時、修二の自転車がかなり話題になってた。スピードを求めるロードバイクと、どこでも自由に力強く走るマウンテンバイクを合体させた、クロスバイク。多分、この写真と同一の車種だろう。個人ブログの2005年の記事より引用させて頂いた。

  

200412b

  

米国西海岸のMarin(マリン)というブランド(メーカー)の、「larkspur」(ラーク・スパー)。2005年モデル。わりと安くて、実用的だ。マリンは、海とか海の男という意味。そう言えばドラマでも、海がポイントになってた。ラークスパーは直訳すると、ひばりの蹴爪、遊びの刺激とかで、直接的にはたぶん西海岸の地名から名付けてる(花の名前でなく)。

       

特徴としては、前のギアにガードが付いてて制服のズボンにからまないこと、サドルに多分サスペンションが付いてて乗り心地が柔らかいこと。水平に長く伸びるフラットハンドルだから遊びやすいこと。そして、ハンドルの位置が高めだから、見通しがいいことだ。一言でまとめると、実用的なスポーツ車。街乗り用、シティサイクル。

  

実はこのメーカーの基本的ポリシーも、「FUN」。つまり、楽しく遊ぶことなのだ。いつもの事ながら、ドラマというものはグッズの選択までよく出来てる。美術スタッフさん、グッジョブ!

  

  

    ☆     ☆     ☆

実はクロスバイクは、私の愛車でもある♪ 「テンメイのRUN&BIKE」のバイクとは、基本的に、エメラルドグリーンのクロスバイクのこと(オートバイの意味もあり)。ウチのブログが何でもあり状態になってるのも、「クロス」、複数のものの交差を目指してるからだ。

  

というわけで、長くなって来たからこの辺で終了。まあ、14年半前のつぶやき記事は大幅に補完できたから、自分では満足だ。寝落ちしそうで、綱渡り的な執筆ゲームだったけど♪

   

なお、関連する大量の過去記事の一部には、下でリンクを貼ってるので、ご参照あれ。15年弱のブログ遊びの記録だ。今週は大幅に制限オーバーで、合計17735字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

   

   

cf. どんな服着てても笑える、好きな服ならもっと~『野ブタ』第2話(再放送)

 真夜中に手をつなぐモグラ達、はかない奇跡の光~『野ブタ』第3話(再放送)

 不意打ちのように訪れる、本当の心~『野ブタ』第4話(再放送)

 「花の街」、七色の谷を越えて、リボンのキャッチボール~『野ブタ』第5話(再放送)

 ちゃんとした人間になっても、道端の十円玉のままで~『野ブタ』第6話(再放送)

 好きなものをあきらめて、自分という舟を好きになりたい・・~『野ブタ』第7話(再放送)

 信じたいから信じる、本当の友達を~『野ブタ。をプロデュース』第8話(再放送の前♪)

 闇夜に浮かぶ蒼い月、はるか遠い場所~『野ブタ。をプロデュース』第9話(再放送)

 「山崎と海亀」がヤバイ♪、修二と彰は2人で1つ~『野ブタ』最終回(再放送)

   

    ・・・・・・・・・・

  

 不幸な精神疾患の患者の(犯罪的)行為をどう扱うか~『ストロベリーナイト・サーガ』第1話

 新渡戸稲造『BUSHIDO(武士道)』~『怪盗 山猫』第1話

 亀梨&深キョンの夜エロ~『セカンド・ラブ』第1話

 緑色の渇きをうるおす人間の温かさ~『妖怪人間ベム』第1話

 僅かな腹ごなしラン&『ヤマトナデシコ七変化』第1話

 神、自然、そして人間~『神の雫』最終回

 『1ポンドの福音』最終回、軽~いつぶやき

 現在から未来へ、あなたと共に~『サプリ』最終回

 火花で始まる静寂な花火~『たったひとつの恋』第1話

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・

 強敵エボラと手をつないで仲良く生活、「衛生仮説」の功罪~『インハンド』最終回

 仲間と共にトンネルウォーク、光さす出口を探して~『コード・ブルー3』最終回 

 神は死んだ、そして運命は水がもたらす~『ボク、運命の人です。』第1話

 ハエ、灰、Hi・・、足裏から目指すハイ(High)~『5→9 私に恋したお坊さん』第1話

 Yesterday Once More♪~『アルジャーノンに花束を』最終回

 水・風・指輪、再びきらめくケンゾー♪~『SUMMER NUDE』第1話

 愛と死を目指して生きる~『最高の人生の終り方』第1話

 僅かな積極的休養ラン&『コード・ブルー2』第1話

 男のビート、女のメロディー~『ブザー・ビート』第1話

 ドクターヘリを取り巻く腕~『コード・ブルー』第1話

 『コード・ブルー』のヘリコプターMD902について

 ブカブカの大きな愛に包まれて~『ブロポーズ大作戦SP』

 遠い夜明け~『クロサギ』最終回  

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 山P=山下智久『ルート66』、男のアメリカ横断一人旅が熱い☆

 山P=山下智久、薄いリアクションは3倍増しで考えて♪~TBS『A-Studio』2019

   

       (計 5653字)

  (追記348字 ; 合計6001字)

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