小説『舟を編む』文庫本、馬締が香具矢に書いたラブレター(恋文)全文に引用された漢詩の意味(夏目漱石、李商隠の作)

先日、NHKで放送されたドラマ『舟を編む』最終話(最終回)。馬締が書いたラブレターが一瞬だけ映し出された。

     

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謹啓

 吹く風に冬将軍の訪れ間近なるを感じる今日このごろですが、ますますご清栄のことと存じます。

 貴方に打ち明けたいことがあり、この書状をしたためております。・・・・・・

   

    

     ☆   ☆   ☆

このラブレターというより恋文は、ものすごく長いようで、三浦しをんの小説の文庫本(光文社)の最後に「馬締の恋文 全文公開」と書いてるのに、その途中で「中略」と書かれてる(笑)

    

文庫本のページの下段(欄外)には、西岡と岸辺の会話の形で注が付いてて、こんなやり取りがあった。

    

 西岡  おい、「(中略)」ってなんだよ! 「恋文全文公開」じゃなかったのか。

 岸辺  だって、ものすごく長いんですもん。・・・・・・読みたいですか?

 西岡  「(中略)」でいいや。

    

   

    ☆   ☆   ☆

その省略された恋文でさえ、文庫本で10ページ(最初のサブタイトルも含めるとp.338~348の11ページ)もあって、普通の文だけでも読みにくい上に、難しい漢詩がいくつも引用されてる。

    

香具矢も軽く読み流しただけのはず(断言・・笑)。それでも、馬締がマジメなことだけは分かる。ちょっとアブナイくらい♪

    

私が一番興味を持ったのは、分かりにくい漢詩だけど、その前に、分かりやすい歌を引用しとこう。柿本人麻呂の歌は(そう書かれてるけど、本人の作かどうか不明、正確には「柿本人麻呂歌集の歌」)、知識が無くてもイメージ的に分かるし、それで十分だと思う。

     

  

     ☆   ☆   ☆

 天の海に 雲の波立ち 月の船

 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 (注. 文庫本だと1マス空けは、船と星の間だけ

   

馬締は引用した直後、「貴方(あなた)のために詠まれた歌のようだと思いませんか?」と書いてる。いつも、月のように美しい香具矢を仰ぎ見てると。警察に通報されても不思議はないかも♪

   

この歌では、「月の船」という言葉が、二重の意味で中心になってる。意味・内容的にも、言葉の配列でも。小説の題名『舟を編む』は、この歌と繋がってるのかも。どっちが先かは分からないけど。

    

   

     ☆   ☆   ☆

一方、分かりにくい漢詩。まず、本文2ページ目と3ページ目に引用されてるのは、夏目漱石が作った漢詩

   

2行+2行、合わせて4行(計20字)だけ引用されてるけど、もとの漱石の漢詩は10行らしい。明治三十二年、1899年の作。

 

 眼識東西字 心抱古今憂

  ・・・

 人間固無事 白雲自悠悠

    

漱石の思いとしては、こんな感じの超訳でいいと思う(個人の感想♪)。

   

私は古今東西について学んで来たけど、心はあまり落ち着かなかった。でも、30歳になって、やっと少し落ち着いて来た。世の中は穏やかで、白い雲が悠悠と流れる。そんな感じで、自然に生きていきたい。。

     

   

     ☆   ☆   ☆

上の漱石の漢詩を引用した後、馬締はこう書いてる。

  

この境地に至れるか否かは、今後の私の努力および、貴方の返答によって決まるでしょう」。

   

要するに、あなたへの恋心で私は落ち着かないから、どうかお返事で落ち着かせてください、という意味。OKにせよ、ごめんなさいにせよ♪

    

これに対して、欄外の注で、西岡がツッコミを入れてた♪ 「まじめのやつ、さりげなく脅迫してないか?」(笑)。そう。平成・令和の時代だと、脅迫する文書として警察沙汰になってもおかしくない。言葉のプロの馬締でも、恋愛や現実社会に対してはアマチュアなのだ。

   

   

     ☆   ☆   ☆

一方、遥かに難しいのは、李商隠の漢詩。p.345で2行だけ引用されて、p.346まで説明が続いてる。元の漢詩は、「七言絶句」(漢字7文字×4行の形式)らしくて、その後半の2行だけの引用。端末の環境によっては文字化けしてしまうかも。

   

 嫦娥応悔偸霊薬

 碧海青天夜夜心

   

馬締の説明は、こう続いてる。

   

「嫦娥とは、霊薬を飲んで月世界へ飛んでいった、かぐや姫のような女性のことです。この漢詩の作者は、自分を捨てて去っていった女性を嫦娥になぞらえ、恨みと思慕を詠んだ、という説があります。私も同感です。この詩は、私の心情そのものだと思えるのです。

禁断の霊薬さえ飲まなければ、ただ一人の人の顔を、夜ごとなつかしく心に思い浮かべずに住んだのに・・・・・・」

 

  

欄外の注に書かれてる岸辺の解釈は、次の通り。「嫦娥は霊薬を盗み飲んだのを後悔しているだろう。ひとりぼっちの月世界から、夜ごと、寒々とした紺碧の海を見下ろしながら」。

   

   

     ☆   ☆   ☆

岸辺の解釈はともかく、馬締の文章を普通に読むとかぐや姫=馬締という比喩になる。香具矢に対する恋愛に陥ることさえなければ、私はこれほど辛い思いをせずに済んだのに。

    

その場合、(特別な女性)=(普通の男性)ということになるけど、私は、かぐや姫=香具矢と考える方が自然だと思う。どちらも特別な女性で、名前の音も一致してるのだから。

    

ただし、かぐや姫=香具矢という解釈だと、「馬締による漢詩の引用」の意味は複雑になる。例えば、こんな感じの解釈。

  

あなたに対する私の思いはあまりにも強い。だから、あなたもきっと、私から遠ざかってることを残念に思ってるはずだ、と私は思いたいのです。私の勝手な想像で、あなたに申し訳ないし、お恥ずかしいのですが」。

    

  

☆追記: 河合康三選訳『李商隠詩選』(岩波書店、p.212)をチェックしても、残された男の思いが強調されてた。「眠れぬ朝を迎えるのは、一人のこされた男。去っていった女は今や月の世界。彼女もまた限りない孤独を覚えているだろうと思いを馳せる」。)

   

   

     ☆   ☆   ☆

要するに、あなたも私のことが好きでたまらないと、私は思ってしまいます♪ ゴメンナサイ (^^ゞ・・ということ。小説内の漢詩の解釈としてどうかはともかく、そうゆう恥ずかしい思いを持ったことがある人は多いはず。私も含めて♪

   

なお、今週は計13777字で終了。それでは、また来週。。☆彡

    

     (計 2270字)

   (追記136字 ; 合計2406字)

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驚きと感動の意味の感嘆詞「うひょっぐ」♪、出典(初出)は小説『舟を編む』(連載時2009年)&がら空きジム2

(13日)BIKE 46.3km,1時間30分03秒

平均心拍 122,最大142,マシン表示 2046kcal

心拍計表示 610kcal(脂肪 238kcal)

     

移動 JOG 4.5km,31分,135kcal

WALK 1.3km,12分,1600歩

    

      

              ☆   ☆   ☆

馬締・・じゃなくて真面目にレビューしてる余裕はないから、連日の小ネタでお茶を濁すことにしよう。久々に毎週見てる連ドラ、NHK『舟を編む』の第9話。

  

香具矢(美村里江)がみどり(池田エライザ)に話した、馬締(野田洋次郎)との馴れ初めシーン。香具矢が猫を見つけて抱いてると、馬締が探しにやって来る。

    

 香具矢 「迎えに来てくれたんだ♪」

 馬締  「うひょっぐ・・☆♡」

   

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月夜に突然、神秘的な美女が現れて、(猫を)「迎えに来てくれたんだ」と微笑みかけて来る。男なら誰でも、誤解をまじえて「うひょっぐ」と言うところ・・・ではないね(笑)。そんな感嘆詞、見たことも聞いたこともない。

    

ちなみに昨日、みどりに宮本が告白するシーンについて書いたけど、あのシーンはこの香具矢&馬締のシーンを反復する形になってた。左上にキレイなお月さま。そして、月の方向に微笑む女性に見惚れる男性。

    

仲をとりもってくれたのは、猫と紙(笑)。つまり、それぞれの男にとって、大切な物。

    

   

     ☆   ☆   ☆

で、その「うひょっぐ」。この作品とも関わりがある有名な辞書編集者、飯間浩明が以前、誤解して、うひょっぐは原作にないとかXに投稿。それがいまだにGoogle検索で上の方にヒットしてしまうけど、完全な間違いで、本人も指摘されてすぐ認めてた。

   

仕事内容を考えると、かなり恥ずかしい失敗だろう♪ 原作小説の序盤ですぐ出て来る台詞を見落として、ハッキリ間違った情報を拡散してしまったのだから。

 

三浦しをんの小説『舟を編む』の単行本(2011年)だと、p.39で登場。光文社文庫(2015年)では、p.50。

    

状況はドラマとほぼ同じだけど、「迎えに来てくれたんだ」という台詞は、「うひょっぐ」の後で登場。しかも、「うひょっぐ」の直前に、馬締は「迎えにきたよ」と話してる。小説の方が、自然で現実的。ドラマの方が、ドラマチック♪

    

   

     ☆   ☆   ☆

驚きと感動の意味を表す感嘆詞or間投詞「うひょっぐ」。「うひょっ」と「ショッキング」の合成語とも考えられる。

    

Google検索で期間指定を使って調べると、少なくとも小説の連載前(2009年の秋以前)には全く見当たらない。と言うより、2016年ネットで初めて使われた例は、2017年かも。ほとんどヒットしないのだ。

  

だから、初出の出典はほぼ間違いなく、小説の連載時(2009年・秋、光文社の雑誌『CLASSY.』)。GoogleのAI、Gemini 2.5 Flashにも確認して同意してもらった♪ Googleで単なる検索もれは考えられないとのこと(笑)。自信を持ってて、いいね。

   

面白い造語なのに、発表後も長くスルーされてた「うひょっぐ」。可哀想だから、私が今後ブログで使ってみようか。2回くらいは♪ 少なっ!

   

英語なら「uhyogg」かな?(笑)。海外の方、珍しい japanese interjection(日本の感嘆詞)として、拡散よろしく! 馬締じゃなくて、香具矢の写真やイラストとかと組み合わせて、ミームを創作するとか。

   

   

☆追記: ネット情報の通り、最終回香具矢が馬締に「うひょっぐ」と言ってた♪)

  

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    ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、昨日もお盆でがら空きのジムに行って来た。私自身はまだお盆休み前の仕事に追われてる最中 (^^ゞ 想定外のアクシデントにも見舞われて、苦戦してるけど、ジムには行かなきゃいけない(義務)。

    

またまた1時間半のバイクだけで終了。距離もほとんど同じで46.3km内容は、9で1分、10で1分半、11で26分半、12で53分。さらに、レベル13で5分、14で1分回して、最後はレベル12で2分。かなり工夫したけど、まだお尻が痛くて辛い (^^ゞ サドルが硬すぎるし、形も私のお尻に合ってない気がする。

    

他に、移動ジョグ4.5kmウォーキング1.3km。いまだにお尻の痛みが消えない中、今日はそろそろこの辺で。。☆彡

  

  

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     (計 1720字)

  (追記39字 ; 合計1759字)

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スマホ依存症の風刺画、携帯に顔が吸い込まれる加工写真、元ネタ作品は若手写真家アントワーヌ・ガイガー(Antoine Geiger)

昨日(2025年8月9日)たまたま、Yahoo!に配信されてたMerkmal(メルクマール:目印、特徴)の記事が目に留まった。

   

"「駅でスマホをいじる」ってそんな悪いの? 風刺画が巻き起こしたSNS論争、97%普及の現実を考える"

     

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ごく簡単にまとめるなら、X(旧 twitter)では、駅のスマホは悪くないと言われてるし、自分もそう思う、といった感じの内容だ。執筆はフリーライター、猫柳蓮。

    

かなり力の入った理屈系の記事だけど(orだから)、ネット民のリアクションが恐ろしく少ない。丸1日以上経った今現在でも、「学びがある」が1、「わかりやすい」が1、「新しい視点」が4。

   

ただ、そのわりにコメントは59件ついてる。要するに、ごく一部の人に注目されてるということ。私は、その風刺画を見たくなったので、ちょっと懐かしい投稿まとめサイトTogetter(トゥギャッター)をチェックしてみた。

    

    

    ☆   ☆   ☆

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駅のホームで、4人がスマホを見てて、手前のわりと若そうな3人の顔と髪の毛が、スマホまでビヨーンと伸びて融合してる。それに対して、一番手前のやや年配の男性だけは、空を見上げてる。

   

単なる生成AI作品ではなくて、本物の写真を加工したものらしい。一応、被写体5人のプライバシーとか肖像権も考慮した形になってる。

  

この画像の投稿に対して、ある人が批判的に返信。「電車の待ち時間という人間が持て余す傾向にある時間を、便利な道具使って連絡や情報にあててるだけなのに、現代を風刺すれば知的な人間を装うことが出来ると勘違いした変な人に変な加工して晒されるこの人達可哀想すぎて涙が止まらない」。

    

内容も文体も、いかにもSNS的な文章で、多少の賛同が集まってる。そして、元の元のオリジナル作品までたどって語る人が(ほとんど)いない辺りも、SNS的な傾向。

  

実際、今、私がYahoo!のリアルタイム検索で「Antoine Geiger」と入力すると、投稿は一つもヒットしなかった。外国語まで遡る投稿が極端に少ないのも、日本の(?)SNSの特徴と言える。今回と同様、ゼロのことが多いのだ。

   

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カタカナで検索しても、わずか3つのヒットで、今回の話と関連する2つはどちらも日本のサイトの過去記事を引用。

   

    

     ☆   ☆   ☆

では、SNS以前から続くマニアック・ブログが、作品のルーツをフランスまで辿ってみよう。

    

まず、上の写真それ自体は、日本の写真家がインスタグラムで2020年に投稿したもの。それが最近、他人によってXに転載されたということ(おそらく無断で)。

   

「smartphone addiction」(スマホ依存症)、「Tokyo tower」と書かれてて、他の投稿より遥かに多い2.2万のいいねが付いてる。ちなみにアカウント名は、私が加工で消しておいた。東京タワーも見ずに、多くの人が手元のスマホばかりを注視してる様子。

     

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このコメント382件のほとんどは、海外からのものだから、海外に拡散したようだ。それは、この写真が有名な東京タワーのそばのものだし、元ネタであるオリジナル作品が既に海外で流通してたことも影響してるはず。

     

実際、コメント欄には、盗作を批判するような内容もかなり入ってた。それらのコメントは削除されてないけど、管理人はそれらに対して返信せずにスルー。好意的なコメントにはかなり返信してるので、管理人が批判を意識してるのは確実。

    

おそらく、確信犯というか、信念を持った行為・反応だと思う。芸術作品というものの要素は、この程度なら自分の作品に使用してもよいものだし、わざわざ元の作者の名前を挙げる必要もない、ということか。相手はまだ若手で海外の芸術家みたいだし。

    

    

     ☆   ☆   ☆

で、元ネタは、フランスの写真家 Antoine Geigerの作品。「Sur-Fake」と題する、10年ほど前のシリーズらしい。以前は、個人サイトを運営してたけど、今は削除してるのか、インスタグラムが目立つ程度。

    

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上の2020年の投稿は、ドイツの建築雑誌「Arch+」(英語版の特集号)に自分の作品がいくつも大きく掲載されたことを、喜んで告知するもの。それなりの雑誌にかなり掲載されたのに、いいねは154に留まってる。

   

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日本の類似投稿の100分の1もついてない辺りも、何ともSNS的な現象。少なくとも、日本の投稿から元ネタまで遡った人がほとんどいないことを表してる。

    

   

     ☆   ☆   ☆

最後に、スマホ依存症について。最初のトゥギャッターの反応を見てると、本や新聞と同じだろうとか書かれてたけど、全く違ってる。

   

歩きスマホや運転スマホは大勢いるけど、歩き読書や運転新聞はほとんど無い。一晩中、スマホに夢中になる若者は多くても、読書や新聞で一晩中、夢中になる若者はほぼゼロ。

   

あえて言うなら、例えば昭和後半のラジオが少しだけ似てるけど、ラジオは視線を奪わないし、夢中さの度合いも人数もかなり違ってる。

     

場所も状況も踏まえず、非常に多くの人が、手元の小さな画面だけに夢中になってしまう所が問題なのだ。特に、実際にはゲームをする人も多いから、両手もスマホに取られてしまう。

  

ちなみに私自身は、電車の座席でタブレットを見ることは多いけど、駅のホームで立ったままスマホやタブレットを見ることはほとんど無い。たとえ、ホームドアが設置されてるとしても。歩きスマホや運転スマホは全くやらない。

    

ゲームもほとんどやらない。わりと好きだけど、あるいは好きだからこそ、意識的に避けてる。マイナスが大き過ぎるし、別に時間を持て余すこともほとんど無いから。

    

   

     ☆   ☆   ☆

なお、国際的な精神疾患の診断基準だと、ICD11(国際疾病分類)でゲーム障害が採用されたけど、スマホ依存症はまだ無し。米国精神医学会のDSM(精神疾患の診断統計マニュアル)にもまだ採用されてない。

   

ただ、ネット検索すると、日本の医療関連サイトでスマホ依存症に触れてる所は少なくない。世界的にスマホの見直しの動きが出て来てるし、スマホの功罪や長所・短所についてはあらためて考え直す余地が大きいと思う。各ユーザーの使い方次第という考えで済ませて良いのかどうか。

      

とりあえず、運転中のスマホはもっと厳しく取り締まるべきだろう。自転車も含めて。実際には、今でもよく見かけるし、非常に危険なので。

  

なお、今週は計15109字で終了。それでは、また来週。。☆彡

    

     (計 2635字)

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「恋愛」という言葉の語釈(辞書的意味)と恋・愛・異性、大渡海、広辞苑、大辞林、大辞泉~『舟を編む』第2話

個人的に今、レース直前だから、ドラマ見たりレビューしたりしてる場合じゃないんだけど、この辞書作りの作品は面白いから、またちょっとだけマニアックな感想を書いとこう。

  

ちなみに前回の感想は次の通り。今のところ検索アクセスに無視されてるけど、私自身はかなり気に入ってる♪ 独自の妙なこだわりを「愛」してるかも(笑)。自己愛か。

   

 「右」という言葉の説明、「(東の)朝日を見ながら泣いた時、

 (南の)風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた」~『舟を編む』第1話

   

   

     ☆   ☆   ☆

さて、NHK『舟を編む』第2話は、「恋愛」(言葉、行為・状態)中心にしたエピソードだった。脚本・蛭田直美、演出・塚本連平。

    

すぐ思い出したのは、このブログで10年前に書いた「恋」の記事。

     

 「恋」という言葉、辞書的意味の比較~新明解・三省堂・岩波・明鏡国語辞典など

   

ポイントの部分だけ、自分で引用しとこう。

  

「やっぱり、恋と愛は違うし、恋と恋愛もちょっと異なる。本質的に不安定、不完全だからこそ、恋は心ときめくものなのだ。恋とは、軽い欲望を明るく示す言葉。そして欲望とは、存在しないものを求める思いのことだ。」

    

不安定、不完全、存在しないものを求める。これらは全て、今回のドラマの核心にもなってた。

   

   

     ☆   ☆   ☆

番組のラスト近く。岸辺みどり(池田エライザ)が、自分で考えた「恋愛」の語釈(辞書的な意味)をホワイトボードに書く。毎回、このパターンで一つの単語を中心にするのかな。新しい中辞典『大渡海』の編集作業として。

     

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恋愛  特定の二人の互いへの思いが、恋になったり愛になったり、時に入り交じったりと、非常に不安定な状態

    

辞書編集者として、「感情論ではない根拠」を元にした、「異性を外しても成り立つ語釈」を目指してる。

   

とはいえ、自分の元カレとの思いを、「あきらめて あきらめて あきらめて」考え出した語釈。「明らかにして 断念して 心を明るくして」、その直後の語釈。「非常に不安定」という言葉とか、ちょっと個人的すぎるから、推敲(すいこう)作業で洗練されるはず。

    

   

    ☆   ☆   ☆

ところで、このドラマの同名の原作小説(三浦しをん)は、2009年から2011年にかけての連載(光文社のファッション誌『CLASSY.』)で、ドラマの現在の年代設定は2017年。

    

この2017年というのはちょうど、日本の辞書の「恋愛」の説明が変わり始めた時期らしくて、代表的な中辞典『広辞苑』(第7版)の発売の前年になる。

    

ドラマの中での広辞苑の説明には、「恋愛」の冒頭にいきなり「異性」という言葉が書かれてた。現在の第7版を調べても、まだその点は改訂されてない。「(love の訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。」。

    

ただ、「恋」の説明なら、少し変更されてた。「特に、男女間の思慕の情」とされてたのが、「(特に男女間の)思慕の情」に変わってる。男女という要素を丸カッコに入れてるのだ。

    

つまり、男女とか異性という要素を薄めてるわけで、次の広辞苑の改訂(第8版)だと、「恋愛」の項目でも男女がカッコに入れられるかも。

  

   

     ☆   ☆   ☆

そうした話は以前、朝日新聞の夕刊記事(2021年4月7日)で読んで、覚えてた。「[女]とは [男]とは 辞書も省みる」。恋や愛に限らない、もう少し広い視野の内容。

   

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小ぶりの記事だけど、4人の記者の連名だから力が入ってる。才本淳子、田中章博、杢田光、田中ゑれ奈。女性2人、男性2人という、細かい配慮。

   

やっぱり、独自路線で人気の三省堂『新明解国語辞典』が、多様性や少数派への配慮の時代に素早く対応してるようだ。

    

   

     ☆   ☆   ☆

三省堂の中辞典『大辞林』でも、2019年の第4版を見ると、既に「恋愛」の説明や用例から、「男女」や「異性」が消えてた。「互いに恋い慕うこと。また、その感情。ラブ」。

   

小学館の中辞典のネット版、『デジタル大辞泉』でも、「恋愛」の説明・用例に男女や異性は入ってない。「特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情を持つこと」。

    

まあでも、同性愛に対して「恋愛」という言葉を使うケースはまだかなり少ないと思う。それは、ドラマでも言われてたけど、「同性愛」という特別な言葉が別にあるからかも。

   

   

     ☆   ☆   ☆

本当は、恋愛と恋、愛の細かい関係についても書きたかったけど、もう時間が無くなったから、あっさり終わりにしよう。

   

準備が無駄になってしまうけど、「あきらめる」しかない。自転車のヒルクライム(山登り)レースでしか会えない、キツイ「激坂」に、「恋」して「愛」してるから。慕うというのはちょっと違うけど♪

  

それでは今日はこの辺で。。☆彡

    

     (計 1930字)

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名言「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し」の出典、アンドレ・ルサン『Amour fou』(狂った愛)か&ジョグ

(21日)JOG 11km,1時間00分06秒,平均心拍 121

消費エネルギー 406kcal(脂肪 142kcal)

 

BIKE (本物の自転車の試走) 7 km,23分    

WALK 3.5km,39分,5200歩

   

   

    ☆   ☆   ☆

一昨日(2025年6月21日)の深夜、ネット記事を見てると、明石家さんまがサッカー・堂安律の結婚式に出席した話が複数あった。

   

さんまが自身のラジオで語った話(とされるネット情報)を引用すると、「こないだも堂安律の結婚式で言うたんですよ。有名なフランスの戯曲家の言葉なんですけど、『結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如』って」。

   

正しいかどうかはともかく、面白くて笑えるなと思って調べてみると、さんまの昔の人気番組『恋のから騒ぎ』冒頭で名言として紹介されたらしい。何年何月何日の回かは分からないけど、YouTube動画ではこうなってた

   

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人は判断力の欠如によって結婚し

 忍耐力の欠如によって離婚し

 記憶力の欠如によって再婚する

        アルマン・サラクレー

   

「人はセックスの回数の欠如によって合コンする」

           明石家さんま

   

   

     ☆   ☆   ☆

この言葉、結婚と離婚の経験をネタにし続けてるさんまのお気に入りらしくて、何度か結婚式で引用してるらしい。サラク「レ」ーは小さい間違いで、正しくは、サラク「ル」ーと書くところ。

   

ただ、当サイトで今まで度々示して来たように、この種の名言・格言の出典は間違ってることが非常に多いし、本当に調べて書いてるサイトは海外でもごく僅かしかない。

   

この『から騒ぎ』とさんまの影響が強いのか、日本では作者がフランスのアルマン・サラクルー(Armand Salacrou)と書いてるサイトが大部分だけど、サラクルーの何から取ったのか、具体的な出典を挙げてるサイトは見当たらない。

  

このパターンは、名言・格言だと、間違いの拡散の典型。ネットの日本語情報のあちこちに書いてあるから正しいんだろうと思った人が、次々と拡散して行って、怪しい情報が膨れ上がる。テレビの情報も、真偽不明のネット情報をそのまま間に受けてる場合が多い。スタッフが本気で調べてないのだ。

   

そこで私が、英語とフランス語で色々と検索してみた。結論を先に書くと、おそらく日本で拡散してる情報は間違いだと思う。

    

    

     ☆   ☆   ☆

英語でも信頼できそうな情報は見当たらなくて、フランス語だと、原文を示してるサイトが複数あった。ただし作者は、アンドレ・ルサン(または、ルッサン)。Andre Roussin。名前のeには、本当はアクセント記号が付いてるけど、文字化けの可能性があるのでここでは付けてない。

   

On se marie par manque de jugement,

 on divorce par manque de patience

 et on se remarie par manque de memoir.

   

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複数の仏語引用サイトの1つは、出典である著作名まで書いてた。「L' Amour fou」(狂った愛)。出版は1955年か56年(表記が2つある)。恋愛物語で、登場人物たちが別れと和解を繰り返すらしい。

    

このフランス語のタイトルを、このブログの記事タイトルにiMacで入力すると、「L」の次のアポストロフィが文字化けしてしまう。だから、記事タイトルでは「L'」を省略した。まあ、ここは単なる冠詞の省略形だから、不自然だけど実害はない。

    

   

     ☆   ☆   ☆

著作(戯曲)の正式名は、「L' Amour fou ou la premiere surprise」(狂った愛、あるいは、最初の驚き)。

   

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もっと有名なアンドレ・ブルトンの作品にも、「狂った愛」というタイトルがあるので、混同しないように注意が必要。実際、ネットでルサンの作品を検索すると、ブルトンの作品が何度も表示されてしまった。検索サイト自体でも、混同が生じてる。

    

ルサンの作品に関する情報は、日本国内では全くと言っていいほど見当たらない。国立国会図書館とかでも原書が無いし、翻訳はそもそも無いらしい。それどころか、英訳さえ無いようだ。要するに、昔のフランスに限って、多少の人気があったということか。

     

   

     ☆   ☆   ☆

そうなると今現在、中身の確認には、フランス語の原書を自分で買うしかない。

    

それは流石にダルイから、AI(ChatGPT4o)にたずねると、たぶんルサンのその作品で合ってるだろうというような回答だった。演劇の初演は、出版より前の1952年。格言の内容と、ルサンの作品の特徴が合ってるらしいし、サラクルーの作品だという根拠は見当たらないとのこと。

   

というわけで、試しにこの記事をアップしてみる。もちろん日本にも、原書を持ってる人は数人くらい(?)いるだろうから、調べたけど載ってなかったというような指摘は大歓迎♪

  

あと、映画化はされてるようだから、映画の台詞にあったとか無かったというような情報も大歓迎。正しい情報なら、ご遠慮なくコメントを書き込んで頂きたい。もちろん、映画と元の戯曲とでは、台詞が変わってる可能性もあるけど。。

   

    

     ☆   ☆   ☆

一方、単なる小市民アスリートの方は、一昨日の土曜(21日)も、ジョギング11km本物の自転車の試走

  

ジョグは最初、脚が激重だったけど、徐々に調子が出て来てトータルでは1km5分29秒ペース。遅いけど、気温25.5度、湿度80%、風速3.5mの条件だし、今だとこんなもんか (^^ゞ 心拍計は正常に作動してるけど、プラス2で補正。

   

本物の自転車の試走は、ちょっと距離を伸ばして7km(笑)。ビンディング・シューズを履いて、近所でゆっくり周回。ウォーキングも3.5km。これで連続295日の運動。

    

気になる週末の天気予報は、相変わらず微妙で、まあ山登りのコースだと曇時々雨って感じか。雨や寒さの対策は必須。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

  

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            平均心拍 最大

往路(2.4km) 15分01秒 108 121

LAP 1(2.1) 12分18秒 117 124

  2   11分25秒 122 134

  3   10分25秒 134 144

復路(2.2km) 11分02秒 134 146

計 11km 1時間00分06秒 123(72%) 146(86%)

    

     (計 2534字)

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「右」という言葉の説明、「(東の)朝日を見ながら泣いた時、(南の)風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた」~『舟を編む』第1話

テレビドラマを見ること自体が久々だけど、NHKプラスがお勧めして来た人気ドラマを見てみたら、面白くて感動した。最後の見せ場は、ちょっと鳥肌ものだったかも♪ レビューする時間はないから、誰も書かないような感想だけ軽く書いとこう。

  

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三浦しをんのベストセラー小説『舟を編む』の連続ドラマ化。舟とは、言葉の海を渡るための辞書のこと。BSで2024年に放送して、2025年6月17日からNHK総合テレビで放送開始。これは再放送とは呼ばないらしい。脚本は蛭田直美。ギャラクシー賞ほか、多数の受賞歴があるらしい。

  

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で、第1話。ヒロインの岸辺みどり(池田エライザ)は、人気読者モデルとして活躍してた時に何か暗い経験があったらしい。でも、おかげで出版社に就職。ファッション誌を担当してた。

   

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ところが、雑誌は廃刊で、いきなり何の興味もなかった辞書の編集部に回された上に、歓迎会で「右」という言葉の説明を求められる。

   

   

     ☆   ☆   ☆

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この時、みどりは言葉じゃなくて、矢印の記号を書いて示した。しかもちゃんと、相手から見て右向きになるように書いてる。

   

このカットだけでも、私はオーッ・・と思った♪ 言葉じゃなくて記号1つ。意表を突くシャープな返答で、確かに才能を感じる。

   

でも、番組最後の回答、同棲してた彼氏がいなくなって、失恋の涙を流した後の回答は、遥かに素晴らしかった。

   

   

     ☆   ☆   ☆

「朝日を見ながら泣いた時、あったかい風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた。それが右です」。

  

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この直前には、確かに海岸(「岸辺」)で右のほっぺたに触れてる。無意識のうちに、「右」についての問いかけを考え続けてたと。

   

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さて、ここで感動しただけで終わらないのが、半ば理数系のマニアック・ブロガー。これは自然現象として正しいのかもと思って、試しにAI(ChatGPT4o)にたずねると、正しいらしいのだ♪

    

    

     ☆   ☆   ☆

泣いた日付けは7月5日で、日本では初夏。東の朝日を見てると、南風が吹きつけるのは自然現象として「自然」らしい(太平洋高気圧の影響)。すると、右側のほっぺたの涙が先に乾く

   

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なるほど。このAIの回答で、ますます感動♪ さらに、番組でも映ってた『大辞泉』のデジタル版で、「右(みぎ)」の語釈を見ると、1番目の意味の最初はこう書かれてた。

   

東に向いたとき南にあたる方」。

   

これを詩的に、しかも自然現象的に正しく脚色したのが、ドラマだったのか。実に素晴らしい! 分かりやすいように、私の手描きイラストも挿入しとこう。

   

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     ☆   ☆   ☆

なお、その素晴らしい説明から僅かに間(ま)をおいて、みどりが「なんて」と恥ずかしそうにつぶやいたのも良かった。「なんて」というネガティブな言葉は、みどりが多用して、元カレも傷ついてたようだけど、この最後の用例は可愛い効果をもたらす「なんて」になってたのだ。

   

とにかく、感動したから、私も朝日を見ながら泣いてみようか・・・なんて♪ 可愛くない? あっ、そう♪ それでは今日はあっさり、この辺で。。☆彡

   

     (計 1274字)

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70年・大阪万博、太陽の塔「消えた第4の顔・地底の太陽(いのり)」、現在は神戸で産業廃棄物に?~NHK追跡特番

2025年5月4日の夜、NHKで放送されたミステリードキュメント『太陽の塔 消えた顔を追え』。私は全く知らなかったけど、昔から話題になってた謎のようで、今回の特番で新発見や新しい推測も発表されてた。

    

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意外なほど面白い番組だったけど、その反面、歴史的事実とそうでない部分の違いがちょっと分かりにくい作りになってる。例えば、番組公式サイトや番組内で使われた上の画像。これはおそらく、7年前に復元されて一般公開された展示物だろうと思う。

   

知ってる人にとっては当たり前の事かも知れないけど、番組内では昔の写真も映されてたから、どれが昔でどれが現在なのか分かりにくい。例えば、顔の向かって左側に制服コンパニオンの女性が立ってる映像は、昔の記録写真なのかも。

   

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ちなみに、太陽の塔公式サイトで飾られてる第4の顔も、おそらく復元後の地底の太陽だと思う。天井には、世界各地の仮面とかが飾られてる。

  

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    ☆   ☆   ☆

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さて、太陽の塔は一応知ってるつもりになってたけど、3つか4つの顔の区別は知らなかった。モヤモヤしたまま、脳内イメージの中で顔が混ざってたのだ。70mの塔のトップで一番目立つのは、未来の象徴、黄金の顔。

   

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そのかなり下、お腹の辺りで、ひねくれた顔でにらんでるように見えるのは、現在の象徴、太陽の顔。

    

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その裏側、不気味な悪の姿に見えるのが、過去の象徴、黒い太陽。

   

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そして、現物は行方不明になってる第4の顔、地底の太陽。これも復元後の映像だと思う。顔は直径3m、左右のフレア(炎)を入れると全長11mの巨大芸術オブジェ。

   

    

     ☆   ☆   ☆

2025大阪万博のプロデューサーの1人、福岡伸一が密かに追跡を始めてて、2021年のコロナ期、自分からNHKに企画を売り込んだらしい♪ おかげで、国営放送ならではの手間ヒマかかった番組が出来上がってた。テレビに映らなかった部分の地味な努力を想像すると、素直に賞賛に価する。

    

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まず、王子動物園に移されてたという話は、ウィキペディアによると、しばらく前から分かってたことらしい。顔だけでフェンスにあったとか、箱入りで野ざらしになってたとか。

    

その後の展開に移る前に、追跡とは直接の関係はないけど、新発見が紹介された。今まで存在しないとされてた元の図面を、スタッフが探し出したようだ。素晴らしい☆

    

3枚発見したらしいけど、画面に映ったのは2枚に見えた。その右下には、「図面名称」として、「こころ<いのり>」と書かれてる。設計者は、現代芸術研究所の代表取締役、岡本太郎。

   

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私が朝日新聞のデータベースで調べてみると、2018年3月の復元公開の記事には、図面が見つかってないことが書かれてた。図面が無いのに展示を再現するのも凄いことだけど、膨大な資料の中から図面を探し出したのも凄い。これは運良く成功したけど、失敗に終わった作業も今まで多数あったはず。

   

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ちなみに、元の地下の展示は、「いのち」「ひと」「いのり」の3つの空間から成ってたらしい。祈りというものは、今回の番組内では、作者・岡本太郎の縄文時代への思いと結び付けてた。

    

    

    ☆   ☆   ☆

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その図面とは関係ないけど、第4の顔の追跡は、現在の2025万博会場である夢洲に向かう。ただ、時期的に合わないようで、夢洲に埋められてるという仮説は結局、否定。

  

そして、神戸市の布施畑環境センターに辿り着いた。日本最大級の産業廃棄物処理場があるらしい。周囲には、縄文以来の(?)原生林や洞窟があって、ゴルフ場らしき開発も目立ってる。Google Earthの航空画像より。

    

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ここに持ち込む際には、30cm角以下の大きさにしないといけないから、もし本当に持ち込まれたとしたら、小さく分解されてることになる。粉々かどうかはともかく、発掘は非常に困難。でも一応、将来の科学技術の進歩で発掘できる可能性は残されてる。

    

福岡伸一は、作品にふさわしくない場所だと嘆いてたけど、私は逆に、最高にふさわしい場所だと思った。

   

現代文明の発達や人類の進歩を否定・批判して、古代への熱い思いや祈りをアピールする時、産業廃棄物処理場ほどふさわしい場所もなかなか無い。

  

美術館や記念館、研究所とかよりは、遥かにメッセージ性があるし、岡本太郎らしい反骨精神も感じ取れる。そもそも太陽の塔には、代表的建築家・丹下健三による大屋根をぶち抜くという思いが込められてたらしい。

   

    

     ☆   ☆   ☆

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結局、上図の赤丸からの矢印にそって、地底の太陽は移動したのかも知れない。と言っても、まだ未確認の仮説の段階だから、いずれ誰かがこっそり秘蔵してたものが出て来るかも。そもそも図面も、捨てられたと思われてたのに、キレイに存在してたのだ。上図の青丸が、現在の万博会場、夢洲。

    

というわけで、今日はここまで。今週も少なめ、計13793字で終了。ではまた来週。。☆彡

    

     (計 2088字)

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開館して半世紀、雑誌の図書館「大宅壮一文庫」(有料、閉架式、東京)、初めて利用した個人的感想

ちょっと前(2025年の初め)の話だけど、雑誌の図書館・大宅壮一文庫に初めて行ってみたので、その感想を簡単に書き記しとこう。

   

評論家・大宅(おおや)壮一(1900~1970)が集めた膨大な雑誌をもとにして、1971年に開館。下の写真は、入り口の右脇の看板とのぼり。「雑誌文化」を後世に。雑誌とか、雑多なもの、一般人が好きな人だったようで、本人も雑草のようにたくましい人生を歩んでる。

    

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有名な・・というか、知る人ぞ知る施設で、特にメディア関係者や人文社会研究者にとっては超メジャーな場所のはず。

   

ただ、普通にいろんな本を手に取って見ることができない「閉架式」だし、有料だから、一般市民に取ってはちょっと敷居が高い場所でもある。本人が生きてたら、ちょっと微妙に思うところかも。

  

そもそも雑誌というのは普通、新しい雑多な情報を見るメディアだから、古くて珍しい雑誌を調べたい人はかなり限られることになる。普通の公共図書館と比べると、あまり雑多な人々が集まる場所ではない。

   

   

    ☆   ☆   ☆

私は、昔から名前や情報は聞いてたけど、今まで行く機会が無かった。最大の理由は、個人的にウチから行きにくい場所にあるということ。

    

京王線の八幡山という駅から歩くのが、東京本館への基本的なアクセス方法だけど、私はあまり京王線を使わない。あえて使って大宅壮一文庫に行こうとすると、大回りするか、変則的な行き方を選ぶことになる。凄く遠いわけでもないけど、気分的には微妙になる。

   

行く機会が無かった二番目の理由は、大宅壮一文庫に行かないと手に入らないような雑誌を見たいと思ったことがなかったこと。

   

普通の雑誌なら、あちこちの図書館にあるし、大昔のものなら、国立国会図書館のデジタルライブラリー(電子書籍)ですぐ読めることもある。最近のものとか、別の電子書籍(アマゾンkindleその他)で読めることもある。

   

   

     ☆   ☆   ☆

ただ、初めて、珍しい雑誌を読みたくなったから、最初に思いついたのが大宅壮一文庫だった。

   

実は、ここと国立国会図書館のどちらがいいのか、比較の問題があるけど、その話はまたいずれ書くことにしよう。まあ、無難にまとめるなら、一長一短か。

  

私の場合、単純に前から一度、大宅壮一文庫という施設に行ってみたかったという思いもあった。少し前には、深刻な経営難も伝えられてたから。今現在は、有志による厚い支援で温かく運営されてる感じだ。

   

   

     ☆   ☆   ☆

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駅から徒歩8分ということだけど、私がスタスタ早足で赤堤通りを歩いたら6分くらいだった。キョロキョロしてると、目の前の白い壁に「大宅壮一文庫」という看板が掲げられてて、その手前には「大宅壮一文庫利用者専用駐車場」まであった。

   

東京・世田谷のこの場所に、利用者用のしっかりした駐車場(7台、無料)を持つ図書館というだけでも、只者ではない。普通に考えれば採算が取れないというか、他にいくらでも有益な土地の利用方法があるはずだから。

   

ちなみに私が経営スタッフの1人なら、駐車場を小さくして、余った土地を売るか貸すか返却して、運営費に余裕をもたせる。もちろん、こんな平凡なアイデアは大昔から出てるだろうけど。

       

  

     ☆   ☆   ☆

他に誰も書きそうにない感想をもう一つ。入り口の左脇の自動販売機が、なぜか非常にしっかりした屋根で守られてるのが気になった♪

       

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こんな自販機、今まで見たことはない。普通は雨ざらしの物だから、特別な歴史的価値があるということかも。売ってるドリンクは普通に見えた。

  

ちなみに上の写真にギリギリ写ってない左下あたりには、赤いポストが立ってて、その点でも分かりやすい施設。車で初めて行く人でも見つけやすいと思う。駐車場も入りやすい。私が行ったのは夕方というか、晩近くに慌てて行って、歩道の人通りも車の通行も少なかった。

   

    

     ☆   ☆   ☆

さて、肝心の文庫の中身。実は、中の施設も一応、撮影可能だったけど、とりあえずここでは掲載を控えとこう。もちろん、雑誌の撮影は禁止。

  

というか、雑誌を撮影したければ有料で、しかも高額になる。スチール(静止画)1枚、3600円。一般人なら、古本屋やフリーマーケットの類(メルカリ、ヤフオク)で探した方が遥かに安いと思う。あれば、の話だけど。

   

私はまず、入り口の正面奥にあるカウンターの女性に話しかけて、使い方を確認した。もちろん、公式サイトの利用案内は繰り返し読んでたけど、ちょっと言葉のやり取りをしてみたかったのだ。

    

女性スタッフは丁寧で、必要な情報を手短に説明してくれた。まあ、普通の図書館の司書みたいな人たちも、ほとんどは非常に丁寧だ。

   

   

     ☆   ☆   ☆

まず、書類に書き込んで、一般の利用料金(入館料)500円を払って、すぐ右脇の狭い階段で2階へ。すると、図書館の閲覧室みたいな感じになってて、一般客が2、3人。

  

手続きを待ってるのか、受け取った本を読んでるのかは不明。さすがに、勉強してる学生、仕事してる社会人の姿は無し。スマホをいじって遊ぶ場所でもない。カフェ、ファーストフード、喫茶店とかの雰囲気とは全く異質。

      

カウンターにはスタッフが数名。その奥には事務室みたいなものも見える。館内、全体的に、スタッフが不思議なほど多いと思った。ボランティアが混ざってるのかも知れないけど、人件費が心配になるほど。

   

とにかく、私があらかじめ調べてあった雑誌名と記事、ページ数を書類で伝えると、10分くらいでコピーを頂けたと思う。コピーは自分でとるのではなく、スタッフに頼むのだ。

   

白黒1枚で100円というコピー料金もなかなか凄い。学生料金でも70円。今どき、安いコピー機なら1枚5円だから、やはり特別な図書館ということ。マスメディアが費用会社持ちでコピーするとか、学者・教授・研究者らが国からの研究費の一部でコピーするとか。

     

ちなみに、同じくスタッフに依頼する国会図書館だと、1枚27.5円(税込)とか。その話はまたいずれ後ほど。

   

   

     ☆   ☆   ☆

閉館まで時間が無かったし、そもそも急いでたから、必要なコピーを受け取って、パンフレットを一通り頂いて、すぐに退館。コピー料金は私の場合、自費で支払い。後で領収書を経理に出すとかでもない。

  

金銭的リターンは無い少額投資だけど、個人的にどうしても欲しかったから仕方ない。大宅壮一文庫と同様、私も別に、お金のために雑誌に触れるわけじゃないのだ。

   

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上は2022年7月の大宅壮一文庫ニュース。Google検索の先駆けとも言われる「大宅式索引」の特集として、「雑誌を飾った顔・事件」が紹介されてた。

   

上の画像に写ってる3つ、オウム真理教、小沢一郎、松田聖子は、やっぱり雑誌の歴史でトップクラスの項目らしい。まあ、たまたま多数の雑誌がメジャーだった時期と重なってるという側面もある。1980年~1990年代に目立ってた人・団体ということ。デジタル・ネット時代の直前と言ってもいい。

    

   

     ☆   ☆   ☆

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帰りの八幡山駅のホームで撮った風景写真は、ちょっとオシャレで気に入ってる。さて、次に行くのはいつ、どんな雑誌と記事が目当てになるのか。

  

とにかく、貴重な初体験となったひとときだった。それでは今日はこの辺で。。☆彡

   

     (計 2917字)

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渡邊渚『透明を満たす』の写真の本、詩人・金子みすずの詩集『わたしと小鳥とすずと』&マメの痛みを我慢して11km走

(27日)RUN 11 km,51分42秒,平均心拍 132

消費エネルギー 400kcal(脂肪 112kcal)    

    

WALK 4 km,45分,5800歩

消費エネルギー 200kcal(脂肪 110kcal)

   

    

鳴物入りという表現では全く足りないくらいの注目度になってる、元フジテレビ女子アナ・渡邊渚のフォトエッセイ『透明を満たす』(講談社)。

   

日付けが2025年1月29日になってすぐ、amazonで見ると、いつの間にかkindle電子書籍も追加されてて、無料サンプル配布中。

   

直ちにダウンロードして見ると、言葉は何も無しで、写真のみだった。それだけだと、単なる一般人ブログでも記事にしにくいけど、マニアックブロガーの目線は、細か過ぎて伝わらない所に向かう♪

    

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彼女が読んでる、淡い紫色の表紙の単行本。ギリギリで書名が見えないようにしてあるけど、小さいアルファベットと番号が読み取れた。ISBNコード。「4-88284-070-7」。少し古い本だから、10桁の数字になってる。ちなみに今では、13桁に変更されてるけど、それはここでは関係ない。

    

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     ☆   ☆   ☆

検索すると、直ちに有名な詩人の本だとわかった。『わたしと小鳥とすずと - 金子みすず童謡集』(JULA出版局、1984年)。

     

40年後の今でも販売中で、電子書籍まで出てるから、かなりの人気と言っていい(出版社はフレーべル館に変わってる)。

   

金子みすずは100年ほど前の女性詩人で、小さいもの、弱い物への感受性が繊細で優しい。小学校の教科書にも、何度も採用されてる。私生活には恵まれず、26歳で自殺。

    

渡辺渚の担当医は、この事の意味に気づいてるだろうか? しかも、童謡集の表題作である詩は、死後に残された遺稿らしい。

    

一般男性の目線で金子みすずの写真を見ると、可愛い顔だと思う。そんな事は芸術活動と無関係・・などとは、私は思わない。かなりビジュアル路線で売り出してる渡邊渚が、自分と同一化する対象としても、金子は分かりやすい女性詩人だと思う。

    

話を戻すと、念のため、渡邊渚の写真でも改めてチェックしてみた。ひょっとすると、電子書籍のみの写真かも知れない。電子版だけの特典が20カットあるとの事。今現在はまだ29日の深夜1時だし、紙の本は未確認。

     

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アプリで角度と明るさその他を調整すると、背表紙の書名がはっきり読み取れた。間違いない。

  

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     ☆   ☆   ☆

さて、表題作の「わたしと小鳥とすずと」という詩は、彼女の代表作として、ウィキペディアにも全文が載ってるし、ネット検索であちこちに見つかる。

  

著作権が消滅してることもあって、アマゾンの販売ページでも、本の内容として全文掲載。

  

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わたしは空を飛べないけど、小鳥は走れない。わたしはきれいな音を出せないけど、すずはたくさんのうたを知らない。

  

 「すずと、小鳥と、それからわたし、

  みんなちがって、みんないい。

   

   

     ☆   ☆   ☆

ひらがなの多い、読みやすくて分かりやすい文章で、ささやかな存在の多様性の価値と尊重をうたってる。ただし、金子の遺稿の手帳では、「鈴」は漢字だったらしい。JULA出版局の自筆ハガキセットより。

  

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なお、渡邊渚と小鳥とすずを比べて、どう思うかは、立場によってかなり違うだろう。それもまた多様性だけど、「みんなちがって、みんないい」とまで言えるかどうかは分からない。

   

あまりにも大掛かりな出来事になってしまってるし、「みんないい」という普遍的な肯定からはかけ離れた状況だから。。

    

    

     ☆   ☆   ☆

一方、わたしは小鳥ではなく、小市民アスリート。小鳥より速く走れるとは思う♪ 一昨日(月曜)は、また11km走だけど、ソックスの選択と履き方を間違えたこともあって、途中で左足の親指にマメが出来てしまった。珍しいミス。

  

途中で歩こうかな・・と思いつつ、痛みを我慢して完走。ただ、さすがに元気よく走るのは無理で、ここ最近の好調の中だとイマイチのタイムになった。まあ、頑張った方かも。トータルでは1km4分42秒ペース。気温7度、湿度68%、風速2m

   

心拍計はまたプラス4で補正。マメが痛くてペースを落としたから、心拍も普段以上に低めになった。ウォーキングも4km。これで連続150日の運動。それでは、また明日。。☆彡

   

      

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           平均心拍 最大

往路(2.4km) 12分03秒 122 131

LAP 1(2.2) 10分04秒 133 137

  2   10分02秒 135 140

  3     9分51秒 138 143

復路(2.1km) 9分43秒 137 145

計 11km 51分42秒 132(78%) 145(85%)

      

    (計 1882字)

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蜂飼耳の小説「繭の遊戯」(25共通テスト国語)全文レビュー・書評 ~ 家畜として玉繭で糸を出した蚕の幼虫、成虫で飛び立てたのか

蜂飼耳(はちかい・みみ)という名前も、「繭の遊戯」(まゆのゆうぎ)という小説のタイトルも、読みにくい漢字で、私は聞いたことも見たこともなかった(申し訳ない)。

  

ところが小説を読むと、子どもが語る形式だから、ひらがなだらけで句読点も多い、非常に読みやすい文章。また、過去の日経新聞を調べると、多数の記事がヒット。おまけに現在は、立教大学文学部の教授で、大学の図書館長にも就任したらしい。当初のイメージは激変した。

   

私の周囲に1人もいないこともあって、現代の詩人というと何となく、地味にひっそり孤独に生きてるイメージがある(個人の感想)。ところが、社会的にも見事な成功。今回は遂に、若い頃の短編小説が一気に数十万人の読者を獲得した。印税は入らないが、ベストセラー作家に出世。

    

   

     ☆   ☆   ☆

ということは、まさに、繭の中で現代詩などの遊戯をしてた幼虫が、見事な成虫として羽ばたいたということになる。

   

しかし、蚕(カイコ)というものは、幼虫と糸にのみ価値を置かれる家畜昆虫であって、成虫は野外でも生きていけないらしいし、飛び立つことも出来ないとのこと。

   

作品の中の2匹の幼虫は、繭から出て飛び立つことが出来たのか。全文を読み終えてすぐ、その点が気になった。もちろん、その種の思いは直ちに反転する。

 

読者である自分は、飛び立つことが出来たのか。そもそも、繭とか絹糸で人々の役に立てた存在なのか。私にせよ、今ここで読んでいるあなたにせよ。。

   

   

     ☆   ☆   ☆

何の役にも立たないような一般人ブロガーでも、例えばセンター試験や共通テストの国語に関しては、少しお役に立てている気がする。

    

実際、過去のレビュー(特に小説全文の記事)はかなりのアクセスを頂いてるし、熟読してくださる方もいらっしゃる。コスパ、タイパのいいネタバレ記事としてサラッと読み流している人も大勢いると思う。

     

今回、2025年の共通テストの国語では、終了直後のX(旧 twitter)の投稿を見ると、「おばあちゃん」がキレた「ヒス構文」を面白がってネタにするものが目立っていた。

     

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しかし、私が実際に小説の全文を読んでみると、おばあちゃんは単なる脇役というか、チョイ役。「おじさん」と「わたし」が主人公の物語だ。主人公と語り手の関係というより、テレビドラマでいうW主演のような形になっている。

     

初出は、角川書店(当時)雑誌『野性時代』2005年8月号、p.138~p.144。タイトルの下には、両手とオカリナのイラストが挿入されてた(立川綾子)。オカリナには糸が付いていて、蚕の幼虫が糸を出してるようにも見える。

     

20年近く前ということもあって、ほとんど図書館にも置かれていないし、ネットでも流通していない。amazonの古書でも取り扱いがなかったし、カドカワの公式サイトでも検索範囲からギリギリで外れていた。

            

下はamazonより。野「生」時代ではなく、野「性」時代なので、念のため。

   

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     ☆   ☆   ☆

2つ上の縮小画像で、小説タイトルの右側には、「8月の極上てのひらの物語」と書かれてる。当時のこの雑誌は、両手ですくい上げたような原稿用紙10枚の短編小説を連載していたようで、30人分まとめた単行本が2006年に出版されていた

    

極上掌篇小説』。この中に『繭の遊戯』も収録されているが、元の発表作品との違いは未確認。私は初出しか確認してないので念のため。加筆・修正の可能性はある。p.211~p.220に掲載。

(☆追記: 単行本を確認。初出の雑誌との違いは、漢字のふりがなだけ。新たにつけられてたり、前のが削られてたり。)

    

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当時の雑誌巻末の作者プロフィールには、「・・身の回りの情景や心ふるわす書物を、繊細で鋭敏な語感と言葉で綴ったエッセイ『孔雀の羽の目が見てる』も好評」と紹介されていた。1974年生まれ、早稲田大学大学院・修士課程終了。中原中也賞ほか、受賞歴も豊富。

   

今現在、誰も書いてなさそうな小ネタ情報を書き添えておくと、彼女は「耳」がやや大きい(or長い)ようにも見える♪ 本人がペンネームの由来(本名?)をどう説明しているのかはともかく、無意識的には自分と「耳」が深く結びついていても不思議はない。根拠というか、参考資料は、2024年7月31日の日経新聞・朝刊の写真。

   

    

   ☆   ☆   ☆

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さて、2025年1月18日(土曜)の共通テスト1日目・国語・第2問では、ギターの話から小説の引用がスタート。最後は、楽器のオカリナをおじさんが自作してバザーで売るという話が出た所で終了。上図はいつものように、河合塾の共通テスト特設ページより。

       

問題文は長いので、元の小説の全文に近いが、最初の11行と、最後の6行(物語のオチ)だけが省略されていた

  

冒頭の2行は、「いま考えると、そのころおじさんは、まだ三十にもなっていなかったのだと思う」と書かれている。「けれど、五つや六つの子どもにとっては、想像もつかないほど年上の大人」。それなのに、「他の大人たちとは、ちがう匂いがした」。

   

他の大人たちは、遊ぶ時でも「上の空」。でも、おじさん(わたしの母の弟、叔父さん)は本気で遊んでいるし、私も一緒に本気で遊んでいる。

    

ここですぐ、私の頭には、繭の中に2匹の蚕の幼虫がいる姿が浮かんだ。試しに検索してみると、本当にそのような例があって、「玉繭」(たままゆ)と呼ばれているらしい。形や大きさも多少違うとのこと。

  

ということは、この小説のタイトルは、「玉繭の遊戯」でも良かったはず。1つの玉繭に、3匹以上の幼虫が入っていることもあるらしい。「おじさん」、「わたし」、著者(蜂飼耳)、そして、読者である私たちとか、SNSに投稿して遊ぶ受験生とか。

  

   

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話を戻すと、問題文で省略された部分には、「台所やトイレはないその小屋」という一文もある。ということは、「小屋に籠っている」と言っても、すぐそばの母屋(おもや)との行き来はかなりあるのだ。

  

小説の時代設定は、おそらく1970年代くらいの昭和。その頃、30歳くらいの身内の男性が、定職も持たず、家の敷地内の小屋で遊んでいて、食事やトイレの度に母屋に来る。これは姉(「わたし」の母)にとって、かなり目障りなはず。まだ「フリーター」という言葉さえ一般的ではなかった時代らしい

   

「ちゃんと仕事しなさい」、「いつまでも親のスネかじって」。母が怒っても、スルーするおじさん(母の弟)。すると当然、「お母さん、なんとかいってよ」、「おかあさんが甘いからよ」と矛先を変えたくなる。

  

するとおばあちゃん(「わたし」の祖母、「わたし」の母の母)は逆にキレて罵る。「もうわかった、あたしが死ねばいいんでしょ、じゃあ、死ぬよ」。実際には死ぬ代わりに、「豆の殻を剥(む)いた」だけ。私が受験生なら、教室で声を上げて笑ったかも。

     

おばあちゃんは内心では、おじさん(息子)の才能も理解しているのだ。中途半端でお金にならないとはいえ、小屋を自分で作ったし、トラックの運転手もできる。ギターの技術的に難しい曲、『アルハンブラの思い出』も少しだけ弾けるし、インドに旅行する行動力もあるし、ステンドグラスも陶芸も少し作れる。

   

息子は、やれば出来る。いつかは1人で大きく羽ばたいてくれるのでは。。 昭和の母親としては、男の子にそんな儚い期待や希望も抱いているはず。実はそれが意外な形になったのが、最後の省略部分、オチの箇所なのだ。

    

    

    ☆   ☆   ☆

時間が無くなって来たので、その最後のオチに向かおう。物語的に決定的な内容のネタバレなので、ご注意あれ。

    

問題文の最後では、おじさんが、自作のオカリナをバザーで売る考えをわたしに話したという流れになっていた。

   

その後、「オカリナは予想以上に売れ」、おじさんはオカリナばかり作り続ける。

   

しかし、ブームは終了。その後、おじさんは「なにもせず、小屋のなかで眠りつづけた・・・何ヵ月も」。そして、消えてしまったのだ。

  

「突然のことだった。帰らない。どこへ行ったのか、わかりはしない」。

    

  

     ☆   ☆   ☆

たまたまなのか、そのラストの左のページには、「日本ホラー小説大賞」という文字が、黒地に白抜きの不気味なデザインで目立っていた。私はそれを見て、ちょっと背筋が寒くなったが、それはなかなか正しい反応だったと思う。

    

というのも、蚕の幼虫は、繭を出ると生きていけないらしいから。飛べないし、外は外敵だらけ。さらに、繭の中で幼虫から蛹(さなぎ)になると、糸を取るために繭ごと処理されてしまうようだから。

   

本文には書かれてないものの、実はサナギのように何も作らなくなったおじさんは、姪の「わたし」にさえ相手にされなくなったと感じていたかも。色々と作っていた時には、あの子だけは相手にしてくれた。何も作らない自分は、もう誰にも相手にされない。そう言えばあの子は、自分が作った鶴のステンドグラスを見て、「あひるみたい」と切り捨てたし。

   

ふと、冒頭の省略部分の言葉も思い出してしまう。他の大人たちは「上の空」。それは、単なる心理的な「上の空」だが、おじさんは別の意味で「上の空」になったのかも知れない。世捨て人か、世に捨てられた人かはともかく、帰らない人になったのだから。。

   

   

     ☆   ☆   ☆

このオチだけ見ると、そんな簡単で単純な終わり方なのか・・と思われるかも知れない。

  

しかし、改めて全体を見直すと、周到に「死」のイメージや伏線が散りばめられていることに気づく。「上の空」、「死ねばいいんでしょ。じゃあ、死ぬよ」、お香、仏壇、あひる(飛べない鳥)。

  

最後の直前に登場するオカリナも、語源的にはガチョウのこと。つまり、これも要するに、飛べない鳥なのだ(生物学的にはそうは呼ばないらしいが)。

    

ちなみに、格闘技好きの私としては、小説のタイトルの「遊戯」という漢字の言葉を見て、『死亡遊戯』というタイトルの映画があったなと思い出す(見たことはない)。今でも世界中で人気がある、カンフー映画のスター、ブルース・リーの死後の公開作品。リーの死が72年、『死亡遊戯』が78年だから、この小説の時代設定と合っている形になる。

     

    

     ☆   ☆   ☆

一方、語り手である「わたし」はおそらく今、昔のおじさんと近い年頃だろう。実は、この作品を発表した時の著者・蜂飼耳も、ほぼ同年代

   

「満足と孤独。しのびこんだ蛾が、押せない窓を押して暴れ、しきりに乾いた音を立てる。そのとき、わたしはなにかを、教えられていたのだ。」

    

自分の世界にこもって遊ぶと、外に出れなくなるだけでなく、狭い世界の中で他の人とぶつかり合うことにもなる。

  

「いいと思わないものを、いいとはいえない。いってはいけない。これで嫌われるのなら、それはそれでしかたない」。

    

そもそも、わたしはおじさんより遥か下の存在なのだ。「おじさんの心配をしながら、自分も晴れない霧につつまれた。オカリナどころか、なにも作れない自分は、どうすればいいんだろう」。「他の人たちから見れば意味が薄いことを、自分の熱意だけでつづける。どこへ繋がっていくのか、わかりもしないまま」。

   

   

     ☆   ☆   ☆ 

幸い、著者の文芸的な遊戯は、大学教授の身分、図書館長の地位へとつながった。詩も小説もエッセイも評価された。結果的に、他の人達から見ても意味が生じた。

  

しかし、おじさんはどうなったのか。「わたし」はどうなるのか。そして、繭の糸の代わりに、ブログの文字を書き続ける自分はどうか。SNSでつぶやきと画像とリンクを作り続ける玉繭の中の人々はどうなのか。そもそも、蚕という生物は自らをどう認識しているのか。

     

小説という狭い枠、繭を超えて、「そういう考えをひろげ」つつ、ブログの遊戯を終わるとしよう。一時的にサナギのように眠った後は、また目覚める。人生という巨大な玉繭の遊戯は、しばらく終わらないのであった。

   

そう言えば、人間とは本質的に「ホモ・ルーデンス」(遊戯する人)だという考えもあったな・・とか思い出しつつ、それでは今日はこの辺で。今週は計19370字で終了、また来週。。☆彡

   

   

      

cf. 牧田真有子『桟橋』(24共通テスト国語)、全文レビュー・書評

    ~ 漁師に拾われた魚、捻じ切れた血の橋を自分で生き始める

   

     (計 4900字)

  (追記55字 ; 合計4955字)

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