菊池寛100年前の短編小説『マスク』~スペイン風邪の不安と、マスクをつけた他人への不快感、葛藤・矛盾の心理描写

朝日新聞・朝刊(21年9月22日)のコラム、天声人語は、終盤で一言、作家・菊池寛(きくち・かん)の短編小説『マスク』に触れてた。一般的には、本人の小説よりも、芥川賞・直木賞の創設の発案で有名だろう。

  

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「スペイン風邪の時代を生きた作家、菊池寛に『マスク』という短編がある。感染が収まって多くの人がマスクを卒業しても、心臓に持病がある主人公はマスクを手放さない。

  

『伝染の危険を絶対に避ける。臆病でなく文明人としての勇気だと思ふよ』。外したい気持ちを抑え、自分に言い聞かせる場面が印象深い」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

コラム全体の中心的主張は、最後から2行目の「いましばらくマスクをつけ続けよう」。そのため、菊池寛の小説もそうした安全重視の姿勢としてとらえてる。

   

しかし当時の作家が、そんな普通の立派な主張だけを書くはずはない♪ そう思って早速、国立国会図書館デジタルコレクションで『菊池寛全集 第四巻』(春陽堂、大正11年、1922年、p.325-p.335)を閲覧。死後73年が経過、著作権は消滅。

       

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実際に自分で読むと、想像通りというか、想像以上に屈折してた。そもそも最後、自分はマスクを外した状態で、マスクを付けてる他人を不快に思ってるのだ。これこそ、昔の「私小説」(わたくししょうせつ、ししょうせつ)らしい告白だろう。

  

  

    ☆     ☆     ☆ 

読み終えた後、日経新聞の紹介記事を発見。菊池寛記念館HPで去年から『マスク』を一般公開してるとのこと。

   

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早速、記念館のウェブサイトに飛ぶと、どこで公開してるのか分かりにくいから、Googleで検索。直ちに見つかった

  

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読みやすさなら、こちらの方が遥か上。pdfファイルのダウンロードも可能。国会図書館の全集とは別の、『菊池寛全集 第二巻』(高松市発行)が出典で、少しだけ中身が違ってるようだ。

   

一応、2つの全集を比較しながら、核心部分を引用、簡単に解説してみよう。ネタバレになるので、念のため。  

 

   

     ☆     ☆     ☆

『マスク』の初出は、1920年(大正9年)7月、文芸誌『改造』。1918年~1919年に猛威をふるったスペイン風邪(インフルエンザA型、H1N1亜型)がちょうど収まった頃に書かれてる。

   

全世界の死者は推定2500万人。今の新型コロナは500万人弱だから、5倍の死者数で、しかもすぐ死亡したようだ。

   

日本の死者数は39万人で、当時の人口は5000万人程度。現在の日本の人口は2.5倍になってるから、今の感覚だと、死者100万人弱になる。ちなみに、新型コロナの日本の死者数は17000人だから、スペイン風邪の60分の1にすぎない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

当時は情報も医療体制も恵まれてなかったはずだから、新型コロナより遥かに悲惨だったのだ。小説の主人公(菊池寛自身)がおびえるのは当然だろう。

   

そもそも、朝日は字数の制限もあって「心臓に持病がある」とだけ書いてたが、小説を読むと、悪い所だらけだったらしい。「見かけ丈(だけ)は肥(ふと)つて居るので、他人からは非常に頑健に思はれながら、その癖内臓といふ内臓が人並以下に脆弱」。

   

ところが、さすがは文学者。いきなり屈折した微笑ましい心理も描写してる。「『丈夫さうに見える。』と云ふ事から来る、間違った健康上の自信でもあつた時の方がまだ頼もしかつた」。

   

しかし、手加減なしの医者に厳しい注意を受けた上に、流行性感冒(スペイン風邪)が猛烈に流行り始めたから、現在の普通の日本人みたいな対策をとることになる。

   

他人から、臆病と嗤はれやうが、罹つて死んでは堪らないと思った。自分は、極力外出しないやうにした。妻も女中も、成るべく外出させないやうにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱(うがひ)をした。

  

止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰つた時に、叮嚀(ていねい)に含漱をした。・・・咳をして居る人の、訪問を受けたときなどは、自分の心持が暗くなつた」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

その後、朝日が少し言葉を変えて引用した立派な台詞「臆病でなくして、文明人としての勇気だと思ふよ」が登場する。

  

しかし、文脈が全く違うのだ。小説では、これは自分の臆病な行動を「友達に弁解した」言葉として登場。しかも、「幾分かはさう信じて居た」だから、自分ではあまり信じてないのだ。そんな弁解は、友達も信じてないはず。

   

既に2020年の3月。「マスクを掛けて居る人は殆どなかつた」。その中で、まだ外出せず、マスクはしてたから、「妻までが、自分の臆病を笑つた」。

   

ところが、4月、5月になると、暑さも加わって、主人公もマスクを外す。「日中は、初夏の太陽が、一杯にポカポカと照して居る。どんな口実があるにしろ、マスクを付けられる義理ではなかつた」。

   

   

     ☆     ☆     ☆

そんな頃、市俄古(シカゴ)の野球団が来たから、帝大との試合を見に行く。快晴の日で、おそらく当時の早稲田大学・戸塚球場(後の安部球場で、既に閉鎖)。

  

ふと、自分を追ひ越した二十三四ばかりの青年があつた。自分は、ふとその男の横顔を見た。見るとその男は思ひがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのであつた。

    

自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動(ショック)を受けずには居られなかつた。それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた」。

     

1人でマスクしてる青年に対して、不愉快、憎悪。「感冒の脅威を想起させられた」よりも、「強者に対する弱者の反感ではなかつたか」。

  

ちなみに春陽堂の全集では、「強者に」ではなく「強弱に」と書いてた。初出の雑誌までは確認してないが、「強者に」が正しいと思う。

   

   

     ☆     ☆     ☆

朝日的な読み方では、これは青年の勇敢さを称える文章だということになるのかも知れない。解釈は自由だが、普通に考えてそれは誤読だろう。というのも、青年に対する描写にはネガティブ(否定的)な言葉が並んでるからだ。末尾の一文でも、それは確認可能。

   

此の男を不快に感じたのは、此の男のさうした勇気に、圧迫された心持ではないかと自分は思つた」。

    

これで最後になるのが、当時の私小説的な筋書き。不快、勇気、圧迫という並び方は、要するに不快の方が強いことを示してる。

  

とはいえ、今の中学・高校の国語の授業なら、「主人公は、自分を反省して、青年の勇気を見習おうと考えている」と解釈するのが正解になってしまうのかも。

   

人間はそんなに立派に出来てないし、社会もそれほど綺麗に出来てない。少なくとも来年までは、日本も世界も混乱したまま、試行錯誤&論争することになるだろう。海外では既に、マスクの争いで銃撃のニュースまで出てるほど。

     

ちなみに私は、夏の暑い時には、人がいない場所で少しだけマスクを外して深呼吸。他はずっとマスクで、外出は仕事その他、必要なものだけに留めた。イベントや夜の街は、私にとっては不要不急だから行かないが、必要で急ぎだという人を否定するつもりもない。

  

なお、小説にワクチンの話は全く出てなかった。当時も一応、ワクチンは開発されてたが、(あまり)効かなかったようだ。それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

       (計 2909字)

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日本で名言とされるナイチンゲールの言葉「看護は犠牲行為であってはなりません」、欧米では注目されてない

ナイチンゲールというと、小学校の頃に偉人伝みたいなもので読んだだけで、名前は覚えてるけど知識はなかった。

   

ところが先日、2021年5月11日の朝日新聞・朝刊コラム「天声人語」で、興味深い名言が引用されてたのだ。「看護は犠牲的行為であってはならない」。SNS(主にツイッター)で拡散したらしい。

  

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ちなみに翌日、5月12日がナイチンゲールの誕生日で、国際ナース(看護師)デー。日本の名前だと、看護の日。そのタイミングと、東京五輪批判を組み合わせた主張のようだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

かなり朝日的・リベラル的な主張だが、私は別に、「看護は政治的行為と関連してはならない」とは言わない。むしろ、多少は関連すべきだろう。政治性の質や量には配慮して。

         

日本看護「協会」は、直接的には政治活動できないとかいう話だが、深く結びついてる日本看護「連盟」は政治団体で、今まで自民党の議員を輩出して来た。

     

当然、母体である日本看護「協会」も、自民党政権が進める東京五輪に対する態度は微妙になる。それに不満な看護師たちが立ち上がって、左派メディアがサポートしたという構図だろう。看護に限らず、大規模の組織でよくあることだろう。

  

例えば、下の東洋経済の記事など、キレイにその構図に当てはまる実状を伝えてた。東京五輪の派遣問題は、あくまで抗議のキッカケに過ぎないのだ。

  

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ただ、医師の世界はちょっと特別で、日本医師会だけでなく、全体的に保守的なイメージが強い(だから逆に一部の医師が目立つ)。医師には、育ちも現在も富裕層の人間が圧倒的に多いことと無関係ではないはず。

   

社会的地位も高いので、大きく見るなら、今のままで十分な生活なのだ。例えば介護の世界と比較しても、格差は際立つだろう。

   

    

     ☆     ☆     ☆

さて、前置きが長くなったが、私は別に政治の話をしたかったわけではない。単に、最近よく書いてる名言の記事を1本、追加しようと思っただけなのだ。ナイチンゲールの言葉は、素直に「いいね」と思った。日本人の私としては。

   

ところが、その後の展開は今までとかなり違ってた。ありがちなパターンは、名言の出典がなかなか分からないことだ。名言を書いてるサイトは多くても、もともと何に書いてあって、正確にはどんな文章なのか、正確に調べて書くサイトはごく僅かしかない。

     

それに対して、ナイチンゲールの言葉の出典は直ちに正確に判明した(と思う)。ナイチンゲール看護研究所HPより引用させて頂こう。「概要」を見ると、研究所というより、研究者グループみたいな組織だと想像する。

     

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 看護は犠牲行為であってはなりません。人生の最高の喜びのひとつであるべきです。

 (ナイチンゲール著作集・第3巻、p.431、現代社、1977)

 Nursing should not be a sacrifice, but one of the highest delights of life.

   

  

ちなみに、分かりやすさを重視した古い翻訳なのか、よく似てるけど微妙に違う言葉も引用されてた。外国語の原文は無い。

   

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看護の仕事は、快活な、幸福な、希望に満ちた精神の仕事です。

 犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護師といえるのです

   (浜田泰三訳、ナイチンゲール書簡集、山崎書店、1964年)

   

     

     ☆     ☆     ☆

最初の引用の出典は詳細だし、正しいのだろうと思う。ただ、「The Collected Works of Florence Nightingale. Vol 12, p.870」などの検索語句を入力して調べても、元の文章の前後などはヒットしないし、英語でも見当たらなかった。非常に珍しい。

     

細かい話をするなら、実は色々とヒットしたけど、妙な通販サイトばかりなのだ。単にアクセスを稼ぐためだけに、名言の類を無意味にページに忍び込ませてるのだと思う。時々ある事で、リスクだけ高くて無益だから、なるべくアクセスは避けてる。

      

Amazonでの中身検索も失敗する中、惜しかったのは、Google booksの書籍内検索。どうもこの本のP.870に似た文章はありそうだけど、著作権の関係なのかギリギリで表示されない。原文は百数十年も前の著作なのに非常に厳しい管理だ。

   

少し違う見方をするなら、要するに、英語原文が非常にマイナーということだと思う。ナイチンゲールの著作や情報なら、世界中に溢れてる。ところが、「看護は犠牲行為であってはなりません」という手紙の(?)英文は、引用さえ発見できない。

  

というより、看護と犠牲の関係について語るナイチンゲール言葉がほとんど無いのだ。もちろん、ネット公開されてる英語の著作内の検索もかけたし、フランス語とドイツ語でも検索してみたけど、実質的にほとんど発見できてない。

   

  

      ☆     ☆     ☆

そんな中、僅かに見つかった英語の名言は、以下の2つの文。英語版ウィキクォートより。出典も明記してあった。

  

 The martyr sacrifices herself (himself in a few instances) entirely in vain.

 殉教者は、彼女自身(少数の例では彼自身)をまったく無駄に犠牲にする。

   

これは文脈が無いので分かりにくいが、やはり手紙の文のようで、宗教的な主張に近く見える。ナイチンゲールは看護婦の指導者だけでなく、多様な側面を持つアクティブな知識人・思想家らしい。ところが日本では、ひたすら看護の女神のような扱いが目立つのだ。

   

  

  It is true that sometimes we must sacrifice not only health of body, but health of mind (or, peace) in the interest of God; that is, we must sacrifice Heaven.

   

 時々、私たちが、神の利益のため、身体の健康だけでなく、心の健康(または平穏)も犠牲にしなければならないのは本当のことだ。つまり、私たちは天国(ヘヴン:穏やかで満ち足りた心身の状態)を犠牲にしなければならない。

   

  

これは、ナイチンゲール自身の言葉ではなく、彼女が翻訳出版を目指してた中世の著作からの引用かも知れない。いずれにせよ、犠牲というものの存在がはっきり肯定されてるのだ。看護の話かどうかはさておき。

  

  

     ☆     ☆     ☆

今回はこのくらいで終わりにしよう。「看護は犠牲的行為であってはならない」というツイートはもちろん、元のナイチンゲールの言葉を重視する態度も、実は非常に日本的なものであるのは確かだと思う。

   

では、なぜ日本人だけがこの言葉に注目するのか? 男女格差が大きいことに加えて、おそらく、戦争・敗戦の「犠牲」経験と反省から、戦中・戦後あたりに注目されて受け継がれて来たのだと想像する。

   

歴史を調べる必要があるが、残念ながら、図書館を検索しても古い文献はなかなか見つからない。看護系の学校とかなら置いてるのかも。

       

実は、似た言葉の「犠牲なき献身こそ真の奉仕」も、日本のあちこちで引用されてるが、出典は見当たらないし、対応する英文も発見できない

  

医学書院・医学界新聞の専門家の対談でも、医療ガバナンス学会のメールマガジンでも同様。出典不明なままナイチンゲールの有名な言葉として拡散してるだけだと思う。

        

例えば、日本語のウィキペディアも、(いつものように)出典なしに「有名な言葉」として挙げてた。もちろん、英語版ウィキにも仏語版ウィキにも独語版ウィキにも書かれてない。

  

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     ☆     ☆     ☆

以上、色々と書いたが、私自身は「看護も医療も介護も、『可能な限り』、犠牲であってはならない」と思ってるので、念のため。ただ、何事にも犠牲の側面はあるし、犠牲は必ずしも悪いものでもない

   

さらに言うなら、「看護は犠牲行為であってはならない」という言葉のSNS的な軽い拡散自体が、様々な物事を犠牲にしていること。この自覚こそ、本当に重要で必要なことなのだ。

    

それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

       (計 3237字)

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「唐ちゃんの綴る言葉が私は好きだよ」、写真も♪~唐田えりかエッセイ「mirror」5(最終回)・海の幸(『日本カメラ』21年5月)

幸か不幸か、これまであまり話題になってなかった唐田えりかの写真エッセイが、ここ半月だけ、わりと話題になってた。掲載誌『日本カメラ』がいきなり休刊、会社も今月で解散。当ブログの一連のレビュー記事にも、かなりアクセスが集まってる。

   

 フィルムカメラで自分の心と向き合う~唐田えりか「mirror」第1回・夕焼け(雑誌『日本カメラ』連載

 唐田えりか写真エッセイ「mirror」第2回・猫~『日本カメラ』21年2月号

 「mirror」第3回・東京行き~『日本カメラ』3月号

 木片や枝葉を一つずつ見つめ、細い山道を孤独に~「mirror」4・共生(『日本カメラ』4月

   

70年以上の歴史を誇る専門誌でさえ・・というより、だからこそ、時代の流れに押しつぶされてしまったわけか。休刊の記事でも書いたように、実は相次いで休刊に追い込まれたカメラ雑誌3冊はどれも古くて、他のカメラ雑誌はまだ色々と残ってるのだ。

   

   

     ☆     ☆     ☆

それにしても、本当に唐田は恵まれなくて、気の毒だ。せっかく話題になった今回も、記事のほとんどが、仕事を失った話と東出昌大の話ばかり。

    

肝心の写真とエッセイのレビューは、この1週間、ほとんど(あるいは全く)見てない。そもそも唐田の写真エッセイを見ずに、ネット情報だけで書いてるらしき記事さえあった。

    

そんな中で、ほとんど唯一、中身のあるマトモな記事を書いてたのが『女性自身』。最終回となった今回の写真エッセイで話題にしてる人とは、3月一杯で退社した担当の女性マネージャーAさんだろうという内容

   

それが本当かどうかは今現在、確かめようがないが、少なくとも写真を見てエッセイを読めば、ごく身近で親しい年上の女性へのお別れの挨拶なのは明らかなこと。おそらくこの女性が、何らかの意味で「海」と関連してるんだろう。あるいは「幸」(さち)とも関連してるとか。

    

東出と全く関係ないとまでは言わないし、そのような事を見出しと本文に書くとアクセス数が伸びるのだろう。しかし、まずは写真とエッセイをじっくり見るべきなのだ。

   

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上はもちろん、雑誌掲載の写真ではないが、画像検索で誤解される恐れもあるから、わざわざ「☆唐田えりかの写真自体ではない」と書き添えてる。

   

もっと似た写真はいくつかネット上で発見してるが、著作権をハッキリ主張してるものばかりだったから断念。少し似た雰囲気のあるウィキメディアの動画キャプチャーを加工してみた。オオミズナギドリ。

      

唐田自身の作品は、白黒の浜辺(波打ち際)らしき写真。全体的には海の写真で、水面に近い辺りを、1羽の小さな海鳥が羽ばたいて飛んでる。上に掲載した私の写真の海鳥を、縦横ともに5分の1に縮小したような構成だ。

     

私はもうあなたなしでも

 あなたがくれた沢山の大切なものたちと、

 羽ばたくことができる。

   

といっても、写真というmirror(鏡)に写った「私」の羽ばたきはまだ孤独だし、明るく爽やかな海の光景として描き出すこともできない。あくまで暗くてレトロな白黒写真。

  

豊富な「海の幸」(記事タイトル)を得た様子だろうが、見方によっては、今にも海に落下しそうにも見えてしまう。まだ大海原の沖まで飛ぶことは出来ず、浜辺の近くで飛ぶのが精一杯にも見える。

   

ドラマ『インハンド』にも出た『かもめのジョナサン』の表紙を暗めにしたような写真・・というのは一部読者へのご挨拶だ♪ アマゾンより。あえて白黒加工はしない。

  

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     ☆     ☆     ☆

ところで、最後の3行でクローズアップされた「あなた」。ネット的には「匂わせ」とネガティブに呼ばれてるが、ごく普通の「婉曲表現」にすぎない。

     

芸能関係とはいえ、一般の社員の話を書くのなら、遠回しに書くのが当然のこと。「匂わせ」と呼ぶことで昔のSNS炎上と結びつけてしまう多数の記事には、溜息しか出ない。本当に可哀想な唐田えりか。。

      

匂わせどころか、最初の1行から最後の1行まで、すべてがストレートに、ごく身近で親しい年上の女性の話になってる。そもそも最初の1文がいきなり、「唐ちゃんの綴る言葉が私は好きだよ」なのだ。

   

その後も、彼女の支えによって、心の奥底を言葉に出来るようになったこと、言葉の表現力もついたことを書いてるのであって、恋愛の話などカケラも無い。

   

フィルムカメラでの写真撮影を勧められたことも書いてる。その話は3年前の絶頂期に、週刊女性のインタビューでも語ってたことなのだ。「上京してから、担当になってくれたマネージャーさんがふだんフィルムカメラを使っているので、私も“これを機に”と始めました」。

   

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     ☆     ☆     ☆

退社した担当マネージャーと「海の幸」との関わりは、想像するしかないが、案外、『サザエさん』みたいに海関係の名前なのかも。磯野幸子とか♪

  

あるいは、2人でプライベートで海に行った思い出があるとか、実はこの海鳥の写真を撮った時にそばにマネージャーがいたとか。

  

もちろん「海の幸」とは、別に食べ物のこととは限らない。珍しく、あまりポエム的でないエッセイの文章を普通に読むなら、言葉の扱い方、言葉による心の探り方、写真の撮り方、フィルムカメラの扱い、そしてもちろん、芸能活動の心得や作法など。

   

当然、肝心の芸能活動で大失敗したからこそ、マネージャーにも大きな責任がのしかかったはず。最低限の責任を1年半ではたして、けじめをつけたのかも。

   

   

     ☆     ☆     ☆

最後に、マネージャー以外に「あなた」「大切なひとが意味するものとしては、何といっても『日本カメラ』だろう。雑誌も、担当者も、会社も。

   

彼女がこの「第5回」を書いた時点で、まだ休刊は知らなかっただろうと思うが、結果的には、3年以上前からずっと支えてくれた雑誌への別れの挨拶にもなってる。

  

そのまた次くらいに少し入ってるかも知れないのが恋愛の話だが、順番を間違えてはいけない。写真エッセイの内容は、女性と言葉とフィルムカメラと写真の話。写真はフィルム撮影。

   

カメラは、初回でも使ったレトロな名機、Olympus PEN EE-2フィルムロモグラフィ・LADY GREY B&W(ブラック&ホワイト=白黒)400。現在、品切れ。そんなマニアックな情報まで書いてるのは、カメラ雑誌の連載だから。

     

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まず女性。次に雑誌。2つの大切なものへの別れと感謝を書く文章に、少し含みをもたせたのが最後。とにかく、唐田えりかには今後も撮影と執筆をつづけて欲しいし、撮られる側にも復帰して欲しい。

  

「唐ちゃんの映る作品が私は好きだ」と言ってくれる人は大勢いるはずだから。とりあえず、連載お疲れさま♪ ではまた。。☆彡

    

        (計 2720字)

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哲学者ニーチェ名言「深淵を覗(のぞ)く時、深淵もこちらを覗いている」、ドイツ語原著『善悪の彼岸』と原文~『レッドアイズ』最終回

日テレのドラマ『レッドアイズ』については、第2話で暗号記事を書いた後、名言の原文記事を5本書いて来た。

 

 ソルジェニーツィン「善と悪の境界線はすべての人の心の中に」、意味とロシア語原文(第6話)

 『レッドアイズ』第7話のバルザック引用「孤独はすばらしいが・・」は、半ば間違い(フランス語出典付)

 詩人ロバート・W・サーヴィス「死ぬのはとても簡単で・・・」、英語出典と原文~第8話

 第9話のチャーチル名言「地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進め」、ほぼ間違い

 チャーチル名言「これは終わりではない。終わりの始まりですらない」、英語出典と原文~最終回

   

ロシア語、フランス語、英語、英語、英語。 最後を締めくくるのは、偶然なのか必然なのか、ドイツ語。亀梨和也&山下智久主演の名作『野ブタ。をプロデュース』の第1話と同じ、ドイツの哲学者ニーチェを扱うことになった。チャーチルの名言の少し前に出たテロップ。

  

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 深淵を覗(のぞ)くとき、深淵もまたこちらを覗いている

           ニーチェ

  

  

     ☆     ☆     ☆ 

野ブタについては、去年の再放送の直後、本格的なレビューを新たに書いてる。

  

 哲学者ニーチェ「神は死んだ。人間は仲間と創造のゲームで遊べ」~『野ブタ。』第1話(再放送)

  

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写真は英語版ウィキペディアより。ニーチェは、普通の考えや価値観を徹底的に批判・否定した過激な思想家で、野ブタの場合は彰(山P)が「神は死んだ」という超有名な言葉を引用した後、仲間が集まってゲームで楽しく遊ぶ方向に進む。

   

土9のドラマだから、明るくポジティブな方向に持って行ったわけだけど、実は白岩玄の原作小説はネガティブな方向に進む暗い内容だった。

  

普通のものを否定すると、型破りで目立つことは出来るけど、社会で生きるのが大変になる。周囲はフツーの人達、フツーの社会だし、自分の中にもフツーの部分があるからだ。もちろん、内なる怪物(モンスター)と共存・共生する形で。

   

   

     ☆     ☆     ☆

『レッドアイズ』最終話の場合、心理カウンセラー・鳥羽和樹(高嶋政伸)は、自分の心の奥底、無意識から湧き出る巨大な破壊衝動や快楽への欲望に正直に生きて、現実の社会で抑えつけられた。

  

ただ、彼が刑務所に入っても、死刑を執行されない限り、人格的には変わらないはず。実は、伏見(亀梨)らも、凄まじい怒りや攻撃性を密かに持ち続けることになる。理性的な振舞いは、あくまで表面的なものに過ぎない。

   

・・・というような考えを20世紀に一気に広めたのが、同じドイツ語圏(オーストリア)の精神分析家フロイトで、その深層心理学のもとにニーチェ哲学があるのは有名な話だ。ここでは簡単な指摘に留めとこう。

  

  

     ☆     ☆     ☆

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上が、Friedrich Nietzsche(フリードリッヒ・ニーチェ)の1886年の原著、『Jenseits von Gut und Böse』。副題は「Vorspiel einer Philosophie der Zukunft」(未来の哲学への前奏曲)。インターネット・アーカイブで公開中

    

日本語では普通、『善悪の彼岸』と訳されるけど、直訳するなら「善と悪の向こう側に」となる。

  

もちろん、ここでの善と悪とは、フツーの善と悪。困ってる人を助けるのが善とか、人を殺すのが悪とか。そうした平凡な価値観やキリスト教的な考えを過激に攻撃して、「向こう側」の考えや生き方を目指したのがニーチェだった。

  

しかし、別にニーチェとか持ち出さなくても、そうしたフツーの倫理に限界があるのはすぐ分かる。覚醒剤が切れて困ってる人に手渡すのは善ではなさそうだし、死刑囚を国家が殺すことは日本では認められて、国民もそれほど反対してない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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上の下半分、第4篇に位置する第146節の後半が、「深淵」の引用句の部分だ。前半も含めて、ドイツ語を直訳してみよう。

  

 Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird.

 怪物と闘う人は、気を付けて欲しい、そこで自分が怪物にならないように。

   

 Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.

 そして君が長く深淵を覗く時、深淵もまた君の内側まで覗くのだ。

     

   

     ☆     ☆     ☆

ここで、「深淵」が擬人化されてる。ドラマなら、分かりやすいのは、鳥羽とか、同種の危険思想の持主のこと。フツーの考えでは、悪の確信犯。

  

一方、深淵を「危ない考え」とすると、「危ない考えもまた君の内側をのぞく」という意味になる。のぞくと、君の心の奥にも巨大な危ない考えがうごめいてるじゃないか、ということになる。ほら、それを解放してみなさい。途方もない快楽が得られるから。。

   

そうした危ない考えを理論と実践の両面で世界的に普及させたのがフロイトで、内なるモンスターとは、例えば「エス」(それ、英語に直訳するとIt)と呼ばれてる。この言葉、概念は、ニーチェの『善悪の彼岸』でそのまま出て来てるのだ。

  

「私が考える」(われ思う)、という見方は間違い。「エスが考える」と言い直してもまだ不十分。要するに、私とか、何か主体的で中心的なものが動作を行うのではなくて、単に考えがある、衝動が生じて膨らんでいる。それだけのことなのだ。

    

あまり長く書いてると、私もズブズブと深みにハマりそうだから、そろそろ終わりにしとこう♪ それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

      (計 2266字)

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チャーチル名言「これは終わりではない。終わりの始まりですらない」、英語出典と原文、意味の解説~『レッドアイズ』最終回

前回・第9話で間違ったチャーチルの格言もどきを引用して、「最終回のラスト」でもチャーチルの名言♪ これでまた間違ってたら、さすがにヤバイなと思ったら、今度は正しい引用だった。チャーチルは、第二次世界大戦の頃の英国首相で、作家としても有名。

   

繰り返すけど、前回のチャーチル名言もどきは(ほぼ)間違い。偽物だ。敵のワナに引っかかったような失敗。第7話のバルザック名言は、言葉自体は間違いではないけど、人違いなのだ♪

  

いまだに訂正が出ない辺り、全体のチェック体制が気になる。スタッフか関係者の方、ブルーレイ作る前に修正することをお勧めしとこう。単なるテロップだから、簡単に直せるはず。ウチの記事では、英語とフランス語の証拠・根拠をハッキリ示しておいた。

    

 『レッドアイズ』第9話のチャーチル名言「地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進め」、ほぼ間違い

 『レッドアイズ』第7話のバルザック引用「孤独はすばらしいが・・」は、半ば間違い(フランス語出典付)

   

  

     ☆     ☆     ☆

で、最終話の正しい名言は、長いからなのか、画面の左右両端に表示された。脚本・酒井雅秋、演出・水野格。

  

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 「これは終わりではない。終わりの始まりですらない

  だがおそらく、始まりの終わりなのだ

          W・チャーチル

    

前回の間違った名言もどきはほとんど話題になってなかったのに、これは大勢ツイートしてた。最終回のラストだし、ちょっと謎めいた言い回しだし、読み方によっては、続編の予告とも解釈できるからだろう。

   

  

     ☆     ☆     ☆

意味が分からないと正直に告白してる twitter もいくつかあったから、明確な図で説明すると、下のように書ける。

  

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歴史や物語が、上から下に流れてると考えると、

 「一番下の濃い青色ではないし、下から二番目の水色でもない。たぶん、わりと上のピンク色あたりだろう

と言ってるのだ。

  

普通に考えると、「悪との闘いはまだ序章が終わっただけ。これからも延々と続く」という意味。既に、はるか(高橋ひかる)も監視のターゲットになってるよ、と。あるいは、そこでテレビや動画を見てるあなたも危ないよ、とか。

    

中学校の3年間にたとえると、

 「中学3年の3月(卒業)ではないし、3年の4月でもない。たぶん、中学1年の3月だろう

ということ♪

  

仮に、このドラマが3シーズン続くとしたら、

 「第3シーズンの最終回ではないし、第3シーズンの初回でもない。単なる第1シーズンの最終回だから、今後の続編をお楽しみに♪

ということになる。その前にブルーレイ買うか、有料のサブスク動画でおさらいしてね、とか(笑)

  

  

     ☆     ☆     ☆

英語の原文は、英語版ウィキクォート(引用句のウィキ)より。Winston Churchill(ウィンストン・チャーチル)。

   

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 Now this is not the end. It is not even the beginning of the end.

 But it is, perhaps, the end of the beginning.

   

1942年11月10日、ロンドン市長公邸における市長との昼食会において。アフリカでの戦闘における英国の勝利に言及して、とのこと。まだまだこれから大変だし、ロンドンも危ないから、市長さんも気を引き締めてね、と。

   

     

     ☆     ☆     ☆

個人的には、はるかが持ってたブランド品のバッグに書かれてた、英語ロゴと矢印アクセサリーが興味深かった。

  

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 Everything

 HAPPENS FOR A REASON  

 すべての物事は 何か理由があって起きる

  

ドラマ『ガリレオ』の湯川なら、「現象には必ず理由がある」と言う所♪ 要するに、このバッグに例の矢印マークが付いてることにも、ちゃんと理由がある。彼女はまだ狙われてるんだよ、とか、実は彼女も敵の側のスパイなんだよ、とか。

  

ちなみにバッグは、SAMANTHA THAVASA(サマンサタバサ)の PETIT CHOICE(可愛い選択)というブランドの物。これは実在するものであって、ドラマの虚構(フィクション)ではない。このトートバッグかな。税込9900円。

  

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というわけで、『レッドアイズ』も終了(始まりの終わりかも♪)。ウチは今週、計14115字で終了だけど、途中の終わりでしかない。ニーチェの「深淵」をめぐる名言については別記事にする予定。ではまた来週。。☆彡

  

  

  

cf. 詩人ロバート・W・サーヴィス「死ぬのはとても簡単で・・・」、英語出典と原文~第8話

 ソルジェニーツィン「善と悪の境界線はすべての人の心の中に」、意味とロシア語原文(第6話)

 『レッドアイズ』第2話の暗号解読方法と英文~アルファベットを13文字ズラした「rot13」

      

      (計 1916字)

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木片や枝葉を一つずつ見つめ、細い山道を孤独に~唐田えりか写真エッセイ「mirror」4・共生(『日本カメラ』21年4月)

(☆21年4月27日追記: 唐田えりかのエッセイ最終回別記事でレビュー

 「唐ちゃんの綴る言葉が私は好きだよ」、写真も♪~唐田えりか「mirror」5(最終回)・海の幸(『日本カメラ』21年5月) )

   

   

    ☆     ☆     ☆

今回こそ、見るだけにしよう・・と思いつつ見た、唐田えりかの写真エッセイ「mirror」(ミラー)、第4回。個人的には、実に素晴らしい☆ これまでの4枚というか、4ページの中で最高だ。

   

ちなみに当サイトの過去のレビュー3本は、以下の通り。

   

 フィルムカメラで自分の心と向き合う~唐田えりか「mirror」第1回・夕焼け(雑誌『日本カメラ』連載

 唐田えりか写真エッセイ「mirror」第2回・猫~『日本カメラ』21年2月号

 「mirror」第3回・東京行き~『日本カメラ』21年3月号

   

  

     ☆     ☆     ☆

さて、個人的な絶賛から書き始めたけど、今回は一見、山登りの地味な白黒写真にすぎない。彼女のファンでさえ、何これ?と数秒見て終わりにしてしまう可能性がある。

   

カメラはいつものクラシックな愛用品。フィルムはコダック・ゴールド200だから、カラーフィルムのモノクロ現像ということかな? まあ、カラー写真をデジタルでモノクロにする方が簡単だけど。

       

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そこで、初めて、非常に大まかな手書きイラストを添えて解説してみよう。元の写真はグチャグチャした光景で、空白部分はほぼ無し。空さえ、僅かに写ってるだけだ。元は白黒だけど、黒ペンで書くと殺風景すぎるので、淡いピンク、桜色を選択。

   

本来なら今は、桜の時期なのだ。季節的にも、若い彼女の年齢的にも。実際、今回の雑誌は写真専門誌の4月号だから、唐田のエッセイの直前には、11ページにわたって綺麗な桜の写真特集が続いてる。

  

ところがその直後、唐田の雑然とした山道の白黒写真が挿入されて、その後はまた普通のカラーの内容に戻るのだ。地味で無味乾燥な外見が逆に目立って、輝きを放ってる。

   

   

     ☆     ☆     ☆

これまでの4回を見ると、意識的か無意識的かはさておき、少しずつ人間に近づいてるのが分かる。とりわけ、自分自身に。夕焼け、猫、家族(お母さん?)らしき人のかすかな影、そして今回が、1人の女性。

   

友人だろうか? 唐田本人には見えない女性が、たった1人で鬱蒼(うっそう)とした山の斜面に向かってる。手前の辺りには、丸太(短く切った木)や小枝みたいな物が沢山、ゴロゴロ、グチャグチャと地面を覆ってる。

   

最初は分からなかったけど、よく見ると、左に大きく曲がる細い山道が上に伸びてて、女性はリュックだけ背負ってそこへ分け入ろうとしてるのだ。

   

これは、まだ秩序だってない混沌とした山と向き合い、一体化しようとする彼女の姿。だから、エッセイの題名(タイトル)は「共生」となる。

  

   

      ☆     ☆     ☆

 強くなりたい。強くならなければいけない。

   

ここ1年半ほどの激動を何とか生き延びて来ただけで、十分、強い女の子だと思うけど、本人によると、強い「ふり」をしてただけらしい。フリをしてれば本当に強くなれるかと思ったら、そうではなかった。

   

孤独になることを恐れ、相手(おそらく非常に身近な人々)に言いたい事もハッキリ言えず、「なんか・・」「なんとなく・・」と自分の思いをボカしてしまう毎日。それが続く内に、言葉は消えて、心の息の根も止まってしまう。

   

周囲には無数の物事が雑然と絡まり合ってて、混沌から目を逸らしてしまいそうになるけど、それら一つ一つが必然的に全体とつながってる。私はその中で生きるのだから、どんなものでも見過ごすわけにはいかない。たとえ、あまり綺麗には見えなかったり、トゲがあったりしても。

   

 人として生きていくために。

 人と生きるために。

   

    ☆     ☆     ☆

ポエム(詩)に近いコラムだから、細かい形式の指摘もすると、最後の言葉を2行にするのなら、最初の言葉も改行した方がより美しかった。

  

 強くなりたい。

 強くならなければいけない。

  

短・長の2行で始めて、最後は長・短の2行で締めくくる。aB・・・B´a´の様式美。

  

広い道路が整備されてない山奥に一人で分け入ると、ヘビや猪、熊が出て来たり、がけ崩れがあるかも知れないから、いざとなったら助けを求められるように、準備だけはしとく方がいいね♪

   

順番的に、来月は複数の人間か、こちらを向いた人間の写真が来るのが自然だけど、はたしてどうか。硬派の本格的写真雑誌だし、自分を入れた写真はもう少し後に回した方がいいと思う。12月とか、最終回とか。

   

ともあれ、今後も楽しみにしとこう。それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

      (計 1790字)

   (追記101字 ; 合計1891字)

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『レッドアイズ』第9話のチャーチル名言「地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進め」、ほぼ間違い

☆追記: 最終回のチャーチルは本物の名言で、別記事としてアップした。

 「これは終わりではない。終わりの始まりですらない」、英語出典と原文、意味~『レッドアイズ』最終回 )

  

 

     ☆     ☆     ☆

チャーチルの名言もどきなんて、あんまし話題になってないだろうな・・と思って、ツイッター検索をかけてみると、あんましじゃなくて、ほとんど話題になってない。みんな、物語の進展や真犯人探しに夢中らしい。

   

ただ、予告が始まる直前の心理カウンセラー・鳥羽(高嶋政伸)の言葉は、合計で30人くらいがつぶやいてた。その統計が面白い。「記憶を楽しめ」説がやや優勢だけど、「地獄を楽しめ」説をとる人も結構いる。

  

私は最初、「記憶を楽しめ」に聞こえたし、意味も一応分かる。ただ、あまりに深層心理学的な言葉だし、直後のチャーチルの言葉は「地獄」、その後の予告編のテロップでも「地獄」と書いてたことを考えると、ビミョーな所だ。

  

10回くらい聞き直すと、「ジオクを楽しめ」が一番近い発音だと思う。冗談ではなくて、本来の台詞は「ジゴク」だけど、「キオク」に聞こえるように演技・演出した可能性はある。高嶋の活舌の問題もあるのかも。

  

ちなみに、脚本は酒井雅秋、演出は水野格。

   

   

     ☆     ☆     ☆

では、今週の名言について。第7話のバルザック半ば間違いだと指摘したけど、予想通りアクセスは少ないし、間違いの訂正も公式には出てない。

  

そこで、もう1回、ポイントだけ書いとこう。ドラマのテロップは有名なバルザックの名前を書いてた。ところが、あの言葉は別の無名のバルザックの言葉だ。別人である2人を混同してしまってる。

     

調べるということをしてないから、今回はほぼ完全に間違えてた。脚本家も演出家も、第7話とは別人だけど、要するにスタッフ全体による検証システムが機能してない。

   

下が証拠の静止画キャプチャー。主人公・伏見(亀梨和也)が、仲間の小牧(松村北斗)を銃で撃った後に逃走(?)してるエンディング。

   

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 地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進め

       ウィンストン・チャーチル

   

   

     ☆     ☆     ☆

この言葉、検索すると日本語の個人サイトがズラッと並んだので、最初の10以上をチェックしてみたけど、どこにも出典が書かれてない。英文は書かれてるけど、どのメディア、何の本に書かれてるのか、ソース(情報源)が全くないのだ。

     

もちろん、これだけではまだ間違いとは言えないけど、かなり怪しい。ちなみに、1つのサイトだけ、この格言は間違い(偽物)だと指摘してた。

   

私はいつものように、英語版ウィキクォートをチェック。ウィキの引用句版。今回は元の文が英語だし、英国の超有名人(元首相&有名作家)だから、ここが一番信頼できるメジャーなサイトだ。

    

わざわざ赤茶色にしてある「Misattributed」(間違ってチャーチルのものとされてる言葉)の枠組に、例の言葉の英語が入ってた。

  

  

    ☆     ☆     ☆

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 If you're going through hell, keep going.

 もし、あなたが地獄を通過してるなら、そのまま進みなさい。

   

  

ドラマのストーリー的には、婚約者を殺された伏見が、信頼してた仕事仲間を撃った後に走り去ることを示してる。

    

この言葉は、ウィンストン・チャーチル協会の雑誌『ファイネスト・アワー(最も輝かしい時)』が調べた所では、どこにも見当たらない。本当の源泉である発言者も不明。

    

さらに、ウチでも以前、高く評価したことがあるマニアックな調査サイト「Quote investigator」(引用調査人)でも、たぶん間違いだとしてる

  

   

     ☆     ☆     ☆

日本では珍しく、間違いを指摘してたサイトは、協会HPが間違いを指摘してる記事を根拠に挙げてた。実はその協会の記事こそ、英語版ウィキクォートが挙げてる雑誌の4つ前の号(141号)なのだ(ネット公開)。

    

ただ、英語版ウィキクォートが挙げてる145号の雑誌の方がハッキリした指摘になってるので、そちらの原文を引用させて頂こう。これもネットで無料公開されてる

   

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 (Finest hour, The Journal of Winston Churchill, number 145, 2009-10, p.9

   

チャーチルによる言葉ではないし、少なくとも、関連する5000万の単語を調べても彼のものだとは確証できなかったと書いてる。

   

   

     ☆     ☆     ☆

時々、言われるように、一般に何かが世の中に「存在しない」ことの証明は非常に難しい。不在の証明はほぼ不可能なのだ。逆に、存在なら1つ見つければいいだけ。

   

数学などの理論的・人工的な世界は例外だから除くとして、普通の経験的世界には、いつ、どこに、何があるか分からない。その意味で、チャーチルの例の言葉も、ひょっとすると本当はどこかにあるのかも知れない。

  

ただ、専門家も含めて誰一人として出典を挙げれないような引用句は、ほぼ間違いとすべきだろう。ということで、日テレには訂正をお勧めするけど、ほとんど可能性ゼロかも。

    

マニアック・ブログとしては、この程度の根拠を示して間違いを指摘した所で終わりにしよう。ではまた。。☆彡

   

      (計 2096字)

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哲学者シェーラーの名言「愛こそ、貧しい知識から豊かな知識への架け橋」、ドイツ語出典と原文、英訳(『ここは今から倫理です。』)

『ここは今から倫理です。』というマンガが人気なのは、ネット情報で一度だけ目にしたことがあった。雨瀬シオリ原作、謎めいたイケメンの倫理教師が主人公。その時は、どこかでチラッと漫画を確認しただけで終了。

  

その後、今年(2021年)になって、NHKドラマ(よるドラ)の第1話をたまたま目にしたけど、この時も15分くらい見ただけで終了。

   

ただ、派手な女の子よりも、倫理の教師が今どきタバコを吸ってる姿は印象に残った。脚本は高羽彩だけど、タバコ好きは原作からある設定らしい。

  

   

     ☆     ☆     ☆

私自身はタバコを全く吸わないし、正直言うと、嫌いだ。臭いも嫌だし、密室で目にしみて苦痛だった経験もある。

   

しかし、10年以上前から続くタバコや喫煙者への冷遇には、多少の違和感もある。多様性や共生への配慮もほとんど感じない。そうした態度は、攻撃しやすい標的を見つける度に一斉に激しく襲い掛かって叩きつぶそうとする、最近の社会やネットの状況と似たものにも見える。

   

だから、国営放送のドラマの問題提起的な姿勢に興味を抱いたけど、10代~20代前半の少年少女向けのドラマに見えたこともあって、それ以降は全く見てなかった。実際、マンガの愛読者の年齢層もかなり若いと言われてる。

  

  

     ☆     ☆     ☆

ところが金曜(3月18日)の深夜、寝る前にTVerの動画をチェックしたら、『ここは今から倫理です。』の最終回がトップページで配信されてたから、試しに流し見。

   

何となく最後まで見続けて、エンディングの綺麗なカットが印象に残ったのだ。高柳先生(山田裕貴)にフラれた逢沢いち子(茅島みずき)が、雑踏を歩きつつ、振り向いてマスクを外した微笑みを見せるカット。その後、黒板に映し出されたパスカルの有名な言葉より、遥かにいい。

    

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もちろん、このカットでの「ここ」、雑踏は、高校の教室ではなく、大学か社会に進んだ後の彼女の状況を指してる。ここで今から、私が生きる姿こそ、実践的な倫理です。渡辺哲也の演出は、別にオシャレな洋服に身を包んだ可愛い子の笑顔だけを撮りたかっただけではない。

  

とにかく最後の印象が良かったから、ブログの記事を書くことに決定。ただし物語的なレビューではなく、名言・格言について。いつもの事ながら、今現在まだネットに正確な記事は見当たらないので。英語圏にも不十分な記事しか見当たらない。大半は単なるコピペだろう。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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 「愛とは 貧しい知識から豊かな知識への架け橋である

  

各種のネット情報によると、この言葉は第1回に出たものらしいから、公式HPや公式twitterで探したけど、見当たらない。

  

そこで、週刊ヤングジャンプのサイトで原作第1巻を無料で試し読みしたら、運良く載ってた。わざわざ下の名前(ファーストネーム)まで入れて、「マックス・シェーラー」と呼ばれてる。右下の小文字の説明は、「※ドイツの哲学者。“愛”のもつ意義について説いた。

      

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      ☆     ☆     ☆

この出典と原文を見る前に、ドラマの映像をよく見てみよう。実は、告白してるいち子にとって、先生は少し上の場所に立ってるのだ。地面にハッキリ傾斜がある。

  

2人の間に、いち子を愛する男の子の姿を小さく挟んでる所(もう一つの小さな架け橋)まで含めて、おそらくこれは監督の演出。非常に繊細で丁寧だと思う。

  

つまり、愛とは、上の「存在」に向かうもの。あるいは、そうした側面や部分を合わせ持つもの。これが、この名言やシェーラーの哲学の本質なのだ。「知識」には限らない。原書では、前にも後ろにも、「存在」という言葉を入れた文が並んでる。

  

ではまず、分かりやすい英語の文から見てみよう。ドイツ語原文の英訳で、名言サイトの類でそこそこ拡散されてる。

 

出典はGoogle booksで一部公開されてる論文集『On feeling, Knowing, and Valuing』(感じること、知ること、そして価値づけること)に収録された論文、「Love and Knowledge」(愛と知識)。

   

  

      ☆     ☆     ☆

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 Love is a bridge, or better, a movement from poorer to richer knowledge.

 愛とは、より貧しい知識からより豊かな知識への1つの架け橋、より正しく言うなら、1つの運動である。

  

図の下から4行目が、この英文。「愛とは・・・架け橋(ブリッジ)である」とだけいうと、愛が静的なもののように感じられるけど、動的な動き、進化としてとらえられてるのだ。

  

他に、簡単に分かるのは、前後に古代ギリシャの超有名哲学者3人衆の名前が並んでること。前には、プラトン、アリストテレス。後ろには、ソクラテス。

    

普通に考えれば、シェーラーの恋愛論の源流は古代のプラトン哲学、特にイデア論ということになる。イデア、つまり理想的な存在に関する考え。

   

   

     ☆     ☆     ☆

では最後に、ドイツ語原文。初出の文献(雑誌?)まではたどり着けてないけど、ネットで普通に無料で手に入るのは、インターネット・アーカイブの論文集『Krieg und Aufbau』(戦争と再建;1916)に収録された論文、『Liebe und Erkenntnis』(愛と認識;1915)。Max Scheler

  

同名の短めの論文の前半に、こう書かれてる。下図の6行目から9行目あたりまで。英訳とは、文の区切り方が少し違ってる。

  

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 ・・・ die Liebe ganz intellektualistisch nur ・・・ als Ubergang und “Bewegung” einer ärmeren zu reicherer Erkenntnis verstanden wird, ・・・

   

 ・・・愛は、より貧しい認識からより豊かな認識の成立への架け橋、そして「運動」として、まったく知的である・・・

   

    

     ☆     ☆     ☆

ドイツ語特有の飾り文字(フラクトゥール)のせいで、余計に難しく感じるけど、構文的にはわりと普通の文章だ。文の切り方以外にも、細かく見ると、英訳とは色々と違ってる

   

大きい違いは、ドイツ語だと、愛の知的性格を主張する文脈になってること。英訳は、文を区切ってるから、その文脈が切れてしまってる。また、橋を表すドイツ語「Ubergang」には、移行とか過渡期という意味が含まれる。単語を2つに分解すると、文字通りの意味は「上への動き」。

  

他にも例えば、英訳の「or better」(より正確には)という語句はドイツ語に入ってない。単に引用符でくくられてるだけだ。英訳の不定冠詞(a)も、ドイツ語にはない。普通に読むなら、ドイツ語の方が「愛は架け橋、運動」という点が強調されてることになる。

    

   

     ☆     ☆     ☆

最後に一言、少年・少女とは言いにくくなった視聴者の素朴な感想♪ 下はNHKの公式HP、トップより。「この授業は、人生に効く。」

      

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このキャッチコピー自体が、私には効かないどころか、完全に逆効果だ♪ むしろ、「人生に効くとは言わない。でも、この授業を見て欲しい」とか、「この授業は、心に響く」の方がマシ。そもそも倫理も哲学も、分かりやすい効き目を主張するものではない。

     

その辺りが、昔の「NHK教育テレビ」的発想のままだけど、視聴者層の好みやニーズとは合ってるのかも。本のベストセラーを見ても、人生に(すぐ)効くものを求める人が非常に多いのは明らかだから。

   

ともあれ、キレイな終わり方で、ドラマ全体がより上のレベルに向かう架け橋のような構造になってた。なお、今週は意外と文字数オーバー、計15192字で終了。ではまた来週。。☆彡

   

      (計 3084字)

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詩人ロバート・W・サーヴィス「死ぬのはとても簡単で、難しいのは生き続けること」、英語出典と原文~『レッドアイズ』第8話

本題の前に、いよいよドラマの前面に出て来た精神科医(またはカウンセラー)について一言。

  

 鳥羽和樹 TOBA KAZUKI

 和田秀樹 WADA HIDEKI

   

高嶋政伸が演じる鳥羽は、おそらく実在する有名な精神科医、和田秀樹をもじったものだろう。ツイッター検索だと、この類似を指摘するつぶやきはまだ見当たらない。

  

あんまし似てないと思うかも知れないけど、その程度の違いは出さないと、攻撃的な性格の和田からクレームが入る可能性があるのだ。他にも、和田はテレビやメディア出演も多いから、日テレとしても配慮する必要がある。

  

和田のカウンセリングは、富裕層に特化した高価なもの(1回3万円、保険外診療)で、しかも無意識の欲望を重視する精神分析学が基本だから、鳥羽の「自分の感情に正直になること」という主張とも合ってる(同じとは言わない)。

    

ちなみに、同じく亀梨和也主演の日テレのドラマ『神の雫』(2009年)に対して、和田が批判。私がレビューで反論して、一部で話題になったことがある。

  

本人が認めてるように、頭脳は優秀でも、ちょっと色々とクセのある人物。一匹狼的な所も含めて、やはり鳥羽に似てる気がする。

  

  

     ☆     ☆     ☆

では本題。前回・第7話のバルザックの引用が半ば間違いだったから、今回の第8話も警戒してたけど、本物の引用句だった。内容的には平凡とも言える言葉だけど、原文は詩だから芸術性がある。脚本・福田哲平、演出・茂山佳則。

  

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 もう一度だけ やってみよう。

 死ぬのはとても簡単で、難しいのは生き続けることなのだから

             ロバート・W・サーヴィス

   

日本ではほとんど無名な、19世紀終盤~20世紀半ばの詩人。非常によく似た名前の歴史学者ロバート・サーヴィスとは別人なので、念のため。実際、前回のドラマでも、2人のバルザックを混同して間違えてたことだし。

  

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写真は英語版ウィキペディアより。かなりイケメンというか、古典的な二枚目(死語♪)に見える。ちなみに、日本版ウィキには項目がない。

  

   

     ☆     ☆     ☆

ドラマの中では、人生や命に対して投げやりな男・蠣崎(かきざき:忍成修吾)と、そうではない女性・島原由梨(松下奈緒)の対比で用いられてた。もちろんテレビ的には、後者を持ち上げる。何とか頑張って、生きて欲しいと。

   

サーヴィスの最も有名な言葉の一つみたいで、英語版ウィキクォート(格言集)でも一番上に挙げられてた。ただ、ウィキクォートの出典は、後の書物の名前になってるので、ここでは元の作品を紹介しよう。

  

1912年の詩集『Rhymes by a Rolling Stone』(あるローリングストーン=転がる石の詩集)。これが一番最初かどうかは不明だけど、普通これを出典とするはず。

   

ローリングストーンというのは、超ベテラン大物ロックバンドの名前でもお馴染みで、変化し続けるというポジティブな意味合いと、落ち着かないというネガティブな意味合い、両方を含んでる。もちろん、直接的には、詩人であるサーヴィス自身のこと。

  

本当にあちこち動き回る人で、84歳まで長生き。当時としてはかなり長寿のはず。自殺したという情報は見当たらない。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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この本は著作権が切れてるのか、あるいは放棄したのか、あちこちで無料公開されてる。ここではAmazonの電子書籍kindleから引用。有料の読み放題の会員じゃなくても、アプリさえ手に入れれば0円で閲覧可能。

   

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引用句が含まれる詩のタイトルは、「The Quitter」。根性無し、すぐ諦める人。詩を書いた本人でもあるし、読者の一部でもある。

  

まあ、誰でも半ば、そんな部分はあるだろう。私自身も、必死に頑張る部分と、投げやりな部分が同居。最近はちょっと諦めの境地に傾いてるかも♪

   

東洋的な「諦念」を悟って来たのだ・・とか言ってると、サーヴィスか木村祐一(チコちゃんの声♪)に叱られる。「ボーッと生きてんじゃないよ!」(笑)

  

詩の冒頭、ゲームに負けたら決まりに従って拳銃(リボルバー)で死ぬとか書いてるけど、実はこれ、来週のドラマ第9話の蠣崎と重なるらしい(予告ストーリーより)。それに対してサーヴィスは、そんな自滅は人間の掟(おきて)が禁止してると語る。

   

  

     ☆     ☆    ☆ 

下が、短い詩の後半で、最後に例の引用句が登場。

  

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 Just have one more try ── it's dead easy to die,

 It's the keeping-on-living that's hard.

   

「死ぬのはとても簡単」という箇所は、英語原文だと、「dead easy to die」。直訳すると、「死ぬのは、死ぬほど簡単」と言ってるのだ。これは文学的な言葉遊びで、テレビだと分かりにくいし反発も出て来るから使えない。

   

「生き続けること」は「keeping-on-living」(キーピン・オン・リヴィング)。これは、2行前の「broken and beaten」(ブロークン・アン・ビートゥン)と韻を踏んだ表現。「敗北して打ちのめされた」という言葉を、「生き続けること」という言葉で置き換えてる。

   

なぜ、大変な苦労をしてまで、生きるのか? that's the best game of them all. すべての中で最高のゲームだから。

   

詩の英語は、難しいけど、特殊で面白い。とはいえ、今日の所はそろそろこの辺で。。☆彡

    

      (計 2194字)

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『レッドアイズ』第7話のバルザック引用「孤独はすばらしいが・・人が必要だ」は、半ば間違い(フランス語出典付)

ドラマ『レッドアイズ』で前回(第6話)、ソルジェニーツィンの引用なんてお堅いものが登場。ひょっとして、また・・と思って、第7話もTVer動画で流し見したら、今度はバルザックが登場。同じく終盤、事件が一段落ついた直後だった。

  

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 孤独はすばらしいが、孤独はすばらしいと言ってくれる人が必要だ

  オノレ・ド・バルザック

   

  

     ☆     ☆     ☆ 

先に、結論から簡単にまとめとこう。これは半ば間違いだ。大間違いとまでは言わないけど、少しの間違いとも言いにくい。

   

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まず、人物を誤解してる。オノレ・ド・バルザックは上の写真で、ドラマの間違い。正しくは、同じフランスのバルザックではあるけど、全く別人のジャン=ルイ・ゲ(ズ)・ドゥ・バルザックの言葉。下図の写真が本物で、これは単純な凡ミス。

   

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ネットで少し調べるだけで分かることだから、脚本家・福田哲平や演出家・長沼誠だけの責任ではない。あと、内容も多少ズレてる。単純化して強調してるのだ。

   

要するに、原文やフランス語・英語情報を調べずに、日本語の名言サイトとか名言本みたいなものを軽く調べただけで書いてると思われる。よくある事だが、地上波テレビのゴールデンタイムのドラマだから、もう少し正確さが欲しい。

  

以前から何度も書いてるが、名言サイトや格言集の類は、信頼性が低いものが非常に多い。特に、出典を明記してないもの(大半)は、個人サイトや商業サイトはもちろん、ビジネス本でも怪しいと思った方がいいと思う。

   

   

     ☆     ☆     ☆

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上が、フランス語版ウィキクォート(ウィキの引用句版)からの引用Jean-Louis Guez de Balzacの読み方は、ジャン・ルイ・ゲ・ドゥ・バルザックか、ゲズ・ドゥ・バルザックか、2通りあった。

   

ゲとゲズのどちらが正しい発音なのか、まだ不明。フランス語の普通の発音なら、ゲ、だろうけど、17世紀の人名だとハッキリしない。

         

いずれにせよ、17世紀の作家であって、特に日本では無名に近い。それに対して、19世紀前半の有名な作家が、ドラマが間違って書いてたオノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)で、だからこそ誤解が生じた。

   

フランス語の原文はわりと簡単で、私が少しずつ区切って日本語に直訳してみよう。ウィキではなく、下図の原書の表記に従う。途中の切り方がわずかに違って、原書の方が訳しやすいのだ。

  

   

     ☆     ☆     ☆

La solitude est certainement une belle chose;

孤独は、確かに美しいものだ。

  

Mais il y a plaisir d'avoir quelqu'un qui sache répondre,

しかし、応答してくれる誰かを持つ喜びというものもある。

   

à qui on puisse dire de temps en temps, que c'est une belle chose.

孤独は美しいものだと、時々話しかけることができるような相手を。

   

  

    ☆     ☆     ☆

簡単に最大のポイントだけ指摘すると、別に友達が「必要」とまでは書いてない。友達がいるのは喜び、楽しみだと書き添えてるだけだ。深読みとか解釈=改釈せず、普通に読むなら。

  

フランス語の出典は、1657年の『Entretiens』(談話)。ちなみに1658年という仏語ウィキクォートの記述はおそらく間違い。ネット上で原書が公開されてた。多分、1年後の版だけ見た人が、58年と書いてしまったのだろう。複数の版で年が違うことはよくある。

  

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英語版ウィキクォートだと、出典が1665年の『Dissertations chrétiennes et morales』とされてる。ハッキリとは分からないが、おそらく少し後の全集とか著作集みたいなものの中で、こちらのタイトルが副題か見出しに使われてたのだろうと推測する。

   

     

     ☆     ☆     ☆

なお、どうして私が間違いに気付いたかというと、普通に調べても信頼できる情報が全く見当たらなかったし、この種の間違いが非常に多いことを経験的に知ってたから。

  

あと、英語の「quotepark」(引用句の広場)というサイトの説明の最後に、「Misattributed」(間違って関連付けられている)と添えられてたから。

   

英語圏では、「Solitude is fine, but you need someone to tell you that solitude is fine」とか言われてるらしい。人名は完全に間違って、内容もかなり間違って

   

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最後はフランス語版ウィキクォートとグーグル・ブックスの原書で調べて、ほぼ完了。スタッフのどなたか、今のところ視聴者は(ほとんど)気付いてないようだけど、早めの訂正をお勧めしとこう。少なくとも、ブルーレイやDVDの発売前に。

    

ちなみに先週のソルジェニーツィンの言葉は、内容がちょっと単純化されてるだけで、ほぼ本物だった。ロシア語で確認済み。下のリンク参照。ではまた。。☆彡

  

  

  

cf. ソルジェニーツィン「善と悪の境界線はすべての人の心の中にある」、『収容所群島』での意味とロシア語原文(『レッドアイズ』第6話

    

        (計 2081字)

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